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007 契約者の対価

 

 空は青く澄み渡っていた。太陽の位置は中天、時は真昼である。

 王都ブローセンヌから四方へ広がる主要街道。そこは近衛騎士団の管轄だ。王家の膝元を鎮護する名誉に与る、この国で最も精強な騎士団。そんな彼らの目と鼻の先で、一体誰が強盗働きをしようというのか。

 だが、何事にも例外というものは付きものである。王都への流通を担う大動脈は、裏を返せば羽振りの良い交易隊商が行き来する、絶好の狩り場だ。商人どもが近衛の威光に安んじ、無防備な横腹を晒しているところに牙を立てれば、他所の上がりでは及びもつかない美味い汁が啜れるのである。

 無論のことであるが、ただ考えも無しに事に及んでは、たちまち騎士団の警邏に察知され、逃げる間もなく殲滅の憂き目に遭うことは必至。故に王都近辺での仕掛けには、目下の脅威である騎士団の巡察の時間を看破する知力、その間隙と獲物の到来が重なる時を待つ忍耐、そして事に気づかれ救援が到来するまでの間に全てを終える迅速さ、それらを兼ね備える必要があるのだった。


「頭ァーっ!!」


 大慌てで頭目を呼ぶ声で、その盗賊団の仕事が始まった。

 街道沿いの木立を縫いながら、声を上げて馬を駆けさせているのは、王都側に物見にやらせた斥候だ。膂力と胆力には欠けるところがあったが、目端が利く上に馬術が達者だった。現にこうして道から外れた中を馬で突っ切るという荒業もこなしている。正に偵察をやる為に生れて来たような人間である。


「おう、どうしたーっ!?」


 馬上の偵察者に向けて、頭目の胴間声。

 臆病さ故に荒くれ揃いの団内では軽んじられていたが、頭目はこの男を高く評価していた。元は牧場主に買われた奴隷であったが、主人の頓死による首輪の解除を突いて、相続人に再契約される前に馬をかっぱらって逃げて来たのだという。ここ一番では大胆になれる男なのだと、頭目は彼を買っている。

 不出来だが見込みがある、可愛い部下からの報告である。何ぞ大物でも釣り上げたかと、頭目は顔に出さないまま期待した。


「頭ァ、獲物です! 街道沿いに貴族の馬車一台! 荷馬車が二つ! こっちに向かって来ます!」


 はたして、答えは期待以上だった。

 緩みそうになる頬を片手で押さえながら、念のために確認する。


「貴族の馬車ァ? 確かか? 護衛の騎馬隊はいねえのか?」


「はいっ! 馬車だけですっ! 荷馬車の方にも積み荷が満載でして、そっちに載せたとしても人数は少ないはずです! 向こうの頭数は十を超えはしないかと!」


 頭目は、今度こそ笑みを抑えきれなかった。

 街道沿いを供の騎馬も無しに急ぐ貴族。それも後続の荷馬車に、積み荷をたんまり載せている。すこぶる付きの美女が盛り場を裸で歩いているようなものだ。格好の獲物である。

 他の団員たちも色めきだった。


「おおっ! 街道に張って三日目、今日こそ獲物にありつけるぜ!」


「しかも相手が糞貴族ってのが最高だ! 連中には恨みがたんまりあるからな!」


 欲望にぎらついた目で、頭目に襲撃を訴える団員達。

 だが、その中でも新参の一人が、ぼそりと言った。


「……けれどよォ、そんだけ積み荷を積んでいて、まるで無防備でいるとも思えねえですぜ。もしや、腕の立つ冒険者でも雇ってるんでは?」


 その言葉に、一座は途端にしんと静まり返る。

 冒険者という人種は、一種の異常者だ。人類にとっての脅威であるモンスターと年中殺し合い、その戦いでもって鍛えられた、人の形をした人外。中には小規模の盗賊団なら単身で壊滅してのける者もいる。

 もしそんな凄腕がいるのであれば、困難な仕事になるだろうが――


「……くくくっ」


「……はははっ」


「あははははっ!」


 ――今日まで生き延びて来た古参は、そんな連中と戦ってなお長らえているのだ。


「はっ! おめえ、冒険者の事をよく知らねえでモノを言うなよな」


「そうそう。連中の強みはパーティの連携だろぃ? 物見が見間違ってなきゃ、向こうの頭数は十を上回ることはねえ。でも、貴族様ってのは見栄っ張りでよ、周りにゃ家臣を何人も侍らせてるもんだ!」


「それを十から引けば、残るのは二、三人。幾ら強くても、俺らの数にゃ程遠いっての! そんだけ人数で勝ってりゃ、護衛の目当てに狙いを絞って釘づけにも出来らァ」


 つまりはそういうこと。

 少数、あるいは単騎で盗賊団を潰す冒険者は確かにいよう。だが、それは討伐という攻勢の状況にあればの話。守勢を強いられる護衛任務に就くのであれば、少なくとも五、六人のパーティでなければ覚束ない。よしんば少数で馬車団の護衛を引き受けるような冒険者がいたとしたら、この道では賊に出くわさないとたかをくくった間抜けか、でなくばモグリだ。脅威にはなり得ない。それでもこなす自信がある強者? そんな連中には、ハナからもっと割の良い依頼を回されているのが常識だ。その為のギルド、その為の冒険者ランク制度である。

 獲物たる貴族と脅威たる冒険者。その習性に知悉した古参組にとっては、慎重居士を気取ってこの機を逃すのは愚の骨頂。馬鹿のすることにしか見えない。頭目にもそれは同様だった。


「おう、そういうわけだ新入りども。こいつァ滅多には無ェ、美味しい仕事だぜ。ただその分、しくじりは許されねえ。大人しく古参どもの手際ァ見ながら、ちゃんと勉強しとけよ!?」


「「へ、へいっ!」」


 しゃちほこばって返事をする若手の初々しさに目を眇め、ついでのように空に掛かる太陽を見る。

 時間は正午をやや過ぎた辺り。出入りの物売りに金を掴ませて得た情報では、そろそろ騎士団も昼飯時だ。しばらくの間、邪魔に入る者はいない。


「……頃合いだァ! 時間はきっかり半刻! それ以上は騎士団の警邏が来る! とっとと殺して、さっさと奪ってずらかるぞォ!」


「「オオオオオォォォッッッ!!」」


 王都近郊での大仕事の為に待機を重ねた鬱憤と、この後に得られるだろう戦利品への欲求に、盗賊団は雄叫びを上げた。


(さて。貴族を殺すとなると、後の追手が怖ェな。逃げ道と高飛びの先は慎重に決めねェと……)


