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3 「百合の花」が咲いておりました。

「や、しがん。今日も会長どのと校内見回りなのか」

廊下を歩いていると、同じ美術部の塚村いのり嬢とすれ違った。彼女は僕の数少ない異性の友人だ。ちなみに「しがん」というのは彼女が付けた僕のニックネーム。

「まーね」

「お役目、大儀」

「つかむーは部活?」

「残念ながら今日は私用があるので参加しない。…なお、つかむーは不可」

「ちぇー。そっちは勝手にしがんしがん言うくせに」

「しがんはしがんだからしがんでいい。いつまでもしがんのままでいるといい。キミはしがんだ、しがんだ、しがんはしがんになるのだ」

…ごめんなさい。貴女の仰る事が皆目理解できません。虎の穴に行けとでも言いたいのか。

「…で、私用って?」

「マイ・ソウルシスターより、本日遥か遠方よりこの地に来臨するとの(ふみ)を拝領した。共に己が技量を称え合う身としては、相まみえるに(やぶさ)かではない」

「ああ!つかむー…らさんの文通相手(ペンバル)とかいう…」

「実にちゃーみんぐな方。これからお迎えにゆくところ」

「ふーん…いってらっさい」

すると塚村さんは、僕が背負っているスポーツバッグをしげしげと見て、くすっと微笑むと、

「お大事に」

などと申された。…え?

次第に遠ざかってゆく塚村さんの後姿をしばらく目で追っていたけど、彼女が振り返る事はなかった。

 僕(と、スポーツバッグに放り込まれたままの慰撫)は、生徒会室の前までやってきた。

毎日、放課後になると僕はまずここにやってくるのが日課だった。さっき駒井先生にも言われたけど、生徒会長である文ちゃん先輩と一緒に校内の見回りをするためだ。

これは別に、生徒会長の役目でも何でもない。元々は、彼女が会長に就任してから個人で自主的に始めた事だった。そしてしばらくして、彼女とお付き合いする様になってから、僕もまた自主的にこれに参加する様になった。

そもそも僕と彼女との距離が近くなるきっかけだって、ある日屋上でギターを弾いていた僕を、偶々見回りでやってきた彼女が叱責した事から始まったのだ。そう思えば、この校内見回りという行動は、僕と彼女との絆を再確認する作業とも言えた。…もっとも、普段は別にそんなムズカシイ事を考えながら夕陽の差し込む廊下を歩いている訳ではない。単純に、文ちゃん先輩と一緒にいるのが楽しい、というのが偽らざる本音だったりする。毎朝誰よりも早く登校して彼女と二人で続けてきた校内清掃だって、これと全く同じ理由からに過ぎなかった。

何かにつけて飽きっぽいこの僕が、延々と続けているのは、ギターを除けばこの校内見回りと校内清掃くらいだ。まあ、理由…というか本音なんて、この際関係はない。このふたつの作業を続けているうちに、僕と文ちゃん先輩の仲は自然と校内の「公認」となったのだから。

しかも高校生活にありがちな、「ふしだらな男女交際」などという様な悪評とは真逆の方面で。嗚呼、愛のチカラは偉大なり。

…ん?でも、それにしては、さっきの駒井先生の言葉からも分かる様に、僕の評価は今ひとつ芳しい物でもないみたいだよな。

…そういえば文ちゃん先輩と付き合いはじめた頃、彼女に勉強を見てもらって成績を上げることに成功した時も、上級生の間では「出来の悪い後輩を見事に立ち直らせた生徒会長伝説」、なんてのが(まこと)しやかに囁かれていたとも伝え聞く。

確かに、ある面から見ればあながち外れているわけでもないけれど、断っておくが僕だって文系に限れば、元々学年の上位にはいたのだ。

…その分、理系が壊滅的に不得手ではあったが。

文ちゃん先輩が補完してくれたのは、この「理系の部分」だけだったのだぞ?

