09話『この世界の術師』
5階で止まったエレベーターが開くと、そこには50人近くの避難者がいた。
「お帰り店長!」
無事の帰還に皆が歓喜して声を掛け合っている。
こんな時間だが、きっと心配して待っていたのだろう。
「向井さん、お薬ありましたよ!」
勢いづいたように飛び出した芦原は、椅子に座り込んだ体格の良いおじさんにかけよった。
「すまん、店長。本当に助かった……結子ちゃんは?」
一緒にいる筈の豊田の姿が見えないことに気付いた向井は一瞬青い顔をしたが。
「大丈夫です、汚れたのでいまシャワーを浴びていますよ」
と笑顔で芦原が答えたことで、ふーっと溜め息をついた。
自分のために危険を犯してくれた人間が、無事に帰ってくるのをずっと祈っていたのだろう。
「ところでてんちょー、この二人は?」
気の抜けた声が、一桜達に発せられる。
ダボダボのズボンにフード付きパーカーを着た20歳前後の男性が、目深に被ったキャップの下からこちらを覗いている。
「この人は、閂剣術道場の娘さんだ、危ないところを助けて貰ったんだ」
制服に木刀を下げた女子高生は奇異な目で見られて当然だが、芦原の紹介で案の定ここにいる半分以上の人間が「ああ」と納得の声をあげた。
「はじめまして、閂一桜です。この子はホームステイしてきていたクエスちゃんです、よろしくお願いします」
無難な自己紹介と共に頭を下げる。
これといって、拍手や歓声が上がるわけではなく、普通に「よろしく」とか「頑張ろう」といった返事だった。
考えてみれば、ここに居る皆はすでに50回程度繰り返してきた挨拶なのだ。
だがその状況は、あまり目立ちたくはないクエスには好都合だ。
一通り施設の案内を、芦原から受けた一桜達は、ネットカフェの一室を貰って落ち着いた。
「はぁー、生き返る……」
ネットカフェのコーンスープを飲んでから、マットに寝っ転がる。
「おい、一桜。この施設の説明を受けたのだろう。私にも教えるのだ」
頭をペチペチと叩かれ、強制的にたたき起こされたので、仕方なく説明を始めた。
────まずこの施設は防音が効いており、通常の会話などで、ゾンビが寄ってくることはないらしい。
ネットカフェも併設されているので、冷凍食品などの備蓄もある程度は用意されている。
今のところ、電気水道などのライフラインは稼働しているようだ。
話によると、そういった施設には優先的に自衛隊や警察官が配備され守られているそうだ。
電話は通じないが、緊急用伝言板で自衛隊等と連絡はついており、順次助けに向かうと返答が来ているらしい。
「では、少しはゆっくり出来そうなのだ」
クエスはそう言うと、一桜が持ってきたコーンスープを奪い取り飲み干す。
「ではこっちの話も聞くのだ」
そういって、話を始めた。
「この世界のゾンビは私が知っているゾンビとは違うのだ」
「そういえばそんなこと言ってたね」
住宅街ではじめに遭遇したゾンビを調べた際の見解からクエスは一つの確信に近づいていた。
「まず、ゾンビというのは、人間の体液を毒素を持つ呪いで侵食していく、水系統の魔法なのだ」
「良くわかんないけど、ウィルスみたいなものなの?」
「すまん、ウィルスという概念がわからんのだ」
「えっと、私も説明できないや」
自分から言った割に、いざ説明しろと言われるとどうやって説明してよいのか。悩む一桜にクエスはさらに続ける。
「だがこの世界のゾンビは、血液が循環していないように思える」
「どう言うことなの?」
一桜はポカンとしている。
今の言葉は大きな意味合いを持つのだが、それを理解できないとなると、言っても無駄だ。
だが無駄だとしても、知らないとこれからの戦況で不利になるかもしれない。
どうにかして伝えようと必死になるが、世界観の違いでどうもうまく意思の疎通がままならない。
クエスはその伝わらなさにイライラし始めた。
「むぅ……一桜ではらちが開かん、理解できるものは居ないのか?」
「異世界の話を理解できる人居るかなぁ」
とぼけたように言うが、これでも一桜は真剣に考えている。
「誰か……死体に詳しい者や、術を使うものがいないのか!」
「死体に詳しくて、術を使う……あっ!!」
頭の上に電球が見えてしまうかと錯覚するほど、明らかに思い付いた顔で一桜が答える。
「お医者様だったらわかるよ!」
「おお、居るのだな!」
光明が射したとはこの事だ。
いつも無表情のクエスが珍しくほほを緩める程歓喜する。
善は急げとばかりに、二人は5階へと戻り、芦原の姿を探す。
だがそこには姿がなく、向井の言うことには、睡眠を取りに言ったとの事だった。
「こう言うときは、みんなに聞けば良いんだよ」
一桜は一段高い場所にぴょんと飛び乗ると叫んだ。
「アテンションプリーズ この中にお医者様は居ませんか?」
クエスは目立ちたくないと思っている。
一桜もそれを理解はしているのだが、好奇心や思い付きに左右される性格がそれを忘れさせていた。
やや辺りがざわついたが、手を挙げるものは居なかった。
代わりにその中の数人が、同じ場所を指差したので、その指し示す方に二人が目を向けると、受付カウンターに寝転ぶ人物がキャップを目深にかぶり「チッ」と舌打ちをした。
「お医者さんでしたか」
一桜は素早く駆け寄ると問いかける。
「正確には違う。中村優人、医大生だ」