 群狼よろしく街道へ飛び出していく部下たちを見ながら、頭目はそんな算盤を弾いていたのであった。

 無防備にこちらへ向かう一団が、はたして何者であるかなどは埒外に置いて。




   ※ ※ ※




「オラオラーっ! 出て来やがれ腐れ貴族がァ!!」


「お前ら、馬に目をくらますんじゃねえぞ!? 殺して足を止めンだ!」


「さっさと金目のモン出しなァ!!」


 車窓の外からは、威圧的な喚き声が引っ切り無しに聞こえてくる。僕らを襲った盗賊団の人数は、かなりのものであるらしい。少なくとも二十人は下るまい。こんな大勢が待ち伏せているなんて、王都周辺の治安はどうなっているんだろう?


「三十人ってところか?」


「正確には三十二人かと……訂正、B-01の反撃により、三十一人に減少しました」


 と冷静に述べる護衛二人。……うん、残念ながら僕の見立ては、鉄火場では当てにならないようだ。

 忸怩たるものを感じないではないけれど、餅は餅屋という言葉もある。気を取り直して、やる気満々のドゥーエに訊ねる。


「ところで、自信の程は?」


 すると彼は不敵に笑い、


「おいおいご主人、これでも俺はランクBの端くれだぜ? あんたの改造が足引っ張んない限り、この程度の賊なんざ朝飯前だ」


 と実に頼もしい言葉を返してくれた。

 愚問だったかな、と少々反省する。

 盗賊団の壊滅は大体E~C級のパーティが請け負う仕事だ。割と該当範囲が広いのは、盗賊団の規模や質にもムラがあるためだが、それは置いておいて――そしてBランクでもかなりA級に近い部類の冒険者は、単独でもC級が複数人で掛かる依頼をこなせるとされる。改造前にラボで検出されたデータでは、ドゥーエは正にそのB級上位相当と判定されていた。彼の言葉に気負いも偽りも無いだろう。


「ということは、護衛という足枷を差し引いても、テストには打ってつけのレベルの敵ということかな?」


「確度の高いご判断と愚考します」


 ユニからもお墨付きが出た。となると現状はノー・プロブレム。ゴーサインを出すのに否やは無い。


「よし、ドゥーエ。予定外だがここで実戦テストだ。馬と荷物を守りつつ、対象を殲滅してくれ。量産型の奴隷は、自衛程度ならこなせるから放置で良い」


「ヤツらは実験の材料にゃしねえのかい?」


「気遣いはありがたいけどね、輸送手段が無い。それに、これから領地に入る新領主が、よその盗賊を連れていちゃ格好がつかないだろう?」


「成程、ね。それじゃあ――」


 ドゥーエの笑みの質が変わる。不敵さと自信を備えたそれへ、殺意と高揚が加わった狂笑に。


「――いっちょ、ご命令通りに! 殲滅してきますかァ!!」


 手には二つ名の由来である両手剣、その身は黒外套と壊れかけた鎧に包んで、僕の二番目の作品は馬車の外へと飛び出していった。

 さて、仕上がり具合はどんなものだろうか? とっくりと観察させて貰うことにしよう。




   ※ ※ ※




 盗賊団は困惑していた。護衛も伴わない呑気な貴族を襲撃したはずが、どうにも予想した成り行きとは勝手が違うのだ。

 まず馬の足を止める為に数人を先行させ、縄を張って足払いを仕掛けさせたのだが、先頭を行く馬車の御者は、それを見抜いたように直前で急停車。後を追いかけていた荷馬車も、それに合わせたように立ち止まる。見事に初手を躱された格好だ。

 加えて一団の馬車を動かす御者は、揃って異様な存在だった。

 街道を塞ぎ、三十人を超す人数で群がったに関わらず、まったくの無表情。それはいい。こちらの罠を見抜く眼力と、それを直前で回避する手綱捌きを見せたのだ。只者でなくても然るべきだ。

 だが、その格好がおかしかった。見事な黒の執事服で身を固めているのは良いが、首に巻かれ――否、嵌められているのは、銀色に輝く首輪。大陸全土に共通して奴隷の身分を示す、呪われた装身具である。


「奴隷の……御者ァ?」


 それを見た者は、一様に脳裏へ疑問符を浮かべる。当然だ、貴族とは見栄が服を着て歩いているような生き物である。御者や執事といった家人の顔ともいうべき役職には、平民か傘下の下級貴族を当てるのが通例。そうでなくば、他家の者に対して格好がつかないのだ。すなわち、周囲から侮られ、貶められる。お里が知れる、と言ってもいい。要するに、誇りと伝統を手形とする貴族社会において、重大な瑕疵となりえる失態である。


「おいおい、こりゃまさか……貧乏貴族の、夜逃げならぬ昼逃げってかァ?」


「そいつァ傑作だ! だがよォ、それじゃあこの仕事の採算が取れねえや!」


 その会話を皮切りに、困惑は侮蔑へと変じた。

 そしてそれを後押しするように、


「見ろよ! 一番後ろの荷馬車なんざァ、メイドに手綱を持たせてやがる!」


「これも奴隷だぜ! よっぽど金が無ェんだな!」


「へへ……顔は結構良い線行ってるけどよ」


 後列に向かった連中から、そんな会話が聞こえて来た。

 そうなるともう、罠を躱された際の緊張を維持出来る者はいなくなった。

 騎馬も伴わずに、奴隷のみを連れて王都を離れる貴族。そんなものは落魄して都落ちする輩に違いあるまい。実入りは事前の予想を下回るだろうが――遠目にも満載と分かる荷馬車の積み荷。おそらくこれは最後の財産だろう。貴族の家財道具ともなれば、最低級のものでもそれなりの値は付くし、奴隷のメイドなどという売るのに困らぬ女もいた。外れを引いたには違いないが、大損とまではいかない、当たりに近い外れだろう……。

