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蜂木トケンのファンタジー〜暴食〜  作者: 蜂木トケン
第一章 それを突き動かすは、衝動 
9/25

訪れた教導士 上


 少しだけ整理された室内に、羽ペンが奏でる四重奏が漂う。

 作業を始めるまで聞こえていた士徒達の喧騒は、鐘が鳴った途端、鳥が危険を察知したかのように静まり返り、今ではあの騒々しい雰囲気が嘘のような静けさが、学び舎を包んでいる。

 始業の鐘から随分と時間がたっていた。

 最初の作業の期限は、朝二限が始まるまで。

 残りの作業は三割強といったところだ。が、刻限を告げる無慈悲な宣告は完了を待ってはくれない。

 鐘のが鳴り響くのは、この線を引き終わった瞬間か、はたまた呼吸を三度繰り返した後か……。

 物思いに耽りながら火の一番、イグニスの紋章を書き終え羽ペンを持ち上げると、長机の前で待機していたアイリが、取り付けられていた額から羊皮紙を一枚一枚引き抜いていく。

 彼女が紙を入れ替えている間に、俺は三つのペン先をインクに漬けると、決して垂れることがないよう、入念にビンの淵で擦った。

 濡れ烏の三枚羽根は問題なく起動している。

 商品化された魔道具の動きにずれはなく、宙に舞う二つは、手に持つそれと同じ動きを寸分違わずに再現していた。

 十一度目の作業を始めようと、黒点を真っ新な大地に落としたその瞬間とき、ノックの音が来訪者の存在を知らせてきた。

 ザッと、突如生まれた音に眉を顰める。

 音の根源を辿れば、ソファの影へ飛び込んだアイリと、短仗を引き抜いたメイヤがそこに居た。

 いったい、何が起きているんだ。

 答えを求める意識が、僅かな軋みをあげて開くドアに吸い寄せられた。


「失礼する…………へ?」

「トナル導士、お久しぶりです」


 杖を突きつけ、突きつけられ固まる二人に先んじて、挨拶をする。

 彼は開かれているかすら定かではない糸目でこちらを見ると、驚き吊りあがっていた眉を下ろして、いつもと寸分違わない笑顔を浮かべた。


「やぁヴァシル君、元気そうで何よりだよ……それで、これは?」

「私にも分かりません――ねぇ、どうしたの二人とも?」


 ヒトが来ただけで、この過剰ともいえる反応。メイヤに至っては、前線の兵士もかくやといった動きだった。

 振り向きながら、俺は二人に問う。

 いそいそと短杖をホルダーにしまったメイヤは、火照った頬を両手で扇いだ。


「え? あ、あー……ちょっと腕が鈍ってないか、確認しようとしただけよ。気にしないで?」


 調子はずれな声で、見当違いの答えを返してきたメイヤに見切りを付ける。未だにスカートの裾を気にしているアイリは論外であるから、俺はトナルさんに会話の水を向けた。


「今日はどのようなご用件ですか?」

「実は、仕事の追加を、ね。可能かどうか……アイリスさんに聞きに来たんだ」


 真意が覗けない程、細い両目のトナルさんは、顔に笑みを張り付けて口籠る。

 僅かに持ち上がった眉が小刻みに震えていた。

 それを見た時、俺はトナルさんを通して、学園で幅を利かせているであろう人物に怒りを覚えた。


「差し出がましいようですが、嫌なことははっきりと断るべきだ、と私は思いますよ導士?」

「――! な、ぜそれを……?」


 驚く隙間から覗いた、この国では珍しい灼眼と目があう。

 持ち上がった眉を一度見ると、種明かしをしますね、と俺は口を開いた。


「――アイリから話を聴いた時に思ったんです。今頼まれている写本は導士が使うものですか? 違いますよね? あの本は理論学で使うような内容です。無いとは言い切れませんが、導士が担当する詠唱学で必要になるとは、思えなかったんです。ただ、それだけ……あぁ、後。導士、顔に出過ぎです」


