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蜂木トケンのファンタジー〜暴食〜  作者: 蜂木トケン
第一章 それを突き動かすは、衝動 
6/25

一日の終わり、ありふれた幸福

短いスタートダッシュ期間は、今回で終わりです。

次話は八日の土曜日、十時投稿となります。

 

 ついさっき増えた右太腿の違和感が嬉しい。

 ついつい手に取って眺めたいという欲求と闘いつつも、まな板とナイフで奏でる演奏を止めることはしない。

 スーリャ達の企みが成功した後、買い出しをしながら帰ってくれば、既に時刻は夕飯時一歩手前になっていた。

 釜戸があげる合いの手で拍子を取り、野菜を手頃な大きさに切っていく。

 ふと窓から外を見れば、他所の煙突が、忙しなく煙を吐き出していた。

 細切りのベーコンから焼けた合図を受けて、薄切りのオニオと乱切りのキャロルを同じ鍋に放り込む。

 具材を混ぜるヘラの操作を魔術に任せ、水を切ったトムトのへたを、一つ一つちぎり取って別の器に移していく。

 アイリとメイヤはまだ帰ってきていない。きっと彼女達は街灯が灯る頃に帰ってくるはずだ。

 今朝、今日は遅くなると言っていたから。

 下ごしらえが終わったトムトを素手で潰す。

 底の深い器の中で赤い皮が次々と破れ、瑞々しく、その中身をぶちまけていた。

 赤が弾ける様を見て、先程の報告を思い出す。


「……ワンが言っていたこと…………」


 贈り物を渡される前、ワンが読んでいた書類は、ただ、彼の手持ち無沙汰を紛らわすものではなかった。

 それも少し雲行きが怪しまれる内容だったのだから――


『……ヴァシル……オジキが探ってる件のことで報告がある』


 失敗してしまったパイプを何とか楽しもうと試行錯誤していたら、ワンが真剣な眼差しを向けてきた。

 ゆっくりと吐き出した煙が、徐々に下へと落ちていく。

 何があったのか、と視線を合わせれば、その直前まで部屋の中に満ちていた明るい空気が一転し、音が消えた中でワンが口を開く。


『実は――』


「旅行者の増加と、闇取引、ね……」


 彼から見せられた書類の内容は、ここ一、二週間に全ての門で出入りした旅人の人数と、過去の記録との比較。

 そして青空組から上がってきた騒動の詳細な報告書。

 確かにワンが言う通り、滞在者の数が多かった。昨年の記録と比べれば異状とも思える。だが、偶然だ、と言われてしまえばそれまでだ。

 でも、闇取引の件と合わせて考えるとまた違ってくる。

 単に取り締まりを失敗したというものだったが、重要なのは押し入った時に、構成員が被害にあった”目にも留まらぬ魔術”と、それを”無詠唱で放った複数人の術者”の部分。

 構成員が受けた傷の傷口はどれも小さく、それでいて肉を貫通するなど深いものばかりだと聞いた。

 俺もそんな魔術は知らない。

 それに無詠唱が出来る集団。

 無詠唱なんて高等技術、使えるのは一握りの才能ある魔術師だけ。

 そんなのが徒党を組んで南町に居る……。


「まぁトトさんが動いているらしいし、報告を待つしかないんだよね……」


 高位魔術師の集団は彼に任せて、俺は高速の魔術について調べよう。魔術大全に載っていればいいんだけど…………見たことはないんだよな。

 出来上がっていたトムトのペーストを鍋に流し込む。

 程なくして気泡が底から浮かび上がってきた。

 釜戸を弄り火の調整をしていたとき、玄関のドアが家族の帰りを知らせる。


「「ただいまー」」

「おかえりアイリ、メイヤ。もうすぐご飯できるから、それまでに湯浴みと着替え、済ませておいて」


 今朝より多い荷物を抱えた二人は思い思いの返事を返しながら、家の奥に入っていく。


「さて、パンを炙って、緑豆とケーンの塩茹でを作らないとね」


 思っていたより早く帰ってきた二人のために、手早く用意しなきゃ。


 ☆★☆★☆


「――でさぁ、そのときそいつはなんて言ったと思う? そんなものはあり得ないザマス。大体、既存の理論から外れているザマスよ? ですって、ばっっっっかだと思わない!? 証明出来ない時点で、そんなもん破綻してんのよ!」


