慌ただしい朝
本日一話目です。
スタートダッシュ期間と銘打ってはいますが、自分の首を絞めているのではないかと、不安になっています。
透き通った痛みが眠気を切り裂く。
水気の滴る前髪を掻き上げて上体を起こせば、半分の世界に、洗面台の鏡とそこに映る自分の顔があった。
野放図に伸びた黒い髪、紋様が刻まれた浅黒い肌。そして、片割れを縫い付けられた黒い瞳。
趣味の悪い悪戯を施された、可哀想な少年。
そうとしか思えない自分の姿から視線を切り、これまた趣味の悪い眼帯で、左目の周囲を隠す。
脱いだままの寝巻を洗濯籠に放り投げ、用意してあった着替えに袖を通す。
身体を包む太陽の香りが、新たな一日を祝福しているようで、自然と頬が上がった。
「今日も一日頑張るぞ!」
薄明るい窓の向こうで小鳥たちの抗議の声が上がる。
頭の中では、今日一日にやることのリストアップが始まっていた。
薄闇い廊下を歩いてリビングに向かう。
【おはよう】
魔力の乗った言葉を空気に乗せると、遠くの暖炉と釜戸に火が熾こる。
身じろぎした白い毛玉の横を通り過ぎて、不足分の薪を、暖炉へ適当に投げ入れた。
のそりと起き上がる大きな毛玉を尻目に、キッチンの床下収納の扉を開いて、中に入る。
つんと鼻をつく埃っぽい匂いと、這い上がる冷気へ身を浸した。
「ベーコン、と……卵。野菜は適当にっと」
逃げ惑うように急いで食材を集める。温かさを求めて駆け上がった階段の先で、座り込む使い魔と対面した。
「おはようロンメル」
眠たげに伏せられた両目が特徴の使い魔は、俺の目の前に鼻先を突き出すと、鼻息一つをもって返事の代わりとした。
「ちょっ、鼻水をとばさないでっやめ……ごめんって、起こして悪かったって、朝は一品増やしてあげるから!」
熊を形どったせんせいの使い魔は、言質は取ったぞ、と言わんばかりにフンスフンスと鼻息を上げ、今度は材料を抱えた俺の脇腹を鼻で小突いてくる。
「え、今日はやけに早いね……いや俺が起きるのが遅かった?」
だったら怒らなくてもいいじゃないか、とぼやいてもロンメルは知らん顔で、気怠そうに玄関に向かう。
先んじて玄関の扉を押し開けると、朝の冷たい香りが鼻を刺激する。
立ち止まったら、家の中からロンメルが背中を押してきた。
通りと敷地の境目まで、寄り添うように歩く。
「最近は冷え込むね。ほら息がまっしろだよ?」
立ち止まり、傍らの温もりに声をかけても反応がない。
不審に思ってそちらを見ると、ロンメルはその巨体の向こう側へ頭を向けていた。
座れば俺より高い身の丈のロンメルを回り込むように歩き……そして俺は、彼の視線が注がれていたものを見つけてしまう。
うわぁ......。
我が家の柵に背中を預け、身体を抱くように蹲るヒト。
近寄れば、微かな寝息が聞こえ、より近づけば、酒精の香りが鼻腔の奥をくすぐる。
どこからどう見ても童女にしか見えない顔は、頬が仄かに上気して口元はだらしなく弛んでいた。
「……ロンメル――」
「……ヴ」
背後の使い魔に道を開ければ、彼はおもむろに道端の女性を咥え、引きずり始めた。
何とも言えない感情を、我慢できずに吐き出し、ロンメルに指示を付け加える。
「――暖炉の前に放っておいて、その内起きるし。あと……優しさとかいらないから」
鼻息の返答を聞き安心したが、暖のとれる存在がなくなってしまい、すぐに後悔する。
「捨て置けばよかった……」
と、そう呟いたそのとき、通りの先から走ってくる人影が見えた。
同時に家の中からくぐもった叫び声が聞こえたが、ほっとく。
曲がり角から現れたそれは、俺の姿を発見したのか、先程よりもスピードを上げて一目散に駆けてくる。
近づいてきたそれが、彼女だと分かるころに、通りを突き抜ける大声で彼女が叫んだ。
「ァアァーニーキー!」
