008 侵略者オーブニル
馬車での移動は思いの外、時間が掛かる。
現代の自動車と違って、動力源は生物である馬だ。疲れもすれば、飼い葉も食べる。まあ、僕なら馬を改造して速度やら馬力やら持久力やらを向上させることも出来なくはない。が、異常な能力の動物を持っていることをあまり大っぴらにすると、魔法生物所持の嫌疑を掛けられる恐れがある。基本的にユニコーンなどの幻獣の類――モンスターとの違いがよく分からないが――は、王家からの許可が出ないと保有できないことになっているのだ。
しかし、移動に時間を取られた分、予定外のアクシデントで不調を来たしたM-03の再調整を入念に行えたのは、不幸中の幸いだろう。現在の彼女は他の奴隷と変わりなく業務が出来るまでには回復している。後ほど現地にラボを開設出来たら、もう一度入念な検査をしてやらなければ。
そんなことをつらつらと考えながら、馬車の窓外を見やる。僕らは既に目的の場所であるマルラン郡へ入っていた。目に移るのは荒れ果てた畑と草臥れた農民の姿ばかり。ここは本当に大地と芸術の国アルクェールなのか? おまけにモンスターの討伐も滞っているのか、途中でユニやドゥーエに仕事をしてもらった回数は、一度や二度では無い。
予想はしていたが、ここまで酷い土地を押しつけられるとは。
「ご主人。アンタよっぽど、あの兄貴に嫌われてたんだな……」
「みたいだね。弟への嫌がらせの為に領主から放っとかれる農民は、堪ったもんじゃないだろうけど」
まったくだ、と肩を竦めるドゥーエ。今同乗しているのは彼だけだ。
普段僕の傍を離れないはずのユニはというと、
――トンっ。
馬車の屋根に、何かが降り立つ音がした。ドゥーエが思わず背中の両手剣に手をやるが、
――トン、トトン、トンっ。
頭上から奇妙なリズムのノックが聞こえる。
あらかじめ決められた符牒だった。
僕はドゥーエを手で制しながら、上へと声を掛ける。
「おかえり、ユニ」
そして走行中の馬車の扉を開けて乗り込んでくる。先行させて情報を探らせていたユニだ。彼女は探索クエストの為にレンジャー技能も保有している。辺境で燻ってる木端役人の調査など、朝飯前だろう。
「只今戻りました、ご主人様。……やはり、この地の統治には不備が目立ちますようで」
差し出されたのは、この郡を三分割して治めていた代官家の書類だ。勿論、ユニが原本ではなく書き写した写しであるが。
「ご苦労さま。どれどれ……うわ、酷いなこりゃ。穀物の横流しに灌漑費用の横領? 水利争いに絡んだ付け届け、は仕方ないとして……賄賂による王都からの監査の誤魔化しまで。税率は実質九公一民。おいおい、これじゃあ下は常時飢饉みたいなものじゃないか」
「農民の多くは、奴隷売却で生計を賄っているようです」
なんてこった、つまりは僕のお得意様だったかもしれないのか、ここは。
これも因果応報というんだろうか?
