081 旅の始まり
アルレズ男爵領ノリュオー。
王国南方、南洋に面したアルクェール王国屈指の良港の一つである。この港町は古くからオムニア皇国、商都カナレスなどとの交易で栄えていた。
青い海はうららかな春の陽に照り輝き、辺りにはウミネコの歌うような鳴き声が響く。波止場には帆柱を並べたキャラベルやキャラックが投錨して、長旅に疲れた船体を暫し休めていた。一方、その船員たちは積み荷を港へ降ろし、或いは船内に詰め込みと、額に汗して気忙しく働いている。
そんな港の一画。周囲の喧騒とはまた別の意味で騒がしい場所があった。
「何だ、ありゃあっ!?」
今しがた入港しようとしていた商船の見張り員が、遠目に見える異様な光景に目を瞠る。
岸壁の上を、重たそうな荷を背に行きかう屈強そうな人型。それは良い。そんなものは港町ではありふれた姿だ。だが、よくよく見ると縮尺がおかしい。その人影の頭頂部は、近場に泊まっているキャラック船の甲板の高さを追い越している。目測で四メートルは超えていようという巨人なのだ。
つぶさに見れば、作業を行っているのは人間ではない。どころか、生物ですらなかった。その身体を構成するのは土や石。それが幼児の作った泥人形のように、不格好な人型を為している。
マッドゴーレム。魔法によって仮初の命を吹き込まれた魔法生物の一種だ。それが十体近くも集まって、港の一画で何やら作業を行っている。新たに埋め立てられたらしい区画の上で、長く太い木材を柱と打ち付けたり、石材を積み上げたり……。
それらが行っているのは、建築作業である。
「ゴーレムがこんなに……」
「よくもまあ、これだけの物を動かせる魔導師を掻き集められたものだぜ」
「やっぱり、港町の領主ってのは儲かるものなのかね?」
久方ぶりにノリュオーを訪れた船乗りたちは、大きなゴーレムが建設に勤しむ姿に肝を潰し、或いは呆れたように嘆息した。何しろ、これだけの大きさのゴーレムを作れる魔導師は貴重であり、過不足無く動かせる魔導師は輪を掛けて珍しいのだ。これだけの数を一度に操作するとなると、熟達の魔導師が二十人は必要になる。そうなると軍の魔導師部隊を抱え込むも同然だ。雇う為の費用も馬鹿にならない。これなら多少の時間は掛かっても、工夫を雇うか奴隷でも買って働かせた方が安上がりである。
波止場では、船を降りたばかりの船員が馴染みの交易商を捕まえて訊ねていた。
「なあ、おい。ここの領主様はあそこで何を建てているんだね?」
「ああ、あれですか。ありゃなんでも、新しい造船所を作っているらしくて」
「造船所ォ?」
答えを聞いた船員は首を傾げる。
「あれだけ大量のゴーレムを動かして、急ぎでかい?」
「私らにも、何が何だか分かりませんよ。造船所なら立派な物が既にあるのに……」
南方の海上交易を支える港町に、造船所の一つや二つ、無い筈が無い。そして、今更新たに立てる必要もだ。
「確かに、解せない話だよな」
「噂に聞いた話だと……今までより大きな船を造るだとか何とか」
薄気味悪そうな目で建設現場を眺めやりながら言う商人。
船員も釣られたようにそちらを見てみた。確かに、広さといい建屋に用いるだろう柱の高さといい、完成の暁には余程の大船を拵える造船所となるだろう。
「そんなデカイ船を、何に使うんだい。異大陸にでも行こうってか?」
船員は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
異大陸を目指し外洋を横断する航路は、お気楽な貴族の想像など及びもつかない程に過酷だ。容易く顔色を変える天候。未知の気候に潮流。イトゥセラ大陸人には想像もつかないような大嵐。限られた食糧や飲料水。閉鎖的な環境で澱み荒んでいく船員たちの人心。そして陸より更に恐ろしい海の魔物ども。
海の魔物は厄介だ。冒険者や軍隊がどれだけ強かろうと、人間はどう足掻いても陸に立つ生き物である。水中を自在に泳ぎ回り、喫水線下や船底を自由に攻撃出来る水棲のモンスターを相手にするのは分が悪い。海洋のど真ん中で船に穴が空けば、それで終わり。板子一枚下は地獄の言葉通りだ。
そんな怪物どもが海に潜む以上、大陸の沿岸部を周回するだけでも命懸けなのである。ましてや異大陸を目指すなど、死にに行くのと紙一重。確かに彼の地の香辛料や珍しい動植物、豊富な鉱物などは魅力的だろう。海の果てには黄金に満ちた島があるなどという伝説もある。だが、異大陸に至り、なおかつ成果を持ち帰れるような船乗りなど、一握り、いや一つまみほどもいるかどうか。
