082 7の鼓動
ヴォルダン州、州都――いや、旧州都ヴォルダン。
新たに家督を相続したトゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、旧来の本拠であるマルランをそのまま行政の拠点とすることを選んだ為、急速に寂れつつある街であった。だが領内の街道を再整備する計画は始まったばかりであり、それよりもまず先年の戦災からの復興を優先しなければならないという事情もある。そのような訳で、未だに州の交通の要はこのヴォルダン市なのであった。必然、オムニアから派遣された使節団もここを通ることとなり……領主であるトゥリウスとの会見もこの街で取り持たれることになる。
会見を行う場は、旧領主居館――奇しくも昨年の夏、エリシャが初めて知遇を得た場所――となった。城市から離れた小高い丘の上に建つ、古びた館だ。
(何て言うか……思ったよりもボロいっていうか、ショボい?)
館の中に足を踏み入れた勇杜は、失礼とは思いながらもそんな感想を抱くのを止められなかった。
気鋭の新侯爵、三州の太守と聞いて、どんな豪壮なお屋敷を持っているのかと想像していたのだが、入ってみるとその内装は貧弱極まりない。見た限り家具や調度品の類は最低限で、廊下のあちこちには、絵画や置物を取り払ったと思しき壁紙の日焼け跡さえある。これではまるで借金取りに差し押さえられたか夜逃げの後のようではないか。
「いや、お恥ずかしい。この館は今年中に引き払う予定だったものでして……」
使節団の案内を仰せつかっている家臣らしい男が、ハンカチで何度も顔を拭いながら説明する。勇杜も貴族、それも大貴族が金持ちであるだろうというイメージくらいは抱いていたし、事実この世界では侯爵ともなれば相当に豊かな生活が出来る身分だ。それがこんな伽藍堂な屋敷を人目に、それも他国の外交使節などに晒すなど、赤っ恥であると思っているのだろう。
「大変なものだ。すまじきは宮仕え、か」
傍らのエリシャがそう零すが、そう言われてもどう答えていいものやら。そもそも、彼女自身も宮仕えの身分にあるのではなかっただろうか。
勇杜もまた曖昧な苦笑を浮かべてごまかしていると、
「オーブニル伯爵、いえ侯爵殿は随分と良い御身分なのですな?」
共に案内を受けていた使節団の一人が、向きつけにそう言い出した。
「遥々オムニアから参った我らを、こうも待たせられるとは……果たして如何な事情であるのやら。どうなのですか、ええっと――」
「ルベールと申します」
「――そうそう、ルベール殿。是非ともその辺りの説明を伺いたく思いますなァ」
また始まった、と嫌な気分を味わう。この使節団の神官連中ときたら、大概がこのような具合である。人選にはエミリオ・カランドラ枢機卿が噛んでいると言うが、大方その取り巻きのようなものなのだろう。犬は飼い主に似るとよく言うが、まさにその通りだ。
「いや、その点は誠に申し訳ありません。ですが、もう間もなくマルランの方から駆け付けると思いますので……」
「幾らなんでもこの屋敷に詰めていないというのはおかしいでしょう。事前に我ら使節団が領内を通過するとの通達は、お伝えした筈なのですが?」
「正に。これでは彼の御仁の信心の程度が知れ――おっと、言葉が過ぎましたかな」
「……すみません」
口撃の集中砲火の中、愛想笑いに謝意を絶妙にブレンドした表情で頭を下げ続けるルベールと名乗った役人に、心中で舌を巻く勇杜。
(俺だったら、絶対途中でキレてるな)
こんな権高で頭に来る連中に取り囲まれている中で、毛ほどの反感も見せず応対を続けるとは、こちらこそ頭が下がる思いである。
と、その時、
「お止めなさい」
使節団の代表であるイルマエッラが、固い声を上げた。
「元々、今回の使節派遣が決まったのが急なことなのです。それを三州の太守と言うお忙しい方の下に押しかけ、そのご厚意に甘えているのは私たちの方なのでは? この上、早く直々の歓待をと迫るなど、些かさもしい振る舞いに思えるのですが」
普段の気弱さとはかけ離れた、一種超然とした表情でそう諭す。教会の連中が当代の聖女と評するに相応しい尼僧の姿が、そこにはあった。
「イルマエッラ様……し、しかし――」
「しかし、何です?」
「――いえ、何でもありません」
ついには年長の部下たちをやり込め、引き下がらせてしまう。
その潔癖さ、一途さは、あの不愉快な父親とは似ても似つかない。寧ろ、この生臭坊主どもの方が余程にカランドラの子どもらしく思える。顔立ちと言い、本当に似ないで良かったものだ。
(……って、何でコイツのことを良いように考えようとしているんだよ)
ふと彼女への好感を覚えそうになった自分を叱咤する。
忘れてはいけない。勇者召喚を行って自分をこんな世界に引き摺り込んだのは、イルマエッラなのだ。恨みに思うことはあっても高く評価してやる謂れなど無い。少々顔が可愛らしいからといって絆されるな、と自分に言い聞かせた。
目深に被ったフードの下で一人百面相をする勇杜の耳に、遠くから馬蹄と車輪、そして嘶きの音が聞こえる。
「お待たせいたしました。ようやく主人が到着したようです」
彼にもそれが聞こえたのだろう、幾分かホッとしたように言うルベール。
それからしばらくして、やはり侘しい光景の応接間に通された彼らの前に、些か慌ただしい足取りでその人物が駆け付けた。
「いやあ、オムニア皇国の皆さん、お待たせして申し訳ありません。お初お目に掛かります、僕が当地の領主、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルです」
現れた男は、想像していたよりも……大したことは無かった。侯爵という偉そうな身分から年嵩かと連想していたのだが、ニコニコと気安い笑みを浮かべる顔立ちは非常に若々しい。恐らく二十代に入ったばかりではないだろうか。容姿は整ってはいるが押し出しに欠け、美形と言うよりは無難で当たり障りが無いという印象の造り。貴族らしい整った衣服と、指輪など数々の高そうな装飾品を身に着けていなければ、日本に来た留学生と言われても信じられそうなくらいだ。
(エリシャさんの脅かし過ぎじゃないのかなァ)
とてもではないが、馬車の中で色々と危険性を仄めかされた話中の人物とは合致しない。この男が本当にあんな光景を作ったのか、と道すがらに見たものとのギャップに目眩さえ覚える。
寧ろ、只ならないと思えるのはすぐ横に控える強面の剣士風の男。それと――
「ふわっ……」
思わず間の抜けた声が出た。
――トゥリウスの背後に侍り、丁重に跪く女性。服装からして所謂メイドという奴なのだろう。彼女を目にした途端、ドキリと胸が高鳴る。美術館に飾られる絵から抜け出て来たか、彫像がそのまま動き出したかのような、精緻で心奪われる造作。神秘的な輝きの緑の瞳。艶やかな黒髪は、彼のよく知る日本人のそれとはまた違うエキゾチックな光沢に、濡れたような輝きを放っている。率直に言おう、勇杜はそのメイドに見惚れていた。
そして、
(……あの首輪って確か、奴隷?)
