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 稲の収穫を待ってか、山向こうで戦が始まっていた。冬を呼ぶかのように、風が哀しげに声をあげながら、山間にある農村に吹き巻いている。

 風は強く、冬になっても雪深くなる事はないが、年貢や相次ぐ戦による徴収の厳しさに人々の顔は暗くなる一方だった。

 しかし苦しい境遇にもかかわらず、子供たちは声を上げて戦の真似事をし、駆け回っている。

 時折上がる甲高い笑い声に、戦禍を被らないかと心配しながらも、大人たちは少しばかり表情を和らげた。

 村はずれにある、朽ちかけ傾いている小さな木造家屋に、五郎が勢い良く引き戸を開け、駆け込んだ。

「母ちゃん!」

 土間から居間に繋がる障子を、開け放つ。

 顔を寄せ合い、話をしていた両親は、はっとして五郎を見た。

「どうしたの? 母ちゃん、顔色悪いけど」

「なんでもないのよ。それより、なにか用事があったんじゃないの?」

 二人が無理に笑顔を作るのを、五郎は見逃さなかった。

 前にも、似たような事があった気がする。二つ上のさち姉が、質の良い着物を身につけた男に、連れて行かれる前に似ている。さち姉は、気丈に振る舞い笑って出て行き、今では便りも途絶えてしまっていた。

 ひょっとして、一つ上のゆき姉も? それとも、行商に行った一郎兄と三郎兄の身になにか――しかし、そんな事を聞ける雰囲気でもない。二人とも、聞く事を許さない空気をまとっていた。

「あのさ、山でどんぐり拾ってきたんだ」

 気付かないふりをして、当初の用事を言うにとどまった。

 あきらかに安堵した母親は、風呂敷一杯のどんぐりを見て、喜んだ。

「助かるわ。カゴに入れて、水にさらしてきて?」

「うん、わかった」

 土間の隅に置かれている、竹で編まれた小さなカゴに移す。

 飲み水に使っている大きなかめには目もくれず、カゴを抱えて外に飛び出した。

「五郎、どこに行くんだ」

 兄の二郎が、彼の背丈ほどもあるわらの束を背に担ぎ、前から駆けて来る五郎に声をかけてくる。

「二郎兄ちゃん! どんぐり拾ってきたんだ。川にさらしてこようと思って」

「そんなもん、村の井戸で……ああ、そうか。まあいいや、こいつ家に置いてくるから、一緒に行こうか?」

「ううん、大丈夫」

「だけど、村の奴らがまだ外にいるぜ?」

「平気。ついでに先生の所にも寄ってこようかと思ってるし」

「まあ、気をつけろよ」

 難しい顔をして、しかしうなずいて見せる二郎に、五郎は笑顔で返した。

 兄と別れ少し行けば、川に出る。山に近いため急流ではあるが、場所によっては流れがゆるく溜まっているように見える場所もある。

 川辺に続く獣道をくだり、目星をつけていた場所に、大きめの石でカゴを囲み、万が一流れていくのを防いでおく。

「よし!」

 秋口だが凍てつくような水から手を上げ、枯れ草で手を拭くと、指先に息を吹きかけた。

 その時、枯れ草が風で吹かれたものとは違う動きをした。

 五郎は、全身鳥肌で覆われるのを感じたが、おかしな動きを繰り返しながら近づいてくるモノから、目を離せずにいた。頭の中では逃げなくてはと思うのに、身体がいう事をきかない。

