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10 カミサマ、(電話で)斯く語りき。

 一夜明けて、待望の春休みがはじまった。

かといって、その初日は特にこれといった事もなく、ほぼ平穏無事に終始したけれど。

まあ、前夜祭が盛り上がり過ぎて、いざ本番となると、その疲れもあって今ひとつ盛況に欠く、なんて事はよくある話だろう。

そもそも、僕の「春休み前夜祭」は、田舎のいち高校生にとってあまりにも苛酷に過ぎた。

序盤には首だけ生き人形に振り回され、その次に文ちゃん先輩の従妹の真礼さんの強烈な個性に振り回され、閉幕には元・異形のこれまた生き人形さんに、家まで高級外車で送っていただいた…という、何だこのありがたくもないフルコース。

どれひとつ取ってもそれだけでお腹いっぱい、僕のキャパシティを軽く凌駕する様な内容だった。言うなれば、志賀義治3人分を必要とする試練でもあった。結果残機ゼロ。今朝目が覚めた時の僕の頭の中は、「コンティニューしますか?」のメッセージと共に数字がカウントダウンしている様な状態だったのだ。

 それでも日課の親父の淹れてくれたお茶を頂戴し、母の作ってくれた朝食を口にしたら、何とかひと心地つく事ができた。

戦前生まれの親父殿を囲む我が家の食卓だけど、意外にもパンとサラダ、それにサニーサイドアップの目玉焼きという、洋風な物が多かったりする。何でも、戦地から復員してきて、県内各地の農業復興事業指導のお仕事をしている頃に、たまたま知り合った日系ハーフの係官から勧められたのがきっかけらしい。親父殿はその「(かざ)(きり)さん」とかいうハーフさんにはけっこうお世話になっていたらしく、僕もその頃の思い出話にはよくつき合わされた。その人はマッカーサー配下の機関から出向してきた日本通のエリートさんだとかで、話を聞くたびに、我が親父殿にも、なかなかの人脈があるんだな…と感心したものだ。

 朝食後はもちろんギター・トレーニング。練習曲はもちろん「アンジー」だ。

すでに基本的なリックは覚えているから、今後の課題は、曲の微妙なニュアンスを身に付ける段階にきている。

アコースティック・ギターという奴はかなりデリケートな楽器だ。フィンガリングやピッキングのほんの些細な違いが、決定的な個性となって音に出てしまう。良くいえば、実に「正直な」楽器なのである。だから、プレイヤーの個性がそのまま音になる。たとえば僕の持っているギターを他人が弾いたら、まったく違ったトーンになるのだ。

だからこそギターは面白い。

とはいえ、やはり達人のトーンに憧れるのもギター弾きの習性には違いない。僕は敬愛するポール=サイモンの指が紡ぎ出す、あの繊細なトーンの秘密の断片だけでも身に付けたいというのも、また偽らざる本音である。

何度も何度もレコードを聴き直し、レコードに合せて自分もギターを弾いてみる。

曲のパートによって固くも柔らかくもなる千変万化のミラクル・トーン。これらを一音単位で探ってゆきながら、一歩でも彼のトーンに近づこうと模索してゆくのだ。

 もちろん、コピーするのはトーンだけではない。ギター弾きなら誰でも、「独自の間」という物を持っている。楽譜通りに、正確に弾くのが正しいわけというでもないのだ。

特にポール御大は、歌にせよギターにせよ、かなり独特な「間」を持っている。あの独特の「タメ」は、他人が一朝一夕に身に付けられる様なヤワな物ではない。断じてない。

こういった全てを、それこそレコード盤が擦り切れるまで何度も聴きながらコピーしてゆく…というのは、実に気の遠くなる様な作業だが、これが世にあまねく存在するギター弾きの、ごくありふれた「日常」でもあるのだ。

…嗚呼、何と素晴らしきかな、日常。

僕は、この「日常」という物の有難さを、改めて噛みしめていた。

思えば、昨日に限らず、この半年の間、僕は常にこの世ならざるモノ、「異形」どもに振り回され続けてきた。過ぎにし「非日常」の日々を思い返す度、僕はよくもまあこれまで正気を保ててこれたと思う。もっともそれは僕だけの力ではない。文ちゃん先輩や、それに鮎子先生…あとついでに慰撫の奴がいてくれたからこそ、僕は異形どもの餌食にもならず正気を失う事もなく、これまで無事に過ごせてきたのは間違いない。

《そー言われちゃうと、さすがにちょっと照れちゃうなあ》

いつもの様に、頭の中で「声」がした。聞こえたのではない。それは物理法則を超えた、脳裏に直接伝わってくるメッセージだった。

いわゆる「カミサマの声」。

よくもまあ、こんな信仰心の欠片もない様な僕に聞こえるものだと思うけれど、聞こえてしまうのだから仕方がない。第一、当の「カミサマ」が、勝手かつダイレクトに送ってくるのだから、文句を言っても始まらないのだ。

