【1:恋するクロノス】
滑り込み連続投稿失礼します。
プロローグがあけて、ようやく本編はじまります。
1 恋するクロノス
なんてことだ、と、クロノスは呟いた。
彼の眼は、自らが管理する時を監視するためのモニターの内の一つに釘づけであった。そのモニターの中には、アジア系の人種が行き交う駅の構内が映っていて、看板などから察するに日本だということが解る。
モニターの景色は、人の流れに合わせて動いているようで、よく見るととある一人の女性を中心にして移ろっていた。
女性は広い駅構内の様々な店に立ち寄っては、楽しそうに顔をほころばせる。
それを見てクロノスは、うわ言のようになんてことだ、と、連呼するのみ。
「なんてことだ、これは…。これが、恋だって言うのか?」
真っ赤な顔で天を仰ぎながら、彼はそう呟いた。
*
彼女を見つけたのは、多分、単なる偶然だったんだ。
偶然僕が担当するように割り振られた監視対象…の時間軸に、ほんの少し写っただけ。元々はそういう、特別でもなんでもない、映画で言えば雑踏。エキストラの一人。
そんな彼女に僕は眼を奪われてしまった。自分でも、なんでかは解らない。
僕は時の神として生まれ、時の神として生きてきた。自分で言うのもなんだが、僕は神らしい神だったと思う。生物を超越した何かであり、時という概念を淡々と監視する僕は、人間らしい情というものを、今まで持ち合わせていなかったように感じる。何故なら、僕は時を止め、巻き戻し、早送りすることは出来ても、人の生活に干渉することは出来ない。人の生き方を決めることは出来ない。
人の生き方は運命によって決められるもので、それを分岐させるのは運命の神の所業だ。しかし、運命の分岐点となる『選択』をすることは人間にしか出来ないこと。
だから僕には、人間と関わりあう機会は無く、その必要も無く、よって、人間に情をかけることは不要だった。そんな僕はもしかしたら、神と言うよりは、システムと言ったほうが近いのかもしれない。
だから、彼女に視線が吸い寄せられたとき、まず僕は彼女が時間遡行者なのではないかと疑った。
大体僕が特定の人間を見張るときは、その人間が時間遡行者、あるいは、それに準じる行動を取る可能性があるということを本能的に感じ取った場合だ。今回も、そうなのかと。
なのでしばらく見張ってみたのだが、解ったことといえば、彼女がそういった行動に一切関与していないことと、僕の、今まで存在を認識していなかった胸が高鳴っていること、しているかも解らなかった呼吸が苦しいこと。
僕は初体験の感覚に呆けながら、「ああ、自分はシステムではなく、神だったのだな」と、考えていた。
次の日も、その次の日も、彼女を追ってしまっていた。
数々の時間軸の彼女。朝、時間通りに起きた彼女と、起きれなかった彼女。紅茶に砂糖を入れた彼女と、入れなかった彼女。彼女の些細な行動が運命の分岐を引き起こし、数々の彼女が姿を現す。
天井まで隙間無く並べたモニターの全てに写る彼女を、熱に浮かされたように眺めつつ食べるケーキは、味がしなかった。
*
「それは恋さね!」
「なんで嬉しそうなんだ、君は」
クロノスが運命の神、モイラの職場に赴いたのは、またあくる日のことだった。
手土産に、昨日も食べたシフォンケーキを持参したが、あの女性を目にせず食べたケーキは、きちんと味がしたし、柔らかくて美味しかった。
クロノスがモイラと話をしたいと思ったのは、モイラが、自分自身よりはだいぶ人間くさい神であるため、、この自分の様子についても指針をくれるかもしれないと考えたからであった。
案の定、状況を説明しただけでモイラは回答を示した。
この想いは恋だという。その言葉にクロノスはすこし眉をしかめた。
「恋、恋か…。そうではないかと、自分でも想定していなかったわけではないんだが…」
