砂糖菓子の君
「アイリッ――ぅも!?」
「おっと……これはこれは、可愛い騎士様の登場だよ。お姫様方?」
放たれた矢のように飛び込んだ俺は、視界いっぱいの黒に行く手を阻まれた。
頭上で奏でられる声が頭を包み込み、更なる圧力で顔が黒に沈みこむ。息、が……
呼吸を求めて暴れれば、熱を持った耳に艶やかな笑いと、嘆息する声が届いた。
「ローラ、うちのヴァカがごめんなさいね」
「ははっいいっていいって、それにこれだけ急いできてくれたんだ、いじましいじゃないか、労ってあげたらどうだい?」
メイヤが返した呆れが多分に含まれる声で、顔の拘束が解かれる。
取り急ぎ、新鮮な空気を臓腑に送り込むと、男物の靴が見えた。
スラッとした黒を辿って見上げれば、皺が目立つ山から顔を出した、太陽のような笑顔と目があう。
「やぁ、君がヴァシルくんだね? 話は聞いているよ。優しくて、可愛い、こまったさんってね」
たのしい、うれしい、と言葉の端々に漏らしながら、女性が、言った。
彼女が纏う白衣と、一つに結わえられた黒い尻尾が、それを表しているかのように揺れる。
すると彼女の向こうから、何か言いたげなムッとした熱気が上がった。
それに急き立てられて口が動く。
「は、初めまして。お……私は、二人の家でお世話になっている、ヴァシル、です。導士?」
上がってしまった語尾。俺の疑問を察した彼女の双眸が、さらに撓む。
「はじめまして。基礎医学を担当しているローラ・ススクドだ。学園の医師も兼任している。普段はここで体調不良の生徒を診たり、医術の研究をしているんだ。何か用があったら、いや、なくても来てくれて構わない。君のような元気のいいお客さんは大歓迎だよ」
目線を合わせてくれたススクド導士……導士ススクド…………ローラさんは、そう言って白い歯を輝かせた。
急接近する整った顔。視界をチラつく深い谷。
俺は右目が引力に逆うことにのみ思考を注ぎ込む。
視線を明け透けな麗人から外すと、部屋の奥に一つだけ、カーテンで遮られたベットが目に入った。
予想外のことで浮足立っていた心に鞭を打つ。これ以上、礼儀正しいヴァシルは、要らない。
「過労だよ。どうやらここ最近無理をし過ぎていたようだ。熱も出ているし。二、三日の休養が必要だね」
視線を遮るように黒が立つ。それを追って右目を上げれば、先程までとは全く違う。真剣な優しさが俺を見下ろしていた。
交錯する一対と一つの視線。最初にそれを外したのは、喜悦で弛んだ一対の瞳だった。
「さぁ、騎士君。君に姫の護送という重要な任務を与えよう」
胸を弾ませる女医が、演技がかった動きで道を開ける。
すると、閉じられたカーテンの向こうから、やっと終わったか、と言わんばかりにメイヤが顔を出した。
「学園長が馬車を用意してくださったの。アナタはそれを使って。アタシはアイリの代わりに授業に出るから」
目を伏せるメイヤを通り越して、アイリに近づく。
彼女は玉の汗を額に浮かべて、肩で息をしていた。
こみ上げてくる醜さを噛み殺し、アイリの手を取る。
火照りながら弱々しく握り返してきた感触で、思考がスッと静かになった。
嫌な、冷たさだ。だが、今は都合がいい。
アイリの両手を身体の前に組ませ、俺は立ち上がると、自分の身体を魔力で鎧う。
まだ魔力は回復しきっていないが、彼女を抱きかかえるくらいなら問題ない。
ほう、と上がった声には目もくれず、未だ座ったままのメイヤに声をかける。
「アイリのことは俺に任せて、ちゃんと看ておくから。メイヤは、メイヤにしか出来ないことをお願い」
「……言われなくたって分かっているわよ――」
そっちこそ、アタシには出来ないことをお願いね。
メイヤの言葉に頷き、ローラさんに黙礼して、部屋を出る。
