部屋を出たなら
建物に横付けされた、剥き出しのコンクリートの階段を下っていく。恐ろしく静かな世界だった。人が一人もいないのだろうか、階段は一人がやっと通れる幅しかなく、やはり途中で穴が開いていた。
何もない。
手を伸ばせば届きそうなすぐそこに海があり、小さい、色とりどりの魚がのびのびと泳いでいた。
「やっぱり不思議なの?」
前を歩く彼女が振り返らずに尋ねてきた。目の前の崩れた階段ひょいと飛び越える。
「どうだろう。少し、変わってる………くらいかな」
僕も彼女と同じ要領で飛び越えた。
「そっか」彼女はそこで寂しげに笑ったように僕には見えた。慌てて、僕は遮るように言った。
「別に『変』って意味じゃないんだ。僕の住んでいた世界とは少し違う。でも、ちょっとどこか懐かしい」
「懐かしい?」彼女は訝しげに言った。
「うん、懐かしい。少し古い感じとか………僕の世界には欠けてしまった感じのがここにはあるかな」
「ふうん」彼女は抑揚のない声で言った。
階段はどこまでも続いていた。飽きた時が終わり、そんな階段のようにも思えた。
「そういえば、海の中ってことでいいのかな?」
夕食を聞くような調子で僕は尋ねた。彼女の足が止まる。
「あなたがそう思うのなら」
「そう思うって……」
僕は要領を得ない返事に軽い苛立ちを覚えた。ここは不思議だ。強いて結論づけるのなら、海の中なのだろう。けれども、空気はあり息もできる。ただ不思議なのは誰もいないということだ。
みたところ、建物はかなり大きい。さっきまでいた部屋以外にも横からさらに大きな建物がそびえ立っていた。いったい、どこまで続いているのだろうか。僕ははるか最上階を見上げようと思ったが、太陽の光で霞んでしまっていた。
「魚がたくさんいるね」
「ここにはたくさん来るの。年中、いっぱい魚が来るの」
「そうなんだ」無邪気な彼女に思わず、顔が綻んだ。
「ここはどこまで続いているんだい?」
「あるところまで。私も行ったことはないの」




