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080 【幕間】ザンクトガレン、蠢動

 

 大陸東方、ザンクトガレン連邦王国。

 雪が融け消え若草萌ゆる、生命の横溢する季節、春。澄み渡った青い空、だが、その下の原野を進む一団の顔色は、曇り切ってまるで弔事のそれだ。

 理由は、彼らの装いに目を向ければ明白に知れる。帽子の代わりに鉄兜を(かぶ)り、身体は鎧具足に身を固め、手には頼りない素槍を携えていた。兵士である。それも悲壮な表情で行軍する姿を見るに、その目的は訓練や単なる移動などではないと容易に理解出来よう。

 彼らは戦場に向かっているのだ。


「王様もお貴族様も、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」


 歩を進める兵士の一人が、やはり陰鬱な声音で呟いた。


「ようやく魔物騒ぎが収まったと思ったら、アルクェールと戦争。それが済んだら今度は、連邦のクニ同士で内輪揉めときた。付き合ってられねえ」


「おい、止せよ」


 隣の列に立つ兵が、聞き咎めて制止する。


「誰が聞いているか分からねえんだ。迂闊なことは言わん方が良い」


「構うものかよ」


 同僚の諫めも、その兵士にとって漏れ出る愚痴を止める理由にはならなかった。足を動かしながらも、じろりと周囲に視線を走らせる。周囲の陰気な兵隊たちは、一様に暗い表情のまま押し黙って歩いている。そこに反対の意思は見受けられない。寧ろ、口火を切った男に同調するように耳をそばだて、続きを促すような気配さえある。


「ようやく落ち着いて麦を撒けるかって時に、この徴兵だ。それが頭に来ていない奴が、この中にいるもんかよ」


 強い語気でそう言うと、釣られたように周囲からも賛同の声が上がった。


「ああ、まったくだ」


「お上は俺らのことを、搾れば麦を吐き出す生きた皮袋くらいにしか思っていやがらねえ」


「耕して、撒いて、手を掛けて育てなきゃ、穫れるもんも穫れねえってのによ……」


 似たような言葉を矢継ぎ早に聞かされるのに、注意を飛ばした兵も降参するように肩を竦めた。ここにいる兵たちは、みな専業の兵などではない。槍ではなく鍬鍬を振るい、敵兵ではなく大地を相手取る農民たちだ。領主の命に従って軍に入れられたものの、戦争など本意ではない。


「何度だって言ってやる。貴族どもはみんな馬鹿だぜ。麦を作る人手を奪っておいて、それで秋になったら、税が足りないなんて抜かしやがるんだからな」


「んだ、んだ」


「でもって、不足だなんだと理由をつけて、奴隷にして売り飛ばすんだからな。ったくよォ、貴族ほどお気楽な商売はねェもんだな、オイ」


「うちの村でも、最近奴隷商人をよく見るんだよな。今から目ぼしい売り物を物色してやがるんだろうか」


「僕も……この(いくさ)で恩賞でも貰えなかったら、家の末の妹を売ることになるかもしれないって、村長が――」


 年若い兵の一人がそう零すと、周囲の大人たちは同情するように眉を顰めた。


「一昨年の魔物騒ぎ以来、どこの村も似たようなことになってるんだなァ……」


「へっ、どの家の子を売るか算段しているうちは、まだマシよ。近頃は、村ぐるみで逃げ出すようなところもあるらしいぜ?」


「確かに。バルデンの辺りじゃあ隣村が一夜にして空っぽに、なんてことがあったって噂、聞いたことがあるぜ」


「村人全員、一晩で夜逃げか。でも、逃げるって、どこにだよ?」


「さァ? ライニ川の向こうじゃねェの」


 ライニ川。ザンクトガレンと隣国アルクェールの現在(●●)の国境線となる川の名前だ。川向うにある地はエルピス=ロアーヌ――かつての名をエルプス=ロートレルゲンという。先年のヴォルダン戦役、その講和条約によってアルクェール王国に割譲された地だった。

 成程、今は敵国の領地とはいえ、元はザンクトガレンの土地。暮らしている民の多くはザンクトガレン系だ。農民が国境を越えて逃げ込んでも、紛れる余地はある。

 だが、


「馬鹿言え。あそこはもうアルクェール人どもの土地だ。連中が、身一つで逃げ込んで来た俺たちに優しくしてくれる訳無ェだろ」


 一人の兵士が、心底馬鹿にしたように言い切った。

 エルピス=ロアーヌはアルクェール王国の統治下。そしてザンクトガレンは、彼の国へ奇襲で以て戦争を仕掛け、敗れた国。であれば、そんなところに駆け込んだザンクトガレン人たちが新天地で僥倖に恵まれるなど、控えめに言っても想像し難いものがある。後ろ盾の無い元敵国民、そんな流民の末路など、鉱山に放り込む鉱夫奴隷が関の山だ。折しも、エルピス=ロアーヌは鉱脈の豊富な土地柄だった。長年、二大国の間で係争地となっていた所以は、その点にもある。

