第六章
一
雒陽の手前三十里にある尸郷にある駅馬車の休憩所で、田横は王鄭に告げた。
「いよいよ、雒陽に到着だな」
「ええ」
「雒陽で皇帝に会えば、わしの運命も決まる。人臣たる者が天子にお目どおりするには、禊を済ませ、髪も洗わなくてはならない。そうだな?」
「そう言われれば、そうでしょうね」
「少し、休憩させてくれ。我々だけにしてもらいたいのだ」
「承知いたしました」
かくて田横は随員の食客二人を連れ、使者王鄭の前を立ち去った。
食客たちを引き連れて建物の裏へ回り、どこへ行くというあてもなく田横はうろつき回った。同じ場所を行ったり来たりするので、食客の二人はそれにいちいち付き合わねばならない。
「禊を済ませるのではないのですか?」
彼らは語りかけたが、田横は答えない。あるいは「禊」には特別な場所が必要なのだろうか、と彼らがいぶかっていると、やがて唐突に田横は叫んだ。
「決めた」
「なにを、でございます?」
「死ぬ」
「は?」
「死ぬのだ」
「……なにがどうしたのか知りませんが、お考え直しください。ここで死なれては、島に残してきた者たちはどうなるというのです。彼らはあなた様のお帰りを心待ちにしているのですぞ」
「皇帝が問題にしているのは、わしだけだ。島にわしが誰を残し、その者たちがどういう素性の者かなど、興味はないさ。……聞け、皇帝はかつて漢王であり、わしはほんの少しの間であったが、斉王であった。ともに臣下を前に南面して座り、余と自称する身分であったのだ」
田横は聞け、と言う割には二人に背を向けて話している。討論はしない、説得には応じない、という意識のあらわれのようであった。
「それが今に至り漢王は皇帝となり、わしは……何者でもない。わしは皇帝を前に北面して座らねばならぬ。耐えられることではない」
――本当だろうか。
二人の食客たちは、田横の発言を疑う表情をした。ついこの間まで島で平民として暮らしたい、と言っていたはずなのに。
しかし、田横の独り言は続く。
「我々はとらわれの亡命者として、彼に仕える……その恥辱は実際ひどいものだ。また、わしは人の兄を殺しておきながら、その弟と肩を並べて主君の前に跪くことになる」
――まだ、そのことを……。
「皇帝は酈商にわしのことを理由に騒乱をおこすな、と命令したらしいが、そんなことは問題ではない。酈商がわしを許すか、許さぬかは問題ではないのだ。問題なのはわしの心なのだ」
田横はここで食客たちに向き直り、言い諭すように言葉を継いだ。
「酈商が天子の勅命を憚って何ごとも起こさないとしても、わしはそのことを自らの心に恥じる。それに皇帝がわしに一目会いたいというのは決してわしと話がしたいというわけではなく、単にわしの顔つきがどんなものか見たいだけだ。ここから雒陽まで三十里、早駆けの馬で走れば、わしの首も腐乱すまい。容貌もまだ崩れず、よく観察していただけるだろう」
「しかし……」
「使者の王鄭にもよく観察させてくれ。きっと彼は、思うところがあるだろう」
そう言った後、田横はひと思いに自らの首をかき切った。
討論はしない、説得には応じないという意識を形にしたのだった。
二
使者の王鄭は絶句した。あろうことか、ほんのわずかな休憩時間のうちに田横は命を絶ち、首だけの存在になってしまっていたのである。食客の二人が抱えた田横の首は目が見開かれたままで、それが自分を睨んでいるかのように感じられた。
「なぜ……こんなことになったのか。君たちはとめなかったのか。せめて目を閉ざしてやれ」
そう言いながら彼は田横の目に手を伸ばした。しかし、食客たちはそれを拒否する。
「目が閉じられていては、田横様本来の姿を皇帝にお見せすることは出来ません」
彼らの主張に王鄭は手を引っ込めた。しかと見開かれた目は、田氏三兄弟の最後の気骨ある姿なのか、と自問しながら。
王鄭は仕方なく、道を急いだ。
自分が使者としての使命を完全な形で果たせなかったことを悔やんだのは確かであったが、心の内に他の感情が芽生えたことも否定できなかった。しかし、それが何なのかは自分でも説明できない。
「由緒ある田姓に生まれながら、かの三兄弟は秦末の動乱時には平民であった。それが三人とも相次いで王となったのは偶然ではない。彼らが他ならぬ彼らであったからこそできた芸当だ。やはり立派な男たち、と言うべきではないか……」
雒陽で劉邦が田横の首級と対面したときの感想がこれである。劉邦は乱世で王を称する苦労がよくわかるのであろう。首だけになった田横に同情し、涙さえ流した。
劉邦はさらに、田横に随行した食客の二人に都尉の名誉を与え、自らの兵卒二千人を動員して田横の葬儀を行なった。これは、王者を葬る儀礼であったとされる。
しかし、儀礼は丁重を尽くしたにもかかわらず、二人の食客はその後、田横の墳墓の脇に穴を掘って自分たちを埋めた。田横と同じように、自分たちの首をかき切り、穴に飛び込んだのだ。
これに驚いた劉邦は、未だ海中の島に残る田横の配下の者たちに呼びかけ、主君の供養をさせようとした。
これが過ちだったのだろう。劉邦は彼らを放っておくべきだった。
呼びかけに応じて雒陽にたどり着いた田横配下の五百名は、主君の死を確認すると次々に自らの首を切り、ついにはひとり残らず死に尽くした。史上稀に見る集団自決事件の発生の瞬間であった。
結果的に彼らの死が、乱世の梟勇であった田横という男を高貴な存在にしたのである。
*
使者として田横の死を目の当たりにした王鄭は、復命して蕭何に事情を述べている。
「田横は死して善男となりました。しかし私の感じる限り、すでに田横は死ぬ前から善でありました。過去の自らの行為を恥じ、それでいながら島に残した部下のために命を張ろうとする……王者としての節義を持った人物でありました」
蕭何はそれに答えて言う。
「乱世というものは、概して人を酔わせる。悪酒のようなものだ。田儋や田栄は酔ったまま死んだが、乱世の時代もほぼ終わった。田横は酔いが醒めたのだ。おそらく君の言う生前の彼の姿は、本来の彼の姿なのだろう」
王鄭はその後、寄という名の息子にその心情を吐露している。
「私は、今さらながら善悪の峻別という言葉の意味を知った。兄上は……自らの死でもって、一人の男を本来あるべき善の姿へ引き戻した。いやはや、兄上の学問の凄まじさを思い知らされた事件だった」
王鄭という名は偽名であり、彼はまさしく酈食其の弟、酈商であった。
*
田横が彭越のもとを去った後にたどり着いた島が当時どのように呼ばれていたかは不明であるが、その島は現存している。山東半島の南、青島市即墨に属し、現在でもその名は「田横島」と呼ばれている。
死して二千年以上の年月を費やしながら地名にまでその名を残すとは、酈生の命を賭けた行為はまさに偉業であった、と言うしかない。
(完)
この物語は史実をもとに構成されていますが、随所に独創の部分を取り入れたフィクションです。