2 スポーツバッグは喋らない
「明日から春休みだが、休みが終われば、みんな4月からは上級生になる。休み中は気も緩むかもしれないが、くれぐれも羽目を外し過ぎない様にな!」
終業式も滞りなく終わった。今は教室で担任の駒井先生が、学年最後のありがたーいご訓示を下さっている真っ最中。これさえ終われば、我が県立業盛北高校1年生としての全ての行事も、晴れて完了というワケだ。
…思えば色々な事があったなあ。とは言っても、僕の人生に劇的な変化があったのは去年の11月辺りからだったけど。それまでは、放課後になると屋上で黙々とギター弾いてるだけの毎日だった。あの頃は、それはそれでそれなりに充実していたつもりだったけどね。
あれから4ヶ月。あの頃の僕には、よもや彼女ができたり、我が校の誇る美人養護教諭と親しくなったり、ストリートライヴやったりライヴハウスに出演したりする様になる…なんて思いもよらなかっただろう。この冬、僕のセカイは間違いなく拡がった。それは断言できる。何せ実に様々な経験を積んだものな。…うん、本当に「様々な経験」って奴を、ね!
曰く。
死んだはずの部活の先輩が、悍ましい姿になって戻ってきました。
太古の象形文字が現代に蘇って、最愛の彼女に取り憑きました。
とあるお人形に至っては、悪態をつきながらお茶を嗜まれるときたモンだ!
――この世には、ニンゲンとは相容れない「異形」というモノどもが存在している――
経験。
そうさ、それらはまさしく「人知を超えた」経験だった。おかげで「オカルト」なんてモノには懐疑的だったはずの僕の信条すら、思いっきり覆ってしまったよ。
あんな連中に逐一目の前を跳梁跋扈された日にゃ、そりゃあ己が信条だって揺らいで来ようという物だ。
…これって、はっきり言って田舎のいち高校生が許容できるレベル超えてるよなあ。
我が身に起きた悍ましき出来事の数々に思いを寄せてたから、
「いいか?くれぐれも羽目を外すんじゃないぞ?…特に志賀!」
なんて駒井先生のご指名にも、
「…んへ?あっしのコトですかぁ?」
ほら、思わずこんな間の抜けた返答をしてしまったじゃないか。
というか、そこで何でわざわざ僕の名前が出てくるんだ?どうにも聞き捨てなりませんぞ?不肖この志賀義治、品行方正…とまではゆかずとも、日々慎ましやかに勉学に勤しみ、問題起こさず、朝は校内清掃、放課後は校内の見回りにも積極的に参加する、それなりに模範的な学生を務めているつもりですが。
「…全部、2年の鬼橋について回ってるだけじゃないか」
……う。そ…そうとも申しますな。遺憾ながら否定もできない。
駒井先生の的確な事実指摘に、教室内が笑いに包まれる。
「いよっ、姉さん女房の尻に敷かれた旦那!」
おいこら森竹。テメ、いくら悪友だからって、言うに事欠いて何てコト抜かしやがる。後で覚えてろよ?お前は今日から「刎頚之友」だ。…あれ?「刎頸」って言うのは「お互い、相手に首を奪われても後悔しない親友」って意味だったっけか?じゃあ前言撤回。やっぱお前なんか悪友で十分だい。
悪友森竹の心無い野次が、教室内にさらなる笑いを呼ぶ。
…まあ、「公認の彼女」がいる事をこれほどに周知されている、というのは正直悪い気がしないのも事実である。事実ではあるが気恥ずかしいのもこれまた事実なりや。
「まあ、いくら志賀でも、鬼橋がついていればそうそう問題も起こせないとは思うがな」
…センセ?「いくら志賀でも」という部分は撤回していただけないモノですかねえ?