 それが盗賊団の大方が描いた推測である。


「……オラっ、ぼさっとすんな野郎どもっ! やることは大して変わらねェ! 男は殺せ! 馬も始末しろ! メイドはふん縛れいっ!」


「お頭ァ! 中にも女がいたら?」


「メイドなら売る。奥方や令嬢だと、ちと身が重くて捌く伝手がねえから殺す。女を抱きたきゃ、売り物を味見するか、儲けた銭で買うんだよ。……いいなっ!?」


「へ、へいっ!」


 貴族の女などという高嶺の花は、売りに出しても店の方が尻込みするし、売れたとしてもそこから足が付く。人質にしようにも大方の貴族は盗賊などと交渉の席を持つことはしない。ばかりか、その為に時間を取られて追手から逃げ遅れるのがオチ。

 故に捌く伝手がある物のみを奪い去り、それ以外は切り捨てていく。余計な重石を背負っていては、身軽に逃げ出すことは出来ない。特に女は、三流の連中が身を滅ぼす原因の一つだ。売り物にならぬ女は、欲を掻いて拐すべからず、潔く殺すべし。それが盗賊稼業を長く続ける秘訣だった。

 一度は出鼻をくじかれた盗賊団は、ぎらついた欲望を取り戻して馬車列に襲い掛かる。まずは馬だ。万に一つも逃げられぬよう、標的の足を殺す。猟師崩れの団員率いる弓手が矢を番え、引絞って放つ。

 同時に、


「……B-01、これより自衛行動に入ります」


「……B-02、これより自衛行動に入ります」


「……M-01、これより自衛行動に入ります」


「……M-02、友軍の戦闘への移行を確認。支援を開始します」


「……M-03、友軍の戦闘への移行を確認。支援を開始します」


 奴隷たちの反撃が、始まった。


「「はっ?」」


 再び、盗賊団を困惑と驚愕とが襲う。

 御者たちの腕が霞んで見えたと思うと、まずは馬と男の御者を射殺そうと放たれた矢が、残らず叩き落とされた。二の矢、三の矢も同じ。防がれたのだ。まるで手品である。

 最初にその手品の種に気付いた盗賊は、驚きのあまり目を剥いた。


「む、鞭で矢を落としたのか……!?」


 操車席から馬を打つ為の長い鞭。それが矢を迎撃したものの正体だった。

 だが、果たしてそれを彼らの常識が受け取れるかどうか。


「ば、馬鹿言うんじゃねえ! 御者鞭だぞ!? 馬を叩く為のもんで、この数の矢を……誰がンな真似が出来るか!?」


「仮に出来たとしてもだ! 三人ともがそれを出来るわけなんてねえだろうが!」


「弓隊、もっと狙えっ! お前らが外したんじゃねェのか!?」


 そんな事が起こりえるはずが無い。それが起こってしまった現実に目をつむって、盗賊団は再び射手に弓を構えさせる。

 しかし、


「……B-01、反撃します」


 先頭の馬車の御者が、先んじて懐から何かを投げ放った。

 その何かは目にも留まらぬ速さで飛び、


「ぐわぁ!? ……ぁ、が……ッ!」


「おい、どうし――ひっ!?」


 射手の一人の頭蓋に突き立っていた。

 投げナイフである。

 どれ程の速度で飛来したのか、刀身の殆どが傷口にまで埋まっている。

 確実に脳まで達する損傷。即死だった。

 死んだ身体が、やや遅れてゆっくりと地面に崩折れる。自分が死んだと、ようやく気付いたように。


「野郎、やりやがったな!?」


「くそっ! ……飛び道具で駄目なら、斬り殺せ! 叩き殺せェ!」


 仲間の死への衝撃。それを攻撃衝動に変えるべく、野盗の頭目は叫んだ。

 だが、遅かった。

 ――馬車の扉が開く。


「なん――」


 疑問の声を遮って血飛沫が上がる。

 黒い颶風に、街道の砂埃が巻き上げられた。

 それが馬車から飛び出したと同時、また一人が死んだ。

 理解できたのはそれだけに留まる。

 今度は攻撃の瞬間さえ見えなかった。

 六十個三十対の瞳、その一つとして映らなかったのである。


「ふぅん……?」


 気が付けば黒い男が一人、剣を振り抜いた姿勢のまま現れていた。

 男は手応えを確かめるように、剣の握りを二、三度直す。

 背中から斬られ、あるいは射られることを、毛ほども恐れてもいない風だった。

 ……コイツが殺ったのか?

 盗賊たちは今更のように、それを認識する。


「慣らしが足りねェな。まるで加減が利いてねェ」


 登場と同時に一人殺しておきながら、まるで藁束でも斬ったかのような口振りだった。

 怖気づいたかのように、包囲の輪が内側から押し広げられる。

 現れた男は、冒険者であるように見えた。

 長身である。身体つきは、太いというより獅子めいて強靭に見える。

 黒い外套、黒い胸当て、長大な両手剣。

 その全ては粗末であった。今さっき、野晒しの遺体から剥ぎ取ってでもきたかのようだ。

 だが、罅割れた黒鉄から漏れ出る、この殺気はどうであろう。まるで古戦場から蘇った、死せる悪鬼のそれではないか。

 彼らはそれが出会ってはならない類のものだと、今更ながらに理解した。


「ぎゃあっ!?」


「や、止め――!」


 男の登場による不思議な停滞を破るように、悲鳴が響く。いずれも盗賊のものだった。

 見ればメイドや執事の風情を装った奴隷たちが、幾人かの盗賊を仕留めている。

 それに気付いた男は舌打ちを一つし、


「――止めろ」


 命令一つで、追撃の意思を見せるそれらを止めた。

 ……何故?

 安堵より先に疑問が広がる。

 襲撃を掛けた自分たちを殺す手を、敢えて止める。その理由は何だ。

 交渉か? 武力を梃子に、自分たちを引き下がらせるとでも?

