序
どうも。瑚乃場茅郎です。
「異形セカイのカポタスト」、第4章のはじまりです。
前作がだいぶ長編になってしまったので、今回はもう少し短めに…する予定です。
――その部屋は、まさに地獄絵図だった。
床に突っ伏し、嘔吐物にまみれたまま息切れた者。
ベッドの上で、胸を掻きむしったままの姿勢で果てている者。
壁には血がべったりとこびり付き、そのまま下に向かって伸びている一本の赤い筋を目で辿ってゆくと、壁に顔を貼り付けたまま死んでいる者もいた。おそらくは死ぬまで何度も壁に頭を打ち続けていたのだろう。
港に到着した直後、「船内に異変あり」との連絡を受け、現場の船室に駆けつけた加茂野中尉は、そのあまりの惨状にドアの前で立ち尽くしてしまった。
「…な…なぜだ…魚雷は不発だったはず…」
数日前に敵潜水艦の攻撃も受けたものの、何とか無事に昭南港に到着したはずだった。いや、あれから数日は経っているし、水と食料補給のために西貢に寄港した時には、まだ何の異常もなかったはず…だった。
「中尉殿…?」
彼の後からやってきた部下たちも、現場の有様を見て一様に青ざめていた。
「…まさか…疫病なのか…?」
場に居合わせた誰かの震える声に、加茂野中尉は我に返った。
「い…いかん!全員、直ちにマスクを装着して遺体の搬出にかかれ!作業に関わった者は、後で必ず消毒を受け、軍医殿に診てもらうのを怠るな!」
「はっ!」
「あ…あの、中尉殿」
命令を受けた部下の一人が、震える声で言った。
「あぁ?何だ!貴様ももたもたしとらんで、さっさと作業に取り掛からんか!」
「あ…いえ、ならばこの部屋も、何らかの消毒対処を施し、然る後に閉鎖隔離すべきではないかと小官は愚申するものでありますっ!」
「お…おお、そうだったな…あ、いや、そんな事は言われんでも分かっておるっ!」
「もっ、申し訳ありませんっ!」
怒鳴られた部下は、慌てて敬礼して駆け出していった。
「疫病…」
自ら口にしたその単語に、加茂野中尉は不安を覚えた。
そういえばどことなく気分が悪い。それはこの惨状の有様のせいなのか、それとも…?
昭和19年10月。
連合国側の反撃を受け劣勢に立たされていた日本軍にとって、深刻な問題のひとつは慢性的な石油不足だった。この事態を打開すべく、同年10月2日、日本はボルネオ島ミリに向け、石油汲み出しのためのタンカー船団派遣を決定した。これがいわゆる「ミ船団」である。「ミ」は「ミリ往航」を意味する。この決定を受け、同月19日の朝に佐世保を出港したのは通算23番目、10隻のタンカーからなる「ミ23船団」だった。
タンカーとはいっても、正式のタンカーと言える物は2TL型戦時標準船「宗像丸」(10,045総トン)だけであり、他は戦時標準船「松本丸」、それに通常貨物船から設計変更して竣工されたばかりの2AT型戦時標準船5隻、および中型の2TM型戦時標準船3隻というお粗末な物ばかりであった。これに特設工作船「白砂」と貨物船など4隻が編入された。さらに護衛として海防艦5隻と旧式の駆逐艦を改装した哨戒艇2隻が随行する。
船団を指揮するのは「白砂」に乗る第8運航指揮官・山本雅一大佐。
「…なあ、この船、ちょっと傾いてないか?」
この年6月に横浜の日本鋼管株式会社鶴見造船所で竣工されたばかりの2AT型戦時標準船「山園丸」(6,949トン)の甲板に立った時、何となく不安を感じた加茂野中尉は、傍らに立つ西澤一等兵に感想を漏らした。
「…自分はあまり気になりませんが」
「いや…やっぱり左に傾いておる気がする…大丈夫なのかこの船は」
「ああ、中尉殿は内陸のお生まれでしたっけ」
「うむ。群馬の追貝村という所だが?」
「なるほど…それで船にはお慣れではないご様子なのですね」
「馬鹿にするつもりか?これでも釣舟くらいには乗ったことがあるわ」
「はあ…釣舟、でありますか」
西澤は、それ以上この話題には触れなかった。
佐世保を出港した同日の午後3時、東志那海舟山列島付近に達した時、船団は米軍潜水艦2隻による攻撃を受け、タンカー2隻が魚雷を受けて撃沈した。山園丸にも一発の魚雷が被弾し、「各員退船準備!」の船内放送が流れたものの、幸いな事にこちらは不発、船体の損傷は軽微な物で済んだ。総員でこの魚雷を処理し、西貢港を経て昭南港にたどり着けたのは11月12日の事であった。
やれやれ、これで無事に任務を終える事ができたと加茂野が煙草に火をつけたその時、駆けつけた伝令からその報告が伝えられたのだった。曰く、
「――船倉近くで、少年兵たちがみな死んでいる?」
銜えたばかりの煙草の灰が、ポロリと甲板に落ちて転がっていった。
少年兵たちの遺体を回収し検死した所、その死因は疾病などによる物ではなかった。
その真相は一応、報告書に記されたものの、詳しくは書かれなかった。
それは、戦場ではわりとよくある様な、ごくありふれた物だったから。
報告書にはこう記されているのみ。
「山園丸、少年兵拾六名殉歿セリ」と。




