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075 そして、宴の支度<前篇>

 

 冬の足音が近付く中、遠征軍は王都ブローセンヌへと凱旋した。

 卑劣にも奇襲で以って王国の地を侵した隣国、ザンクトガレン連邦王国。彼の国の軍は南東の一伯爵すら倒し切れず逆に撃ち払われ、残余の兵力を全て捕虜とされたという。

 またこの戦いにより敵国の企図していた戦略は最初の段階で頓挫。両国は速やかに講和の交渉へと入った。

 建国より五百年を(けみ)するアルクェール王国の、輝かしい勝利である。

 この報に国中が湧き返った。何しろ相手は五十年前に苦杯を舐めさせられたザンクトガレン。それを緒戦で壊滅させ、一月もしない内に相手を講和会議の席に引き摺り出す大楽勝だ。王都でも連日のようにお祭り騒ぎが続き、貴族も民も区別無く勝利に酔い痴れている。

 だが、その屋敷のみは周囲の喧騒から取り残されていた。

 死にゆく主を内に抱いた、ある貴族の館。ラヴァレ侯爵の居館である。


「侯爵様。軍がお戻りになられたようでございます」


 病床の傍に立ち、甲斐甲斐しく世話を尽くす尼僧が言う。その言葉を受けた老人は、寝台に横たわったまましばらくその意味を咀嚼するように黙ってから、ようやく口を開いた。


「……うむ」


 痩せ衰え、病み衰えた顔色は蝋のように白い。陰鬱な表情と曖昧な目の色は、顔に刻まれた皺をより深く、その陰影を色濃く見せる。受け答えの言葉も短く、声からは以前の明晰な響きが明らかに欠けていた。

 それが今のジョルジュ・アンリ・ラヴァレ侯爵の姿である。


「……冬を前に、戻ったのか」


「はい。おめでとうございます。お味方の大勝利と聞き及んでいますわ」


 女は老人を元気づけるかのように、努めて明るく声を張った。

 だが、その言葉に老人は皮肉げに口元を歪める。彼の企てでは、あの遠征軍はザンクトガレンの他に、もう一つの敵と戦う手筈であった。

 ヴォルダン伯爵トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。予定ではザンクトガレン軍に領地を奪われた失態か、こちらが準備しておいた醜聞を以って誅される筈だった男。それが今も無事にいるだろうことを悟り、ラヴァレは乾いた唇を強く噛む。


「……切り抜けよったか」


「はい、はいっ。この国は無事、戦火を切り抜けましたわ。これも侯爵様のご尽力のお陰です」


「……ふふ」


 意図の噛み合わない会話に、失笑が漏れた。

 この世間知らずな愛人は、この戦争をラヴァレが企んで仕組んだということも、それに乗じて不穏な存在を粛清しようとしたことも知らない。生来善性で、後ろ暗い事情に疎いのだ。だからこそ、このような老妖につけ込まれ毒牙に掛かったのであろうが。

 しかし、そのラヴァレの傍に最後に残ったのが、このような女性とは。

 あの日、唐突に発病し倒れたラヴァレであったが、密会の相手が神官であったというのが不幸中の幸いだった。彼女の治療魔法によって一命を取り留めたことで、何とか今日まで命を繋げている。何でも、泣きじゃくりながら懸命に看護に努めていたらしい。つくづく、陰謀家の愛人とは思えぬ女だった。

 他にも幾人か情婦はいたが、彼が重態に陥っていると聞くと、踊り上がって遺産をせしめようと現れている。無論、多少の手切れ金を分けて黙らせたが、それでも黙らない者も何人かいた。呆れたことに、二十年前、三十年前の関係を持ち出して迫ってきた老女もいる。そうした連中にはほとほとうんざりさせられたものだ。仕方が無いので、陰働きの者に動いて貰うことにした。そんなに死に掛けの老人と話がしたいというのなら、向こうでゆっくり心行くまでしてやろうではないか。

 そうして、目の黒い内にと女性関係を整理していたのだが、どういう訳かこの女だけは残った。離れずに傍へ侍る。それだけが要求であるという。オマケにこうして、末期まで世話を焼こうという構えでいる。いや、それどころか下手をすると、迫る寿命を押し返して快癒することまで願っていかねない。

 こんな老い耄れに、何をそこまで入れ込むのやら。ラヴァレ本人としても不思議であった。


「……頼みがある」


「何でしょう? 何なりとおっしゃって下さいまし」


「……戦争の処理。宰相殿と、話がしたい」


「だ、駄目です! まだ、そのような政務を執られるような状態では――」


 何なりと、と言ったばかりではないか。そう皮肉ろうとしたが、どうにも億劫だった。

 代わりに別のことを言う。


「……手紙を用意しておる。家臣に言って、届けさせるだけで、良い……」


 トゥリウスがザンクトガレンを撃退し、この仕掛けを切り抜ける。その可能性は当然ながら事前に想定していた。何かの理由で自分が倒れることも、歳故に考えざるを得なかったこともある。だから前もって書簡に策をしたためてあった。

 この期に及んでも、ラヴァレという男は策士の性を捨て切れなかった。


「……机、二段目の引き出し。秘中の秘、故……届けるまで、封を開けては……」


 声が続かない。息をするのも疲れる。言葉を区切ると、意識が散漫になり再開出来なかった。

 それでも大意は告げた。女がこくこくと肯くのを確認すると、ラヴァレは改めて枕に頭を埋める。


「少し……疲れたよ。しばらく、休む。何かあったら……起こ、せ……」


「はい……分かりましたわ、侯爵様。では、仰られた通りに」


 泣きそうな表情の女を送り出して、しばし微睡む。

 小春日和の、暖かな秋の午後だった。老人が昼寝を楽しむには良い陽気である。そう思い、自分には長らくそんな機会が無かったことに気付く。


(思えばこの五十年、働き詰めであったことよな……)


 思いを馳せるのは、エルピス=ロアーヌの敗戦以来続いた、長い暗闘の人生。

 国を変えねばと思い至った。手始めにその為の権を握ることを欲した。兄弟をすら屠って、侯爵家当主の地位を手に入れた。貴族たちを組織し、中央集権派を立ち上げた。多くの地方貴族と、同じだけの自派の反対派を粛清してきた。宮廷に容喙(ようかい)し、大臣や宰相を意のままに操った。忌むべき敵国を倒す機会を窺う為、我意を殺して融和路線を採り続けた。権力を握り続ける為に当主の座を占め続けた結果、長男には先立たれた。七年前、王太子らを失った暗殺事件を防げなかったのは痛恨事であった。そして最晩年の、あの狂った若造との相克。

