表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日を望む全ての者へ  作者: サナギ
暁と夜の管理者
5/5

庭に烏はいない

 しんと静まり返った暗闇の中の街で、一つの影がゆらりと伸びた。宵闇の暖色を纏ったライトが影の主の顔を照らす。


 幼女は闇の中で起きた。まるで長い夢からようやく覚めたかのように、ゆっくりと欠伸を漏らす。その様子は幼い顔つきながらも妖艶さを醸し出しており、幼女の周りの空気が怪しく揺らいだ。

 目をこすり、幼女は周りの様子を確認する。時計を見ると、時刻は午後十時を指していた。まだ起きる時間ではない筈だ。


「あら…ワタクシ、なんでこんな時間に…?」


 幼女は何回か瞬きをした後、もう一度目をこすった。このまま寝てしまおうか。そう思うのも当然だ。


 しかし、少女は目覚めた。


 目覚めてしまった。


桐人(きりひと)じぃさま……?」


 幼女が起きた場所は、とある城の一室。ベッドの脇に備え付けられている大きなソファの上だ。齢5歳の幼女が三人は横で並んでも余るくらいのスペースがあり、ふかふかの毛布が掛けられていた。使用人の誰かが気遣ってくれたのだろう。

 幼女はソファから降りて、ベッドに寝ている老人に近寄る。老人の姿は幼女が眠る前と同じ顔をしており、それは毎日変わらなかった。しかし、幼女は何かを感じ取ったのか老人の口元の前に手を翳す。老人の腕に繋がれている管を目で追い、沢山の機械の一つに現れている数値に辿り着く。

 そして幼女はようやく、自分が起きた理由を理解する事ができた。機械から発せられる無機質なピーという音、目の前の老人が死んでしまったのを告げるアラームが鳴っていたからだ。


「じぃさま…そう、つかれてしまったのね……おつかれさまでした…」


 幼女は、老人の死を受け入れた。胸の前で手を合わせ、祈りを捧げる。それは聖女のようにも、あるいは死神のようにも見えた。


 次に幼女が手を開いた時、そこには白く輝く「白日の鍵」が現れていた。



 (なぎさ)深夜(みや)は一時解散し、支度を整え人間が暮らす街「常陸(ひたち)の茨」で集合する事となった。屋敷へと戻った渚は案の定、従者に問い詰められることとなる。

 真っ先に声を掛けたのは、玄関前で待機していた龍ヶ崎水早だ。水早は暗い景色の中でも迷わず渚の姿を捉え、直ぐに駆け寄った。


「渚、大丈夫だったか」


 心配そうに渚の表情を伺っていたが、渚は水早の目を見てしっかりと言った。


「全然大丈夫だよ。あぁ後、直ぐに深夜と街に降りる事になった。携帯できる軽めの武器だけ用意してほしい」

「は」


 淡々と告げる渚に水早は思わず素っ頓狂な声を上げる。目を見開き固まっている水早を見て、渚はくすりと笑い屋敷のドアを開いた。豪華な扉から暖かい光が迎えてくれる。渚は自分が通り過ぎても未だ外で固まっている水早を一瞥し、珍しく笑い声を漏らした。


「ははっ、変な顔」


 渚は水早を置き去りにして一度書斎へ行き、次の日からの予定を確認する。デスクの上にホログラムで表示された予定表を見たところ翌日は大して予定は詰まっていない。渚がわざわざ出向かなくても対処できるものばかりだ。


花桐(はなぎり)蘭蝶(らんちょう)


 渚がおもむろに言葉を発する。その声色は威厳を纏っており顔つきは主そのものだ。声を発して約三秒後には、名前を呼ばれた二人の従者が渚のデスクの前に佇んでいた。


「お呼びで、主」

「どんな事でも承りますわ」


 静かに主へと挨拶をした二人の従者。花桐と蘭蝶は男女で二人とも渚より随分と背が高い。服装はどちらも黒基調の燕尾服に軍服の要素を足したような制帽を被っている。ベストの色やネクタイのデザイン、ジャケットの裏地等…細かく見れば割と違ってはいるが、概ね同じような服装だ。二人に共通している左腕の上部に括られた梅紫の紐だけが、妙に異彩を放っている。