その首に光る銀色の輝きに、心地良い陶酔からハッと醒める。この世界において、銀色の首輪は奴隷を戒める魔法の道具、転じてその最下層の身分を表すシンボルだとエリシャから教わっていた。思わず、例の奴隷農園の景色を思い浮かべて、憐憫めいた感情が湧いてくる。
「コホンっ……」
不意に聞こえた咳払いに正気付く。見れば、イルマエッラが先程とはまた別種の固さを孕んだ表情で、トゥリウスらに向き直っていた。その原因は緊張、なのだろうか。考えてみれば相手は――そうは見えなくとも――侯爵。先に相手をした港町の男爵とは比べ物にならない高位の貴族だ。使節代表としてのプレッシャーも、また一段と強いのだろう、と解釈する。
「失礼しました。……私、この度ザンクトガレンへと派遣される使者の代表を仰せつかっております、イルマエッラ・オレリア・カランドラと申します。侯爵閣下にはご芳情から一晩の宿をお借りする運びとなり、感謝の念に堪えません」
「これはご丁寧に。見ての通り何も無い屋敷ですが、どうか旅の疲れを癒していって下さいませ」
若き侯爵は、イルマエッラの挨拶をにこやかに受け取ると彼女に正対する席に腰を下ろした。そして、ついと視線を動かし見知った顔を認める。
「おや? そちらにいらっしゃるのは、もしかしてバルバストル卿ですか?」
話に聞いた通り、昨年に起こったという戦争で味方として戦った相手であるエリシャ。話し掛けられた彼女は、目上への衒いも無い様子で会釈すると返事を返す。
「どうも侯爵閣下。昨年以来となりますが、相変わらずご壮健でいられるようで何より」
「オムニアへは聖騎士となられる修行に励んでいらっしゃることかと思いますが、その後どうです?」
「恥ずかしながら非才の身であるようで、未だに一候補どまりですな。こうして使節に加えて頂けているので、身に余る評価を受けていると思いますが」
「いえいえ、そうご謙遜なさらずに。貴女ほどの才気がお有りなら、正式な叙任もそう遠くないことでしょうから」
繰り広げられるのは恙無い社交辞令。トゥリウスの表情は最初に顔を見せた時と同じ、何処となく余所向きのような笑顔のままで、エリシャもまた言葉こそは丁寧だが不敵な様子に見える。かつて死線を共にした仲と言うには互いに余所余所しく、空気にもピリピリとした緊張が走るのが感じられた。
(あまり深入りしたくない相手、とは言っていたけど……こんなに反りが合っていないのか?)
殺気などに疎い勇杜であっても、只ならない雰囲気は察せられる。これでは護衛らしい剣士の男などは何時殺し合いが始まったものかと計りかねているのではないのだろうか。この前の話では勇杜やイルマエッラとは合わないと言っていたが、当の本人の方がよっぽど相性が悪く見える。
「ところで、昨年と言えば……この地の戦災復興には、一風変わった政策を用いておいでのようだ」
エリシャが言っているのは通り掛けに馬車から見えた光景――あの大量の奴隷を酷使する農地のことだろう。
……勇杜にとってはついさっきに聞きかじった話でしかないが、麦作などで奴隷を用いるのは、あまり一般的な手法ではないらしい。幾ら給料の要らない奴隷とはいえ、購入には勿論のこと、維持するにも――何と非人情な言い方だろうか――相応の出費が掛かる。少なくとも飯は食わせなければならないし、寝床くらいは宛がってやらねばならない。麦畑を維持するのに汲々としている中小農家には、少しばかり高い買い物だということだ。
また、奴隷などなくとも家族が一丸となって働けば無給の労働力となるし、少しばかり大きな地主は小作人を抱えてもいるだろう。
奴隷を買うような農家は、多少人員を使い潰しても経費をペイ出来るような、商品価値の高い作物を作るところ……例えば果樹園などが普通なのだそうだ。プランテーションのようなものだろうか。勇杜はそう、学校の地理や政経の授業内容を連想した。
(つまり、農民たちが奴隷を使って妙なことをしているということは……この領主が入れ知恵なり出資なりしてさせているってこと、だよな)
問いを投げ掛けられたトゥリウスはふと視線を外し、遠くを見るような目付きになった。
「……ああ、あの奴隷を使った農業のことですか。あれはですね――」
※ ※ ※
ここで時間は大きく遡る。季節は冬。ヴォルダン戦役から間も無く、ザンクトガレンが本格的に内戦に突入する直前の時期である。
ザンクトガレン連邦王国南西部、バルデン辺境伯領。
ロートレルゲン――現アルクェール領ロアーヌ――とライニ川という河川を挟んで隣り合う地域だ。古くから温泉の湧く王侯貴族の保養地として知られた、自然豊かな土地である。だが、ザンクトガレンにおける豊かな自然とは、強力な魔物が住まうこととイコールでもあった。この国に特有の魔力に染まった『黒の森』の木々は、他領のそれと比べると色濃い。迷信深い土地の古老は、魔の潜む森が多くの騎士や冒険者の血を吸った為に、赤を通り越して黒く染まったのだと子孫たちに語り聞かせたものである。
風光明媚な保養地でありながら、魔物との死闘で知られる戦地。加えて、アルクェール王国との係争地と接した最前線。戦士達が戦いに赴き、その後に負傷を癒す場所。続く争乱とその後の束の間の休息を象徴するような地方。それがバルデン辺境伯領だった。
だがこの冬、アルクェール王国との戦争を終えたばかりという時節にもかかわらず、この地は休息の気配とは無縁であった。
新たな戦いと、それに向けての準備に追われていたのである。
「傭兵の呼集はどうなっている?」
「はっ、それが今一つ集まりが悪いようで……」
「左様か。……ふんっ。いつものことだが、アルクェールを相手にする時とは勝手が違うからな」
宮殿の玉座に身を預けながら部下の報告を聞き、バルデン辺境伯はその捗々しくなさに鼻を鳴らした。
そう、宮殿。そして玉座である。
ザンクトガレンにおける辺境伯とは、他国と些か趣を異にしていた。元々が独立性の高い地方諸侯の連合体であり、地方貴族のほとんどもグランドンブルク大王国ハイデルレヒト王朝の臣下というよりは、対等の同盟者という意識が強い。彼らにとっては爵位すらも、連邦に加盟する領邦国家としての立場の強さを表した物に過ぎなかった。
この地に暮らす民、そして統治する辺境伯家にとって、バルデンは未だに独立を保つ小王国なのである。
だが現在、彼らはその立場を全う出来るか否かの分水嶺に立たされていた。
「流石にハイデルレヒトの直参どもとやり合うとなれば、傭兵どもも二の足を踏むか」
先のヴォルダン戦役の敗戦により、ザンクトガレン連邦王国の威信は大きく損なわれている。連邦構成国の多くは、これを指弾して連邦盟主グランドンブルクのハイデルレヒト大王に不信感を表明し、近年徐々に奪われつつある独立性を回復しようと企図していた。
無論、これを座視する大王ではない。戦役による痛手は、寧ろ実際に兵を出すことを担当した領邦諸国の方が大きいのである。逆にこれを好機として、北方での牽制という名目で温存していた直轄の軍団を投じ、領邦を威圧することに余念が無かった。