 どれをとっても血腥く、後ろ暗く、恥多い思い出ばかりだ。

 心残りは山ほどあった。ザンクトガレンはこの一戦だけで下風に立つような相手ではないし、マールベアの動きも気に掛かる。そして何より、国内には最大の憂患が健在のままだった。このままでは死んでも死にきれない。

 ……少し前までは、そう思っていたのだが。


(休みたいのう……)


 倒れてからは、そんなことばかりが頭を占める。

 心臓が弱まると共に心も力を失い、情熱が色褪せ諸事が鬱陶しく感じられていた。蔑ろに扱っていた家族は危篤に際しても最低限の見舞いのみで、最後まで添う姿勢を見せているのは今送り出した女のみ。そのことが少しだけ寂しい。それもまた、今までは抱いたことすら無い感傷だ。

 これが老いか、と今更ながらに思う。


(もう、十分か)


 この暖かな日差しの中で、眠ってしまおう。

 未練ややり残しにはキリが無い。儘ならぬことばかりが人生だ。それに最後の手配りは打ったのである。ならば、それに満足して安心しても良いじゃないか。


「……お休み」


 誰ともなしにそう告げて、瞼を閉じる。

 半世紀余りを陰謀に生きた男は、ようやく安らぎを得て穏やかに眠った。

 しばらくして女が部屋に戻り、その姿を見て涙を浮かべる。

 何かがあったら起こせと言い残した男は、どれほど声を掛けても、二度と起きることは無かった。




  ※ ※ ※




 ランゴーニュ伯は有頂天であった。

 つい先日講和の成立した対ザンクトガレン戦争――ヴォルダン戦役における祖国の勝利。かねてより派閥内に売り込んでいた、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの得た大勝。それによって彼の立場は大きく強化されたのである。

 幸運はまだ続く。開戦を切っ掛けに恥知らずにも舞い戻って来た目の上の瘤、ラヴァレ侯爵。あの老いさらばえた妖怪も、ついに身罷ったのだ。

 最早、中央集権派にランゴーニュ伯に取って代わるような人材は存在しない。所詮はメアバンなど、豪胆なのは見かけだけの慎重居士である。シャンベリはラヴァレが倒れてよりすぐに「共に侯爵を見舞いませんか?」などと露骨に擦り寄って来ていた。他は元よりランゴーニュの親派か、取るに足らぬ有象無象だけ。

 つまりは、この自分こそが王都ブローセンヌにおける第一人者なのである。

 ランゴーニュ伯はそんな自負に傲然と胸を聳やかしながら、件の男を迎えた。


「どうも、お初お目に掛かりますランゴーニュ伯。ヴォルダン伯爵トゥリウス・オーブニルです」


 能天気にニコニコと笑いながら、軽く会釈する青年。ヴォルダン戦役で初陣を大勝で飾った男。トゥリウスである。供をする者の姿は無い。戦功を挙げた彼の武官筆頭は、敵国であるザンクトガレン生まれ。戦勝の式典には似つかわしくなかろう。またその他の武官は小粒であり、文官勢にも昇殿出来るほどの身分や功績を持つ者はいなかったと記憶している。何とさもしい家中であろうかと憐みすら覚えてしまう。

 それはさておき、ランゴーニュはトゥリウスの第一声によって、早速上機嫌に水を差された。


「……我々は初対面ではなかったと思うが、オーブニル伯」


「あれ? そうでしたっけ?」


 のほほんとした若造は、恐れ入った様子も無しに言ってのける。ランゴーニュの眉間に、一瞬だけ不機嫌の皺が亀裂のように刻まれた。


「先年に何度か、パーティーで顔を合わせたと記憶しているんだがね? ほら、貴殿の兄君の紹介で」


 昨年の秋にあのライナスの結婚式の後、この蕩児は兄に連れられて何度か貴族たちの茶会や園遊会に足を運んだことがあった。ランゴーニュともその時に会っている筈である。実際彼は、つまらなさそうにその時間を過ごしていたトゥリウスの顔も覚えているし、挨拶を交わした記憶もあった。

 それをこの男は、忘れ去っていたというのだろうか? だとすると、とんだ阿呆だ。社交により顔を繋ぐのは貴族の嗜み。対面が一度であろうと、ランゴーニュは伯爵という高位の貴族だ。それと出会ったことを忘れるなど、考えられることではない。

 口元では笑みを浮かべつつも、内心見下げ果てた心地で観察していると、トゥリウスはややあって手を叩いた。


「ああ、あの時ですか! いやはや、申し訳無い。昨年の今頃は、何かと大変なことが立て続けに起こったでしょう? それでどうも、上手く思い出せなかったようで」


「ははあ、そうだろうともそうだろうとも! 君も色々大変だったなあ。それでは仕方ないだろうよ、気にしてはいないさ」


 ああ、そう言えば例の裁判騒ぎや王都大火、トゥリウスに対する暗殺未遂事件もあったのだったな。それなら、一度顔を合わせた貴族のことくらい、うっかり忘れても仕方あるまい……などと思ったりはしない。

 貴族にとって、コネとは正しく生命線である。命の危険を理由にに命綱を疎かにするなど、愚図の証明に他ならない。やはり、あの兄にしてこの弟ありだ。

 戦争では活躍したようだが、所詮は野蛮な所業に少しばかり長けているだけのこと。【奴隷殺し】の忌み名に似つかわしい、血腥い才覚である。こんな汚らしい愚人に深入りは無用。利用するだけ利用したら、兄弟仲良く修道院で暮らせるよう取り計らうが吉か。

 ランゴーニュがそんな算段を立てていると、


「いやあ、貴方がオーブニル伯ですか。お噂はかねがね伺っております。私、王国伯爵シャンベリと申す者。以後、よしなにお願いいたします」


 何でかこの対面の場にくっついて来ていたシャンベリが、馬鹿丁寧に先んじて挨拶をする。

 何を考えているのだ、とランゴーニュは鼻白んだ。

 挨拶を先に行うのは目下の証しではないか。シャンベリは性根卑しいとはいえ、年功ある大身の貴族。二十になったばかりの同爵の若造など、向こうから頭を下げるまで相手にしないのが普通である。