 二人は同時に頭を下げ主からの命を待つ。


 しかし渚は二人を見て少しだけ口の端を持ち上げ、書斎の大きな椅子に座った。そしてデスクの上に表示させていたホログラムを二人の方へ向ける。


「顔上げて」


 渚が柔らかく言葉を発すると、二人は少し戸惑いながらも顔を上げ、目の前のホログラムに目を向ける。


「花桐」

「あぁ」


 花桐と呼ばれた男性の従者はホログラムからすぐに目線を移し、まっすぐに渚の目を見て返事をする。水早とはまた違った重厚感のある低い声が書斎に響いた。

 年は二十代後半から三十代前半くらいだろう。

 センター分けされた美しい銀糸の髪と、瞳の緋銅色はまるで雪原に落ちた血潮のよう。顔には左頬から首までかかった一筋の大きな切り傷が刻まれている。落ち着いた雰囲気のある男で、顔の傷でさえも彼の色気を増幅させる一因でしかない。腰に吊るしている刀には烏羽色の鞘に羽を模したような金糸のデザインが施されている。


 渚はデスクの上に表示されていたホログラムを花桐に向けて見せ、命令を下した。


「僕の明日の予定だ。急用が出来ちゃって明日の執務をこなすのが少々難しい。君が代わりにやってくれ」

「了解」


 花桐は一切表情を動かさずに淡々と答えた。ホログラムを動かすと燕尾服のジャケットがゆらりと広がり、裏地とベストの色を強調させた。

 花桐の色は暁鼠。彼の髪の色と同じだ。それは曇天のような、日に照らされる直前の雲のような、そんな上品な色だ。花桐の執事然とした雰囲気によく似合う。


「それから蘭蝶」

「えぇ」


 蘭蝶と呼ばれた女性は花桐とは違い、笑顔を顔に浮かべながら渚の命を待っていた。彼女の視線には崇拝にも近い親愛を抱いているのがよくわかり、渚を如何に信頼しているのかが伺える。女性の従者も暁には多くいるが、蘭蝶はその長い脚を活かしたパンツスタイルをよく好んでいた。


 緑の黒髪を頭の上部で一つに纏め、結ってある部分には白色の牡丹が飾られている。今は見えないがジャケットの下…青緑色のベストの両脇には二丁拳銃を備えており、フレアパンツの太もものベルトには翡翠色の短刀が通されている。


「君は僕が居ない間、部下達の指揮を任せたい」

「…それは構いませんが、烏達は聞かないのでは?」


 蘭蝶は了承しながらも渚に疑問を投げかける。結われた髪が仕草につられて大きくしっぽを振るった。蘭蝶の疑問も当然だ。何故なら花桐はともかく、渚の側近でもある水早は所属する部隊が違うからだ。


 一旦説明しよう。

 今、渚と会話している花桐と蘭蝶は、「御庭番(おにわばん)」と呼ばれる暁の持つ特殊部隊に所属している。その仕事内容は主に隠密による諜報活動や単純に敵対組織の殲滅などだ。渚の懐刀と言ってもいい。その理由は隊に所属する十二人その全てが渚が鍵の主となった後に直接拾われた者だからだ。


 だから御庭番は渚の命令しか基本的に聞かないし、渚もよっぽどのことがない限り御庭番に任務を渡す事は無い。勿論、家族としての関わりはあるのだが。


 対して水早は暁が管理する治安維持組織「八咫烏(やたがらす)」の所属だ。その仕事内容は主にこの国の治安維持であり、渚の命令が無い時でも仕事が当然存在する。この国の警察権を持つ組織が八咫烏だからだ。それ故組織は大きく渚の知らない人物も多く居る。本当に大事な仕事を任せるには少し不安があるのも否めない。


 無論、渚は水早の事を何よりも大事に思っているし、守りたいと思っている。だからこそ、水早や他の騎士達には国の安全を考えていて欲しいし、渚が帰ってきたときに出迎えてくれる存在でいてほしいのだ。


 八咫烏と御庭番は同じ主を持つ者同士でありながら組織としての本質は全く異なる。八咫烏に任せる時は国全体の案件。御庭番に任せる時は渚個人の案件として、使い分けているのだ。そもそも、御庭番は渚が居なくては統率の取れない猟犬達なので、扱い方が変わってくるのも当然なのだが。


