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その飲みかけ、致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果――  作者: やっくん


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20話 この男、偉人好きにつき

――浅見(あさみ) 凛(りん)の視点――  


 やばい、やばい、やばい。


 目覚ましの画面を見た瞬間、全身に電流が走った。


 八時三十二分。


 待ち合わせは朝の九時。


 昨日は結局、夜中の二時まで山田に付き合わされた。


 帰宅してからも仕事のメールが溜まっていて、布団に入ったのは三時を回っていた。


 私は急いでメッセージアプリを開く。



 《浅見凛》『おはよう♪ ごめん、少しだけ遅れるかも。悠くんもゆっくり来てね』8:33



 送信。


 すぐに既読がついた。


 ピコン。


 《結城悠》『了解です。僕も少し遅れるかもなので、お互いゆっくりでいきましょう』8:34



 気づいたら、口元が緩んでいた。


 こんな言葉をかけてくれる人が、今まで周りにいただろうか。


「やばっ、準備しないとっ」


 洗面台の鏡を見ると目元にはクマがくっきりと映っていた。


 化粧で隠れるかしら……


 私はシャワーを浴び、着替え、化粧をして、ユキちゃんを外に連れ出すためのケージの準備をする。


 そうして家を出る頃には、もう九時を回っていた。


◇


 走った。


 腕時計が九時二十分を過ぎていた。


 待ち合わせ場所まであと五十メートルほど。


 ――もういる!


 その先には白いオーバーサイズのTシャツを着た青年の姿が見えた。


 足を緩めかけた時、近くのカフェのオープンテラスから声が聞こえてきた。


「ねぇ、さっきからあそこに立ってる白服の人、けっこうイケてない?」


「せやな〜!つか白服って厨房のコックかい!」


「てかさぁ――よゆーで三十分は待ってない?」



(え、嘘……)



「相手にすっぽかされたのかなぁ。あーしが慰めに行ってあげようかな〜」


 思わず、そちらに視線が向いた。


 そんな場合じゃなかった。はやく彼のもとに行かないと。


「え、今の人こわっ」


「めっちゃ睨んできたんだけど……」


 背中越しに二人の声がかすかに聞こえてきた。


◇


「ごめんなさい!待たせしちゃって――」


「あ、凛さん。いえ、実は僕も今来たところなんですよ」


 ……嘘つき。


 そう言いかけた瞬間、抱えていたユキちゃんの入ったケージをすっと取られた。


「けっこう重いですね、これ」


「……悠くん」


 ずっと持っていたため腕が痺れていたが、そのヒリヒリがスーッと引いていく。


 ふと気づくと彼がわたしの目元を見ている気がした。


 やっぱりクマが隠れてなかったかぁ……


「昨日、遅くまで仕事だったんですか」


 心配する感じもなく、ただ静かに聞いてくる。


「……うん、少しね」


「がんばってるんですね。お疲れ様です」


 彼は笑顔で返す。


(ゆうくん……)


 胸の奥がじわっと緩んだ。


「……あっ、前髪少し切りました?」


(ゆうきゅん…………)


 山田も後輩の宇田でさえ気づかなかったのに……


「そうだ、予約してた動物病院には少し遅れるって連絡を入れておいたんで」


(ゆぅぅぅきゅぅぅぅん)


 昨夜の疲れが、嘘みたいに遠ざかっていく気がした。


◇


 動物病院に到着した。


 自動ドアをくぐると、消毒液の匂いがふわりと鼻をかすめる。


「すいません、予約していた結城という者なんですけど」


「はい、承っております。それではその子をお預かりいたしますね」


 受付の女性が、ケージをそっと受け取った。


「健康診断と去勢手術で、終わるまで一時間ちょっとほどかかります」


「わかりました。よろしくお願いします」


 わたしと悠くんは顔を見合わせた。


「じゃあ、その間近くのカフェで時間潰しましょうか」


「そうね」


 横を歩く彼。


 足元からゆっくりと見上げるように彼を見る。


 靴は真っ白のスニーカー。


 黒のスラックスはシワ一つない。


 そしてオーバーサイズの白いTシャツは彼にとてもよく似合っている。


 チラッ


 袖から覗く前腕部は――青黒く血管が浮き出ており――もはや凶器ではなかろうか。


 身体からは汗の匂い――がしないのはちょっと残念かな……


(あっ爪もきれい……)


