【110話】過去を思い出す三人
上部地下水道は、下部地下水道よりも捜索範囲が広い。
蜘蛛の巣状に町中の地下に張り巡らされているため、内部の構造を正確に把握しなければ、迷って出られなくなってしまいそうなくらい複雑に入り組んでいる。
そんな地下水道内部にピチャリと水を踏む音が響く。
マントを翻し、ペトラは先を急ぎ進んでいた。
正面は暗く、水の滴る音が地下水道内を反響して聞こえてくる。単調な水音と薄暗く続く道の先が、不気味で仕方がない。
唯一の明かりは、ペトラの魔術だけ。
「ペトラ、歩くの速いって〜!」
そんな地下水道の探索。探索スピードはやや落ちるのではないかと思っていたものの……ペトラは進む。どんどん進む。
なんなら、スティアーノの方が暗がりに怯えているような気がする。
彼女は、恐れを知らないのだろうか。
若干早足なのは、さっさと任務を遂行して帰りたいからだろう。
そういう気持ちが前面に現れていた。
「うひゃっ!」
スティアーノの間抜けな奇声が上がる。
流石のペトラも足を止めて、後方に視線を戻した。
「……どうしたのよ?」
「いや、足下で何か動いたから」
──確かに何か這いずり回っている気がする。
目を凝らして、よくよく下を見てみるとチョロチョロと小動物的なものが蠢いているのが確認できた。正確な形状は暗さから確認出来なかったが、少なくとも危険のあるものじゃない。
「落ち着けスティアーノ。多分ネズミだ」
「は、ネズミ?」
「ああ、それか大きめの虫とかだろう」
「なんか、もう帰りたくなってきたんだけど……はぁ」
どうやら、スティアーノにこの場所はあまり合わないみたいだ。
「もう、そんなことで一々騒がないでよ。探索に遅れが出ちゃうじゃない」
「いやいやいや、誰だってこんな不気味な場所で何か動いてるの感じたら、ビックリするもんだろ!」
「私とアルディアはビックリしてないわよ」
「一般常識の話をしてるんだよ! クソ度胸の二人と比べんな」
──クソ度胸とは、そんなことないと思うが。
呆れ顔のペトラと視線を交わしながら、スティアーノの言葉をなんとなくで聞き流す。
「まあ、どうでもいいけど……さっさと行くわよ」
「おい、サラリと進むなって、ペトラは怖いもん無しかよ」
「当たり前でしょ。私に恐れるものなんて、何もないわ!」
「頼もし過ぎだろ」
こんな重い空気の流れる地下水道内でも、二人のテンポの良い会話は健在だ。
彼らの関係性は士官学校の頃から変わっていない。
悪い意味ではなく、良い意味でだ。
「そういえば、こうして三人で歩いていると思い出すわね」
過去にあったことを頭に浮かべるようにペトラは音にならない息を吐く。
「……ああ、アレな」
「今となっては、良い思い出よね」
──思い出す?
残念ながら、俺だけ経過年数が長いせいで、二人の間で共有されている内容が何に該当するのかを割り出せない。
一度蘇ったことによる弊害がこの場面で発揮されてしまった。
人の記憶とは、自然と薄れてしまう。だから、これは仕方ないことだ。
「すまない。アレって……いつの話だ?」
「は……覚えてないわけ?」
「心当たりがあり過ぎて、どのことを言ってるか分からないだけだ」
という感じに誤魔化してみるものの、あまり信じてくれてはいないみたいだ。
「アレってのはさ、つまり俺たちが最初に話した時のやつだよ!」
気を利かせたスティアーノがこそっと耳打ちをしてくる。
最初に話した時──ああ、アレか。
とても懐かしい。
言われてやっと俺は、あの時の記憶を心の奥底から掘り出した。士官学校に入学した初年度のこと。当時はまだ、学級内でも、グループが確立していない時期であった。
「密林で実技試験を行った日か……」
呟くと、ペトラは腰に手を当てながら唇を尖らせる。
「それ以外にないでしょ。私たちが初めて共闘した日なんだから」
「共闘……ああ、そういやペトラは、上級生の貴族とかに目付けられてたもんな!」
「うっさい! あれは入学したての時の話よ。それに、その後は険悪な関係も解消したじゃないの!」
「あーそっかそっか。そういや、そうだった! そう考えると、ペトラも随分丸くなったよな」
「……もう何年も前の話を引っ張ってこないでよ」
「はは、悪い。……けど、マジで懐いよな。フィルノーツ士官学校で学生やってた頃がさ」
そうだ。
二人の話を聞いて、色々と思い浮かぶ。
あれは、バラバラだった俺たちがフィルノーツ士官学校で、一緒に過ごすきっかけとなった大きな出来事だった。
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