海の風邪②
昼休みに入った。彼は今も保健室で眠っているだろう。
多少の冷やかしを受けながら廊下を歩き、裏庭のベンチに二人で座りお弁当を広げると、横から麗華にニヤニヤと見られる。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言い給えよ。」
「分かってるでしょー!あの先生も厭味ったらしいこと言うけど、それに対して真衣があんなふうに返すなんて、私ビックリしたんだから!ほーんと、藍沢君のことになると冷静になれないんだから。」
「分かってるよ。…ねえ、海には他に好きな子がいるんだって教えたでしょ?」
「ええ、そうね。」
「私のあの返答が噂になって耳にしたら、やっぱり誤解するかな?」
「さあ、どうでしょ。その子と藍沢君の関係によるんじゃない?」
「例えば?」
「とっても仲良しで、お互いに想い合ってることに気づいているとしたら、いい気はしないでしょう。でも、その女子が藍沢君のことを異性として恋愛対象と見ていなければ、まったく問題ないでしょうね。ま、私の予想だと、まったく問題ないでしょうしね。」
「なんで?」
「謎めきって、時に強いときめきを与えるものよ。」
「なにそれ」
「あなたって、強い度入りレンズの虫メガネでもかけてるのかしらってくらい、鈍感なのよね。そのくせ、人のためによく悩む。真衣が悩んだってしょうがないことにかまけてるくらいなら、自分でなんとかなる問題を片したほうが、最終的に真実に辿り着けることもあるってもんよ。妹ちゃんのことも、妹ちゃんがちゃんと解決するからさ。」
友人は時に難しいこという。
だが、彼女の聞いてもらうと気が楽になり、落ち着くのだから不思議だ。
あの件で追々海から恨まれることがあっても、今やるべきことに集中しなくては。
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午後に入ってから、予告通り海は早退していった。午前中いっぱいでも保健室にいたのなら出席扱いになるので、出席日数が気にかかる高校生にとっては最も気にかかることではある。
だが海の場合、病院に行きたがらない。
放っておくとかえって悪化して、連日休むことになり、元も子もない。
本人も分かっているのだろうし、私もなんとなく病院に行きたがらない海の気持ちも察するところがある。
保健室の先生がどこまで把握しているのかは分からないけれど、私に監視を求めたのはきっとそういうところをカバーしてほしいとのことだろう。
つまり、なにがあっても病院に連れていき、しっかり休ませよという圧だ。
幸いなことに私は帰宅部で学校が終わったらすぐに帰れる。
同じく帰宅部の麗華は茶道部に時々、指導役として頼まれることがあるがたまたま今日もその日だったらしく、私は麗華に挨拶をして帰ることにした。
道中、持ち合わせのお金で間に合う程度に、看病用の食材、ゼリーや水分、薬などを買って海の家に向かう。
道すがら海にラインで鍵をかけてるなら開けておいてと頼んだ。
インターホンを鳴らしてもいいのだが、寝込んでいたら聞こえないかもしれないし、急かしたくもない。
すぐに返事が来て、開けてあると書いていた。
私は「ありがと。勝手に入るから、少しでも眠って休んでて。」と返した。
ここで病院なんて言ったら、鍵を閉め直すだろう。
そう言えば。
海が小さい頃、同じように熱を出して倒れたことがあった。