 逃げれば末は流民か奴隷。それが嫌で留まったが故に今がある。連邦の内紛が為に駆り出される、兵隊としての今が。

 そして、彼らが逃げ出せない理由はもう一つあった。


「――何をお喋りをしておる?」


 頭上から降ってきた居丈高な声に、兵隊たちは揃って竦み上がる。声の源が高いのは当然のこと。徒歩の兵隊に対して、その男はがっしりとした軍馬に跨っていた。騎士である。身に纏う鎧も見るからに立派な物で、兵たちの手にする数打ちの槍程度では、引っ掻き傷さえ負わせられるか怪しい。着こなす本人もまた、鎧の上からも見て取れるほど大柄だった。


「た、隊長殿……」


 震える声で彼をそう呼んだのは、最初に愚痴を漏らした例の兵士である。口を極めて貴族の無策を罵っていた威勢は、既に欠片も無い。

 馬上の隊長は面頬付兜(クローズド・ヘルム)に覆われた口から、無様さを笑うようにフンっと息を漏らす。


「私語で行き足を鈍らせるな。貴様らが遅れれば、その後列の兵もまた遅れる。利敵行為であるぞ。……これからの合戦、よもやガレリン方に利する腹積もりではあるまいな?」


「い、いえ、そんなっ! 滅相も無い!」


「だ、大体、ガレリンの連中に味方しても、俺らに得なんて何一つございませんよ……」


 兵隊たちは一斉に首を横に振った。

 ガレリン――連邦の盟主を気取り、加盟国を無理難題で振り回すグランドンブルク大王国は、昨年の敗戦による威信の低下を(みそ)ぐ為、中小国への威圧に余念が無かった。要は緩んだ(たが)の締め直しだが、締め付けられる方は堪ったものではない。唯々諾々と盟主からの要求を呑む者は、連邦構成国においては少数派だった。多くの国は武器を手に立ち上がり、盟主側も実力行使に及んで――こうして衝突を迎えることになる。

 戦意に乏しい兵たちを多数抱えて進むこの軍も、そうした反盟主側の連邦構成国の一つだった。

 馬上の指揮官は、居丈高に鼻を鳴らす。


「フンっ。であるなら、早く進め。敵は待ちなどせぬし、俺のように口で優しく言い聞かせもせん。過誤を犯せば、命で贖うことになる。心しておけ」


「「へ、へいっ!」」


 命令の通りに従容と行軍を再開する兵隊。

 ザンクトガレンは弱肉強食の気風が強い国だ。事ある毎に内紛で連邦が割れ、そうでなくとも他国より脅威度の高い魔物と(しのぎ)を削り続けるという国柄。当然、その中で軍の屋台骨を務める騎士たちには、ひとかたならぬ強者が揃う。

 実際のところ、この隊長程度の人材ならば一山幾らと存在するのであるが――それでも農村から徴用されたばかりの兵たちでは、束になっても敵わないだけの力量を持つのだ。逃げたり刃向かったりすれば、その刃が我が身を切り刻むかもしれない。欠片ほどでもそう思ってしまえば、反抗する気力などたちどころに萎えてしまう。が、黙って従っている限りは無体に扱われる恐れは無い。それがこの兵たちが、気の進まぬ戦場へと歩を進めている原因だった。


「そう暗い顔をする必要もあるまい。ガレリンの連中とて、戦で無暗に兵を損なう愚は避けよう。此度の合戦も、連邦同士での交渉を優位に進める為の脅かし合いのようなものだ。命を落とすようなことには、そうそうなるまいて」


 隊長が今更になって慰めるように言うが、兵たちの反応は芳しくなかった。その脅かし合いのような合戦に駆り出されることによって、本来の生業である畑仕事が滞ってしまうのだ。武器を取っての示威に走った無策を責める気持ちは湧いても、感謝や安堵などを覚える謂れなど無い。

 葬列めいた辛気臭い行進がしばらく続き、幾つかの丘陵を越えた時だった。


「あ、あれは……!」


 丘を下った先に広がる平野。東の地平線の向こうから、陸続とこちらへ進む軍勢の姿が視界に入った。戦場へ行軍する隊伍に真っ向から向かって来る、正体不明の軍団。間違い無くガレリン方の兵力である。