それに対抗する為には、何を置いても兵力である。恫喝の為の見せ札としても、実際に連邦を割る内戦――構成国にとっては対外戦争のつもりだ――に突入した際の実戦力としても、兵は多いに越したことは無い。
傘下の騎士団、徴募に応じた民、そして金で雇われる傭兵。兎に角、頭数を揃える為に奔走しているのであるが、先述の通り傭兵の集まりは良くない。もしかすると、大陸最強と名高いザンクトガレン最精鋭、グランドンブルクの強兵と干戈を交わすことになるかもしれないのだ。金で戦を商う傭兵にとっては、戦えば損が大きい相手。自然、呼集に応じ馳せ参じる者も少なくなろうというものである。
「しかし辺境伯閣下。朗報もございます」
玉座に跪く家臣が、せめてもの慰めを口にする。
「呼びかけに応じた傭兵は少なくございますが、その分、期待が持てる者がおりました」
「ほう?」
辺境伯が興味深げに眼を瞠った。ハイデルレヒトとの戦いに望んで加わるような、酔狂な傭兵である。戦う相手を選べないほど食い詰めているか、逆に強敵との戦いを我から選ぶような戦人か。配下は参集した傭兵の中から後者を見出したらしい。
「カナレスから来たという傭兵団が、エルフの魔導師を奴隷として抱えております」
「エルフの魔導師!」
魔導師と言えば、遠間から詠唱一つで数人を一度に殺せる生きた兵器の如き輩。たった一人味方に付くだけでも、並の兵を十人、いや百人得るよりも心強い。しかもそれが魔力に優れたエルフとくれば、ひょっとすると千人力をも見込める。期待を受けるのも当然というものだ。
「……だが、奴隷か? エルフの奴隷は御しにくいと聞くが」
「魔法に長けているということは、服従の首輪を解除される恐れもありますからな。しかし、私の見たところではその心配はご無用かと」
家臣によると、そのエルフの奴隷は、飼い主の傭兵に完全に馴らされている様子だという。表情から生気が消え失せ、首輪に掛かった魔法を使うまでも無く唯々諾々と命令を聞いているらしい。余程に巧妙かつ過酷な調教を受けただろうことが窺える。
「逆に不安だな……。そこまで心を折られた奴隷が、実戦で役に立つか?」
命の取り合いにおいては、体力や技量、知性だけでなく、精神面をも問われるものだ。古来、兵の士気の重要性について執拗に説く兵書は数多い。敵も味方も命懸けの戦場では、ここぞという時の粘り腰が肝要。その源泉は、やはり生きる気力なのである。余りにもそれが横溢している兵というのも、命惜しさに逃亡や不服従を試みて厄介ではあるが、逆に無さ過ぎるのも問題だ。従容として死を受け入れ、味方ごと死んでいかれては堪らない。
また恐怖から飼い主に従っているような奴隷は、逆にそれ以上の恐怖に晒されると容易く制御を失うものだ。怖いから命令を聞いているのに、より怖い存在と敵対するよう命令されれば、今までのように従順とはいかなくなるだろう。それが辺境伯の危惧するところだった。
だが、家臣はニッコリと自信の笑みを浮かべる。
「エルフの奴隷が一人とあらば、そのような危惧もございましょう。ですが、件の傭兵団は五人からなるエルフを抱えております」
「ごっ……!?」
信じられない、とでも言うように目を剥く辺境伯。
エルフの奴隷は高い。下手をすればこの辺境伯領に新しい砦が一つ二つ――それも立派な物を――建てられるほどにだ。一人でもそれだけ値が張る商品を、同時に五人も。果たしてそれは、どれだけの財力が有れば可能になるのか。
「……その者ら、本当に傭兵団か? よもや奴隷の押し売りなどではあるまいな」
などと、突拍子も無い危惧すら湧いてくる。それだけの財力が有れば、傭兵などという危険な上にイメージほど実入りも良くない稼業に身をやつす必要性は無い。エルフたちを囲って何処か平和な田舎に土地屋敷を買い、余生を悠々自適に過ごすか、それだけの蓄えに乏しければ五人もいるエルフのうち一人くらいを売りに出して金を作る。もっと金が欲しいというなら真っ当な商売に切り替えた方が良い。普通ならばそのどれかを選ぶだろう。
「いえ、紛れも無く傭兵です。それも相当な戦狂いと見ました。部隊を率いる者と面談しましたが、その印象は正しく粗にして野。戦塵に塗れる鉄火場には耐えられど、金や女で得られる安穏などには耐えられぬといった風情です」
「何ともまあ……」
感心と呆れの入り混じった溜息が漏れる。だが、異様な説得力も同時に覚えていた。
狂人であるほど強い、というのは冒険者の界隈で有名なジンクスだが、他の分野にも当て嵌まらなくはない。余人には計り知れない才気というのは、時には狂気と錯覚されるか、或いは正気を失うことを引き換えとして得るもの。高額な奴隷を五体も揃えるだけの財が有って、なおも傭兵などという命懸けの仕事にのめり込む様は、狂っているとしか言いようが無い。そして狂っていながら生き伸び続けられるということは、才覚の方も本物であろう。
「それはまた、強力な助っ人になりそうではないか」
「で、ありましょう」
「して、その傭兵は何処だ? 少し興味が湧いた。顔を見ておきたい」
拝謁させよと促すと、家臣は少しばつの悪そうな顔をした。
「それが、折り悪く募兵に出ております」
「何? 募兵とな?」
「何でも、以前の仕事で雑兵を損なった故、その補填がしたいとか」
傭兵が戦闘を行う稼業である以上、仕事をすれば団員が減ることは避けられない。戦争で死んだり、再起不能の重傷を負って脱落したり、或いは戦闘に恐怖を覚えて逃げ出したりする。そうして減った兵を補充したいとのことだった。
「そのような理由であれば、仕方なかろう。帰還したら顔を出すよう、伝えておけ」
「はっ」
家臣を下がらせると、辺境伯は肘掛けに頬杖を突く。
彼もまた森と精兵の国ザンクトガレンの武人。報告にあったような真正の戦人には、制御の困難さを察すると同時に好ましく思っていた。エルフを五人も侍らせながら合戦に狂奔するような戦狂いだ。さぞ強欲で貪欲で傲慢で……そして強いのだろう。そのような猛者と相対し、交わり、麾下へ置くのもまた武人の誉れだ。
自分の下に参じたまだ見ぬ強者を思いながら、ふと思いついて笑う。
「合戦の迫った我が領で募兵か。徴兵に足るだけの民は、既に粗方が軍に取られているかもしれないが……だとしたら、件の傭兵には無駄足を踏ませたことになるな」
もしそれで難渋しているようであれば、謁見の感触次第ではこちらから兵を回してやることも吝かではない。そうでなくとも、エルフの魔導師が五人というだけで破格の戦力だ。いずれにせよ、多少の便宜は図ってやるべきだろう。
彼はその傭兵と会うことを心待ちにしていた。
……だが、その思いは最悪に近い形で裏切られることとなる。
その村は、奇妙な甘い香りに包まれていた。
村の周囲はこれまた奇妙な風向きの旋風が渦巻いており、まるで見えない蓋でもするかのように匂いを散らすことが無い。その中で、村人は広場に集められ、得体の知れない香気に正気を奪われて、どんよりと瞳を曇らせている。