「……アンタ、よく一日足らずでここまで調べたな?」
「メイドですので。屋敷への潜入はお手の物です」
「それ、おかしくねえ?」
などとやりとりに興じる『作品』たち。僕はその会話に混じらず、この荒れ果てた僕の領地をどうするか、じっくりと考えていた。いずれにせよ、最初の一手は決まっているが。
「ようこそいらっしゃいました、新子爵様!」
政庁のある街を治めていた代官らしき男が、大仰に手を広げて僕への歓迎の意を表す。後ろに控えるのは、彼と同格のこれまた代官らしき人物二人。僕への卑屈な追従の笑みを浮かべているが、先頭に立つ同輩への嫉視が滲んでいる。大方、僕が滞在する場所を提供した彼に、出し抜かれたような思いを抱いているのだろう。
背中に突き刺さるそれに優越感を覚えているのか、男は殊の外上機嫌に見えた。
「長旅、さぞお疲れであることでしょう! 本日は私めが風呂など用意しております! ささ、我が館へどうぞ! 王都の邸宅には見劣りしましょうが、是非お寛ぎください」
見上げたごますり根性だった。僕が赴任してきたことで今までのような好き勝手が出来なくなったというのに、なかなかの狸ぶりである。大方、上手いこと取り入ってから骨抜きにして、逆に自家薬籠中のものとしてやろうという魂胆だろう。だが、僕はそんな手に――
「あー……うん。僕、旅には慣れてないんだよね。すっかり疲れちゃったよ。お風呂あるんだって? いいね。うん、行く行く」
――思いっきり乗ってやる。いや、実際何日も馬車に揺られているのは辛い。オーブニル家の馬車は僕が手を加え、サスを搭載したりして改良が加えられているものの、流石に前世で乗っていた自動車や電車の座席に比べると、乗り心地が良くないのだ。
代官の代表は、僕の見せた予想以上の盆暗ぶりに一瞬目を丸くしたが、
「……左様にございますか! では、早速風呂へご案内いたしましょう! 手をお取り下さい!」
「えっ、そう? 悪いね……なんかお世話させちゃって」
「いえいえ、滅相も無い! 新たなご領主様に誠心誠意お仕えするよう、伯爵様からも仰せつかっておりますので!」
「んー? 兄さんから? 僕、あの人嫌いだな。細かいこと、いつもブツブツ、ブツブツって。聞いてくんない? この間もさー、食事の時にフォークとナイフどっちを先に取るかがどうのって、うるさいのなんの」
「ええ、ええ! 勿論、トゥリウス様を主として、誠心誠意お仕えします!」
おべっかも、ここまでいくと芸術的だ。それにしてもこの押しの強さ。僕の前世の世界に生まれても、この人は営業マンとして食って行けるだろう。経営手腕を見るに、管理職には絶対に就けたくないタイプではあるが。
そんな事を考えてだらだらと歩きながら、周りにいる人員をチェックする。代官所の役人たちは、僕が暗愚な坊ちゃん貴族全開なところを見せる前から、侮りの気配を隠しもしない。少ない家臣――というか奴隷を除くと単身に等しい――で乗り込んできた、二十歳前の小僧など、どうとでも出来るという顔だ。
おまけにメイドたち、特にユニに向けて好色な視線すら向けている。見るからにゴツい格好のドゥーエには、何人かが怯えた顔をする者の、武官だか山賊だか分からないような連中は、ニヤニヤと挑発的な表情を浮かべていた。
上の連中の考えを知るには下の者の態度を見ろというが、これじゃあまるで敵地だ。初めての知行経営でこんな所を当てられて、上手く切り回せるのは、余程の名吏名相くらいのものだろう。
まあ、それはいい。かえって手加減無しで徹底的にやれるというものだ。
僕の当分の仮住まいとなるだろう代官屋敷の風呂は、中々に贅沢な作りだった。湯船はたっぷりと広く、手足を伸ばすどころか大人三人が同時に浸かれる程だ。おそらく、というか間違いなく、多人数で入って色々楽しむ為のものだろう。どうやら彼らは、ここで余程の贅沢な暮らしをしていたのだと推測出来る。そのお陰で、僕がゆっくりと寛げるというものだが。
「お湯加減は如何でしょうか、ご主人様」
石造りの浴室に、ユニの声が響く。別に特殊な風呂屋よろしく、彼女が裸で僕に侍っている訳ではない。ユニは浴室の入り口で警護中だ。全身を防御用の礼装で固めて、ようやく出掛けられるようになるという臆病な僕。そんな僕にとって、身に着けるもの全てを外す入浴時というのは、最も無防備な状態なのだ。二刀流で有名な伝説の剣豪なら入浴をしないという回答を出すだろうが、僕は元二十一世紀の日本人である。酒や煙草はやらなくても、風呂だけは欠かさず入らずにはいられない。よって、こうして僕がのんびり入浴できるよう傍で警護するのも、ユニの毎日のお仕事の一つなのだ。
