表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/10

Inning6 森里由香子はバカの首級を挙げたい

※作中に社会人野球や独立リーグに関する記述がありますが決して作者はプロ野球やメジャーリーグが社会人野球や独立リーグの上にあると思っているわけではありません。

一般的にピラミッド構造になっている野球界に関する会話をすればこんな感じになるだろうという表現の結果こうなりました。

社会人野球や独立リーグの関係者の方で気分を害された方おられましたら申し訳ありません。

2年ぶりに会う森里さんは更に美人になっていた。高校時代はあまり私服姿を見たことはなかったが、白いトップスに明るいジーンズ姿の彼女はとても決まっていた。

ゆっくりと歩く姿も様になる。俺たちの対面に座ると彼女は悠然と腰を下ろした。


「今日は時間とってくれてありがとう森里さん。忙しいだろうに」

俺は早速時間をとってもらった礼を述べる。俺には社会常識があるのだ。隣のバカとは違う。

「いえ気にしないで三ツ谷君。今日は特に何もなかったから」

そう言ってから彼女はタツミの方を見る。

タツミのほうはというと――こいつ、頬杖ついて知らん顔してやがる・・・・

マジで挨拶や交渉事は俺に全部投げる気か?

思い切りバカヤローの背中をつねってやる。

「――ボォェ!!!!いってええ!!?なにすっだてめえ!!」


「なにすっだじゃねえ!挨拶ぐらいしろやボケェ!」

こんな態度が通用するのは戦国武将だけで勿論こいつは戦国武将ではないし当然俺もその家臣ではない。俺の抗議と怒りは正当なものだった。

暫し難色を示していたタツミも渋々といった様子で第一声を発する。

「久しぶりだな、ゆかこ。化粧はもっと薄いほうがいいぞ」

今度は思い切り頭をはたいてやる。力の限り。これでバカが治ればいいのになあ。

「そのコントも久しぶりね」

森里さんは呆れたような顔をしながらも微笑んでいたように見えた。


「ご歓談の途中で失礼しますね。御膳をお持ちしました」

春子さんと幸田さんが昼食のお膳をもって来てくれた。

俺は遠慮したのだが、会う約束を取り付ける際に昼食もご馳走してくれると彼女は言っていたので俺たちはランチを取らずにやってきた。よって空腹である。

叔母さんたちに対しては流石のタツミも素直に礼を述べていた。

「ごゆっくりしていってくださいね」

至れり尽くせりである。

卓には色とりどりの食事がずらっと並ぶ。じゃがいものそぼろ煮はカレーの味がかかっていて俺好みだ。筍のご飯も今年初めて食べた。コリコリとした食感が嬉しい。お味噌汁も時間をかけて出汁をとってあるんだろう。俺たちが普段食べているのとは比べものにならないくらい美味しい。こんなにアイデアに溢れてボリュームのあるメニューは久しぶりだ。



「わざわざ手料理を作ってくれたんだな。本当にありがとうな森里さん。美味しかったよ」

食べ終わり俺は丁重に礼を述べる。森里さんも料理を手伝ったそうだ。なるほど少し早めに到着したからちょっとドタバタしてたんだな。待ち合わせってのも大変だ。早く着きすぎても相手に気を遣わせるしな。

「ううん。これくらいいつものことだから」


隣のアホはまだ箸を手放さない。筍ご飯とそぼろ煮をお代わりしたからだ。ほんとよく食べるな最近。


「気に入ってくれたみたいねタツミ。美味しい?」

少し笑みを浮かべた森里さんがタツミに尋ねる。そう言えば森里さんからタツミに話し掛けるのは今日初めてじゃないだろうか。俺の背中に緊張が走る。頼む変なこと言うなよアホンダラ。

「うむ、なかなかウマイ」

よし普通に返した。

漸く2人がまともにコンタクトをとれたようでホッとする。やれやれだわ。








タツミが食い終わってお茶を啜っている。呑気なものだ。こっちは例の話題をどう持っていくか苦慮しているというのに。さてどう切り出したものだろうか?この話はぶつけてみないとどう転ぶかわからない。

「ところで今日ウチに来た用事は何かしら?野球のこととしか聞いてないけど」

まごついている間に早速本題が来た。タツミを見るがまだズズッと茶を啜ってやがる。畜生、俺がいくしかないのか。

まあ今日のこの場をセッティングしたのは俺だ。責任の半分は俺にある。

「そう、野球のことなんだけど俺たちに、いやこいつに野球の指導をしてやってくれないかな?」

手短にしかし緊張して早口になる。どうだろう伝わったかな?

