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番外編 スクールライフ・フォビドゥンライフ

 書籍版1巻発売記念の番外編です。

 時系列的には004話で語られていた頃くらいとなります。

 

 フレデリカ・ユリアンナ・フォン・カステルベルンは、その光景に思わず目を疑ってしまった。


「……失礼しました」


 魔導アカデミー錬金学科の学長室。その扉から、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、肩を落とし意気消沈とした表情で出てくる。だが、このアルクェール王国から来た奇怪な留学生は、基本的に物事に動じるということが無い。常に駘蕩とした、中身の無い薄ら笑いを浮かべて、日々を消化する生き物なのである。毎年新入生の何割かに朝食を戻すことを強いる解剖実習の際も、口から欠伸しか出さずにこなしたという無神経ぶりだ。寧ろ、人の死体をケーキのように切り分けていく非人情な姿に、見ていたフレデリカの方が耐えられなかったくらいである。

 何より、学長室から暗い顔をして出てくるというのが不思議だった。錬金学科の長であるグラウマン教授は、トゥリウスとは昵懇(じっこん)の仲である。入学早々に意気投合した二人は、師と学徒という立場さえ超えて、楽しげに討論をする光景がまま見られていた。……その内容たるや、時に難解であり、またある時には人倫を無視したおぞましさを伴い、拝聴し続ける意欲をみるみるうちに削いでいくのであるが。

 ともあれ、そのような仲睦まじい間柄の師弟だ。語らいを終えたトゥリウスが暗い表情を見せているというのは、どうにも解せなかった。


(一体、何があったのかしら?)


 フレデリカは興味をそそられて仕方なかった。年頃の女性らしいゴシップ趣味か、それとも師が説くような錬金術師の資質としての好奇心か。兎に角、事情が気になってしまう。

 気が付けば、我知らず廊下を歩み去ろうとする彼を呼び止めていた。


「あら、オーブニル。随分とらしくない表情をしていますのね?」


 しまった、と思いつつ口の端から飛び出た自分の言葉を聞くフレデリカ。

 彼女はこの男が苦手だった。何しろ、トゥリウスという男は錬金学科最高の優等生にして、アカデミー最悪の問題児だ。今のところ処罰が下るような不祥事の類とは無縁だが、灰色の疑惑はそろそろ黒ずむほどに積ってきている。つい先日など、膨大な量の禁書を蔵するアカデミーの図書館、その守衛や司書が勤務時間中に昏倒し、三日ほど眠り続けたという事件が起きていた。関連性は不明だが、学生寮のトゥリウスの部屋からは、しばらく書き物をする音が響き続けたという。彼が公開を禁じられている魔導書を密かに写したのでは、ともっぱらの噂である。

 他にも大小様々な事件と疑惑を巻き起こし、その度に無精な教授や気弱な同窓生に代わって、フレデリカが尻拭いに奔走する羽目になっていた。苦手意識が育まれるのも、当然のことだろう。

 彼女の後悔を知った素振りも無く、件の問題児は面倒臭いという思いを隠しもせずにこちらへ顔を向けてきた。


「ん? ああ、フレデリカさんか……珍しいね、君が僕に話しかけてくるなんて」


「オーブニル、貴方に私のファーストネームを呼ぶことを、許した覚えはありませんが?」


「そうだったっけ? まあ、良いじゃないか同級生なんだし。カステルベルンさん、なんて呼び方、舌を噛みそうだしね」


 別に舌を噛んで死んでも、こちらとしては一向に差し支えない。そう言ってやりたいのだが、フレデリカも貴族の端くれで淑女でもある。品の無い悪罵をぐっと堪えて、言葉を続ける。


