第7話 金時山と通学路
2018年7月24日 サブタイトル変更しました。
「おはよう、ハルちゃん。今日は傘を持っていた方が良いよ」
金曜日の朝、和泉家の玄関先で待っていた春久に対する一祈の第一声は天気の話だった。
西に見える富士山やその横にぽっこりと見える金時山には雲ひとつかかっておらず、雨など降りそうもないのだが、一祈の天気予報はTVのお天気お姉さんのソレよりはるかに正確な為、従う方が無難だ。
「おはよ。鞄の中に折りたたみ傘が入ってるよ」
軽く手を上げての挨拶兼お礼。もっとも傘に関しては入っているのではなく、先日の入れておいたものを取り出し忘れていたに過ぎない。
「多分、帰る頃には降ってくる。それもザーと長いこと降るよ」
おそらくは4時位から強い雨が長時間降ると言いたいのだろう。
「下校時間前後にゲリラ豪雨か? それなら、学校で少し時間を潰してから帰った方が良いかもなぁ」
「そうした方が良いかも。今日みたいな日は上昇気流が起きやすい上に、空の高いところの空気は冷たいからから、積乱雲が形成されやすいんだ。だから強い雨が降りやすくなるんだよね」
予報の表現は分かりずらいが、一祈の知識そのものはかなり豊富だ。
「なにも帰りの時間に降らなくても良いのにな」
春久は今日の学校帰りに本屋でも廻って新刊のチェックでもしようかと考えていただけに天候が荒れる事は残念だった。
二人で学校へと歩き始める。小学校以来もう10年近く続いている朝の風景。
昔はこの辺りも砂利道で春久たちが小学生の時には、今の時季ともなれば道路脇に箱根空木や皐月が花を咲かせ始め、さらに梅雨の代名詞である紫陽花も蕾を大きくさせいた記憶がある。しかし、今では小綺麗に道路が整備されてアスファルトになってしまった為、それらを目にする事はついとなくなってしまっていた。
天気の話を聞いた為なのか、少し詰襟の辺りが蒸し暑く感じる。それでもあと10日もすれば衣替えで、やぼったい上着を着ずに済む。春久は学ランの第2ボタンまでを外しつつ、何気なく一祈の横顔を覗き見る。多少眠そうではあるが血色も良く表情も明るい。色酔いを起こして倒れた事は尾を引いていない様に見える。
「そうだ。ハルちゃん、今日どうせ時間つぶすなら部活の見学に付き合ってよ」
一祈の会話は、いつも唐突なものが多い。
「部活? 中学の時みたいに天文部にでも入るのか?」
気象と天文は密接な関わりが有るとの事で、一祈は中学時代に天文部に在籍しており、3年の時には部長を努めていた。
「残念ながら、八千代部には天文部が無いんだよね。あれば既に入部しているよ」
やはり寝不足気味なのか、一祈はそう言いながら欠伸をしていた。
「そうなのか? 知らなかったな…… じゃあ、別の部に入るのか?」
一祈は自分と異なり、物事に継続性とこだわりを持っていると思っていただけに、それは少しだけ意外な選択に思えた。
「この前、ゆかぽんに誘われたんだ“来ないかって”私もけっこう興味があるし……」
能美由香と同じという事は声楽部と言う事になる。
「声楽部か。良いんじゃねぇの? 一祈は歌うまいし、結構合ってる気がするな」
別所家と和泉家は家族ぐるみの付き合いと言う事もあり、新年会などで一祈のその独特とも言える歌声を春久は何度も歌は耳にしていた。
「……ふーん、ゆかぽんが声楽部なのは知ってるんだぁ」
からかい半分の気持ちなのは分かるが、どうにも意味ありげな視線が煩わしい。
「同じクラスだから偶々知る機会が合っただけだよ」
返答が何故か言い訳がましくなる。
「どうだかねぇ。まぁ、そういう事にしておくよ。それより、はるちゃんは部活どうするの? せっかく足速いんだから、高校でも陸上続ければ良いのに。大ちゃんからも誘われてるんでしょ?」
「庚先輩な。まぁ、入部はなぁ……踏ん切りがつかないと言うか、何と言うのか……」
走る事そのものは嫌いではないが、部と言う単位での交流を高校でも続ける事に春久は自信が無かった。元々、中学時代に陸上部を選んだのも、能動的なものではなく、運動位したほうが良いだろうとの安易な思いからのもので、更に言えば、運動部の中から陸上部をチョイスしたのも団体競技ではないからに過ぎなかった。