森里さんの表情は動かない。しかし短い沈黙の後はっきりと答えが返ってきた。


「どういうことかしら?草野球の指導をしろ、というのなら申し訳ないけれどお断りするわ」


当然の回答だ。森里さんの大学と俺たちの大学は結構離れている。近いとは言えない。そうそう素人の俺たちのコーチを今をときめく女子大生の森里さんに頼むわけにはいかない。しかし――

「森里さん、実は」

俺が続けようとすると遮るようにタツミが説明を始めた。

「――ゆかこ。俺はな、決めたんだ。メジャーリーガーになるってな。もう一度俺に野球を教えてくれないか?」

――驚いた。タツミが森里さんにこんなに素直に頭を下げるとはな。昨夜はあんなに渋ってたのに。いやでももうちょいオブラートに包めよ。

しかし俺が感傷に浸る暇もなくもう静かにゴングは鳴っていた。

森里さんは基本は優しいが、こと野球と勉強に関しては鬼となる。ここからは下手なことを言えば「野球への侮辱」と受け止められかねない。

そうすでに森里さんの表情は氷のようになっていた。そうだよな、いきなりこんなことを言われたら俺でも冗談と受け取るか正気を疑う。

森里さんとタツミが見つめ合い重苦しい沈黙が続く。俺の胃が痛くなる。先に沈黙を破ったのは森里さんだった。

「冗談ではないみたいだけどあなた自分の高校時代の練習量と成績は覚えてるかしら?」

おそらく表情から本気度を読み取ってくれたんだろう。まともに話を聞いてくれる気にはなったようだ。しかしここからだ。彼女は高校時代の「選手タツミ」を知り尽くしている。どんなに平凡でそしてどれだけアホでマヌケかということも。

「もちろんだ。俺は自分の実力不足を認識した上で無茶を言ってることも自覚してる」

そう答えるタツミに森里さんは真っ直ぐと目を見つめ、しかし冷然と返してくる。

「そうね、無茶よ。野球というのはね、特に才能の世界よ。あなたが今まで漫然と過ごしてきた時間を同世代の才能ある選手たちがどれだけ努力してきたか分かる?それでもプロどころか社会人野球の選手にすらなれない人は山ほどいるわ」

森里さんはここまで言うと息継ぎをしてお茶を啜り更に続ける。

「諦めなさい。もうね、ゴールデンエイジは過ぎたのよ。例え今からあなたが猛練習して実力をつけたとしても独立リーグの選手が関の山だわ」

予想以上に辛辣な回答だった。

理屈で言えばそうかもしれない。諦めて勉強でもした方が今後のためになるんだろう。

「本当にそう思うか?お前のその予想、当たる保証はどこにもないだろ。俺は外れるほうに賭けるぜ?」

賭けるぜ?じゃねえ。しかしこのバカは簡単には折れない。口も減らない。この辺のメンタルはどこで買えるんだろう。

「俺はな、プロを目指す奴らやテレビの向こうの選手のことをどこか別の世界のことだと思ってたよ。この前までな。でもな、きっと違うんだわ。テレビの向こうの出来事は本当に起こってることだし、選手たちも俺たちと同じ人間なんだわ」

おそらくあの試合でのインタビューと球場での観客と選手の一体感を思い出してるんだろう。それくらいあのインタビューは人間くさく、球場での出来事は観客と選手の垣根を越えるような真に迫るものがあった。

「それにな、俺はもう傍観者でいるのは嫌なんだ。今のうちにやれることはやってみたい」

そう言って遠い目になる。

理論的では無かった。感傷的に過ぎないこんな言葉では大半の人を納得させることは出来ないだろう。でもタツミはタツミなりに投げられるだけのボールは投げたと思う。捕捉するように俺はここ一週間のタツミの努力を手短に出来るだけ伝わるように森里さんに説明した。

少しはこいつの熱意が伝わってくれただろうか。

腕組みをして眉根を寄せながら、しかし先ほどより柔らかいトーンで森里さんは尋ねた。

「努力すれば報われるとは限らないわよ。怪我だってするかもしれない」


「そうだな。でも何もせずに後悔したくないんだ」

森里さんの言葉にお決まりの、しかし意志のこもった声でタツミは答えた。

再び両者の視線が交差し沈黙の時間が訪れる。俺の胃はもう限界だが整理する時間は必要だ。

やがて森里さんが諦めたようにため息をつく。

「高校時代にそのセリフが聞きたかったわ。いくらでもしごいてあげたのに」


「あれでも手加減してたのか?流石メスゴリラだな」

バカが軽口を叩く。本当に失礼なバカだなこいつ。


「ねえ柔道習ってるって言ったわよね?少しだけ相手してくれない?そしたらコーチの話考えるわ。本当にあんたがどれだけ変わったのか試してみたいし」

あれ、森里さん怒ってる?これむっちゃしばかれるやつだよね多分。

「吠え面かくなよゆかこ」

ニヤリとアホがアホヅラで笑う。

オイオイオイ死ぬわコイツ。







この広い邸宅には道場なんてものも付いている。流石は武家の家系。

綺麗な板の床上に俺たちは柔らかいマットを敷いていく。木の板の上で組手をするのは危険極まりないからだ。

借りた道着が似合ってないタツミを見ながら俺は思う。このアホヅラも今日で見納めかな。ま、自業自得だよな。森里さんの武道の実力をこいつは忘れたんだろうか。俺は高校の授業で柔道の顧問教師を投げ飛ばしたのを見たことがある。


「お待たせ。準備してもらって悪いわねえ」

袴姿に着替えた森里さんが道場に来た。普段から着慣れているのだろう、隣のアホとは比べものにならないくらい堂に行っている。


「いやいやこれくらいは」

俺はここで前から思っていたことを尋ねてみる。

「ところで森里さんの流派って何て言うの?俺は合気道だと思ってたんだけど」


「森里流ね。戦国時代にうちの先祖が三方ヶ原で徳川兵を次々と討ち取ったのが由来よ」

あーあ死んだわこれ。さよならタツミ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