「私が良くないのです。異性だというのに名を呼ばれるなんて、まるで私と貴方が親密な関係のようではないですか。周囲にあらぬ誤解をされては困りますわ」


「別に誤解のしようなんて無いと思うけどね。君が僕のことを嫌っているのは、アカデミーでも周知の事実だし……ところで、僕って何か君に嫌われるようなことをしたかな?」


「私のみならず、女学生ならみな貴方を嫌っていると思いますけれど。何せ、神聖な学び舎の中で、女衒(ぜげん)紛いの商いをしているんですもの」


 口にするのも穢い、と嫌悪感を滲ませて告げる。

 入学から数ヶ月という短時間にもかかわらず、トゥリウスの手広い商売はアカデミーでもつとに有名であった。礼装、霊薬、なんでもござれ。そして何より有名な商材は……奴隷だ。彼が口を利けば、有意な技能を持った奴隷が格安で、何処からともなく現れ、卸される。力自慢の荷物運びに優れた技量を持つ剣術使いの護衛、時には魔導師まで。しかもその全てが首輪に掛かった魔法を用いるまでもなく、忠実に振る舞うのだというから驚きだ。

 その中でも特に喜ばれるのが、女奴隷である。魔導アカデミーに学ぶ魔導師たちとはいえ人の子だ。生理的欲求の類とは切っても切り離されない。十代後半という若さもあって、男子生徒の中には女に対する色欲を抑え切れない者も存在した。トゥリウスはそうした連中に向けても、欲望の捌け口として奴隷を売っている。潔癖な女生徒であれば、彼を色魔と指弾しても、むべなるかなというものではないだろうか。


「こちらとしても、いつ手を出されるかと思うと、気が気でありませんわ」


 身体を庇うように腕を抱いて身震いをしてみせると、トゥリウスは心外そうに眉を顰めた。


「何だって僕が、そんな無駄な事をしなきゃいけないんだい」


「……は?」


 思わず低い声が出る。フレデリカとしてもそういう対象(●●●●●●)として見られていないというのは安心だが、無駄とまで言い切られるのも、それはそれで癇に障った。そんな心境を知ってか知らずか、目の前の男は得々と続ける。


「アカデミーの女学生は、貴族や富裕層の子か、そうでなければ講師陣が見出してスカウトしてきた秘蔵っ子たちだろう? 下手な手出しは火傷の元だよ。たとえ取引相手から所望されても、僕なら断るね。リスクが高過ぎる」


「どうだか。貴方だって男性ではありませんこと? 第一、奴隷に房事を仕込んで売り捌きながら言われても、説得力というものが足りないでしょうに」


「別に僕が仕込んでいる訳じゃあないよ。そういったことは専門の業者に任せた方が楽だし、早い。第一、そんなことにかかずらっていたら、研究の時間が足りなくなるじゃないか。腰を動かす前に、頭と手先を動かさないと」


 そう言うトゥリウスの目は、相も変わらず温度に欠けたものだった。日常の雑事を片付ける時の目、そして人体解剖の際と同じ目だ。人と話す時も人を切り離す時も、まったく同一の表情をしている人でなしの顔。そんなものを見せられるから、フレデリカはこの男を好きになれないのである。


「……まあ、いいでしょう。ここは納得しておいて差し上げますわ。貴方に殿方として色々と欠けた点があったとしても、今更というものですし。それより、今日はどうしたのです? 何やら、教授の部屋から浮かない顔をして出てきましたが」


 やっと、本題を切り出す。そもそもフレデリカがこの悪名高い男に話しかけた端緒はそれだったのだ。聞かれたトゥリウスは、少しばかり憂鬱そうに頭を掻いてから口を開いた。


「ああ、それ? 実を言うと教授から大目玉を喰らっちゃってね」


 珍しい、と目を瞬くフレデリカ。普段からグラウマン教授に可愛がられ、貴重な素体を解剖する機会なども回されているのがこの男だ。それが師から叱責を受けることなど、そうそうあることではない。


「ほら、この間に出された課題。アレの提出が滞っている件でさ」


「この前の課題……ああ、キメラの作成ですか」


 キメラとは複数の生物を掛け合わせて作る魔法生物の一種だ。錬金術師にとっては生命創造を研究する手段の一つであり、直接戦闘力に乏しい自身を守る為の使い魔でもある。当然、このアカデミーの錬金学科でも、その製作は課程の一つとして存在する。


「まだ提出していなかったんですの? ゼミナールの学生は、もう全員出し終えたといいますのに」


「うん。我ながら、ちょっと懲りすぎちゃってさ。思ったより時間とお金が掛かっているんだよねえ……後はパーツを一つ二つ組み込むだけで完成なんだけど、資金が尽きちゃって。お陰でユニに稼いできてもらう羽目になってる」