「斥候の報告では、もう半日は掛かる辺りをゆるゆると通過していたとのことだが……」


 面頬の上から顎を摩る隊長。恐らくは、敵勢もこちらが進軍しているのを悟り、不意を衝こうと行軍速度を上げたか。それとも最初からこの平野を戦場とするつもりで、こちらを誘おうと鈍重に擬態していたのか。いずれにせよ、こうして軍団同士が遭遇した以上、やることは一つだ。

 伝令の騎兵を呼びつけると、素早く命じる。


「伝令。後方の本陣に敵影見ゆとの報を伝えよ。総勢は……おおよそ二万。我が方有利とな」


 敵の数が二万とは、先んじて得ていた斥候の情報と眼下に見える土煙の量からの推量だ。自軍の数は三万五千人ほど。反盟主側の諸侯の連合軍である。手痛い消耗を強いられたヴォルダン戦役から、ほとんど間を置かずしてこれだけの兵が集まっていた。それほどグランドンブルク大王国の専横に反発する者が多かったということだろう。

 翻ってグランドンブルク側遠征軍の寡兵ぶりは、その支持の薄さが窺えようというものだった。二万という兵力は侮れない脅威だが、先年の戦争の折に主力を温存した割には、あまりにも少ない。連邦内に信頼のおける味方が乏しく、後背を固める為に多くの兵が割かれたのである。


(これはガレリンの連中の天下も、長くはあるまい)


 兜の下で、隊長の顔が侮蔑的に歪む。数的優位を活かしてこの合戦で勝利を得れば、グランドンブルクの専横を阻む目も見えてくるというものだ。

 兵たちの低調な士気にも関わらず、反盟主側軍勢の指揮官たちは、自分たちの勝利と輝かしい未来とをまるで疑っていなかった。

 その時である。


「あ、アレは……!?」


 一人の兵士が、盟主側の軍勢の姿に、引き攣ったような声を上げた。その視線の先にあるのは、敵軍の中でも比較的軽装な歩兵たちの隊列。いや、正確にはその隊伍が備える武器だ。

 槍にしては短く、穂先も無い、強いて言えば筒のような見た目をした玩具のような武器――マスケットだ。それを確認した隊長は、不愉快げに鼻を鳴らす。


「成程、ヴォルダン戦役でアルクェール方が用いたという新兵器か」


「へ、へい。アレの所為で、俺らは酷い目に遭いました。従兄弟のヨハンもあの弾に撃たれて、その傷が元で――」


 昨年の戦場で体験した威力を思い出してか、兵たちの中で幾人かが青い顔で身震いをした。あの戦争でヴォルダンに送られたのは、ザンクトガレンでもガレリンに隔たりのある領邦国家の者が中心。であれば、此度の反盟主陣営にも、その際の数少ない生き残りが混じっていたとして不思議ではない。

 聞くところによると彼の兵器、徴兵されたばかりの農兵ども――それもザンクトガレン人に比べて合戦慣れしていないアルクェール人――が使っても、遠征軍に強かに出血を強いたという。グランドンブルク大王国は、早くもそれを自らの物として使えるまでになったというのか。

 だが、隊長に狼狽はの気配は無かった。


「兵たちよ、怖気付くな」


 不遜に胸を(そび)やかしながら、語気を強めて言う。


「私もあの妙な武器については報告を聞いておる。が、恐れる必要は無い。何しろ、ここはザンクトガレンの平野だ。山向こうの盆地などとは違う」


 ヴォルダン戦役の最終局面、クラヴィキュール盆地の戦い。マスケット銃がイトゥセラ大陸の歴史上に初めて姿を現し、猛威を振るった戦場。だが、その地は敵が狭隘な盆地へ事前に陣地を構築し、手ぐすねを引いて待ち構えていた場所でもあった。寄らば崩れる軽装貧弱な飛び道具使いを、守る為の壁があった……とも表現出来る。

 翻って見て今回はどうだ。戦場は騎馬だろうと歩兵だろうと縦横無尽に駆け回れる平原。オマケに斥候の報告では、先年の戦いで見られたような防塁も見当たらなかったという。つまりは接近して無防備な銃兵を狩るのに障害は無い。


「何しろ、あのマスケットとやらは、一発撃つごとに弾を込め直す必要があるのだろう? 更には筒の掃除も、だ。然様な手間を要する代物など、開けた戦場で用いるには向かぬ」


「た、確かに……」


「加えて、あの敗戦の主たる原因は魔物の乱入よ。それもヴァンパイアなどという規格外の、な。……白昼堂々、見晴らしの良い戦場で、化け物どもの横殴りを許す筈もあるまい?」