そりゃあね、鬼橋 文ことわが愛しきまいはにー文ちゃん先輩はカンペキ、でございますよ?我が校の誇る才女にして生徒会長、容姿端麗にして性格実直、頭脳明晰にして質実剛健、生徒はおろか教師からも「アイアンメイデン」あるいは「鉄血宰相」とまで称される、公明正大にして正義の味方、芳紀はまさに御年華のじゅうななさい。
一瞬、「身長以外は」、という言葉も脳裏をよぎったけれど、決して口に出したりはしない。どんな愚者でも、命に係わる様な言葉は忌避するものだ。それどころか僕にとっては、彼女のその部分も、十分すぎる魅力のひとつではあるのだし。
体重は人生においてまだ40kgを超えた事がない。身長に至っては、本人は「150cmに届かない」と公称しているけれど、僕は知っている。その正確な数値は、140cm代でも前半を維持したままだという事を。
さらに申さば、小柄でとてもスレンダーな体型にふさわしく、その胸部も実になだらかで関東平野の如くまったいら、でありまする。
就中、それこそが僕の理想でもあったりするけれど。
結論…というか一般的な観点からは、僕の如きコミュニケート能力がいささか欠落した輩には不相応な彼女だとも思うけど。
…それはそれとして、だ。文ちゃん先輩が「理想の彼女」であるとしても、先ほどの駒井先生のお言葉には、あえて意義を申し上げたい。
彼女はああ見えて、意外に武闘派でもあるのだ。
僕だけが知る、彼女の裏の顔。これこそが彼氏の特権である。
つい先日、街中とかライヴハウスで悪党(?)どもを相手に、丁々発止とやりあったのも彼女の方だった。決して僕ではない。にもかかわらず、その武勇伝モドキはなぜか僕の事になっているとも伝え聞く。まるでマスコミの過熱報道みたいではないか。巷に広がった話を聞いて一番驚くのが当の本人というのは、誠に嘆かわしい現実であろう。
しかもあの時は舌戦論戦の類ではなく、ガチの肉弾戦だった。あの小柄な体のどこにそんな力が?なんて疑問はない。
何せ文ちゃん先輩こと鬼橋 文という少女は、人知を超えた魔導師の末裔にして生まれ変わり、およそ半世紀前の「魔女」の名を受け継ぐ存在なのだ。
戦前の帝都東京の夜を震撼させた魔導師「鬼橋 文」の四代目。数々の魔導を駆使し、その身体能力も常人をはるかに凌駕している彼女が、そこいらのチンピラ風情に遅れを取る理由も無かろう。…まあ、それを知っているのは僕と彼女の一族、そして我が校の誇る美人養護教諭・剣城鮎子センセイだけではあるけれど。
この鮎子先生に至っては、文ちゃん先輩の比ではないほどトンデモない秘密があるのだけれど、今は触れないでおこう。…何せ、僕が考えた事は、鮎子先生には筒抜けになっている可能性すらあるのだ。
《あは。そんなにいつも聞こえてるわけじゃないよ?》
…ほら、やっぱり。
頭の中で、のほほんとした美人のセンセの声が聞こえた気がした。彼女に言わせれば、僕は彼女の「優秀な信者」に当たるらしい。それがどういう意味を持っているのかは分からないけれど。まあ、鮎子先生にはこれまで何度も命を救ってもらった恩義もあるし、感謝している事には間違いない。
「志賀、休み中も鬼橋の言う事をよく聞くんだぞ」
駒井先生の余計な一言に、またもや教室内が笑いに包まれた。
きーんこーん、かーんこーん。
先生の言葉を合図にするかのようにチャイムが鳴った。
「きりーつ!れーい!」
クラス委員の号令で、クラスメイトが一斉に立ち上がった。教室内が一瞬の静寂に包まれた。
『ぷっ。くすくすくす』
その沈黙を縫って「誰か」が笑った。ちょっとくぐもってはいたが、それは少女の声だった。
「へ?だぁれ?今笑ったの」
「えー、あたし知らないよー」「わたしもー」「オレも知らねー」「誰でもいーじゃん」「まあそうだよね」「そうそう。それよりさあ…」
クラスメイトたちの頭の中は、正体不明の声の主探しよりも、すでに来たる春休みの予定の事で一杯になっているみたいだった。
…ふぅ。助かった。それにしても、あの野郎…
そそくさと教室を去る者、一年間の思い出話に興じる者。実質的な春休みは明日からだけど、ここにいる誰もが、気分だけはお休みモードになっているみたいだ。
僕も席を立って、教室の後ろ側にある棚に自分の荷物を取りにゆこうとしたら、悪友森竹が
「なあ義治、帰りに『もりせん』にでも寄ってかね?」
などと道草を誘ってきた。
「んー、今日は用事があるから行かないよ」
ちなみに「もりせん」というのは県内各地に店舗を構える大手スーパーの事だ。スーパーとはいっても広い駐車場を完備する二階建ての大規模な作りで、生鮮食料品はおろか衣類、日用品書籍といった物だけでなく、店内にそこそこ充実したフードコートとかゲームセンターまであるという、なかなかのショッピングモールである。