異大陸は、たかが大船一つ拵えた程度で行けるような場所ではない。
商人もそれを解っているのだろう。まさか、と言うように苦笑をひらめかせる。
「流石にそれは無いでしょう。異大陸航路はカナレスとマールベア王国が、がっぷり四つで組み合うようにして開拓競争中ですよ? 今更、そこにアルクェールが割って入ってもねえ……」
古来よりアルクェール王国は海に暗い。北洋と南洋とに挟まれた陸地、しかし南北を船で行き来するには、西の半島が邪魔となっている。完全に魔物の住処となっており、人知未踏の地である魔の半島がだ。南北航路を余りにも巨大で固い蓋に閉ざされ続けた所為か、同国の海への関心は他国に比べて驚くほどに低い。
「恐らく、戦船でも造ろうとしているんじゃないですか?」
「戦争用の船かい? 何でまたこんな南で」
船員の言う通り、戦争に用いる艦船を造るのであれば、半島を避けて回航する必要のある南よりも、北洋に面した北側の地域の方が向いている。何しろアルクェール王国の仮想敵は、ザンクトガレンにしろマールベアにしろ、北に集中しているのだ。逆に南のオムニアは同盟関係にある。大型船を用いるような戦とは無縁だ。
だとすると……こんなところで巨船を造ろうとする目的は何か、とんと分からなくなってしまう。
「まったく、訳が分からんな」
「ですねえ……。それより、今回の商談ですが」
「おっと、いけねえ――」
二人は意図の不明な大造船所についての話題を打ち切り、取引へと話を転じる。周囲を駆けずり回る人々も同じだ。騒々しい作業音に顔を顰めながらも、その発生源に気を取られることなく己の仕事へと勤しむ。
ノリュオーは大陸南方の要港の一つ。船と人と物と金とが慌ただしく行き交う、生き馬の目を抜くような気忙しい港町。今更新たに造船所が建てられるくらいで、物珍しげに足を止める者など多くはない。
そんな喧騒に満ちた波止場に、オムニア皇国よりの船便の乗客たちが次々と足を下ろしていく。
「……凄い活気ですね。アルクェール王国の港って、いつもこんなに賑わっているんですか?」
目深にフードを被った少年が、圧倒されたようにそう漏らした。僅かに覗く髪は黒く、手から見える肌も大陸の一般的な人種のそれより濃く色づいている。その特徴から人目を引くことを避けるための措置なのだろう。
一方、問われた女は派手に目を引くなりだった。金髪を結い上げて晒すは、意志の強そうな目鼻立ち。身を包むのも銀色に輝くようなライトアーマーで、旅の最中故の軽装とはいえ立派に武装している。腰に吊った鋭剣が小さく音を立てる度に、周囲の男たちから警戒を集め、やがてその視線の色は驚きと感嘆に変わった。
そんな反応を一顧だにせず、女が少年に答える。
「そうでもない。こんなに活気が良いのは、やはり戦後間もないからであろうよ。戦災からの復興、恩賞に与った貴族の新領地整備……人と物が派手に動く理由は幾らでもある」
「へえ……」
生返事をしつつも、少年は立ち止まって辺りを見回す。気忙しく行き来する商人や港湾労働者と度々肩をぶつけるが、その度に軽く謝ってはすぐに港の見物に戻っていた。やがて、その視線が件の工事現場で止まる。
「何だあれ、ゴーレム? ああいうのを使って工事をするのが普通なんですかね?」
「いや、大掛かりな工事とはいえ、魔法生物を動かすには七面倒な申請が要るし、操作出来る魔導師も希少だ。そうそうあることではない」
「魔導師かァ……あそこで動きまわってる人たちかな? でも、魔法使いって言うより執事かメイドみたいに見えるけど」
その言葉に、女は微かにきな臭い色を眼に浮かべる。魔法を使う執事やメイド。そんな人種に憶えがあると見えた。
「ああ、そういえば……ノリュオーを預かる男爵は奴の親派であったか」
「? どうしたんです?」
「……いや、何でもないさ」
などと話していると、
「何を立ち止まっておるのだ」
背後から、横柄さを威厳で包んだかのような権高な声が掛かる。
「我らは観光などをしにここに来た訳ではない。あくまで旅の途中であるから立ち寄ったまで。船を降りたのなら、一刻も早く先を急ぐのが筋というものであろう」
「左様。まァ、聖騎士候補殿には懐かしき祖国であろうし、何処の誰とも知れぬ馬の骨も、見慣れぬ景色が物珍しかろうがな?」
「「はははははっ!」」