 そして最大の要因がこれだ。実際のところ、アルクェール軍の銃兵は距離と壁とを盾にしながらも、弾幕を抜かれて多数が討ち取られている。あのまま力押しに攻め続けられればザンクトガレンが勝っていただろうし、大事を取って仕切り直しても同様だろう。後背から魔物の大群に攻め込まれるなどという、不測の事態さえ無ければ。

 ガレリンの連中は、戦訓の分析を誤った――それが隊長の所感である。


「敵は物珍しい新品の玩具に驕っておる。……この合戦、勝ったな」


 重厚な鎧を着こなし、歴戦の雰囲気が漂う隊長の断言。その言葉に、周囲の兵たちも安堵の表情が浮かべていく。気が乗らず、また避けられもしないものだとしても、戦であるなら勝てた方が良いに決まっている。少なくとも負けるよりかは犠牲が少ないのだから。




  ※ ※ ※




 戦場に、けたたましい破裂音が絶え間無く(●●●●●)響く。火花を散らす音が鳴る毎に、誰かの命もまた血肉と共に散華した。


「は、話が違うじゃねェか……」


 ある兵士は、顔中を冷や汗と涙と青洟とで濡らしながら、喘ぎ喘ぎ零した。


「ま、マスケットってのは、連射出来ねェんじゃなかったのかよォ!?」


 そう言う彼が凝然と見つめるのは、盟主グランドンブルク大王国方の軍勢だ。筒先を揃えたマスケットから、炸裂する硝煙と共に銃弾を飛ばす横列。その射撃には、事前に隊長が論っていた、弾込めなどによる攻撃間隔、そんなものはまるで見受けられない。歩兵の行進も騎兵の突撃も、容赦区別一切無しに薙ぎ倒す鉛玉の驟雨(しゅうう)だ。

 無論だが、連邦盟主が何発も連射出来る魔法の銃を開発した――という訳ではない。

 手品の種は、解ってしまえば肩透かしを覚えてしまうほどに簡単だった。


「銃士隊第一列、斉射完了しました」


「うむ。続いて第二列、前へ!」


「「ははっ!」」


 指揮官の合図に従って、複数層に渡って展開されている横隊の前後が入れ替わる。弾を打ち尽くした層はそのままの位置に。そして後方に控えていた層は、代わって前に出て射撃を行う。反盟主側の軍が射撃を前に蹈鞴を踏んでいる間には、先に撃ち終えていた横隊は銃腔の掃除と再度の弾込めを終え、次の発砲に備える。

 交互交代射撃。それが、この無限に続くとも錯覚しかねぬ連射の正体だった。

 その効果たるやご覧の通り。反盟主軍をまるで寄せ付けず、逆に尺取虫のようにじわじわとした歩みながら、グランドンブルク軍の銃士隊の方が前進し続けている。足元に転がるのは、数え切れぬ人馬の(むくろ)。それらを軍靴で踏み越えての進軍だ。文字通りの、蹂躙である。

 このような光景を見せられて、真っ当に戦える兵隊などそうはいなかった。


「い、嫌だ……死にたくねェ!!」


 兵たちの誰かが叫んだ。それが崩壊の切っ掛けだった。


「こ、こんな戦、やってられるかっ! お、俺はもう止めだ!」


「か、帰るゥ! おらァ、クニさ帰るゥ!!」


「ま、待て、貴様らっ!? 持ち場を離れるでないっ! こら、聞いて――」


 指揮官たちが怒鳴り散らして混乱を収めようとするも、その声もまた立て続けに鳴り響く銃声に飲まれて消える。反盟主軍の兵士たちは、その轟音を背に聞く度に身を震わせた。

 銃声。爆発と共に鉛玉を打ち出す音。それが聞こえる毎に、誰かを傷つけ死に至らしめる音。戦場をどよもすそれの正体を知ってしまったことで、恐ろしさをも理解する。鉄砲は怖い、鉄砲の鳴る音は怖い、と。

 恐怖。それは実際に殺傷力を持った弾丸と並んで、銃が兵を圧倒する要素の一つだった。銃口を向けられた瞬間、銃声が鳴り響いた瞬間、その毎に兵士たちの鋭気は挫かれていく。耳を塞げども聞こえてくる爆音は、まさに死神の吼え声だった。そんなものに晒され続けて耐えられるほど、ザンクトガレン人の兵士たちも人間離れしている訳ではない。ましてや、彼らはの大部分は今日初めて銃の恐怖を体験したのだから。


「ちっ、雑兵ばらが怖気付きおって……!」


 潰走寸前の自軍の有様に、隊長は歯噛みする。事ここに至れば、最早言葉だけで崩壊を押しとどめるのは困難。臆病者を何人か見せしめにして督戦を図るのも下策だろう。兵たちは銃への恐怖に支配されている。ここで上官による処断という形で尻を叩いても、敵に向かって走る前に腰が砕けてしまうのがオチだ。

