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たぶん、それは紅葉よりも赤い花  作者: 松乃木ふくろう
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第6話 トラックと飯泉橋

 春久はるひさは家に着くとジーンズに履き替え、薄手のパーカーを羽織り、デイバックを担いで再び外に出た。ガレージに停めてある自転車に跨り、酒匂川さかわがわに掛かる飯泉橋いいずみばしを目指す。この時季だと向かい風となるが、30分と掛からず着けるはずだ。


 酒匂川と沿うように走る県道を南へと進んでいく。また何処かで工事が始まったのか、ここ最近トラックが目立つようになってきた。中春まで目の敵にされていた松並木も青が濃くなり、花粉も落ち着いたように思える。途中、水分補給がてら立ち寄ったコンビニで隣の建物が高齢者のデイサービスになっていた事に少し驚いたが、町の風景が日めくりカレンダーの様に変わってしまう事は、ここ小田原でも珍しい事では無い。確か、デイサービスの前は健康食品のお店で、その前はチェーンのドラックストア、そして、その前は学習塾だったはずだ。その前も何かよくあるテナントだった気がしたが、思い出せる気がしなくなり、春久は待ち合わせの飯泉橋へと再び自転車を走らせた。


 飯泉橋のたもとから、自転車のまま堤防沿いの小道を下っていくと、大きな荷物を小脇に置いた男が1人あくびをしながら、狭い土手に器用に寝そべっている。春久の姿に気がついたのかその男はゆっくりと腰を上げる。


「よう、ハル! 久しぶり、待ち合わせをこんな所にしてすまねえな」

 そう、声を上げたのは春久の数少ないと言うよりは、たった一人の友人、杉田文吾すぎたぶんごだ。


「久しぶりって、先週も会ったじゃねぇか」

 春久は顔の端だけで笑った。

「お前は冷てぇよなぁ、そんなんじゃ今にオレにも和泉いずみにも愛想つかされんぞ」

 文吾はそう言うと冗談だと言わんばかりに白い歯を見せて大きく笑った。


「で、どうだい、チベ校は?」

 そう言いながら、文吾ぶんごは手に持っていた文庫本の束を春久に手渡す。彼の後ろに映る飯泉橋を大きなトラックが数台連なり国道255号の方へと消えていく。

「どうもしねぇよ…… 最近、なんかトラック増えたよなぁ」

 春久はそう答えつつ、文庫本を受け取り、それとは別の新たな文庫本を数冊デイバックから取り出し文吾に渡した。


「お袋の話じゃあ、小田原球場の前に外資系企業の工場が出来るらしいぜ。まぁ、景気が良くなるなら良い事じゃねえの?」

 大して興味もなさそうに文吾がそう返し言葉を続けた。

「それよか今回のも面白かったぜ。さすがお前のオススメだけあるな。異世界転生モノはもう食傷気味な気もしてたけどよ、こりゃあ、いいな! 主人公がぶざまで嫌なヤツなのが新しい。サブヒロインが健気でカワイイしよ。やっぱ、こう、人として強くなっていく過程が丁寧に書かれていると違うよな。続きを今度貸してくれよ」

 ふと視界に河原を白髪頭の老人が犬を連れて散歩をしているのが映る。文吾もその老人と犬の姿を視線の隅で捉えている様子だった。


「それじゃ、来週にでも持って来る。その手の物語の中じゃ有名だけど、それだけに面白いんだよな。俺が文吾から借りた時代小説も読み応えがあったよ。特に最後の助太刀に向かう所なんか、情景描写のみで淡々と書き上げてあってさ、かなりグッときたよ」

 河原では先ほどの犬がリードを外されて、老人の周りを元気に走り回りはじめたていた。


「ハルにも分かるか? あのシーンの良さ! やっぱ男なら分かるだろ? 今回のもいいぜ。タイトル見ればピーンと来るくらい有名なヤツだけどよ。主人公の飄々とした性格と剣の凄まじい腕前とのギャップに俺は痺れたなぁ。あとはなんと言っても、時代小説の中では断トツに読みやすいから、時代小説初心者のハルには正におあつらえ向きってヤツさ」