 だとすれば、許容を超えた恐怖と混乱に支配されつつある彼らにとって、無上の福音だったろう。

 だが、


「コイツらは俺の慣らしの的だ。テメェら、大人しく下がって馬車でも守ってろ」


 事実は無情であった。

 男は彼らを的にするという。つまりは殺すのだ。

 その宣告に盗賊団は震え上がり、奴隷どもは構えを解いた。


「……B-01。上位個体、オーパス02の戦闘テスト開始を確認。消極的自衛に移行します」


「B-02、同じく」


「M-01から03、同じく。オーバー」


「へいへい、オーバーオーバー……」


 訳の分らぬやりとりをやる気無さげに終えると、男は改めて剣を構える。

 辺りを囲む盗賊団は、完全に及び腰だった。

 じりと男が僅かに摺り足を進めると、盗賊たちはその十倍は後ろに下がる。

 その様を見て、男は落胆の吐息を漏らす。


「おいおい、しょうがねえなァ……逃げる背中を斬っても慣らしになりは――ああ、そうだ」


 何か悪知恵を思いついたように、男は口の端を吊り上げた。

 そして場の全員に聞こえるよう、声を張り上げる。


「なあ、お前ら! こういうのはどうだ? 俺を殺せたら、この場は見逃してやって良い。奴隷どもにも追いかけさせたりもしねェよ」


「は……っ?」


「な、何言って――」


 盗賊たちは再び惑乱するが、男は頓着せずに続ける。

 今度は彼が出て来たであろう馬車の方へ顔を向け、


「良いだろう、ご主人!? これくらいのことはよォ!」


「――事後承諾とは、感心できませんね」


 馬車のドアから、またぞろ奴隷のメイドが顔を出す。

 何人かは、今が命の瀬戸際であることも忘れて息を呑んだ。それ程の奴隷だった。

 そのメイドはこう続けた。


「ですが、ご主人様は寛大にもお許しになられました。『任せるから、自由に試しなよ』との仰せです。……以後は必ず、ご裁可を仰ぐように」


「そうこなくっちゃ」


 言い終えたメイドは馬車に戻る。男は笑みを深める。

 盗賊たちは、


「……か、かかれぇええエエェェーッ!!」


 頭目の裏返った悲鳴じみた命令と共に、男へと向かっていった。

 盗賊団の残数、二十四。

 対する貴族の一団は、確認できた限り七人。戦闘に参加するのは一人きり。

 蹂躙戦の始まりだった。ただしそれは、少数による多数への、だが。




  ※ ※ ※




 ここで、視点を盗賊団の一人に移そう。最初に貴族の馬車団――トゥリウスたち――を発見した、馬術に巧みな物見の少年である。


(どうして――)


 彼は頭を抱えて、茂みの中に蹲っていた。

 頭目の指示に背き、男へ挑むことなく密かに隠れ、そして怯えていた。


(どうして――)


 元より、彼は盗賊になどなる気は無かった。

 家族に奴隷として売られたのが事の始まり。奇跡的な僥倖で奴隷の身分から解放され、されども自由になって行くあてなど無く、乗り逃げて来た馬と共に彷徨っていたところを盗賊団に拾われただけだ。

 頭目は彼の馬術と目端を買っていたが、少年にとってその期待は、周囲のやっかみを育む苦労の種でしかない。

 それでも今まで従って来たのは、他に生きる道は無いからである。十中十まで死ぬと分かっている指示に、従う気は無かった。


(どうして――)


 目線を上げた彼の視界の中では、盗賊たちが黒い男へ突撃し、そして死んでいく光景が繰り返されていた。

 仲間が何人死のうと、自分もそれに倣って続いて行く。

 その光景は少年の想像を絶していて、理解をも拒絶していた。

 ここより南に下った地では十数年に一度、増え過ぎて餌を喰い尽した鼠の群れが、飢えの余りに狂って海や湖に身投げする姿が見られるという。

 そんな見たことの無い聞き齧りの風説を想起せずにはいられなかった。


(どうして――)


 黒い剣士に、盗賊の一人が躍り懸かる。

 ――唐竹割。

 頭頂から股まで二つに割かれた死体が、臓物を撒き散らして地に落ちる。

 黒い剣士に、盗賊の一人が躍り懸かる。

 ――袈裟切り。

 斜めに両断された死体が、枕を跳ね除けたように何処かへと素っ飛んでいく。

 黒い剣士に、盗賊の一人が躍り懸かる。

 ――胴。

 腹から分かれた死体が、飛び出した腸を仲間の身体に巻きつける。

 ……男は、黒い剣士は試しと言った。

 その言葉通りに、一人一人。丁寧に丁寧に。一つ一つの技の切れを確かめるように、全員を違う形で斬り殺していく。そして一度殺す度に、振るわれる剣技の冴えは悪夢じみて向上していく。


(どうして――)


 何故、殺すのか。

 何故、殺されに行くのか。

 答えの出ない疑問が、幾つも少年の頭をぐるぐると回り続ける。

 だが最大の疑問は、死にいく仲間のことでも、死なせ続ける剣士のことでもない。

 正直に言えば、そのどちらも彼にはどうでもよかった。

 彼が真に混乱を起こさざるを得ない疑問は、


(どうして――!?)


 男が盗賊を殺し続ける酸鼻な状況。

 荷馬車の脇でそれを静観し、時たま出る逃走者を叩きのめして男に差し出す奴隷たち。

 その一人が、


(どうしてお前が、そこにいるんだ!?)


 かつて、彼と共に奴隷として売られた、生き別れの妹だったのだ。







 ……発端は、五年前のことだった。

 この国――大地と芸術の国と謳われ、大陸一の農業大国であるアルクェール王国も、決して冷害や旱魃の類と無縁ではない。いや、地方に行けば中央の統制を離れた貴族どもが、乱脈に領地を経営しているのだ。重税、労役、無計画な内政……農民が飢えるような事態など幾らでも起こりうる。少年の村も、そんな腐敗した領主に統治される土地だった。

 その年は冷夏に見舞われ、麦の収穫量は今までに類を見ないほど落ち込んだ。その影響で少年の家は、税を納めるにも事欠く状況に追いやられた。窮した両親は労働力として確保していた子どもたちの内、奴隷として高値で売れる年頃の子を二人、奴隷商人に売り払うことになる。

 それが彼と妹だった。

 荷馬車に詰め込まれ揺られる道すがら、運が良ければ同じ主人に買われるかもしれないと、少年は妹と互いに励まし合った。そして王都ブローセンヌの奴隷市場にて、無情にも兄妹は違う売り場に分けられたのである。妹は希少な魔力持ちであり、兄である自分の目から見ても器量が良かったから。そして自分自身は、男の子にしては華奢であり、間口の狭い特定の層に向けて、安く売りつけるのが精々の身の上だったから。