 要は身なりには清潔感があって、引き締まった体型ということ。


 こんな男がこの世の中にいるんだ……


 横に並んで歩きながら、うっとりと彼を見上げていた、その時。


 悠くんが何かに気を取られたのか、ふっと一歩、前に出た。


 白いTシャツの背中が目の前に来る。


 その真ん中にでかでかとプリントが一つ。


「…………」


 ……今度わたしがTシャツ選んであげよ。


◇


 カフェのオープンテラスの席についた瞬間、視線を感じた。


 さっきのギャル二人組だった。


 こちらを、というか悠くんをちらちらと見ている。


 人気者ね……


 一度注文を済ませてから、わたしはお手洗いで化粧直しをすることにした。


(クマ、やっぱり隠れてないわね)


 鏡の前で丁寧にコンシーラーを重ねた。


 戻ってみるとテラスの方がなんとなく騒がしかった。


「お兄さん、めっちゃタイプ! あーしとライン交換しよっ」


「いや、こんなギャルじゃなくてウチと交換せんか?」


「はっ? あんたもギャルじゃん!」


 二人で言い合いを始めている。


「ぷっ、仲いいんですね」


「やった、ウケた!なんかお兄さん話しやすいね!」


「ねぇねぇ、ウチら普段ナンパせんのんやけど、ビビッときてん」


「そうそう、話してマジ確信〜! ホテル直行でもいいから、あーしらとあ〜そぼっ」


「タダマンだよ、タダマン!」


(……見てる場合じゃない。止めないと)


 わたしが足を踏み出しかけた、その時。


「きみらさ――」


 ふっと、空気の温度が下がった気がした。


 割って入ろうとした足が止まる。


「……俺が悪いやつだったらどうすんの?」



「「……え?」」



「自分のこと、大事にしようよ」



「はっ?……何それ……ウチらに説教のつもり?」


「自分の価値を決めるのは自分……って勝海舟が言ってたし」


「アンタの言葉じゃないんかっ! てかだれやねんソイツ! あ〜もぉシラけるわぁ。モモ行こ!」


「……うん」


 立ち去りかけたギャルの一人が、ふと足を止めて悠くんの方を振り返った。


「そのTシャツだっっっさ」


「……え」


 言い捨てて、二人はそのままどこかへ消えていった。


◇


「ごめん、お待たせ」


「全然。ていうか、凜さんごめんなさい。変な感じになっちゃって」


「ううん」


 わたしは席に座りながら、さっきの彼の言葉を頭の中で反芻していた。


 自分の価値を決めるのは、自分。


(……そっか)


 昨夜のことが頭をよぎった。


 太ももに乗せられた手。耳元の息。笑顔を崩さずに受け流していた。


 あれは、仕事だからと割り切っていた。


 上客だから、取引先だから、耐えるのが当然だと思っていた。


 でも、悠くんの言葉を借りるなら――


 わたしは、自分に安い値段をつけていたのかもしれない。


 山田に何を言われても、何をされても、笑って流す――それが大人の対応だと。


 でも本当は、あの場から立ち去ってよかったのかもしれない。


 宇田を先に帰したように、自分自身のことも、もっと大事にしてよかったのかもしれない。


 目の前の悠くんは、メニューを眺めながら「このパンケーキおいしそうですね」なんて呑気なことを言っている。


 この人は、たぶん無自覚だ。


 さっきのギャルたちにかけた言葉も、きっと彼にとっては普通なんだと思う。


 ただ本気で見ず知らずの誰かの価値を心配しているだけ。


(……ずるいなぁ)


 わたしは、そんな彼の顔をこっそり見つめた。


(悠くんはわたしの価値まで、勝手に上げていってしまうんだから)


「凛さん、どうかしました?」


「……ううん。何でもない」


 わたしは首を振って、メニューに視線を落とした。


 頬が、少しだけ熱かった。



【あとがき】

彼女に言われたいランキングTOP3

3位:「バカ……」

2位:「ずるいなぁ……」

1位:「タダマンする?」


※自分調べ:友人に聞きました。決して僕の意見ではありません←ここ重要


あ、それと悠がどんなプリントシャツを着ていたかはX(旧ツイッター)で公開しています↓

https://x.com/yakkun_kakuyomu/status/2079700018827866376?s=20

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