オープニング(3)
切る場所が決められず、少し長くなってしまいました。
彼女の周りは、真っ暗で何も見えない。立っているのか、寝ているのか分からない。
彼女の体は見えなかった。
――もしかして、私、死んだの? ああ、でも人を傷つけたから、お父さんとお母さんとは同じところにはいけないのかな。
思い返せば、両親も妹も、絶対に怒らないし、誰も傷つけることはなかった。いつもみんな、優しかった。何故自分があんなことをしてしまったのか、彼女は考えていた。
――そもそも、あいつらが悪いんだ! あいつらが……殺したから。……待って。私は何をした?
彼女は自分がやった、取り返しのつかないことを思い出した。これでは、両親を殺したやつらと同じだ。しかし、彼女の心はすでにどす黒くなってしまっている。その考えに至っても、まだ、『あいつらを殺すまでは死んでも死にきれない』と、復讐の心でいっぱいだった。
一筋の光が差す。光の玉が下りてきて、それは彼女の両親の姿となった。彼女が声をかけようとする前に、母が口を開く。
「憎んではいけない」
そう言って、母は微笑んだ。
「どうして? あいつらはお母さんとお父さんを殺した!」
「赦せ。全てを赦すのだ。これは運命だった」
父は母の肩を抱いて笑った。
「赦せるはずがない。……ねえ、ここはどこ? 私も死んだの?」
「死んではいない。生死の境だ。だがいずれ目を覚ます。トラベル装置が壊れてしまって逃げられなかったが、ここからなら私達の力でトラベルさせることができる」
「お父さん、どういうこと? トラベル? 私はどうすればいいの?」
父は口を閉ざした。
「もう時間がない。いいか、忘れるな。全てを赦せ。そんな邪悪心を持つんではない」
「私達のために泣かないで。お母さんたちは幸せだから。あなたたち二人を置いていくのは許して。妹の面倒をよく見るのよ。……大丈夫。あなたもきっと、幸せになれる」
光が広がって、二人は光に溶けて見えなくなっていった。
「お母さん! お父さん!」
彼女は白いシーツのベッドの上で飛び起きた。
「起きたか?」
金髪で大柄な男がベッドの横に座っていた。
「……殺してやる」
感情を押し殺した声でそうつぶやくと、その男は豪快に笑い出した。その姿からは殺気というものは何も感じられなかった。黒いティーシャツに、カーキのジャケット。ジーンズに、黒いブーツ。彼女はその格好を見て首を傾げた。
「あなたは、誰?」
「怖がらせて悪かった。私はタイラーだ。君のご両親の知り合いでな。よろしく」
そう言ってタイラーは彼女に手を差し出した。彼女はその手をじっと見ている。
「ああ、ここでは握手をしないんだった。ここは快適だが慣れなくてね」
「握手……? どうやってするの」
「握手は私が生まれた国のあいさつのようなものだ。私の手を君が握る。こう、左手を差し出しているから、君も左手で。ここの国の人は他人に触れないそうだが……。無理をしなくてもいい」
彼女は少し考えてから、頭を左右に振った。
「いいの」
彼女はそう言って手を差し出し、タイラーはその手を握った。その瞬間、大勢の人が地面に倒れ、辺りは黒い煙で覆われた世界が見えた。それは地獄のようだった。
「今のは? あなたの……」
「どうした? やはり握手はまずかったか。触れると何か影響を受けるのだろう」
「大丈夫」
彼女の心はもう影響を受けないくらいに汚れていた。
「ねえ、なぜ私はここにいるの。家にいたはずなのに」
「君は緊急トラベル装置でここに来た。他の皆は?」
血だらけの部屋を思い出す。
「妹は生きている」
「妹は……って、ご両親は、まさか死んだのか! トラベル出来なかったのか」
彼女は俯き、熱い涙を流した。
彼女の脳裏には、殺された父と母の姿が鮮明に甦り、あの場に居た時より悲しい顔をした。
「お母さんも、お父さんも殺されたの……。それで私、いけないことをした。怖かったの」
怖かった……。
闇国の奴らが。死が。自分が。
涙は止まらなくて。口からは嗚咽が漏れた。
「よく、頑張ったな」
ぽんと彼女の頭に大きな手が置かれた。
「頑張ってなんか……」
その時、タイラーの声が頭のなかで聞こえた。
『殺す……殺してやる。絶対に敵を討ってやる』
タイラーの手は暖かかったが、彼女の中にはどす黒い悲しみのようなものが流れ込んでいた。そのなかに母の笑顔がちらりと見えた。
驚いた顔をしてタイラーを見つめる。
「どうした?」
タイラーは優しく微笑むが、その間にも『殺す』という声は聞こえる。
彼女は首を横に振る。
タイラーの心の声を聞く内に、彼女の心は沈んでいった。
――わたしは何を考えていた?残酷に殺すことばかり考えていた気がする。楽しんでいた?