あの時は海のお父さんが仕事で、代わりに隣のおばちゃんが看病しにいって。
私は気になって気になってお見舞いがてら看病のお手伝いと言っておばちゃんの助手になったっけ。
海は私は作ったおかゆを不審そうに見てから、恐る恐る口に運んで。
「意外に食べれる。」
なんて言って、黙々と食べていたっけ。
不安に想ってると、おばちゃんは「ちゃんと食べてるってことは、美味しいってことよ。」と頭を撫でてくれた。
そして、全快したあと、海は私にうずまきキャンディをくれたんだ。
ありがとうってメモを貼りつけて、照れ臭そうだった。
それから少しして成長していくと、海は弱ってる姿を見せまいとするようになった。
だから素直に鍵を開けていること自体が不思議だ。
保健の先生に言われたからなのか、でもそれほど素直だっただろうか。
小走りで坂道を上り一目散に海の家に上がり込む。
鍵が開いてるのも嘘かと思ったら、ちゃんと開いていた。
ほっとしつつ、海の家の冷蔵庫に食材を入れて保管しておく。失礼ながら覗くと、中身を空っぽだった。
もっと何か買っておけばよかったかな。と後悔しつつ、私は手を洗ってシンク下の収納からひとり用土鍋を取り出し、コンロにセットしておく。
おかゆは生米から作るのが本格的だが、私は炊き上がったごはんで作るのがガス代節約にもなって好きだ。
海のお父さんは料理が上手だし心配することはないけど、そのお父さんがいない今、海に食事を用意するのは私の役目。
そう思うと、何故かやる気がでてきた。
誰かの役に立てると思えるのが嬉しいのか、海の役に立てると思えるのが嬉しいのか。
ふと、過りそうになる虚しさを押し留めて私はお米を洗って炊飯器にセットした。
時刻は4時。
夜6時までの受付の病院があるから、そこに連れていくとして。
一応薬を用意してきたけど、できれば病院に行ってくれたら安心するんだけど。
海の様子を見に行くと、こちらの背を向けるようにして眠っている。
起こすのは忍びないと思いつつ、そっと近寄り覗き込んで、おでこに触れる。
手で触れても分かるくらいに熱い。
そのまま黙って部屋を見回す。
きちんと整理整頓されている様子は海らしいというか、変わらない。私の部屋のほうが大雑把で、なんとなく劣等感を感じるレベルだ。
ふと、海の机の上に視線が吸い込まれた。
この無機質というか、クールな色使いの部屋にそぐわない可愛い雰囲気の本。
見るからに絵本だ。しかも既視感のある。
足音がたたないように忍び足で近寄る。
『おかえりなさい』
そうだ。この本だ。
懐かしい。
なんだ、海も買ってたんだ。この絵本。
今はもう絶版になってるはず。
でもこの前、知らなかったって言ってたはず。どうして嘘吐いたんだろう。
絵本を持ってるって、恥ずかしくて言えなかったのかな。
私はその本を手に取ってパラパラめくる。
今も私の部屋の押し入れの奥に仕舞ってあるはずだ。
でも、懐かしいな。
そうそう優しい色使いで、悲しいシーンも中和されるんだ。男の子が旅にでて、女の子に出逢って、今の自分に必要だった答えが見つかるまでの……
ぺらぺらとめくる。
勢いよくめくれ、絵本の出版日を記載しているページが目に入る。
その下に、子供の字でたどたどしく落書きされている。
『ぼくはみゆがすき』
息が、ひゅっと音を立てて胸に詰まる。
やっぱり、妹のことを…。
でも、どうしてそれなら美結の告白を断ったの?どうして私に教えてくれないの?