…うーむ、ま、まあ、それだって十分に凄い事ではあるとは思うけれど。

ともあれ、彼女が何かを手掛ける度に、いつの間にかそれが「伝説」になってしまうのだ。

これはやはり文ちゃん先輩の「人徳」の為せる(わざ)という物なのだろうか。…やっぱ僕の彼女は凄いや。いやまったく。

麗しのまいはにーさんの事を考えながら扉を開けようとすると、部屋の中から声が聞こえてきた。

『兼子、大好きだ。愛していると言ってもいい』

『くす。もちろん私もですよ、文さん』

……え?これって文ちゃん先輩と…副会長の(てつ)()センパイの声…だよな?

『もう我慢できない!この気持ちを押さえきれない!』

『あらあら。仕方ありませんねえ』

ちょっとちょっとちょっと?お二人さん、何してはりますのん?

『兼子っ!』

『文さんっ!』

…おいおいおいおい?

がらっ。

居ても立っても居られず、思わず扉を開けたそこには。

…「百合の花」が咲いておりましたとさ。

そこには頬を紅く染めて瞳を潤ませながら、鉄ヶ谷センパイの胸に抱かれている文ちゃん先輩の姿があった。二人は互いを愛しむ様に見つめ合っていたのだった。

「…………あ」

文ちゃん先輩は驚いた様な顔になって、扉の前で硬直したままの僕を見返してきた。

「…………。お邪魔しました」

冷静な風を装いつつ、僕は扉を閉めた。

…僕は見た。見てしまった。

あ…アレはまごう事無き「逆」風と樹の(うた)、レスボス島の禁断の女子学校、サッフォーのセカイだ。いわゆる「アフロディーテへの讃歌」って奴ぢゃねーですか?

「恥じらいがちの瞳の者よ、甘い微笑みでうっとりさせる者よ、万歳!」

なんて一節が頭に浮かんでしまった。

『…何かあったんですの?』

スポーツバッグの中から、(いぶか)しんでいる様な慰撫の声がした。

慰撫が訝しんでいる…なんて洒落にもなりゃしねー。

慰撫が死んでいる、なんて聞こえなくもないが。

「……何でもない」

『何でもないなんて、それならなぜ、ヨシハルさんは動揺した様な声になってますの?』

(うるさ)いな。大きなお世話だ。こっちは今、己が恋人の浮気現場をだな、しかもよりによって同性同士の…

「何でもないんだ」

『それにしてはヨシハルさん、貴方の声、ちょっと鼻声ですわよ?まるで泣いてるみたいな…』

「…泣いてなんかない。男が泣いていいのはガマ口を落っことした時だけだい、てやんでえコンチクショー、こんこんちきのベラボーめ」

がらっ!

「ま…待て志賀君!キミは今 途轍もない勘違いをしているっ!」

生徒会室の扉が開いて、顔を真っ赤にした文ちゃん先輩が飛び出してきたのだった。


「――つまり終業式を終えて、選挙からの半年間、お互いよく頑張ってきたねと思い出話にふけっていた、と?」

こくん。

「そしたら感極まってきて、いいパートナーに恵まれたと感激して」

こくん。

「思わず抱きついてしまった所に僕が出くわした、と、そういう事なんですね?」

椅子に座った文ちゃん先輩は、僕の追及に真っ赤になりながら頷き続けている。

その後ろでは、僕らに背を向けた鉄ヶ谷センパイの肩が震えている。…アレはきっと笑いを堪えているに相違ない。僕は確信した。

「…まことにおはずかしいところをおみせしてしまいました。いちじのきのまよいとはいえ、ふかくはんせいしてます」

あらら。ただでさえちっちゃい文ちゃん先輩が、今日はいっそう小さく見える。まあ、こんな彼女も可愛いなと思うけど。そもそも、ショボくれた文ちゃん先輩なんて、そうそう拝めるものじゃないしね。

「…めんぼくないことこのうえありません」

『…くす』

おい慰撫。テメ、ここでまた笑い出すなよ?