彼女は俯いて無表情になっていった。
……プルルルル……
向こうで電子音が鳴る。
タイラーは立ち上がり、ドアの向こうに消えた。そして何か話している声が、一言、二言、聞こえた後、戻ってきたタイラーは少し疲れた顔をしていた。
「門は破られた」
彼女は、何を言っているか分からない、というような顔をした。門は絶対なのである。
「もうこの世界に安全な場所というものはない」
タイラーは泣きそうな顔で、そう言った。
「知っているか。あの門は君のご先祖様が創ったんだぞ」
「ご先祖様が?」
驚いた。彼女は両親からは何も聞いていなかったのだ。
門……。上を見上げても雲がかかって先が分からないくらい、巨大なあの門。白銀で、眩い光を放つ。闇国との国境に、どこでも現れる。
「まあ、学校に入ったばかりだから、聞いてなくても無理ないな」
「タイラー。門の話を詳しく聞かせて」
タイラーは困った顔をした。
「いいか。門が破られた今、ここがいつ見つかるか分からない」
彼女は悲壮な顔をして見せた。そして懇願する。
「お願い。どうしても聞きたいの。もう誰からも聞けないかもしれないし」
タイラーは何か言おうとして黙り込んだ。
「ねえ。私は門のことを聞かなければならないの。実は……私、門の向こう側を見たことがあるの。門が開いたのよ」
タイラーはうろたえた。馬鹿な。絶対に開くはずはないと聞いていたが……などと独り言を言っている。
「いいだろう。俺が聞いた話でよければ、話す」
「ありがとう」
タイラーはベッドの横にある、丸椅子に腰かけた。
「もう大昔のことだが、この話は伝説となってこの光国で語り継がれているそうだ。光国と隣の闇国は、お互いの価値観の違いから、干渉することがなかった。しかしある時、闇国の一方的な攻撃から戦争へと発展した。そこで君のご先祖様が国境にバリアを張り、門を創った。守るためには攻撃をしなければならないことがあるからな。ご先祖様……女王は、戦いが嫌いだったんだ。そのおかげで光国は平和そのものだった。唯一の出入り口は門なわけだが、そこを通ろうとする人はいない。いや、通れないんだ」
うなづきながら聞いていた彼女は、そこでうなづくのをやめた。
「門は心を見る。向こうの闇国ってのは、悪い人ばかりなんだよ。例えば、平気で殺しをして楽しんだり、堕落する生活をしたり。子供も女も皆そうらしい。そういう悪い心を持つ奴らは、光国には入れない。だからほとんど周りの国と干渉していないんだ。そして……その門が破れたということは、戦争を意味している……」
ガンガンガンガン!
突如向こうの方から、ドアをたたく音がした。彼女がびくっと飛び上がる。
タイラーは扉の方に目をやると、ポケットから何やら手のひらサイズのものを取り出して見て、彼女を見つめた。
「闇国の奴らが来た」
「えっ」
彼女は焦るが、タイラーは表情を変えない。
「落ち着け。この部屋を出て左にあるドアから逃げられる」
「どこへ逃げるの?」
タイラーは一瞬目をそらした。しかしそれだけで、また真正面から彼女を見据えた。
「お前さんにとっては粗雑な世界かも知れない。だが、もうこの世界には逃げる場所がないんだ。本当は俺がその扉を通ってすぐに帰るべきだったんだが。この世界はとても良くてね。ごめんな。こんな逃げ道しか用意出来なくて。きっと大丈夫。君はあの女王様の娘なんだからすぐ戻ってこれるさ」
そう早口で言う。彼女はよく分からないようだったが、タイラーの目は燃えていた。だから、この男の言う通りにすれば逃げて、助かるように思える。
彼女はタイラーを信じ、ありがとうと言って急いでベッドから降り、その部屋を後にした。
しかし、すぐに彼女は叫び声をあげ立ち止まる。
「タイラー! タイラー! もう奴らが入ってきそう!」
音のする方が不安になり、見に行くとすでにドアノブのあった場所にはぽっかりと穴が開いていた。扉は不思議な力でその役目をしている。
タイラーは彼女の叫びを聞くと、その巨体で音もなく玄関へ向かった。備え付けの棚から黒光りする大きな筒を取り出した。
「何。それ」
「俺の世界で使っていた銃だ」
銃……彼女は知らない言葉だったようだ。
「光国がどうなろうとかまわんが、君のお母さんとした約束がある。それを果たさないとね」
扉がきしんだ音を出しながら、開いた。
「ロプト様がはるばる闇国からやってきましたぞ! そこの少女を渡すんだ!」
銀髪の男が立っていた。そしてあの三人も。
「ふざけた野郎だ。お前が女王様を殺ったのか」
タイラーは額に青筋を浮かべた。
「ああ、殺った殺ったぁ~」
「糞が!!」
銃からまぶしい光と轟音が発せられた。
彼女は驚き、耳をふさぐ。
金色の帯が踊るように跳ねて、金属の塊を落としている。
『早く行け』
タイラーが口を動かしてそう伝えた。
彼女は後ろを向いて、走りだそうとした途端に転びそうになったが、手を床について持ち直す。必死で走り、ドアノブに手をかけた。
扉を開けると何も見えない暗闇があった。そこに勢いよく飛び込む。
思い出や平和や幸福や自由や喜びに別れを告げ、彼女は暗い暗い地獄へと落ちていった。