 トゥリウスもこれには多少目を丸くしていたが、


「……ああ、これはご丁寧にどうも。トゥリウス・シュルーナン・オーブニル伯爵です。こちらこそ、シャンベリ伯にはよろしくお引き立てのほどを」


 すぐさま、中身の無さそうな笑みを浮かべて応対した。二人が手を握り合う姿を、ランゴーニュが内心で嘲笑する。


(ふん……嫌われ者の蝙蝠と、鼻摘まみ者の蛇の握手か)


 他家の者から白眼視される者同士、気が合ったのだろう。そんな風に深く考えずに受け流す。

 彼は優雅に踵を返しつつ、二人へと言う。


「では、参ろうか? 他のお歴々も、首を長くして待っているであろう」


 そして、手を広げて背後を示した。

 背後に聳える優美なる白亜の城――王都、いや王国の中枢たる王宮を。

 今日、王城で行われるのは、ヴォルダン戦役に参戦した貴族への論功行賞である。ランゴーニュ伯がわざわざトゥリウスを出迎えたのは、派閥の為の顔繋ぎだけではない。主としては、今日初めて宮廷へと上がる彼を案内する目的の為だった。


「いやはや、やはり王宮の門というものは、通る度に身が引き締まる思いがするものですなあ! 私など、何度となく目にしようと慣れる気配がしないのですよ」


「ははは。まあ、そうですね。えーと……こう大きいと、押し潰されそうで怖いですね」


「それと前庭を飾る壮麗な彫刻の数々! これぞ大地と芸術の国、我らがアルクェール王国を彩るに相応しいと思いませんかな?」


「ええ、そうですね。あの噴水に飾られている像なんかは、見事な物だと思います」


「おっと、レセプションホールを通る際はお気を付けを。あの大シャンデリアの絢爛さときたら! 下々の者などがうっかり目に入れれば、眩しさで潰されかねないと噂でしてな」


「はあ、そうなのですか。気を付けます」


 案内するのが目的だった、のだが。

 どうにもランゴーニュの紹介に対して反応がよろしくなかった。トゥリウスときたら、興味の無い玩具を示された子どものような生返事を繰り返し、時には溜め息すら漏らしたりする。


(何と不敬な男か……)


 典雅な笑みの裏で、また一段階この青年への侮蔑を強める。

 王国の権威の表象、王家の支配の象徴たる宮殿の光景に対して、どうしてこうも無関心でいられるのか。田舎貴族らしい野暮な感性かと思いきや、そうでもない。時折謂われある名物や美術品について水を向けると、意外に的確な返事を返したりする。芸術に関するセンスは皆無ではないと見えた。

 では、この無感動ぶりはどうしたことか。

 ……余程、王室に対して敬意を持っていないに違いない。

 確かにランゴーニュとて、この壮麗な宮殿の主である男――国王シャルルVIII世のことなど軽蔑の念さえ抱いている。覇気が薄い癖に癇癪持ちで、臆病でありながら危機には魯鈍。そんな王になど心服出来る筈が無い。だが、かといって王室に流れる尊貴な血統までは否定出来ない。支配の正当性そのものである青い血の頂点。貴族たる者、それに対する敬意は身を徹して抱いておくべきであろう。その歴史の具現である王宮の風景を垣間見れば、自然と襟を正すような思いが湧いてくる筈ではないか。

 この男には、それが無い。貴族としての意識の程は、問題外だ。

 ランゴーニュはそう判断を下した。


(まあ、良いわ。そのようなうつけであればこそ、用済みになった際に切り捨てても、惜しくはないというもの)


 そんな思いを弄びながら、王宮の中を案内していく。

 式典の始まる時間には間があったので、ランゴーニュの知る限り、立ち入りの許されている区画を連れ回した。オムニアから招かれた芸術家の手による天井画の広間だの、北面庭園の見事な花壇だの……変わり種としては、国王の愛妾――現在は設けられていない――の住まいとして建てられた離宮を遠くから冷やかしたりもした。


「……ランゴーニュ伯って、こういうことが好きな方なのですか?」


「は、はははっ……。わ、悪い方ではございませんよ。少々、稚気に溢れたところもありますが」


 時折、後ろのトゥリウスとシャンベリが、何かを小声で話し合うのが気に障る。別段彼らの如き貴族の恥どもと仲良くしたくなどないが、自分に対して隠し事などをされるのは良い気分ではない。

 ゴホン、と咳払いを一つ漏らす。


「うむ。大分時間を使ってしまったな……では、そろそろ控えの間へ向かうとするかね?」


「ああ、ランゴーニュ伯。その前に一つ、ご相談したきことがございまして」


 トゥリウスの言に、またぞろムッとしたものを覚える。

 仮にも先達であり、派閥の末席に加えてやろうという厚意も示したこちらに対して、むきつけに相談とは何事か。それに控えの間に向かう前に、ということは、他貴族に知られたくない内密の話であろう。そこまでこの男に深入りしたくはないのだが、


「それはそれは! ランゴーニュ伯は若い方々の中でも雄弁さと懐の深さで知られたお方。オーブニル伯が何をお悩みかは存じませんが、きっと良い知恵をお貸し頂けるでしょう」


 拒否する前に、シャンベリが勝手に受ける方向へと話を進めてしまった。

 だが、まあ、この蝙蝠男の目があるということは、彼の口を通して派閥員の耳にも話が聞かれるということ。それを思えば、トゥリウスの受け入れを説いた張本人であるランゴーニュが、その相談を拒むのは拙い。変節漢だの何だのという、何処かの誰かのような風評が立つのは御免被りたかった。


「……勿論であるとも。さ、何でも言ってみたまえ」


「ありがとうございます、伯爵。それで相談と申しますのは、領地の経営に関することでして」


 トゥリウスの話とは、掻い摘んで言うと戦争の被害を受けたことで領民が足りないとのことであった。ザンクトガレンの侵攻で被害を受け、クラヴィキュールの戦いで徴募した兵から戦死者を出し、領内の人口が不足している。このままでは経営に差し障りが出るとのことである。