 そういえば、常に彼の傍を離れない――講義中ですら廊下で待機している――あの奴隷の少女の姿が見えない。私闘禁止の校則が布かれているアカデミー内では護衛の意義が乏しいとはいえ、中々に珍しいことだ。


「……呆れた。課題用キメラの素材くらい、申請すれば融通されますでしょうに」


 実際、既に提出したフレデリカの製作物も、アカデミーから渡された素材で作っている。猫に蝙蝠の羽を生やした程度の使い魔だが、この課題で問われているのは戦闘力などではなく、合成の精度や利便性だ。第一、一学生に生物兵器を作らせるほど、アカデミーの倫理観は乏しくない筈である。


「念のために伺っておきますけど、貴方は何を素材にキメラを作ろうというんですの? ユニさんほどの方を金策に走らせるなんて、相当にお金が掛かる大作なのでしょうけれど」


「君は僕のことが嫌いな割に、あの子にはやけに好意的だね……」


 トゥリウスが肩を竦める。

 実際のところ、フレデリカのユニへの感情は好意というより同情と表現した方が近い。容姿、教養、能力、更には健気に尽くす態度と、全ての面で奴隷にしておくには勿体無い女性なのだ。それがどういう巡り合わせか、このボンボン面の下でえげつない算盤を弾く奸物に、首輪で繋がれている。憐みを催さない方が無理というものだろう。


「まあ、そんなことはどうでもいいか。本題はキメラの話だし。僕が作ろうとしているのはね、そんな大それた代物じゃないよ」


「今までの話からすると、大それた代物以外が出来るとは思えないんですけれど?」


 同級生の指摘に、技量も人品も学生離れした錬金術師が苦笑する。


「話の腰を折らないでくれよ……今回製作するのはさ、教科書にも載っているような模範的な作例なんだ――」




  ※ ※ ※




 ザンクトガレン連邦グランドンブルク大王国王都、ガレリンの街の冒険者ギルド。主が為、常のように資金調達を目的として仕事を探しに来たユニは、そこで思わぬ事態に直面していた。


「……仕事が無い?」


「ああ。残念だったな【銀狼】の」


 思わず眉を潜めたユニへ、受付に立っていたギルドの親爺が苦笑をひらめかせる。現役を退いた冒険者がギルドに雇用された者だろうか、袖を捲り上げて事務方には似つかわしくない太い腕を晒す男は、ちらりと依頼を貼り出す掲示板を親指で示した。


「アンタの仕事熱心さに触発されたのかねえ。ここのところ、この街のごんたくれどもも依頼の消化に精を出すようになってな……まっ、巡り合わせが悪かったんだろうよ」


「見たところ、E~D級に回される仕事は残っているようですが」


 横目に素早く掲示されている伝票を読み取って指摘するユニ。

 が、彼女の冒険者ランクはC級だ。自分より下級の同輩から仕事を奪って回るような真似は、褒められた行いではないだろう。当然、受付の男も渋い顔をする。


「おいおい、そりゃ困るぜ。下位の依頼を上位の冒険者に回すってのは、クエスト達成が滞った時の為の非常手段だ。今のところそんな必要が無いってのに、斡旋は出来ねえよ。適切なランクの冒険者に、適切な依頼を紹介する。その為にあるのがギルドってもんだからな」


「理解してはおります。ですが、そこを枉げてお願いできないでしょうか?」


「うーん、そうだなあ……」


 重ねての要請に、相手は揺さぶられた様子を見せる。何しろ、ユニはギルドにとって有望な働き手だ。依頼をこなす速度も達成率も並外れているし、Cランク離れした実力からより上位の者に贈られる筈の二つ名を賜るという、良い意味の例外でもある。多少の融通を利かせる程度の優遇も、仕方ない。