震える手で本を置く。
何度も覚悟しないといけないと言い聞かせていたはず。
なのに、いざ本人の(子供のころとは言え)字で言葉で、それを知るのがこうも辛いなんて思っていなかった。教えてくれなくて良かったんだ…。じゃないときっと、本人の前で取り乱して、本心を隠せなくなってそばにいられなくなっていた。良かった。……良かった。
だから、止まれ。
無様に震える足も手も、込み上げてきたなんだか鼻がツンとするものも。
今は、海が元気になることに集中しないと。
ゆっくり足を忍ばせて、部屋から出る。
階下から炊飯器の炊き終わり音が聞こえてきた。
ふらふらと無意識にキッチンに行き、炊飯器から炊き立てのごはんを土鍋によそって沸かしておいたお湯をいれて火にかける。
既に炊かれたご飯はすぐにおかゆになり、ちょっと塩をひとつまみ。
飽きないように付け合わせを用意していく。まずは鮭。おかかに梅干し。
味噌汁も飲みたいときように味噌団子をつくっていく。色々な具材と味噌とダシの素を練り団子状にして、湯を入れれば即席の味噌汁になったり、おにぎりの具になるようにだ。あれば何かの足しになるかもしれないからね。
あとはどうしよう。
大根買っておいたんだ。
これをサイコロ状に切って、蜂蜜につけておく。大根と蜂蜜が喉によく効く。
白湯や水に入れてもいいし、そのまま食べても良い。
空気の入れ替えをして、湿気が大事。でも、加湿器がないからタオルを濡らしてハンガーで下げておこう。
こまめに取り換えられたらタオルで冷やすほうが気持ちいいけど、できそうにないから冷えピタに頼ろう。
買っておいて良かった。
あ、病院どうしよう。でも、折角眠ってるのに起こしたくない。
時刻は5時。
急げば間に合うけど。今の海の体力では無理かもしれない。
考えていると、背後から急に声を掛けられた。
「…真衣。」
「うわッ!!…ビックリした!!」
振り返ると、海が頭を掻きながらだるそうに立っていた。
やっぱりいつもより顔が赤い。
「わり、眠ってたわ。」
「うん、知ってる。無理に起こすこともないかと思って、そのままにしてたんだけど…どうする?病院。」
「行きたくない。」
「そう言うだろうとは思ってたけど。海は昔から虚弱なとこあるんだから、ちゃんと医師の診断を受けて、処方された薬飲んだほうがいいと思うんだけど?」
「寝てれば治るでしょ。」
「いつ?」
「二週間後?」
「いやに具体的だね。受付時間6時までなんだけど、急げる?」
「無理。」
「……それもそうなんだよなぁ。んー…明日、学校休んで病院行くって約束してくれる?」
「約束したくないものに、うんとは言えない。」
「うわー誠実ー。なのに子供みたいなこと言って。まあ、いいや。私のお気に入りの風邪薬買っておいたから。あとはのど飴と冷えピタね、あ、氷枕ある?」
「どっかにあるんじゃない?」
「よく倒れるんだから、自分の家に何があるかくらい把握しておいてよ。」
「どうした?」
「何が?」
「いや…あんま俺のほう見ないから」
「見えないかな、私料理して包丁使ってるんだけど。」
ちらりと海を見て以降、喋りながら料理を続けていた。無理矢理だったけど。
海をあまり見ないようにと、いい口実を見つけるためのことだったけど、それでも違和感があったらしい。
「調度いいや、おかゆできてるから食べて。味噌玉もあるから、味噌汁飲みたければ作るよ?」
「あ、ああ。ありがとう。」
無駄に青ネギを刻んでしまった。仕方ないから人参も刻んで出汁巻卵にいれよう。
冷蔵庫に入れておけば、海のお父さんも食べてくれるかもしれないし。
「今から出汁巻卵も作るから、食べれる?無理しなくていいからね。冷蔵庫に入れておけば、海のお父さんが食べてくれるかもしれないし。」
「食べる。」
おかゆを温め直し、お盆の上に載せていく。
「はい、先に食べてて。」
だから、あまり横にいないで。ずっと私の様子を見続けないで。
海は美結が好きだった。今はどうなのか知らない。でも、きっと私が振られたのは、その時の海の心には美結がいた。その事実だけでも辛い。
でも、それなら美結が海に告白したなら、受け容れるはずだ。どうして、美結は振られたと泣いていたのだろう。
そこでやっと私は、美結の想い人は海ではない別の人なのかと思い至る。
麗華に「まるで見えていない」と言われた由縁はここにあるの?
美結が断られた日、美結の頭を引き寄せて自分の肩に乗せて、まるで恋人みたいな仕草をしていた。
あれは。
「……海。」
もしかして、私に黙ってることあるでしょ?私の妹のこと好きだったんでしょ?美結に告白した?どうして私に黙ってるの?
そんなこと、口にできない。こんなセリフ、私は一体何様だ。
「ん?」
「…口に合うかな?」
「ああ。美味いよ。」
私は、良かったと呟いて手元に集中した。せめて作ると言ったものを作って、お暇しよう。
どうして、彼の事を好きになってしまったんだろう。
それなら、こんなに苦しくなんてないのに。
こんなことなら、近くにいなければよかった。