1.怪しい屋台でスカウトされました
私の生活はある一点を除けばものすごく平和だった。
通勤は遠いけど始発だから座れる駅から電車で1時間。
駅までは徒歩10分くらい。
9時から18時まで残業無し土日休みの職場はお給料は安いけど、実家だからなんとか貯金もできている。
平和すぎて何もないのが欠点だった。
朝起きて混む駅まではゲーム。電車が混みだしたらネット小説やニュースを読む。
ゲームは無課金派。課金はスタンプくらい。
電話としても結構使っているので格安スマホにはしていない。
外食が充実しているタイプのオフィス街なのでランチは外食とお弁当が半々。
外食はSNS映え重視で選ぶことが多い。
一人暮しが必要な距離の大学に通って地元に帰って就職したので学生時代の友人との繋がりはほぼSNSだ。
地元の友達も遠くに就職したり通勤に便利な町でひとり暮らしを始めたりとやはりネットで交流が中心なので、ついリアルが充実している風の写真を撮っては上げてしまうのだ。
習い事をしたこともあったが帰宅が遅くなるので親がいい顔をせず、土日を潰す程やりたくもなかったので今は何も習っていない。
そんなわけで仕事が終われば即帰宅。
おやつを食べてもいい職場なのでちょっとお腹は空くけど自宅まで我慢できる。
趣味は読書とハンドクラフト全般。
家に帰ったら寝るまでだいたいどちらかで時間を潰している。
アクセサリー製作はキットを買ったり教本を見てそのまま作るので売る事はないが、完成品は家族が遊びに来た親戚や友達などにあげたりする事がある。
気に入った物でも居間に置いておくとなくなってしまう事があるので油断できない。
あとは通販の毎月届くキットとか週刊でマスコットを作るヤツとかを気に入ったら買う。
これも貯まったら適当に親が処分してくれる。
とにかく平和だけど地味な生活を私は送っていた。
あの日までは。
その日は会社の飲み会だった。
普通の居酒屋の飲み放題コースで、たばこの煙りから逃げつつお酌をして回る。
平均年齢が高いおっさんばっかの事務所で今時どこの昭和だよって風習が残っているけど、そんなものだと思っている。
それも込みで雇われている若い雑用係のOLなので今日の会費は無料だし。
怒る人なら怒るんたろうけど、意識低い系女子なので全然気にしていない。
ハメを外すよりは気遣いで疲れるだけなので、親が心配するからと二次会を断って家に帰った。
その途中で漫画みたいな屋台に出会ったのだ。
赤い暖簾のかかった3~4人くらいで満員になりそうな車輪付きの屋台である。
子供の頃から住んでいる町だけどこんな屋台を見るのははじめてだった。
飲み足りないし席も空いているようだったので私は屋台の暖簾をくぐる。
「へい。らっしゃい」
黒いTシャツに白いタオルをハチマキにした親父がそこにいた。
日に焼けた肌のマッチョマンだった。
「ぬる燗とおでんをセットで1000円分くらい」
「あいよ」
私は食べ物の好き嫌いやアレルギーが特に無いのでこんな時は「おまかせ」にする。
今のところ大ハズレはない。
しかし、今回は見たこともないおでんの具が出ていて焦った。
卵は緑だし、大根が紫だし、コンニャクがオレンジだ。
出汁が透明なのでとにかく具の色が映える。
唯一トマトだけが普通にトマトだった。
でもトマトはおでんに入りますか?
これは初めての大ハズレかもしれない。
「珍しいだろ?でも美味いぜ」
隣の席にいたスーツマンが言う。
顔が濃くて目も薄い茶色なので外国人っぽいけど言葉は普通に日本語だ。
意を決して私はイタリアントマトっぽい長細いトマトをかじった。
これはトマトじゃない。
一口目はトマトではなかった事に対してちょっと拒絶反応を起こしたが、改めてもう一口食べると美味しかった。
ナスの味?そういえばトマトって赤ナスと呼ばれていたと聞いたことがあるので、そう言う品種なのかもしれない。
卵もニワトリじゃなかったけど、フワフワのトロトロでかなり美味しい。
コンニャクはまぁ、コンニャクだった。
大根は大根じゃなくてカブっぽい。
コンソメ系のスープが染みて美味しいけと、このコンソメもなんか牛豚鶏ではない肉の風味がある。
どことなく野生っぽいのでジビエ系かもしれない。
「美味しかったか?」
「はい」
スーツマンに問われて私は頷いた。
その後は店の親父に「今日は俺のおごりだ」と言われ、最終的に酩酊状態になり気付くと靴のまま自分の部屋の床に寝ていた。
財布からは万札が1枚消え、代わりにどこかの会員カードが入っていた。
それとお札の束。
どうやら酔っ払った後、私は何か怪しい買い物をしたらしい。
変な宗教とかだったらどうしよう?
とにかく昨晩の事を必死で思い出す。
このお札を確かドアに貼って…何だっけ?
私はメモ帳のように上で止めれているお札を1枚ちぎるとドアに張り付けた。
「うわっ光った!」
ドアが一瞬光った。
そして目の前のドアを開けるとそこにうちの廊下はなく、異世界が広がっていた。
空は薄紫で通りを行く人の服がファンタジーだ。
慌てて私は扉を閉めた。
すると先程のお札が真っ白になって剥がれ落ち、床に落ちる前に溶けるように消えてしまった。
思い出した。このお札は『転移装置』だ。
窓や扉に貼ると1回だけ異世界に繋がるのだ。
逆に異世界でこれを使うと元の世界に帰れる。
昨日の私はそうやって自分の部屋に戻ったのだ。
「それで靴を履いたままだったのか…」
独り言で納得した後、私はシャワーを浴びるために靴と着替えを持って階段を降りた。