 ほとんど手を伸ばせば届く位置まで、薄茶色の枯れ草が揺れる。

「……誰?」

 やっとのことで、それだけ声を発する事に成功した。

「これ! 少しは言う事を聞いたらどうじゃ」

 小さくとも、はっきりと聞こえる老人の声に、五郎はしまったと顔をしかめた。

 草をかき分けて出てきたのは、藁をねじり合わせた細い縄を、黒く短い口でくわえ、頭を振っている茶色の子犬だった。

「……犬?」

 だが、よく見れば不自然に縄の端が引っ張られている。首元に、辛子色の衣をまとい、烏帽子をかぶった小さな翁が、手綱よろしく縄を握っていた。

 嫌な予感しか、しなかった。見なかったふりをしようとも思ったが、子犬は縄をくわえたまま、温かな頭を五郎のすねに押し当ててくる。

 秋とはいえ、空気は冷たさを増しており、今来ている膝丈の薄い着物では肌寒くなってきていた。

 じんわりと移ってくる体温に、五郎は思わず笑顔になった。

「縄を、はずしてやろうか」

 そう声をかけ、頭をなでてやろうとすると、厳しい声が犬の背から飛んできた。

わしの馬に、触るでない!」

「……口、痛いだろう。今、はずしてやるからな」

「ええい、触るなと言うのに! 災厄をもたらされたいか、小僧」

 さすがに五郎が顔を上げて、小さな馬にされている子犬の背中に目をやった。

「こんなにも嫌がってるのに。悪さをする奴が一番災厄を受けるべきだ」

「……うん? なんじゃ、おまえ。儂が見えるのか」

「あ、今のなし! 大変だ。今はずしてやるからな」

 口に引っかかっている縄をはずしてやると、子犬は五郎の赤くなった小さな手に咬みついてきた。

 痛みとともに感じた、子犬の口の温かさに複雑な気持ちになった。

「おまえ! 助けてやったのに……でも、あったかい。けど、痛い」

 子犬の口から手を避難させると、目の前に落ちてきた縄に、子犬はまた咬みついた。

 そして、見計らったように縄が引かれる。

「そうか。おまえが五郎か、やせっぽちじゃの」

 楽しげな声がしたが、五郎は聞こえないふりをして立ち上がった。

 横目でカゴの状態を見てから、獣道を駆けあがる。

 振り返らないように気をつけて、五郎は家とは反対の方向に足を向けた。

 地面の土を見るように視線を落としながら、五郎は口を固く結んだ。


 他の人間には見えないようなモノが、見える。


 親が言うには、それこそ赤ん坊の頃からなにかを見ていたようだった。

 突然笑い、なにかに手を伸ばしたり。一才にもなれば、身体を震わせて怯え、火がついたように泣き叫ぶ事もあったようだ。

 年齢を重ねるにつれ、泣く事は少なくなったが、今でもおかしなモノが見えるというのは変わらない。家族は、最初はとまどったようだったが、今では気遣ってくれている。

 大事にしてくれている家族を、気味悪がらせたくなくて。五郎は物心ついた頃から、見た時には黙っている事が多くなっていた。

 そうすれば、向こうも気づかない事もある。という事が分かってきてもいた。

 見えない、聞こえない、分からない。そう呪文のように心の中で繰り返す。

「五郎。五郎や、ちょいとで良いのじゃ。聞いてはもらえんか」

 その呪文を打ち消すのん気な声が真後ろでして、あまりの近さに五郎は飛び上がって驚いた。

 周りを見たが、収穫の終わった田んぼが続く道から、民家は遠く、五郎の不自然な動きに気がついた者はいない。

 ひとつため息を吐き、背後の足元に目をやった。

 茶色の子犬が、縄とともに五郎のふくらはぎを咬みつくのと同時であった。

 悲鳴をあげて足を持ち上げると、子犬は両前足を上げ、一丁前に飛びかかる仕草をする。

「どうどう! なかなかの暴れ馬じゃ。調教のしがいがあるわい」

「なんの用だよ。ついてくるな」

「儂が追いかけさせたわけではないわ。馬がおまえを追いたがったまでじゃ」

「……どうせ家じゃ飼えないんだ」

「ではその代わりに、儂の頼みを聞いてくれんか」

「いやだよ。関係ないじゃないか」

 子犬に気をつけて、歩きだす。

 楽しそうに飛び跳ねて追いかけてくる子犬に、子分が出来た気持ちで胸が軽くなった。

 ゆるやかに曲がる道を進めば、民家が近づき、子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 途端に五郎の足取りは重くなったが、歩みを止めれば、足元にまとわりついてくる子犬に、足首を咬まれかねない。

