翅堕つとき
無断転載禁止です。念のため。
(憧れの言葉!!己で何か書いた者のみが口にすることが出来ると言う読み専憧れの言葉!!ひゃっはーー!!)
俺が目覚めた時に、周りにあったもの。
子供達の笑いさざめく声。駆け回る音。吹き抜ける心地よい風。森の香り。木漏れ日。そして、俺の手を握る君の小さな手──。
俺の名前はどうもトゥエルトゥリリと言うらしい。周りがそう呼ぶからそうなんだろう。親に類する者が見当たらないのでよく分からない。
はて俺には確か両親がいたような、そして兄弟や祖父母もいた様な気もする。それに以前はもっと静かな場所にいたと思うのだが、辺りに響く声に邪魔され、ようとして記憶が思い出されない。仕方がないので今周りにある物を観察することで少しでも頭をはっきりさせようと考えた。
子供達──高い声、凹凸の無い体つきや頭身のバランス等の様子から、俺が便宜的に「子供達」と呼称している──は日がな一日、手に手を取り合って遊び回り、のどが渇けば朝露で潤し、腹が減れば樹の蜜を舐め、眠くなれば樹のうろで身を寄せ合って眠った。
温暖な気候であるため、皆目を覚ました時から身に付けていた薄布程度しか衣服をまとっていない。また、背中からは半透明の美しい翅が生えていた。その翅からは、鱗粉のようなキラキラと光るものが時折こぼれ、風に流され飛んでいく様はとても幻想的であった。また、光の加減で虹色にきらめく虹彩や髪を持ち、薄緑色の皮膚をしていた。要はいわゆる妖精と表現される様な容姿をした生き物であった。で、あるからして、俺は皆を子供だと表現したが、もしかしたらこの体型でもう成体なのかもしれない。
自分達の大きさがどの程度なのか、他の生物を見かけたことが無いので分からない。ただ、我々は大きな大きな樹の上、日当たりのいい枝の上に生息していることは何となく把握した。何故なら見上げる先に自分達の背丈とほぼ同じくらいの巨大な葉が繁っており、足の裏に感じる感触は木の肌の様であったからである。
また、俺が覚えている限りで季節や天気が変わったことはない。あるのは日中と夜、温かい空気だけである。
やはり、ここは自分が住んでいた場所とは大きく異なる環境であると、記憶をよく思い出せてもいないのにひしひしと感じる。何故俺はここにいるのだろうか。どうやって来たのか。そもそも俺はこんな外見や年齢、習性だったのか。自分の周辺を観察してはみたものの、数々の解消されない疑問と言い知れぬ違和感ばかりが募り、ただそわそわと落ち着かなくなるだけであった。
ある日、ついに俺はこの環境がいったいどこまで続いているのか、歩いて行って確かめてみようと決意した。なお、背中に翅はあるものの、僅かに動くくらいで飛ぶことは出来なかったため歩行せざるを得なかった。
しかし、行けども行けども枝(だと俺が想定しているもの)の端には辿り着けず、迷ったつもりもないのに元の場所に戻ってくる始末。狐に化かされて肥溜めにぶち込まれるよりは、元いたところに帰って来られるだけマシかと諦めるより他なかった。
衣食住には困らず快適だが閉じ込められたこの状況、一体我々は何のためにここで生かされているのか、まさかここで養殖でもされていて、最終的には何らかの生物の食糧にでもなるのか、と嫌な予想が頭をよぎり背筋が凍る。
何だ何だ。俺は本や新聞等読んで静かに物思いにふけっていられればそれで良かったのに、何ゆえこんな得体の知れない場所にいつの間にか連れて来られたのだ。
子供達のする遊びに加わらず一人隅で震えていると、小鳥のさえずりの様な雨粒のしたたる音の様な、何とも言えぬ可愛らしい高い音が聴こえた。
いや、音というには語弊がある。これが我々の声であり言語なのである。だから、正しくは「声をかけてくる者があった」だ。
「トール! 一人で座ってないで、一緒に遊ぼうよ! さっかあを教えてくれたのはトールじゃない!」
声をかけてきたのは、俺と最も親しいエルデティリエ──俺は長くてまだるっこしいのでエリと呼んでいる──であった。