 ……知ったことではない。トゥリウス如きがどう苦しもうが、ランゴーニュが関知することではなかった。寧ろ、将来的には利用価値が無くなった瞬間に切り捨てる相手だ。弱体化は望むところである。ランゴーニュが欲しいのは、ドルドラン辺境伯ら中道派貴族の頭数であり軍事力だ。トゥリウスなど、言ってみれば栗の殻のようなもの。欲する中身を得る為に渋々手にし、最終的には叩き割るべき存在である。

 が、今はそんな思いを露骨に見せられる状況ではない。この男が臍を曲げて集権派に失望し、「そうですか、駄目ですか。じゃあ、やっぱり分権派を頼ります」などと言い出したら、結託を説いて来た彼は良い恥晒しである。もうしばらくは、こちらに靡かせておきたかった。

 かと言って、別段シャンベリが言うような良い知恵も無い。


「ううむ、難しいな……人など、そうそう増やせるものではない。ましてや領地間の移動など――」


 手っ取り早くヴォルダンの領民を増やすには移民しか無い。だが、貴族にとって領民とは税を取る為の財源だ。素直に協力し領民を移民の為に提供する貴族はまずいないだろう。ましてや中央集権派は領土の乏しい宮廷貴族が主体である。領土が狭いということは住まう民も乏しいということ。どうにか出せそうな者は、それこそあのラヴァレか、分権派から転向して来たシャンベリくらいではないか。


「そうですか。難しいですか。ええっと、じゃあ……シャンベリ伯はどう思われます?」


「えっ、ここで私ですか? そ、そうですなあ。移民、移民……素直に移民と言っても、応じられる訳は無いですなあ。何か名目が要るでしょう」


「名目かあ……何か名目があると良いんですけどね。他所の貴族が民を出さざるを得ないような名目」


「そうですなあ。そんなものは、それこそ戦争での徴兵くらいではないのですかなあ。もう講和してしまいましたが」


「――それだっ!」


 閃きを得たランゴーニュは、思わず声を上げていた。

 突然の大声にトゥリウスとシャンベリが目を瞬くが、ランゴーニュは構わず彼らに対して自身の案を説明する。


「そう、徴兵だ。徴兵の名目で民を集めてヴォルダンに送り、現地では農民として働かせれば良いだろう。ヴォルダン州の兵力が減っているのは周知の事実であり、国防の為にその補填が急務であるのもまた当然のこと。これならば誰にも文句を付けられぬ大義名分となろう?」


「それはつまり……いわゆる屯田兵というヤツですか。ははあ、それは良いお考えですね」


「然り然り。流石はランゴーニュ伯ですな、オーブニル伯」


 こんなことも考え付かなかった愚図どもが、頻りに感心の声を上げている。それを心地良く耳にしつつ、ランゴーニュは続ける。

 この案にはまだ先があるのだ。


「そして、その兵を供出するのは地方貴族に担当して頂こう。此度のヴォルダン戦役、オーブニル伯は自ら戦い、我ら集権派も増援の為に骨を折った。今度は他のお歴々に力添えをして貰おうではないか」


 そうすれば集権派の懐を痛めずにヴォルダンを手当てし、更に地方分権派の力も削げて一石二鳥だ。正に妙案である。


「「おおおーっ……」」


 ランゴーニュの意見を聞くことしか出来ない阿呆二人が、揃って気の抜けたような吐息を漏らす。今日が初対面だというのに、文字通り妙に息の合うことだ。類は友を呼ぶ、というものだろうか。


(ふっ、見たか。ラヴァレの如き妖怪がおらんでも、知恵を出せる者はいるというのだ。他ならぬ、この私がな)


 優越感に浸りつつ、無言の裡にそう誇示する。

 メアバンは知恵者の不在を恐れてラヴァレを切れず、またその復帰を後押ししたようだが、目が曇っているのではないか。このランゴーニュさえ健在であれば、時代遅れの古狸どもは最早不要。自身が派閥の頂点に立ったこともある。奴にも早晩ご退場願おう。


「で、相談というのはそれだけかな? ならば、そろそろ控えの間に顔を出さねば、訝られる頃合いだ」


「ええ、ええ。問題ありませんとも。僕の領民に関する不安はこれで解消ですね!」


「そうですとも。早速次回の会合で、この案を通す為に宮廷へ働きかけるように諮りましょう」


 金魚の糞二つを尻に引っ付けながら、ランゴーニュは先に立って歩く。

 上機嫌で普段よりやや大股に歩く彼には、その背後の光景は見えなかった。


「はあ……中央集権派って、大変なんですね……」


「ははは。ラヴァレ侯がご健在であった頃よりかはやり易いですよ。……時折、大変であった筈の昔が懐かしくなりますが」


「にしても、ヴィクトルも面倒な指示を出すなあ。わざわざ、この人に自分から考え付かせるよう仕向けろ、だなんて」


「相手を立てることは大事ですぞ、オーブニル伯? 特にこの方のような、誇り高く気の細やかなお人と対する時には、です」


「シャンベリ伯……ご協力、ありがとうございます。どうやら僕は、貴方の事を誤解していたようです」


「私など噂通りの欲深な小心者ですよ。ただ、そうであるなりの世渡りを心得ているだけでして」


 後ろの二人が、そんな風に囁き交わし、意気投合している姿など。







 ブローセンヌ王宮、玉座の間。

 入口から金糸で刺繍された赤絨毯が、広大な広間を縦断し、最奥の至尊の座まで煌びやかな回廊を形作っていた。その両脇に列を作るは、アルクェール王国の中枢と呼ぶべき、文武百官の貴族たち。彼らは一様に踵を揃え、王と公、或いは王の勅許を得た者のみが踏むことを許される絨毯へ、迂闊に靴先を乗せはしないよう整然と立ち並んでいる。

 入り口側の壁際には楽隊が列を組み、穏やかな曲調の演奏を繰り返していた。彼らの奏楽が万雷の如く掻き鳴らされるのは、当然ながら国王の入来に合わせてのこととなっている。楽師たちはその瞬間を待ちながら、今日何度目かのリピートに差し掛かるのだった。