生気の無い半死人の如き表情を晒し、口から涎を垂らす人々。
彼らに向けて、傭兵風の装いをした一人の男が熱弁を振るっていた。
「諸君らは、このまま荒れ果てた土地を耕し続けて満足か!? 新たな生を得て、違う人生を歩んでみたいとは思わないか!?」
一見するとそれは、傭兵団の募兵にも見える。だが、周囲を取り巻く村民の異常な様子と、男の人を人とも思っていないことが知れる酷薄な目つきが、それを単なる募兵であるとは思わせなかった。
もっとも、異常を異常であると指摘するような者は、ここにはいない。いたが、既に排除されていた。監察の為に募兵に帯同したバルデン辺境伯領の騎士は、まるで獣に食われたように腹を根こそぎ失って、仰向けに地面に倒れている。ちらつく雪が、いずれ辺り一面に積り、この酸鼻な亡骸をも覆い隠すことだろう。
「魔物の脅威、高い税、痩せた土地。そんなものにいつまで煩わせられ続けるだろうか? ……死ぬまでだ! 農民として生まれ落ちた以上、貴族には一生搾取される! ザンクトガレンに生き続ける以上、他国より強い魔物には生涯悩まされ続ける! 答えろ、それで満足かっ!?」
質問というより恫喝に近い男の問い。それに対し、明らかに正常ではない様子の農民たちは、やはり正気の響きを伴わない声で答える。
「い、いやだ……もう、こんな暮らしは嫌だ……」
「魔物……税……も、もう御免だ……」
「ま、満足なんて出来ない……!」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
集まった村人たちは、口々に現状へと否を突き付け始める。それも当然のこと。身分差社会における農民は九割九分が搾取の対象。例外は大量の小作人を抱える富農のみである。これでその生に満足を覚えられる者は、そう多くはない。
何らかの手段で理性の箍を外してやれば、すぐにもその不満は顔を出す。
「そうか、嫌か。ならば、お前たちに選択肢を与えてやろう。俺の下に付けっ! 俺の群れへと加わり、ザンクトガレンの単なる農夫から……人間から一個の獣へと変わるのだ! 俺の徴募に応じろっ!」
その声に、正気を奪われてなお戸惑いの様子を見せる民たち。如何に屈強なザンクトガレン人とは言え、所詮は農民である。村を襲う魔物とは戦うこともあるし、領主の支配に一揆を起こすこともあるが、それも生活を守る為の戦いだ。急に傭兵に――戦う為に生活する者になろうとは思わないのが当然。ましてや今は先のヴォルダン戦役と、内戦を見込んだバルデン辺境伯の徴兵により、村の兵役人口、即ち戦える成人の男が減っている状況だ。傭兵らしい男の傘下に加わる者など、いる筈が無い。
しかし、傭兵風の男は一転して甘美な誘惑を彼らへと囁く。
「なんだ、戦うのも嫌か? だが、安心しろ。俺はある程度まとまった人数が欲しいだけだ。バルデン辺境伯もそうであろう。人数を見せて敵を威圧し、追い返すことを第一に考えているだろう。俺もそうなれば楽だと思っているし……お前たちを無理に戦わせようとは思わん」
「数を見せるだけ……」
「戦わない……で……いい……」
「加えて、餌、いや飯にもしばらく不自由はさせんつもりだ。それが集団の長の務めであるからな。お前たちを飢えさせるような真似はしないとも。これだけは誓って言おうではないか」
「飯……飯……!」
「お腹空いた……おじさんに着いていけば、食べられるの……?」
「そうともそうとも! 我らは女子供を差別するような思想とは無縁だ。自ずから仕える者、その中でも使いでのある者は優遇してやるともよ! どうだ、俺に着いて来る気になったか?」
「はい……はい……!」
「行く……飯、食べたい……!」
次第に、民たちの中から男に同意する者が現れ始める。正常な意識下であれば、その言動の不穏さや異様な雰囲気、何より村に着くなり殺された騎士の亡骸から、拒否感や嫌悪を覚える筈。しかし、そんな思考能力は既に彼らから奪われているのだ。
洗脳の魔香。外法の錬金術で生み出された、人から意思を奪い、傀儡に変え、暗示を仕込む忌むべき霊薬。その効果により、今や村人たちは男の扇動を脳に刷り込まれるだけの俎上の鯉と化している。
そんな哀れな村人たちに、男は懐からある物を取り出して示した。
「俺と共に来る者は、コイツを身に付けろ」
雪降る曇天の中にあっても、きらりと光を反射する銀色の金属。
奴隷の首輪である。
「え……?」
「何だ、嫌か?」
「でも……それは奴隷の……」
流石に洗脳下であっても、忌避感を示すものが大多数を占めた。奴隷と言えば農民にも劣る身分差社会の最底辺。畜獣として飼われ、売り買いの対象となり、殺そうと文句を言う筋も無いという、正に人間以下の存在なのだ。
「おい、EE-014。こっちに来い」
「はい」
男は彼らに、奴隷の首輪が巻かれた女エルフを披露する。長命種らしい非人間的なまでに整った容姿。身に包む衣服は礼装と思しき見事なローブ。首で輝く証さえ無ければ、誰がこの女を奴隷と信じるだろう。
そして、男がその身体を抱きすくめた。
「見ろよ、お前たち。この女の姿を。どう思う?」
「おお……」
「何て別嬪なんだ……」
「肌艶の良さ。身に付けている衣服の質。何より容姿の程。堪らんだろう? コイツはお前らより上等な物を喰っているぞ? 良い服を着て綺麗に着飾っているように見えないか? 美しいだろう、幸せそうだろう? そして……ほうれ」
「あっ」
籠手に覆われた右手が胸元に忍び込み、左手が裾を割って入る。乱暴な、だが獲物を追い詰めるように正確さを以って弱みを攻め立てる動きに、エルフの奴隷は冬の空気を白く曇らせた。
昼間から人目のある場所で行うとは思われない所業である。だが、村人たちにそれを非難する様子は無い。それは洗脳で理性を奪われていることもあったが、それ以上に、
「……ゴクリ」
忘我の内に口の端から垂らしていた筈の唾さえ飲み込む程、その光景に見入っていたのだ。
「俺たちの中で手柄を立てた者の中には、こうして奴隷の良い女を好きにする権利を与えられている者もいる。どうだ、魅力的な労働条件だろう? 俺たちの仲間に加わりたくなっただろう?」
「はい……はい……!」
「女どもはどうだ? 煌びやかな服を着て、肌を清潔に整え、化粧をし……こうも飾り立てられているコイツを、羨ましいとは思わないか? コレの仲間になるのも、そう悪くは無いと思えるだろう?」
「あ、は……はい」
「ようし、良い子たちだ。……それには首輪を着けることになるが、構わないな?」
「は……はい……!」
誘蛾灯に群がる虫のようにフラフラと誘い出された村人たち。男はくたりと自身に凭れる女エルフを離すと、その内の一人に向かって念押しのように言う。
「お前は自分の意思でその首輪を嵌める。俺はお前たちに強制はしなかった。言葉を並べて誘っただけだ。それを身に着けるのは、あくまでお前自身の意志によるものだということを……理解しているな?」