エリは俺が目覚めた時に隣にいた個体だ。二人して身を寄せ合うように丸まっていたと思う。覚醒してからしばらくは意識もおぼろで何かと覚束なく、ずっと手を繋いで過ごしていた時期もあった。そんな俺達も、ある程度時が経てば状況も飲み込めて来て、徐々に個別行動も増え、今ではそれぞれ自由に過ごすことも多くなってきていた。特に俺は一人で色々と考え事をするのが元々の性分であるらしく、最近は富に単独行動することを好むようになっていた。しかしながら、そうであるがゆえについつい悲観的な方向にばかり考えがゆき、鬱々としてしまうのはちょっとした弊害でもあった
しかし、エリは鳥類の刷り込みのごとく、最初に側にいた俺をいっとう慕ってくれ、あまり他に交わらぬ俺を心配してか、折りに触れては子供達の遊びに引き入れに来る。そして俺はいつの間にかリーダーの様な役割を押し付けられて、様々な遊びを考案したり、チーム戦の司令塔をさせられるのであった。これにはほとほと弱っているのだが、奴の心から俺を慕う様子を見るにつけ、なかなか断ることも出来ず今に至っている。
「早く早く! 来て! 一番さっかあを知っているトールがごおるきいぱあをしてくれないと点を取られちゃうよ! あっちの組には大っきなフーエルタナーがいるんだ!」
エリは俺の腕に抱きつくと、急かすように走り出した。俺は、一人考えても分からぬことはいったん置いて、子供達の群れ遊ぶ広場へと引きずられて行くのであった。
あぁ、本での知識しかないのに、戯れに蹴球など教えるのではなかったなぁ。自分が巻き込まれるだろう事は、少し考えれば想定される事態だった。
そんな代わり映えの無い日々が過ぎる中、ついに異変が起こった。
子供達のうちの一人が旅立ったのである。
そいつは我々の中では大きな翅を持つ個体の内の一人だった。確か名前はオントロンドだったか。俺は他の個体の名前を覚えるのが面倒でちゃんと記憶していない。エリは全て覚えているらしく呆れられたが、不必要なものは持たない主義なのだ。エリのことさえ覚えておけば不都合は特段無かった。
さて、話を元に戻すと、オントロンドは皆で遊んでいる最中、急に翅を震わせたと思うとバッと広げ空に浮かび上がった。最初は本人も周りも呆然としていたが、しばらくしたら、やれどうなっているだの自分も飛びたいだのやいのやいのと騒ぎ出した。オントロンド自身は恐る恐る、次第に滑らかに空を飛び始め、コツを掴むと段々高度を上げていった。そして、空がどこまで続いているのか見てくると言いおいてぐんぐん昇っていったっきり、帰ってこなくなったのである。
待てど暮らせど戻ってこないことに焦るものの、全ては後の祭り。諦めて元の生活に戻るしかなかった。
しかし、そんな不安しかない旅立ちであるのに、その後も旅立つ個体が後を絶たなかった。いざ自分の番になると、恐れなど無くなったかの様に空に消えていく。翅の大きなものから飛び立って行くから、飛ぶ機能が成熟した個体からそれぞれ巣立ちしていく仕組みなのではないかと推察した。ひるがえって自分の翅を見るにまだ小さく、巣立ちはまだ先のことである様に見受けられた。エリも同様であったので、少し安心してその手をやや強く握ったところ、俺を勇気づけるかの様に握り返してくれた。
その一方で、子供達の巣立ちと共に、いつの間にか新たなる誕生も起こっているようである。昨日一人巣立ったはずであるのに、今朝人数を数えても数が変わらない、と言う日があった。これはたまたまチーム戦をしていて気がついた。エリに確認してもらったところ、ララリュリーラなるものが新たに加わっていたようだ。
我々はいつの間にか目覚めて加わり、いつの間にか名付けられて混ざるのだ。あえて意識しなければ気づかない内に、そっと──。
