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蜂木トケンのファンタジー〜暴食〜  作者: 蜂木トケン
第一章 それを突き動かすは、衝動 
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夜更かしと性感帯


 ぐずりはじめた明かりに油を補充する。すると、ランプはたちどころに機嫌をよくし、穏やかに揺れる。

 文字の海で溺れる俺に、忘れていた時の流れを教えてくれたのは、へそを曲げたランプの軽さだった。

 メイヤが寝てから、もうそんなに経ったのか。

 確かな疲れを感じて、目を逸らしていた強張りを背中から解き放つ。

 目の端で捉えたはめ殺しの窓は、のっぺりとした冷たさを飾っていた。

 不意にこみ上げてきた呆れを噛み殺し、俺は船を漕ぐアイリの頬を突く。


「ふに…………?」

「アイリ、寝るなら羽ペンを置いて、じゃないとパピルスが無駄になるよ」


 言葉を連ねると、微睡んでいた瞳に意思の光が戻り、人差し指を抵抗なく包む柔らかさが一瞬にして消え去った。


「っ!? 寝てないっボクは寝てないよ!」


 宙に羽ペンを漂わせてたくせによく言う。思わず憎まれ口を言葉にしそうになるが、今日一日のことを思えば仕方がないことだと思えた。

 食事の時以外は何かしら書き続けていたのだから。

 顎を滴る証拠を隠蔽しようとして、アイリが唸る。

 その視線は滲んでふやけた紙に釘付けになっていた。

 俺が唇を震わせようとした時、背後で床が軋んだ。


「……ヴッ」


 驚いて振り返ると、いつの間にかロンメルが横に座っていた。

 彼は乳脂の仄かな香りを纏っている。

 それを嗅いだ瞬間、身体に気付きの電流が走った。


「忘れてた……うわぁ、もったいない…………」


 気が付いた時にはもう遅い。

 アイリに声をかけられるが耳に入らなかった。

 食材を無駄にしてしまった、その罪の意識に苛まれて俺は天を仰ぐ。

 しょうがない、やってしまったことを後から後悔しても――


「――ん?」

「ロンメル?」


 アイリの声と小突かれる感触で意識を現実に引き摺り下ろすと、目の前に聳え立つ白い毛の塔があった。

 視界を埋め尽くす獣毛。

 一本一本は細いながらも確かな硬さを持った毛の塊。

 光輝いてすら見える純白、純白、純白…………だけじゃない、これは――


「灰……まさかロンメルお前!?」

「ヴシッヴシッ」


 ロンメルは喉を晒しながら、鼻を繰り返し鳴らす。それはまるで撫でろ、褒めろ、褒美を寄越せ、とそう言っているようだった。

 釜戸の中に鼻先を突っ込み盆を引き出す彼の姿が目に浮かぶ。

 本当に、感謝してもしきれない。が、灰の中に黄金色の欠片を見つけてしまった俺は、砂糖みたいに甘くはないんだ。

 そして俺は、待ち構える喉に手を伸ばしながら、言った。


「……何個つまみ食いしたのかな? 場合によっては報復も辞さないよ?」

「ヴァッ!?」


 驚くロンメルと話についてこれていないアイリを残して席を立つ。

 冗談だよ、と呟けば背中越しにへたり込む雰囲気が伝わってきた。

 頬が緩む。焼きたてではないが、きっと上手くできているはずだ。


 ☆★☆★☆


「ん~~美味しい! なにこれ!? サクサクッ!」

「良かった。そんなに喜んでもらえるなんて、作ったかいがあるよ」


 予定より二つほど減っていた焼き菓子が、瞬く間に消えていく。

 俺はクォゥシィを片手に、その光景を眺めていた。

 自分の分をかじりながら、俺はアイリにお菓子の説明をしていく。

 フロムという名前のこと、起源のこと、隠し味のこと、そして教えてもらったこと。

 話が進むにつれて、何故か、彼女の笑顔は難しいことを考えるものに変わっていった。


「ねぇ、ロメルダ……さんって、斜向かいの奥さんだよね? いつの間に……いつの間に仲良くなって、どういう経緯でそうなったか......ボクに詳しく教えてくれないかな? 全部、詳細に、一言一句漏らさず!」


 報告は教え子の義務だよっ、と凄い剣幕で詰め寄ってきたアイリに二の句が継げなくなる。

 これはまずい、怒り出す一歩手前の状態だ。

 予想だにしていなかった事態に戸惑いながら、どうにかこの場を乗り切ろうと、慎重に言葉を並べていく。


「な、何もおかしなことはしてないよ。礼儀正しくしていれば、みんな優しくしてくれるんだ。ロメルダさんだってそうだよ。最初は挨拶するだけで、本当だよ? そのうち余ったフロムを貰って、お礼をして、次の日にお返しをしたら、気前よく作り方を教えてくれたんだ。ただそれだけだって。信じて」

