たとえ立場が変わっても
王族の城の近く。
正面の大きな門とは正反対の位置にあるとある水路。
水路とは言ってもここ最近は使われている様子もない古びたものだ。
「何? ここから入るの?」
明らかに機嫌を悪くしているエイミー。
正直あまり僕も気が進まない。
水路は薄暗くどこか不気味な雰囲気を放っていた。
「ジャックがいうにはここから城内までつながっているらしいよ」
「それは私も聞いてるけど……」
なかなか足の進まないエイミーだったが、僕もそれに対して急がせようとも思わなかった。
「この間ヘルメスが通った林の道でもいいんじゃない?」
「あそこだと城内まで行くのが難しいんだよ。それにこの昼の時間帯だと結構目立つしね」
そこまで話してエイミーはようやく心を決めたのか大きく深呼吸を始めた。
それに対して僕も軽く肩を回す。
「ったく。どうしてあいつは来てないのよ」
「それに関しては僕も同感」
ここにいないジャックはロードさんと一緒に行ってしまった。
ジャックの持つ情報網が役に立つということなので僕も特に反論しなかったが、この水路を見てからは沸々と怒りが込み上げてくる。
「こんな場所を提案しといてあの男……」
「文句言っても仕方ない。速く行こう」
「……はぁ」
そうして、僕らはようやくその薄暗い水路へと足を踏み入れた。
--僕らが水路に入ってからすでに数分。
もう背後には外からの明かりは見えない。
僕は家から持ってきた小型のランタンを手に水路をゆっくりと進んでいた。
「途中でそのランタン壊れないでしょうね」
「一応確認はしてきたから大丈夫なはず……たぶん」
「……不安になってきたわ」
僕の背後をついてきているエイミー。
ランタンの明かりがあまり大きくないため、エイミーはぴったりと僕の後ろを歩いていた。
怖がっているのか声の節々が弱弱しい気がする。
しかし、この状況ではそれもしょうがないだろう。
僕も正直に言うとかなり恐怖を感じている。
「そろそろ城内に繋がる場所があるはずなんだけど」
ジャックに言われた通り寄り道はせずにまっすぐに進んできた。
複雑な経路は無いと言われていたが、やはり不安は感じていた。
本当にこの道はあっているのだろうか? このまま進んでいいのだろうか?
考えると次々に嫌なことを思い浮かぶ。
「時間的にはまだ外は明るいはずよね? それなら外に繋がる道があるなら多少は明るくなっているはずだけど……」
キョロキョロと周囲を見回すエイミーの表情は、僕と同じく不安そうなものだ。
エイミーの言う通りこの水路内はいまだに真っ暗なまま。
光が入り込んでくる気配などかけらも感じられない。
「ジャックは井戸に繋がっているって言ってたんだ。この辺りは結構水が多くなってきているからそろそろのはずなんだよね」
入り口の枯れかけのような水路とは違い、この辺りはまるで川のように水が流れている。
時折僕の耳にはどこかで水滴が垂れる音が響いてきていた。
「……あのさ、もしかしたらさ」
少しの静寂のあと、エイミーは突然そう切り出してくる。
いつになくおどおどしたその様子に、僕は歩みを止めてゆっくりとエイミーを振り返った。
「井戸に蓋でもしてあるんじゃない? だからこんなに……」
「なるほど、それは……十分考えられるかもしれない」
「今思い返すと城に井戸って確かにあったのよ。でも、いつも開けられているわけじゃなかった。丸い木の蓋があったようなきがするの」
エイミーは「うーん」と唸りながらなんとか思い出そうとしている。
普通なら覚えていそうなものだが、姫様ともあれば井戸なんて気にもしないのかもしれない。
「それが本当だとして、僕らはこれからどうするべきなんだ? 蓋なんてしてあったら城内に行けるわけもない。この広い水路の中片っ端に探すなんて僕には無理だ。というかやりたくない」
「私だってやりたくないわよ! 正直言うともう帰りたい! ここは寒くて暗くて私のような人間が来る場所じゃないわ!」
ついに張りつめていた糸が切れたのか、エイミーは声を荒げてそう口にした。
親切な人間ならここで優しくエイミーをなだめるのかもしれないが、あいにく僕もかなりギリギリだったためそんな行動には出られなかった。
ため込んでいたものが一気に言葉になって発せられてしまう。
「なんだよ。まだお姫様のつもりなのか? ここに来たいと言ったのはエイミーだろ。文句ばっかり言ってないでなにか案でも考えてくれ」
「は? 私はこんな水路に来たいなんて一言も言ってないわよ! ここを選んだのはあなたとジャックでしょ!」
エイミーのその言葉に僕はおもわずイラっとした。
「文句があるなら来る前に言ってくれ! それに、井戸に蓋がしてあるなんてエイミーなら来る前に気が付けたんじゃないのか? ここに来るまで思い出せないなんて馬鹿すぎる!」
「あんたこの私に馬鹿って言ったわね?」
僕の胸倉をつかんでくるエイミー。
僕はそれに対してまっすぐに睨み返した。
「取り消しなさい!」
「そう言う態度だ。いつまで自分が上にいると思っているんだ? エイミー。君はもう王族じゃない。なんでもないただの『堕人』なんだよ」
大人げのないセリフだとは分かっていた。