「あら志賀さん?今、笑いました?」

「いいえ鉄ヶ谷センパイ、気のせいです」

「そ…そうですよ兼子!今のはきっと春風か何かの音でしょう」

文ちゃん先輩も慌てて取り繕う。そりゃそうだ、慰撫の事を知っているのは、この場では文ちゃん先輩と僕だけだものな。

「あ…お、お茶でも淹れますね?志賀君、キミも手伝ってくださいな」

「合点承知の助です文ちゃん先輩」

「くすくす。本当にお二人は仲がよろしいのですね」

「いやそれほどでも…」

『全くですわ。第一、マスター・アヤとヨシハルさんとでは釣り合わない事この上…!?』

「あっと、手が滑って思わず文ちゃん先輩の大事な大事なスポーツバッグにお茶をこぼしてしまいましたあ。申し訳ないので、僕、ちょっと外で拭いてきますね」

「そ…それがよろしいと存じますよ志賀君。できるだけ遠くで、丁寧に拭いてきてあげてくださいな?あ、そうそう、私もそのバッグには大事な物が入っておりますので、濡れていないか一緒に外で検分させていただきましょうではありませんか。さ…さあ志賀君、いざ」

「心得ておりますよ文ちゃん先輩さん。ささ、善は急げと申しますし」

「…お二人とも、何でそんなに芝居がかった様な口調になっているのです?」

「「気のせいですっ!!」」

我ながら惚れ惚れするくらい、それはそれは見事なハーモニーだった。あたかもサイモン&ガーファンクルのデュオの如く。む?この場合は男女だから、むしろカーペンターズといった方が妥当かな?まあいいか。

僕たち二人は、生徒会室から人気のない廊下に出た。そのまま先にある角まで進む。

よし。ここなら誰もこなかろうて。

僕はバッグのチャックを開けて言った。

「おい!あれほど静かにしてろって言ったろ!?」

「…そうですよ慰撫。もしあなたの事がばれたら、さすがに私でもフォローできませんよ?」

『…だってヨシハルさん言ったじゃないですか』

「何をだよ」

『“これから文ちゃん先輩の所に行くから、もう少し静かにしてろよ?”って』

「ああ、言ったよ?だから何だ」

『ですから、マスター・アヤの所まではちゃんと静かにしてましたわよ、わたくし』

…何という屁理屈。いや、むしろ、所詮は元が古代の象形文字というべきなのか。間接表現とか遠回しな表現はどうも苦手と見える。僕は婉曲表現や比喩表現の豊富な、日本という感受性の強い国民性の国に生まれた事をカミサマ…じゃなくてご先祖様に感謝したい。

「と…とにかく慰撫、もうすぐ()(のり)を迎えに行きますから、それまでは静かにしていてね?」

『…それがマスター・アヤのご命令とあれば、使徒としては従うだけですわ』

そういう慰撫だったけど、首だけになったこいつは、明らかに不満そうだった。まあ仕方もないか。僕を庇ってこんな姿になってからもう半月。いかに異形とはいえ、いい加減ストレスも溜まっている事だろうし。

『…ヨシハルさんを罵るのは、身体が元通りになってからにさせていただきますわ』

…前言撤回。ホント、可愛くねーなこいつ。僕に芽ばえたわずかばかりの同情心を返せ。

「ふふ。慰撫、もうすぐそれも叶いますから、もうちょっとだけ我慢してね」

それりゃないですよ文ちゃん先輩。そんな事言ったら、こいつはぜったい増長するだけです。

「――あのー、かいちょも志賀くんも、何でスポーツバッグに話しかけてるんですかあ?」

そう声を掛けてきたのは、生徒会書記の水嶋(みずしま)(しん)()さんだった。テニスウェアの所を見ると、どうやら部活の練習を終えて、生徒会室に向かう途中らしい。

「うわほぅ!」

「…いや二人してそんなに驚かなくても…そのバッグの中に、何かいるんですか?」

「え…あー…ちょっと仔猫がね…そ…そうですよね志賀君?」

…いや、その言い訳はちとマズイと思いますよ?

