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その飲みかけ、致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果――  作者: やっくん


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35話 この女、早口につき

――阿久津(あくつ) 魅夜(みや)視点――


 スマホの画面をなぞる指が、さっきから同じ場所を往復している。


 悠の部屋の明かりが点いた。


 ベランダ越しに漏れるオレンジ色の光。


 ……いるなァ。


 あの鳳とかいう金持ちの女に攫われて、アタシらが乗り込んで、取り返して。


 あのオットセイ野郎からDMをもらうまで、アタシは悠が大変な目にあっていたことを全く知らなかった。


 ったく悠のやつよォ、まずはアタシに言えってんだよォ。


 スマホをなぞる指に力がこもっていた。


「こりゃしつけが必要だな……」


 そうと決まれば、さっそくベランダからお邪魔するか。


 鏡の前で前髪だけ軽く整える。


「んしょっと」


 ベランダの壁からよじ登り隣のベランダへ移動する。


 ガッ――


 引き戸にカギがかかっている。 


 は? カギ、だと?


 この部屋にカギがかかっていたことなんて、今まで一度もなかった。


 アタシがいつでも入れるように――なんて、そんな殊勝なこと考えてたわけじゃねぇだろうが、それでも今日まで開けっ放しだったのは事実だ。


「……」


 ガタガタガタッ! ガンガンガンッ!


「悠ォ!開けろやァ!いるのは分かってんだよォ!」


 引き戸を力任せに叩く。


 しばらくすると、慌てた足音が近づいてきて――


 ガラッ。


 引き戸が開いた。


「ゴラァ、悠! ベランダ閉めてんじゃねぇよォ!せっかく飼い主が来てやった――」


「あ、魅夜さん、改めてありがとうございます。鳳から助けてくれて」


「……」


 まっすぐな目だった。


 感謝なんて口にする男はまずいない。


 でも、コイツの口からはいつも感謝と気遣いばかり。


「きちんとお礼、言ってなかったので」


「……フンッ」


 温かいなにかが、腹の奥でぐるぐる回っている。


「ほんとに助かりました。皆が来てくれなかったらどうなってたか……」


「まぁ〜飼い主なら犬が困ってたら助けるのは当然っつーか」


「ははっ。魅夜さん飼い主だったんですね」


「おうよ!ってテメェ、アタシのことナメてんだろォ」


「ナメてないですよ。あっ、そうだ。ちょうど肉じゃが作ったんです。食べていきます?」


 肉じゃが。


 その言葉に心臓が跳ねた。


「はぁ、肉じゃがだぁ?」


「はい、魅夜さん好きでしたよね。前に食べたとき、感動で身を震わせてたし」


 カッ。


「ちょ、テメェ。次にそれ言ったらコロス!」


「えっ、なんで――」


「なんでもだぁっ!」


 思い出しちまった。


 あのライブ配信。


 完全なる黒歴史。


 すぐにアーカイブは消した。消したのに、クソみてぇなフォロワーどもがミラー動画を作りやがって、今も「死あわせ」やら「ニック・ジャガー」なんて意味不明なワードがトレンドをうろついてやがる。


 あんな姿、二度と晒すかァ……っ!


 ふと悠に目を向けると――シュンとしていた。


「……じゃあ、いらないんですね」


 まるで、餌を取り上げられた大型犬みてぇな顔だ。


 ……ったく。


「……あーするなら……くってやる」


「えっ」


「あー、するんなら食ってやるって言ってんだよォ!」


「あーん? 魅夜さん、あーんして欲しいんですか?」


「はぁ? そんなわけねぇだろォ! 昨日テメェのために動き回ったから、全身だりぃんだよっ! だから腕一本、指一本動かすのも無理ってことでっ!全部お前のせいだから、悠が責任持ってあーしろってことでっ。感謝の気持ちとかあんなら、それくらいするのが常識っつーかっ。わかれっ!そんくらいっ!」