 剣道で全中ベスト4まで進んだ文吾は剣術にシンパシーを感じるのか、時代小説を好んで読む。さらに、その厳つい風貌からは想像できないが純文学に対する造詣も深い。


「そりゃあ楽しみだな。今回、俺の方は山岳冒険さんがくぼうけんモノだ。まぁ、第二次世界大戦下の話で、古典だけど間違いなく名作だ。」

 一方、春久は特に気に入ったカテゴリーはなく、タイトルや装丁で何となく手に取る“ジャケ買い派”。なんとなく時代小説だけは遠ざけていたが文吾の勧めで、最近読み始めて、これまで読まず嫌いだった事を少し後悔していた。


 2人は出身小学校も違えば、部活も違う。もっと言えば中学生時代、一度も同じクラスにもなっていない。

 互いに中学入学以来、図書室や本屋でよく見る顔だな程度の認識で、初めて言葉を交わしたのも中学二年の終わりになってからだった。

 新刊に関する情報交換をする事から始まったその関係は、今では定期的にオススメ本の貸し借りをしたり、お互いの家を行き来したりするまでのモノになっていた。


 少しの静寂。


 河原を走っていた犬が老人の側に尻尾を振りながら近寄る姿を2人して何となく眺める。


「何時からだ?」

 春久は老人と犬を見ながら文吾に尋ねた。

「7時だ。今日は県警の人に稽古をつけてもらう」

 文吾は脇に置いてある剣道の防具の入った大きな布袋を軽く叩いて見せた。

「部活には出なくていいのかよ。日海大付属にっかいだいふぞくにも強いヤツいるだろ?」

 箱根駅伝にも毎年のように名前を連ねる日海大学はスポーツが盛んだ。当然その付属である文吾の通う日海大付属高校も体育会系の部活動は盛んなうえ、どの部も軒並みに強い。


「ウチの部は出稽古を推奨してるからな。事前に許可を取っておけば文句は言われねぇよ」

 文吾は続けた。

「あとな、ハルの言うとおり、流石名門だけあって強いヤツはゴロゴロいるゼ! 手合わせした中だけでも、俺より強い先輩が6人もいた」

 文吾は顎の下を擦りながらそう呟いた。


「お前より剣道で強いやつが6人もいるのかよ!?」

 全中ベスト4でもかなわない相手が6人。さすが名門だ。

「そりゃいるさ、仮にも高校生だぜ!? それにそうじゃなきゃ、日海大付属に進んだ意味ねぇよ……それにな、ハル、先輩達には悪いが皆アイツほど強くねぇ。今の俺でもその先輩達からなら3本やれば1本は確実にとれる」

 その言葉は、驕るでも、誇るでもなく、どちらかと言えば自嘲的なものだった。


“アイツ”


 それは、昨年の剣道中学生の部全国大会で文吾が準決勝の際に敗れた相手を指していた。


 惨敗以外のナニモノでもない


 そう唇を噛み締めて、対戦の感想をはじめて春久に語った時の文吾の顔。それは自身に対する怒りを宿した表情だった。春久はその時に文吾が見せた表情を今でも明確に思い出す事が出来る。

 そして、そんな顔をする事が出来る文吾を妙に羨ましく感じる自分が不思議だった。


「すげえな」

「ああ、すげえよ」

 春久はそんな文吾のひた向きさに感心したのだが、彼は別の何かに感心しているようだった。


「オレの事なんかより、ハルはどうすんだ部活。陸上か? それとも読書部にでも入るのか?」

 淡々と尋ねてくる文吾。

「なんだよ、読書部って」

 春久は薄く笑う。

「陸上の方はかのえ先輩からも誘われているし、俺自身もやってみたいとは思ってるな……多分」

 自身の何とも間抜な返答に少し呆れてしまい、春久は少しだけ笑みがこぼれる。


かのえ先輩がいるのか? いいじゃねえか」

 少しの間の後、文吾は続けた。

「オマエもオレと同じで勝負事、嫌いじゃねぇからなぁ……いや、ハルの場合は少し違うか……」

 そう言いながら、まるで失言だったから聞かなかった事にしてくれとでも言うように照れくさそうに笑う文吾。

「なんだよ、そりゃ?」

 軽く抗議する春久。


 目の前に流れる酒匂川は春先より水量が増してきているように思える。考えてみれば、鮎釣りの解禁も間近だ。河原には先ほどの老人と犬の姿はもう見えない。


「んじゃ、ぼちぼちオレは行くからよ」

 文吾は腰を上げた。

「ああ。またな」

 剣道の道具を自転車の荷台に器用にくくる文吾を見ながら、もう姿の見えなくなった老人と犬が何処から来たのだろうかと、ふと考えていた。


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