 蘭蝶の疑問は、別組織の人物が一時的にとは言え主導権を握ってしまっていいのか、というものだ。同じ主を持つ者同士、八咫烏と御庭番は互いに協力し棲み分けている。しかし扱いの違いから御庭番は渚に近い八咫烏の面々…特に騎士と呼ばれる側近達を「烏」と評しほんの少し羨望の眼差しを向けている。この事を渚は微妙に感じ取っている。


 閑話休題。


「大丈夫、もし何か言われた時にはこれ見せな。謂わば令状みたいなものだ。大人しく従ってくれるよ」


 渚は自分の領域の隙間から一枚の紙を取り出しそれを蘭蝶に渡した。それは札のようなもので、触らなくても渚の力が溢れているのが良く分かった。蘭蝶は主のあまりの力に腰を抜かしそうになった。


「い、頂いてしまっていいのですか…?」

「?うん。勿論」


 渚はさらりと答えるが、その札に込められている力はあまりに強大だ。この札があればこの家の者全てが言う事を聞くだろう。


 __なぜ渚は私がこの札を悪用するとは思わないのだろう。


「はははっ!蘭蝶、君そんな事で躊躇ってたの?」

「え!今私声に出ていましたか?」


 蘭蝶は思わず手を口で覆った。しかし渚はそんな様子の蘭蝶を見てけらけらと笑い、花桐は伏し目で蘭蝶を見つめている。


「いや、出てないよ。君の心の声が想像以上に大きくて。聞こえちゃった」

「え」

「主、出鱈目言うのはよしてくれ。蘭蝶、口に出てた」


 花桐が呆れた様に蘭蝶に言うと、彼女は顔を真っ青にして渚に頭を下げた。


「申し訳ありません、渚。私、主の期待に背くような発言を…」


 蘭蝶は札を握りしめて小刻みに震えている。


 __渚(なぎさ)がせっかく用意してくれたものなのに、どうしてあんな事考えちゃったの!


「ううん、気にしてないよ蘭蝶。顔を上げな。確かにその札はちょっと強力すぎるよね。だから蘭蝶、その札を使うのは最終手段だ」

「と、言いますと?」


 渚はデスクに肘をつき手の甲に顎を乗せた。そしてにやりと怪しく笑い、蘭蝶と彼女に握られた札を交互に見る。


「君の力だけで八咫烏を動かしてみろ。口で説得しても良し、力で分からせても良しだ。庭師と騎士、呼称こそ違うけど僕の大事な部下である事に違いは無い。何とかしろ」

「何とかしろって言われましても…」

「蘭蝶」


 渚が蘭蝶の名前を呼ぶ。凛とした真っ直ぐな声だ。蘭蝶はハッとして渚と目を合わせる。渚の表情は怒っている訳ではない。いつものように優しく微笑んでいるだけだ。しかし渚の人外じみた梅紫の瞳に見止められては、蘭蝶はもう一ミリたりとも動くことが出来ないのだ。


「牡丹蘭蝶、僕は君だから頼んでるんだ。何故なら、君を愛しているから」


 __あぁ、この人はいつも、私の欲しい言葉をくれる。


 蘭蝶の大きな目から雫が落ちる。渚の側近である八咫烏の騎士達とは違い、御庭番は任務を任される時が少ない。最近はそれが酷かった。だから要件が無くても渚の傍にいられる烏達が羨ましかった。言葉には出さなかったが、蘭蝶も渚の事を支えたかったのだ。

 蘭蝶が静かに泣きだしたのを見て、渚は目を見開いた。椅子から勢いよく立ち上がり、デスクに乗り上げて蘭蝶の頭を抱きしめる。特に背の高い蘭蝶を抱えるにはこうするしかなかった。


