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あの世界

 最悪な日だ。


「絶対に死んでやるって思ってたのに……」


 今日も死ねなかった。

 ユリに助けてもらったにもかかわらず、彼女の気分はどん底だった。思い返せば何故あの時死ななかったのか、あぁ、あの時に死んでいれば……などと、どうにもならない過去の記憶に思いをはせる。

 とぼとぼ歩いて小道に入ると、気配がした。振り返るが、誰もいない。


 また前を向き歩き出した。しかし歩いているとまた、見られている気配がする。振り返ると今度は一瞬、電柱から覗いているような人影が見えた気がした。

 思い込みだ。

 彼女は早歩きになって家へと帰った。



「ただいまー」


 返事は無いが、リビングからテレビの音と母の笑い声が聞こえる。リビングのドアを開けると、テレビを見る母と、DSでゲームをする妹がいた。二人は顔も上げない。

 いつもの日常が戻ってきた。

 家に彼女の部屋はない。妹の部屋の棚に荷物を置いてあるだけで、彼女の安息場所はなかった。不満だったが、それが日常だった。


 手を洗って、コーヒーを淹れる為にやかんに水を入れ、火にかける。冷蔵庫のおやつをあさりながら、先程の出来事を思い出す。

 空に浮かぶ無数の人影、透明になったこと、そして別の世界の話……。どれも信じられないことばかりだ。しかし私には関係ないことだ、と他人事のように思う。

 彼女は冷凍庫にアイスクリームを見つけると、目を輝かせた。コーヒーの準備をする。


 ――早くお湯沸かないかなぁ。

 考えたその瞬間にやかんはけたたましく音を鳴らし始めた。


「あら、沸いた」


 まだ沸くのに時間が掛かると思われたので、変だなと首を傾げ火を止める。

 コーヒーを淹れ、アイスクリームとスプーンを持ってソファーに座る。サイドテーブルを引き寄せると、そこにすべて置いた。


「今日は早いのね」

 母が彼女の方を見もせずに言う。コーヒーを飲もうとしていた彼女は驚き、危うくコーヒーをぶちまけそうになった。


「……う、うん。今日は早く帰れる日だったから」


 平静を装う。母に仕事をクビになったことは言ってなかった。彼女の母は厳しかったからだ。『世間は三年は仕事を続けた方がいいというけれど、三年じゃ何も分からない。私は六年は続けた』そう言っていたことを思い出し、母の後ろ姿を見て首をすくめる。


 きっとクビになったなんて知ったら、軽蔑されるだろう。恐ろしくて、言い出せずにいた。だから――いや、理由はそれだけではなかったが――彼女は死ぬしかないと考えたのだ。

 まぁ最初から期待や信頼などないのだけど。


「あぁそう」

 興味がないというように返事をした母は、テレビを見て笑い出す。

 コーヒーに口をつける。

「うまっ」


 この時ばかりは生きていてよかったと思う彼女だった。彼女は酒を飲まないため、カフェインと甘いものが楽しみだった。そして、アイスクリームを開けてほおばる。

 ……その時だった。

 中村の視界の隅を黒い影が横切る。

 最初こそ見間違えだと思ったが、横目で見ると人影はふわふわと浮いて向こうから集まってくる。そして窓の方に近づき、何人かがべったりと窓に張り付いた。


「ねぇ、窓の外に何か見える?」

「何も」

 母はそっけなく返す。

 ……目が、合ってしまった。


 ――いやだ!

 彼女は顔を引きつらせ、震えている。恐怖に体が動かないようで、窓をじっと見ている。

 人影はその白目以外真っ黒でぼんやりしていた。血走った眼がぎょろりと、彼女を見つめる。

 一体の人影が窓を通り抜けてきた。

 すぅっとその体は窓を通り抜ける。続けて他の人影も通り抜けようとしてきている。そこで中村は我に返り、勢いよく立ち上がった。


「ちょっと外行ってくる!」


 思いのほか大声だったので、母と妹は驚いて彼女を見た。しかし気にしている余裕はない。何も持たずに靴を履いて家を飛び出した。

「やばい、やばい」

 うわ言のようにつぶやく。


「なんで? 狙われてる?」


 真っ青な顔をして走る。先程のあいつらのせいだ! 中村はそう決めつけ、あのカフェを目指した。怖くて後ろは振り向けなかった。そして何とか先程通った大通りまで来た。


「確かここだったはず」


 見覚えのあるビル。しかしカフェがあったはずの、ビルとビルの間には細い路地があるだけだった。まるでそこには最初から何もなかったかのように、違和感がない。


「嘘だ」


 愕然として立ち尽くす。頼みの綱だった目的地が失われ、焦って後ろを振り返る。黒い影との距離はもう二メートルくらいしかなかった。よく見ると人影は先程より色がはっきりしてきている。

 どうしよう、どうしよう……。身動きが取れずにいると、何者かに腕を掴まれた。彼女が振り返ると黒いマントを被った男がいた。顔はまだ黒くぼやけている。


「いやっ!」


 中村は反対の手で思い切り相手を突き放す。と、じゅうっと何か焦げるような音とにおいをさせ、男は悲鳴を上げた。見ると男の胸には穴が開いているではないか!