もしかしたらオン……某が皆の注目を集めたから強く記憶に残っていただけで、以前からぱらぱらと巣立ちした子供はいたのかも知れない。その証拠に、去った者のことは日が経つにつれ波際の砂城のごとく記憶から失われていった。オン……某のことも段々思い出せなくなってきている。俺はより一層、漠然とした不安に取り憑かれさらにエリの存在を求めた。奴がいなくなってしまったら、俺を俺たらしめるものが無くなってしまう様にも思えた。
エリがいかに俺にとって特別な個体であることを語る前には、まず我々の身体の特徴について語る必要がある。
それは何かと言うと、我々は無性である──と、俺は思っている──と言うことだ。薄布から透けて見える皆の股の様子や己のものを観察した結果、無性であるようだと俺が結論づけた。そう、何もついていなかったのだ。そしてまさかの排泄器官もついていない。朝露や蜜を食すのだから、ついていて然るべきだと思うのだが、排泄物は一体どこへ行ってしまうのか。摩訶不思議、奇妙奇天烈の極みであるが、生憎と俺には同胞を腑分けする度胸も狂気も宿していなかったので、この疑念は晴らすことは出来ないでいる。
排泄如何はとりあえず置いておくとして、無性の存在である皆にとって、「俺」だの「私」だの、「彼」であるとか「彼女」であるとかの一人称の概念は全く理解されなかった。むしろ、そんなことを言い出す俺が奇妙な目で見られるだけであった。
そんな中、エリは唯一「俺」と言う言葉の概念を受け入れてくれた個体だった。
俺はこの体で生じた時点で既に自己を男として認識していた。例え股間に大事な象徴が存在しなくとも、せめて心だけはそうであるとただひたすらに念じて己を保っていた。エリはもう今一つ理解できないような素振りをしつつも、真摯に俺の話を聞いて、はねつけることもせず俺のこの寄る辺ない気持ちに寄り添ってくれた。それにどれほど俺の心が救われただろうか。
また、エリが俺にとっての特別であることについてはもう一つ理由を挙げることが出来る。子供達は一様に、己のことも他者のことも、長ったらしい名前を略すこともせずに呼びあっていた。俺はさっぱり子供達の名前を覚えられず、一度、名前を略してみてはどうかと提案したことがあったが、己の名を変えては己でなくなると言って皆嫌がり、その試みは却下された。そして、エリだけはその呼び方を受け入れてくれた。
──エルデティリエのことをエリと呼びたいの? う〜ん、トゥエルトゥリリがそうしたいなら良いよ──
子供達は、周りの環境について疑問に思うこともせず、ただただ穏やかに楽しげに、あるがままを受け入れて過ごしていた。そして俺はその有り様に馴染めず、上辺だけ彼らの仲間であるふりをして孤独を抱えて過ごすしかなかった。
──じゃあ、エルデティリエも、トゥエルトゥリリのことを短く呼んでみようかな? う〜ん……じゃあ……うん、そうだ! 「トール」はどう?!──
ゆえに、エリが巣立ってしまっては、俺はこの全く感性の異なる理解し合えない集団の中で、いつまで続くともしれない時を一人きりで過ごさなくてはならなくなる。そんな事態は御免こうむりたい。奴が飛び立ちそうになったら、絶対に、どうやっても止めてやろう。そう決意した。
──ふふっ。これでエリはトールの特別、トールはエリの特別だね!──
そんなある晩、ふと目覚めると妙に空が明るいのに気がついた。隣で眠っていたエリをゆさぶり外へ連れ出すと、そこには今まで見たこともない大きな月らしきものが浮かんでいた。それは辺りを煌々と照らし、俺達の翅から舞い散る鱗粉もまるで星屑のようにきらめいていた。
「トール! すごいね! 初めて見るね! 明るいね! ほら! いつも舐めてる蜜もあんなに光ってるよ!」
最初眠そうに目をこすっていたエリも、辺りを様子を見た途端に覚醒し、興奮してキョロキョロしながら駆け回り始めた。
エリの言うとおり樹の蜜に近づいてみると、それは月の光を反射してキラキラと、天の川を内包しているかの様に輝いていた。
エリは早速蜜をすくって舐めては美味い美味いときゃらきゃら笑っている。
「はい、トールもどうぞお食べ?」