「そう……です……俺は、自分の……意思で……」
「それが分かっているなら、構わんよ」
言って、男はニヤリと牙を剥きだして笑った。
途端に、周囲に立ち込めている洗脳の魔香の甘い匂いに、濃厚な獣臭さが混じる。それはこの傭兵を装った男の、本性の発露。人がましい姿をしていながら非人間的な怪物であることの証左である。
「おっと、いかんな……気分が昂ると、うっかり臭いが漏れてしまう。用心せねばな」
人面獣心の怪物は、緩んだ気持ちと口元とを引き締め直す。
そして世にもおぞましい徴用を続けるのだった。
やがて三十分もしない内に、村中の人間に首輪が巻かれる。彼らは夢うつつのままに、人間からそれ以下の存在へと変えられた。
「――見事な手際だ、07」
不意に背後から掛かった声に、07と呼ばれた男は振り向く。
そこには、首輪を巻かれながらもなお不遜さを保つ女奴隷の姿。ただし、その女は男が伴って来た五人のエルフと同じく長い耳をしながら、それらとは違い肌の色が浅黒い。
ダークエルフである。その名をオーパス03、ドライと言う。
07は、突如として現れた闖入者に対し、気安い表情で口を開く。
「お褒め頂き光栄だな、03。試験の結果は合格か?」
「脚本の読み上げに関してはな。それだけの知能は十分にあるらしいと見える」
「これはまた、手厳しいお言葉だ。演技の質については如何お考えかな?」
「フンっ。迂闊にも本性を出し掛けたのが大いに減点だ。それさえ無ければ、及第点をくれても良かったのだが……これでは赤点を免除してやるのが精一杯だろうよ」
「それを言われると耳が痛い。とは言え、俺も生まれたてで馴らしが足りないのでな。今回は大目に見てくれ。以後は、善処しよう」
飄々と肩を竦める07に、ドライは微かに苛立ちを覚えたような表情で続ける。
「ああ、精々善処しろ。任務を兼ねたお前の運用試験はまだまだ続くぞ、07。あんまりにも芳しくない結果が出続ければ、04のヤツと同じように穴倉暮らしが待っている」
「そいつは困った。あそこも中々に居心地が良いが、こうして外で風に吹かれている方が性に合っているのでな」
「ったく、口の減らない男だ……いや、お前は男なのか? まあ、良い。それより、災難だったなEE-014。こんなケダモノに手指を這わされるなど、おぞましい思いをしただろう?」
話を向けられたエルフ、EE-014はドライの言葉に小さく首を横に振る。
「お構い無く、オーパス03。驚きはしましたが、嫌ではありません。07はこう見えても、群れの一員には優しいのです」
「おやおや、随分と絆されたものだ。身内への気遣いは構わんが、余り自分を安売りするなよ、EE-014」
「自分を安売りするな、か。流石は金貨三千枚。言うことが違うな」
余計な茶々を入れた07に、ドライの右目だけの視線が飛ぶ。今少し機嫌が悪い時であれば、左目からも飛んで来たかもしれなかった。
「おっと、怖いお顔だ」
「ちっ、余計な差し出口ばかり、よくも……もっとも、それだけの知性があるということは『作品』の仕上がりとしては喜ばしいところなのだが。いや、しかし――」
「では、怖い怖い試験監督にも満足頂けるよう、さっさと次に移るか。それで、予定はどうなっている?」
「――ザンクトガレンでの調達任務は予定数に至った。過半はエルピス=ロアーヌから春を待ってヴォルダンに送ることになるが、お前にも一隊を任せる。それを率いて北上し、アルマンド方面からアルクェールに入れ。そして、同地で次の任務に入る。オーバー」
「了解した。オーパス07、オーバー」
複雑そうな表情を見せるドライにおどけた敬礼を示して、07と呼ばれる存在は踵を返す。その先には、奴隷の首輪を架せられた村人たちが、傭兵団員という名目で同行していたSシリーズによって、荷物も同然に馬車へと詰め込まれていく光景があった。
随員のEEシリーズも、魔法で風を操って、周囲に立ち込めていた甘い香りを吹き散らしていく。
「おっと、忘れ物をするところだった。……勿体無い勿体無い、と」
そうしてオーパス07は、視界の端に転がる雪に埋もれた物体を眺めやり、舌なめずりを一つ。
……十数分後、馬車の走り去った後には無人の村だけが残り、村人も何事かが起きた痕跡も、塵一つ残さずに消えていた。
アルマンド公爵領。
王国北東部に国内最大の版図を広げるアルクェール最大の大貴族であり、領主には王家の血筋を引く公爵を代々戴く制外の地。そして隣国ザンクトガレンと国境を接し、海峡の向こうにはマールベア王国を望む要衝であった。
国境部にあっては、常に三千~四千人規模の兵が駐屯して警備に当たり、一朝事あらば後方に控える二万とも三万とも呼ばれる規模の軍勢が駆け付けるまで、同地で敵を抑える手筈となっている。現在、その厳重な警備は人数を平時の倍近い六千人にまで増やされていた。
ザンクトガレンとの講和は成ったばかりとはいえ、相手は卑怯にも奇襲を以って戦端を開いた蛮国。ましてや彼の国の王都ガレリンでは、先の戦では温存されていたという最精鋭の戦力が、今も不気味に牙を研いでいるという。大方は恒例の内戦に投じられるだろうが、万が一とはいえ時を置かずに再戦という可能性もある。それを思えば、国境の警備は忽せに出来るものではなかった。
そんな緊張走るアルクェール―ザンクトガレン間国境に、ザンクトガレン側から大量の馬車の一団が現れる。大方の馬車はみすぼらしく、軍勢と言うには小勢だが、これだけの規模の行商が通るという連絡は無い。中には武装した男たちの姿も見受けられた。当然、すぐさま制止と誰何の声が掛けられる。
「止まれっ! ここより先はアルクェール王国、アルマンド公爵が統治される地である!」
「代表の者は速やかに姿を現せ! 現れた目的を告げよ! 事と次第によっては、積み荷などを検めさせて貰う!」
それに応じて、先頭を走っていた馬車から、でっぷりと太った商人風の小男が姿を現した。人好きのする愛想笑いを浮かべているが、目には油断の色が無い。どうにも抜け目無く、そして人を食い物にしていそうな印象を与える男だ。
奴隷商。それが警備の兵たちがまず連想したことだった。
「これはこれは、剣呑剣呑。兵士の皆様方、そう殺気立たないで下さい。私はさるお方の使いで、カナレスの方から仕入れの為にザンクトガレンへ赴いていた者です。はい、こちらがその手形」
男が提示した羊皮紙には確かにカナレス商人としての身分と通行の許可を与える旨が記されていた。兵士たちは嫌そうに顔を顰める。予想した通り、書かれてあった身分は奴隷商人であったのだ。
「仕入れということは、積み荷は奴隷か?」
「はい、大方は。後は護衛を兼ねている傭兵団、ということになっております」
「傭兵が護衛か。一般には冒険者を雇うのが普通だと思うが」
「彼らの主となる者が、戦争で、そのぉ……身動きが取れない状態になりましてな。代役という形で私が彼らを預かり、ついでに道中の警護を担って貰っておる訳でして」