駆け寄ってきた彼女は砂埃を巻き上げながら勢いを殺し、息を荒げながらも目の前で姿勢を正すと、その愛嬌のある顔に満開の花を咲かせた。
「おはようございますッアニキ! 晴天新聞ただいまお届けに参りました!」
配達員の恰好をした少女が、一息に口上を述べる。
「おはようスーリャ。今日も元気だね」
乱れた茶色の髪を帽子の中にいそいそと仕舞っているスーリャは、太陽のような笑みを浮かべる。
それを待つ間、俺は目の高さにある彼女の帽子のマークを眺めた。
円の中に三つの交差した丸。青空印――
彼女が服装を整え終わったところで、いつものように少し多めにお金を渡し、はにかむスーリャから紙の筒を受け取る。
代金を分けて仕舞ったスーリャは、柑橘系の香りを辺りに振りまきながら、身振り手振りで会話を始めた。
「はいっアニキのおかげでみんな元気いっぱいです! 犬っころなんか元気過ぎて鬱陶しいぐらいです!」
「それは良い事だね。そろそろ顔を出そうと思っていたんだ」
するとスーリャはすぐに動きを止め、両手を胸の前で祈るように握りしめたのちに、上目遣いで言葉を紡ぎだす。
「そこら辺のことも書いてありますんで、読んでくださいねっ?」
「もちろん、いつも楽しみにしてるんだ、一言一句見逃さずにちゃんと読むよ」
スーリャはえへへっと笑うと、じゃあ配達が残ってますんで! と言い残して走り出した。
みるみるうちに小さくなっていく彼女の背中を見送って家に戻る。
わざわざ念を押すってことは、何か重要なことが……。
☆★☆★☆
何気ない朝の一幕を終えて、温かくなり始めた家の中に入ると、ダイニングテーブルに突っ伏す童女が居た。
「おはようメイヤ、昨日はどこをほっつき歩いていたの?」
俺の言葉に、むっと勢いよく顔を上げたメイヤは、途端に顔を苦々しいものにかえ、額に手を当てながら言い返してきた。
「……何よ、人が年がら年中飲みあるってるみたいな言い方して……昨日は仕事だったのよ。仕事」
「へぇ、そうなんだ」
生返事をしつつ、食器棚から無骨なマグカップを取り出す。
そのまま蛇口に魔力を流しカップにそそげば、呻いていたメイヤから、水……と催促の声が上がる。
合間を置かずに突き出すと、彼女は目線もくれずに、ありがと、と受け取った。
視線を感じて顔をやれば、ロンメルが暖炉の前から胡乱げな目と目が合う。
「もうちょっと待っててね、今から作るから」
そう言葉を返すとロンメルは、フンッと鼻を鳴らしてその場で蹲ってしまった。
すぐだよーなんて声をかけながら、テーブルに置いておいた材料を運ぶ。
キッチンの周辺には鼻歌と、奏でられる調理音が漂い始める。
☆★☆★☆
油の弾ける音と塩気のきいた香りが、周囲で踊る。
人数分の食器を片手に、棚とテーブル、キッチンの間を舞うように歩く。
メインの焼き加減を確認しようと、釜戸の前で立ち止まったその時、背中の腰のあたりを押された。
振り向いた先には、細かな凹凸と二つの穴がある黒い鼻があった。そこからフーフーと規則正しい息が吹きかかる。至近距離で。
「もうちょ……あぁ、そうだね。せんせいを起こしてきてくれるかな?」
あい分かった……そう言うように鼻から一際大きい息をした、ロンメルは階段をのしのしと上っていく。
油の音が変わった。
キッチンの籠から二日目の卵を三つ取り出して、右手で一つずつ割り、こんがりと焼けたベーコンの上に落としていく。
白身が完全に変色したタイミングで水を振りかけ、鉄鍋に蓋をする。そのまましゃがんで、燃えさしを二つに分けて端に寄せると、二階でアイリの奇声があがった。
それを合図に、ロンメルの足音と床が軋む音が続く。
頭上を見上げれば、それが移動していき、そのうち階段の上から女性の非難がましい声が聞えてきた。
「――ッ――!」
そろそろかな?