揃って悪意も露わな嘲笑を上げる一団。天下の往来で衆目を憚りもしないとは、どんな野卑な輩かと思えば、信じられないことに首から聖なる剣十字を提げた神官たちだった。
当然、言われた少年はフードの奥に隠した瞳に反感を浮かべる。
「コイツら……!」
俄かに湧き立つ騒動の気配。だが周囲にそれを止めようという動きは無い。元より腕っ節に物を言わせる労働者や、各地から訪れる荒くれ者が屯するのが港町というものだ。喧嘩など珍しくもないし、血の気の多い連中にとっては寧ろ格好の娯楽でもある。好奇の目を集めるのが関の山だった。
が、
「――お止めなさい」
神官の一団の更に背後から。制止の声が掛かった。
「その方は私が無理を言ってお伴をして頂いているのです。彼への非礼は、この私に向けたも同然と思われますが、如何?」
一瞬、波止場の喧騒も騒動を囃し立てる声も止んだと錯覚するような、澄んだ声音。現れたのは尼僧の装いをした少女であった。胸元の聖印だけでなく、服のかしこに護符を張り巡らせた奇妙な格好をしているが、不思議とそんな姿がしっくり絵になるような雰囲気を備えている。
少女の登場に怯みを見せつつも、ガラの悪い神官たちは抗弁を試みる。
「し、しかしですな――」
「しかし? 何なのでしょうか?」
が、彼女が少しばかり力を込めて反駁すると、忽ち下火となる。
「……いえ、何でもございません」
ぐっと不満を飲み込んで引き下がる男たち。ふと少女の視線が、彼女が助け船を出した少年へと向けられるが、
「……ふん」
彼は、その厚意は寧ろ有難迷惑だったとでも言うように、顔を背けてしまった。
「あっ……」
「何だ、あの態度は。礼も知らぬのか異人種の小僧め」
「あのような非常識な輩を傍に置かれては、御身の為になりませぬぞ」
「何度も言わせないで下さい……良いのです」
周囲を取り巻く一団を牽制すると、彼女はまた少年の方へ、曰く言い難い視線を送り続ける。拒絶も露わな背中へと、縋るように。或いは詫びるように。
港町の喧騒から浮き上がってしまう微妙な空気に、銀の鎧を纏った女は溜息を一つ。
「やれやれ……また面倒なことを、引き受ける羽目になってしまったようだな」
そうして彼女をこの一行に加わるよう強く要請した男へと愚痴を零すのだった。
※ ※ ※
「ゆ、勇者と我が娘を、ザンクトガレンへ送るだとォ!?」
絞め殺される寸前の鶏めいた声が、白亜の壁に囲まれた会議室に谺する。その声の主は、オムニア皇国僧兵団長にして聖王教団枢機卿エミリオ・ラザッロ・カランドラ。聖王教会の最秘奥である勇者召喚の儀式を成功に導き、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大している筈の男であった。その彼は普段の高圧的ですらある余裕をかなぐり捨てて、円卓に齧り付くようにして身を乗り出し相手へ喰って掛かっていた。
一方、対面で追及を受けるのは、その長きに渡る政敵として知られている聖騎士団長ジャンフランコ・パオロ・ファントーニ枢機卿。
「如何されたかな、カランドラ枢機卿。何ぞ問題があるのであろうか」
天然の岩石めいた四角面に些かの動揺も浮かべぬまま反駁する。その反応に、カランドラは対称的に神経質そうな細面を紅潮させてまた喚いた。
「問題しか無かろう!? あの国が今どのような国情であるか、知らぬとは言わせぬぞ!」
「ヴォルダン戦役での敗戦を禊ぐ為、連邦構成国を威圧し恭順せぬ者は兵を挙げて討つ……所謂、内戦状態であるな」
ファントーニはしれっと言ってのけた。
彼の言の通り、東方の大国ザンクトガレンは現在内戦中である。いや、正確を期すのであれば国家共同体の内訌だろうか。アルクェール王国に代表される西側へ対抗する為に、グランドンブルク大王国を中心として結成された東方諸国の集合体。それがザンクトガレン連邦王国の実態なのであるから。
「であるからこそ、彼の地には我らオムニアより使者を発して無益な戦を止めるよう勧告せねばならん。世の乱れ、人心の荒廃こそ魔王復活の縁となり、更なる災厄を呼ぶのであるからな」
「然り然り。その使節を務めるのが、当世の聖女との聞こえも高い御坊のご令嬢とあらば、正に打ってつけというものであろうに」
聖騎士団長の言に、彼と意を同じくする者ども――反カランドラ派の枢機卿たちが付和雷同する。
無論、その言を唯々諾々と承るカランドラではない。
