ヒトの闇、街の掃き溜め
「――ッ――!」
声を頼りに路地を突き進み、辿り着いた袋小路のどん詰まり。
「へへっこれから一緒に仲良くしようってのに暴れんじゃねぇよ。おい! ちゃんと押さえろ!」
そこに探していたものがあった。
くぐもった音を漏らして暴れるナニか。
それを三人の男達が、下卑た笑いを隠そうともせずに押さえ込んでいる。
その光景を見た途端、空気が熱を持ち、頬は粘度を感じた。
意識だけが突き進み、いけない、手足の動きはちぐはぐで、まずい、喉から熱いココロが迸りそうになる。
でも、こちらが有利になる要素を態々捨ててはいけない。
男達は目の前の獲物に夢中で、地面を蹴る音に気が付いてすらいないのだから。
ならば、この状況を利用するのが、ババァから教わった、数少ない作法の内の一つだ。
最初に、立って情事を覗き込んでいる男へ狙いをつける。
全力で動く手足を無理矢理捻じ伏せ、地面に突き立てた左足を軸に、右手に持った革袋へグラグラ煮え立つ怒りを託した。
つんのめる身体を制御し、息つく一瞬すら惜しんで、真っ直ぐ飛ぶ革袋を追いかける。
「お、俺にも回しておくれよ、にぃい゛ぇ゛あ゛!?」
放たれた凶器が、吸い込まれるように言葉を通す首へ到着した。
「「なっ!?」」
突然のことに驚いた二人は、身を投げ打つ男へ視線を送った。
こいつらの意識がこちらを向く前に、距離を詰める。
撒き散らされた銅貨に紛れながら、再び纏った速度を、女性に覆いかぶさる男へ譲り渡す。
「のぉ!?」
俺は吹き飛んだ男と入れ替わるように無防備な女性の前に立ち、残った男の左目へ、硬貨を握り締め色が変わった指を突き込み、生暖かい内側へひっかけ、そのまま顔を左側へ引き倒した。
「――ぃぎゃぁぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛!!」
ただでさえ狭い掃き溜めに、耳障りな叫びが反響する。
記憶に残る臭いは汚れ、目にした状況が、忘れかけていた衝動に拍車をかける。
ここに長く居てはいけない。
そう思い、男達から視線を切って、それらと女性を隔てるようにしゃがみこむ。
「お姉さん、立てますか? 出来ればすぐにでもここから離れ――」
事態の急変についていけないのか、年若い女性は目を白黒させている。
涙で濡れる双眸を覗き込み、努めて優しく語りかけていた。
その時、揺れていた瞳が見開かれる。
「――チィッ!」
咄嗟に彼女を抱き抱えその場から跳ぶ。
だが、背中に奔った熱が自らの失敗を如実に語っていた。
より遠くへ、と抱えた女性を放り投げる。
とても褒められた行為ではないが、こんな状況だ。許してほしい。
短い悲鳴を聞き流し、その場で方向を転換する。
そして振り返った先に居たのは、振り下ろした短剣を持ち上げる、吹き飛ばした男だった。
「最近の騎士様は、随分と小せぇんだなぁ、おい……どういう了見だ、ん?」
顔を上げた男の目に灯るのは、にちゃり、と粘つく光。
「どうもこうも、うら若き花が踏みにじられるのが、ただ我慢できなくて――ッ!?」
地面を踏みしめていた足腰から力が抜け落ちる。俺はそのまま地面に膝を着くようにして座り込んでしまった。
掲げた刃の向こうから油断なくこちらを見ていた男の目が愉悦で歪む。
背中に張り付いた熱が思考を焼き焦がし、身体に冷たい虚脱感が這い上がってくる。
クソっここでかッ!?
にちゃにちゃと近寄ってくる音に寒気を覚えつつ、もう一度魔術を行使しようと試みる。
「燃えよ肉叢、たかぶれ魂!」
「おほっ!? ……騎士の次は魔術師ごっこでちゅか? ん? でも、おかしいでちゅね~そんな詠唱きいたこともないでちゅし、その様子だと失敗しまちたか~ん~?」
俺の異変に気付き、危機感を脱ぎ捨てて近寄ってきた男は、魔力の乗っていない叫びに一度は驚いたものの、何も起きないと知ると、黒ずんだ笑みを更に深めて、俺の前にしゃがみこんだ。
右頬にチクリ、と痛みが生まれる。
ぼやけた冷たい剣に促されて、顔が上を向いた。
鼻が曲がるような吐息をかけられながら、視界一杯に広がるぎらついた目を睨みつける。
気を良くしたのか、男の目に浮かぶ色の粘性が増す。
「ほら、頑張れ、頑張れ。でも、そんなこと無駄だって分かってんだろ? お前はここで――」
たかぶれたかぶれたかぶれ昂れ、もえよもえよ燃えよもえよ燃えよ…………
「――オイ! アマァッ! 動くんじゃねぇぞっこいつを始末したら――」
男が顔を上げ、背後の女性を怒鳴りつける。
集中することによって背中と頬の熱が鋭さを増す。
燃えよ――
それすらも自分を高めるために利用して。
――肉叢――
身体に残っている魔力を絞り出す。
――昂れ――
凍えた身体に残る、僅かな灯火にガンガン薪をくべ、そして……
「――はオメェの番だァ! メチャクチャにしてやっ――」
【魂ぃぃぃいぃぃぃぃいいいい!!】
燃え上がった高揚感の赴くままに、頬に伸びる痛みも構わず、身体を反らし、額を男の顎に叩き込む!