繰り返すが、僕には信仰心なんて殊勝なモノはほとんどない。そりゃあ、ご先祖様のお墓参りに行けば手を合わせて黙祷するし、セカイ各地の神話とか伝説伝承の類は大好きだけど、それだって純粋に「文学」としての興味以上の物ではない。

とはいえどもだがしかし。そんな僕でも、「カミサマ」の存在だけは疑っていない。なぜなら、僕自身、その「カミサマ」をよく知っているからだ。形而下的な意味で。

「カミサマ」は間違いなく存在する。我が県立業盛北高校南校舎の1階の保健室に、白衣を着て鎮座ましましているのだ。真に畏れ多い事である。(かしこ)みかしこみ~もの申す、ときたモンだ。

しかもこのカミサマ、実にフランクであらせられるご様子で、「聖域」たる保健室に押しを踏み入れる際も、別に二礼二拍手する必要もなければお供物を捧げる必要もない。いやむしろ、先方からとっても美味しい紅茶を淹れてくださるというサービスっぷり。

その有難いカミサマの御名は、「剣城(つるぎ)鮎子(あゆこ)」という。

現人神(あらひとがみ)」。まさしく「ニンゲンの姿で現れたカミサマ」である。

しかもこのカミサマ、どうやらこの「セカイ」を産み出した最高神であるらしい。もっと厳密に言えば、僕たちがこうして暮らしているこの「セカイ」は、深い海底の神殿で眠るその「カミサマ」が観ている「夢の中の出来事」に過ぎないという。我が校の誇る美人養護教諭は、その「カミサマと存在を同じくする者」なのだそうだ。

そんな途方もないスケールのお話なんて、もちろん最初は信じてなかったよ?だけどこれまで何度も異形どもに出くわして、その都度鮎子先生に助けられてきた僕は、今ではそれを信じるしかないな、とさえ思う様になってきた。

まあ、信じる信じないなんて、実は二の次だったりもするけれど。

それは別に、そんな神話めいた物に対する好奇心とかいったモノでもない。そもそも、好奇心なんて奴は、猫だって殺してしまうそうではないか。

不老不死のカミサマたる鮎子先生は、今から10年以上前にはアメリカで過ごしていたそうだけど、当時、先生はサイモン&ガーファンクルの生演奏を、直にご覧になったそうだ。

むむ。これは羨ましい。実に実に羨ましからん事である。僕が彼らの音楽を知った時、すでに彼らは解散していた。完全に「後追っかけ」の世代の僕は、レコードとか、ごくたまに放送されるテレビ番組の特集でしか、彼らに接する機会がなかった。もちろん、ギターだって独学だ。そんな僕の前に現れたのが鮎子先生だった。彼女から当時の話を聞くのも楽しかったけれど、僕のギターに合わせて歌ってくれる彼女の歌声にも魅了されたものだ。

放課後、文ちゃん先輩を交えた三人で屋上で繰り広げられたささやかなセッションは、僕にとっての日々の悦びだった。このセッションがあればこそ、僕のギター・プレイは格段に向上できたと言っても過言ではないのだ。

そう。正直、僕は文ちゃん先輩や鮎子先生たちと一緒にいるのが楽しいのだ。

相手がカミサマであろうと、たとえ悪魔だったとしても、僕は彼女たちと過ごす時間をかけがえのない物だと思っている。

《ううん。全てはキミの努力の結果だよ?むしろ、わたしの方が楽しんじゃってるもの。あ、それとね》

…何ですか?

《わたしは決して悪魔じゃないよ?カミに誓っちゃうもの》

…。カミサマがカミに誓ってどーするんですか。ましてやセンセは最高神のはずでしょ。

《くすくす》

心で思った事が筒抜けになるというのは、あまり気持ちいい物ではないはずだ。にもかかわらず、僕は先生と、こうしてごく普通に「会話」してしまう。それは彼女のヒト柄…いや「神格」?いや違うな…器でもないし、うまく言えないけれど、鮎子先生となら、僕は全く気持ちを偽る事なく接する事ができてしまうみたいだった。それが先生の言う、「優秀な信者」という事なのだろうか。