 が、


「おい、親爺。この依頼を受けてェんだけど?」


「ウチのパーティもだ。構わないよな? ランクは依頼と釣り合ってるんだからよ」


 見計らったように、他の冒険者たちが張り紙を毟ってカウンターへと突き出し始める。依頼を載せる掲示板は、あっという間に綺麗さっぱりと片付いてしまった。


「本当に巡り合わせが悪いな、【銀狼】……っつー訳だ。今日のところは諦めな」


「仕方ありませんね。では、失礼いたします」


 ぺこりと一礼してから、木戸をくぐってギルドの建物を出る。

 こうなっては、野良モンスターでも狩って討伐報酬なり素材を売るなりにして工面すべきか。そう判断するユニであったが、前方から歩いてくる冒険者の集団の姿に足を停めた。


「ふへへ……大漁大漁」


「いやあ、しんどかったけど、これでしばらくは遊んで暮らせるぜ」


「俺らは儲かって、市民は魔物に怯えずに済む。誰も損しないぜ。……ひひっ」


 彼らの携えるパンパンに膨らんだ血生臭い革袋に、聞えよがしな自慢話。それで察した。大方、付近の魔物を乱獲した帰りなのだろう。これでは今からユニが狩りに出向いても、到底満足のいく稼ぎを得ることは叶うまい。


(……妙な成り行きですね)


 適正ランクの依頼は先約があり、会則を枉げての下位ランクのクエストは、受諾を申し込んだ途端に適正ランクの冒険者に奪われる。そして、野良狩りに出かけようとした矢先にこれだ。一連の出来事を偶然と片付けられるほど、彼女もお目出度くはなかった。

 そう考えていたところ、現れた一団とすれ違う。ユニは彼らの目を見た。乱獲帰りの冒険者たちは、通りすがりざまにせせら笑うような視線を彼女に注いでいた。ユニは冒険者である前に、平民未満の身分である奴隷であり、見かけは華奢な上にメイド服という奇異な格好をしている。その為、同業者や時として依頼主から軽んじられることも無くは無い。

 が、今感じたのはそうした先入観からの軽蔑とはまた違う。言うなれば、してやったりという優越感に近かった。


(成程。そういうことですか)


 思うが早いか、彼女は再び歩き出す。無駄足覚悟で狩り場に向かうのでも、主人であるトゥリウスの下に不首尾を報告しに行くのでもない。足を向ける先は、冒険者の溜まり場として有名な酒場だった。




  ※ ※ ※




 その日、ガレリンの酒場『駒鳥の塒亭』は大入りの客で賑わっていた。冒険者向けの酒場として知られるこの店である。当然、客のほとんどはガレリンの街を拠点とする冒険者たちであった。


「ガレリンきっての勇者、【鉄槌】のマーガス兄貴に乾杯!」


「はははっ!」


 エールの泡立つジョッキを乱暴に打ち鳴らす、見るからに屈強そうな男たち。この街において無頼の冒険者たちに顔役として知られる男、Bランク冒険者マーガスとその舎弟格の集まりである。


「いやあ、今回は兄貴の力添えのお陰で助かりましたぜ」


「ホントホント。実に痛快!」


「あの余所者のお陰で、ここのところ上がったりだったからなァ……」


 子分たちの太鼓持ちに、一座の中心で一人、自分だけシャンパンを舐めるマーガスは相好を崩した。


「ふんっ。当然よ。この街の冒険者のトップは、俺様を置いて他にはいねェ。あのアルクェール人の奴隷女ごときにゃ、いつまでもでかい顔をさせねェぜ」


「かーっ、痺れるぅ!」


「いよっ、百人力っ!」


 周囲の歓声と貴族でも味わえるものはそういない美酒の味に、【鉄槌のマーガス】はしたたかに酔い痴れる。

 この集まりは、いわば打ち上げの宴会だった。その趣旨は最近、ガレリンの街に現れた新手の冒険者、Cランク風情でありながら二つ名を名乗って粋がる、【銀狼のユニ】とかいう女奴隷に対する意趣返し。一派の者や脅しに逆らえない小物どもを動員し、ガレリンのギルドに持ち込まれる依頼や付近のモンスターの討伐を独占する企み。その第一段階の成功を祝ってのものだ。