「ば、馬鹿を申すなっ! その道行きに勇者まで添える必要がある訳が無かろう!? 勇者召喚の儀を行ったことは、今しばらく周辺諸国に対して秘しておくと決まっておった筈だ!」
眦を決して反論を述べる。
魔王復活の確たる証も無しに勇者を召喚したことは秘匿する。各国からあらぬ疑い――オムニアが勇者の力を利用して拡張を図っているなど――を抱かれないようにしなければならない。その決定には十八枢機卿の全てが同意した筈だった。奥の手を自家薬籠中の物にしておきたいカランドラ派も、諸外国の反発を憂慮するファントーニ派もである。それがここへ来て、勇者をその召喚者であるイルマエッラと共に、他国へ出すなどという横紙破りをするとは。
「確かに魔王の手先たる魔族に復活の兆しありとの託宣は下った。だが、それは他国を協力させる名分とはならんぞ!? 勇者召喚を納得させることもだ!」
カランドラの言う通り、教会に託宣が下ったとしても外国がそれに従う道理は無い。大陸中から信仰を集める聖王教の総本山とはいえ、オムニアはあくまで四大国の一角。いにしえの時代であるなら兎も角、今やアルクェールやザンクトガレンと同格である。強力な手駒である勇者を呼び込んだことを他国に納得させるには、魔族復活の懸念がある程度では不足に過ぎる。実際に魔族が事を起こすか、それこそ本当に魔王が復活したという事態にでもならなければ、上手くいくまい。
何しろ託宣に盲目的に従うということは、全てが託宣が下される神官――即ち、教会の意思で運営されるということ。王や貴族といった世俗の権力全てが否定され、旧オムニア帝国時代めいた神権政治が復活することにも繋がるのだから……教会の権力者であるカランドラにとっては、是非ともそうなってほしいところであるが。
「無論、その点は承知している。幸い……と言うには難があるが、勇者殿は未だその使命に対し自覚のあられぬご様子。であれば、御自ら名乗り出るようなことは、まずないであろう」
いけしゃあしゃあと言ってのけるファントーニ。確かに召喚された少年、衿宮勇杜は勇者の使命に乗り気ではなく、どころか、同じ人間とも思えぬ黄ばんだ肌をした馬の骨の癖に、聖王の教えに懐疑的ですらある。我から勇者と名乗り出たりはしない、という論には説得力がある。
が、
「……冗談を申しておるのか、聖騎士団長殿。勇者と名乗ることも出来ない少年を送ったところで、ザンクトガレンがまともに取り合う筈が無かろう」
それでは何の為に送るのかという、新たな問題が出てくるのであるが。
が、ファントーニは何程のことかと平静に答える。
「御坊、拙僧が初めに何と切り出したかをお忘れか?」
「何?」
「勇者ユート・エリミヤ殿とイルマエッラ・カランドラ女司祭殿を送る――そう申した筈。この場合、正使となるのは御坊のご令嬢で、身許を明かせぬ勇者殿はその護衛となるな」
あっ、と口元を押さえるカランドラ。
言われてみればそうである。枢機卿の娘であり、オムニアでも最高位の法力を持つイルマエッラは、外交の使者としての格は十分。強いて言えば年功と経験が些か足りないが、その点は周囲が幾らでもフォロー出来る。
が、それでは何故ファントーニがこんなことを言い出したのかが解せない。イルマエッラが使節の大任を果たせば、得をするのはこのエミリオ・カランドラなのだから。
「そも、勇者と召喚者は共に行動し、魔王討伐の聖務に当たって協力し合うのが常道。であれば、イルマエッラ殿が遠国に赴くのであれば、勇者殿も同行するのが当然かと存ずる」
「いやいや、ファントーニ殿の言がもっとも」
「正に妙案。これは来る魔王討伐の征旅、その予行としても打ってつけかと」
そして、俄かに勢いづいたファントーニ派に、カランドラはハッとなる。
(よもやこやつ、これを実績として私から勇者と魔族討滅の功を奪おうというのか!?)
ザンクトガレンへの派遣を魔王討伐の旅の予行とする。それはつまり、リハーサルを主導したのだから本番も、と言い張られれば、勇者の身柄の扱い、そしてそれを用いた聖戦の功も、全てファントーニとその派閥に帰することになる。カランドラにも召喚を提言した功績などは残るだろうが、将来に人類の危機を防ぐという大功に比べれば、見劣りすること甚だしいものがあった。
(おのれ、おのれェ……! 髭達磨の肉襦袢が! 脳味噌までも筋肉のようなむさい見た目をしておきながら、こういうところだけは狡すっからい! 私の、この私の栄達を、教皇位への道筋を阻む、いや横取りするつもりかっ!?)
