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Inning5 女帝

神棚が飾られ壁には何本かの木刀や薙刀が立て掛けられている。

きっちりと磨き上げられ目の詰まった木の床は風格を感じさせる。

静謐を保つ道場に白目を向いて転がっているバカ1人。

俺はゆっくりと袴姿の女の子に頭を下げる。ごめんなさい。

この修羅の如く地獄のような光景はどうして生まれたのか?もし良かったら聞いてほしい。






柔道部の好意による特訓が始まってから一週間。

初日の練習の翌日は腰を中心とした全身の筋肉痛に俺たちは一日中呻いていた。

しかし人間の身体というのは順応するもので、練習を繰り返すごとに辛かった体幹トレーニングにも徐々に耐えられるようになり翌日の筋肉痛も和らいでいくようだった。それは一週間の練習でも少しずつだが感じられた。

また今井さんの提案した1日置きの日程は身体の休みを取るにはちょうど良かったようだ。

今日もバカは元気に今井さんに挑んでいく。

「ッシャアァァァァラァァァァァァ!!!」

ビッターン!!!!

威勢だけはいいがやはり瞬殺される。綺麗な払腰が入った。


休憩の合間に以前から疑問に思っていたことを藤村さんに尋ねる。

「今井さんは自分自身だけではなく、なぜこの部全体のレベルアップを図ったんですか?俺は柔道って個人競技だと思ってたんですが」

藤村さんはその疑問に笑いながら答えてくれた。

「それは違うぞ三ツ谷。今井さんは確かにこの部でも飛び抜けて強い。だがそんな強い今井さんが毎日弱い選手とばかり組み手をしていたらどうなる?」

なるほど、言いたいことはわかった。

「弱くなるでしょうね。練習にならない」


「そうだ。我々柔道家が最も多く対戦する相手、それは同じ道場に通う仲間なんだ」

己のレベルを上げるには同格以上の競い合う相手が必要だ。

強豪校が強い選手を掻き集める最大のメリットはそこにある、と藤村さんは言う。

「それにな、今井さんも言ってたよ。自分が責任を背負うことによって手に入れた強さもあった、とね。それはまだまだ俺なんぞには分からないが」

藤村さんが今日も無謀な挑戦を繰り返すバカ野郎に視線を向ける。

「彼も今井さんから何かを学べるといいな」

藤村さんがタツミに向ける眼差しはいつも期待の目であった。







「森里さんだよタツミ」

その日の夕食の席で俺はある一つの提案をした。最近では練習の後こいつのアパートで一緒に夕食をとるのが習慣になっている。なるべく体に良いものを選んでいるつもりだ。

俺の提案に対し食事の手を止めタツミが露骨に顔を顰める。

「いやいや、そんな嫌そうな顔するなよ。俺たちのマネージャーだろ」

バカはどっかと床に寝転がるとジタバタして叫んだ。

「嫌だ!俺はあいつに会いたくない!ヤツに会うくらいなら俺はネギ納豆を食って自害する道を選ぶ」

全くこのクソガキが。

「お前言ったよなあ?メジャーリーガーになりたいって。なら絶対に会っとくべきだって。分かってんだろ?」

俺は駄々をこねるバカを呆れた目で見つめ無視できない事実を突き付けてやる。

「あの子のお兄さんは社会人野球の選手なんだから」


森里由香子――

高校時代の俺たちの野球部マネージャーにして生徒会長。通称「鉄の女」。

そのあだ名は生徒会を運営する傍らでマネージャー業と野球の指導をこなす辣腕ぶりからそう呼ばれた。

社会人野球の選手を兄に持つ影響からかは分からないが彼女の野球部への情熱は並々ではなく、やる気のない顧問教師に代わって練習メニューを組み、自らノックまでも行い最後の夏の大会の指揮を執ったのも実質彼女であった。

練習中時折プレーを見せることもあったが、もしかすると彼女の野球の実力は俺たちより上かもしれなかった。

俺たちは現在柔道部で体幹を鍛えているが久しく野球の練習をしていない。何か野球に関する技術的なアドバイスを貰えないかと俺は高校時代のツテを辿り森里さんに会う約束を取り付けたのだった。

彼女は気前よく明日の土曜日に会う約束をしてくれた。流石は元生徒会長だ。


「とにかく明日会いにいくぞ。アポはもうとってあるから」


「余計なことを・・・」

チッ、と舌を鳴らしバカは踏ん反り返る。殴っていいかな?