「これであの生意気な女も、誰がここを締めているか察したでしょうなあ」


「いやいや、何しろ銀色の首輪付きだ。その辺を察するおつむがあるかどうか、疑わしいもんだぜ」


「へへっ。頭の方も尻相応に軽いってか!」


 取り巻きたちは口々に野卑な言葉でここにはいない女を腐す。彼らの言うとおり、今日の出来事はあくまでも警告。野生の獣が臭いや木々に刻んだ目印で縄張りを示すように、マーガスの力の片鱗を見せてやっただけのこと。その過程で傘下の冒険者たちに手を貸してやり、ユニから奪った依頼の達成報酬の甘い汁を吸わせるという目的も兼ねている。

 無論のこと、マーガスの助力を得た下位ランクの者たちからは、依頼報酬の何割かを手数料として徴収している。高ランク冒険者が低位の依頼を荒らすことは、ギルドの方針から敬遠されているが、ちょいと頭を働かせればこの通り。抜け道など幾らでも存在する。とはいえ、余所者で奴隷階級の誰かさんには不可能なことではあるだろうが……。

 この街に張り巡らせた自分の権力に、マーガスは笑う。


(まっ、今回の仕組みが察せられないようなら、ここに呼び出して丁寧に教えてやるとするか。ちゃあんと授業料も頂いた上でな)


 人様の縄張りを荒す雌狼の、男好きのする顔立ちと肢体とを脳裏に描き、舌なめずりを一つ。あの澄ました表情が自分の下でどう歪んでいくかを想像するだに、酒精が齎す以上の昂りを覚える。何しろ、飼い主である貴族の坊ちゃんを誑し込んで、高い装備を揃えさせたと専らの噂だ。女奴隷らしく、そちらの手管にも期待出来るだろう……。

 そう思いつつグラスを傾けたところ、既に中身が空になっていることに気付く。


「おう、姉ちゃん。酌はどうした酌は」


「は、はい。只今……」


 横柄な声に命じられた酒場娘は、声と身体を震わせながら新たな酒を注ぎ始める。

 何しろ、冒険者という生き物は怪物を殺す怪物。人間の姿をした人外とも言うべき存在だ。機嫌を損ねたり不手際を仕出かせば、普段魔物に向けられている暴威をその身で受けることになってしまう。一応は市井の民に無体を働くべからずとギルドの会則にあるが、そうした常識や理性を忘れさせるのが酒の魔力である。それを思えば、非力な酌婦が怯えてしまうのも仕方のないことだろう。

 マーガスは強者としての優越感を新たな肴としてか、更にペースを上げて杯を空にしていく。


「がはははっ……本当に良い酒だ」


「お楽しみでいられるようで、何よりです」


「応っ。高い酒、美味いツマミに綺麗な姉ちゃん。こういう席を囲む為に生きているって感じがするぜ」


 女の声と共に、今度は乾したと同時に注がれていく酒。男は益々気を良くした。


「然様にございますか。では、ご満足頂けたと思ってもよろしいので?」


「ああ、満足満足。冒険者冥利に尽きらァ」


「つまり――もう悔いは残っていないのですね?」


「いやあ、まだまだ。次の席にゃ、もう一つ最高の肴を用意する手筈なんでなァ」


「興味深いですね。後学の為に伺っても?」


「最近、アルクェールから渡ってきた【銀狼のユニ】とかいう女冒険者、いやさ奴隷よ。今度はそいつをここに呼びつけてやる予定でな」


「……そうだったのですか」


「ああ。で、俺様たちの縄張りを荒す小生意気な雌奴隷に、ちょいと世間って奴を教えてやろうという趣向さ。いやあ、どんな面ァしてくれるものだか、今から楽しみで仕方ないぜっ!」


 マーガスは上機嫌に笑いながら、酌婦の追従ぶりを確かめるべく彼女の顔へ目を向ける。

 その笑みは、




「成程。では、心ゆくまでご覧下さいませ」




 およそ客商売には程遠い無表情を目の当たりにし、音を立てて凍りついた。


「………………………………え?」


 黒髪、緑眼、整い過ぎた余りに人間味に欠ける顔立ちと抜けるような白い肌。何より、その身を包むメイドの衣装に銀色の首輪――【銀狼】のユニ。今この場にはいないはずの女が、感情の窺えない機械的な眼差しでこちらを見据えている。