そんな思いからはじめた陸上だったが、幸か不幸か部の顧問が厳しい上に異常に熱心に指導してくれた為、中学3年の時には、市の予選そして県大会と好成績を上げ、最終的に春久は関東大会にまで進出を果たしていた。春久たちの代で県の大会を突破したの人間は同中学に於いては文吾と春久の2人だけであり、それは春久の自慢でもあった。
「どうせ、また練習は苦にならないけど、部の打ち上げや練習後の食事会とかが面倒だなぁ、とか考えているんでしょ?」
図星だった。
幼なじみとは言えココまで見抜かれていると少し気恥ずかしくなる。
「その通りだよ。悪かったな。社交性が無くて」
悪態をついての反撃。
「社交性云々じゃないでしょ。ハルちゃんは腰が重いと言うか、めんどくさがりなだけじゃん。同じ姉弟なのに美夏お姉ちゃんと、どうしてココまで違うのかねぇ」
一祈は難しそうな顔をしてワザとらしいため息をつく。
一人っ子である一祈は同性である事もあってか、春久の姉である美夏を実の姉のように慕っている。また、姉の美夏も一祈を妹と公言して憚らない。そして、そんな姉は春久とは間逆で非常にフットワークが軽く行動派だ。
「美夏お姉ちゃん、この前言ってたよ。ハルちゃんがメールもよこさないって」
元々、春久は電話やメールの類が苦手で、それらをやり取りする相手も一祈と姉以外となると、昨日会った杉田文吾くらいだ。
「姉さんと連絡してるのか?」
そんな姉は現在大学生で、今年の4月から東京で1人暮らしをはじめていた。
「ほぼ、毎日メールしてるよ。大学でもう新しい友達も出来たって言ってた。それに美夏お姉ちゃんのアパートの側には美味しいパンさんがあるんだってさ、モリ●より美味しいのかなぁ? あと、バイトも見つかったって、家庭教師みたい。国内最高学府だけにその手のバイトには困らないってさ。美夏お姉ちゃん話し上手で聞き上手だし、美人だし、ピアノもセミプロ級だからスゴイ人気の家庭教師の先生になるんじゃないかなぁ」
どれも春久の知らない新しい情報だ。
「ピアノはあまりカンケー無い気もするけどな。まぁ、姉さんが元気なら良いんじゃないの」
ピアノ教師である母親の血を色濃く継いだのか、姉のその技量かなりのレベルだ。春久も母にピアノを習ってはいたのだが、姉との技量の差に限界を感じ4年ほどで止めてしまっていた。
「なんか他人事だなぁ。連絡くらい定期的にしないとダメだよ。姉弟なんだから」
一祈は子供に言い聞かせる母親の様に春久を見据えた。
「一祈ほどじゃないけど、俺もしてるよ。来たメールに関しては必ず返信してるんだから」
「だから、そうじゃないってさっきも言ったでしょ」
呆れたように声を上げる一祈。
「へっ!?」
春久にはまるで意味が分からない。
「ハルちゃん、一祈にもだけど、基本的には自分から誰かに連絡しないでしょ? それを言ってるの!!」
言いたい事が見えてきた。
「一祈には、昨日の夕方俺からメールしたろ?」
「“進路希望調査表と他1枚をポストに入れておきます”なんて事務連絡じゃん。しかも、なんで一祈に敬語なのよ!」
「分かりやすくて良いじゃないか」
受け取る側の体調が悪い時などは、無難が一番のはずだ。
一祈は頭を抱える様な仕草を見せる。分かっていないとでも言いたいのだろう。
「まぁ、言いたい事は流石の俺にも分かるぞ。たまには俺から何気ないメールを一祈や姉さんにしろって事だろ?」
「その通り! ハルちゃんだって誰かから連絡があれば嬉しいでしょ!?」
「まぁ、確かに……な。でも、何気ないメールって、何を知らせりゃ良いんだ?」
何気ないと事と言われても範囲が広すぎるし、具体性の欠片も無い。
「何でも良いんだよ。豊山小前のケーキ屋さんの新作が美味しかったとか、新しいカフェが水道道にできたとか、モリ●のあんパンが美味いとかさぁ。そう言うので良いんだよ」
何気ない事と言う割には一祈の話は食べ物の事に限定されている気がする。
「へぇ~。じゃあ今度、送ってみるか。豊山小前の自販は絶対に当たらないとか、小田原にスドバは似合わないとか、アンコの食べ過ぎに注意とかさ」
いつもの如く、春久は軽くおどける。
「ハルちゃん!!」
一祈が薄く春久を睨む。
「冗談だよ。今度チャレンジしてみるさ」
春久は誤魔化しついでにそう答えたものの、そんな気の利いたやり取りをする自分がまったく想像できなかった。