確か、正面玄関に馬車が停まっていたはず。
両手が塞がった状態でドアを閉めることは叶わず、そのままにして、俺はもと来た廊下を駆けた。
☆★☆★☆
慣れていない小さな振動に揺られながら、うなされるアイリの額を撫でる。
熱く、じっとりと汗ばむそれは、タオルを持っていないことを、俺に悔やませた。
学園で用意された馬車は、普段使っているものと違って、揺れが少なく、座面も貴族街のパンのようで、落ち着かない。
あぁ、速く、早く、アイリを休ませてあげたい。叶うことなら、馬車なんてこの場で乗り捨てて、街を一直線に突っ切ることが出来るのに。
だが、無理をすることは、彼女が嫌がるだろう。
もどかしい気持ちが溢れそうになる。ここに誰の目もなくて良かった。
きっと俺は、今、とても情けない顔をしているから…………
「アイリ……」
どれほどの間、そうしていたのだろう。
時折、緩い浮遊感を覚えながらアイリを観察していると、進行方向へ向かって横に座っていた上体が、引っ張られた。
理解する間を置かずに、御者が小窓から顔を出す。
「到着いたしました」
散漫な意識を継ぎ合わせて詠唱と紡ぐ。
抱き上げたアイリの身体は馬車に乗る前より、重く感じた。
アイリがぶつからないように、御者が明けてくれた出入り口を通る。
「今日はありがとうございました」
御者にお礼を言うと、彼女は事務的な礼を返して、すぐに馬車を出発させた。
冷たい対応に面食らっていたら、少し離れたところから俺を呼ぶ声がする。
そちらを振り向くと、ロンメルが玄関から顔だけ覗かせて、こちらを見ていた。
「ロンメル、助かったよ。どうやって入ろうか困っていたところだったんだ」
「ヴァ」
迎え入れてくれたロンメルと会話を交わし、アイリを二階の部屋に運ぶ。
アイリは家に着くちょっとまえから、頻りに眉を潜ませている。
もう少ししたら、目を覚ますかもしれない。
彼女をベッドに寝かせ、思考を巡らせる。
食事と着替え、汗を拭くタオルと水桶を準備しないといけない。
食事は、夕食のために買っておいた昨日の牛乳を使って粥を作ろう。
着替えは寝巻と下着、出来るだけゆったりとしたものを用意しないと。
タオルは多めに、水桶は適宜、魔術で冷やして……後は、俺も何か口に入れておこう。
一通り確認して、部屋を出る。まずは、調理からだ。
☆★☆★☆
「――ァシゥ……?」
「おはようアイリ。ここがどこだか分かる?」
アイリが意識を取り戻した。指を突き刺す冷たさにタオルを浸しながら、彼女にそう問いかける。
「……ボクの、部屋。あぁ…………」
理解の吐息を漏らすアイリに笑いかける。胸が痛い。これは後悔の念だ。
「過労だって、ローラさんが言っていたよ。熱も出てる。向こう三日は安静にしないといけないね」
ジクジクと声を上げる罪悪感を隠して、タオルを絞る。
それと乾いたもの、二つを片手で持って俺はアイリに歩み寄り、彼女にかかっていた布団を剥いだ。
「ローラッ? なんてこと……彼女にだけは合わせたくなかっ――ヴァシル? 待って……キミは何をしようとしているの…………?」
アイリは病人とは思えないような様子で語気を強めたが、抱き起こされた途端、それは困惑の色が強いものに変わる。
「何って、身体を拭くんだよ。アイリは、濡れたタオルと乾いたタオル、どっちがいい?」
「だ、駄目だよ。ボクとヴァシルは先生と教え子。そんな、そんな……駄目、いけなぁぅ……」
震えるアイリは自らの身を掻き抱き、うわ言のように呟くと、突如、右手で額を押さえた。
「ほら、病人は大人しく看病を受けて。服、脱がすよ?」
タオルを傍らに置いてアイリの背中側にまわり、修士の認定章が刻まれた背中のボタンを、一つずつ外していく。
それに、駄目、やっ、あ、とアイリのうわ言が続いた。