「なにか、不安でも?それとも、その感情の名前がしっくりこない?」
「両方だな。まず、心配なんだ。我々神は人間に近づきすぎると、人間になってしまう。まだ自分ではよく解らないが、恋と言うのは人間がするものだろう?ある日突然、人間になってしまわないだろうか」
モイラはその言葉に笑いそうになったようだったが、クロノスの真剣な表情を見て、その感情を押しとどめた。そして、諭すように言う。
「大丈夫だ。私もそんなに数を見てきたわけではないので絶対ではないが、神が人間になるときは大体自分の意思で『なりたい』と願うものだから。安心するといい」
クロノスはその言葉に伏せていた目を上げ、頷いた。
「では、2点目。恋というものがどうもピンと来ない。そうだね?」
その言葉にもクロノスは首を縦に振る。
「まぁ無理もない。今まで、感情をも知らぬ人形や機械のような奴だったからな、君は」
「悪かったな」
モイラのからかうような言葉にも、クロノスは特に感情を現すことは無い。その様子にモイラは両手をひらひらと振って笑う。
「いや、私が意地悪だった。私たちは元来そういう風に作られている。君はその「基本」に忠実なだけだ。だからきっと、しっくり来ていないのも『恋』がどういうものか知らないからじゃないか?」
クロノスは三度頷いた。『恋』という言葉を聞いたことはあったが、それがどういう現象を刺す感情なのか、彼にはピンとこなかったのだ。
モイラはいつの間にかその手に大ぶりの本を携えており、それをぺらぺらとめくっていた。
「感情は人間の専売特許だ。だから、感情の意味を知るには、人間に問うのが一番早い。君も知っていると思うが、これは人間が言葉の意味を知るときに用いる『辞書』というものだ」
「なるほど」
「君の想い人は日本人だったね。これは日本の辞書だ。日本人の感情を知るには、これが一番よい」
そういってモイラは手にもつ辞書を興味深そうに読み進めていく。彼らは神だ。人間の言語の違いなど、問題にはならなかった。
「あった。これだ。なになに…『人を好きになって、会いたい、そばにいたいと願うこと。それが満たされない気持ち。』ちなみに好き、というのは、『心がひきつけられること』だそうだよ」
「心が…?」
「心は『知識・感情・意思などの精神的な働きのもとになると見られているもの、また、その働き…』いや、これは君にはすこしややこしいかもしれないが、とにもかくにも、君は自分の中の何かが、彼女に強く引き付けられていると感じている。具体的に言えば、視線が。」
クロノスは同意を示した。
「視線が彼女に引き付けられ、それにより、君のはたらき、機能に一部エラーが生じている。今まで起こりえなかったもの。異物」
クロノスはそうだ、と相槌を打つ。
「彼女に害をなしたい?傷つけたりとか、殺したりとか…」
「それは絶対にない」
きっぱりと、クロノスは否定した。モイラはそれを見てにやりと笑った。
「では、慈しみたい?彼女を幸せにしたい?彼女の願うことを、出来るならばかなえてあげたい?」
クロノスは今までで一番勢いよく頷き、そうだ、と、熱の感じられる声で応えた。
「うんうん。でもここまでだとそれは神の愛の域なんだよなぁ。だから、これが恋であるかどうかに関しては、『君がどうしたいか』が、重要となってくる」
「僕が…」
思いをめぐらすように、クロノスは視線を宙に舞わせる。その視線を捕まえるように、というより、直接クロノスの頬を両手でがしっと掴み、視線を真芯から捕らえて、モイラは言った。
「君は、彼女に触れたい?」
クロノスはその言葉に目を丸くし、思案するように視線をさまよわせたあと、モイラの目を見つめ、
「触れたい」
と、言った。
その瞬間、モイラはクロノスの頬を離し、今日一番の笑顔で笑った。
「おめでとう、それは恋だ」