第5話 いつもの歌と小田原の風
2018年7月24日 サブタイトル変更しました。
どこからか歌が聞こえてきた。
「赤●花 白い●」だ。
いや、それは歌というよりも喉をならしてメロディーを奏でていると言う方が正確であり、一祈が機嫌の良い時に見せるクセだった。
「ハルちゃん、高校に入学してどう?」
コロッケをひと齧りながら尋ねてくる一祈。おそらく本人は会話のつなぎ程度のつもりなのだろう。
「どうと言われてもなぁ、入学してまだ1ヶ月と少しだろ? それに高校生ともなると変な緊張感もねーし、学校の雰囲気も普通だし、クラスにも馴染んでないから、よく分かんないと言うのが正直な所だよ」
「入学してもう2ヵ月近くだよ? まだクラスに馴染んでいないの? 友達は?」
日にちの概念はともかく、正直、春久は自身のコミュニケーション能力は普通よりやや劣る位だと思っている。同時に自分はアクションを起こす側ではなく、リアクションをする側の人間であるとも。
「あのなぁ、俺は一祈みたいにおしゃべりじゃねーし、基本的に人見知りなんだよ」
思ったより元気そうな一祈を見て、いつもの様に少しだけからかう。
「ぐっ、人が気にしている事を……一祈は高校生にもなった男の子が堂々と人見知りとか言うのってどうかと思うよ」
やはり、遣り返して来た。
「スマホ買ってもらえた事が嬉しくて、毎日、毎日友達と長話してしまい、挙句の果てには親に泣きついて小遣い前借しなきゃいけないほど、料金が嵩んでしまったおしゃべりな女の子よりはマシだと思うけどなぁ。あん時、一祈のかあちゃんにフォローいれて手助けしたのは確か……」
春久は丁度1年ほど前の一祈の失敗談をとぼける様に呟く。
「そっ、それを言われると……今はプラン見直したもん!」
反論が出来ず、言葉に詰まる一祈。どうやら今回は春久に軍配が上がったらしい。それでも負けた一祈もどこか楽しそうだ。
「全く、ハルちゃん屁理屈ばかりなんだから。でも冗談抜きで友達とまでは言わないけど、話し相手になってくれる人位は出来たでしょ? 同じ千代川中学の人いないっけ?」
「……男ではいないよ。だから、話をするのはクラス委員くらいだよ」
春久は会話がめんどくさい方向に行きそうな気配を感じていた。
「男子でって……女子? E組!! そうか、ゆかぽんが同じクラスだもんね!」
案の定、一祈の大きな瞳が輝きだした。
“ゆかぽん”とは能美由香のあだ名であり、小学生の時から一祈と彼女はそこそこ仲が良い。当然、春久も同じ小学校だ。もっと言えば、能美とは住まいは離れているものの、保育園から高校まで学校だけでなくクラスもずっと同じだ。それに一祈にも話した事はないが、小学校入学前までは、お互いを下の名前で呼んでもいた。
それだけであれば、どこかに転がっているような話で大した問題では無いのだが、姉の美夏と一祈以外で春久がバレンタインのチョコを貰った事のある相手がこの能美由香だった。
無論、前述の二人は毎年恒例のうえ、義理であるのは春久も理解はしていたが、誰もが振り返るほどの美少女である能美からのチョコには、当時の春久にとってはかなりの戸惑いと驚きがあった。
散々悩んだ挙句、お返しにシュシュを選び渡したものの、告白をされたわけでも、又、したわけでも無い。そもそもチョコレートを貰ったこと自体が小学校4年生の時であり、もうかなり古い話だ。
それにも拘らず、一祈は能美の名前が出てくるたびに矢鱈とはしゃぐ。
「能美とは入学式の時に挨拶した程度で、一祈の期待しているような事は何もないよ」
「勿体無いなぁ。ゆかぽんめちゃくちゃ美人なのに」
「なんだよそりゃ」