「ああ……まあ、ぬるめだけど我慢出来なくはないかな。ディナーの前に上がる分には問題無いよ」
「よろしければ、温め直しましょうか?」
「大丈夫。たまにはこういうのも乙なもんさ。それより警護に集中していてくれ」
「はい、ご主――」
不意にユニの返事が途切れる。どうしたことだろうか。六つの頃からメイドとして躾けられた彼女が、メイドとしてそんな粗相をするとは思えない。ということは、
『M-02よりチーフメイドへ。浴場に接近する人物あり。外見、二十代半ばから三十代前半の女性。非常に軽装。武装、魔力、共に無し。隠蔽の可能性も極小。オーバー』
ユニのメイド服のポケットから、こもった声が聞こえた。通信用の礼装だ。魔法仕掛けのトランシーバーのようなものだと思ってくれれば良い。成程、報告の前に誰かの接近を感知していたか。
「……チーフメイドよりM-02へ。報告の対象にはこちらで対処します。そちらは引き続き周辺の警戒を。オーバー」
「ふーん……暗殺者とは思えないし、そうなると――ユニ」
「はい。『香水』をお使いになられますか?」
皆まで言わずとも、僕の意図を察してくれたようだった。伊達に長年僕の助手はやっていない。
「ああ。場所は――」
「ズボンのお尻側、左。いつもの通りですね? ありました」
ユニは取り出した小瓶を「失礼」とこちらに投げ渡す。緊急時だ、呑気に手渡して貰っている暇は無い。僕は小瓶の蓋を開けて適当な場所にそれを置いておく。濃密な甘い匂いが、むっと香った。準備は完了だ。
その直後、浴室に繋がる脱衣場の扉がノックされた。
「……どちらさまでしょう?」
「主から命じられて、新領主様のお世話に参りましたの。垢などを掻いて差し上げよ、と」
扉の向こうから、いかにもなあだっぽい女性の声が聞こえる。意志薄弱そうな御曹司に、こういう女性を差し向けてくるとは、如何にも定石通りの手法ではある。
「ご主人様は、お一人でのご入浴を好まれておいでですが」
「あら、お傍に貴女を置いているのに?」
「……少々お待ち下さい。只今お取り次します」
僕は向こうへ聞こえないように小さく口笛を吹いた。ユニも中々女優じゃないか。あえて相手に気を揉ませ焦らしている。
「ご主人様、お客様です。お風呂のお世話に参られたそうで」
「あー、分かった分かった。入って貰って良いよ。こーいうのって、受けるのが礼儀なんでしょ?」
「畏まりました。……お許しが出されました。どうぞ」
ドアが開く音と同時に、向こうで息を呑む気配が伝わってきた。ユニが帯剣しているのに驚いたのか、それとも驚いたのはそれ以外の要素にか。しかし、尻込みも一瞬か、衣擦れの音が聞こえたと思うと、目のやり場に困る格好の女性が浴室に現れる。
「こんばんは、新領主様」
少し呆けた目線で、僕は彼女を観察する。肌の色つやは良く、旅塵などで汚れてもいない。こんな場末の田舎に、貴族を満足させるような商売女を抱えた店はまず無い。おそらくは館の主が囲っているのだろう。自分の女を差し向けたのか、それとも女の方が新しい権力者にすり寄りに来たのか。前者で有れば品性が、後者であればそれに加えて情勢を見る目も欠けていると言わざるを得ない。
僕の目をどう解したものか、現れた女はどこか余裕ありげに微笑む。
「お聞きになられていたとは存じますが、背中など流しに参りましたわ。……王都の方では、このようなご遊興の経験は?」
「うーん、あんまり無い、かな。趣味に打ち込んでいる方が、楽しかったし」
「あら、それはいけない。貴族たるもの、色々な遊び方を身に付けられませんと。特にこういう男女の事は、ね?」
そう言いながら、ぐいぐいと迫ってくる。度胸が良いものだ。視界に入らないよう気を使っているとはいえ、ユニがすぐ傍に控えているのは分かっているだろうに。それとも、既に効果が出てきて注意力が落ちているのか。
取りあえず、僕は湯船から身を起こした。ぬるま湯から離れた濡れた身体に、辺境の空気が冷たく絡みつく。
「その気になられて?」
「……とりあえず、君の事は深く知りたいかな」