 であれば、この敗勢を立て直す方法は一つ――、


「ええい、遠からんものは音に聞けいっ! 近くば寄って目にも見よ! 騎士の魂、ここにありっ!」


 聞き覚えの無い爆音に泡を食っている馬の腹を蹴り、突撃を仕掛ける隊長。

 ――敵を殺す。戦果が挙がれば、そして相手も斬れば死ぬ人間だと知れば、兵たちも立ち直るのだ。

 風を切り、見る見るうちに盟主軍の隊列へと接近していく。当然、敵方からは迎撃の銃火も上がるが、飛来した弾丸は装甲の表面で虚しく火花を立てるのみ。


「効くかよ、所詮は鉛の礫かっ!」


 面頬の奥で獰猛な嘲笑が浮かぶ。凶悪な魔物との闘いに備えた騎士甲冑。その防御力は軽装の兵士たちのそれとは比べ物にならない。無論のこと、それを背に載せる騎馬の馬鎧も、相応の厚みを持つ。筒先を揃えた一斉射撃は確かに雑兵を蹂躙するのに最適であるが、強力な個体戦闘力を持った例外には無力。その事実を確信しながら敵陣へと駆け、


「≪ファイアボール≫」「≪ファイアボール≫」「≪ファイアボール≫」


 ……その途上で、飛来した魔法攻撃に馬上から叩き落された。


「ぐ、はっ……!?」


 肩や胸郭で爆ぜる激痛を味わいながら、地面を転がる。雪解けから間もない湿気た大地が、熱された装甲に触れてジュっと湯気を立てた。体を起こすと、先程まで跨っていた愛馬は、悲鳴を上げることすらなく地に横たわっているのが目に入る。


「ぐぬ、ぬ……」


「ふむ。雑兵を斉射で薙ぎ払い、銃弾に耐えうる敵は魔法で仕留める。中々に効率的な戦術だ」


 苦痛に喘ぐ隊長の前に、そう言いつつ現れる何者か。襟を立てた外套に、戦塵の汚れが見受けられない白いクラバット。そして、左胸に刺繍された黄金の双頭鷲。戦場には似つかわしくない伊達な姿。腰に吊った剣のみが、辛うじてこの男が武を嗜む者と知らしめている。だが、他の兵や騎士などとは違うと、一目で知れる格を感じさせられた。


「そ、その紋章は――大王親衛騎将っ!?」


 男の正体を察した隊長は、驚愕に目を剥きつつ(うめく)

 大王親衛騎将――尚武の国・ザンクトガレン連邦王国における最高戦力。グランドンブルク大王国、ハイデルレヒト王朝の歴代大王のみが御しえるという、大陸東方最強の騎士たち。数こそ六人と少ないが、一人一人が一騎当千の強者であり、権限も将軍と同等のものを持つ例外どもだった。

 そんな怪物をすら平然と投入している以上、今回の連邦内紛に対する盟主の姿勢は明らかだ。紛うことなき本気、である。

 慄然とする隊長を前に、男は優雅に一礼をする。


「おっと、名乗りが遅れて失礼。私はオスカー・ライナルト・フォン・ハーゲンドルフ。お察しの通り、グランドンブルク大王国軍で大王親衛騎将、その末席を務めさせて頂いている。以後、お見知りおきを」


(ふ、ふざけた男め……!)


 ギチリ、と奥歯が軋む。地に伏せた相手に対して頭を垂れたところで、何ほどの礼儀が籠っているというのか。慇懃無礼の見本のようなものだった。腹立たしいにも程がある。


「随分と、余裕、だなっ?」


「ふむ?」


 苦痛の滲む悪態に、ハーゲンドルフと名乗った男は目を瞬いた。


「余裕とは、何かね? 私がここで君と世間話をしていて、こちらに不都合なことでもあるのかな?」


 この男は馬鹿なのか、と隊長は思った。鎧も着込まず、気取った身なりをしたまま、のこのこと戦場のど真ん中に立ち止まっているのだ。弓兵や魔導師たちの良い的である。魔導戦力は何もグランドンブルク側だけの専売特許ではない。流石に魔導アカデミーを抱えている向こうには劣るが、それでも相応の数はこちらにもいるのだ。


(その澄ました顔を魔法で焼かれて、後悔するが良いわっ!)