 やがて一人の男が、入口より赤絨毯の上を歩んで入場した。国王ではない。畏くもこの王国の頂点に立つ人物が、共も連れずに現れる筈は無いのである。

 彼の名はロシュブール公爵。王国宰相の地位に昇り、本来王家の血を引く者のみに与えられる公の爵位を、一代に限り名乗ることを許された人物。だが、国政の枢要とも言うべき彼に対して、尊敬や畏怖の感情を顔に浮かべる者は、この場にはいない。この人物に人臣の頂点の座が与えられたのは、昨今に逝去した先代ラヴァレ侯爵の手回し故のこと。当代の宰相は今は亡き老侯の傀儡であったという実態は、王宮に上るような貴族にとって周知の事実である。

 ロシュブール公は諸侯の冷ややかな視線の中を、傲然と胸を張りながら歩いていた。だが、その内心たるやどうであろう。彼の最大の庇護者であったラヴァレは既に亡い。なればこそ、己が才腕で宮廷を切り盛りする時が来ているのであるが、今まで老人の手拍子に合わせて踊るだけであった男に、如何ほどのことが出来るか。列席しつつ観察の目を向けているランゴーニュ伯にとっては、実に興味深いことであった。


(ふん、木偶が……早々に私へ泣きつけば良いものを)


 ラヴァレ亡き後、中央集権派の首座を占めているのは、ランゴーニュだ。一時はラヴァレの返り咲きで後塵を拝したが、彼の推していたトゥリウスがヴォルダン戦役で功を上げた以上、その先見を以って派閥を継承するのは当然のこと。であれば、宰相の椅子にしがみつく為にも、ランゴーニュの後押しは必須である。

 それが今日まで音沙汰無しということは、いよいよ集権派の付けた糸を切って自分で踊り出すか。はたまた、新たに糸を付けた操り主が存在するか。いずれにせよ、ランゴーニュにとってこの宰相は不要であるということだ。


(古い血は早々に入れ替えねばならんからな)


 頭の中で自分に都合の良い宰相候補をリストアップ――当然、その筆頭は自分自身だ――しながら、宰相が歩を進めるのを見つめる。やがてロシュブールは玉座への階の脇に退き、典礼官から羊皮紙を恭しく受け取る。

 そして深く息を吸い込み、声を張った。


「神の恩寵による大地と芸術の国アルクェールの統治者、法と秩序による裁定者、諸侯の傅くべき権利と権威の擁護者、信仰と教義と教会の守護者であるシャルルVIII世陛下、ご入来っ!」


 同時、国王の威儀を強調するかのごとく激しさを増す奏楽。その音量に負けじと広間に轟くロシュブールの声。

 よくもまあ、あんなに長い口上を大声で、しかもとちらずに読み上げられるものだ。思わず感心してしまう。恐らくはこの芸を買われて宰相をやっているに違いない。

 そんな盛大な音の洪水に迎えられ、いや、溺れさせられるようにして、宮内大臣に支えられながら入口を潜る国王シャルルVIII世の姿が見えた。

 入来する国王へ向けて、入口の傍から順に列席者が跪く。その頭上に、同じく跪いた儀仗兵が手にしたグレイブの穂先を掲げた。御前で無礼や叛意を見せた者はすぐさま誅される、という意思を示す為の儀礼だ。しかし、槍の柄が鳴らす音が響く度に怯え慄くのは、拝跪する貴族たちではなく、兵に守られている筈の王であった。今上陛下の臆病と被害妄想の気は、今もって健在であるらしい。

 ランゴーニュは自分が跪く順番が来る前に、チラリと入り口側の列に視線を送る。トゥリウスは代替わりしたばかりの若輩であり、加えてオーブニル家の家格は他の伯爵家より低めであった。当然、この式典にあっては末席に近い位置を宛がわれている。

 あの男、何やら余計なことを仕出かしたり、するべきことをしなかったりはしないだろうか。ランゴーニュにはそれが心配だった。国王臨御の晴れの舞台だ。そんなところでアレが失態を見せれば、回り回って自分にも類が及ぶ。一応、控えの間では噛んで含めるように作法を教えたが、急場のことだ。オマケに頭の出来は良いとは思えない。心配で無事が買えるなら、幾らでも心配したかった。

 祈念が通じたのか、トゥリウスは危なげ無く式次第を守り跪いていた。諸卿に動揺や嘲笑が見られていないから、他にも妙なことを仕出かしてはいないだろう。ひとまず、胸を撫で下ろす。

 やがて、ランゴーニュを含めた全ての列席者が跪いた頃、シャルルVIII世は鈍臭い動きで玉座への階を上っていく。重々しくと言うには雲のように軽く、軽々と言うには沈むような歩調。鈍臭いと評するしか無い足取りだった。


(相も変わらず、忠心をそそらぬ国王であることよ)


 冷笑的な評価を下されていると知ってか知らずか、大儀そうにどっかりと玉座へ腰を下ろす国王。

 宰相も(きざはし)の半ばにある踊り場に上り、脇に退いて赤絨毯の外に立つ。そして式次第の記された羊皮紙を伸ばしながら、例の大声を張り上げる。


「これより、先に講和の成ったヴォルダン戦役の勝利を嘉して、陛下の玉音が下され賜うっ! 諸卿は神妙に耳にするが良いっ!」


 そんな前置きを経て、いよいよ戦勝式と論功行賞が始まった。

 式の進行は概ね以下の通りだ。

 まず儀仗兵が一斉に突き出していた槍を退け、起立して一歩を下がる。同時に列席者は一斉に起立。この際の立ち位置は、絨毯から二歩ほど離れた位置が望ましい。

 そして国王のもごもごとした祝辞が述べられるのを聞くと、いよいよ本番である。

 貴族たちの賞罰の決定される、論功行賞の始まりだ。

 宰相が列席者の名前を呼ぶ。


「王国辺境伯、レオナール・クリストフ・ドルドランっ!」


「ははっ!」


 名を呼ばれたら、速やかに返事をして一歩前へ出る。一歩だけだ。絨毯の上に足を乗せることは、国王の許しがあるまでは許可されない。


「ち、ち……近うよれっ!」


 このお声掛かりがあって初めて、赤い毛足に靴を沈めることが出来るのである。

 が、ここに一つ例外のケースがある。宰相に名前を呼ばれても、国王から声を掛けられなかった場合。これはその者が何らかの失態を犯し、罰されるという運びだ。罪ある者に、玉座へと通じる道を踏む資格無し。そのような意味なのだ。