彼女は「怖い」が面倒見はいい。無下にされることはないだろう。







乗り換え含め7駅分。それが俺たちが高校時代までを過ごした故郷と現在住まうアパートとの距離だった。正月以来の帰省だ。

しかし今日は真っ直ぐ家には向かわない。

目指すは件の森里嬢の邸宅だ。


「さて久々の我らがマネージャーとの再会だなタツミ」


「うれしくねえんだよ!」


眉根を寄せ心底嫌そうに答える。このバカは昨夜からこの調子だった。

何しろ3年間で森里マネージャーに一番怒られたのはこいつだろう。

こいつは野球に対しては不真面目という訳ではないのだが何しろバカだ。いろいろ悪戯をやらかした。

特に思い出深いのは公式戦で相手校の組む円陣にこのアホヅラが加わっていた時である。俺たち部員は笑わせて貰ったが、森里嬢はタツミを睨みつけ般若の如き形相になっていた。後で何があったかは言うまでもない。


「わざわざ年頃の女の子が土曜日の予定を空けてくれたんだぞ?もっと意気に感じろよ」


「フン!あんなメスゴリラに予定なんかあるかよお!」


「お前なあ・・・・森里さんはもてるんだぞ、知らんのか」


そう、このバカはメスゴリラなんて陰口を叩くが森里さんはもてる。

女性にしては背が高いがそれはスタイルが良いと言い換えられる。

やや吊り目ではあるが顔立ちは美人の類である。

成績も優秀で現在は誰でも聞いたことのある都内の女子大に自宅から通っている。

こいつは我らが元マネージャーの存在にもっと感謝すべきなのだ。


「着いたらきちんと礼を言って挨拶するんだぞタツミ」


俺の諫言にタツミはふん、と鼻を鳴らす。クッソガキめ。誰かちゃんと躾けとけよ。


森里さんの自宅は何度か俺たちも行ったことがあるので知っている。なんと武家の家系だとかでなかなかの豪邸だ。

駅から5分ほど歩いたところに和風の大きな邸宅が見えてきた。

大きな門の前に辿り着くと俺は「森里」と書かれた立派な表札の下のインターホンを押す。

「はーい」

年配の女性の声が応答してくれたのでふくれっ面を見せるバカを無視して俺が答える。

「こんにちは。僕たちは由香子さんと本日会う約束をしていた三ツ谷と道免といいます」


そう言うと嬉しそうな年配女性の答えが返ってきた。

「あらあら、わざわざ来てくださったのね。由香子ーお友達ですよー」

インターホンの向こうからバタバタとした音が聞こえてくる。暫くすると今度は聞き覚えのある若い女性の声で応答があった。


「こんにちは三ツ谷くん?久しぶりね。じゃあ入ってきて」

少しドタバタしてるようで、おや?と思ったが礼を述べて俺たちは自動で開いた門をくぐり玄関へと続く道を歩く。

久々に通る森里邸の庭は広く、元同級生の実家とはいえやはり緊張する。

さて隣のアホは、と言うとぼうっと森里家の池の鯉を眺めている。この辺のルーチンは相変わらずだ。俺はバカヤローを引き摺り先を進む。


「いらっしゃいませ。由香子のお友達ですね。私は叔母の春子です。こちらはお手伝いさんの幸田さんよ」

そう言ってやたらと上品そうな年配の女性と割烹着姿の幸田さんという女性が恭しくお辞儀をして出迎えてくれた。

俺はこの時点ですでに内心気圧されていたが隣のバカは別だった。


「あ、ちっす。ゆかこの元おなきゅうのどうめんとその忠実なる家臣のみつやです」


そう言ってふてぶてしく答えたので俺はバカヤローのケツに軽くローキックを食らわしてやる。

女性たちは上品にクスクスと笑っていた。






森里さんの叔母さんとお手伝いさんに長い廊下を案内され、客間らしいところに通される。


「ではごゆっくり。由香子にはすぐ来るように言っときますね。お茶はすぐに持ってきますので」


「あ、お構いなく」


そう言うと微笑みながら春子さんと幸田さんは退室していった。

手持ち無沙汰なので部屋を観察する。

広い。あの掛け軸も壺もいくらくらいするんだろう。

俺はやはり落ち着かない。

しかし横のタツミは立ち上がり何やらその高そうな壺を触ろうとしているので俺は手を掴みそれを止める。

「おとなしくしてろバカヤロー!」


「なんだとコラァ!」


タツミが胸を小突き反撃してきた。あわや摑み合いの喧嘩になりかけた所で襖を開ける気配がしたので向き直る。


「相変わらずね。二人とも。お変わりなくてなんだか嬉しいわ」


我らが偉大なるマネージャーにして生徒会長、森里由香子が開いた襖から悠然と俺たちの目の前に現れた。

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