 前方に、十にも満たない少年たちが、細い棒きれを刀の代わりに振り回し、また笑いあっていた。

「あ、五郎だ! 化け物五郎だ、みんな逃げろ!」

 少年たちの一人が五郎に気付き、そう言えば、わあっと声を上げ楽しそうに駆け去っていく。

 五郎は、唇を噛み、膝丈ほどの薄汚れた鶯色の着物を握りしめた。

「気にするな。短い道しか歩めん奴らじゃ」

 しゃがれた声が、足元から聞こえた。

 おまえたちからしたら、誰もが短いだろう。と言いかけて、やめる。

「おまえがいるからだ。どっか、行けよ」

「なんじゃ、あんなガキどもの言う事なんぞ気にするのか? 仕方ないのう、少し離れてやろうか。ほれ、走らんか」

 犬の首元がさわりと動いた。小さな翁が、細縄を手綱の如く扱う。

 首を縄で叩かれ、遊ぶのだと勘違いした子犬は、その縄を噛もうと身をよじった。

「これ! 馬よ、神妙にせぬか!」

「こいつを馬にするなよ。おまえだけ、どっか行け」

「年寄りを、そう邪険にするもんじゃないぞ」

「いつからの年寄りなんだよ!」

 思わず声を荒げれば、民家の軒先で柿を吊るしていた近所の女性が、驚いて目を丸くした。

「あ、なんでもないです」

 顔を真っ赤にして、五郎はその場を走り去る。

 子犬も獲物を追うように、彼を追いかけ、息を切らして立ち止まった五郎の太ももに、そのままの勢いで頭からぶつかり、ころがった。

「やれやれ。暴れ馬にもほどがあるわい」

「……おまえみたいのが来るから、おれは化け物って言われるんだ」

「だれにも言わなければよかろう? 五郎は気にしすぎるだけじゃ」

 起き上がった子犬の身体に跳び乗り、小さな翁は肩をすくめて見せた。話に興味がないとばかりに、細いスネにじゃれつき、細く鋭い歯で攻撃をしかけてくる子犬の顔をつかみ、五郎は、痛い。と注意を与える。

 顔が近づいたのが嬉しかったのか、子犬は五郎の鼻をひと舐めし、また咬みつこうと口を開けた。

 やめろ、と声をかけてから手を離して避ける。

 民家の通りを出来る限り避け、川沿いの土手を、寄り道でもするかのように草むらに足を踏み入れた。枯れ草が足を包み込み、寒さが少しだけ和らいだ気がした。

「最近の奴らは、自らの貧しさにかまけて、供えることも忘れておる。嘆かわしいことじゃ」

 大げさに声を上げる翁に答えず、五郎は枯れ草を蹴り散らす。

「人間にしたら、ひと舐めもせんくらいの酒で構わぬというのに。しみったれとる」

「役人に頼めばいいじゃないか。根こそぎ奪ってるのは、あいつらだ」

「儂らが見える奴がいると思って声をかけても、なんもせん。祠だけ建てて、祈りだけ捧げれば良いとでも思っておるのか。時が過ぎれば、こんなものかのう」

「なにが言いたいんだ」

「やっと聞く気になったか。お供えじゃ。山の中腹辺りに祠があるじゃろう?」

「……どんぐりくらいだったら、拾っておいてやってもいいけど」

「しみったれとるが、仕方のない事かのう」

 小さな翁が、大きく頭を振った。

 話の内容から、酒が欲しいのだろう。とは、簡単に予測がついたが、家には物が余っているわけではない。

 どちらかといえば、今日明日食べる物にも困っているくらいなのだ。

 疲れたのか、子犬が唐突に倒れこみ、翁はひらりと跳んで避ける。仕方なく抱き上げれば、小さな翁は五郎の細い肩に跳び移った。

「のう、五郎や。おまえの先生に頼んでくれてもいいんじゃがのう」

「先生まで巻き込むなんて、出来るもんか! やれる物なんて、なにもないよ。それに、静かにしてれば、いつか化け物なんて言われなくなる。いつか、おまえたちだって、見えなくなる」

 うつむいて、八つ当たりをするように、枯れ草をまた蹴り散らした。

「ああ、つまらぬ。つまらぬのう」

 翁は白いあごひげをなで、五郎の腕に抱かれ、上下する柔らかい背中に跳び移った。



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