兵たちは男の口ぶりから、傭兵団の団長が重傷を負ったか、それとも戦死したかで指揮を執る者がいなくなったと解釈した。それで行き合いのある奴隷商と同道することになったのだろう。
「ところで、ザンクトガレンに入るお前を見た憶えが無いのだが?」
鋭い目線を送りつつ、嘘は許さないという意思を込めて問う。無断での出入国は犯罪である。
「何分、合間に戦争がございましたでしょう。戦後の通行となると、それは今回が初めてでして」
「ふん。それもそうか」
ヴォルダン戦役の間、両国の国境は軍勢同士の睨み合いという形で封鎖されていた。それ以前は建前上友好関係にあったので、入出国の記録は今よりは厳重に取られてはいなかったのである。通行量も今とは比較にならないので恐らくは照会は無理か、不可能であろう。
「馬車の中を検めても?」
「どうぞどうぞ、お構い無く」
男の確認を取った兵士は、口元に布を当てつつ覚悟を決めて幌に手を掛けた。奴隷を詰め込んだ荷馬車は臭いと相場が決まっている。動物並の扱いを受ける者たちが、まともな衛生状態に置かれる筈は無い。何日も、いや何ヶ月も身体を洗っていない人間たちが、物のように鮨詰めにされて運ばれるのが常だ。また不衛生な状況が続く内に奴隷が病気になり、馬車の中で死んでしまうということもよくある話。もし死体があったとしたら、冬とはいえ奴隷たちの体温で蒸す車内だ。温められて、あっという間に腐敗する。
そんなものと出くわさないよう祈りながら顔を突っ込ませた兵士は、予想に反してそれほどの悪臭が無いことに、逆に驚かされた。こんなに清潔な奴隷運搬車は見たことが無い。
確かに奴隷たちの顔は一様に暗く、絶望に沈んでいたが、社会の最下層に落とされたとなれば誰だってこうもなろう。寧ろ体臭もほとんど臭わない程に身綺麗にされている様は、奴隷としては過分な恩恵だと兵には思われた。
(ザンクトガレン人の奴隷なんぞが、どうしてこんなに大事にされてやがるんだ)
そんな暗い思念すら浮かんでしまう。ザンクトガレンで仕入れられただけあって、顔立ちなどに同国人の特色が色濃く出ている。講和が成ったとはいえ、彼らはつい先日までの敵国人だ。それがうじゃうじゃと詰め込まれているのを見れば、悪態の一つも湧こうというものである。
「奴隷にしては随分と綺麗にしてあるな?」
「その方が受けがよろしいかと思いますが」
「違いない。元から汚い奴隷を更に汚くされたら、買う側としては払いも渋くなるだろうからな」
商人風の男への質問の態を取って、ザンクトガレン人の奴隷たちを痛罵する。お前たちはそうして小奇麗にされているのも分不相応な、最底辺の人間、いや人間以下の家畜である、と。
奴隷の一人が、その言葉にカッとなったように立ち上がる。
「ち、違うっ! 俺たちは騙されたんだっ! 俺たちが奴隷になんかになる理由は――」
「≪黙れ≫」
「――むぐっ!? ぐぅっ……!」
何事か喚こうとした奴隷は、男の使った服従の魔法で強制的に沈黙させられる。
兵士は念の為に奴隷商らしき男に訊ねた。
「一応聞いておくが、騙して奴隷にした訳ではあるまいな? そうなると法令に違反していることになるが」
ザンクトガレン人ごときを助ける形になるのは業腹だが、これも仕事だ。もしも男が民を騙して奴隷に落とすような輩ならば、そんな人物をアルクェール王国に入国させる訳にはいかない。罪も無い自国民に首輪を掛けさせるような事態を招けば、流石に寝覚めが悪かった。またその犯人を通したと知られれば、良くてクビ、悪くすれば共犯扱いで本物の首が飛ぶ。
男はポリポリと頭を掻きながら、大儀そうに眼を細める。
「では、当の本人に証言して頂きましょう。≪君は首輪を着ける前に、しばらくの間の食事を保障されたね?≫」
そうして、再び首輪に掛かっている魔法を起動させた。
「ぐっ……は、はい」
「≪乏しい食糧に嘆いていた君は、それに魅力を感じて自ら首輪を嵌めることにしましたね?≫」
「そ、そうです……!」
「≪君はあくまで自分の意思でその首輪を嵌めたのでしょう?≫」
「そ、その通りですっ……! う、ううぅっ……!」
「はい、ご覧の通りです兵士様」
そうして今にも揉み手をせんばかりの媚びた笑顔を兵士に向ける男。
おとがいに手をやって、ふむ、と考え込む兵に更に言葉が続けられる。
「首輪の魔法とは案外融通が利かないものでしてね。質問をされればこの通り、なんでも正直に話してしまうのですよ。加えて命令は後から出したものに強制的に上書きされるので、事前に偽りを申せと言っておいても無駄に――」
「分かった分かった。それくらい知っている」
奴隷を使う上での基本知識だ。また違法に奴隷にされた者を救う際にも利用される手法なので、こうした警備に就く者は講習で習わされることでもある。つまり、この奴隷商はシロだ。
念の為に他の奴隷にも、
「……≪あなたも彼と同じ理由で首輪を着けましたね?≫」
と男に聞かせたが、一様に肯定の返事が返って来た。また馬車には禁制品を密輸入している気配も無い。これ以上の尋問は無理筋になると判断して、その兵士は臨検を打ち切ることにする。
「では、通行料を支払った後、この書面にサインを」
「はい、ただいま。これでよろしいですか?」
そうして差し出されたのは、じゃらりと音のする膨らんだ革袋。中を確かめると、ぎっしりと金貨が詰まっていた。確かに規定量には十分届くだけの重さだろうが、
「ザンクトガレン金貨であるか……」
アルクェール王国とザンクトガレンでは、鋳造される金貨の大きさ――即ち一枚ごとの金の量が異なる。違う国なのであるから、経済状態や貨幣政策の差異からそうなることも仕方ないだろう。手に取った袋の重さからして関所の通行に問題は無いと知れるが、使用する際には両替の手間などが少々面倒臭い。
「ここしばらくは彼の国で商いをしていたものでして」
「ならば仕方ないな。……通って良しっ!」
通行の許可を出すと、馬車の車列はゆっくりと進み出す。商人らしき男も先頭の車両に乗りこむと御者席にでっぷりとした身体を埋めた。
ザンクトガレン方面から来た奴隷を引き連れた一団は、何の問題も無く国境を通過したのだった。
国境を越えて街道を進む馬車の一団。車列が人気の無い冬の原野に至った辺りで、奴隷商に扮していた男は奇妙な行動を取り始めた。御者台から幌つきの荷台に飛び移ると、防寒用の厚手のコートに、商人らしい厚手のチョッキやシャツ、ズボンまで片端から脱ぎ棄てて行き、裸一貫の姿となる。幾ら馬車の中とはいえ、乗っているのはみすぼらしい中古の幌馬車だ。あちこちの破れ目から寒風が吹き込み、雪のチラつく外と大差ない気温になっている。
そんな中で、でっぷりとした太い腹を不機嫌そうに摘まむ男に寒さを感じている気配は無い。
男は舌打ちと共に呟いた。
「やれやれ。人間とは面倒な生き物だ……」
言い終わると同時に、変化が生じる。