 夕食は一門かぞくの時間の中で一番賑やかになる時だ。その日あったことを互いに共有して一門の絆を深める。

 小さなことだけど、こういうことの積み重なりが、他人の寄せ集めを一つの集団かぞくにまとめ上げるには必要だと思う。

 メイヤが時折、芝居がかった声を織り交ぜながら、いけ好かない導士の愚痴をこぼす。

 それをアイリと二人で笑い、時に窘めながら聞くのが、いつも繰り返される日常の一幕。

 ただ、今日はちょっとだけ、違った。


「――ちょっと! ヴ――「ねぇヴァー君それはどうしたの?」――るの、うん?」


 俺を咎めるメイヤの声を遮ったアイリの言葉。それは酷く平坦で、いつもの柔らかな人となりからは、到底、想像できないものだった。

 横を見たメイヤの笑顔が引きつる。

 対面から突き刺さる視線で右頬に余計な力が入り、肌に痛みが走った。


「す、少し転んだだけ――「ヴァー君?」――ごめんなさい、喧嘩しました」


 慌てて取り繕ったが、アイリの目は笑っていなかった。

 凄みの効いた声で念を押され、すぐさまに訂正する。

 アイリを本気で怒らせてはいけない。あのババアですら手に負えないのだから……。

 その後、アイリの咎める視線に促されて、今日あったことを包み隠さず話した。女性であることは伏せてだが。


「ヴァー君…………まさか……」

「大丈夫。アレは使ってないよ」


 応えながら顔の左側を隠す眼帯へ手をやる。

 世界に通じる残りの目が、物憂げに影を落としたアイリの顔を映した。

 しばしの間、言葉を探すような素振りを見せた彼女は、意を決したように顔を上げて言った。


「ヴァー君。いつも言っているけど――」

「魔法は大人になってからでしょ? 分かってるよ。これのおかげで前みたいなことにはならないし、使うつもりもないから」

「――そう……」

「…………」


 アイリの言葉を遮り、会話自体を終わらせる。

 ついさっきまであった温もりは、食卓の何処を探しても見つからなくなってしまった。

 そんな中、メイヤが視線を彷徨わせて落ち着かない素振りを見せる。


「んんっ……あーと、そう! 今日はヴァシルに渡したいものがあるの! ねっ? アイリ?」


 メイヤはアイリを席から立たせると、はっとなったアイリを引っ張って二階に上がっていった。


「はぁ…………なにやってんだかな……」


 詰まっていた息を吐き出し、イスに深くもたれた。

 どれほどの間、そうしていたのだろう。

 眼帯越しに暖かな存在を感じて、やるせない気持ちが溢れてくる。


「ありがとね……あんな言葉を使うつもりはなかったんだけど……さ」


 首を巡らすとそこには、心配そうに覗き込むロンメルが居た。

 白い毛が波打つ喉を撫でながら、鼻先についた赤い汁を布巾で拭う。

 綺麗に拭い終わると、ロンメルは俺の膝に顎を乗せて一息ついたように落ち着いた。

 ついさっきまで気にもならなかった隙間風がやけに耳につく。


「――ヴァシル?」


 呼びかけで、項垂れていた上体が跳ね上がる。

 目の前にはアイリとメイヤが揃って並んでいた。

 アイリの瞳は見開かれている。先程の痴態は余程滑稽に映ったことだろう。

 それを自覚した途端、頬の下で血液が暴れだした。

 その時、会話の糸口を探していた俺の目が、アイリが持っている紙の包みを見つける。


「それは……」


 何を意味するか、すぐに理解出来た。

 泳いだ右手が太腿にあるなめした革に触れる。


「今日、誕生日だよね…………ごめんなさい!」


 今度は俺が驚く番だった。

 勢いよく頭を下げたアイリの横で、メイヤも慌てふためいている。


「本当はヴァシルに心の底から喜んでほしかったのっなのに、私は……」


 顔を上げたアイリが紡ぐ言葉は、次第に尻すぼみになって最後は聞き取れなくなってしまう。

 震える眦は涙が溜まり、言葉を紡ごうとする口が何度も開閉を繰り返す。

 ついには影を落とし始める表情が、俺の心を締め付けた。

 そんな顔はして欲しくない。なら、やるべきことは一つだ。

 イスから立ち上がり、二人の前まで歩み寄る。


「謝るのは俺の方だよ。心配をかけて、不出来な生徒でごめん」

「そんなっ!?」


 反論の芽を摘むように、アイリの涙を掬う。揺れる彼女の瞳を離さないように、今度はしっかりと、真っ直ぐ見上げた。

 せっかく用意してもらったんだ、こんな空気は早々に消し去るべきだろう。


「ねぇ、これ、開けてもいい?」

「う、うん……」


 アイリが抱えていた物を受け取り、その場で包装を外した――


「これって……」


 ☆★☆★☆


「とてもよく似合ってるよっヴァシル!」


 先程までの空気は何処へやら、ウルべニア宅に明るいアイリの声が響く。

 あまりの変わりように、呆れたロンメルはテーブルの下で丸くなってしまった。こちらを見ようともしていない。


「ありがとう。大事にするよ」


 新しい外套の具合を確認したくて、その場でクルリと回る。

 広がる裾を気にしていると、にやけるのを我慢できていないメイヤと目があう。そこにはあまり良くない光が多分に含まれていた。


「何……?」

「いいえー? なんでもないわよ」


 んふふ、と流し目を送ってくるメイヤ。年上の女性特有の色気を醸し出すような仕草だが、俺より頭一つ小さい体躯のせいで、壊滅的に似合っていない。

 こちらを小馬鹿にしたようなメイヤの態度にアイリが咬みついた。


「なにさ、メイヤだって本当は嬉しいくせに大人ぶっちゃって」

「あっ!? それは言わない約束じゃない!」


 揶揄からかうアイリに慌てるメイヤ。

 二人がやいのやいの騒いでいる姿を見て、一先ず安心する。

 与えられ続けるこの幸福を、自ら壊したくない。そのためにも、もっと頭を使って上手く立ち回っていかないと……。

 奥底に渦巻く欲求を抑えるように眼帯の刺繍をなぞり、俺は、今夜の読書量を増やそうと決めた。

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