「――ぐべぁっ!?」
頭突きの勢いそのままに、身体を折りたたみ、後ろへと跳ぶ。
飛び退った先で座り込んだ女性にぶつかってしまう。
彼女が何かを言いかけた気がしたが、同じ轍を二度も踏むわけにはいかない。
意識を男に戻すと、ヤツは仰け反った状態から上半身を元に戻したところだった。
畳みかけるなら、ここしかない。
「歯ぁ食いしばれぇぁぁぁぁああああ!」
「ぐぞがぁあ゛あ゛あ゛あ゛!」
身体を限界まで前傾させて、守るべき場所から飛び出す。
男は口を押さえながら、俺の顔へ目掛けて突きを繰り出した。
だが、腰は引けていて、突きというよりかは、短剣を空中に置いただけといったほうが正しい。
俺は顔を左にずらし、切っ先を通り過ぎる。
左足を地面に叩きつけ、それを基点に上体をめいいっぱい反らす。
反動や気迫、全てを乗せて振り上げた爪先が、狙い通り、柔らかい温もりに触れて――
「ぎゅぴっ!?!?!?」
――男に止めを刺した。
身体を捻って傾く男の下から逃れる。寄り添うように倒れた男は、白目を剥き、泡を吹きながら、小刻みに痙攣していた。
☆★☆★☆
「あ、あの……」
狭い空を見上げながら息を整えていると、頭上からかけられる震えた声。
首を巡らせてそちらを見れば、地面にぺたん、と腰を落とした町娘――の引き裂かれたスカートと、裂け目から覗く純白の布地が視界に飛び込んできた。
大慌てで立ち上がり、彼女の顔に視線を固定する。
僅かに見えてしまった豊かに実る果実がぼやけるように、彼女の眉間へ全神経を総動員する。
「だ、大丈夫ですか……? いや、すいません。配慮が足りませんで――」
ゆっくりと近づきながら、声をかけ、自分の不躾さを悔やん――
「ありがとうございまず!」
彼女の声と同時に襲いかかってきた甘い香りと感触で思考が搔き乱される。
た、たわ、たわわわわっ!?
腹部に感じる柔らかさに意識を持っていかれそうになっていると、彼女が震えていることに気付いてしまった。
「――っ」
口の中に血の味が広がる。
頬が引きつるのを堪えながら、そっと、そっと彼女のくすんだ金髪を撫でた。
「大丈夫……もう、大丈夫です。安心してください、大丈夫ですから――」
沁みこませるように大丈夫、大丈夫と繰り返す。
薄い胸板と荒い布地のシャツに湿った温もりを感じる。
彼女は、泪を流していた。
☆★☆★☆
しゃくりあげる音が小さくなった頃、前方で砂を踏む音が生まれる。
それを聞いてしまったのだろう、女性は酷く身体を強張らせた。
足音は三つに増え、歩みが駆け足に変わって近づいてくる。
どうやら助けが来たのだと、彼女は理解して、恐々と振り返った。
俺を抱く腕にとても強い力がこもる。
どこにそんなものを隠していたのか、と思ってしまうような腕力だったのだが、それも仕方がないだろう。だって――
「どうみても、カタギのヒトには見えないよね……」
髪型こそ違うものの、三人揃って同じ色の外套を着こみ、その下に見えるのは揃って逞しい筋肉、そしてどこかしらかには大きな傷跡をこさえている。
こんな人気のない場所で遭遇したら、大の大人だって泣き叫ぶような凶悪な容姿。
不安定な状態の彼女には刺激が強すぎる。
彼女は先程の言葉を理解しきれないのか、こちらを見上げる瞳には混乱の色が見て取れた。
「「「ヴァシルの旦那ァッお勤めお疲れ様でした!!!」」」
三人組は立ち止まると、一斉に膝に手をついて頭を下げ、大音量で空気を揺らした。
怯えで震えていた瞳が、はっきりと困惑の形に歪む。
「うん、ありがとう……まずは、外套、貸してくれるかな? あとは掃除もお願いね?」
「「「ウスッ!」」」
返事の後に男達はてきぱきと行動を開始した。二種類の足音が掃き溜めに生まれ、ついで麻袋を引き摺るような音がそれを追う。
震える肩に外套を掛ける優しさと、代わりにボタンを留める気遣い。
酒場にたむろしているような見た目。そんな彼らが作り出した光景とは容易に想像出来ない、規律の取れたワンシーンがそこにはあった。
「安心してくださいお姉さん。このヒト達は、良いヒトです」
サイズのあっていない空色の外套を、信じられないとばかりに見つめていた彼女と目が合う。
「…………あ、あなたは一体……?」
今一つはっきりとしない誰何の声に、なんて答えればいいのかと困ってしまう。
「あぁ――」
「旦那、カシラから急用があると言付かっています。馬車は穴蔵の入り口に……」
薄着の男から齎された囁きで、俺は答えを求めて閉じかけた瞼の動きを止めた。
頭の中にスッと差し込まれた言葉が、意識をガラリと入れ替えさせる。
「……分かった、すぐに行くよ。お前はこの方を送って差し上げて、あと二人は連れていくから」
命令を言い切る前に男は無言で頭を下げる。
俺は呆ける女性をその場に残し、片付けを終えて後ろに控えていた二人を伴って、その場を後にした。