 彼女は自分の手をまじまじと見つめた。手は溶岩のように光り、湯気が出ている。


「この女!」


 男は彼女を睨みつけると、手のひらを向けた。ボッとスカートに火が付く。思いついたように中村は走って逃げだす。


 ――何なのもう!

 訳が分からずイライラしていた。走りながらスカートをたたいて火を消す。また、手を見てみても先程のように光ってはいないし、湯気も出ていなかった。普段通りの自分の手だった。


 ……バァン! 激しい爆発音とともに、中村が走っているそばの車がハリウッド映画でしか見たことがないような炎を上げる。パニックは最高潮に達し、我を忘れて叫び声をあげながら走り続ける。はたから見れば、キチガイにしか思われないだろう。

 やはり周りの者には黒いマントの男は見えてないようだ。一台の車のフロントガラスに火の玉がぶつかってきて急ブレーキをかけると、運転手は悲鳴を上げて車を降りた。後ろの車はぶつかり、けたたましい音をあげた。次々にクラクションを鳴らす。道路は混沌としている。


 次々に車は燃える。「俺の車が……」「どうなっているんだ!」「テロ!?」

 車が爆発し、嘆き悲しむ者もいれば、遠巻きにビデオを回す者もいた。突然の出来事に混乱は収まらない。

 ただ一人、そんな混乱を無視して彼女は走り続ける。

 辺りは煙に包まれ、だんだん視界が悪くなってきた。


「いったぁ……」

 足を何かに引っ掛け、転んでしまう。両手のひらは皮がむけ、血がにじんでいる。左ひざは血だらけだった。



 その時――煙の中を影が目にもとまらぬ速さで横切った。

 次の瞬間、中村はビルの屋上にいた。しばらく強く目をつぶっていたが、やがて周りが静かになったことに気が付いたようだ。ゆっくりと目を開ける。目の前には男の顔があった。目を丸くして男の顔を見る。


「え……」


 ものすごい音……鼓膜が破れんばかりの爆発音がして、下から炎が上がってきた。中村は下を見、自分の今の状況を確かめる。

 男にお姫様抱っこをされ、ビルの屋上にいる……それが彼女の今の状況だった。


「やだ! 降ろしてっ!」

 暴れる。

「今降ろしたら炎の中に落下して死ぬ」

 低い声でそれだけ言う。男は感情のこもっていない冷たい目で一瞬中村を見た後、跳躍した。ほんの一瞬落下したかと思うと、空中を移動していた。


「へ!? 飛んでる! 飛んでるよ!」

「黙れうるさい」

 男は騒ぐ中村を見もせずにそれだけ言うと、飛び続けた。それ以降中村は黙り込む。




「おい、起きろ」


 男が言う。言っても中村が起きないため、めんどくさそうな顔をして中村の頬をパチンとたたいた。

 すごい勢いで彼女は目を見開く。何が起こったのか分からないようで固まっている。

 中村はあの状況で寝ていたのだ。

 恥ずかしさと申し訳なさに顔を赤らめ、飛び起きる。まぁ、顔を赤らめても男には見えなかったが。


「もう夜……?」


 男に聞くつもりでそう言いながら、空を見上げる。空には虹色のカーテンが揺らめいていた。それは生き物のようにゆらゆらと形を変えている。

 きれいだ……。見とれていると男が聞く。


「体は大丈夫か?」

「大丈夫……です。あの、これってオーロラですよね? 初めて見ました。寒くはないですけど。オーロラって北極か南極でしか見られないと思っていました」

「ここは大体こんな空だ」


 暗すぎて分からないが、手の感触から自分が芝生の上にいることは分かった。

「ここは一体どこなんですか」


 男の姿も見えないが、あの時聞いた低い声が答える。

「俺たちの世界だ」

 男は笑っている気がした。

「もしかして、あの世界とかいう所ですか」

「お前が言うあの世界がどの世界かは分からないが、多分その世界だ。まさか、覚えていないのか」


 また始まった。中村はうんざりして黙り込んだ。男は拍子抜けしたように笑い出す。そして優しい声で言う。

「そっかぁ、覚えてないかぁ。あんなことがあったのに……。でも、見つかっちゃったから、追われるよ、君」

「み、見つかったって」

「闇国の力が欲しい奴らから追われるよ」


 闇国の奴らとは、先程の黒いマントの奴らのことだろうか。彼女は腕をつかんできた男を思い出して身震いする。


「私は何で追われるんですか。どうすればいいの」

「君は女王サマだから。力を得ようとする者たちから追われる。大丈夫、俺が助けてやるよ」


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