エリは悪戯めいた顔をして、指に絡めた蜜を差し出して来た。俺がためらっているとしびれを切らしたのか、無理やり指を口に突っ込んでくる。おのれ何をするかと俺も蜜をすくってヤツの口に突っ込んだ。ならばこちらも応戦しようと掴みかかってくるエリ。
そうしてしばらく追いかけじゃれ合っている内に、俺はエリの両手首を掴んで、向き合うこととなった。
思っていたより細いその手首、乱れた虹色の髪の毛、色付き汗ばんだ頬、挑戦的にきらめく瞳、軽く息を切らして微笑んだ口から覗く小さな舌先が俺を捕らえ──
──吸い込まれるように、俺は口づけをした。
エリがきょとんとした顔をしているのをいいことに、俺は衝動のままにヤツの顔中に唇を降らせた。
「くすぐったいよトール。どうしたの? これは何? でも何だか気持ちい……」
目を潤ませ頬を上気させたエリを見たら堪らなくなった。ひしと掻き抱くと、その耳元に、俺の苦しい胸のうちをついに吐露してしまった。
「エリ、エリ、俺のエリ。愛してる。ずっと一緒にいて。俺を一人にしないで。エリがいなけりゃ俺は正気でいられない」
独りよがりであることは十分承知していた。そんな重くて一方的な、依存に近い愛をぶつけられても、エリは困惑するだけであろうと。しかし、エリへの愛しさといつかいなくなってしまうかも知れない不安がない混ぜになり、月の引力に引っ張られるかのようにこの胸を突き破って出てきてしまった。こんなことを言われたエリは嫌がって離れていってしまうかも知れない。そんなのは嫌だ。どうかどうか俺を捨てないでお願いエリ──。
俺が後悔やら懇願やらで頭の中を混乱させ、体を震わせながら喉を詰まらせていると、エリがなだめるように俺の背をさすった。
「トール? 一人になんかしないよ。これからも、ずっとずっと一緒だよ。エリにもトールだけ。トールだけなの。分かるでしょ? この気持ちがトールの言う『愛してる』なら、エリもトールを『愛してる』よ」
エリは俺を引き剥がすと、いつの間にか流れていた涙を拭ってくれた。泣いていたことに気付き、俺が思わず頬を赤らめると、ニコッと笑いながら両手で俺の顔を挟み、覚束ない口づけを返してくれた。
満たされた思いが胸に広がり、俺はまたエリを抱きしめた。苦しいよと苦笑するエリを抱きしめたまま、俺はくるくると回った。そのうち目が回って倒れたが、そのままエリは手を繋いだまま、ずっと月が輝くのを眺めたのだった。
いつしか、エリと俺は最古参になってしまった。背中の翅もいつの間にか大きく広がり、先に巣立って行った個体のものとも遜色ない大きさになっていた。かつてはここが何らかの養殖場ではないかと恐れていたが、今ではここから飛び立たされることを何より恐れていた。いったい、この空の先には何が待ち受けているのか──。
俺はエリがいつ飛び立ちそうになっても止められるよう、なるべく側に寄り添う様になっていた。一人でいるのが好きなトールなのにいったいどうしたの? と奴は笑うが、この焦燥感を理解は出来まい。俺は独りが好きなのではない、エリがいつもいるから一人でふらふらすることが出来るだけだったのだ。
しかし、その時はついにやってきた。エリの翅が震え、宙に浮き上がる。羽交い締めにして地に組み伏せる隙などなかった。俺はとっさに奴の手を掴んだものの、奴と共に空に引きずり出されてしまった。
「あはは! すごい! 気持ちいい! トール! 二人で空を飛んでる!」
エリは早々にコツを掴んだのか、クルクルと宙返りなどしてみせる。俺はただただ必死に奴の腕にしがみつき、上下左右する天地に目を白黒させながらも、地上に帰って皆と遊びを続けようと懇願した。
「トール! 何を言ってるの! 飛んだらもう地には帰れない! 分かってたじゃない! 皆と同じように何があるのか探しに行こうよ!」
確かに、宙に浮いてしまった体がまた地につくとは思えなかった。あんなに飛び立つことを忌避していた俺も、気がつけば空の向こうへとはやる気持ちを抑えられなくなっていた。ええぃままよと翅を羽ばたかせてみれば、予想していたよりもスッと体は空に馴染み、自由に動けるようになった。