 トナルさんは笑顔のまま、む、と唸り、何かを確かめるように頬や口元を触り始めた。

 彼の癖を知っている背後の二人が楽しげに小さな物音を立てる。

 メイヤに至っては、ふつふつと沸き上がってくる笑いを隠そうともしていなかった。

 さて、どうしてくれようか? と鎌首をもたげる感情を知覚しながら、言葉を選ぶ。


「それで導士? 相手は何処のどいつですか? 大体予想はついていますが、相手の人となりや素性を知らないと、何が有効打になるか分からないんです。教えてくれませんか?」


 彼が周囲から遠回りな嫌がらせを受けていることは、元々知っていた。

 それだけなら構わなかったが、こちらにまで飛び火してしまうのなら話は別だ。

 オトシマエをつけてもらわなければならない。

 ワンは、こういうことにはジンギ、義理が、トゥーヤはケジメが大事だと昔から言っていた。

 遠方から引き抜かれたトナルさんに、写本を良心的な金額で請け負ってくれる知人など、アイリ以外に居ないことを知っていて、それでもなお、そいつはあの仕事を投げたのだ。

 これまでの情報から察するに、依頼料も石像から溶け出る涙ほどしか受け取っていないのだろう。

 経過や思惑はこの際どうでもいいものとして、結果的に、アイリは泣いてしまうほど追い詰められた。

 それ相応の報復は覚悟してもらおう。


「どうしました、導士?」

「あ、あはっあはははは……」


 一向に返ってこない言葉を急かすように再び問いかける。彼を安心させるために笑顔を添えて。

 トナルさんは、先程よりも艶が増した肌で、聴きなれた笑い声をあげた。

 不意に外れた彼の視線を追って振り向けば、表情に影がさしたアイリに辿り着く。


「……? アイリ?」

「えっ?」


 声をかけると、彼女の表情にいつもの明るさが戻る。顔を上げた際に髪の隙間から見えた尖った耳が無性に気になった。


「……もしかして、さ……この話ってアイリも関係してるの?」


 固まった表情の中で、彼女の瞳と唇だけが僅かに震えた。


「それは…………」 


 これは、そういうことなんだろうか。

 外されてしまった視線を泳がせて、答えのない問いを反芻する。

 痛みを伴う沈黙に、一番最初に耐えられなくなったのは、俺だった。


「……俺は、アイリの助けになりたいって思ってるし、これからも、そうだと思う…………俺はアイリに返しきれない恩を受けてるんだ。あそこから掬い出してくれて、それだけじゃない。読み書き、知識、一門かぞく……やっぱり、貰ってばっかりの俺は頼りないかな?――」

「――ッ!」


 待て、違う。何を言っているんだ、俺は。

 アイリがやっと目を合わせてくれたが、見開かれた瞳は驚きに揺れるだけで、問いに答えてくれるわけではなかった。

 堰き止めきれない気持ちが、口から溢れ出してくる。


「――不安なんだ。もっと頼ってほしい、もっともっと、必要としてほしい……そうしたら、もっとずっと頑張るから、アイリを悲しませるヤツがいるなら、どんな手を、これを使ってでもっなんとかするからっ……だから……だから…………」


 捨てないで、の最後の言葉は声にならなかった。いつの間にか左手で触れていた眼帯の下だけではなく、右目も熱を持ち、眦に痛みを覚える。

 再び訪れた沈黙。

 それはとても重く、原因となった俺でも振り払うことは出来そうになかった。

 それを吹き飛ばすきっかけになったのが、短く息を吸い込む音。

 誰が発したのかもわからない音。

 何かに気が付いてしまったかのような、そんな音。

 それを皮切りに、今まで黙っていたメイヤとアイリが動いた。


「アンタそれ以上――」

「ヴァシルっあのね――」

「あぁぁぁぁああああぁぁぁぁっ!?」


 突如、背後でトナルが叫んだ。

 振り向くと、彼の瞳は外気に晒され、朱い光を放ちながら、こちらを真っ直ぐに見つめている。

 どうしたというのだろう。

 異様な気配を漂わせたトナルは、呆然と立ち尽くす俺達を気にすることもなく、実は前々から訊きたかったことがあるんだっと切り出した。


「ヴァシル君って魔導士ミスティル・ウルべニアの弟子なんだよね!?」


「あ゛?」

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