 緒戦で大打撃を受けた以上、この合戦の負けは明らか。だが、それでも目の前にいる大王の走狗を仕留められれば溜飲が下がるというもの。味方の魔法が飛んで来るのに合わせて、死力を振り絞って斬り掛かってやろう……。

 そう目算を立てる彼にハーゲンドルフが笑みを投げ掛ける。酷薄で、冷たい笑顔を。


「言い忘れていたが……君たちの側の魔導師は、もういないよ」


「……はっ?」


「別に不思議なことはあるまい。折角ここまで仕上げた銃士隊が魔法を喰らって損耗などしたら、我が軍としては大損だろう? だから、そちらが銃撃で混乱している隙に、目ぼしい魔導師たちは既に狩っておいた。この私がね」


 ハッタリだ。そう言ってやりたかった。如何に親衛騎将の戦力が図抜けているとはいえ、この短時間である。そんなことは無理に決まっている。

 しかし、待てど暮らせど聞こえてくるのは銃声、銃声、銃声。そしてグランドンブルク方の歓声と、自軍の悲鳴である。時たま生じる魔法の炸裂音も、大方はグランドンブルク側の隊列の前――この隊長と同じように、銃士隊への突撃を図った反盟主軍の騎士が狙い撃たれるところばかりだ。

 顔から血の気が引いていく。対して、ハーゲンドルフの方はますます愉悦の色が濃い笑みを深めていった。


「ご理解頂けたかね? では、選びたまえ。降伏か、それとも抵抗か」


 事ここに至っては、劣勢に置かれた側の選択などそのどちらかしかあり得まい。ハーゲンドルフとしては、そのどちらでも構わなかった。目の前の相手が投降を選べば、殺す手間が省ける。そして抵抗を選んだとして――、


「ふざけるなっ! 騎士として、一合も剣を交えぬ内から降伏などっ!」


「ふむ? そうかね」


 起き上がりざまに飛び掛かってきた隊長。その胴を抜き打ち一閃で斬り捨てる。


「だが、騎士として、と言うのなら……まず彼我の戦力差すら弁えない匹夫など、騎士に相応しくない気がするがね」


 目にも止まらぬ速度で抜き放たれた剣を、今度は殊更にゆっくりと血振りをして鞘に納めた。ドサリ、と音を立てて地に落ちた骸。それを見下ろす視線は、白刃よりなお鋭く、冷たい。

 ――手負いの一騎士が抵抗を選んだとして、大王親衛騎将にとっては、それを除くのに然したる手間が要る訳でもなし。つまりは、そういうことなのだった。


「しかし、まあ、なんだ。圧倒的な力の差というのは、つまらないものだな」


 ちらりと周囲の戦況に目を走らせながら零すハーゲンドルフ。

 趨勢は、完全に盟主軍の方へと傾いていた。当初は数的優位を確保していた筈の反盟主軍は、マスケット兵の射撃を前に壊乱状態である。数を揃えたとはいえ、所詮は烏合の衆。鴉の群れのように蹴散らされるのがオチというところだろうか。今少し指揮系統を整え、兵の練度も高めていれば、別動隊を組織して銃士隊を奇襲し混戦に持ち込むことも出来ただろう。が、そんな真似が出来ないようにする為に、昨年の戦争では連邦の非主流派をヴォルダンに投入し、消耗を強いたのだ。

 想像以上の楽勝に拍子抜けした思いを持て余す彼を、本格的な進撃を始めた友軍が追い越していく。その最中、


「見事なものだね、将軍」


 通りすがった本陣、その中で馬上にある将に向かって、声を掛ける。


「ハーゲンドルフ殿」


「いやはや、まったくもって驚嘆したよ。この戦、勝つつもりでいたのは確かだが、こうも容易く敵を破ることが出来るとは、想像以上だ」


「……お褒めのお言葉、恐悦至極。ですが、これも貴殿のご助力と、兵たちの勇戦あってのことかと」


 礼に則った返事をよこす将軍。だが、表情はどことなく固く、物憂げで、ぎこちなさや頑なさが滲んでいた。それも当然のこと。この将軍は大王親衛騎将に属するハーゲンドルフのような、グランドンブルク大王国生え抜きの軍人ではない。連邦を構成する領邦群から今回、盟主の側に立って参陣した口だ。言うなれば外様である。故に、大王国軍の中では未だに浮いたところがあり、距離感を掴みかねているようだった。

 そんな男に向けて、ハーゲンドルフは表向き親しみの籠った笑みを浮かべて声を張り上げる。


「いやいや! そう謙遜することはあるまい、将軍! この記録的な戦果は、君の献策と指揮があってこその物だとも、将軍! もっと胸を張って誇りたまえよ。それが君の麾下で戦った兵への礼儀でもあるのだからなっ」