『に、にゃーにゃー』

慰撫も調子合わせてんじゃねー。そんな事したら…

「へー猫ちゃんですかあ。可愛いですか?見たい見たい!見せてくださいよかいちょ?」

ほら。女の子なら普通はそう言うよな、やっぱ。

「へ‥あ、えっと…」

「あ…あのね水嶋さん、こいつはこんな可愛い声してるけど、とっても凶暴な奴で、すぐに鋭い爪立てて襲いかかってくる様な危ない奴なんだ」

少なくとも嘘は言ってない。慰撫・弐式という異形は本来そういう奴なのだ。正確には爪じゃなくてフォークだったけどね。事実、僕だって幾度となくあの凶刃の被害を受けてきたのだ。

「そ…そうなのだ真子。とっても暴れる子だから、迂闊に覗いた途端に噛みついたりするかもしれない。大事な後輩を危険に晒す様な真似はできないのだ」

「えー、そんな凶暴な猫ちゃんなんですかあ?」

「そ…そうだ。過去にもう何人も病院送りにしている猫でな」

「…猛獣ですかあ?それなら、この間できたサファリパークにでも送った方が…」

はは、いいアイディアだ。まあこいつなら、ライオンとかトラにも後れは取らないと思うぞ、きっと。

『むー…じゃなくてにゃー』

「へ?”じゃなくて”?」

「あ…そうそう真子、生徒会室で兼子が待ってるぞ?」

「あ…そうか、副かいちょ、もうすぐ実家に帰っちゃうんですものね。わたし、先に行ってますから、かいちょと志賀くんは、用事すませてからどーぞぉ」

水嶋さんは、人差し指と親指で小さな何かをつまむ様な形をとって、それをくいっと捻る様な仕草をしてみせた。…それが何を意味するのか考えるのはよそう。怖いわ。

水嶋さんは廊下を元気よく走っていった。

「こら真子!廊下は走らない!」

「はーいっ!」

返事は即答だったけど、彼女の行動に変化は見られなかった。

「…まったく真子ったら…」

「あの…文ちゃん先輩?」

「はい?何でしょう」

「あの…鉄ヶ谷センパイ、転校しちゃうんですか?」

「は…?」

「だってさっき、実家に帰っちゃうって…」

「あ…ああ、その事ですか。そうではありませんよ」

文ちゃん先輩はくすくすと笑った。

彼女が言うには、何の事はない、鉄ヶ谷センパイはこの春休みに、利根郡利根村の老神(おいがみ)温泉にあるご実家に帰省するだけなのだそうだ。

鉄ヶ谷センパイはその土地にある、けっこう有名な温泉宿のご令嬢なのだそうだ。…という事は、ゆくゆくはそこの女将さんになるのかあ。前から品のいいお嬢様っぽいなあとは思っていたけど、納得してしまった。

お嬢様といえば、我が文ちゃん先輩だって和歌山の旧家の一族の末裔…のはずなんだけどなあ。しかも同い年だし。

…片やすらりとした長身で黒髪、スタイル抜群、物腰は穏やかなご令嬢。

片や…すらりとしているのはおんなじだけど、身長140cm前半に見合った起伏のないスタイル。その物腰は一見クールに見えてその実けっこう直情径行…だったりもするちびっこさん。

…どっちが僕の好みかなんて言うまでもない。

言うまでもないが、あえて言わせていただくなら後者だ。ロリコンではないぞ?相手は僕よりもちょっとだけ年上だもの。惚れてしまったのだから仕方がない。

「それでですね、ちょうどいいので、実はこのお休みの間に、兼子のご実家の温泉宿にお邪魔させていただこうという計画があるのですけれど…その…」

あ。赤くなった。こういう時、彼女が何を考えているのか分からないほど僕は鈍感ではないつもりだ。

よくあるラブコメマンガの、滅多矢鱈と(にぶ)チンな主人公ではないのだぞ僕は。

「もちろん、僕もご一緒させていただきますよ、文ちゃん先輩」

「ほ…本当ですか!よかったぁ…どうお誘いしようかと悩んでいたのです」

文ちゃん先輩は僕の手を握って、満面の笑みになった。かわいいなぁ。

耳を澄ましたらスポーツバッグの中から溜息が聞こえた様な気がしたけど、きっと気のせいだろう。

スポーツバッグ・フィール・ノー・ペイン。

アンド・スポーツバッグ・ネヴァー・クライ、なのだから。

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