全て外し終わると、仄かに赤く火照った肌が顔を出す。
何かいけないことをしているようで、自然とそこから目を逸らした。こ
れは看病だから、と自分に言い聞かせ、俺はアイリの前に移動する。
潤んだ瞳と視線が交わる。灰色の宝石から目を離せないまま、俺は、スカートの裾から手を忍び込ませた。
「あぅ……」
左手が絹のような肌に触れ、身体が強張る。心臓が早鐘を打つ。喉が渇いた、だが、口の中も干上がっているため飲み込めるものはない。
太腿から、左手を限界まで離し、両手の歩みを再開する。
視界の端でその面積を増やしていく、ぼやけた肌色。
登っていた手が下りるころ、互いの距離は吐息がかかるほど、近くなっていた。
太腿に沿って、手を下ろす。
示し合わせたように揃って顔を反らし、身体を重ねた時、両手がベットに沈みこんだ。
耳元で心臓が暴れている。
聞こえる、熱く荒い吐息は、いったいどちらのものだろうか。分からない。身体に伝わる震えは、きっとアイリだけのものではないだろう。
「アイリ。腰を上げて、もらえるかな」
彼女は一つ、ビクリ、と震えると、喘ぐような呼吸をあげるだけで、押し黙ってしまった。
しばらくの間、そのままの状態で待つ。
痺れを切らせて、両手を動かそうとした、その時――
「――ヴァシル……目隠し、して……お願い……」
アイリが震える声を漏らした。
ほっと息をつく。頭がおかしくなりそうなのだ。その言葉を断るはずがない。
アイリの身体に寄りかかるようにして、タオルに手を伸ばす。触れ合う肌がとても熱かった。
真っ暗な世界の中、密着する肌の面積を増やしながら、服からアイリの髪を抜く。
そして、次の目的を果たそうと、自由になった両手を垂らされた髪の下に滑り込ませ――
「ひゃぁっ!?」
「――ご、ごめん!」
心臓が喉から跳び出そうになった。
アイリの髪が耳を擽る。
彼女は頻りに首を振ると。大丈夫、だから、もうちょっと、ゆっくり、ね、と悩まし気な吐息を漏らした。
ゆっくり、そう、ゆっくり……そうして布を辿る両手が、結び目に、触れた。
鋭敏になった指先で、結び目の形を探り、解く。
胸元の圧が増した気がする。
「じゃあ、拭くよ……」
「お、お願いします……」
手探りで背後に戻り、丁度見つけたタオルを握り締める。水気を含んだ冷たさが、とても心地よかった。
そして、記憶を頼りに、アイリの背中へ、タオルを押し当てる。
「――ひんっ……!? ん、ぅ……あ……あぁ…………」
重なった布越しでも分かる、柔らかさ。
冷たさに我慢する声に意識を持っていかれながらも、輪郭と骨格と道標に、拭き進めていき――硬い感触を覚えて、右手を止める。
これ以上は……と、腰だと思う骨に触れたまま身を強張らせていた時、細く柔らかいものが、右腕を掴んだ。
「――ッ!?」
何も見えない中での予想外の接触が、これほどまで怖いとは知らなかった。
また一つ賢くなった。だが、アイリは、何故?
「……ヴァシルぅ、ボクは、もう……」
見えない手に導かれ、移動させられる。投げ出された太腿を越えて、アイリの吐息を感じる場所へ…………
俺は今、どこに手をついているんだろうか。
この肌に伝わる空気の温もりは、いったいどこから発されているのか。
アイリに両手で固定されている右手が引き込まれる。
「――お願い、前も……して…………」
アイリは、今、どのような表情を浮かべているのだろう。
瞳には何の感情が、吐息は何を孕んで――気になる、気になる…………。
左目の縫い目が引きつった。そして――
「ヴ……」
――ロン……メル……? なん…………あっ
「あぁぁぁぁああああ!」
「え、ヴァシル、どうしたの?」
パン粥っ火にかけたままだっ!?