必要量を大きく超えて身体中についていた脂肪が、風船が萎むように消えていく。逆に小柄だった背丈はぐんぐんと伸びていき、すっかりと痩せ細っていた四肢に胸板にと逞しい筋肉が漲っていく。髪も長さを変じると同時に色を変え、十秒としない内に男は全くの別人の姿となっていた。先程までの丸く肥えていた姿が海豹だとすれば、こちらは正真正銘の豹と喩えるべきか。見るからに靱かそうな肉体といい、鋭い表情といい、正に人の形をした獣。一糸纏わぬ裸身を晒していながら油断無く周囲に視線を走らせる仕草は、まるで野生の肉食獣を戦闘用に馴致したかのような、自然と人為の調和した戦闘態勢。
その容姿は、ザンクトガレンはバルデン辺境伯領において村民を洗脳し奴隷に変えた、オーパス07と呼ばれていた人物そのものである。
「ふむ。こちらの姿の方が落ち着く。やはり戦う者の姿はしっくりとくるな。しばらくはこれを常態とするか」
そうひとりごちる言葉はまるで、己に本当の姿など無いとでも言っているようだった。
と、その時である。
「――誰だ」
07は頭上へと視線を投げた。そこには馬車の低い天井しかない。だが、彼はその向こうに何かが――いや、知性ある誰かがいることを確信しているように誰何する。
「03ではないな。気配が違う。……一応聞くが、敵か? 味方か?」
ほとんど間を置かずして、応答があった。
「……味方です、と、回答しマス」
「味方だと言うなら、一つ答えろ。……彼は紅茶が好物か?」
「いいえ、本当に好きなのはコーヒーです、と、パスを入力しマス」
「ふむ、正解だ。入っても良いぞ」
「では失礼します、と、挨拶を口にしマス」
そうして一人の女が、屋根の上から逆さまに幌を開け、乗車して来る。いや、それを女と呼ぶのは適切かどうか。姿形こそ人間の女性であるが、仮面のような無表情といい、自ずから光っているように見える金の瞳といい、美しくも非人間的に過ぎる。寒空の下疾駆する馬車の屋根の上にいたのであろうに、放胆に腹を露出した格好をしている。全裸のオーパス07ほどではないが、冬の装いとは思えない。
現れた奇異な女は、同等かそれ以上に奇異な男へと丁寧に一礼する。
「あなたと会うのは初めてですね、と、自己確認しマス。オーパス05フェム、デス。オーパス07には以後、お忘れなきようお願いしマス」
「ああ。忘れるも何も、俺の頭には最初からお前に関して刷り込みがされている。……しかし、よくここまで出張って来たものだ。転移魔法の使えないお前では、長距離の移動は難儀するだろうに」
「……それはわたしがいるからなのでしたぁーっ! じゃじゃ~んっ!」
そう言って、騒々しく割り込んで来る新たな闖入者が一人。
車内の一隅に魔力の粒子が寄り集まり人の形を為したかと思うと、次の瞬間には質量を持って床に降り立った。
女はエルフだった。少なくとも尖った長耳と金糸の髪、白皙の麗姿は、人ならざる長命種の特徴にピッタリと合致している。だが細身で知られるエルフにしては、豊満に盛り上がる胸元やスカートを膨らませるヒップが肉感的に過ぎ、腰回りのくびれもまた扇情的に過ぎた。金属の装飾を嫌う種族らしからず、顔にはキラリと光るほどに磨かれたメガネを掛けている。
最低限の特徴の他は、どこをとってもエルフらしからぬ存在だった。だが、走行中の馬車という常に座標の変化する場所に直接転移して来る魔法の腕。それは確かに魔導に達者な種族らしい。成程、このエルフもどきと同道しているのであれば、転移魔法での移動に不自由はしないだろう。
「オーパス06、セイスでーすっ! ……って、わきゃあーっ!? は、裸ぁ!?」
セイスは名乗ったかと思うと、雄々しい裸身を隠しもしない07の姿に、素っ頓狂な悲鳴を上げる。真っ赤にした顔を両手で覆うが、肝心の目はしっかと五指が開かれている為、まるで隠せていない。
07は呆れたような表情で言った。
「ああ、お前のことも知っているぞ。……刷り込まれたデータでは、助手として素体への改造手術も担当していると聞くが、この程度は見慣れているのではないか?」
「お、起きてるのはダメっ! だって、改造中の素体は麻酔で寝てるんですよぉ! ……ちょ、何をムクムクとさせているんですかっ!? 何故、すたんばい・れでぃな態勢に移行しているんですかぁ!?」
「そう言われてもな……中身はアレなようだが、見た目は中々にそそる雌が目の前ではしゃいでいるのだ。反応が起きても仕方あるまい」
そう零しつつ、軽く腰を揺するような動きでセイスに向き直る。当然、混乱の原因を突き付けられた彼女はますます動揺した。
「ふぎーっ!? 揺らさないでっ! ダメっ、意味深にそのヘッドを揺らしちゃダメっ! てゆーか、こっちに向けないで下さいっ! 良ーんですか? 武器を向けるってことは決闘の合図なんですよ? やっちゃいますよ? わ、わたしの魔法で焼いたり切ったり潰したりしますよぉーっ!?」
「おやおや、新入りに対して手荒い歓迎だな」
ついには、見かねたフェムが横から口を挟む。
「07、あまり06をからかわないで下さい、と、注意を喚起しマス。彼女に施された磨り込みによる教育は、あなたに用いられた物より一世代前。その影響か、精神面に関しては後発であるあなたよりも幼いのですカラ」
「それは失礼。……一回コイツを消すのも良いが、雌が二体の中に見た目雄が一体、というのも釣り合いが取れんな。では――」
肩を竦めた07は、再びその肉体を変形させる。
その身体を小さく、小柄に、細身に、加えて輪郭を丸く柔らかく変えていった。ある部位は体内に収納され、また別の部位は逆に控えめな隆起を見せる。
数秒もしない内に、そこには長身の粗野な男に代わって、十代半ば程の小柄な少女が出現していた。
「――ふぅ……これくらい幼い雌の姿ならば、そこの初心いのも一々動揺するまい?」
いかにも大人しそうな娘の顔に不相応な、ふてぶてしく皮肉げに口の片端を吊り上げる表情。その所作は紛れも無く、姿を変える前のオーパス07と同じものである。一方で揶揄を含んだ声は、外見年齢の割にハスキーな印象でこそあるが、男声には程遠い。裸身を隠し、しおらしい小娘としての振る舞いをすることさえ出来れば、完璧な変身だと言えよう。
彼から彼女へと変わった存在に向けて、セイスは頬を膨らませ、うー、と唸りながら涙目で睨みつけた。
「てゆーか、服を着ればいいじゃないですかぁ……」
「着替えは別の馬車だ。流石に俺も何も無いところから服は作れん」
「そこに脱いである服に合致した姿へ変身すればいいでしょう、と、指摘しマス」
「あの姿は醜い上に弱そうだから好かん。服が無くとも別の格好が良い。せめて見栄えのする姿でなければな。人目が無いところでくらい、好きに振舞ってもかまわんだろうに」
「ほほぉー? わたしたちの目は人目でないと申すか」
「言葉の綾だよ06。そう膨れていると、可愛い顔が台無しだぞ?」
「ですから、彼女をからかわないで下さい、と、繰り返しマス。いい加減に話を進めまショウ」
フェムがそう言うと、少女に変化した07は、幾分か白けた表情をするも素直に従った。