「それじゃあ――」
僕の腕を取る白い手。その主の胸に引き込まれるより早く、
「その前にこれを受け取ってよ。僕の手製の『香水』だ」
本来は水で薄めてから使うはずのそれを、遠慮なく鼻先に突きつけた。ここは湿気の多い風呂場だ。こうでもしないと効果の程が分からない。
既に耐性の出来ている僕でも呆けかけた程のその匂いは、女の目から意識の光を速やかに奪い取った。
※ ※ ※
三人の代官の一人、トゥリウス・オーブニルに居館を提供した男は、寝室で満足げな感慨に浸っていた。歓迎の晩餐の席でのトゥリウスの振る舞いを見れば、彼がどうしようもない凡愚であることは目に明らかだったからだ。ちょっとばかり迂遠に領内を見た感想を聞いてみたのだが、王都から離れて片田舎に押し込まれた愚痴を語るばかり。その上、大した酒量でも無いのに、顔を真っ赤にしてひっくり返り、中座する始末である。
新当主であるライナス・オーブニルからの書簡には、家を傾かせた悪魔だのなんだの書かれていたが、それもおそらく錬金術に入れ上げて金を使い込んでの話だろう。鉛を金に変えるなどという法螺を真に受けて、それで手に入る以上の金貨を使い果たす阿呆は、いつ世にも時たまいるものだ。
これならば簡単に籠絡して、こちらの意のままに出来る。男は暗く笑った。
「何を考えているの?」
考えごとから現実に引き戻すように、彼の情婦が悪戯っぽく言った。
「決まっているだろう。これからのことさ」
「あの坊やをどうするって話?」
「ああ……お前の方の首尾はどうだった?」
水を向けると、女は馬鹿にしたように笑う。
「駄目。全然満足させてくれないのよ、あの坊や。年の割に淡白過ぎるわ」
「そう言うということは、傍には近寄れたのだろう?」
「ええ。馬鹿にあっさりと。おまけにこんな物まで寄越して――」
言いながら、身体を擦りつけてくる。嗅ぎ憶えの無い花の香りが匂った。
「……香水か?」
「王都の方で手に入れてきたんですって。ホント、分かってないわね……田舎の女は都会で流行ってる物を、何でも有り難がるとでも思ってるのかしら」
女の愚痴を、男は笑った。確かに少々キツい香りだ。好みは分かれるだろう。
それにしても、淡白だと言った割には熱の入った贈り物だ。異性との付き合いに際し、房事には淡白だが、心は寄せているというタイプもいるというが、あの若造もそうなのだろうか。
ならば、籠絡への大きな手掛かりを得たも同然だ。男は愉悦と共に昂りを覚えた。寝台に連れ込む手間も惜しんで、女を抱き寄せる。
「あん……何するつもり?」
「満足出来んかったと、言っていただろう?」
「何よ、他の男に差し向けておいて」
「この地で権を握る為の手管だ。許せ」
「駄ァ目、許さない。もう一声」
嫣然と笑みながら女は要求する。こいつは欲深な女だ。さて、何を欲しがっているものか。考えながら男は、たわわな胸に顔を埋める。
「ん、ふ……ねぇ、お願いを聞いてくれる?」
花の匂いに、目眩がしそうだ。
……甘い。
まるで天上の美酒の香りだ。思考が溶けていく。
「おお……聞こう……」
気が遠くなる。目の前の白い肌、それ以外の全てがどうでもいい。
「本当に聞いてくれるの?」
「うむ……」
「本当の本当に?」
「そうだと言っておる……」
「何でも?」
「無論だ……」
自分が何を言っているのかも分からない。
本当に何でも、言うことを聞いてしまいそうだ。
男は困惑した。果たして、ここまでこの女に夢中になったことはあっただろうか? 見てくれは上等だし、手練も悪くは無い。だが、それだけだ。夜の世界ではこの程度の女、店一軒に一人はいる。またその程度でなくば辺境の一代官に囲えはしないだろう。
その疑問も次第に薄らいで掻き消えていく。残るのは胡乱に蕩けた欲望だけだ。
「はよ、せい。何でも……聞く……なんでも……さしだす……」
男の答えに、女は笑った。
閨にはそぐわぬ、赤子のような笑い。そして瞳には、膜が掛かったように光が無い。意思の光が。
「それじゃあ――」
「――あなたの脳味噌でも貰いましょうか」
女の言葉を、少年めいた男の声が引き取って続けた。
※ ※ ※
なんというか、思ったよりちょろい。
「随分と手早く効いたみたいだけど、ちょっと濃度が高過ぎたかな……変な後遺症でも残らないと良いんだけれど」
「問題は無いでしょう。どのみち使い物になる人材とは思えません」