「ごめん、泣かすつもりじゃなかったんだけど…」

「いえ、嬉しくて…私、渚の力になれないとずっと思っていましたから…」

「あ~、成程ね。確かに近頃任務投げてなかったね。ごめん」

「主、甘やかさないでくれ。御庭番はそういう組織だろう」


 花桐の低い声が響く。赤い瞳が渚を貫いた。渚は蘭蝶の頭を撫でながら花桐の方に目を移す。どうやら予定の調整が終わったようだ。


「そうだけど、部下のケアも主の務めだよ。花桐も撫でてあげようか」

「いらん」


 暫くすると、蘭蝶は落ち着き恥ずかしさから顔を赤く染めていた。しかし表情は満たされたように柔らかくなっており、自信が戻っていた。

 渚が部屋の時計を確認すると集合時刻に近くなっており、軽く挨拶を済ませて急いで部屋を後にした。蘭蝶の頬の赤みは、渚が去っても暫くそのままだった。


「不測の事態が起きてもまあ何とかなるかな…」


 渚は階段を下りながら言葉を漏らした。渚が御庭番に任務を託したのは、何かが起きた時に即座に対応できるようにかけた保険だ。

 態々保険をかけているのは、渚が何か嫌な予感を感じていたからだった。その嫌な予感がどんなものかはまだ分からないが、最悪を想定するに越した事は無い。


 花桐は御庭番の中では一番年が上で皆を影からサポートするのに適している。剣の腕も一流だ。大体の事はやってくれる頼れる男だ。蘭蝶は精神面こそまだ弱いものの武力は圧倒的だ。それに皆を引っ張る力に長けているから混乱時にこそ彼女の才能は輝くだろう。

 御庭番は特殊部隊である事もあり、全員戦闘経験が豊富だ。渚が前任の管理者を失った大きな戦争でも、兵士をやっていた者が多い。渚が拾った時には貧困や差別で行き場を失っていたのだ。だから渚は彼らを拾ったし、庭師は恩を返すように渚に従っている。


 渚が玄関ホールに着くと、そこには水早が武器を持って待っていた。渚の姿を捉えると納得していないように眉を顰めて見つめてくる。渚は苦笑いしながら足早に近づいた。


「待たせた。武器用意してくれてありがとね」

「なぁ本当に行くの」

「行くよ。もう約束しちゃったし、僕も行くべきだと思う」

「渚には鵺月深夜の事なんて関係ないだろ」

「関係なくない。それに桐人さんには苦労を掛けたし、ちゃんとお別れの挨拶したい。街の様子も気になるしね」

「桐人…って誰だ?」


 その瞬間、渚は自分の喉が締め付けられる気分だった。


 __そうか、そうだったな。


 前にもこのような状況に遭遇した時があった。


 それは前任の朝の管理者が死んだ時。(なぎさ)が新たな朝の管理者となり、目を覚ました時。


 渚は見た事もないような大きさの真っ白なベッドの上で、今までとは違う眼差しで自分を見ていた同僚の姿を思い出した。もう同僚はいない。

 愛する民の純粋な疑問も、やがて塵となって消えていく。


 __忘れられた方はたまったもんじゃないだろうな。いや、桐人さんは違うかも。


「…深夜の知り合いだ。前に会食したこともある、つまり偉い人。亡くなったって言われた」

「そうか。でも俺は行く必要ないと思う。なんで渚が」

「これは僕の問題。僕が行くべきだと言ってるんだ、分かって欲しい」

「…わかったよ。これ、とりあえず武器」


 水早は渋々と言った様子で渚に武器を見せた。手に持っていたのは上物の脇差だった。白く輝く真珠色の鞘に、花桐の刀と同じような羽を模した金糸の模様が施されている。華やかで気品のある刀だ。


「ありがとう」


 渚は脇差を受け取りズボンのベルトに装着する。全体的に白で纏められた渚の衣装によく馴染んでいた。恐らく見た目の印象も考えて用意してくれたのだろう。


「渚なら、その気になればめっちゃでかい兵器とか出せるだろ」

「そうだけど、手元にあるのと無いのとじゃ対応速度も変わって来るでしょ。戦争がある訳でもないんだし」

「ま、そうだな」


 渚は玄関のドアに手を伸ばした。力を籠めるとドアは前方に開き、夜の闇を視界に映し出す。満月が雲に隠れて辺りは真っ暗だった。渚は振り向き、不安そうに見つめてくる水早に向けて言葉を漏らした。


「じゃあ行ってくる」


 表情は確かに笑っているのに、瞳にはほんの少しだけ諦めの色が見えた。何かを覚悟しているような、安心したような、そんな声色で。


「…あぁ、行ってらっしゃい」


 水早から出た言葉は、あまりにも小さかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