自分と政治的対立を繰り返すは、全て己と同じく出世と権力への欲の為。それがカランドラの解釈である。階を上り権威を握り権力を振るう。それだけがエミリオ・ラザッロ・カランドラの全てであった。先祖の代で没落し、名家とは文字通り名ばかりの貧困に満ちた青少年期を送り、皇都のスラム街から枢機卿の地位にまで這い上がって来た彼にとって、栄達こそが福音である。それを妨げる者は、皆悪魔の使いか何かに見えていた。
(そうはさせんぞ、ファントーニ。貴様如き野卑な輩に出しぬける私ではないわっ!)
内心の激情を必死に押し止め、取り澄ました表情で二コリと微笑む。
「……左様な思し召しでありますか。であれば、仕方無き運びですな」
「ご理解頂けたようで何より」
(ああ、よーく理解しているよ。貴様の目論見はな!)
唾を吐き捨てたい衝動に耐えながら、カランドラは続ける。
「しかし、当方も娘を正使として立てるにあたり、使節団の編成には慎重な配慮が必要かと存じるが?」
「と、申されると?」
「ザンクトガレンの情勢は緊迫しているでしょう。そこにあまりにも武張った者らを送っては、要らぬ騒動の元かと」
要するに、聖騎士団は派遣する使節から除くということだ。
会議の間に、時ならぬどよめきが起こった。
「ま、待たれよカランドラ殿! 予断を許さぬ世情であるからこそ、その為の備えが必要となるであろうに!」
「然り然り! 使節団の格式から言っても、聖騎士を連れぬというのは余りにも――」
ファントーニの両隣、彼の派閥に属する枢機卿たちが異を唱える。ここで使節団から聖騎士を排除されてしまっては、必然的に他派閥の者がその席を占めることになってしまう。カランドラのことだ、その空席に麾下の僧兵団をねじ込むくらいはやりかねなかった。反対するのも当然のことだろう。
が、今回ばかりはそれを封じる手札がある。
「勇者殿がおわす」
「何と!?」
「召喚し、契約を交わしたイルマエッラを守るのに、勇者殿では不足とお考えの方などおられぬであろう? 天に坐します聖王様より遣わされた勇者殿を、信じられぬとは申されませぬよなあ?」
そう、勇者だ。枢機卿ほどの高僧と言えど、教義に従う以上は勇者の力を疑うなどあってはならない。唯一の例外となり得るのは教会の武力部門を担当する聖騎士団長くらいだが、
「ファントーニ聖騎士団長も、ご自分が修行を担当されている以上、よもや不足とは言われませんな?」
勇者を鍛えているのは彼だ。ここで実力にまだ不安がある、などと言えば、ファントーニの指導手腕に疑義が呈される。口が裂けても反対は出来まい。
(くくくっ、小細工を弄するから足元を掬われるのよ。どうだね、自分の仕掛けを逆手に取られた気分は?)
勝利の予感に酔い痴れる内心を隠し、ほくそ笑む。相手はまたむっつりと押し黙っている。顔色こそ変わっていないが、内心はどうであるか。
やがてファントーニは小さく息を吐いた。
「……御坊の仰ることにも理はある。拙僧に異議は無し。聖騎士を出すのは遠慮しよう」
(勝った)
カランドラは政敵の言を敗北宣言と取る。とても良い気分だった。自分の権益を守り、相手の拡大する芽を摘む瞬間。その度に得も言われぬ快感が湧き上がってくる。これだから権力というものは堪らない。
そんな心地に浸る彼に、負け犬が小さく何事かを囁く。
「が、発議を行った手前、使節の人事に手付かずで、という訳にはいかぬ。せめて一人くらいは、こちらで指名させて頂きたいのだが」
「ああ、そんなことか。別に構わぬよ」
要するに面目を施したいのだ。その程度のことは許してやろうと鷹揚に肯く。敗者がおずおずと情けを請うてくる姿というのは、勝者の自負心を心地よく擽るものであった。
この日の会議はそれで決した。カランドラは意気揚々と席を立ち、弾むような足取りで退出する。これでまた一つ、自分の立場を強化する材料が手に入ったと、達成感に酔いながら。その頭からは既に、ファントーニが使節団に一人だけ捻じ込む人材が誰かなどという疑問は、すっかりと抜け落ちていた。
後日、正式な聖騎士でなければよかろうと、とんでもない聖騎士候補を指名されて仰天する羽目になるのだが、それは別の話である。
※ ※ ※
そのような雲の上の駆け引きのことなど露知らず、衿宮勇杜は旅の空の下にいた。行き先であるザンクトガレン連邦王国は、地図上では現在位置であるアルクェール王国の隣国だが、実際は両国間に分断の大山脈が横たわっている。その気になれば越えられる山とのことだが、わざわざ不便で険阻な道行きを選ぶことはないだろうというのが使節団でも主流の意見だった。なので彼らは、アルクェール内の整備された街道を通って北上し、北方の国境であるアルマンド地方からのザンクトガレン入りを目指すこととなる。