俺はエリの手をきつく握り直すと、俺の顔を覗き込む奴に一つ頷き返してみせ、決死の気持ちで黄色い空へと飛び立った。
俺達はそのまま流星のごとく飛び続け、気がつけば周りの空の色は黄色から青へと変わっていた。足元を見ると、黄色い空だと思っていたものは半円状の繭のようなものであったことが分かった。何かを通り抜けた感触は無かったので、繭の様に見えても、何か別の物質なのかも知れない。戻るつもりはないので、それが何であったかを調べることは叶わないが。
そして更に飛び続けることしばし。随分と来たつもりが、大樹の幹は依然としてその天辺を見せず、辺りには見慣れた葉が繁るばかり。さすがに飛び疲れた俺達は、手近な葉の上に乗り移ると、倒れ込むように崩れ落ち眠りについた。
はっと目覚めると、俺達は大きな樹の虚の中にいた。葉の上で眠りについたはずが、一体全体どういうことなのか。寝ぼけた頭で辺りを見回すと、少し離れたところに人影があった。
その人物は俺が起きたことに気付くと、にこやかに笑いながら近付いてきた。俺が警戒してエリを背に庇いながら若干後ずさると、苦笑しながら次のような事を説明してくれた(なお、エリはまだ寝こけていた)。
いわく、その人はオレたちの先達であること、繭状の物体から飛び出して来た者は、通常はそのまま飛び続け、その内光の粒子になって消えていくが、二人一組だったもの──便宜的に「番」と呼んでいる──番だけは何故か消えずに残るということ、そして大体この辺りで飛び疲れて休むので、新しく出てきた番に気付いた者がこの虚に運んで保護し、そのまま寄り集まって寝泊まりしているので、ここを「番の里」と呼称しているとのことである。
俺は何とか状況を飲み込み、やっと起き出したエリと共に、俺達を保護し事情を説明してくれた個体(ヴェザリオットと言うらしい)に礼を言った。そして根本的な疑問を投げかけた。
何故、我々は「番」と言う存在になったのだろうか、と。
やっぱり気になるよねと、腕を組みながら頷くヴェザリオット。それについては、他の番達も不思議に思ったらしく、何度か共通点を話し合ったらしい。
その結果、大なり小なりこの姿になる前の事──いわゆる前世とでも言おうか──を覚えている個体が、自分と波長の合う個体を見つけて行動を共にするようになると番になる、もしくは記憶を持った者同士が惹かれ合って番になるのではないか、との仮説を立てるに至ったとのこと。
その他、番はめったに現れず今いる番達で全てであることや、番もある程度時間を経るとやはり光の粒子になって消えたり、いつの間にかいなくなっていたりもする、と言うことも教えられた。
結局、末路は光の粒子か神隠しとは安心できる要素は欠片もない。しかし、空に飛び立つと共に別離するのではと思っていたエリと番になることができ、これからまだしばらくは共にいられるだろうことには安堵した。
そうして、俺とエリはこの番の里の住人となった。
しかし、繭から出たとは言っても、我々の生態はさして変わらず、日が差せば起き、朝露や蜜を食し、暗くなれば木の虚で眠った。
違うことと言えば、空の色が繭の黄色から澄みきった青に変わったこと、繭から出たことにより多少寒暖差が大きくなったため、木の葉の繊維を利用して作った衣服で体を覆うようになったと言うことぐらいだろうか。
そうして、エリと二人で過ごしつつ、他の番達とも語らい親交を深めながら日々を過ごしていくうちに、ある時俺の体に変化が生じてきていることに気がついた。
胸に何だかよく分からないしこりが生じている。
これは、エリに胸を触られると痛みが生じることから異変を感じ、自分でも触ってみた結果しこりがあることがわかったのだ。
何らかの腫瘍が胸に出来たのか? これは外に出たことによる弊害? 今のところ呼吸の苦しさや喀血はないが、俺はこれによって死ぬのか?