「……それで、今度は教えてもらったお礼をするんだ……何をするの?」

「作り方に、少し手を加えたものをあげようかな.....とか」


 不穏な空気を纏うアイリに、つい歯切れの悪い言葉を返してしまう。


「分かってない、分かってないよヴァシル…………」

「ちょっと何言ってるかわか――」


 両目を隠していたアイリの前髪が跳ね上がる。

 そして現れる強い眼光に、俺は射抜かれた。


「そんなの、そんなのキュンキュンしちゃうに決まってるじゃないか! 近所の男の子っ、しかも珍しくて目を引く黒髪の少年!? お礼の連鎖。その子が作ってきてくれたお菓子。それはこの前手ずから教えたものに一工夫加えた一品で、触れ合う手と手、絡み合う視線。いつしか互いの距離は短くなり、くち、びる……が…………いけない、いけないよ……ヴァシルのヴァシルが危ない。違う、ヴァシルが危ない……………………そうだ、そうだね。よし、その時はボクも一緒にいくよ」


 アイリの眼は限界まで見開かれ、血走った瞳が細かく揺れている。

 彼女との距離は、互いに一歩を踏み出せばぶつかってしまうほどのもの。

 アイリの荒い呼吸が、俺の髪を撫でた。


「な、なんで?」

「なんで!? 世の中には危ない大人がいっぱい居るんだよっ? だからっボクがヴァシルの貞操をまも――」


 言葉の途中でアイリが体勢を大きく崩す。俺は咄嗟に彼女の身体を支えた。

 アイリの攻勢が途切れたことで、俺の頭に一つの考えが過る。

 これは好機なのではないか?

 今や行動の良し悪しを見定めている暇はないっ、ここで一気に畳み掛けねば!


「アイリ、大丈夫? きっと疲れているんだよ。だから、ね? もう寝よう? 今日の残りは明日、俺が進めておくからさ」

「――ううん、ダメ。ちゃんとやらないと……」


 俺の誘惑の声で、しゃがみこんでいたアイリの身体に力が入る。

 まともな応えが返ってきたことから、さっきまでの混乱はもうないようだった。

 俺はアイリの頭を撫でながら、言葉を紡ぐ。


「そっか。なら、少し休もうか」

「……うん」


 大人しく従うアイリの手を引き、ベッドまで誘導する。

 そのまま並んで腰かけて、俺は自分の太腿を手でたたきながらアイリに声をかけた。


「ほら、ここ使っていいよ。少ししたら起こすから、それまでしっかりと休んで」


 ぼぅっと宙を見ていたアイリが声に反応してこちらを向く。

 彼女は俺の太腿と顔を交互に見やると、おもむろに立ち上がり――


「ボクは、こっちのほうが好きかな」

「なっ…………」


 ――俺を後ろから抱きしめた。

 そうやって耳元で囁かれた、その瞬間。俺の身体を未知の電流が駆け抜け、言葉に詰まってしまう。


「ねぇ、ヴァシルはどう? こうされるの、好き?」

「ぅんっ!?」


 背中の左側がむず痒い。

 なんだこれは、こんなの知らない……。

 俺は身を捩り、なんとかしてこの状態から抜け出そうと試みる。が、それは身体の前で交差されたアイリの腕によって阻止されてしまった。


「ふふっヴァシルかわいい」

「ぁく……」


 アイリの声が艶めかしい色を帯びる。


「――アイリ、駄目だよ。これ、なんだか変だ、ねぇアイリ……アイリ?」


 どれほどの間、耐えていたのだろう。

 我慢できずに唇を震わせるが、返事は返ってこない。

 この状態のままで返ってきても困ってしまうが、抜け出すためには説得するしかない。

 俺は息を吸った。


「アイリ、ちょっとアイリ――」


 俺は吐き出した言葉を飲み込む。振り返った先にアイリの顔があったから。

 いや、それだけではない、至近距離に、そう、鼻と鼻がくっつきそうなほど間近に、無防備な彼女の顔があった。

 寝顔。さっきまでの不安定なものとはまったく違う、穏やかで、安らかな表情。

 それを見ると、自分の我儘で眠りを邪魔するべきではないと思ってしまう。

 彼女の安らかな眠りのためならば、身体を這いまわる痒みなど苦ではない。

 アイリを起こさないように細心の注意を払いながら、俺は彼女の腕の中で体勢を調整し、時間が通り過ぎるのを待った。

 少し休まなければ、進むものも上手く進まないだろう。

 だから、もうちょっとだけ、抱き枕としての務めを続けよう。

 覆いかぶさるアイリの身体は、揺れる明かりに呼応して、規則正しい呼吸を繰り返していた。

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