 彼は、妹がさる伯爵家に存外良い値段で買われたと、奴隷市の牢番に聞かされた。弱い者苛めを生き甲斐としているようなその牢番は、その伯爵家の子どもが奴隷殺しの変態であることと、妹が先輩奴隷に引き摺られるようにして連れて行かれながらも、最後まで自分のことを呼んで泣いていたことを、嬉々として語り聞かせたのだった。少年は激昂して牢の扉を無茶苦茶に叩き、それ以上の回数鞭で叩かれた。

 それから間もなく、彼は大きな牧場の主に売られた。彼の主人は大層可愛がってくれたが、吐き気を催す可愛がり方だった。昼は家畜の世話に明け暮れ、夜は主人の寝室に連れ込まれた。饐えた匂いの染みついたシーツを汚したことも、服従の魔法による命令で苦汁を舐めさせられたことも、両手両足の指では数え切れないほどだ。その主人は毎晩の日課の最中に突然苦しみ出し、呆気なく死んだ。肥えた身体にもかかわらず無理な運動を続けていたのが、密かに病んでいた心臓に祟ったのである。自業自得だった。

 少年は主人が死んだ途端に首輪の締め付けが緩んでいることに気づく。苦心してそれを外すと自由の身になった。自由になって最初にしたことは、最悪だった元主人の死体に痰を吐きかけることだった。それから、厩舎に向かって手懐けていた一頭の馬に乗り、牧場を逃げ出して――あてどなく彷徨っていたところを盗賊の頭目に拾われ、今に至る。

 妹の事は、既に死んでいると思っていた。売られた先で自分が受けた仕打ちを思えば、奴隷殺しで有名な貴族に買われた彼女は、更に残酷な運命に晒されたに違いないと、思わざるを得なかったのである。村の為、家族の為だと言いながら自分たちを売り渡した連中とは違う、辛い時も苦しい時も共に過ごし、同じ味の涙を流した、唯一の本物の家族。少年はその死を、擦り切れた心で、悲しいという気持ちすら麻痺させて、それでようやく受け入れていたのだった。

 だというのに。

 死んだと思っていた妹は、生きた肉体と、それこそ死んだような眼を備えて、彼の視界に佇んでいる……。







 ……戦闘、いや殺戮は既に終わっていた。

 晴れやかな真昼の街道に、人間の残骸が散らばっている。

 黒い剣士は傷一つ負うことなく、全ての盗賊を平らげていた。逃げる者は全て奴隷たちに足を止められるか、剣士に追い抜かれて正面から斬られた。

 残っているのは、少年だけだ。

 剣士は少年を見ていた。藪の中に身を顰めているのに、どういう訳か真っ直ぐに視線を合わせられている。殺意も戦意も無いが、慈悲も許容も窺えなかった。奴隷たちも、こちらに目を向けている。

 逃げれば、斬られる。無意識でそれを悟ったが、出ていったとしてもどうなるか分からなかった。

 進退は窮まっている。自分の命は正体不明の殺戮者たち、その胸先三寸に載せられている。自力でどうにか出来る余地などない。

 なら、せめて――


「…………」


 震える足で、街道に踏み出す。

 剣士は相変わらず、彼をじっと見ていた。どことなく怠惰な目だった。盗賊たちに襲い掛かっていた時の高揚は既に去り、何か虚しさを抱いているような顔だった。今すぐにでも少年を斬り殺さんという緊張は無い。

 それに安堵を覚える暇すら無く、少年は首輪を付けたメイドに近づいていく。

 攻撃は無かった。


「……エミリー?」


 数年ぶりに、妹の名前を口にした。

 『エムゼロスリー』などという、無機質なモノを呼ぶような名前で無く、かつての名を呼んだ。

 微かに反応があった。メイド服に身を包み、首輪を嵌められた少女は、小さく肩を揺らした。


「エミリーなんだろう?」


 もう一度名を呼ぶ。

 彼女はこちらを見返してきた。

 頭上を蓋う嘘みたいに青い空と同じ色の瞳に、少年の顔を映す。

 綺麗な顔だった。子どもの頃、この子は大きくなったら美人になると思っていた。その時の想像以上に美しく育っていた。

 ただ、その瞳の光が嘘っぽくて。その顔には美しさ以外の何も無くて。少年にはそれが悲しかった。


「僕だよ、リュックだ」


 震える声で自分の名を名乗る。

 妹の表情は、冬の湖水のように静かだった。

 そこに、さざ波めいた揺らぎを見たのは、錯覚だろうか?


「M-02よりM-03へ。質疑への応答を願います。貴女へ接触している人物は何者でしょう?」


 メイドの一人が、少年を注視しながら問いを投げた。冷たい目だった。おもむろにつまみ上げた小虫を、捻り潰すか逃がしてやるか、それをほんの一瞬だけ考え込んでいるような目である。その挙措に、まるで螺子巻き時計のようだ、と感想を持つ。込められた動力に従って、あらかじめ決められた動きをこなすだけの機械。そんな無機質で空疎な道具じみた存在に、妹は同類として扱われているようだった。その事実に、少年は怯みと同時に怒りを感じる。


「…………」


 妹は、答えない。それとも答えられないのだろうか。


「M-02よりM-03へ。繰り返し応答を願います。貴女へ接触する人物は何者でしょう?」


「…………」


「M-03?」


 繰り返しの問いに、妹はひくりと身を震わせた。

 それを押し殺すようにして姿勢を正すと、ゆっくりと口を開く。


「……M-03よりM-02へ。質疑に回答します――」


「……え、エミリー?」


 少年は震えた。胸の中で期待と不安がぐるぐると巴を描く。

 彼女は今、自分の事を兄だと認識していてくれているだろうか?

 傍に立つ、機械じみたメイドのように成り果てているのだろうか?