ふと脳裏に蘇る記憶。
真っ赤に染まった俺の手。胸が痛くて苦しい。苦しい。苦しい。体が鉛のように重い。動けない。淋しい。俺は1人だ。辺りに散らばる書物に転々と飛び散る己の血痕。大事なのに汚れてしまった。悲しい。誰か。誰か────。
震えて固まる俺の様子に驚いたエリがとっさに抱き締めてくれ、俺は正気を取り戻した。
俺はまだ死にたくない。エリと離れたくない。エリ。エリ。エリ。
その後落ち着きを取り戻してから、何らかの知見を持つであろうヴェザ…某に症状を打ち明けに行った。そうしたところ、恐るべき事象が我が身に起こっていることが発覚した。
俺の体は女体化し始めたらしいのだ。
無性だったはずの体が突然変化することを飲み込めず、ただただ呆然とする。
「そっかぁ、トールはおんなって言うものに変わって来ているだけで、変な病気とか言う訳ではないんだね。良かったぁ」
呆然自失している俺の横で、心配して着いてきたエリが安堵のため息をついた。
そうか、そうだな……。病気ではない。死にはしない。良かった。良かったけれども、俺の精神はずっと男であり、望んだわけでもないのに体が女体化するだなんて、そんなすぐには受け入れることが出来な──
「じゃあ、エリの股の間に段々生えてきたこれは何かな? トールには無いようだから、エリは何になるの?」
そう言ってエリは服をまくり上げて自らの下半身をご開帳しようとしたので、すんでのところで押し止めた。
そうか、番たる俺が女になったので、エリは男になるのか……。
驚きすぎて頭が沸騰した俺は、詳しいこともあまり聞けぬまま、その場で、倒れた──。
その後、何故村に来てすぐにこの事実を教えてくれなかったのかとヴェザ……某に食って掛かったが、もう少し村での生活に慣れてから必要な知識を教えていこうかと思っていたとすまなさそうに言われ、引き下がるしかなかった。
仕方がないので、自宅としている虚でエリに抱きつき、どこにも向けられない憤懣をまぎらわして日々を過ごすこととした。
あぁ、本当は、なれるのであれば、俺が男になってエリを守り、慈しみたかった。女に変化したエリはどんなに可憐であっただろうか。
エリが、いつの間にかやや骨ばって大きくなった手のひらで頭を撫でてくれる。俺は、いつの間にか細くたおやかになった腕でエリを抱きしめる。
──いや、衣食住にも困らない、貨幣を稼ぐ必要もない、外敵もいない(と思われる)ここでは守るも何もあったものではないか。エリがエリなら、女であろうが男であろうが大した違いではない。
そうして、頬を両手で挟まれ顔を上に向けられた俺は、眼前に迫るエリの優しい顔に思わず頬を染め、そっと目を閉じるのであった。
結論としては、妖精と化した我が身でも、番となり雌雄が分かれれば生殖行為は可能であった。
エリは段々と変化していくお互いの体にいたく興味を引かれたのか、とにかくよく触って調べたがった。男に体をいじられるなんて、鳥肌しか立たないかもしれないと思っていたが、相手がエリであり、己が女性体であるからか、そんな嫌悪は意外にも感じなかった。
その触れあいはただただ甘美で俺の心身を蕩けさせ、いつしかなし崩しに生殖行為へと至ってしまったのである。前世の知識がなまじ残っていたばかりに完遂できてしまったのだ。
だが、果たして子宝には恵まれなかった。せっかく雌雄が分かれたのは一体何のためだったのか。
エリによく似た可愛い子どもが欲しかった。丈夫な体を持ち、人並みに働き、気立ての良い娘と縁付き沢山の子宝に恵まれ、孫に囲まれながら大往生するのが昔の俺の望みだったと思い出す。かつて、窓の外から漏れ聞こえる、健康な人々の営みに言い知れぬ嫉妬と悲しみを覚えたことも。
あぁ、俺は昔、病を患って1人寂しく死んだのだなぁ、とやっと思い出した。
今いるここは、一体何なのであろうか? 俺の望みを仏様か神様が少しでも叶えてくれた結果なのであろうか?