「て、てめェ!? 何でここに――」


「随分と奇妙なことを仰いますね。顔が見たいとのご要望でしたので伺ったまでですが。それに、今回のご趣向も私を招待する為だったのでしょう?」


 動揺するマーガスに対し、唐突に現れた女はニコリともしないまま告げた。


(糞っ! ふ、ふざけやがってこのアマっ……! だ、だが仕掛けどころを読み誤ったな、馬鹿めが。ここには俺の舎弟どもが何人いると――)


 男はちらりと視線を動かし、仲間たちの方を窺った。いや、窺おうとした。

 だが、彼の頼みとしていた戦力は、


「う、ううっ……」


「痛ェ……痛ェよお……」


 いつの間にやら、既に畳まれ酒場の床に転がっていたのだった。無論、これはユニの仕業である。マーガスらが強かに酔っているうちに、手下どもを叩きのめしてから、酌をしていた酒場の娘と入れ替わっていたのだ。驚くべき早業である。


「――ば、馬鹿な……!?」


「さて、それでは私の方も用件を果たすことにいたしましょうか」


 驚愕に打ち震えるマーガスをよそに、ユニは恬淡とした表情のまま腰に手を伸ばす。彼女の得物である、短剣の柄へと。


「舐めるんじゃねェ!!」


 それに先んじて、マーガスはテーブルに立て掛けられていた自分の得物を手にし、振るう。彼の武器は【鉄槌】という二つ名の所以でもあるウォー・ハンマー。一見して粗雑な作りのように見えるが、その実、加速・硬化・加重と三つの魔法付与を帯びた礼装でもあった。直撃すれば、ジャイアントの頭蓋すら瓜のように叩き割る、超重の鈍器である。

 ズンっと腹に堪える衝撃が持ち手から伝わった。


(へ、へへ……ちょいと驚かされたが、呆気無いもんだぜ)


 元来、人外の化け物を叩き潰す為の凶器を振るっての一撃である。華奢ななりの女など、一溜りもあるまい。お綺麗な澄まし顔が二目と見れない有様になってしまったのは、少し惜しい気もするが――とハンマーの頭を戻そうとした時である。


「な、何……?」


 動かない。手足も同然に使い込んだ武器が、まるで言うことをきかない。武骨な金槌は、ユニの顔面目掛けて叩き付けてやったはずの位置から、押しても引いても動かなかった。


「……あまり暴れてもらっては困ります。冒険者同士の争いは死に損とはいえ、民間への被害は相応に賠償しなければなりませんから」


 苦痛の欠片も窺えない、平坦な声が飛んで来る。ハンマーによる一撃は、命中などしていなかった。当たる寸前に空中で静止させられている。ユニのほっそりとした手が、柄の半ばの辺りを掴んで、ピタリと押さえているのだ。少女の細腕、それも片手一本が、筋骨逞しい男の両腕の膂力を、完全に上回っている。

 事ここに至って、ようやくマーガスは気付いた。自分が遊び半分で挑発した相手が、どれほどの怪物であったのかを。そして彼は知らない。目の前のメイドの姿をした化け物がこの国へとやってくる前に、どれだけ同業の血を啜ってきたのかを。

 そうこうする内に、視界の中を抜き放たれた銀色の閃きが一文字に走る。それが【鉄槌のマーガス】が人間として認識した最後の光景だった。




  ※ ※ ※




 数日後。ガレリン魔導アカデミーにて。


「オーブニルの奴、またとんでもない物を……」


「アイツが提出遅れなんて、おかしいと思っていたんだよ」


 錬金学科の学生たちが、視線を一点に集めながら囁き交わす。彼らの注目の的となっているのは、課題の期日を超過しながら提出された、トゥリウス手製のキメラだった。


「いやはや、お恥ずかしい。お待たせした上に、このような教科書通りの物しか用意出来なくって……」


 本人はそう言って頭を掻くが、彼の製作物を見せられたフレデリカからすると、謙り過ぎて慇懃無礼にしか思えない。


(た、確かに……教科書にお手本として載っている物ですけれど! こういう場合、教科書通りなどとは言いませんわよ、普通!?)