一桜はいまにもヒップホップでも歌いだしそうな服装の中村を見て笑顔で、
「少しお話ししたい事があるんです」
と誘った。
一桜の髪はショートカットに切り揃えられ、ボーイッシュではあるが、顔立ちは整っている。
何より満面の笑みで誘われると、男性はつい付いていってしまいそうになるだろう。
ここだけの話、鍛えられている割には、うっすらと肉付きのよい体をしていて、胸も大きい方だ。
もちろん、変な気を起こしても、勝てる相手ではないが。
「俺にメリットのある話なのかなぁ?」
だが中村は間延びした受け答えで、一桜の魅力も効いていないようだ。
「はい、メリットありありですよ!」
クエスの話の数パーセントも理解してはいない筈だが、何故か自信満々に一桜が答える。
中村は少し考えたが
「わかった、場所を変えよぉか」
といって、ネカフェの彼のブースへと誘導した。
そこはファミリー向けの部屋で、他の部屋より少し大きく作られており、医療に詳しい者への厚待遇がうかがえた。
中には着替えや本が乱雑に積み上げられていたが、それ以外にも簡単な診療が出来るような道具も置いてあった。
「まぁ、俺の部屋兼、保健室ってとこかなぁ」
成る程と、一桜が納得している横で、早速クエスが話を始めた。
「一桜、通訳を頼むぞ」
クエスの言葉を受けて、一桜が口を開く。
「えっと、まずこのゾンビについて見解があります、と」
「へぇー、なにか知ってるんだぁ詳しく聞くよぉ」
「まずゾンビは人間の体液を侵食していく術で出来上がるのが普通なんだそうです」
「ウィルス的なものー?」
「そうそう、私もそれ思いました、でもウィルスって説明できなくって」
中村は少し考えたあと。
「目に見えない程小さな寄生虫が、増殖して宿主を乗っ取る感じのイメージかなぁ」
それを一桜がクエスに伝えると、なんとなくそんな感じで大丈夫だと、共通認識を示した。
「で、そのウィルスは、人間の体液を媒介して脳まで届くと、生存と本能を司る部分だけを残して食べてしまうんです」
「へぇーそれで?」
「残った本能の食欲で食べ物を探し、種の保存のために仲間を増やそうとするようです」
「で、噛まれた人は唾液から血液へとウィルスが回り、ゾンビになるってスンポーなんだねぇ」
中村はまるで今まで語られてきたゾンビを踏襲するような会話の内容に、だるさを感じた。
こんな映画のようなよた話に付き合う気はなかった。
「そんなのみんなのイメージそのもので、新しい情報じゃないじゃーん、次は頭が弱点だとでも言い出す?」
ふて腐れたように言う中村にさらにクエスは続ける。
「ここからがその共通認識の外の話になるんだそうです」
一桜が訳すと、中村の目の色が変わった。
「ゾンビに成ってしまった死体を調べたところ、マーキュリ……えっと、体が硬直していたらしいんです」
「それは死後硬直じゃないかなぁ」
「他にも、足が紫色に変色していたらしいです」
「それは死斑だね、ゾンビは立っているのだから足に死斑がでてもおかしくはないだろうねぇ」
クエスも、彼女の世界のマーキュリーの祝福が、この世界の死後硬直の事。
パープルヘイトが死斑という現象で有ることを理解した。
その上で。
「でも普通のゾンビはウイルスに侵されていても血液が循環されているらしいです」
それを聞いて中村は。
「そっか、循環しているなら筋肉に乳酸は溜まらないから硬直もしないし、死斑もでるはずもないねぇ」
言葉はまだ緩い感じだったが、中村の気配が明らかに変わった。
「つまり、これは普通のゾンビではなく、完全なる死体を無理矢理動かしている別の法則があるって事なんだねぇ」
「中村さんからみて、不思議なことありませんでした?」
そう言われて中村は、その額に小さな汗をかいた。
「あるのはあるんだよねぇ……」
そして、おもむろにズボンを降ろした。
「きゃーーー!!」
いきなりの行動に一桜は対応できず、ただ目を手で押さえて叫ぶ。
「いやいやぁ、見てくれよぉ」
「見るわけないでしょ!」
「違うよー、足だよぉ」
一桜がこっそり目の間から彼の脚を見ると、中村の腿にはしっかりと歯形が付いていた。
「いつか、ゾンビになるんじゃないかと思って怖かったんだぁ」
その口調からは想像できない程の恐怖を感じていたのだろう、少し唇が震えている。
先程からイライラしたり、興味を持ったり情緒が不安定だったのも頷ける。
「これはいつの傷?」
「2日前、ここにくる直前かなぁ」
クエスはその傷を見ると言った。
「普通のゾンビだったなら、とっくにこいつもゾンビになっているのだ」
一桜が訳すと、ズボンを下げたまま中村は尻餅を付いた。
「この事実を皆さんに伝えておいた方がいいかもしれませんね」
「ですねー、みんな少しは安心するかもしれないですねぇ」
中村は大きく頷き立ち上がる。
「ズボンははくのだぞ」
クエスがそう言うが、訳す前に中村は突っかかりながら部屋を出ていってしまった。
「やれやれ、慌ただしい奴だ。しかし、共通認識ができるくらいの知識を持った奴でよかった」
「さすがお医者さんの卵ですね」
「なに、あれは医者なのか? 私は術師だと聞いていたが?」
研修医という言葉がいまいち伝わって居なかったのだろう。
「うん、手術とかするから術師かなと思って」
ため息を付きながら部屋に戻るクエスを、慌てて追いかける一桜。
「えっ? 何か違った?」