今、勇杜らが乗っているのはオムニア皇国から船でわざわざ運んで来た馬車だ。牽引する馬は兎も角として、皇国の正式使節を示す印の入った車体は、流石に外国では調達出来ない。なので海路を輸送し港町で馬を買い求めてから出発したという形になる。彼はそんな成り行きを、現代で言うカーフェリーのようなものかと、自分なりに噛み砕く。そして、昔の家族旅行と日本の思い出に、密かに切ない気分を味わった。
「どうした、少年? 何やら上の空なようだが」
馬車で同席しているエリシャが、こちらを気遣ってか声を掛けて来る。
「いえ、何でもないです。ただ、何と言うか……ちょっと似たような景色が続くので、少し退屈で」
別に誤魔化した訳ではなく、こちらも本音である。街道とはいえ現代日本のように舗装されている訳でもなく、乗り物も自動車ではなく馬車だ。文字通り馬とは桁違いの馬力を持つ車に比べると、旅程の進みは亀のように遅い。必然的に、窓外を流れる景色も一向に変化しようとしなかった。
「ふぅん? 馬車での旅など大概はこのような物だと思うが」
「あ、いえ。ば、馬車に乗るなんて初めてでして……」
何の気なしに飛んで来た指摘に、慌ててそう釈明した。勇杜が異世界から召喚された勇者だという事実は、オムニアでも相当高位の幹部しか知らない。未だ聖騎士候補であり、他国人でもあるエリシャには秘されていることであった。彼女はこの世界の人間で一番近しく、本人の気質もさっくりしていることもあって、話をしていると時折、うっかりと口を滑らせてしまいそうになることもある。今のところボロが出るようなことはなかった筈――と勇杜は信じている――だが、この調子ではそれもどれだけ続くか怪しい。
(変なことを言って、この人を妙なことに巻き込まないようにしないと……)
そう気を引き締め直す少年だった。
「そうか。馬車に乗るのが初めてなら、酔わないように気をつけろよ? もっとも、気分が悪くなったらそちらの聖女殿に治して貰うという手もあるが」
言って、対面の席の隅で居心地悪そうに縮こまっている――本来は堂々としているべき正使の――イルマエッラに視線を向けるエリシャ。
「あ、は、はいっ! ご気分が優れない時には、いつでも仰って――」
「大丈夫です、エリシャさん。行きの船でも酔わなかったし、問題無いと思います」
「――あ、そうですか。はい……」
ガバッと勢い込み掛けたイルマエッラが、またしょぼくれた様子でいそいそと席に戻る。その姿に勇杜は、この馬車に割り当てられた時の居心地の悪さをまた思い出した。
この使節団での勇杜の身分は、表向きは一団の顔であるイルマエッラの付き人である。が、裏向きにはまた違う面があった。出立を申し渡された際、あのファントーニから言い含められたのであるが、
『勇者殿にはなるべく、召喚者であるイルマエッラ殿と行動を共にして貰う。元より聖王教の神官は勇者の輔弼も役目の一つ。であれば、希代の法力を宿し御身と契約を交わしてもいる彼女こそ、打ってつけであろう。この旅を機に、互いの理解を深めておくべきかと』
とのことだ。
余計なお世話である。誰が勇者などやってやるものかとも思うが、このままオムニアで缶詰にされているのにも限界を感じていた。少々気まずい相手と一緒だが、外界に出られるのならと請け負ったが、まさかこうもピッタリとくっ付いている羽目になるとは。お陰で使節団の他の神官からは余計なやっかみも買うし、踏んだり蹴ったりである。
唯一の救いと言えば、気心の知れているエリシャが同じ女性だからとイルマエッラ、そしてその傍役をやっている勇杜と同乗してくれていることくらいか。そうでもなければ、外に出たのを好機として逃げ出していたかもしれない。
「……」
「……」
居た堪れない沈黙が車内を満たした。
勇杜としては、先頃にイルマエッラと揉めて暴力まで振るった身だ。か弱い女の子に無体なことをした、という罪悪感はある。が、それと同じくらいに自分を異世界に連れ込んだ張本人に対して、責任を問いたい気持ちも存在した。
彼女の方も、これ以上ないくらい明確な形で非を鳴らされたのだ。後ろめたさはあるだろうし、乱暴な形でそれを表明した勇杜への恐怖や不信感もあると思う。これ以上は無いくらいに気まずい間柄だった。ファントーニの朴念仁も、何を思ってこの機に理解をなどと、のたまったのだろう。
