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イチカ  作者: 燈真
7/8

番外編1

本編のその後。

りつとイチカの純粋な関係を期待している場合には読まないことを推奨しておきます。

 病院を退院し、数日遅れで大学に登校した日――。

 俺はサキさんを呼び出して飲みに出かけた。

 店を指定したのはサキさんで、そこは普段の俺なら足を踏み入れないようなクラシカルな雰囲気のバーだった。


「すみません。突然呼び出して。今日は何も予定はなかったんですか?」

「ええ、あいにくと今日は独り身なの。丁度恋人の切れ目だったのよ」

 ぴしっとした制服を着た白髪のバーテンダーがグラスを差し出す。静かにジャズが流れるカウンターで、俺の隣に座るサキさんは綺麗に整えた爪でそれを受け取った。

「乾杯」

 一口飲んでグラスを置き、面白そうに笑いかけてくる。そこに甘やかな雰囲気は感じられなかった。

「それで、久しぶりに実家に顔を出して原因不明の入退院を果たしてきた感想は?」

 サキさんの言葉に苦笑する。ねぎらいの言葉をかけるわけでなく、愉快な話を聞くように感想を尋ねてくるのが彼女らしいと感じた。

「俺の初恋は相当に重症だったようです」

「あら、やっと自覚したのね」

 再びグラスを付き合わせてきてサキさんが「おめでとう」と口に乗せる。俺はそれに「どうも」と返してグラスをあおった。

 それから先日帰省の折に実家で起こった出来事をサキさんに報告した。


「――そう。光の向こう側で待ってる、か。なかなかに熱烈な愛の言葉ね」

 私もそんな台詞を言われてみたいわ、とサキさんが空いたグラスのお替りをバーテンダーに要求する。

「サキさんなら引く手数多でしょう」

「それがなかなかいないものなのよ。命までかけてくれる相手っていうのは」

 ため息を吐く向こうで客の男性がこちらをちらちらと伺っているのが見えた。それに気づいたサキさんが手をひらひらと振ると、男性は顔を赤くして目線を避けた。

 自分は根っからの遊び人なのだとサキさんは言う。そんな彼女だから命をかけてと言っても本気にはとってもらえないのだろうと俺は思った。

「サキさんに惚れる男は悲しい存在ですよね」

 小さく漏らすと「なによ、失礼な子」と軽く睨まれてしまった。


 俺は話題をそらすように「はい、これ」と小さな紙袋に入ったものを彼女に差し出した。

「愛を求めるサキさんに必要なものです」

 サキさんが紙袋の中から取り出したものを見て唖然とした顔をする。

「恋愛成就って……」

 それは光沢のあるピンク色の布に金の刺繍で恋愛成就と縫われたお守りだった。

「俺が知っている中で一番霊験あらたかな神社で購入したものです」

 両手を合わせて厳かに言う。

「律くん……」

「はい」

「私、今とてもやさぐれたい気分だわ」

 そう言ってから、サキさんは声をあげて笑った。それは艶やかに笑うよりもサキさんらしい笑い方だった。




「サキさん。最後にこれ、付き合ってください」

 ポケットから出したタバコにライターで火をつける。サキさんは俺が出した一本を咥えて、先に火の点いた俺のタバコに先端を付けた。

 深く吸ってふうと吐き出す。

「タバコはこれで最後です。不摂生に暮らして早く向こうに行っても怒られるだけですから、これからは至って健康に過ごそうかと思って」

「そう。いい心がけだと思うわ」

 サキさんが口から離したタバコの煙が、くねるように空中を昇っていく。それを見ながら、酒も量を減らさないといけないなと俺は思った。


 タバコが中間くらいまでの長さになったところで、サキさんが灰皿にそれを押し付ける。

「最後の一服の相手に選んでもらえて光栄だわ。でも本当の最後まで付き合っていたら名残惜しくなっちゃうから、私はこれで帰るわね」

 壁にかけていたコートを腕にサキさんが近づいてくる。

「私を選んでくれたお礼にここの奢りは律くんに任せてあげる」

 耳元に寄せた唇でそう言って俺の頬に口付けを落とし、サキさんは扉の外へと歩いていった。

 その後ろ姿は颯爽としていて、恰好いいものだった。


 最後の灰となるまでタバコを吸い終わり席を立つ。

 会計に示された金額は結構なもので、俺の財布にはかなり痛い出費となった。


 ※ ※ ※


 大学を卒業後、就職して俺は会社員として生きるようになった。

 サキさんとは時々飲みに出かけては財布を痛めている。

 年々開いていくイチカとの年齢の差。それに絶望を覚えることはなくなったが、それでも時折胸に吹く風を感じるときがある。


 会社員二年目、大学時代の先輩の結婚式の帰り――、

「いい結婚式だったわね」

 二次会が終了して、まだ飲み足りないというサキさんに引き連れられて横を歩く。曇天の空から酒にほてった頬に白い雪が降り落ちては消えていくのを気持ちいいと感じる。

「そうですね」

 バーへと向かう道すがらサキさんが漏らす声に、俺は気のない返事で応えた。


 ああいったきらびやかな世界を見たあとは、いつも考えてしまう。

 もしイチカが生きていたら――、と。

 俺たちにも普通に恋をして、結婚をして、子供を作る、そんな未来が待っていたのだろうかと。

 考えても詮無いことだ。

 脳裏に浮かぶ幸せの光景を首を振って追い払う。

 考えていることはお見通しとばかりにサキさんが俺の肩を叩いてきた。

「お互い還暦になってもまだ結婚していなかったら、結婚しましょ」

 そう言うサキさんは今は貿易会社の営業でバリバリ独走中だ。婚期はとっくに諦めている。というか放り出している。

「それもいいかもしれませんね」

 またもや気のない返事をした俺に、サキさんは「言質は取ったからね」とボイスレコーダーを取り出してきた。

「うわぁ、サキさん恐い」

「ふっふっふ。今更理解したの、律くん」

 楽しそうにボイスレコーダーを振り回すサキさんを追って歩く。


 降る雪が次第に量を増していく。

 もしかしたら明日には積もっているかもしれない。

 都会の電車は簡単に止まってしまう。そうなると会社に遅刻することになるので、運行の確認のためにも朝は早く起きなければならなくなる。

 だがそんなことよりも、還暦まではまだまだ遠いが、俺はそのときになってイチカが怒らないか、今はそれだけを心配していた。





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