伝説の薬師の始まり
「ヘルメス! もう昼前よ! いい加減に起きなさい!」
階下から姉のレイの声が聞こえてくる。
何を勘違いしているのか姉さんは僕がまだ眠りこけていると思っているらしい。
この時間まで部屋にこもっていたのだから当然かもしれないが、とても迷惑な勘違いだ。
「……やべ! 上ってきた!」
階段をすたすたと上ってくる音に、僕は慌てて机の上に広げていた薬の調合素材たちを一か所にまとめ上げる。
「ああ! もったいない!」
慌てていたため、せっかく山で採取をしてきた『マナの草』を粉末にしたものが床に散らばってしまう。
急いでかき集めようと思ったが、それは勢いよくドアを開けて入ってきた姉さんのせいで止められてしまった。
「なによ。起きてるじゃ……ってこの匂いなに? またなんか変なもの作ってたの?」
調合素材たちが散らばり部屋中には異様な薬臭さが充満している。
僕も姉さんも薬師としてこういった匂いには慣れてはいるが、さすがにこの匂いはきつすぎた。
「姉さんが急に部屋に入ってくるから」
「知りません! 変なことしてないでいい加減お店を手伝って! この部屋片づけてからでいいから!」
そう言い残すと姉さんは逃げるように僕の部屋から出ていってしまった。
僕は薬臭い部屋に一人に残され「ごほっ」と咳払いをする。
「どうせ客なんてほとんど来ないじゃないか」
僕は重い足を動かして床に散らばった素材たちをかき集め始めた。
「あと少しで世紀の大発見……のような気がするのにな」
僕の声は誰にあてるわけでもなく室内に寂しく響き渡っていく。
--掃除を終えた僕はようやく薬臭さから解放され、薬屋を営んでいる一階へと足を運んだ。
もともと両親がやっていたこの店なのだが、今はとある事情で僕たち姉弟だけでなんとか切り盛りしている。
まあ実際は客もほとんどいないため姉さんが一人でやっているのだが……。
「やっときた。ジャック君来てるわよ」
カウンターからこっちを見てくる姉さんに促され、僕は奥のテーブルへと視線を送る。
するとそこには幼馴染のジャックが偉そうに膝を組んで座っていた。
「よお。また変なもの作ってたんだってな」
僕に気が付きジャックは右手を軽く挙げてそう口にする。
「変なものじゃねえよ。今回はマジだ」
僕はジャックの向かいに腰を下ろすと、横目で盗み見るように姉さんを確認した。
姉さんはなにやら簡単な薬の調合をしているらしく、カウンターの上で熱心に作業している。
するとジャックは僕の怪しい動きにすぐに気が付いたみたいで、テーブルに前のめりになるようにして僕に顔を近づけてきた。
「何かあったのか?」
「うん。正直かなりのやばいものが作れそうなんだ」
僕とジャックはお互いに小声で会話を続ける。
「やばいもの? それってもちろん薬だよな? 一体どんなものなんだ?」
「……魔法を使えない僕ら下級の人間でも魔法を使えるようになるかもしれない」
僕の言葉にジャックは一瞬硬直する。
しかし、すぐに店内に響き渡るほどに声を響き渡らせた。
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
「ちょっと……どうかした?」
心配そうにこちらを見てくる姉さん。
僕はとっさにジャックの口を鷲掴みにしてそのうるさい声を黙らせる。
「なんでもないよ姉さん。ジャックは花粉症みたいでくしゃみが止まらないみたいなんだ」
「花粉症? この時期に大変ね。薬ならここに……」
「大丈夫! 僕がもうあげたから! 効くまで時間がかかるみたい!」
僕がそう言うと、いまだに口をおさえられたままのジャックも僕に合わせて親指を真上に立ててアピールする。
「そう? お大事にね」
眉にしわを寄せて怪しんでいるようなそぶりを見せる姉さんだったが、そう言うとすぐに先ほどまでの調合の作業に戻った。
僕はそれを確認し、ジャックからゆっくりと手を離していく。
「すまん。取り乱した」
両手を合わせて謝ってくるジャックに僕は「別にいいよ」と返す。
事実僕が話したことはそれだけ大きなことだったのだ。
「僕ら人間は大きく分けて二つに分けられる。魔法を使える上位の人間『魔人』。それと魔法を使えない僕らのような下級の人間『堕人』。それらの区別が僕の薬でぶち壊せるかもしれない」
いまだ薬は開発段階だ。
しかし、もし開発が成功すればそれは間違いなく歴史に残るほどの偉業になる。
とはいえこの薬は全ての人間に嬉しいものとは限らない。
「その薬を公表すれば今までのクソみたいな扱いも……」
「ダメだ。公表はしない」
僕は希望の未来を夢見るジャックに対して即座に否定する。
「は? なんでだよ? お前まさか独り占めして……」
軽蔑するような冷たい目を浮かべるジャックだったが、僕は即座に言葉を返す。
「今まで散々俺らをバカにしてきた『魔人』がそんな薬を認めるわけがないだろ。運が良くても薬は破棄されて僕たちは牢獄の中だ」
「うぇ……」
途端に顔を青ざめさせるジャック。
薬を流通させるにはどう頑張っても『魔人』の力が絶対に必要となる。
それほどまでに今のこの世の中は魔法に依存してしまっているのだ。
「じゃあどうするんだよ。俺たちで個別に配っていくのか?」
「この国だけでも何人いると思ってんだ。個人じゃ絶対に無理。僕らがやるべきことは『魔人』からいかに目をそらせるかじゃない」
どのみちこの世界の歪んだ価値観は変えなければいけない。
そのためには今のままではダメなんだ。
「僕らは『魔人』からこの世界を乗っ取らなければいけない」
「『魔人』から世界を乗っ取る? そんなこと無理に決まってるだろ。俺たち二人だけで何ができるって言うんだよ」
僕は左右に大きく首を振る。
「確かに僕らだけじゃなにもできない。でもそれなら仲間を作ればいい」
「仲間?」
「そう。この世界には『堕人』と蔑まれてきた人間がいっぱいいる。敵は多いけれど味方だってたくさんいる」
僕らのように隅に追いやられた人たち。僕ら以上に奴隷として不当な扱いを受けてきた人たちだっている。
その人たちの中から信頼できる人物を探し出す。
それが当面の目標になるだろう。
「……色々言いたいことはあるけど大体わかった。いいよ。俺も力を貸してやる」
手を差し出すジャック。
僕はその手を迷うことなくつかみ取る。
いつだってこの男は僕に力を貸してくれた。
今回ジャックに話したのもその信頼があったからだ。
「想像以上にスケールのでかい話になると思うよ」
「望むところだ。やってやろうぜ」
固く握りしめあう握手。
僕らはまっすぐに見つめあう。
しかし、僕はその時点であることに気が付いた。
「まあ薬はまだ完成してないから、出来たらの話だけど」
先ほどまでの決意ムードはどこへ行ったのか、ジャックの表情から一気にやる気が失せていく。
「そういえばそうだった。そもそもそんな薬できるとは思えねえよ」
「僕が言うのもなんだけどあまり期待しないでくれ」
お互いに顔をうつむけ何もないテーブルに視線を送る。
『捕らぬ狸の皮算用』という言葉が今の状況にぴったりとあうだろう。