音が止んだ鉄鍋の蓋を開けると、白い蒸気が熱気とともに立ち昇った。
靄が晴れた先から色の変わった卵の黄身と、その下でてらてらと光るベーコンが顔を出す。
ヘラでさっとそれらを切り分け、鉄鍋を片手にテーブルへ向かう――
「ヴァーくぅん、ロンメルがいじめるんだぁ」
「わわっ、危ないよアイリ……料理中は気を付けてっていつも言って――」
突然、横から抱きつかれて慌ててしまう。
本当にやめて欲しい。
声に出して注意したいが、泣き真似すら始めていた姿で、その気も失せてしまった。
「……聞いてないし…………ロンメル」
近くで待機していたロンメルが、呼びかけに応じて主人の襟を咥えた。
引っぺがされたアイリがロンメルをなじる。
主人は私なのにぃなんでぇ、と彼女は嘆くが、ロンメルは聞く耳を持たず、彼女を定位置まで引きずっていった。
湯気が揺れる鉄鍋から、個人の皿に料理を移す。
お椀によそわれた野菜のスープは今か今か、とその時を待ち、それより前に並べられていた薄切りパンが、やっとか……と呟いているように見えた。
ひと仕事終えたロンメルは、合図を待たずに自分の分をガツガツと食べ始めた。
本当は食事なんて必要ないのに……なんて卑屈な考えがむくりと鎌首をもたげるが、おいしそうに食べる様子を見ると、そんなことはたちまちどうでも良くなってしまう。
「いただきます」
「ん……」
「うぅ……」
新聞を読んでいたメイヤと俺は、未だ立ち直らないアイリを放置して食事を始める。
ナイフで切り分けられたおかずをパンに乗せ、齧り付く。
朝食の出来にうんうん頷いていると、メイヤが話題を提供してきた。
食事の合間に二、三何気ない会話を挟みながら、二人で予定を確認しあう。
そうこうしない内に俺の皿は空になる。
お椀に口をつけながらスープを飲み干し、一足早く食事を終えた俺は、食器をそのままに中途半端の料理を仕上げに席を立った。
☆★☆★☆
料理がひと段落し、今度は櫛を戸棚から取り出して、やっと朝食に手を付け始めたアイリに歩み寄った。
「ほら、早く食べないと準備する時間がなくなるよ?」
寝ぐせがついたアイリの金髪を梳かしながら声をかけると、別のところから茶々が入る。
「あらあら、どっちが大人か分からないわねぇ?」
新聞を畳みながら、メイヤがおどけて笑う。愉快そうに歪められた唇から白い歯が覗いた。
それを聞いたアイリはムズがるように上体を揺らす。それにつられるように、腰まで伸びる金髪が左右に揺れた。
「むぅ、ヴァー君は尽くす教え子だから良いんですー」
いつものやり取りを聞き流し、アイリの髪を纏める、彼女の耳が隠れるように注意しながら。
前髪以外を全て背中側に流し、毛先を紐で縛って、髪の束を作る。
束の中心を摘み、周りを上にずらす。
ふわりと広がる金色のカーテンの出来に満足していると、遠くで鐘が鳴った。
「まずっ!」
「あわわわ」
長い調子で三回繰り返された音。それを聞いた二人は、慌てて出発の準備を始める。
既に用意を済ませていたメイヤはカバンを持つだけで、口を濯ぐなど身支度をしに行ったが、何もしていなかったアイリはすごい慌てようだ。
「アイリ、着替えはソファの上にあるからね。あと、メイヤッ? 二人のお弁当はテーブルに置いとくから、忘れないでよ!?」
「ヴァシルーありがとうー」
「――かった!」
アイリがそのままリビングで着替えだし、俺は慌てて回れ右する。
家の奥からドタドタと響く音を聞きつつ、ずっと何か言いたげな目をしているロンメルと、玄関で二人を待つことになった。
☆★☆★☆
次の鐘までの時間が半分を過ぎたと思われるころに、二人は家を出た。
すでに町は動きだしており、いつもであれば仕事に行く付近住民で混み合う家の前の通りも、人がまばらになっている。
そこを走る二人の速度は、サーリャと比べるととても遅く、このままでは授業に間に合わないのではとすら思えてしまう。
「忘れ物はないーッ!? ロンメル」
「……ヴ」
二人に届くように大声で最後の確認をする。ロンメルに指示を出すのも忘れない。
彼は窮地に陥った主人を助けるために、全速力で駆け出した。
「――大丈夫ぅあぁっ!?」
返事をしようと振り返ったメイヤは、事前に気が付いたので難を逃れたが――
「えっ? メイヤぁはッ!?」
必死に走っていたアイリは、突然跳び退ったメイヤに疑問を持った瞬間、宙を舞った。
こちらの意図を察したメイヤがロンメルの背中に跳び乗る。
自由落下を終えたアイリが勢いを殺せないままその後ろに到着し、それを確認したロンメルはスピードを上げた。
瞬く間に見えなくなった二人と一体を見届け、大きく伸びをする。
見上げた空は、青く澄み渡り、天の恵みを遮ることなく、微笑んでいた。
第二話 ヴァシルの日常の更新は十七時を予定しております。