 ったくほんと使えねぇやつ。アタシがこんだけ説明しねぇと分かんねぇのかよ。


「と、とりあえず上がってください。次からは玄関から来てくださいよ」


「あいよーっ」


 アタシは靴を脱いで、勝手知ったる様子で部屋に上がり込む。


 テーブルに並んだ、湯気の立つ肉じゃが。


 その匂いを嗅いだだけで、またお腹の奥が疼きやがる。


 あ、今日もライブ配信でもすっかなぁ。


 ポケットのスマホに手をかけて――やめた。


 ……いや、今日はいっか。


 配信も、フォロワーも、今日はいらねぇ。


「おい悠、コメも大盛りだからなァ!」


「はいはい」


 しばらく待つと、大盛りの白飯とほかほかの肉じゃががテーブルに置かれた。


 ふわりと立ち上る甘い出汁の香り。


 か〜、うまそうじゃねぇか。じゃあさっそく――


「いただきます」


 アタシは用意された箸を持って肉じゃがに手を伸ばす。


「あれ、腕とか指が動かないほど疲れてたんじゃ……」


 やべっ。そうだった。


「……あ〜動かねぇ、やっぱ指一本動かせねぇわ……」


「……まぁいいや。はい、あ〜ん」


 まじか……またアーンをしてくれるなんて……


「あ〜」


 ――パクッ


 ……うめぇ。


 悠の手作りの肉じゃがは、全てを包み込むような優しい味だった。


「もっかい」


「はいはい、あ〜ん」


 ――パクンッ


 そして悠の手からの直食い。たまんねぇ。これうますぎ。


 なんだか頭がボーッとしてくる。


 そうだっ!アタシとしたことが危うく忘れるところだった。


「あちぃな」


「えっ熱いですか? 」


 悠は持っているスプーンをそのまま使って、肉じゃがを食べ始めた。


「ちょ……それさっきアタシの口が……」


「えっ、魅夜さんそういうの気にするタイプだったんですね。すいません、箸を替えて――」


「いや、そのままでいい。洗い物は増やさねぇ方がいい」


「お、お気遣いどうも。というか、もうそんなに熱くないですよ。もしかして魅夜さんって――」


 やべぇ、さすがにセクハラとか言いだすか……


「――すっごい猫舌ですねっ!」


「……」


 普通の男なら金を請求されてもおかしくない。風俗に行ったら、アーンの直食いコース・オプションふーふーはけっこう値が張ると聞いた。


 コイツの頭はどうなってんだ、マジで。


「いいから、ふーふー」


「え? 夫婦? あっ、今日は良い夫婦の日か……」


 こいつの耳はどうなってやがんだ。変なフィルターでもかかってんのか……。それに、ふ、夫婦だァ!? なに言ってやがるコイツ!? あ、アタシはふーふーで食いたいって言っただけで、誰も夫婦になりてぇなんて言ってねぇ……まぁ悠が夫婦になりたいっていう、その気持ちは否定はしねぇ、否定はしねぇよ!でも、アタシはもう男は信じねぇって決めてんだよォ。つまり……」


「あ、ふぅふぅのことか。ふーふー」


 悠がじゃがいもが載ったスプーンに息を吹きかける。


「ばっ悠、てめぇ話はまだ終わっ――」


「はい、あーん」


 スッ、と差し出されたスプーン。


 アタシの口は勝手に開く。


「――あーーん」


 ――ぱくッ


 あぁ……うめぇ。うめぇなぁ。


 なんだか身体の奥から何かがジーンと滲み出るような感覚。


「もっかい」


「はい、どうぞ」


 ――ぱくッ


 あぁ、うめぇなぁ。


 あれ、だんだん意識が遠のいていくような……。


 ……というかアタシ、悠のしつけに来たんじゃ……なかっ……たっ……け……。


 まぁ……どうでもいいか……そんな……こ……と。


 ――グルン


 アタシの両目が白目を向いた。

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