おかえり、お兄ちゃん。
「……戻ってきた!」
誰かが泣き叫ぶ声で、俺は目を覚ました。
霞んだ視界の向こうで、母が俺の手を握っていた。
「よかった……本当に……」
父は肩を震わせながら天井を見上げ、恋人のリリアは俺の胸に顔を埋めて泣いている。
どれほど時間が経ったのか分からない。
最後の記憶は、戦場だった。
魔族との激戦。
腹を槍で貫かれ、仲間の叫びを聞きながら意識が遠のいて――。
「ここは……」
「家よ。」
母は微笑んだ。
「あなたは帰ってきたの。」
その言葉に、家族全員が涙を流した。
俺も泣いた。
生きている。
それだけで十分だと思った。
⸻
この国には蘇生魔法が存在する。
ただし、王族か英雄だけに許された奇跡だ。
戦死した俺は英雄として認められ、その恩恵を受けたらしい。
村中が祝いに来た。
酒が振る舞われ、子どもたちは花を投げ、老人たちは何度も「よく帰ってきた」と俺の肩を叩いた。
けれど。
宴が終わる頃には、誰も俺の目を見なくなっていた。
笑顔なのに、どこか怯えている。
俺が話しかけると、一瞬だけ空気が止まる。
「……どうした?」
「いや、なんでもない。」
皆、そう言って笑う。
⸻
家に戻って数日。
妙なことに気付いた。
弟のアルトを見ていない。
「そういえば、アルトは?」
母の手が止まった。
父は水を飲み、恋人は窓の外を見た。
沈黙は数秒だったはずなのに、やけに長く感じた。
「仕事よ。」
母は笑った。
「王都に呼ばれているの。」
「そうか。」
あいつならあり得る。
昔から優秀だった。
俺は納得した。
⸻
その夜。
眠れずに廊下を歩いていると、両親の話し声が聞こえた。
「まだ聞いてないのか。」
父の低い声。
「ええ。」
母は答えた。
「知らない方が幸せよ。」
「でも、いつかは……」
「その時が来たら話すわ。」
俺はノックをしようとして、やめた。
蘇生には何か副作用でもあるのだろう。
俺に隠しているのは、そのことかもしれない。
⸻
村へ出る。
子どもが俺を見るなり母親の後ろへ隠れた。
老婆は胸元で祈りを捧げる。
市場の男は、俺と目が合うと俯いた。
「英雄様。」
そう呼ぶ声は、どこか引きつっている。
蘇生された人間は気味が悪い。
きっと、それだけだ。
俺はそう思うことにした。
⸻
数日後。
家の倉庫を整理していると、小さな木剣を見つけた。
弟と遊んだものだ。
懐かしくなり、母へ聞く。
「アルトの荷物、減った?」
「片付けたから。」
「ずいぶん早いな。」
「王都へ行く準備をね。」
そう言って、母は微笑んだ。
その笑顔は少しだけ硬かった。
⸻
夜更け。
俺は庭で、近所の老人が父へ話しかけるのを聞いてしまう。
「本当に……これで良かったのか。」
父は長く黙り込んだあと、静かに答えた。
「家族で決めた。」
老人は何も言わなかった。
⸻
違和感が積もる。
誰も弟の話をしない。
手紙も届かない。
荷物も増えない。
帰る予定も聞かない。
まるで最初から、この家に弟などいなかったように。
俺は村の共同墓地へ向かった。
アルトの名前があるはずがない。
そう思っていた。
墓標の列を歩く。
雨に濡れた石碑を拭う。
そこに刻まれていた。
アルト・フェルン。
没年――俺が死んだ日。
俺は笑った。
何かの間違いだ。
そんなはずがない。
震える手で土を掘る。
棺を開ける。
中は、空だった。
「やめなさい。」
振り返ると、母が立っていた。
泣いている。
「……どういうことだ。」
母は首を横に振った。
「あなたが思っているような間違いじゃない。」
「じゃあ、アルトはどこだ。」
長い沈黙のあと、母は言った。
「ちゃんと、死んだわ。」
世界が止まる。
「蘇生にはね。」
母は震える声で続けた。
「適合する身体が必要なの。」
俺は理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「血のつながった者が、一番成功率が高い。」
「……やめろ。」
「王都の魔導師は『他人では成功しない』と言った。」
「やめてくれ。」
「だから私が頼んだの。」
母は俺を見つめた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも微笑んでいた。
「この子を、生き返らせてくださいって。」
俺の膝から力が抜けた。
父も、恋人も、いつの間にか母の後ろに立っていた。
誰も否定しない。
誰も泣き叫ばない。
恋人は震えながら言った。
「あなたに、生きていてほしかった。」
父は目を閉じた。
「家族で決めた。」
あの夜、聞いた言葉。
あれは俺の蘇生方法のことだった。
母が一歩近づく。
昔と同じように、俺の頭を優しく撫でる。
「お腹、空いたでしょう。」
「今日はあなたの好きなシチューよ。」
俺はその手を振り払えなかった。
母は、何も変わらない笑顔で言った。
「おかえり、お兄ちゃん。」
母は俺の肩についた土を払った。
「そんなに掘ったら風邪をひくわ。」
まるで子どもの頃のように優しい手つきだった。
父も静かに言う。
「帰ろう。」
恋人は泣きながら俺の手を握る。
「お願い……帰ってきて。」
俺は三人を見た。
「……アルトを殺したんだぞ。」
母はきょとんとした顔をした。
「ええ。」
「お前たちが。」
「ええ。」
「どうしてそんな顔ができる!」
母は少し困ったように笑った。
「だって。」
「兄弟なら、お兄ちゃんを助けるのは当たり前でしょう?」
俺は言葉を失った。
母は続ける。
「アルトも最後は頷いてくれたもの。」
「『兄さんが帰ってくるならいいよ』って。」
その瞬間、俺の中で何かが壊れた。
恋人が涙を流しながら微笑む。
「だから誰も後悔してないの。」
父も頷く。
「お前が生きている。それが答えだ。」
三人とも、心から幸せそうに笑っていた。
その笑顔が、魔王よりも恐ろしかった。
⸻
すると背後から、小さな声が聞こえた。
「兄さん。」
振り返る。
誰もいない。
風が吹く。
墓標が軋む。
もう一度。
「兄さん。」
母が不思議そうに首をかしげた。
「どうしたの?」
「……今、聞こえなかったか。」
「何が?」
「アルトの声が……」
三人は顔を見合わせ、
くすりと笑った。
「そんなわけないでしょう。」
「アルトは、あなたになったんだから。」
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