02.勘違い
こんなはずじゃなかった。
誰もいない場所に逃げれば誰とも会うことはないと思っていたし、会ったとしても向こうから離れてくれると思っていた。
「……まぁ! ゼスト辺境伯様は噂とは違いとてもお優しい方なんですね! やはり噂と言うものはあてになりませんね。こんなお優しい方だったなんて…。私、ゼスト辺境伯様のことを好きになってしまいました!」
「ハァ!?」
それなのに今日初めて出会ったこの女は嬉しそうに笑う。
両親にしか言われたことのなかった「好き」という単語に徐々に顔が熱くなっていった。
普通初対面相手にそんなこと言えるのか? 言えるわけないだろう!? 何をもってして俺のことを好きと言ってるんだこの女は!
それなのに女…リノレアと名乗った少女は遠慮なく隣に座ってジッと自分を見つめてくる。
な、なんなんだこの女は…!
自分の容姿が優れていることは知っている。だが噂と俺の態度でこんな風に告白をされたことなどない。
やっぱり自分の聞き間違いだろうか…。それにしても今さっきからニコニコと無防備に笑いやがって…!
その大きな目に見つめられると言葉がうまく出てこなくなるから俺を見るんじゃない! いや、やっぱりまだ見られていたい…?
純粋無垢な笑顔も、その大きな目も…よく見たら可愛い……と思う…。いやいや、女なんてどうせ俺の本性を知ったら怖がって離れていく生き物だ。俺は騙されないからな!
「とても美しい髪色ですね。それに体格もよくて…。……はっ、こういったことは口にするなとお兄様に言われたのでした! すみません、あまりにも素敵だったのでつい!」
だからなんなんだこの女!
本当に俺のことが好きなのか? だからこうやって口説いてくるのか!? それにしては露骨すぎるだろう!?
いや待てよ…。もし本当に俺に惚れ…惚れたとなれば…。
……うん、暗くてよく見えないが綺麗な目をしている。俺相手にいきなり口説くその肝の座った性格も悪くない…。あ、また目が合った…! か、可愛い…! いやいや絆されるな! もしかしたら何かの狙いで接近してきたかもしれない…。やばい、ずっと見つめてくる…。可愛い……いや可愛いなこいつ…!
「ゼスト辺境伯様?」
「……っでいい…」
「はい?」
「お、お前なら特別に名前で呼んでいいと言ってるんだ!」
「え、本当ですか!? 英雄様のお名前を呼ぶ許可をもらえるなんて…。私、家に帰ったら自慢いたしますね、ゼギオン様!」
「グッ…!」
名前で呼ぶ許可を出しただけでそんなに喜ぶなんて…! これは本当に俺のことが好きなのでは?
無理して笑っているようにも見えないし、本当に……純粋に俺のことを…。
名前を呼ばれると心が落ち着かない。だからって彼女から離れたくない。
少し興奮気味だが、きっと俺のことが好きだからだろう。そう思うと…うん、嫌な気持ちにはならない。
こんな女は初めてだ。これから先、こんなに俺を好いてくれる奴なんて現れない…。
ああそうだ。相手から告白してきたんだから俺もそれに答えないといけない!
「ゼギオン様はどうしてこのような場所へ?」
「……っあ?」
「会場から一番遠い場所ですよ? 主役がこんな場所にいるなんて……あ! もしかして何かあったのですか…?」
彼女への返答を考えている間に可愛らしい声で俺を知ろうと質問してくる。
突然のことで言葉に詰まると彼女は一人で何かを考えはじめ、少し大きな声を出して身体をピタリと寄せ、耳元で囁く。
く、くすぐったい…。それに声すらも可愛い…! もっとよく聞かせてほしい。できれば隣に座るんじゃなく膝の上に乗ってほしいっ…!
「っんでもないから離れろ!」
「あ、すみません。つい癖で…」
それなのに気持ちとは反対に言葉は彼女を拒絶して強引に引き離す。
少し力を入れて押しただけで彼女はいとも簡単に離れる。
そのあまりにも軽い身体と軽さにゾッと背筋に鳥肌が立った。
いや…さすがに軽すぎないか…? まったく力入れてなかったぞ…。女性はか弱いからと母上に聞いてはいたが、まさかこれほど弱いとは思っていなかった。
こ、こいつよくここまで来れたな…? 可愛いうえにこんな弱いとか…。誰かが守らなければ今すぐにも死ぬんじゃないか?