「そう言えば」
空気を変えるようにエリシャが口を開く。
「ノリュオーからずっと北上しているようだが、このままヴォルダンに入るのか?」
「はい。このまま東沿いに北へ進むのが、アルマンドへの近道ですので」
イルマエッラも何処となくホッとしたように答えた。
が、勇杜は何か腑に落ちないものを感じる。旅程は事前に周知されているのだから、エリシャも十分に知っている筈だ。敢えて質問する必要は無い。一行の気まずさを解消する取っ掛かりなのかもしれないが、それにしては話題を続ける意志が薄い気もする。と言うよりも、口幅ったそうにしているように見える。
「何か気になることがあるんですか?」
「いや、な。ヴォルダンに行けば領主が歓待に出てくるだろう?」
それは当然である。ノリュオーでも一泊する際、あの地を預かるアルレズ男爵という貴族の屋敷に逗留したのだ。立ち寄る先々で接待を受けるのには辟易するが、それがこの世界の常識なのだろう。これから通るヴォルダンでも、それは同じだと思われる。
「……その領主って、嫌な奴なんですか?」
「ゆ、ユート様っ!」
イルマエッラが慌てて制肘するが、無視した。聖職者として、人の陰口を叩く行為に良い気分はしないのであろうが、関係無い。自分は今、エリシャに聞いているのだ、という思いだ。
別に根拠の無い当て推量ではない。例のアルレズ男爵にしたって、彼の目には見るからに欲の皮が突っ張っていそうな典型的な悪徳貴族といった風に映っていた。その同類が何人もいるとは思いたくないが、何処かの誰かの父親のことを考えると、それが叶うことは無いような気がする。
エリシャは二人のやり取りに頓着する様子も無く続けた。
「そうだな……少なくとも少年やイルマエッラ殿と合いそうにはない人物だよ。一度は轡を並べた相手を、悪く言うのは趣味ではないが」
「轡を並べた?」
「何だ、地名で分からんかったのか? ヴォルダン戦役……ザンクトガレン連邦の体制を忽せにし内戦に突入させたのは、先年にあの地で起こった、アルクェールとの戦争が原因なのだよ。で、当時はこの国で騎士をやっていた私も従軍していた」
気負いも衒いも無い語調に、少しゾッとしないものを覚える。
戦争。人間同士の殺し合い。そんな酸鼻な争いに、目の前の女性は参加していたのだ。この世界では数少ない頼れる相手が、戦争に加担していたという事実。勇杜はそれを上手く飲み込めず、無意識に拳を固く握る。
少年の様子に気づいているのかいないのか、女は大袈裟に肩を竦めた。
「いや正直な話、この使節団に護衛として加われと言われた時は驚いたぞ。何せ私は、向こうの人間を相当な数、斬り捨てている筈なのだからな」
「だ、大丈夫なのでしょうか? こう言っては失礼かもしれませんが、私たちは内戦を止めに行く使者ですのに、先方のご不興を買ってしまうのでは……」
イルマエッラがもっともな懸念を示す。が、それを言われた本人は特に気を悪くする風でも無い。
「さて、ね。果たして、この人事にどのような意味があるのやら。もしかすると、これは脅しの一種かもしれんぞ? 要するにこうだ――これ以上戦闘を続けるようなら、こちらにも考えがある。アルクェールと本格的に結んで実力行使を行う可能性もあると心得よ――先の戦役で軍功を挙げた私を添えたのは、その意思表示……とかな」
「成程……」
この世界に生きている女同士は理解し合ったようだが、元は異世界の一高校生である勇杜にはさっぱりである。政治に携わった経験がある訳も無く、ニュースなどへの関心も特に無し。そんな典型的な現代日本の若者に、大陸四大国同士の外交的駆け引きなど説かれても困る。
「ところで、そのヴォルダンってところの領主の話はどうしたんですか?」
なので話を本筋に戻すことにした。いや、この一団が外交使節である以上、寧ろ今していた話題の方が本道に近いのかもしれないが。
「ああ、オーブニル伯……侯の話だな。アレは何と言うか、一言では表し難い人物だよ」
常に竹を割ったようなエリシャにしては、珍しく歯に物が挟まったかのような物言いだった。
「と、言いますと?」
「能力の有無で言えば有能であるのだろう。だが、どうにも何かがズレている。うん、ズレだ。それが奴へ覚えた感触を言い表すのに、最も相応しい気がする」
言いながら彼女は、頬杖をついて遠くを見るような表情をした。
「幼い頃から黄金を産むという錬金術に耽溺し、実の兄を追い落として伯爵の地位を奪い、戦争での功によって三州の太守たる侯爵にまで上った。これだけを見れば欲深な野心家のようにも見えるのだが――」
