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蜂木トケンのファンタジー〜暴食〜  作者: 蜂木トケン
第一章 それを突き動かすは、衝動 
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訪れた教導士 下


「あ゛?」


 何を、馬鹿なことを――俺が、ババアの弟子? 

 縫い付けられた瞼が引きつる。

 俺の波打つ内心を察したのか、トナルは慄きながらも言葉を続けた。


「い、いやね。アイリアさん達と共に暮らしていると聞いているし、その眼帯も導士の作品だろう? 私は門外漢だから、それに刻まれた効果を、見ただけで理解することが出来ないんだ。だから、その、教えてもらえないか……と」


 らしくもない、と彼も思ったのだろう。トナルは言葉を口にしながら、居住まいを正し、崩れた仮面を付け直した。

 いつものように。

 顔を背けて作業に戻ろうと、彼に背を向ける。

 トナルさんは無理矢理であろうとあの空気を入れ替えてくれた。一応、感謝はしている。

 再度、羽ペンを手に取ってから、俺は事を穏便に済まそうと唇を震わせた。


「大体、私は一度でもウルべニアを名乗ったことがありましたか? あくまで私はアイリの一番弟子、その座を狙う一人ですよ――」


 紙の上を踊る三本の羽ペンに、新たな音が加わる。

 顔を上げずにそちらを窺うと、メイヤがソファに座り直して写本を再開していた。

 十一組目のショートカットを書き終え、手持ち無沙汰に立ち尽くしているトナルさんへ答えを提示する。


「――そして、この眼帯に大した効果はありません。昔、アイリの言いつけを守らないで失敗しまして、それを戒めるためにつけているんです。ただ、それだけです」


 失敗の部分で、アイリの表情が強張った。しかし、背を向けられているトナルさんが、それを見ることはない。


「そうだったのか……」


 元々この話題に強い関心はなかったであろうトナルさんは、そう呟くと、役目は果たしたとばかりに黙り込む。

 俺は彼に黙礼を返し、新たに用意された羊皮紙に篝火を象徴する記号と図形を書き込んでいく。


 それにしてもババアの弟子か…………ないな。

 アイリとメイヤにしたって、あの歩く災害に故郷から連れ出され、あると便利だからといった理由で、徒弟の契約を交わしているだけなのだ。

 襤褸ぼろになるまで引き摺りまわされ、生きることだけに必死になっていたあの日々を、俺は教え導かれていたとは絶対に思わない。

 次第に世界から音が消えていく。こんこんと続く単調な作業に、俺の思考は水底へと誘われていく。


『いいかい、よく聞きな。死んだら殺す。逃げても殺す。あたしが迎えに来るまで、ここで生き抜くんだよ』


 あの頃は、チカラが怖くてずっとアイリの書斎に籠っていた。

 飢えに突き動かされ、寝食を忘れる程、知識を求めて読書に没頭していた。

 そんなある日、俺は、ふらりと帰ってきた元凶に殴られ、意識を失い、どこかも分からない密林のただなかに捨てられる。

 気付いた時には欠けていた世界も、ジクジクとした痛みを訴える左目も、周りに誰も居ないという環境の中では些細な物のように思えた。

 俺は、生きるために、喰らい続けた。


『いつまでそんなもんに頼っているんだい! 物覚えだけはいいんだ、耳の穴かっぽじって頭ん中に刻み付けな! こんなことになってるのはね、お前が貧弱でっ、軟弱でっ、脆弱だからだよ!』


 日付の感覚がなくなって久しいころに突如戻ってきた悪魔。

 俺はヤツに生きるための手段を取り上げられる。

 外そうと試みる度に、強くなりな、と殴打された。

 魔術士に拳で闘えとはいかがなものなのだろう……。

 反抗心が叩き折られ、”抑え”を気にしなくなると、ババアは来た時と同じように、突然姿を消した。

 俺は、帰るために、闘い続けた。


『あたしに口答えするたぁいい度胸だ、野生児ガキ! あたしを撥ね退けたかったら、もっと強くなりなっ、身体を造るんだっ、怠けてないで策を練りなっ、正攻法だけが手段じゃない、ぶっ殺すぞ!』