僕とユニは、あられも無い格好で抱き合う男女を見下ろしながら言う。室内に濃厚に立ち込めているのは、手製の香水の香り。ちょっと前に高等法院の調査官さんに使った物と同様で、匂いを嗅ぐとお願いが聞いて貰いやすくなる不思議な匂いだ。あれに比べて速攻性が高めではあるが、その分副作用も強いタイプである。
前回は前もって部屋に仕込めたし、国の調査機関に後で不審がられるのも何なので、弱めのものを使えたが、今回は僕が乗り込む側だし、いきなり風呂場に押し掛けられるしで、緊急避難的にこちらを使わせて貰った。
「失礼します。M-01よりご主人様へ報告。広間にて、緊急手術用の仮設施設の設営が完了しました。またオーパス02とBシリーズにより、武官の詰め所も制圧されております。フェイズ1の進捗に、問題無しと判断します」
「ご苦労様。さてと、今日も徹夜だ。今夜中にこの屋敷の中枢を乗っ取る。皆も頑張ってくれよ?」
報告に現れたメイドに鷹揚に肯く。
「はい、ご主人様。奴隷一同、一層の奮起を誓います」
一礼すると、報告に来たメイドは退出する。先に行って手術の準備を整えているのだろう。仮設の施設では量産奴隷の調整のような手の込んだことは出来ないが、簡単なロボトミー手術なら問題無い。領地の様子を見るに、ユニの言う通り大して有能そうではないから、全員指示待ち人間――指示待ち人形? ――にしてしまっても、特に変わりは無いだろう。むしろ領民に横暴を振るわなくなる分、改善したと言えるかもしれない。
「さて、と。こんなことにいつまでも時間を掛けてはいられないな。やることはいくらでもあるし、さっさと済まそうか、ユニ」
「はい。ご主人様」
言いながらユニは万が一に備えて代官と愛人に麻酔薬を注射。抵抗力を完全に奪う。そして小荷物の様に片手で一人ずつ、纏めて持ち上げてしまった。見るからに細身のユニが人間を二人同時に軽々運ぶ様は、結構シュールだった。
家臣団の掌握は、一週間足らずで完了した。残りの二人の代官も僕が歓待を要求すると二つ返事で招いてくれたので、似たような手法で順番に忠誠を誓って貰っている。もうちょっと手こずったりアクシデントが発生したりする覚悟はしていたのだが、現状、特に問題は起こっていない。精々が武官の動きが鈍くなったせいで、平民層の争いを調停する能力が下がり、元々低かった治安が最悪になったくらいだ。
僕らはというと、領内の掌握と併行して新しいラボの設営を進めたり、そこでこの間調子を崩したM-03を本格的に再調整したりと、それなりに忙しく立ち回っていた。
そして、今日でようやく概ねの下準備が終了したのである。
「……あー、疲れた。研究以外でこんなに働いたのは、この世界に生まれて初めてじゃないかな?」
元代官屋敷の地下を改装したラボで、だらしなく椅子に座りながら伸びをする。やっぱり設備が整っていると良い。同じ作業をするにも効率が段違いだ。
「へいへい、俺もこき使われた甲斐があるってもんだ」
そう愚痴るドゥーエ。
王都から出る際に手放した下級の素材も、この辺りにはびこるモンスターを彼に討伐させるついでにある程度集め直せていた。戦闘型の『作品』である彼は、今手を付けている作業には不向きなので、適性のある分野で頑張ってもらっている。戦えば戦うほど新しい身体には慣れていくはずなので、彼にとっても喜ばしいことの筈だが。
と、そこへユニが何やら書類を携えて現れる。
「お疲れのところ申し訳ありません。領内の各地から嘆願書が送られてきております。水利権の調停、途絶中の灌漑工事の再開、放置されたダンジョンの対策などです」
「うわぁ……」
一仕事終わったと思ったらこれだ。いつになったら研究を再開できる事やら。まあ、兄上もそれが目的でここに押し込めたのだ。今のところは彼の思惑通りと言ったところか。一週間で古狸たちを掌握したことを除けば。
「ダンジョンへの対策だァ? 野良モンスターがやけに多いと思ったが、そっから溢れてきてるのか。冒険者ギルドに依頼は――」
「あの元代官たちが、出している訳が無いだろう? ていうか、この辺りにギルドってあるのかな」
「冒険者ギルドは領内に一軒のみです。それも、依頼のレベルが低い割に件数もそれ程では無いため、肝心の冒険者が寄り付いておりません」
これは酷い。