しかし、いくら考えても分からないなら、思索に時間を割く必要はないと気持ちを切り替え、今はひたすら己の番となってくれたエリに愛情を注ごうと気持ちを新たにした。
番として、夫婦の契りを交わした後もエリと俺は相変わらず、いやむしろより親密に時を過ごしていった。
他の番達とも、頭を付き合わせて記憶を浚い、いくつかのカードゲームやボードゲームのようなものも作って熱中したりもした。
日々楽しく過ごしていたが、そのうち新しく来る番よりも、消えていく番の数の方が上回るようになってしまった。活況を呈していた村の広場もやがて閑散とし、そして、俺達はまたしても最後の二人になってしまったのだった。
これで俺達が消えてしまったら、次に生まれてくる番達が何も分からず進退極まってしまうのではないか。文章を残そうにも、果たして同じ言語を解する者同士かも分からず、そもそもそれを見つけてもらえるとも限らず、さらにはせっかく作り上げたゲームの類いも失伝してしまう。そう思うと、何やらとても惜しくなり、何としても次の番が来るまではここに留まらねばならぬと決心した。
そして何よりも、まだまだエリと過ごしたかった。
戦々恐々としながらもエリとの満たされた日々を大切に生きていたそんなある日、久しぶりに新な番が繭から飛び出してきた。
俺達は疲労で倒れ伏す二人を介抱し、いつか俺達が教えてもらったことを彼等にも伝えていった。それを皮切りにまた番がちらほらと出てき始め、また賑やかになった里の様子に俺は安心し、満足した。やはりこうでなくては。何か成し遂げたような気になる。
二人の愛の巣である樹の虛で寄り添い、隣で穏やかに微笑むエリにもたれかかりながら、感極まって語りかけた。
「ほら、エリ。賑やかで楽しい良いところにまた戻ったね。寂しくない。里が失われる不安に怯えなくてもいいんだ。もうこの翅でどこかに飛び出さなくてもいいんだ。
あぁ嬉しい。とっても満足だ。エリ、いつも一緒にいてくれてありがとう。いつまでもずっと変わらず、愛しているよ」
俺が満ち足りた時に、周りにあったもの。
仲間達の笑いさざめく声。駆け回る音。吹き抜ける心地よい風。森の香り。木漏れ日。そして、俺の手を握る君の大きな手──。
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「ほら、エリ。賑やかで楽しい良いところにまた戻ったね。寂しくない。里が失われる不安に怯えなくてもいいんだ。もうこの翅でどこかに飛び出さなくてもいいんだ。
あぁ嬉しい。とっても満足だ。エリ、いつも一緒にいてくれてありがとう。いつまでもずっと変わらず、愛しているよ」
満足そうに微笑む貴方の体が、端から光の粒子となり散り始めた。
とっさにその体をきつく抱き締め、耳許で囁く。
「まだ、まだ私は満足していないよ……トール……私も愛してる……。
だから、また一緒に、繰り返しましょう…?」
きっと驚いているであろう、貴方をそのまま押さえつけ、その背の翅を強引にむしりとった。
途端に崩れ堕ちる翅。キラキラ溢れる硝子の欠片の様。何度見ても美しさと背徳感に身震いする。
貴方はとっさに手をばたつかせて暴れ、何か喋ろうとしていたけれど、すぐに翅と同様に粉々に砕け崩れていった。一瞬見えた表情に少し心が痛んだものの、必要なことだと頭を切り替えた。
粉々になって小山になった貴方は、しばらくすると樹に吸収されて無くなっていった。──そしてまた改めて妖精の形に成形され、繭の中に生じるのだろう。
今回は珍しく貴方が女になったので、いつもとは違う悦びを得られたのが収穫だった。幸せすぎて、危うく貴方が満足しきって光の粒子になり現世に還ってしまうところだった。最近の様子を観察するに危険だと感じ、常に側にいるようにしておいて本当に良かった。
貴方は繭に戻る度、どんどん昔の記憶を失っていく。ついには私のことをも忘れてしまったのには腹が立つ。
家族も嫌がる肺病の貴方を、甲斐甲斐しく世話して最期まで看取ったのは私だと言うのに。
私を認識していない貴方に、改めて愛情と執着を徐々に植え付けるためにそれなりの手間と演技力を要した。しかし、その代わりに何の気兼ねも無く私と交わってくれる様になったのは収穫だった。
でも、ただ一人離れ座敷で過ごす貴方の無聊を慰め、支えるのは私きりだったはずなのに、ここで仲間を得て孤独を癒して満足しようとするだなんて。貴方の世界には私一人しかいなくていいのに。
業腹過ぎて、今回は睦事の度に少々手酷く致してしまったのはしょうのないことだ。起き上がれない貴方を介抱するのも、生きていた頃を彷彿とさせて懐かしくいとおしかった。
だがそんな甘美な時間もこれでお仕舞い。貴方は繭に戻ってしまった。私も早く戻らねば。
私は虛を出ると、自分達が繭に戻るため別離の時となったことをある番の片割れに伝えた。