 そう聞くと、このように思われるかもしれない。この式典は、僅か二週間足らずで決着したヴォルダン戦役の論功行賞。であるなら、列席者の中に罰を受けるような真似を仕出かした者は、いないのではないだろうか、と。

 だが、ここは今、国王の権威によって賞罰が決定づけられる裁定の場でもある。であれば、それを利して都合よろしからぬ貴族を排除することも無くは無い。戦争となれば一瞥では把握し切れぬほどの金や物資、人間が動く。そこにかこつけて怠慢の非を鳴らしたり、または横領や横流しの罪ありと断じ、所領を削ったり完全に召し上げたりするのだ。また、そうでもしなければ恩賞が足らなくなる。

 話を戻そう。今回は名前を呼ばれたのがドルドラン辺境伯である。この戦争にあっては助言者として初陣の総指揮官を助け、時には自ら采配を揮い、ザンクトガレン軍撃退に大功を得たという。文句無しの殊勲者であろう。当然、王に召し寄せられ玉座へと近づく権利を得る。

 そうして一礼して階の前へ進み出で、再び跪く。


「此度の合戦においては、貴殿の知勇と奮闘が功を奏し、その働きが勝利へと貢献するところ大であると、畏くも陛下がお認めであらせられる。よってこれを賞し――」


 云々かんぬんと、再び宰相の言葉が流れる。

 この後に国王が、


「何か望みの筋はあるか?」


 と下問する。

 これに対して、素直にあれが欲しいこれが欲しいだのと言ってはいけない。こういった場で下される褒美というものは、往々にして式次第を組む段階で取り決められているものなのだ。不意に予想外の望みを告げられては、進行が滞る恐れがある。

 故に、


「いいえ、ございませぬ。全て陛下の御心のままに」


 問われた臣下は、このように断りを入れることが作法となっていた。まずは臣が無欲と忠心を示すことで王の満足と歓心を買うという形を取る。それを済ませた上で、国王はその心意気にお褒めの言葉を与えながら、あらかじめ決められた褒美を下し、受け取らせ、下がらせるのだ。

 これが一連の流れである。

 式典は(つつが)無く進んだ。多くの貴族が名を呼ばれ、近くに召し寄せられて褒美を受け取り、或いは玉座から遠ざけられたまま叱責され罰を受ける。ランゴーニュは勿論前者である。王都を発った軍列に加わり、到着前に戦闘の終息を聞かされただけだが、従軍したことは事実だ。軍に戦力を供出し忠義を尽くしているのだから、国王はその行動に対し、賞与を以って報いる義務がある。御恩無くしては奉公もまた無し。封建制度の鉄則中の鉄則だ。

 そしてまた、ある人物の名が呼ばれる。


「王国近衛騎士、エリシャ・ロズモンド・バルバストルっ!」


「ははっ!」


 耳が男たちの声に慣れていた頃に響いた若い女のそれに、ランゴーニュの眉が微かに顰められる。

 名を呼ばれたのは、近衛第二騎士団団長という肩書を持つ小娘。気に入らない相手である。出身は政敵である地方分権派のバルバストル侯爵家。大小の騒動を起こしながら、女だてらに騎士となり別家を立て、実家の(くびき)から逃げ出したじゃじゃ馬だ。あのオーブニルと同じく、貴族社会の秩序や序列を乱す愚者の一人だった。

 戦争では、戦闘中に乱入して来た魔物と戦っただの、その魔物がなんとヴァンパイアだっただのと、聞くだに眉唾物の戦果を上げたと吹聴しているらしい。公式にも認められているらしく、王が御前に寄らせ、宰相もその功を読み上げているが、実際はどうだか。大方、近衛の箔付けの為に大分盛ったのだろう、というのがランゴーニュの考えだった。


「な、何か望みの筋は、あ、あるか?」


「ありませぬ。陛下の御心のままに」


 そう言って厳かに目を伏せ、聖断を受け入れる姿勢を示す。そうして大人しくしている時だけは、高雅な血筋に相応しい貴婦人ぶりであった。


「で、では、余から褒美を、と、と、取らす」


 シャルルVIII世の言葉に応じ、典礼官がしずしずと歩み出でて、新たな羊皮紙を宰相に渡す。


「さ、宰相! 余に、か、代わってっ! わ、我が意を読み上げることを、さ……さし許すっ!」


「ははっ。畏まりながら承りましてございます」


 ロシュブール公が玉座に一礼してから、跪き続けるエリシャの元へ歩いていく。

 居並ぶ諸侯がどよめきを漏らした。こう言う場では、褒美の内容については目録を読み聞かせるだけで済ますのがアルクェールの作法だ。何かを渡す際には、後ほど勅使を遣わしてそれから受け取るのである。宰相が何をかしようと近づくなど、余程の栄典が与えられる場合のみだ。

 流石のエリシャも怪訝に思ったようで、本来伏せているべき顔を上げてしまっていた。


「バルバストル卿、これより畏くも陛下の御意を拝読し奉る。故に、そのつもりで姿勢を正し、聞くが良い」


「はっ……これは失礼をば」


 そうして再び顔を伏せたエリシャに、ロシュブールは読み聞かせた。


「国王シャルルVIII世陛下は、貴公の今次戦役における勇戦、ならびに王国のみならず全人類の脅威にして教会に対する冒涜的背教者たる怪物・ヴァンパイアの討伐、これらの業績にいたく感じ入られたとの由。よって、王国騎士エリシャ・ロズモンド・バルバストルを……聖王教会へと推薦し聖騎士に親任されるっ!」


 無形の衝撃が玉座の間を駆け巡った。

 聖騎士。聖王教の教徒と教義とを守護する、騎士の中の騎士。これに任じられるは騎士として最大の名誉とされている。それを弱冠二十四歳の女が任命されるなど、未曾有の椿事であろう。見れば、列席者の大半は隣り合った者と視線を交わし、何事か囁き合っている。信じられたことではなかった。