 果たして、


「――彼は、私の兄です」


 彼女は、彼の妹のままだった。


「ぁ……」


 少年の頬を、涙が伝う。

 先程まで流した、冷や汗に混じるようなものとは違う、温かい涙だった。

 憶えていてくれた。

 変わらないでいてくれた。

 ただ一つ、彼女が彼の妹であるということだけは。

 妹は、同僚の方に向き直る。


「M-03より提案。残存する対象の脅威度はE-と推定。戦闘テストの目標に不足と判断します。テストの終了と、残存対象一体の回収を提議します」


「……。M-02より、オーパス02へ。判断を」


「あん? 俺ェ?」


 水を向けられた剣士は、頭をガシガシと掻いた。

 少年は困惑した体で妹と剣士を何度も見比べる。

 助けて、くれるのか?


「確かに斬り応えはなさそうだし、無駄に殺すのにも飽きてたが……おい、ご主人! どうするんだよ!?」


 馬車に向かって声を張り上げる。

 事の成り行きが、全く分からない。


 ――妹はどうなってしまったんだろう?

 ――自分は果たして助かるだろうか?

 ――だとして、妹と幸せになれるのか?


 幾つもの考えが頭の中を駆け巡る。

 そこへ、




「おいおい、そこで僕に投げるのかい」




 本当の恐怖が、少年の前に降り立った。


「あ……」


 震えすらも凍りつく。

 ……何だ、これは?

 メイドたちのリーダー格と思しき奴隷に傅かれながら、馬車から下りた男。

 体格は平凡だ。顔立ちもどうということはない。恐ろしい武器を持っている訳でもない。

 だというのに、それがそこに立っているだけで、今までになく気持ちが悪くなる。

 今までに経験した、その時最悪だと思った全ての出来事が脳裏に過る。

 村の餓鬼大将に理不尽に苛められたこと。非力で畑仕事の役にも立たないと親に叱られたこと。自分と妹が奴隷に売られる時に、卑屈な同情と下衆な優越感とを兄弟たちから向けられたこと。奴隷商人や牢屋番からの扱い。妹との別れ。売り飛ばされた牧場での日々。拾われた盗賊団での荒んだ生活――。

 その全てを足して百倍にしたよりなお、圧倒的に気持ちが悪い。


「ひっ……!?」


「どれどれ?」


 凍りつく少年に頓着せず、そいつはまじまじと彼を観察する。

 その目を見て気付く。

 こいつは本当に怪物だ。村の悪餓鬼、大人、役人、貴族、商人、牧場の主人、盗賊団の一味……今まで常にそれらから踏み躙られる側だった彼は、直感的にこれの正体を看破する。

 これは常に何かを蹂躙しなければ生きてはいけない、化け物なのだ。金も、名誉も、力も、知識も、愛も、夢も、希望も、この世のありとあらゆる全てにおいて満たされても、なお何かを犠牲にせずには生きられない、真性の屑。そんなものがこいつの正体だ。こんなものを受け入れられるのは、こいつにそういうモノになるよう捻じ曲げられた犠牲者たちくらいだ。

 少年は感じたことを言葉に出来ない。だが、それでも理解してしまった。

 自分はこの、冒涜的にも人の形をした喋る糞とは、絶対に折り合えないと。


「まあ、別に良いよ」


 頭の上を、よく分からない言葉が飛んでいく。


「有効なデータは十分取れたし、口封じだってなにも殺すしか手段が無い訳じゃないしね……殺す気が無いって言うなら、生き残り一人くらい連れて行っても構わないか。目立たれると面倒だけど、処置するまで君が面倒みてくれるなら、どうでもいいかな。ねえ、M-03」


 そう言い、そいつは妹に向かって許可を出した。

 妹は、あろうかとか最敬礼でそれに応える。


「寛大なご処置、誠にありがとうございますご主人様」


「M-02よりM-03へ。おめでとう。そして卑小な我々にお慈悲を賜るご主人様に感謝を」


「M-01、同じく」


「B-01、同じく」


「B-02、同じく」


 ――パチパチパチパチ……。

 この乾いた打撃音は何だ? 拍手か? 奴隷どもの拍手なのか?

 吐き気がする。まるで悪趣味な人形劇だ。人間を材料にした人形どもが、自分たちに気まぐれな恩恵を与えた、糞ったれな造物主を称えるという筋書きの、最悪な出来のファルスだ。

 少年は……我慢しきれずに嘔吐した。


「どうしました、リュック兄さん?」


「エミリー……」


「関係者のみの場では、M-03とお呼び下さい。気分が悪いのですか?」


 背中をさする手は、優しくて温かい。

 この手で妹は人を殺したのだ。相手は盗賊で、仲間だった自分から見ても、たとえ死のうが文句の出ない悪党たちだった。しかし、仮にそれが万人に祝福された救世主でも、生まれたばかりの赤ん坊でも、あいつが命令すれば同じ事をするだろう。


「あいつが……あれが、お前をこんなにしたのか?」


「兄さん?」


「あんなヤツのところにいたら、取り返しのつかないことになる……今でも十分最悪だけど、きっとそれより酷いことになるんだ」


 他の奴隷たちは、剣士が斬り散らかした死体を片付けている。それを横目に見ながら、少年は妹に訴えた。


「今なら……きっと、今ならまだやり直せる。僕の事を思い出して、助けようって思える今なら、まだ。でもこのままアレの傍にいたら、きっとそんな物も消されちゃうんだ」


「兄さんが指しているのは、ご主人様の事でしょうか?」


「あ、ああ……だから、に、逃げよう? 二人で――」


「不可能と判断します。上位個体の追跡能力は、貴方の生存能力を上回っております」


「い、今すぐにって訳じゃあない。いつか隙を見てだ。ほら、僕は今、首輪をしていないだろう? 奴隷に掛ける服従の魔法には、抜け道があるんだ」


 そう言って、少年は襟を肌蹴て自分の首を見せる。

 それを見る目に、感情は無かった。無いように見えた。


「警告。反逆指嗾行為に抵触する発言を確認。撤回を要求します。……M-03は、ご主人様の所有物なんです、兄さん」


「そんなの君の名前じゃないよ! 君はエミリーだ、僕の妹だろう!?」


「肯定します。ですが、M-03はそれは並立しうる概念であると考察し――」


「駄目だ……そんなの駄目だ! 君があんなヤツのものだなんて認めたら、僕は自分が君の兄さんだなんて思えなくなる!」


「ご主人様への侮辱は許されません。ご主人様への忠誠を誓って下さい。そうすれば、一緒に――」


 実の兄の嘆願に、妹は機械的な反論を繰り返す。

 彼はその度に絶望を感じていた。自分の妹の精神は、ここまでどうしようもなく弄られてしまっていたのか? 奴隷殺しと綽名された、あの貴族。あれは妹の命ではなく、心を殺してしまったのか?

