暁と朝の管理者
朝日の指す荒野に、一人の少女がうつぶせに倒れている。
辺りは人と血に塗れており、武装した人々は次々にバタバタと倒れていく。誰も、少女の安否を確認していない。敵はまだそこにいて、皆が戦っているのだ。たかが少女の生き死になど、いちいち確認できない。戦場では怒りと嘆きを叫ぶ声が飛び交っている。
そんな地獄のような光景に、一人の人物が現れ戦線に立った。右手には血に染まった刀を持っており、足取りは重く、敵からの銃撃により片足を引き摺っていた。しかしそれでも、その人物の戦闘力は圧倒的で、次々に敵をなぎ倒していく。荒野に敵陣営の断末魔が響き渡り、そしてあっという間に辺りは静寂に包まれ聞こえるのは味方陣営の息を吐く音だけとなった。
少年とも少女とも見える容姿のその人物は、刀に付いた血を服の袖で拭い、鞘に納める。そして荒野を見渡し、倒れている少女の姿をようやく捉える。ゆっくりと、しかし確実に目を見開いた。手にしていた刀を地面に落としてしまった。ガシャンと鉄が土に鈍い音を立てる。
走った。足を怪我している事も忘れて。ただ真っ直ぐ、その少女の元へと走った。息も絶え絶えになり、目の端からは何か熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。
「栞!」
少女の元へ辿り着き、声をかける。肩を揺すった。何度も何度も、少女の名前を叫んで、薄い体を抱きしめる。少女の体はまだ暖かかった。
「……な、ぎさ…?」
少女が閉じていた瞼をゆっくりと開ける。かすれてしまった声で、少女は自分を死の淵から呼び覚ました人物の名前を呼んだ。
渚と呼ばれた人物は、少女の声を聴くと、目から大粒の涙を流し、より一層少女の体を抱きしめた。少女はもうほとんど力の入らない手でなんとか右腕だけを動かし、涙を流し続ける渚の頬に触れた。
「泣か、ないで…」
昇ってくる太陽の光が二人の姿を照らし続ける。溢れてくる涙に光が反射して、朝露のような雫を落とし続ける。
「渚…あのね……」
「やめて、聞きたくない。今すぐ病院に行こう。今ならまだ助かるよ」
「ふふ、馬鹿ね…もう、わかって…いる、でしょう」
「分からないよ!もう喋んないで、僕が運ぶから!」
少女の体を持ち上げようとする渚に、少女はゆっくりと首を振った。
「渚…聞いて…」
「、何?」
渚だって、本当はもう分かっているのだ。自分の抱きしめる少女の命が、もう消えてしまう事など。長年兵士をしているのだ。命の軽さくらい理解している。
それでも、目の前の少女が消える事をなんとか阻止したくて。
少女に生きていて欲しくて。
運命は残酷で。
運命を呪って。
なのに、少女が幸せそうに微笑むから。
渚は、溢れる涙を止める事が出来ないのだ。
「深夜君も、桐人おじさま、も…管理者。同じく、管理、者の私は…人々に忘れ、られ、る…」
「知ってるよ。だから助けたいんじゃんか。僕、栞の事忘れたくない…」
「私も、ね…他の誰か、に、忘れられる…のは、構わ、ないわ。でも、渚にだけは、忘れられたくない…」
少女は眉を下げる。朝日が渚の顔をより一層照らして、渚は少女が齎してくれた日の光を呪ってしまった。
この世界には、「管理者」と呼ばれる者達がいる。
管理者は毎日を循環させる能力を持ち、世界のシステムを握る者だ。
夜の管理者が「宵闇の鍵」を差せば、世界は闇に包まれる。
昼の管理者が「白日の鍵」を差せば、世界は光に照らされる。
そして、朝の管理者が「黎明の鍵」を差せば、世界は次の日を迎える。
渚の抱きしめる少女は、まさに「朝の管理者」であった。
この管理者というシステムは、世界を世界たらしめる為に存在する。民達はその存在を知らないし、そんな存在が居る事を疑いもしない。
何故か。それは管理者が死ぬと、管理者に関わった全ての民の記憶が消えるからだ。
最初から存在しなかった事になるからだ。
管理者を覚えていられるのは、同じく管理者のみ。システムに組み込まれた者だけだ。
「曙はもう消えるわ。新しい鍵の主の名は、暁よ」
「何を、言って…」
「渚」
渚には、少女の言っている事が理解できなかった。うまく働かない頭でなんとか理解しようとして、渚の両目から零れ落ち続ける涙はぱたりと止まった。
少女は覚悟を決めた様に声をかける。死の淵から戻ってきたというのに、少女の面構えはとっくに『朝の主』そのものだった。
「私のエゴで貴方を苦しませるのは、申し訳ないけど…でも、それでも、貴方に覚えていて欲しいから…」
「栞…?」
「ごめんね、渚。許してくれとは言わないわ」
少女が渚の頬に添えていた手を朝日に向かって伸ばす。すると伸ばした掌に光が集まり、煌びやかで趣のある豪華な光の鍵が現れる。持ち手の部分には曙光を閉じ込めたような青と橙色の宝石があしらわれており、細部にまでアンティーク調の模様が装飾されている。
少女が光の鍵を掴んだ。光で輝いていた鍵は少女の手に収まると瞬時に光の発散を収め、青みがかった銀の色を反射した。それは深雪のようで、また雲海のようにも見えた。
渚がその鍵に目を奪われていると、少女はその鍵先を渚の体へと向けた。すると渚の体の中心、心臓にあたる部分に次第に光が集まってくる。朝日の色だ。渚は未だ鍵に見惚れている。体に集まった光は、渚には見えていない。『管理者』である少女のみが感じられるものだった。
渚の体に集まった光はやがて鍵穴の形を成し、そこに鍵が差される事を今か今かと待ち続けている。少女は一度目を閉じ、ふぅと息を吐いた。そして自分の持つ全ての権能を手に持つ鍵に込めて、戸惑い続ける渚に呪いの言葉を吐いた。
「愛しているわ、渚。私を、忘れないで…」
瞬間、渚の体に少女の持つ鍵が差し込まれた。ガチャリと何かが明けられる音を渚は感じ、暴かれるように意識を失った。
渚が目を覚ました時には、抱きしめていたはずの少女の姿が消えていた。
そうして自分を取り囲む人々の反応を見て、渚はようやく。
自分が管理者になった事を理解した。