この片割れは私と同じく、番の相手に激しい執着と愛情を持ったまま死んだ未練の塊である。
私達の住まうこの樹は、恐らく現世の未練を浄化するための機構だ。特定の相手に対して強い妄執に囚われた者が、その相手と共に「番」として繭から生じ、「番の里」に集まるのだ。もしかしたら他の未練によってどこかに留まる者もあるのかもしれないが、それは私の預かり知るところではない。
繭の中でほぼ未練を浄化され切ってしまい、辛うじて番として出てきた者達は、すぐに光の粒子になって現世に還って行く。もしくは極楽に行っているのかもしれない。しかし、私の様にまだグラグラと沸き立つ執着を抱える者はいつまでも里に居座るし、うっかり相手が消えそうになったら躊躇わず翅をむしる。
本当に失伝してはならないものは、自分達で作った遊戯や番の里自体などではなく、番をまた繭に還す方法だ。勿論、先程別離を告げた片割れにも伝達済である。
この片割れとは何度も会っているので実は知り合いである。繭から出てくる度に姿形や名前が変わっているので一見分からないが、しばらく観察していれば、その執着の酷さに中身が知れる。私と同じ様に、自分が満足するまで世界に還ることを良しとせず、また永遠に満足したくないとも思っており、ずっと番に執着し繭と里とを行ったり来たりしている輩なのである。
しかしそう言う執着にまみれた同類も、還るごとに少しずつ記憶を失っていくので、この方法はそうと見られる相手には必ず改めて伝えなければならない。覚えているとは限らないからだ。
それにしても、この方法をまだ誰も見つけていない時代にここに来なくて良かったと心から思う。もし貴方が一人現世に還ってしまうなんてことになったら、私は発狂して永遠にここで喚き続ける存在になっていたかもしれない。もしくは未練も記憶も吹き飛んで散り散りに消えてしまったかもしれない。何にせよ、翅を堕とすことを初めて行った先達には感謝の念が堪えない。
毎回、繭に生じる度に、生前の名前とは異なる仮初めの名前を脳裏に刻み付けられ、昔のことを思い出しにくくされているのは確かに感じている。しかし、私の飢餓感は多少記憶を奪われたくらいでは失われない。
私は足取りも軽く貴方と過ごした虛に戻ると、繭での次の生活に胸踊らせながら、自らの背に手を伸ばし翅をむしりとった。
私が目覚めた時に、周りにあったもの。
子供達の笑いさざめく声。駆け回る音。吹き抜ける心地よい風。森の香り。木漏れ日。そして、私の手を握る貴方の小さな手──。
またこれからもよろしくね、兄さん。昔添えなかった分、今度はいくらでも一緒にいましょうね。いつまでも愛してるわ。
そう想いを込めて、まだ目覚めぬ、かつて血を分けた兄だったひとに口づけをした。
●読み専が作家の気持ちを味わってみたくてどうにかこうにか短編を書いてみた感想その2
・私が作った「俺の私のTS企画」のための短編として書き始めたものの、途中で面白いんかこれ…?最早誰得…?ってなって一年以上塩漬けになっていた。何とかやる気が出たので完結出来た。
・13,000字いった!前作より長いど!しゅごい!大変だった!作家様方やっぱり神!
・今までスマホでフリック入力していたんだけど、Bluetoothキーボードをな、買ったのよ。執筆めちゃ捗るうううって書く意欲爆上がりした。一時的には。死。
・キャッチーなタイトル、書き出しって難しいね!頑張ったけど厨二病なありきたりになったYO!!
・面白いか良くわかんなくなったくせに友人に試し読みを頼む暴挙。冷静な他者視点助かる!そしてその後またずっと放置して本当にごめんなさい。
・やっぱり印刷して赤ペン片手に校正は見やすくてやりやすい。
・納得行くまで書ききろうとすると、いつまで経っても仕上がらないので8割くらい書けたかなと思ったらもう完成と言うことで良いのだ!完結が!必要だ!!
●初めてTS物書いてみた感想
・途中まで無性だけどえぇんかこれ…ってなって執筆止まった。開き直ったら書き終わったYO!
・TSしても恋愛したい場合、どんな関係性の二人か?と考えたらこのような出来上がりに…。
・女だった人が男になるバージョンも考えてみたくなった。
●今作に対する感想
・主人公は1920年代頃に結核で病没した人(離れ座敷に隔離されて本や新聞読んで過ごしてた青年)を想定しているので、当時の小説を青空文庫で読み込んでもっとそれっぽい雰囲気を出したかったが、そんな元気はなかった。そしてもう一つ問題がある。青空文庫は書かれた年の記載がないのである。年別の!インデックスを!作ってくれ!!
・暗くて頭でっかちで童貞(笑)っぽい男を書くのは楽しかった。
ほんと、作者様達マジリスペクト。今後も応援してます‼ アウトプットってまじ大変!!!