 頭痛を堪えながら、実習用の広場に連れ込まれた生き物をしげしげと見やる。

 そのキメラは、明らかに他の学生が拵えたものとは一線を画していた。見るからに強壮そうな体躯を誇り、離れていても肌にびりびりと感じられる魔力の波動を放つ、勇猛な怪物。既にして実戦に耐えうる一線級の使い魔と見做しても問題無いだろう。

 いや、真に語るべき点はそこではない。そのキメラを作るのに掛け合わされた生物だ。トゥリウスの作り上げた怪物は、獅子の身体を持ち、その肩口から肉食獣本来のそれから枝分かれするようにもう一つ、山羊の頭を生やしている。背中には猛禽類を思わせる翼を広げ、極め付けには尻尾の替わりに蛇の頭が伸びていた。

 肉食獣の身体に草食獣の首を兼備させ、空を飛ぶための翼、更には変温動物である爬虫類の要素をも持つ――確かに、教本にも手本として載っているキメラだ。ただしそれは『一流の錬金術師たる者、キメラは斯く作るべし』という理想像。数十年を研鑽に充てたその道の達人となって、初めて作成の筋道が立てられるレベルのものである。断じて、一学生が製作課題として作るような代物ではない。


(何という非常識な……言ってみれば、伝記から学んだ歴史上の人物の業績を、そっくりと真似たようなものではありませんか)


 この留学生が突飛なことを仕出かすのには慣れたつもりでいたが、まだまだ奥底は深かったらしい。

 はてさて、このとんでもない提出物にグラウマン教授はいかなる評価を出すものか? フレデリカを含め、学生たちは興味津々の表情で教授が鑑定を終えるのを待った。


「ふぅむ、期日を過ぎて待たされたことも加味すれば……五十五点といったところか」


 非常識な弟子の師は、やはりというか非常識に辛い点数を下す。


「うーん、やっぱり駄目でしたか」


「その歳でこれほどのキメラを合成出来る点は素直に認めるがな。いかんせん、構造に粗さが残っておる。使い魔としては強力でも、生物としては脆弱に過ぎるのだ。完成度という点だけ見れば、カステルベルンの作例の方がマシじゃな」


 グラウマンは灰色の顎鬚を弄りつつ述べた。

 そう言われても、フレデリカが作ったキメラは、所詮は翼の生えた猫である。このようなとんでもない化け物より自分の作例が優れているなどと、素直に思える筈が無い。使い捨ての大量破壊兵器と自作の包丁を比べられ、こちらの方が頑丈だと褒められても、どこの誰が喜べるものか。

 が、トゥリウスの方も教授の評価に否やは無いようだった。


「確かに、ちょっと要らない部分に凝り過ぎましたかね」


「獅子の口からは火炎のブレスを、山羊の口からは溶解液の泡を吐くんじゃろ? オーブニルよ、お前は普段効率的なくせに、時折無用な浪漫に走るのが悪い癖であるな。ブレスを武器にするならば、どちらか一本に絞った方が機能的ではないか」


「いやあ、折角頭が何個もあるんですし、それなら多様な武器があった方が面白いかと……それに、僕は錬金術を極めるのに浪漫は不可欠だと思っているものでして」


「それで課題の提出に遅れておれば世話が無いわい……まあ、良い。キメラ製作実習も合格としておこう」


 ここまでやって他のゼミ生と同じ及第点だというのだから、厳しいものである。ひょっとすると、これもトゥリウスに対する教授なりの期待の裏返しというものかもしれないが、彼と比べられる平凡な学生としては、複雑な心境である。


「はぁ……失敗したなあ。素材集めの段階で躓いて遅れたのが痛かった。早めに揃えておけば、じっくり調整出来たのに。貧すれば鈍するって奴かなあ」


「……普通は獅子などという遠方の生き物、調達出来ないと思うのですけれど」


 肩を落として生徒の列に戻ったトゥリウスに、そう指摘してやる。彼はまったくだね、と他人事のように肯いた。


「まあ、流石にライオンは高く付いたよね。あれで資金が粗方飛んじゃったから、制御用の脳味噌に使う奴隷を買う予算すら無くなっちゃって」


「……え?」


 フレデリカの苦笑が凍り付く。

 今、この男は何と言った? 制御系に脳味噌を使う? ということは……あのキメラ、獣を寄せ集めた使い魔には、人間の脳が使われているということなのか? 