昔テレビの深夜映画でよくやってた、ロメロ監督の「ゾンビ」の舞台みたいな奴を連想していただければよいと思う。あの映画では、生き残ったニンゲンたちはそこを生活拠点としていたっけな。
我が群馬という所は、そういう所はアメリカっぽい所もある。マイカー普及率と女性の運転免許取得率が全国一の我が県では、各ご家庭のおかーさんたちも自ら運転する自家用車でスーパーに出かけて、ごっそりと食材なんかを買ってゆくのが普通だ。
それに僕たち学生たちにとっても、マンガ本買ったりビデオゲームで遊べる娯楽の殿堂的な場所でもある。僕と森竹も、よく学校帰りにここに寄って、安くて脂っこくてやたらとしょっぱいだけのフライドポテト食べながら、「プーヤン」だの「ペンゴ」だの「サスケコマンダ」とか言った最新流行のゲームに興じたものだ。
「あ、そうか。また今日も鬼橋会長とデートってわけかよ、コンチクショー」
「んー、まーね」
「羨ましいぞこのやろー。ヘソ噛んで死ね」
「言ってろ」
なおも悪態をつく悪友を無視して、僕は自分のスポーツバッグと、脇に置いてある愛用のギターを入れたケースを手にしたのだが。
『くすくすくす』
あ、このやろ。また…
「お、おい義治…」
「何だ」
「い…今そのバッグ、何だか動いてなかったか?」
「動かない」
「それに何か声が…」
「してない。いいか森竹。世のスポーツバッグは勝手に動いたりしないし、言葉も発しない」
「そ…そりゃそうだがな…」
「動かないし喋らない。だからこの話はおしまいだ。じゃあな、休み中も息災に過ごせ」
「あ…ああ…でもなあ…」
「そ・く・さ・い・でな!ではさらばだ悪友。あでぃおすあみーご」
「お…おう…」
誠意ある我が対応に森竹も納得してくれた様だし、僕はそのまま教室を後にした。
森竹の位置から完全に死角になった所で、僕は一気に駆け出した。
『ひゃあ!ちょ…ちょっとヨシハルさん?』
ぶんぶんと振り回されるスポーツバッグが何か言ってるみたいだけれど、構っている暇はない。
『ヨシハルさんってば!』
「黙りおろうこの粗忽者!」
『ひゃわわわ!』
僕は階段を駆け上がり、南校舎の3階の非常階段に出る扉を開けた。
ここならば誰にも気づかれまい。
周囲に誰もいない事を確認すると、僕はスポーツバッグのチャックを開けてみた。
そこには目を回した少女の頭部があった。
「…おい、いい加減に起きろ、からくり人形」
これは少女の生首ではない。僕がそんな猟奇的なモノを持ち歩く訳がない。こいつはただの人形だ。
…いや、さすがに「ただの」とは言い難いか。
こいつの名前は「慰撫・弐式」という。以前、すったもんだの末に文ちゃん先輩の「使徒」となった生きている人形、「異形」と呼ばれる異質な存在の一人…一匹?ひとつ?なのだ。
「おい起きろ生意気人形!」
『…ふぇ?…あーヨシハルさん…?』
慰撫の声は、まだ寝ぼけているみたいだったけど、大きな目を数回瞬きしているうちに我に返ったみたいだ。
『…はっ!何て酷い事をなさいますの!?この下郎!野蛮人の人非人!ギターだけが取り柄の無能!』
首だけの慰撫は、あらん限りの悪態を浴びせてきた。おい、取り柄がひとつでもあれば無能とは呼べないぞ?
「お前こそ、ちったぁ静かにしていられないのかよ?さっきは一瞬、冷や汗かいたぞ」
『大きなお世話ですわ!愚かなヨシハルさんの事を、クラスのみなさんもお笑いになってたじゃありませんの』
「それこそ大きなお世話だい。…まったく、首だけになっても口だけは減らないなお前」
『むぅ…ですわ』
こいつは、つい先日、僕が巻き込まれてしまった不幸な事件で、僕を庇ってこんな姿になってしまった。その事には感謝しているつもりだけれど、やはり面と向かって罵られるのは御免蒙りたい。
本来、文ちゃん先輩の「所有物」であるはずのこいつだったけれど、彼女が普段持ち歩かない様な大きなバッグを抱えているのはさすがに目立つだろうという事で、僕が預かる事にしたのだが、このはねっ返りなご令嬢がそうそう大人しくしているはずがない…という簡単な予想もできなかったのは痛恨であった。
昨日までは古取町の文ちゃん先輩の家に置いておいたのだが、今日はいよいよこいつを「修理」できるという人がこちらにやってくるというので、今朝、僕がバックごと預かったのだが…やっぱ問題起こしてくれやがった。
「これから文ちゃん先輩の所に行くから、もう少し静かにしてろよ?」
僕はそう言うと、再びチャックを締め、無造作にバッグを肩越しに背中にしょいこんだ。
『ひゃあ!』
…まったく。言ってるそばからすぐこれだ。