「はっ……」


 対する将軍の返事は、やはり気乗りしなげであった。

 それもそうだろう。今回の連邦内紛で盟主の側に立ったのは、あくまでも彼の故郷である連邦構成国、その国益に適うが故。何も芯からグランドンブルク大王国に入れ込んでいる訳ではないのだから。

 だが、これから先はそうもいかない。グランドンブルクは、そして大王は、この戦いを通じてザンクトガレンを連邦という曖昧な枠組みから、明確な一個の国として再編することを目論んでいる。これまでの連邦内部の利権争いとは、訳が違うのだ。戦後を睨んでも、有能な軍人は一人でも多く取り込んでおきたいのである。

 だから大きな声で主張するのだ。この戦いで最も盟主に貢献したのはお前だ、と。最も敵兵の血を流したのはお前だ、と。彼の立場を、グランドンブルクの側に押しやる為に。

 生臭い政治の臭いを嗅ぎ取ってか、馬上の将軍は咳払いをするとともに視線を前へと戻す。


「お言葉、忝く。ですが、これより残敵への追撃がありますので」


「ふむ。追撃か……」


 合戦の機微をだしにされては、ハーゲンドルフも引っ込まざるを得ない。彼とて本質的には一個の武人である。口舌での丁々発止に興じて目の前の敵を取り逃がすなど、本意ではなかった。


「見たところ、緒戦で衝撃を与え過ぎた所為か、潰走はすれどそのまま逃げおおせる敵も多いようだね」


 銃撃戦で先陣を粉砕することには成功したが、その後ろに控えていた連中は、形勢不利と前線の混乱を察するや、素早く遁走に移っている。あまり秩序だっているとは言えない無様な逃げ方ではあるが、着実にこちらの軍から距離を離しつつあった。落伍する兵も多そうではあるが、殲滅しきれずに逃げおおせられる兵もまた、かなりの数に上ることが見込まれる。


「マスケット兵は歩兵でありますので。また、銃声で馬が動揺する為、騎兵もあまり多くは連れて来ておりません」


 馬というのは臆病で音に敏感な動物だ。耳を聾さんばかりの銃声が鳴り響く戦場に持ち込んでも、怯えて使い物にならなくなる。対魔物、対魔導師の為に特別な調練をした馬や、霊獣の類であれば別だろうが、そうしたものは騎兵の中でもごく一握りにしか配備されていないのが常だ。


「馬を音に慣らしたり、耳覆いを被せるなどの工夫も図っておりますが、実用化には時が掛かるかと」


「成程。対策は既に講じてはいると」


「ええ。……また、槍兵などの既存の兵科との連携にも、向上の余地はありましょう。例えば――」


 言いながら、指で地面に概略を描いていく。

 ――例えば、敢えて銃兵の発砲を遅らせて敵を引き付ける。そうすれば後退に時を要するようになり、より殲滅が容易となるだろう。無論、ただ撃たずにいれば肉薄されてこちらに被害が生じるのは明白。そこで効いてくるのが槍兵だ。敵戦列に文字通りの横槍を入れることで、銃兵の戦列を守ると同時に拘束する。これもまた銃の火力で殲滅を図る工夫。

 ここへ更に騎馬隊の突撃を加えれば、敵は陣形を千々に乱し、加えて槍兵に身動きを妨げられている中、銃弾の雨に身を晒すことになる。


「――今はまだ、机上の空論ですが」


 そう結び置く将軍だが、炯々(けいけい)と光る眼光は、言葉以上に雄弁だった。

 必ずやってみせる。この新戦術を、必ず物にしてみせる。その意気込みを、表情で語っている。

 古来、優れた兵法を用いる者は、その手腕を魔法に(たと)えられたものだった。彼が語る戦術が真実そこまでの効果を発揮するのかは、まだ未知数であるが……相手の死を願い、流血の為の技巧に精緻を凝らす様は、成程、魔法とも呪いとも表現するべきであろう。


「では、国内(●●)を統一する頃には、準備も整っていると見ても?」


「……問題は、無いでしょうな」


 その言葉に、ハーゲンドルフは喜色に顔を歪ませる。


「結構! 大変結構だとも将軍っ! 君の献身のお陰で、我が国は一層の雄飛が可能になるという訳だ! 君とはこれからも、是非ともよろしくやっていきたいものだよ、なあ?」


 戦争に異様な情熱を傾ける? まるで相手を呪っているかのよう? それに何の問題があるというのか。戦意の矛先が自軍の敵に向いているというのなら、大いによろしい。グランドンブルクによるザンクトガレン統一にも否やはない。であるなら、この将軍は居くべき奇貨というもの。それがハーゲンドルフの判断だった。