「それでは伝達事項、を、お伝えしマス。03より試験監督任務を引き継いだ05は、オーパス07の長時間単独行動時の自律性と判断能力、変身能力の欺瞞性能、気配察知能力など、テスト項目は要求水準をクリアーしていると判断しまシタ。おめでとうございマス」
「お褒めに与り恐悦至極、と返せばいいのかな。しかし、俺が合格――問題が出なかったから良かったものの、もしそうならなかったらどうするつもりだったのだ? テストを兼ねているとはいえ、衆人環視の場での行動だ。万が一の時は――」
「そしたらフェムちゃんがあなたに停止信号を送って、その後わたしが魔法で証拠隠滅することになってたよー……わたしたちが引き継ぐ前はドライさんの担当だね」
完全に不貞腐れたセイスの言は、いっそそうなれば良かったのに、という色さえ帯びている。魔力だけなら神代の大賢者に匹敵する彼女による隠滅だ。おそらくは敵国の破壊工作にでも見せる為、周囲を派手に吹き飛ばすことでも計画されていたのだろう。無垢故に酷薄な感性を持つセイスは、初対面で散々な無礼を働いた07に殺意さえ抱いていると見えた。無論、そこは任務を与えた「お父様」を慕う気持ちもある彼女のこと。幾ら子ども染みているとはいえ、計画を違えるような意図を明確に口にすることは無い。
「おお、怖い怖い。そんなことにならなくて良かった良かった」
「ですから――いえ、いいです、と、諦観を覚えマス。それよりも、続けての任務の内容は、覚えておりまスネ?」
「勿論だとも。このアルマンドでさっきの傭兵の姿を使い農民をスカウト。洗脳はするが奴隷にはしない。そのまま傭兵の名目でヴォルダンに連れて行き、そこで洗脳解除。別の姿を使って無理やり連れてこられた傭兵団からの脱走を手引きし、解放して同地で帰農させる。その中でも体格や身体能力、または魔力が水準値以上の者を一定数、『製品』へと改造する素体としてラボ送りに、だったな」
「はい、完璧です、と、称賛を送りマス」
「うー……ずるいずるいずるぅ~い! どうしてこんなにナマイキなのに、07は褒められるのかなぁ?」
「それは俺が優秀な使い魔であり、造物主様の傑作たる『作品』だからだ」
「自分で言うなぁーっ! それに、お仕事の内容は憶えていても、ちゃーんと実行出来なかったら意味無いんだからねっ!?」
「ああ、お前にもご満足頂けるように努力するさ。……それと一つ聞きたいんだが、05」
「なんでしょうか、と、質問を承りマス」
「この作戦に当たって大量の金貨を景気良くばら撒いている訳だが、造物主様の懐具合に影響は無いのか? 七面倒なことだが、人間どもは何をするにもカネを使うんだろう? 今の時期は何かと入り用と聞いているのだが」
07の危惧ももっともだった。今のトゥリウスらは先の戦争での痛手から立ち直る為に、様々な政策を同時進行中である。その予算として金銭は幾らあっても足りることは無いだろう。だというのに、彼は関所の通行料だの馬車の手配だので惜しげも無く使用している。命令には気にせず使いきれとあるが、流石に主を心配する気持ちの一つも湧いてくるというものだろう。
が、フェムはそれを気に留めた様子も無く答える。
「それなら問題はありません、と、回答しマス。今次作戦に用いられる貨幣は全て偽造デス」
「ほう?」
「と言っても、使用されているのは本物の黄金デスガ」
「掘ったのは良いけれど使い道が無くて余ってた分だね! どぉ? 良い出来でしょ」
打って変わって上機嫌そうに捕捉するのはセイスだ。恐らく彼女も一枚噛んで密造したのだろう。
国家の預かり知らぬ貨幣の私鋳は、当然のごとく犯罪である。いや、そもそもがトゥリウスが地下大迷宮を築いた鉱脈において無断で金銀を掘っていること自体、王国の法を破っている。かつてルベールが決して外に出すなと忠告したこともあったくらいの一大事なのだ。
が、それも足が付かなければいいだけの話。
『発想を逆転させるんだ。アルクェール国内で僕が使うのが問題なら、国外で僕だと分からないように使えばいいじゃないか』
主はそう言っていたという。
「成程。出所の怪しい贋金だろうと、使い捨てのアンダーカバーでの活動資金にするならリスクは最小限か」
言いながら、脱ぎ捨てられた着衣の懐からまろび出る身分証を見やる。カナレスの奴隷商であることを表すそれもまた、錬金術を用いて偽造したものだ。
「見事な作戦です、と、評価しマス。だぶ付いていた資源を有効に消費し、敵国や政治的仮想敵から人的資源を吸収出来るのですカラ」
「ザンクトガレンから国民を奴隷にされたと文句が出ようと、卑劣な奇襲をした連中からの誹謗中傷と黙殺すれば良い。地方分権派から民を奪われたと言われたら、そもそも民を逃がすような失政をしているのだと切り返せる。こちらは奴隷ではなくちゃんと農民と扱ってやるのだからな」
「ってゆーか、アルクェールの戸籍管理って、けっこーいい加減ってきいてますけどねー。特に農民は。こっちが狙うのは台帳にも載らないような三男以下だから、返せっていうほーてき根拠? ってやつもちゃんと用意できないかも」
「寧ろ、アルマンドらのようなかつての領主の下へは帰さないでくれと、泣いて頼まれるかもしれんな。ヴォルダンに行けば土地、加えてそこで働かせられる奴隷まで与えられるのだから」
「あり得ますね、と、判断しマス」
要するにそれが今回の計画だ。ザンクトガレンからは奴隷を、対立的な地方貴族の領地からは、戦死者によって空白となった農地や新たな開墾地を与える為の農民を、それぞれ奪い取る。しかも奴隷商や傭兵の身分を用いることで、少なくとも表向きは合法的にだ。これはかつてランゴーニュに諮った、地方の弱体化とヴォルダン復興の一石二鳥を狙う策、その発展形に当たる。ラヴァレの策動で水泡に帰したそれも、衣を変えればまだまだ通じる訳だ。
「しかし、何とも手の込んだ策だ。俺としては、この能力を使って存分に暴れ回って食い荒らす仕事の方に食指が向くのだが」
裸体の少女に扮した07が、コキコキと右手を鳴らす。いや、鳴っているのは指の関節だけではない。右腕の骨格そのものだ。ほっそりとした人間の小娘の腕部が、忽ち太く毛むくじゃらで鋭利な爪を持つ獣のそれへと変じる。更には意識してか無意識か、不敵な笑みを浮かべる口元からも、サーベルタイガーめいた牙が伸びていた。
これこそが、この新たな『作品』の能力。
「いずれはそのような任務に就く時も来ますよ、と、予測しマス。その際には存分にその腕を……いえ、爪牙を振るって下サイ。オーパス07、ジェット」
「ホムンクルスをベースに、多様な動物やモンスターの細胞を組み込んで、自在にその姿と能力を使うという、全く新しいコンセプトで造られたキメラ……むー、なんか癪だけれど、この出来は流石お父様の『作品』かー」
二体の先達の言葉に、七番目の『作品』――ジェットは、ニタリと野性的な笑みを見せた。
※ジェット=タイ語で『7』らしいです。