「お兄様とお姉様にもよく言われるんです、距離感を間違えるなと。本当に申し訳ございません」
「別に嫌だとは言ってないだろ!?」
「それならよかったです! ふふふ、本当にゼギオン様はお優しい方ですね」
笑った声も顔も可愛すぎるだろ…! なんでこんな可愛い生き物が存在してるんだ! 何で、どうやって生きていられるんだ! きっと彼女の家族が守ってきたんだろう…。そうでなければこんなに可愛くて、弱い彼女がこの世界で生きていけるはずがない! ああ、なるほど。これからは俺が守ればいいのか! こいつも俺のことが好きだと言うし、俺もふ、不快じゃない…。
「強くてお優しいゼギオン様なら「おいッ!」
よくよく見れば頬も赤いし、目も潤んでいるように見える。きっと彼女も俺に守ってもらいたくて告白してきたに違いない!
可愛い声を思わず遮り彼女の目を見つめると、やっぱり見つめ返してきて大人しく俺の言葉を待つ。
「……ぅあ…!」
「ゼギオン様? どうされました? 顔も少し赤いような…」
「う、うるさい! それよりお前!」
「はいっ」
「お、俺が結婚してやる!」
「……え?」
「二度も言わせんな! け、結婚してやるって言ったんだ!」
「…ふふっ、ありがとうございますゼギオン様! ですが―――」
やっぱりそうだったのか!
ちょっと言葉は間違えてしまったが、こんなにも喜ぶなんて…。そ、そんなに俺が好きなのか…! そう思うと今さっき以上に可愛く見えてきた…。何か喋ってるけど笑顔の彼女が可愛くてそれしか考えられない。喋る姿も可愛いな。
よし、承諾もしてくれたし求婚状を早急に送らなければ! まだ成人してないだろうから婚約者から始めないとな。本当は今すぐにでも結婚して領地に連れて帰りたいが…。いや待て、どこの家だって言った?
「―――し訳ありません。でも本当に本当に嬉しいお言葉です!」
「そ、そうか! 悪いが聞き漏らしてしまったがお前の名前は?」
「…? えっと、私の名前はリノレア・ルディ・アドルフォです」
「…あぁ、あのアドルフォか」
「ゼギオン様も我が家をご存じでしたか! うふふ、嬉しいです」
「き、貴族なら知ってて当然だ! それぐらいで可愛く笑うな!」
「ゼギオン様はお世辞もお上手なんですね!」
お世辞なんかじゃない。本音だ。
そう伝えたいのに彼女の笑顔を見ると喉から出てくれない。
もっと優しく話しかけたいのに…! もっと気が利いた言い方をしたいのに何故か彼女の目を見ると心臓が早くなって顔も熱くなってうまく言葉にできない…! あ、今の仕草可愛い。
自分はもっと冷静な性格だと思っていた。いや実際に戦場ではいつだって冷静でいられた。それなのに彼女の目を見ると、微笑まれると心も頭もごちゃごちゃうるさくてうまくそれを表現できない。くしゃみすらも可愛いな……いや、駄目だろ! このままじゃ俺の嫁になる前に死んでしまう!
「おい「リノーーー! お前がここら辺にいることは解ってんだぞ!」
「あ…。申し訳ありません、ゼギオン様。お兄様が迎えに来たのでこれで失礼いたします」
「チッ!」
「今日はとても楽しい時間をありがとうございました。また機会がありましたら是非!」
「ああ、また」
上着を渡そうとすると知らない男の声が彼女の名前を呼ぶ。
一瞬にして殺意が生まれ彼女に近づく前に斬り殺してやろうかと思ったが、兄なのですぐ殺気をしまう。
いや兄であろうと邪魔だな。もっと彼女の声を聞いていたいのに…!
丁寧に頭をさげて自分から離れて行く彼女を引き留めたい。
結婚に承諾してくれたんだからこのまま持ち帰ってもいいんじゃないかと思ったが、躊躇っているうちに彼女は兄のもとへと急ぐ。
「……よし、明日の朝一番に求婚状を届けよう!」
早く自分のもとに呼び寄せたい。
そうするためにも今できることを早急に考え、ダレンのもとへと急いで戻った。