「違うんですか?」
「――そう単純な男ではない。……妄りに血を流す割には温厚に振舞い、臆病かと思えば無茶を仕出かす。効率的に目標を達成しているようで、何を目的にしているのか見当も付かん。矛盾の塊だな。人として大事な何かが、どこかで致命的にズレている。……そういう意味では、少し少年に似ているよ」
「え? 俺?」
唐突にそう評され、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。
「そんな不本意そうにするな。いや、アレと一緒にされるのは愉快ではないだろうがな。私が言っているのは、常識というか、視点の違いについてだよ。同じものを見ている筈なのに、目には異なるものが映っている。まるで別の世界に生きているような、違う世界から来たような――」
ドキリと心臓が高鳴った。まるで勇杜の出自を、召喚された異世界人であることを見抜かれたような思いである。
(……いや、そんな訳は無いだろ)
自分の正体は、教団の最高幹部と召喚者であるイルマエッラしか知らないことになっている。未だ聖騎士に任命される前の候補であるエリシャに、秘密が漏れる筈が無い。大方、この大陸の人々とは人種が違う、遠い国から来たであろうことを指しているのだろう。
動揺を何とか鎮める彼を余所に、女騎士は話を結ぼうとしていた。
「――まっ、言葉では表し難い男だよ。実際にその目で見てみる方が早いだろう。……あまり深入りしたい相手ではないがね」
「は、はあ」
分かったような、分からないような話である。
イルマエッラも似た感想なのか、困惑した風な表情で問う。
「そのお方は、私たちのことを歓迎して下さるでしょうか?」
「さあ? 本人に聞かねば分からん。いや聞いたとして素直に本音を話すかどうか……」
「出来れば、大陸の安定にご協力願えれば良いのですが……」
「そう言えば協力はするだろうな。戦や動乱を求めるような男ではないことは確かだ。そちらの望む形での協力になるかまでは保証出来んが」
要するに、理解も信用も決して出来ない怪人。勇杜が得た印象はそれだった。性質が悪いことに、ヴォルダンの領主オーブニル侯爵という貴族は、敵に回るかどうかすら予測不能。これでは遠慮無く対策に力を傾けられる分、はっきりと敵であった方がまだマシな気さえしてくる。
聞くんじゃなかったと、後悔の念が湧いてきた。これから自分たちはそんな不穏で不審で不可解な人物に会わなければいけないのである。実際に会見するのはイルマエッラやその他の使節たちで、彼女の世話役と言う身分ではお呼びも掛からないだろうが、それでも不安感は拭えない。知らないままであったら、適当にやり過ごしていれば済んだのであるが……。
「おっと、噂をすればそろそろそのヴォルダンに入――」
窓の外に視線を向けたエリシャの、からかうような声が不意に断ち切られた。
「――何だ、あれは?」
まるで道端に突然出現した死体の山でも見つけたような、嫌悪を催す異物の発見。彼女の表情から読み取れたのはそのような物だ。勇杜もつられて、嫌な予感を覚えつつも視線の先を追う。
眼下に広がる景色は、遠目には単なる田畑に見える。春に萌える緑の中を分け入って、雑草の刈り取りや作付けに勤しむ農民たちの姿。それだけならば何とも牧歌的な光景だろう。だが、違うのだ。つぶさに見れば、その異常な実態がすぐに分かる。
農民らしき人々は、大雑把に分けて二種類に分かれていた。即ち、指示を出す者と実際に作業を行う者。そのうち指示を担当する者たちには、これといって特筆すべきところが無い。普通の農家だ。
問題は後者である。異様に痩せ衰えた体躯に、よろよろとした足取り。背負子に積まれた荷物なども明らかに過重で、見るからに酷使されていることが察せられる。奇妙なのは、苛烈に労使される側が圧倒的多数であるというのに、反抗の気配も無く黙々と理不尽な指示に従っていることだ。
勇杜は慄然とした。この光景には覚えがある。とは言っても、実際に見たことがある訳ではない。それを知ったのは、あくまで学校の教科書に載っていた歴史の中でのこと。地球の人類史の中でも特筆される、恥ずべき過去の一つ。
「まるで……奴隷だ」
「まるで、じゃない」
エリシャが嫌気を払うように首を振って言う。
「あれらは、正真正銘の奴隷だよ」
彼女の視線の先の人々は、一様にその首へと銀色の首輪を嵌めさせられていた。




