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蜂木トケンのファンタジー〜暴食〜  作者: 蜂木トケン
第一章 それを突き動かすは、衝動 
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理を喰らう欲


 焦りと疲労、何よりも高所を走るという状況が、舌の動きを妨げる。

 ギルドが遠目に見えた。そう猶予がないことを悟り、諦念が詠唱の代わりに喉を灼く。


「スーリャッ到着したらすぐにアレを使う。絶対に俺から離れるな!」

「ハイ!」


 代償が怖い。まともに詠唱が出来ていないから、なおさら。

 下手をすれば大切な物を失うことになってしまう。それでもやるしかない。

 脳裏に映った彼女へ、もう何度目か分からない謝罪を繰り返す。

 これは、どうしようもない自分を詰る戒め。約束も守れない子供を縛る枷。それは……欲求を鎮める魔法の言葉。

 

「ごめんねアイリ」


 破砕と破裂が入り交じった音が聞こえる。それに耳を擽られて、知らずと胸が高鳴った。まるで獲物を前にした獣のように。


「アニキ、あそこが一番近いです!」


 ご馳走が近いと知って、継ぎ接ぎだらけの理性に綻びが生まれる。

 渇望していた刺激が、もうすぐそこにある――

 もはや約束など、どうでも良くなっていた。

 ――せっかくお膳立てしてもらったんだ――

 漏れ出た渇きが口の中を濡らす。

 ――無駄にしては勿体ない、だろう……。

 思考が……一つの色に塗り替えられた。

 降り注ぐ雨を背に、眼下の宴を俯瞰する。

 驚き目を見開く義弟と視線を交錯させ、俺は、会場に降り立った。


「総員ッ退避姿勢ッ!」

「ッ!? オメェらしゃがめぇぇぇぇッ!!」


 騒然とする場を、家族の声が突き抜けた。

 理性の欠片が喉を震わせる。


【――咎人よ】


 意識の制御下を離れた左手が、眼帯を引き剥がし、抑え付けられていた飢えを解き放った。

 身体から這い出た”黒”が、立ち尽くす敵めがけて飛び出す。

 白んだ視界の中で、最初の一人に”黒”が突き立つ。男は一度身体を震わせると、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 それが立て続けに三人。