《別に、そういう訳でもないんだけどね。…ところでさ…》

反射的にはい?と思ってから、部屋で一人、ギター抱えながら見えない相手と何やら会話めいた事をやってる己の奇矯さに溜息が出た。何やってんだろ僕ぁ。

《あは。それもそーだね。じゃ、これから電話するね》

ふと、受話器手にしてウチの電話番号をダイヤルしてるカミサマの姿を思い浮かべてしまい、僕は思わず噴き出した。

と、玄関から電話のベルの音が聞こえてきた。慌てて出ようとすると、

『あーはいはい。いつも息子がお世話になってます。しばらくお待ちくださいませ』

なんて母の声も聞こえてきた。

「義治―、学校の先生から電話―」

あーはいはい、と部屋から出て、母から渡された受話器を受け取ると、

『やっほ。考えてみたら、キミのおうちに電話するのって初めてだね』

なんて、受話器の向こうで鮎子先生がおっしゃった。

「…ちゃんと電話も使えるんですね先生。つか、先生の家にあったんですね、電話」

『くすくす。現代に生きるカミサマは、電話くらい使えるもん。電話だけじゃないよ?自動車だって運転できるのだ~♪えっへん』

ああそうだった。先日の悪夢の記憶が脳裏に蘇ってしまった。

僕は一度だけ、鮎子先生の運転するクルマに乗せてもらった事があった。その時の記憶は、すでにトラウマとなっているけれど。

…決して運転が荒いとかスピードを出し過ぎるという訳でもない。何と言うのか、きちんと制限速度を守りながら、あれだけ寿命の縮む様な運転をするドライバーさんを、僕は他に知らない。鮎子先生のクルマに乗るくらいなら、まだ昨夜の内藤さんのクルマに乗せてもらった方がましだとさえ思えてしまう。だから、

『志賀くんたちってば、明日から旅行に行くんだって?何ならわたしが乗せてってあげようか?』なんてお誘いにも、

「お断りしますっ!」

なんて速攻で応えてしまった。しかし、「信者」からのこの拒絶は、カミサマのご機嫌を損ねてしまったらしく、

『むー。さっき文ちゃんからもおんなじ事言われた~』

なんて拗ねた様な声が聞こえてきた。

「あ、やっぱり」

『やっぱりって何よぉ。傷つくなぁもぅ。わたし、ちゃあんと運転免許も持ってるんだよ?』

「それはそうでしょうけど…先生も行きたいんですか?老神温泉」

『まーねー。わたし、温泉好きだもの』

美人さんと温泉、というのはとっても似合うと思うけど、綺麗なカミサマとの相性はどうなのだろうか?この場合。

「…伊香保とか、近場もありますけど」

『伊香保はねー、文ちゃんたちとよく行くから、たまには違う所もいいかな、なぁんて』

「はぁ」

『それにね?』

「何ですか」

『いくら仲がいいからって言っても、男女の生徒たちだけで温泉旅行…ってのは、先生としてはちょ~っと見過ごせなかったりするんだけどなー』

「…う。そう言われると反論できません」

『でしょでしょ?だからぁ、ここは引率者も必要だなぁ~って、先生思うんだけど』

「…い…一理ありますけど…」

『だからぁ、わたしも一緒に連れてって?お願いだから、ね?』

「信者」に懇願するカミサマというのは、果たしていかがな物だろうか。ましてやあなた最高神のくせに。

「…あの、文ちゃん先輩は何と?」

『“鮎子おねえちゃんがそう言うのなら仕方ありません”だって。きゃは♪』

そう言う鮎子先生の声は弾んでいたけれど、そう申されたという文ちゃん先輩の表情が、僕には何となく想像できてしまった。

『わたしから言うのも何だけど、ほんといい子よね、文ちゃんってば』

「じゃあ、文ちゃん先輩は鮎子先生のクルマで現地まで行く事になったんですか?…って、あれ?」

『だからぁ、それだけは絶対に嫌なんだって。くすんくすん』

…そりゃそうだろう。付き合いが長い分、彼女は僕なんかよりもずっと、あの運転の恐ろしさを知っているに違いない。

「…いっその事、翼で現地まで飛んでってもいいんじゃないですか」

『疲れるからやだ』

…そうですか。はぁ。

『まあ、キミたちの監視と安全の保障も兼ねて、先生がちゃあんと引率してあげるから、ここはわたしにどーん!とまっかせなさいっ!』

…本当は自分が行きたいだけのくせに。

『あ、そうそう。そこでキミを見ているお母様にお電話、代わって?』

「あ…はい」

言われて振り向くと、本当に何やら神妙な顔でこっちを見ているお袋の顔があった。もしかしたら、学校の先生からの電話という事で、僕が何か仕出かしたのかもと思っていたりするのかな。

僕と代わった母は、

「まーそうでしたか!まあ!先生がわざわざ?それは本当に申し訳ありません…え?いえいえそんな、先生も春休みだというのに、よろしいんですか?いえ、あらあらまー」

…すっかり籠絡されてやんの。

汚いさすがカミサマ、やる事が汚い…じゃなくて用意周到な事だよまったく。

夕食を終えてから、僕は明日からの旅行の準備に取りかかった。

温泉という事で、着替え数着と簡単なトラベルセット。

もちろん、あれは忘れちゃいけない。必需品だものな。

持ってゆく物をスポーツバッグ(昨日、慰撫の首を入れてた奴だ)に詰め込みながら、僕はふと、鮎子先生の言葉を思い出した。


《キミたちの監視と安全の保障も兼ねて、先生がちゃあんと引率してあげるから》

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