春久はそうは答えたものの、脳裏には今日の昼休みに長い黒髪を揺らして、一雫の涙を流す能美由香の姿がちらついていた。
「……ハルちゃん?」
変な間が空いた為であろう、一祈が声を掛けてきた。
「おぉう!? そうだ! メールで知らせたけど、一ノ瀬からプリントを預かってんだ!」
誤魔化し半分、鞄の中から例のプリントを取り出して一祈に手渡す。学校通信を目にした一祈に少しだけ影が落ちる。
「進路指導と学校通信か……うむむ! いきなり地味になったこの学校通信の監修は誰がしたのかな?」
苦く笑いつつ、春久を薄く睨む一祈。やはり春久が先生に助言をしたのはバレバレのようだ。
「そんなスタッフロールのトリの方に出るほどの役付きではなく、アドバイザー程度のモノらしいぜ」
軽く冗談で返す。
「そのアドバイザーさんって少し捻くれていて、理屈っぽくて、本ばかり読んでる高校生の男の子?」
「実はコミュ障気味で繊細な気の弱い高校生の男の子らしい」
春久は少しだけおどけて見せた
「なにそれ!?」
その切り返しにおかしそうに大きく笑う一祈。
「一ノ瀬センセ、気にしている感をアピールしていたよ。そんな気遣いはいらないとだけ言っておいた」
学校通信作成の作成者であり、一祈が倒れる原因となった学校改修工事の告示のチラシを作った一ノ瀬先生の色使いは美術の先生らしく、実にサイケデリックだ。ついでに言えば一祈のクラス担任でもある。結果的に今回はそれが一祈の色酔いを呼び起こしてしまった。
そのためか、一ノ瀬先生は今回のプリントを作成する際に春久に助言を求め、そして完成原稿までを確認させた。
「うん。お詫びの電話貰った。良い先生だよね、気にしなくていいのにね。たまたま色合がハマっただけで……いつもの様にいなして見なかった一祈が悪いんだよ」
一祈は伏目がちにそう呟いた。
「気にしてやれ。先生なりの露骨な気遣いだからな」
「また、そういう言い方をする……それよりさハルちゃん、ありがとね」
「何がだ?」
「保健室に運んでくれて」
「あぁ、何だその事か。それこそ気にするな」
春久の言葉に対する返答は何も無く、ただ、コツコツと商店街の石畳を歩む2人の足音だけが聞こえていた。
――沈黙
「もう一つの進路希望調査票の方は決まってんだろ?」
沈黙が苦しくなった春久から出た言葉は、どこか照れくささのようなものを含んでいた。
「うん」
「気象大学校か……受かるといいな」
「定員が15人で倍率も高いから、簡単ではないよ。でも絶対に行くんだ」
一祈の夢は気象関係の仕事で働く事だった。
それは色酔いを防ぐため、小学生時代にTVや色彩の派手な本などを家に置けなかった、一祈たち和泉家に由来する。TVが生活に無い中、一祈が家で情報や刺激を求めた手ごろなモノ、それが新聞だった。
子供が新聞の中で、親しみやすいものと言えば、まずはTV番組欄なのだが、一祈の為に当時TVを置かなかった和泉家にとって、それは無用の長物だった。そんな中、一祈が新聞の中で最も興味を示したモノ。それが気象図だった。
一祈は日々、新聞の小さな気象図を眺めて楽しんでいるうちに、自然と気象図が読める様になり、今では自身で天気の予測を立てられるまでになっていた。
「ハルちゃんは進路どうするの?」
何気ない一祈の問いが何故か心に刺さる。
「何処かの文系だな。やっぱり」
そうは答えたものの、春久にも何がやっぱりなのかは、まるで分からなかった。
商店街を抜けると外が黄昏に染まり始め、何処かでアマガエルが鳴き出した。小田原特有の強く乱れた風には、少しだけ雨の匂いが混じっており、それは、もう夏がすぐそこまでやって来ている事を告げていた。