 涙が、視界を滲ませる。

 ……だから、だろうか。

 主人への敵意を見せる、眼前の生命体。主への忠誠を誓った人形が、潜在的な敵性体に対して、こうも根強く翻意を訴えることの異常を、見過ごしてしまっていたのは。


「絶対に駄目だ! あんなヤツに……奴隷を人とも思わないようなヤツなんかに、従えるもんか!」


「……分かりました」


 ――トスっ。

 余りにも軽く、ともすれば聞き逃してしまう程さりげない音が、胸から聞こえた。


「え……?」


 少年は、がくりと地に膝を突く。

 心臓が熱い。身体は冷たい。

 泣き続けてぼやけていた視界が、更に霞んでいく。

 胸に手をやると、固い物が生えていた。

 これは? ナイフ? 刺された? 誰に? ……妹に?


「エミ、リー……?」


「おい……何してんだ!?」


 黒い剣士が、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえる。

 妹がそちらを向く気配がした。


「……M-03より上位個体オーパス02に報告。対象にご主人様への敵愾心を確認。説得による翻意は不可能と判断し、適正な処置を――」


「ンなことは見りゃ分かる! そういうことじゃなくて、そういうことじゃなくてだな!?」


 奇妙なやりとりが聞こえる。

 自分たちを楽しそうに殺しに掛かっていた男が、何故か自分が刺されたことを怒っているようだ。

 少年の口の端が引き攣った。男の矛盾がおかしくて笑ったのか、それとも身体が死に瀕して見せた単なる痙攣か。自分でも分からない。


「――処置を、行いました。問題、ありますか?」


「問題だらけだろうが!? お前がコイツを助けろって言ったんだろ!?」


「はい、そのとおりです。対象と……兄さ、おにいちゃんといっしょに、ご主人様へお仕えすることが出来れば、いいなって――だいすきなおにいちゃんも、しあわせにしてあげられるって、思ったのに」


「…………」


 ああ、と少年はようやく気付く。

 妹は、懸命に僕を助けようとしてくれていたんじゃないか。それで必死になって、切羽詰まった顔をして――なのに、その顔を人形みたいな無表情だなんて、間違えていたのか。


「? ……おい、凄い汗だぞ。どうしたんだお前」


「あ……。え、M-03より、緊急報告。心拍、体温、発汗に、異常発生。身体が、震え……自律行動、困難。付近の個体に救援を、よ、要請します。救援を要請……たすけて……ごしゅじんさま、おにいちゃんをたすけ――」


 ……その声を最後に、何も聞こえなくなる。

 意識が、自分が無くなっていくのを感じる。

 そうか。ちゃんと妹を信じれば、彼女と生きることは出来たのか。

 それを見過ごした自分の愚かさを、少年は笑う。

 ……同時に思った。

 でも、その為には、あの化け物を主と仰がなければならない。

 心を弄られ、人形になって生きるか。それを跳ね除けて、人形になった誰か手に掛かって死ぬか。

 そんな二択しか許さなかった世界を呪いつつ、少年は死の闇に呑まれた。




   ※ ※ ※




「後悔しているのですか?」


 対面の席で、眠りに就いた主に肩を貸しながらメイドは言った。ドゥーエは、それには咄嗟に応えられない。

 馬車は既に、再び走り出している。

 トゥリウス・オーブニルは、パニックを起こしたM-03に取りあえずの処置を行い、それを終えると立て続けのアクシデントに二言三言愚痴を言ってから、居眠りを決め込んでいる。その寝顔に、ドゥーエは幾つかの疑問を持て余していた。


「……後悔って、何をだよ」


「質問の定義が曖昧でした。謝罪を。……ご主人様に救われたことを、後悔しているのですか?」


 小さく頭を下げてから、ユニは問い直す。

 今一番、聞かれたくない類の質問だった。


「へっ。もしそれに『はい』って答えたらどうするんだ? センザイテキなテキガイシンとやらで、排除するんじゃねえのか?」


 混ぜっ返すように問いを重ねる。主に仇為せば、肉親を殺すことさえ厭わないのがオーブニルのメイドだ。命が惜しければ否定を返すしか無い質問ではないか、と。

 格好の付かない八つ当たりだった。自分でそれが分かっているだけに、尚更苛立ちが募る。


「無意味な質問です。私たちはそのようなものを持つ機能を有しておりません。不満や不信感、或いは嫌悪感。そうしたものは発生しうるらしいのですが、それがご主人様への敵対行動に繋がらないよう、調整されております」


 その答えに、ぞっとするものを感じる。一度トゥリウスに頭を弄られれば、たとえ彼を蛇蝎のごとく忌み嫌っていたとしても、その感情は決して消えないまま、彼の為に仕え続けることになる。無論、この効率主義者のことだ、それが彼に及ぼす影響がマイナスの閾値を越えたら、その限りではないだろうが……。


「何だってンな面倒なことを……」


「そうした現状への不満、欲求等が無ければ、ご主人様に助言、諫言することも叶いませんので」


「俺たちはそうした、って話だったな……量産型の連中は、感情を排除したと言っていなかったっけか?」


 ユニは溜息を吐いた。表情は無いが、どことなく小馬鹿にされたように感じる。


「ご主人様は『制限』したと仰いました。『排除』はされていません」


『――まあ、均質な性能で揃える必要がある量産型は、情動にかなりの制限がされているけれどね――』


 ああ、そうだ。確かに主はそう言ったのだった。


「こんな話があります。かつて実験で完全に情動を排除した奴隷を作ったことがあるのですが、それはご主人様の道具とするには余りにも不出来な物でした。五感は残しておいたのですが、痛みを与えても、それに反応しない。痛みを感じてはいても、それに対して何かをしようとはしない。感覚が維持されていても、それに対する情動が無ければ行動には結び付かない訳ですね。無論、生じた感覚に対処するよう、あらかじめ命令をセットすることは出来ますが。……この意味が分かりますか?」