「オーブニル、貴方――」


「いやあ、土壇場でユニが工面してきてくれなかったら、確実に間に合わなかったね……ん? どうしたんだい、フレデリカさん。そんなに怖い顔をして」


「――いえ、何でもありませんわ」


 男の罪悪感の欠片も無い口ぶりに、彼女は非難の言葉を寸でで飲み込む。トゥリウス・シュルーナン・オーブニルという男がこのような人物であることなど、とっくの昔に知っている。以前に薬理研究についての発表の際、奴隷への人体実験を論拠として熱弁を振るい、グラウマン教授以外の関係者全員を青ざめさせたこともあった。その時も、周囲からの批判に対してポツリと「奴隷をどう扱おうと、主人の自由でしょ?」と不思議そうな顔で言ったきりだ。

 きっと、今回も追及は無駄に終わる。だから、彼女はこう訊ねるのに留めた。


「念の為に聞いておきますけれど、あのキメラに使った脳。持ち主から不当に奪ったものではないのですよね?」


「……君も心配性だね。大丈夫、別にそこいらの一般人から脳味噌を摘出した訳じゃないよ。殺しても罪に(●●●●●●)ならない相手(●●●●●●)から提供して貰ったらしいからさ」


「そうですか」


 なら、問題は無いのだろう。少なくとも、この男の手掛けたものを査定する教授は気にしないだろうし、この国の官憲も罪には問わない。人間の死体を魔法の為に活用する。それが犯罪であるというのなら、このアカデミーに降霊学科などという部門は置かれていないだろう。貴族や聖職者、平民の中でも市民権を持つ者以外、殺そうと腑分けしようとお咎め無し。まったく、酷い世の中だとフレデリカは思う。


「ところで、あのキメラって提出した後はどうするんだろうね? あんなに大きな生き物、寮の部屋で飼うのは難しいし」


「知りませんわよ、そんなこと」


 そっけなく言い置いて、踵を返しトゥリウスから離れる。

 フレデリカ・ユリアンナ・フォン・カステルベルンは、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルという男が大嫌いであった。非常識で非人情、それでいて錬金術の腕前だけは悪い夢のように冴え渡っている。稚気じみたアイディアを詰め込んだキメラに、人間の脳味噌を組み込んだという所業は、トゥリウスという錬金術師の性質を実に端的に表している。欲望のままに誰を傷つけようと、自分が傷を被らなければ良しとする。身勝手さ、我儘さこそ彼の本質に他ならない。

 この男は、放って置くと錬金学科に、アカデミーに、いやそれに留まらずより多くの人々に、その技術をもって良からぬ影響を与えるのではあるまいか。そんな危惧さえ、突飛なものだとは考えられなくなる。


(本当にこの男……早く死ねばいいのに)


 不老不死を求め、その為に錬金術師という道を選んだ男に対し、彼女は心底からその速やかな死を願った。




 余談だが、この時トゥリウスが提出したキメラは、結局、錬金学科の学生一同で世話をすることになった。


「オーブニルめの製作物では珍しく出来の悪い物じゃが、それだけに反面教師としても有為な教材じゃろうて。無論、この域までキメラ製作を極めていない者にとっては、生きた道標ともなろう」


 とはグラウマンの弁だ。

 フレデリカとしては、脳などという中枢に人間を材料としたキメラなど、薄気味悪くて仕方のない代物だ。なのであまり深く関与しなかったのだが、他のグラウマンゼミ生は、理想に近いキメラの貴重な生きた標本として、かなり熱心に世話をしたらしい。

 だが、その甲斐も無く、キメラは教授の見立て通り、二か月ほどであっという間に衰弱して死んでしまった。餌やりをよく担当していた生徒が言うには、食欲が不振で半ば餓死のような死に方だったらしいが……それがトゥリウスの作成ミスによる不備なのか、キメラの材料にされた者の意思による遠回しな自殺なのかは、その死からかなり経った後も不明のままである。

 

 

トゥリウス「――ってなことがあったんだけれど、ドゥーエは知らなかったの?」

ドゥーエ「俺の活動拠点は、ザンクトガレンでも西側だったからなァ。盟主の王都とはいえ、ガレリンなんて東のこたァからっきしだぜ」


※単に後付けだからです。

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