「だろうなァ……この辺りのモンスターは数の割にレベルが低い。これじゃあ素材も低級なもんばかりだからな。見たところD級以上の冒険者には旨味がねェ。かといって、駆け出しの低級冒険者じゃ――」
「こんな僻地にくる路銀が無いので、そもそも寄りつかないと。……まあ、ダンジョン対策は後に回そう。腹案が無いわけじゃあないしね。それより農業関係の手当てからやっていこう」
といっても、僕に格段の知恵がある訳じゃあない。僕は政治家でも官僚でもない。研究者だ。アインシュタインやガウスやノイマンに内政をやらせても、有効な手立てが出来るわけじゃあないのである。シミュレーションゲームの世界でだって、知力と政治はそれぞれ別の能力であることが多いし。
なので、政治素人の僕でも出来る程度の事からやっていこう。幸い、このマルラン郡の派閥は僕に一元化されているし、派閥内派閥なんてややこしいものも無い。他所の領地以上に領主がやりたい放題だ。それだけに変な弄り方をして目茶目茶にならないよう、気を付けなければいけないが。
「取りあえず減税の布告を出そう。現状の税率は酷過ぎる。水利権に関しては、今後の調査を待ってからで」
「まァ、基本だな」
「商人への対策はどう致しましょうか? 代官たちとは、穀物の横流しという後ろ暗い関係を結んでいたようですが」
「ああ、それもあったか……丁度いい、彼らを抱きこんで、ここでもポーションを売ろう。ちょっと荒れた土地でも育つ薬草には、心当たりがある」
まったく、面倒な話だ。こうなると連中を単純に洗脳したのはミスかもしれない。取り引きを持っていた相手が豹変したとなると、商人どもに不信感を抱かれる恐れがある。まあ、それ以上の美味しい話に噛ませて黙らせるか、最悪彼らもどうにかするくらいしか対策は無いか。
「しかし、王都で行っていたような個人間の取引ならともかく、領内での産業として行うとなると、人手が足りません。私としては、量産奴隷の増員をお願いしたく思います」
「勿論だ。ドゥーエ、奴隷を買いに行くとなると君が一番目立たない。B-01、B-02と一緒に行ってきてくれ。幸い予算はここの連中が蓄えていた財産があるからね。一丁派手に買ってきてよ」
災い転じて福となす、というヤツだ。彼らは中々溜めこんでいた上に、今後は一切給金不要。オマケにそれで労働争議を起こすわけでもない。ブラック企業垂涎の人材だ。能力の方も、待遇相応に低下してしまっているようだが。
「へいへい、了解了解。で? 王都に逆戻りすりゃいいのかい?」
「いや、それだと兄上に僕の動きが勘付かれる。それにここからだと、国境を越えてカナレスに行った方が近い。大陸最大の奴隷市がある。売り物の母数が大きければ、これまでと同じ品質のモノも安く買えるだろう」
僕の口に出した地名に、ドゥーエは口笛を鳴らす。
商都カナレス。国家から独立した自由都市。金を出せば何でも手に入る、商人の街。冒険者ギルドの総本山もそこにある。元々腕っこきの冒険者だったドゥーエだ。行ったことがあるか無いかは知らないが、多少は興味を引かれる場所だろう。
「何なら、君の装備も整えてきても良い。僕が礼装を見繕っても良いけど、本格的に研究に取りかかるにはまだ早いからね」
「大盤振る舞いだな……涎が出てきやがったぜ」
「……ああ、それと」
やや浮かれ気味の彼に、一応忠告しておく。
「まだ何かあるのか?」
「別に大したことじゃあない。ただ、さ。女を買うのは止めないけど、ここに連れてくるんだったら、僕が弄っても構わないのにしときなよ、って話」
大事なことだ。僕の秘密が漏れては困る。ここではいずれ、今まで以上に大規模な実験に取り掛かる予定なのだ。そんなところで自由意志のある他人を泳がせておくつもりは無い。
果たしてドゥーエはやや怯んだように、
「……りょーかい」
と返して退出した。
ユニがその様を見送って小さく息を吐く。
「初々しいことです。まだご主人様の道具である自覚が足りないようで」
「まあ、まだ一ヶ月も経っていないからね。追々慣れていくだろうさ。それより、だ――」
作業机の上に並んだサンプルに目をやる。
最近は人の頭の中を弄ってばっかりだった。慣れたことだが、そればっかりというのも気が滅入る話である。久しぶりに、それ以外の作業にも取り掛かりたいところなのだ。
「――折角頂いた領地だ。ひとつ、少しは領主らしいことをやってやろうじゃあないか」