「ああ、不本意ながらな――」


 痛いことは避ける。

 腹が減ったら食う。

 そんな当たり前の動作をする為に、いちいち命令を書き込む必要がある木偶人形。そんなものを作るよりも、


「――そんな手間を掛けるより、元からある情動を使えば良い。こういうことだろう?」


「はい、正解です。そして情動を残せば感覚と結びつき、感情が維持される。感情を動機に、行動が生じる――なので情動を排除するのではなく、自律性と忠実さを両立しうる極点まで制限する方式が採用されました。ただし、これでも自主性と思考の柔軟性が損なわれることは避けられません。なので、時には大きな裁量を扱う、私たちのような上位個体には用いられないのです」


 あくまで兵隊用の方式ですね、と付け加える。

 ドゥーエも元冒険者だ。ソロが信条だったが、リーダーの役割くらいは知っている。頭が自分では何も考えられず、やることが通り一遍となると、そのパーティに未来は無い。自分やユニはリーダー役、量産型はその指示を受けるメンバー、トゥリウスは……自分たちを危険に送り出す依頼人やギルドか。


「じゃあ、何で俺のように服従と反逆防止だけで済まさないんだ? そっちの方が手術が楽そうだし、頭も固くならなくて済むんだろう?」


 お前は十分固そうだが、とは言わないでおく。


「それに、さっきまで助けようとしていた相手を、次の瞬間には刺し殺す、なんていう意味不明な行動も起こさなくなるはずだ。そんな処置を敢えてするなんて――」


「誤解しないでください。こちらの方がもっと煩雑ですよ。感情の大部分を残しながら、ご主人様に服従させ、ご主人様への敵対だけはさせない――例えるならそれは、卵料理を作る時にバスケット一杯の卵の中から、二個だけ混ざっている腐った卵を抜き取るようなものです。こうすれば時間は掛かりますが、一度に大きなオムレツが出来ますよね? 逆に情動の大部分を制限する方式は、新鮮な卵を一個選んで後は捨てるようなもの。オムレツは小さくなりますが、時間は大幅に省けます」


 メイドらしい喩え方だった。

 ドゥーエが自分で喩えを選ぶなら……そう、袋と金貨だ。自分たちのような強力な個体は、言ってみれば大金が入る大袋。一度に多額の決済に用いる為に、袋の中を引っ繰り返してあらかじめ良貨に混じった悪貨を摘まみ出しておく。量産奴隷たちは少額の買い物に使う財布。粗悪な貨幣が混じっていたところで、支払いの時に良貨を一枚出せば良い。相手に対し、悪貨を出さなければそれで済む。大金を使わないなら、そちらの方が楽だというだけの話。


「……胸糞の悪ィ話だ。身体はまだしも心でさえ、効率で処理するモノ扱いか」


「今更な話ですね。私たちはとっくにご主人様のモノなんですから」


 それで、とユニは繰り返す。


「最初の質問に戻りますが、後悔しているのですか? 命と引き換えに、ご主人様のモノになったことを」


「――それこそ今更な話だ」


 首を傾けて、窓外の景色を見る。流れ去っていく風景の中に、あの少年の姿は無い。自分が切り捨てた盗賊たちも。腐って病毒を撒き散らす前に、アンデッドになって蘇る前に、適切に処理されて埋められていた。

 最後の一幕を差し引いても、テストと称した殺戮は気持ちの良いものでは無かった。強化された身体を動かす快感と慣らしの達成感に酔えたのは、最初の半分だけ。手応えの無さに飽きを感じると、後は惰性で剣を振るっていた。まるで餓鬼の手慰みだ。何のために剣を振るうのか、それすらも分からなくなっていた。剣は、そして強くなることは、己の生きる目的そのものだったはずなのに。

 トゥリウスは言った。命の為に全てを差し出せ。その剣は主となる己の為に振るえ、と。

 悪魔との契約の代償は、早くもその正視に耐えぬ姿を剥き出しにし始めていた。


「後悔しているよ、今はな。だがよ――」


 窓の外への未練を断ち切り、同乗者へ向き直る。


「――その今があるのは、生きてるからだろ? なら、いつか帳消しになると信じて、生き続けるさ」


 無骨そのもののドゥーエらしくない、気取った答え方だった。

 らしくない――つまりは強がりだ。

 だが、完全な嘘とも言い難かった。生きていれば儲け物、冒険者には珍しくない考え方である。ただ、ドゥーエは死んでしまうなら剣士として満足のいく死に方が良かった。そうじゃないのは嫌だ。だから、それを得るまで命を長らえようと、悪魔じみた錬金術師の誘いにも乗った。

 ひょっとしたら既に、剣士としての満足など得られなくなっている可能性に目を瞑って。

 生きていれば、いつかは帳消しになる。……本当に?

 だとしても、ドゥーエに出来るのは剣を振ることだけだ。生きてさえいればと、自分の良心を騙して、矜持さえ切り捨てながら。


「そうですか」


 答えを聞くと、ユニは自分の肩に凭れる主をそっと見やる。

 無表情ではあったが、どこか母親を思わせる目だった。オーブニルを慈しんでいるのか、それともドゥーエの虚勢を見透かしているのか。


「ご主人様が貴方を見出した理由が、分かった気がします」


「あん?」


「きっとどこか、ご自分と似ている部分を感じられたのでしょうね」


 表情は変わらず。だが、その吐息には格別の情感が滲む。

 どうやら自分の返事は、彼女とその忠誠の対象にとって、好ましいものらしかった。

 決して素直に喜べぬそれを持て余し、死に損いの剣士は肩を竦める。


「そいつァ光栄だね。名高い【銀狼】の主が、この俺と同類だとは」


「誤解がありますね【両手剣】。似ているということは違うということ。ご主人様と貴方は、相似であっても合同ではありえません」


 会話はそれで途絶えた。

 規則的に響く馬蹄と車輪の音に不定期な揺れ、そして主の小さな寝息だけが狭い空間を支配する。

 早く目的地に着かないものか。待ち焦がれるものを感じないでもないが、


「次の……実験……」


 そんな寝言が聞こえてくると、たちまち不安の方が大きくなるのだった。

 

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