19話『新たなる怨恨』
────古沢は、今年ようやく陸上自衛隊の三等陸尉まで昇進した。
あまり上司と折り合いの良いほうではなかったが、実直かつ丁寧な仕事振りで、後輩には慕われていた。
三等陸尉と言えば、小隊を任されることもある、いわゆる最初の責任職だ。
ゾンビなど、初めて聞いたときは今日がエイプリルフールだったかとカレンダーを確認したほどだったが、実際に現地に派遣されてようやく現実になった。
彼のチームは、彼を中心として目覚ましい働きを上げた。
住民を助け、ゾンビを葬る。
彼のチームはお互いに支え合い、精神的に強く、逃げ出すものは一人もいなかった。
そんな折、一人の年配男性のゾンビが、彼らが守る前線に現れた。
武器を持つゾンビなど初めてだったが、油断なく銃を向けた。
しかし、そのゾンビは体を屈めてその弾を避けたのだ。
「つまづいただけか?」
隊員は改めてもう2発、ゾンビの眉間と胸を狙って発射した。
コロラド撃ちと言って、敵を的確に仕留める撃ち方だ。
しかし、それも横に移動することによって躱した。
「えっ?」
それがその隊員の最後の言葉になる。
断末魔をあげることもなく、首から上が失くなったからだ。
それからは地獄だった。
古沢が事態を把握した頃には半数。
「撤収!」
後退が完了した頃には、古沢と藤代を含む3人しか残っていなかった。
命からがら本隊へ合流、報告を済ますと前線を外された。
比較的安全な地域の避難者を、感染区域外へ誘導しろという命令だ。
こうして彼は、復讐の機会を失っていた……
「俺はあのゾンビを許すことはできない。君に恨まれるのを覚悟で、隊員たちの無念を晴らしたいと思っているんだ」
身内に伝えることは、彼なりのけじめだったのかもしれない。
しかし、それ以上の決意を持った瞳で、古沢の目を見ながら、一桜は宣言した。
「私も、父の手が血で汚れていくのを見たくありません、父は私の手で止めます」
誰からも慕われ、慎ましやかな生活をしてきた父が、死して尚人の怨みを買うのがどうしても許せなかった。
その決意を汲み取り、古沢は他の隊員に向け命令を下す。
「藤代、滝、お前らは私に付いてこなくてもいい、本部に戻り私は行方不明になったと伝えてくれ」
二人は顔を見合わせると、苦笑する。
「水くさいですよ先輩、仲間を殺られたのは私も同じなんですよ?」
「俺も行く」
藤代はそんな黒い感情があるとは思えないほどあっけらかんと話す。滝と呼ばれた隊員もそれに続いた。
「そうか、俺のわがままに付き合ってくれるか」
「先輩に付いていくのは、私のわがままですから」
藤代は少し意地悪そうに微笑んで見せた。栗毛が迷彩の緑に映えて綺麗になびいている。
明朗快活、昨今の男性であれば心がときめいてしまいそうな性格だ。
「ありがとう、では、我が小隊は単独行動に移る」
古沢はそう発言すると、一桜の方を向き直る。
「君が手助けしてくれるなら、私怨は捨てる。冷静に脅威の排除を目的とした作戦行動を取る」
一桜は頷いた。
恨まれたまま殺されるのは、あんな状態でも不憫でならない。
自衛隊と自分が、父があらたな犠牲者を産み出さないために手を取るという、共通目的を描いていると確信できた。
「判りました、きっとまた私に会いに来る筈です」
本当はたぶん、クエスに会いに来るのだとは思うが、クエスの出自に関わる問題になるので敢えて伏せておいた。
と、ちらっとクエスの事を考えたからだろう。
古沢が口を開いた。
「ところで、クエスさんはまだ小学生くらいだが、巻き込んでしまって良いのだろうか?」
本当は一番渦中の人間なんだが。
「はい、彼女はこう見えてゾンビについて詳しいので、的確なアドバイスをくれるんです」
「そうなのか、自分もゾンビについてわからない事が多すぎて、対処に困っているのだ」
古沢の発言に、待っていたかのように一桜が反応する。
「じゃあ、情報交換しましょう」
一桜の提案に、皆が少し明るくなった。
しっかりしているようで、みな不安だったのだろう。
「まず前提として、あれはゾンビじゃないんです」
一桜のこの発言は、自衛隊にとっては衝撃だったらしい。
しかし、脳を破壊しても止まらないことや、動きの早いものがいること、噛まれても発症しない事象など、ゾンビとは違うという話は出ていたため、みんな食い入るように聞いていた。
「ただ、感染の条件が判ってないんです」
簡単なあらましのあとに一桜が残念そうにそう伝えた。
「ここまで情報を開示してくれたのだ、こちらからも極秘情報を共有しておきたい」
一桜はごくりと唾を飲み込んだ。
「感染の経路だが、唾液や血液感染は見られなかった。ただ共通していたのは、かなり怪我の深い者が感染し、怪我が浅いものは感染しないと言うことだ」
古沢はここで一度話を止めた。
伝えるか伝えないか一瞬迷ったように感じた。
「これはまだ確定の話ではなく、推測の段階に過ぎないのだが、ゾンビが噛みついた部位が、骨にまで達した者が、次のゾンビになっているという仮説が上がっている」
クエスはこのゾンビ……いやスケルトンを、骨の呪いの魔法だと表現した。
普通のゾンビが体液で感染するなら、スケルトンは骨や歯で感染するのかもしれない。
「それは……可能性が高いように思えます」
神妙な顔で答える一桜に、現場にいて肌でそれを感じていた隊員は、確信に近いものを得ていた。
「この事だけでも本部に報告しておいた方がいいんじゃないでしょうか?」
横から藤代が提案する。
「実はこの話は上層部のものは知っている。しかし、まだ隊員に通達がないというのは、何かしら考えがあるのだろう」
もしくは、オカルト的な事象に対して、納得がいっていないだけなのかもしれないが。
「しかし前線では未だ、怪我をしただけで処分される隊員も多く居ると聞きます、噛まれただけでは感染しないと、それだけでも……」
食い下がる部下を手で制して古沢が言う。
「これはあくまで推論だ。俺たちは専門家ではない、もし見当外れの意見であれば、より多くの人を危険に晒すかもしれないんだ」
その言葉に藤代は口をつぐむ。
「その専門家だったら、そこに寝てます。あとでこの話をしてみて意見を聞きましょう」
一桜は不安にならないように努めて明るく希望を提示しながら、小さな寝息を立てて眠っているクエスを見た。
思えばこの小さな少女は、戦いの世界で生きてきた。
一桜の家に自衛隊が避難を呼び掛けに来たときも、自分より先に目が覚めていたのを思い出す。
寝ているときも警戒を緩める事はない筈なのだ。
しかし、こうして起きない姿を見ると、魔法がいかに彼女の体力を奪うものなのかを感じる。
そして先の戦いで、無理をさせた事を恥じていた。
自分がもっと強ければ。
それは力や技だけでなく、心も強くなければならないと言う意味。
父と戦う、その心に揺らぎはなかった。