「……ええ」


 将軍は、返事をしつつも目に暗い炎を宿らせた。敵兵の効率的な殺し方を云々していた際よりも、なお深い闇の色。目を合わせた者が、思わずゾッとするほどの、情念に満ちた輝きを。


「この内紛が終わる頃には、アルクェールへの雪辱も叶うだけの体制が整うことでしょう」


「うむ。実に頼もしいお言葉だ、バウアー将軍(●●●●●●)


 そう結ぶと、追撃戦に加わろうとしてか、フッと姿を掻き消すハーゲンドルフ。

 ユルゲン・バウアー。バハリア王国出身の将軍。そして、昨年のヴォルダン戦役における敗軍の将が、彼だった。一敗地に塗れた外様の将軍が、何故こうも早く再び采配を取る立場に返り咲いたのか。

 それは、


(……先年以来、寝ても覚めてもマスケット(コイツ)の銃声が耳から離れなかった。お陰で考え通しになる羽目になったぞ。これをどう攻略するか、どう使うかを)


 彼がザンクトガレン全軍で、最もこの兵器に触れた経験を持ち、また対策と運用とに苦心してきた故だ。

 バウアーは騎馬に歩を進めさせつつ、眼下の戦場を眺めやる。今や彼の手で運用され、敵軍を粉砕していく銃士隊の姿を。そして野鳥のように無力に打ち払われていく敵軍の姿を。あの反盟主軍の兵の中には、ひょっとすると去年の秋、バウアーと共にクラヴィキュールの戦場を這いずり回った者もいたかもしれない。それを自らの手で踏み躙ることへの罪悪感は、無いと言えば嘘になる。

 だが、彼は躊躇に立ち止まることは出来なかった。


(新たな兵器が、新たな技術が、新たな時代を作る。潮目が変わったのだ。我々も乗り遅れる訳にはいかない)


 ヴォルダン戦役の敗北によって、ザンクトガレンの領邦群の衰退は明らかになった。それはどれだけ悔やんでも取り戻すことの叶わない事実。これから先、連邦の政局は、戦力を温存しつつ終戦を迎えた盟主グランドンブルクが、より勢力を強めていくことだろう。

 ならば多くの兵を損ない力を失ったバハリア王国の採るべき道は、自ずから一つに絞れる。耐え難きを耐え忍び難きを忍び、敢えてグランドンブルクに頭を垂れ、その傘下に入るべし。この選択と功績を以て、連邦が今後形成していく新秩序の中で有利な立ち位置を占めるのだ。

 無論、つい一年前に良いように利用された相手へと擦り寄ることに、バハリア国内でも反対の声は未だ大きかった。いや、反盟主寄りの発言をする者の方が多数派と言えるだろう。だが、(わだか)る憤懣をただ吐き出すだけの道に未来は無い。

 不幸中の幸いというべきか、戦役で敗れ虜囚の辱めを受けていたバウアーは、講和後の国内では身の置き所が無く宙に浮いていた格好であった。閑職に回され時間だけは腐るほどあった中、手慰みに――というには熱を入れて――書き上げた、実戦で体感したマスケットの脅威と弱点、その運用法などに関する論文。それがどういう経緯かグランドンブルク軍のお偉方の目に留まった。今回の遠征に当たって、試験的に銃士隊を含む軍の指揮を任されたのは、その伝手からである。

 遠征軍四万人の過半数を喪失した大敗、それで全てを失ったと不運を嘆きはした。が、如何なる巡り合わせか、今はバハリアにおける親盟主派閥の軍代表。ザンクトガレン軍にあっては新兵器の運用に一家言を持つ潰しの利く将の一人だ。勿論、昨年敗れたばかりの彼の立場は弱い。いざとなれば母国からも盟主からも切り捨てられることだろうが……立場などは、これからの功績で強化していけば良いのだ。この連邦内紛を鎮圧することによって。


(まずは連邦内部を固め、敗戦で揺らいだ我が国の立場を補強する。そうして後顧の憂いを絶った後は――)


 バウアーは、キッと鋭い眼差しを西の空へと投げ掛ける。その先にあるのは、今回兵を挙げた領邦諸侯の所領。いや、因縁の土地であるエルピス=ロアーヌ。そして、その更に先にあるヴォルダンか。


(――待っていろ、アルクェール王国。そしてオーブニルとかいうイカレ貴族め。ヴォルダンで私の首を落とさなかったことを、今に後悔させてくれる……!)


 蒼天の下、うららかな春の日差しの中、しかしその眼に宿る光は夜より暗く冬よりなお冷たい。ユルゲン・バウアーは、来るべき復讐の時を、一日千秋の思いで待ち続けるのだった。

 

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