 だが、と同時に思う。何しろ騎士として最高峰の評価の証しだ。これならば宰相が対面の形で賞与を施してもおかしくはない。


「これなるは任命の書状にして、聖騎士としての修業を受ける為のオムニアへの渡航許可証である。謹んで受けよ」


「……ははっ! 誠に望外の栄誉を賜り、身が引き締まる思いですっ!」


 エリシャは片膝を突いたまま両掌を頭上へと差し伸べ、恭しく書状を受け取った。

 ランゴーニュは面白くなかった。如何に集権派と繋がりが深い近衛騎士とはいえ、あの女は元はと言えば分権派貴族の娘だ。オマケに彼女の第二騎士団は、実力主義を良いことに、粗野で品位に欠ける騎士とも言えぬ騎士たちが集まっていると聞く。そんな連中の頭領が聖騎士など、世も末だ。

 ……だが、本当に世も末だと思わされる出来事は、この後に控えていた。


「王国伯爵、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルっ!」


「はい」


 式典の最終盤、トリを飾るタイミングで、よりにもよってこの男の名が呼ばれてしまった。論功行賞において、最後に賞与を受ける者は、その戦いの最大殊勲者であると相場が決まっている。であれば、癪なことではあるがこの男以外には務まらない。

 何しろ数において劣勢でありながら、ザンクトガレン軍四万を打ち破った総指揮官なのだから。如何に気に入らないとはいえ、これに報いねば悪しき前例が残る。


「ち、近う寄れ……」


「ははっ」


 トゥリウスの足先が、栄誉ある赤絨毯に乗せられる。まるで黄金に汚物をなすり付けられたような気分であった。あの男が赤い床を踏み締めるのであれば、殺された奴隷の流した血溜まりの方が余程に似つかわしいだろう。

 それにしても、緊張無く緩やかに歩を進める姿と言い、スッと淀み無く跪いた動きと言い、自然な所作なのにどうにも気に障る。一見すると問題は無いのに、何処か違和感を覚え、喉に小骨が刺さったような不快な気分にさせられるのだ。

 ランゴーニュはその理由を少し考えて、やがて気付いた。


(緊張感が無さ過ぎる)


 王宮を案内していた際に感じた、トゥリウスの異質なまでの王室への無関心さ。それを思い出したのだ。

 普通であれば、王とはこの国で最大の権威。如何にその情けない実態を知悉しているランゴーニュとて、実際に御前へ進み出れば多少の緊張は生まれる。幼時より叩き込まれた教育が、目の前で玉座に凭れた老人を、侵すべからざる存在として意識させるのだ。

 トゥリウスにはそれが無い。呼ばれたから前に出て、そうしろと言われているから決まった所作を取っている。そんな感じであった。


(オーブニル伯……君には王と相対しているという自覚が、無いのではないかね?)


 あの男は王も宰相も畏れてはいない。シャルルVIII世やロシュブール公を侮っている、ということとは違う。王も貴族も、平民や奴隷と同じように見ているように感じた。この身分社会を支配するシステム自体に、何ら関心を払っていないように思える。そんな人間が玉座に向かって頭を垂れる姿は、趣味の悪い道化芝居にしか見えなかった。

 早く終わってくれ、と思う。トゥリウス・オーブニル自体、地方分権派を片付けたら手早く処分すべき道具なのだ。それが身の程も知らずにのさばる様など、見ていたいものではない。

 そうこうしている間にも、式は進行していく。ロシュブール公がトゥリウスの戦功を読み上げ、儀礼的な口調で褒めそやし、最後に国王からの言葉を賜るよう促す。後はこれを定型文でやりとりし、流れるように褒美の目録を読み上げられて仕舞いだ。


「何か……の、望みの筋はあるか?」


 この式典中、何度も繰り返された王からの下問。

 トゥリウスがこれへ皆と同じように答えれば、陛下の御意のままにと言えば、式典の終わりはすぐそこだ。

 だというのに、


「はい。是非とも陛下にお願いしたいことがあります」


 この男は、唐突に流れをぶち壊すようなことを言ってのけた。


「……何、だと?」


 シャルルVIII世の感情の色が抜け落ちたような声が、玉座の間に谺する。思わず漏れた呟きのような声だった。さして大きくもないのにそれが列席者にも聞こえたということは、つまりそれだけ広間が静まり返っているということ。

 列席者は一様に、目を丸くして玉座の方に視線を釘づけにされていた。

 トゥリウスがしたことは、とんでもないことである。形の上でこそ国王から願いを聞かれているが、ここは「願いは無い。国王の与えたいという物を受け取る」という、奥ゆかしい意思表示をしなければならない場面。たとえ内心で何と思っていようと、である。それがこの国の儀礼であり、伝統だ。

 そこを()げて願いの筋を申し上げるとは、古今に類を見ない横紙破り。

 この行為の悪質な点は、形の上では問答が成立しているという点にある。臣下の殊勲を褒めそやし褒賞を下す場で、王が願いを聞き、問われた臣がそれを述べる。この形が出来上がった以上、王はその願いを叶えられなかったらどうなるか?

 国王の権威は大いに傷つく。主君でありながら配下の忠誠に応えられない、よって身命を賭した忠誠に値などしない……そういう扱いを受けるのだ。

 この形ばかりの問答が式典の儀礼に組み込まれているのは、このような事態を防ぐという目的もある。褒美の内容を前もって決めておいて、臣下は褒美の内容を王に任すという意思を示し、王は用意されていた物を下げ渡す。これなら権威に傷が付く可能性は極小なのだから。

 これを無視したということは……つまりトゥリウスは、国王の権威などどうなろうと知ったことではない、と。当の国王に対して憚り無く、満座の貴族たちの目の前で、そう宣言したに等しいのだ。


(ばっ、馬鹿者ォ!? この問答については、何度も答え方を教えただろうっ!? 断りを入れて、陛下にお任せしますと言うだけで良いんだっ! 何故そんなことも出来ぬのだ、君はァ!?)