しかし、僕はその言葉を言わずにはいられなかった。
エイミーはもう魔法を使える人間だ。
「私は『魔人』よ」、「私は『堕人』じゃない」そう言ったことをエイミーは口にするのだろう。
僕はそう思い、じっとエイミーの次の言葉を待った。
しかし、どういうわけかエイミーは何も言わずに黙り込んでしまった。
「……」
「……エイミー?」
エイミーの何かを必死に思いつめているような表情に、僕は思わずそう言葉をかけてしまう。
「分かってるわよ。私はもう王族じゃない。姫様なんかじゃない。でも、だからって私の生き方をすべて捨てるなんてできないじゃない……」
胸倉をつかむ手からは徐々に力が抜けていき、エイミーは顔をうつむかせていく。
「私は私よ。王族だったからじゃない。『魔人』だったからじゃない。今も変わらない私には私なりの考え方があるのよ……」
「……」
吐き出すようなエイミーの言葉に僕は息をのんだ。
エイミーにはエイミーの意思がある。
それなのに、僕はエイミーにすべてを変えさせようとしてしまった。
エイミーのあの性格も言葉も、『魔人』だったからというだけのものではない。
そんな簡単なことにも僕は気が付けていなかったのだ。
エイミーは元『魔人』だったかもしれない。今は『堕人』かもしれない。
しかし、それでエイミーのすべてが変わるなんてことは決してないのだ。
「エイミー。悪い。君は馬鹿なんかじゃないよ。僕の失言だった」
「……別にいいわよ。私も感情的になりすぎたから」
それだけ言うと僕らはお互いに気まずそうに顔をそらした。
そして、しばらくの間静寂が辺りを包む。
僕はいつの間にか恐怖なんて感じなくなっていた。
「……?」
どこからか聞こえてくる謎の音。
おそらく声と思われるその小さな音は天井近くから聞こえてきていた。
僕の反応に気が付いたのか、エイミーも目を合わせてくる。
「あぁー、喉乾いた」
その声と同じタイミングで真上から水路へと明かりがさしこんでくる。
よく見ると付近の水路には真上からロープで垂れ下がっていたバケツが浮かんでいた。
バケツは水を入れたままゆっくりと上へと引き上げられていく。
僕とエイミーはそれを見て目を見合わせた。
「ここは私に任せて」
それだけ言うと、エイミーは『コピー』を発動させた。
それによりエイミーの姿は即座に甲冑を着た大柄な男へと変わっていく。
いったい誰なのか聞こうとするが、エイミーが静かにするように指で指示してきたため僕は黙って様子を窺った。
「……あれ?」
上方から聞こえてくる兵士と思われる男の声。
エイミーがバケツを掴んでいるため不思議に思っているようだ。
「おい! そこにいるやつ! 聞こえるか!」
「……その声は兵士長? どうして?」
「理由は後で言う! 今はすぐに降りてこい! 手伝ってほしいことがある!」
「え? それって……」
あまりにも突然のことに兵士の男は戸惑っているらしい。
それもそのはずだ。降りてこいと言われても井戸の中に入ろうとはそうそう思わない。
「早くしろ!! 殺されたいのか!!」
水路中に響くようなその怒声に僕は思わず耳を塞いでしまう。
『コピー』というのは声量すらも変えられるのだろうか。
普段のエミリーとは思えないほどだ。
「は! はい!」
上の兵士も驚いたらしくすぐに井戸のロープを伝って水路へと降りてきた。
僕は即座に近くの柱の陰へと身を隠し様子を窺う。
「あ……あの。それで私は何を」
おどおどした様子でエミリーに向きなおる兵士の男。
それに対し、エミリーはムッと口を閉じてその兵士の男を睨みつけている。
兵士長と呼ばれる男はかなりいかつい顔をしており、エミリーのその表情だけで兵士の男は身を震わせていた。
どうやら、兵士長は普段からかなり恐れられている人間のようだ。
「ちょっと水路を見てほしい。向こう側だ」
「水路……ですね。分かりました」
兵士の男は最早命令がどんなものかなんてどうでもいいのだろう。
エミリーの言葉に従い素早く動いている。
兵士の男が通路の端に行くと、エミリーは静かにその背後に立った。
「よく目を凝らしてみてくれ。そこに……」
そう話しつつエミリーは両手を組んで真上に振り上げる。
そして、そのまま勢いよく兵士の首の後ろに振り下ろす。
「グェ!」
鈍い音と同時に兵士の男の口からそう声が漏れた。
ぐらりと体を揺らす兵士の男だったが、人間というものはそう簡単には気絶はしない。
ふらふらしながらもなんとかその場で踏ん張っていた。
「おい。どうするんだよ」
加勢するべきか僕は焦りつつそうつぶやいた。
しかし、エミリーの次の行動を見て僕は踏みとどまる。
「うぁ!」
兵士の男の下がった顎に容赦のないアッパー。さらに腕を掴んでから体をくるりと回してそのまま背負い投げ。
石の地面ということもあり、見ているだけでもすごい衝撃だったのがよくわかった。
兵士の男は完全にのびてしまっており、だらりと力なく地面に横たわっている。
「この程度の護身術は王族なら当然よ」
「エミリーさん……まじパネェ」
にっこりと笑みを浮かべ完全勝利のピースを向けてくるエミリー。
僕は思わずそう言葉を漏らしていた。