 俺を中心にして広がる昏倒の波は、漲る魔力に比例して一度に飲み込む人数を増やし、最後は、その全てが逃げ出した一人に殺到した。

 枝葉のように増えた”黒”の一つが、しゃがみこむ男達に食指を向け――駄目だ。

 干上がりだした多幸感に、鉄の味をぶちまける。

 仲間には手を出させない……従え。オマエを御するのは、俺だ。


「――次」


 黒が引いていく中でトゥーヤを見つける。彼の瞳に理解の色が浮かんだ。


「兄ぃッこっちだ!」


 駆け出した彼を追う。途中で溜まったものを吐き捨てれば、鮮やかな赤が地面を汚した。

 それを見たのだろう、背後の駆け足が不安を伝えてくる。


「アニキ……血が……」

「口の中がズタズタだよ。あぁ、わざとだから気にしないで――トゥーヤ、敵の詳細な数は?」

「……分かんねぇ! だがぁ同じぐらいのが、あと五つだろぉよ」


 彼は水の礫を気にも留めずに白い歯を見せて笑った。

 耳元の唸り声が大きくなり、景色が線を引き始める。

 勢いに乗ったトゥーヤが、声を張り上げた。


「中央で曲がればすぐに奴らが見えるぁ! 背中からかませるぜぇ兄ぃ!」


 さも簡単なことのように言う彼は、一歩間違えば、あの戦闘も大惨事になったことを知らない。

 だが、最速で辿り着けるのはありがたかった。

 渇きを訴える舌が唇を這う。

 中央通りに差し掛かった。立ち止まるトゥーヤを置き去りに、スーリャと二人で乱戦に突撃する。

 部下に向けた彼の咆哮が俺達を追い抜く。たちどころに伏せた青に固まる敵。

 先程は気づけなかった統率の効いた動きに舌を巻きつつ、暴れる魔力を放つ。


「やれ!」


 悦びに打ち震える”黒”が、更なる獲物を求めて集団に襲いかかった。

 実態のない”それ”は敵を突き抜けるたびに、奪い取った魔力をこちらに流してくる。

 おかげで溢れる魔力が垂れ流しになっていた。

 なんて、贅沢な悩みだろう。魔力を使い切る手段が見つからない。だが、糧を魔術で消費するのは論外だ。

 まぁ、いいだろう。これはこれで――


「――気分がいい……行こう、次だ」


 あれ以来従順になった”黒”を引き戻し、呟く。もっと、もっとだ、まだまだ足りない。

 慌てる二人を置き去りにして飛ぶように走る。

 あちらから匂いがする。興味がそそられる、香りだ。

 空が光る。天の怒号と笑い声が混ざりあって、狭い路地裏を通り抜けていった。


 ☆★☆★☆


 五か所目。その最後の一人が、鈍い音を立てて顔を地面に打ち付けた。

 それを眺めていると、不満を露わにした”黒”が、濡れた肌を甘く噛んでくる。


「そっか……そういえば、東町にもいたね…………」


 忘れかけていた美味しい話に悦んでいると、前方に水音。

 顔を上げれば、行く手を塞ぐ大男がこちらを睨んでいた。


「……俺は今から東町の敵を掃除してくる。分かったら、そこをどけ」

「――お前は、何度同じことをやれば気が済むんだ? ったく…………」


 泣き止みつつある空の足元で、大袈裟な吐息が耳を擦る。

 募る不満を嫌味に変えて嗤えば、張り付いたシャツの下で、彼の身体が軋みを上げた。

 言葉を重ねるごとに、布地に男の感情が浮き彫りになっていく。

 いい年なのだから落ち着いてはどうか、組織の頭が前線に出てくるのはいかがなものか、お前に言われる筋合いはない、と止めどなく出てくる毒を聞いた男が不意に笑う。


「――何がおかしい」

「勘弁してくれよ、ヴァシル。魔術師じゃない俺が、お前とやるのはただでさえ骨が折れるんだ……それを理解していたから、そいつに言ったんじゃないか? 滅多に口にしない、命令を――」


 奪われるだけだった俺の背中に、温もりが与えられる。

 ぎゅうっと交差する手を避けるように、”黒”が両腕に密集した。


「アニキ……ごめんなさい。はぐれちゃった……絶対に離れるなって言われたのに…………」


 思いもしていなかったことに頬が、引き攣る。

 身体が冷え切っていたことを知らせる熱は、それでも、身体を突き動かす飢えを満たすことが出来ない。

 少しでも潤いを求めて自然に口が上を向く。

 あぁ、さっきまで気にするのが馬鹿になる程降っていたというのに、今はその一滴すら口にすることが、叶わない。

 高揚感すら伴っていた”食欲”が、両腕をチクチクと苛んだ。喉を鳴らして唇を揺らす。


「――スーリャ……趣味を教えて」


 渇きを他のもので満たすために、求める対象を彼女に挿げ替えた。スーリャには申し訳ないが、もう少し付き合ってもらおう。


「えぇっ!? え、えと……買い物、と、あと……新聞配達…………」


 背中の感触が、震えを含む答えをくれた。


「休みの日は何をしてるの?」


 従順な彼女に愛おしさを感じ、輪郭が朧げな”黒”が鎌首をもたげる。


「趣味だったり、あてもなく町をぶらぶらしたり……」

「買い物は何処に行って何を買うの?」


 薄い布越しに伝わってくる振動に気を良くしながら、矢継ぎ早に質問を繰り返す。


「東町で服……とか、出店の流行り物、とか……」

「好きな食べ物……どんな味付けが好み?」

「うぅ……甘い物、味が濃いのが好き……です」

「それじゃぁ――」


 お互いの体温が混ざりあい、不思議な充足感に欲求が微睡む。次が最後の問いだ。


「スーリャは好きなヒト――」

「――いるっます……誰かは、秘密。です…………」


 食い気味の答えが、身体の芯を揺らす。

 唇から思っていたよりも長い吐息が漏れた。

 ……よし、もう十分だ。

 ”黒”が居なくなった右手で、がっちりと組まれていた細腕を叩く。

 これは彼女の務めが終わったことの合図。

 スーリャが恐々と拘束を解いた。途端、背中の隙間に冷たい風が入り込む。

 このままでは風邪をひいてしまう、と寝込んでいる女性を思い浮かべながら振り返り、そして真っ赤になっている少女へ笑いかけた。


「ありがとう、スーリャ……おかげで落ち着いたよ。お礼と言っては何だけど、今度どこかで食事なんてどうかな? さっき聞いた場所とか気になるし、もちろんお代は俺持ちで」


 彼女の背後に集う大勢の仲間に気を取られながら、仕事に対する報酬の話をする。おい、見えているぞトゥーヤ。なんだその粘着質な笑い方は…………。

 スーリャは俺の言葉に驚いたようで、髪を頬に張り付けながら見上げてくる。


「ほ、ほんと? でも良いんですか、ちゃんと言いつけ守れなかったのに…………」

「心配しなくても大丈夫だよ。してもらいたかったことは出来――」

「――まぁまぁそこのお二人さん。続きは後にしないか? 俺は別段構わないんだが、このままだとみんな揃って床に伏せることになる。明日から仕事が回らない、なんて目も当てられない状況はごめんだぞ」

「いんやぁみんな熱に充てられて大丈夫かも知れねぇぜ。身体の芯までぽっかぽかだぁ」


 自分達が囲まれていることにやっと気が付いた彼女は、集まる血液の量を更に増やして後退る。


「ちゃ、茶化さないでっ! 居るなら居るって言ってよ、もう!」


 その時、火照るスーリャの頬に光が差す。

 周囲を照らす温もりに空を仰げば、分厚い雲に切れ間が出来て、一条のだいだいが顔を出していた。

 湿り気を吹き飛ばすような笑い声が辺りで爆発する。家族なかまの笑顔を見回して、ふと思う。

 今日のご飯、どうしよう。何も考えてないや、と。

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