 久しぶりに会うと、ババアの顔が近くなったように思えた。

 だが、相変わらず理不尽なのは変わらない。

 意味の分からない鍛錬を課され、反発し、殴られる日々が繰り返される。

 そのころには、俺も自分のことに折り合いをつけられるようになり、この無為な時間を終わらせたい、と思うようになった。


 俺は――



 ☆★☆★☆



「絶対にあり得ない。ババアが何て言おうと、アイツを師匠だなんて認めないっ――」


 筆音だけが聞える沈黙を、ヴァカの声が切り裂く。

 仕方なしに手伝い始めた副業を途中で切り上げ、机から顔を上げてそちらを見やれば、ヴァシルが一心不乱に中てのない怒りをショートカットへ叩きつけていた。

 不揃いな黒髪を振り乱し、黒い右目には怒りを燃やして、乱雑に引き抜いたペン先からインクを迸らせる…………。

 この様子なら、魔境に捨てられても生きて帰ってくるのが頷けるわ。

 ナルさんがあの話題をあげた時にこうなることは薄々予想していたけど、本当、どうしようもないわね。


「――やることなすこと全部意味わかんねぇし、捨てて、殴って、それで師匠面とかっ――」

「こ、これは…………」


 外面を殴り捨てたヴァシルを眺めていると、所在なさげに佇んでいるナルさんが戸惑いの声をあげた。

 このヒトはなんでまだここに居るのかしら。


「お気になさらず、コイツは師匠のことになるといつもこうなんです」

「――魔術の一つも教えやがらねぇ! 気が利く男はモテる? んなことはなから聞いてねえんだよ!――」

「……このままでいいのかい、メイヤくん?」


 別に、と言葉を切りながら、荒れ狂うヴァシルの前で忙しなく動き回るアイリを観察する。

 彼女はヴァシルを困ったような笑顔で見守っていた。

 アイリの目には、たった一人の弟を見る姉のような優しい光が浮かんでいた。でもそこに含まれているのはそれだけじゃない。

 別にアナタが負い目を感じることはないでしょうに……あれは事故で、元を正せば師匠のせいだし、忠告を聞かなかったヴァカも悪い。

 アイリは大概抱え込み過ぎなのよね、教えては上げないけど。


「――大人のくせして自分のこと、ひとっっっつもできねぇし、本当良く今まで生きてこれた――」

「ま、いいんじゃないですか? どうせ言っても聞きませんし、私達は慣れてますから」


 そう伝えると、年上の男性は笑顔を引き攣らせた。その頬に一筋の汗が流れる。

 気を揉んだって疲れるだけよ、二人の関係はとってもめんどくさいんだから。

 師匠の歪んだ愛情も、ヴァシルの意固地も、見てるだけで背中が痒くなっちゃうわ。

 胸を張って大きく背伸びをし、広がった視界の中で、仰け反って吠え出したヴァシルにすり寄っていく妹弟子が見えた。

 近づかれたことにまったく気が付かないヴァシルの前に、アイリは立つと長机越しに彼を抱きしめる。

 それだけで、筋肉質とはいえ未だ幼さが残る矮躯は、こちらから見えなくなってしまった。

 ヴァシルが数度身じろぐと、アイリは嬉しそうに笑う。


「ヴァシルありがとっおかげで一つ目の講義の分が終わったよ!」

「――んはっ!? あ、アイリ? ちょっとメイヤ、一体何がどうなって――」


 戸惑うヴァシルを右に左に身体ごと揺らすアイリ。まったく二人揃って、しょうがないわね。

 私は助けを求める弟分のためにソファから立ち上がった。


「――貸し一つ、よ?」

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