 ランゴーニュは、口元を押さえて喉まで上ってきた怒声を飲み込む。危うく式典の場で大声を上げるという失態を犯すところだった。それ程の衝撃を受けていた。

 何故なら、今目の前でやらかした男に式典の作法を指導したのはランゴーニュなのだ。敷衍(ふえん)すれば、トゥリウスが非常識な振る舞いをすると、彼に教えたランゴーニュもまた非常識であるということになる。

 実際、幾人かの参列者が、こちらに向けて非難するような視線を寄越している。控えの間でアレに式典の儀礼を教える姿を見ていた者たちだろう。お前は一体何を教えていたんだと、その目が冷たく指弾していた。

 針の筵に座らされるような時間がしばらく経った後、国王シャルルVIII世がむっつりとした表情で口を開く。


「……よかろう。の、望みを、言え」


 ざわっと、玉座の間にどよめきが走った。その動揺の程たるや、トゥリウスがとんでもないことを口走った時より深かったであろう。

 何故なら彼らの知るシャルルVIII世王は、定形化した儀礼をこなすのが精一杯の愚王なのだから。昨年など、王都大火の非常時に、「知らぬ」の一点張りで対処を投げ出すような暗愚だ。それがこの横紙破りに対して、激昂も動揺も表に出さずに対処するなど、到底信じられない。

 見よ、事の元凶であるトゥリウスとて、思わぬ返事に目を丸くしているではないか。


「……えっ?」


「な、何だ? 願いが、あ、あるのだろう? ど、どうしたのだ?」


「は、はあ……無礼を承知で申し上げたので、お怒りを買うのではと身構えておりまして」


 その言葉に、こめかみへ青筋を立てるランゴーニュ。


(ぶ、無礼を承知だとォ!?)


 つまりは、やるなと言われていたことを十分に理解した上でやったというのだ。こんなに人を馬鹿にした話は無い。


「余を、ま、待たせる方が無礼であろうっ!? よ、よ、余は国王だっ! 王の、と、問いだっ! は、早う答えよっ! それとも、願いがあるという言は、い、偽りか!?」


 やはりシャルルVIII世はシャルルVIII世だった。長い儀式に焦れているのか、それとも先の対応で今日の忍耐を使い果たしたのか、忽ちの内に癇癪(かんしゃく)を起して喚き出す。

 それを余所に、ロシュブール公がトゥリウスの前に立って促した。


「オーブニル伯。陛下の御意のままに為されよ」


「……では、国王陛下にお願い申し上げます」


 そう言って、トゥリウスは姿勢を変える。今までの片膝を突く拝跪から、両膝を揃えて突いて、身を屈し両掌もまた床へ。

 平伏である。

 そして、国王へ向けて言上した。


「陛下より、ヴォルダンの民にお慈悲を」


「じ、慈悲とな?」


「はい。……我が領はこの度の戦禍に見舞われ、深甚に傷ついております。兵の戦死者だけでも万を数えましょう。それに野蛮なザンクトガレン兵の手に掛かった民を合わせれば、どれだけの命が散らされたことか――」


 一度言葉を切って、顔を上げる。


「――臣の戦功をお認めになられた以上、陛下もそれを存じ上げておりましょう?」


 何とも挑発的な台詞だった。自分の戦果を認め、こうした式典で称揚し褒美まで下す。それなら、この戦争でどれだけの犠牲者が出たか、そちらもちゃんと把握しているんだろう? トゥリウスの言葉は、上っ面こそ丁寧に飾っているが、その実こう言っているも同然だった。見ればシャルルVIII世は、玉座から滑り落ち掛けて、必死に肘掛けを掴んでいる。余程の衝撃を受けたのだろう。仮にもアルクェール王国の王に向かって、こんな言葉を吐くような輩がいるなど、信じられないに違いない。

 見かねたように、ロシュブール公の咳払いが響く。


「陛下の貴重なお時間を貸しておる故、前置きは不要。単刀直入に申せ。……貴殿が陛下より賜りたく思っている慈悲とは、具体的には何であろうか?」


 トゥリウスの答えは、要求された通りに単刀直入であった。


「ヴォルダン州への免税」


「なんと……」


 宰相が唸った。

 途方も無い要求である。国王にヴォルダン州に税を課すなということは、その地を所領とするトゥリウスからも税を取れないということ。つまりこの男は、公然と王国への納税を拒否したのだ。

 そしてこの要求は、国王の名による免税という点が厄介なのである。これで免除される税は、あくまで国に納めるという名目で取っている分。領主へ納める分は手付かずだ。また、そうでなければ領主は収入源を失くして途方に暮れる羽目になるだろう。各種事業の必要経費や家臣への扶持は、税収を元手にした予算から出るのだから。

 要するに、人から税金を取って暮らしながら、自分は国に何も支払わないということだ。


(本性を現しおったか、地方のダニがっ! よりにもよって、ここで……!)


 ランゴーニュも眉を吊り上げた。

 地方に割拠し、私腹を肥やし、それでいて税を払う気も無い。何様のつもりなのだ。争っていたラヴァレがいなくなった途端に集権派へと擦り寄って来た癖に、その方針に逆行しようとは。


「ヴォルダンが被った災いは、万余の戦死者のみではありません。田畑は焼かれ、井戸水は毒に穢され、生き残った者も戦傷に呻吟しております。今も苦しみ続ける彼らに、一片のお慈悲を賜りたく存じます」


「た、民に、慈悲を、か……? それが……お前の望みか?」


「御意にございます、陛下。先程、僭越ながら申し上げました通り、臣の戦功をお認めになられた以上、彼らの犠牲の程も――いえ、彼らヴォルダンの民が見せた、不惜身命の戦いぶりもお知り置き頂いていると存じます。彼らへ報いることが、非才にも彼らに犠牲を強いた臣の、赤心からの望みであります」


 そしてこの小賢しい言辞である。これはあくまで民の為、王が国民に慈悲を施すに過ぎない。善行である。きっと民たちも王に感謝し、涙を流して喜ぶだろう。そして王国への忠誠を新たにする筈だ。だから、是非するべきである……などと、大義名分を用意して。


「オーブニル伯」


 宰相が口を挟む。


「それのみが望みか?」


「はい、それだけが臣の望みです」


「他の恩賞は不要と申すか?」


「引き換えに民への御恩顧を厚くして頂けるのであれば」


「……免税の期限は如何程だ?」


「期限、ですか?」


「左様。ヴォルダン領民が塗炭の苦しみに喘いでいることは存じておる。戦勝という目出度い折だ。税の減免について考えるのも、吝かではない時期である。が、それはいつまでであるのかな? よもや、永久にヴォルダンからは税を取らないで頂きたい、などとは申すまい」


 宰相の言は当然のことだ。王国に納税の義務を負わない地域など、それは最早アルクェール王国の土地ではない。独立した別の国だ。そんなものはたかだか伯爵に与えられる権利ではない。許されるのは公爵くらいだ。であれば当然、この免税には期限が要る。

 さて、その期限の長さはどの程度であろうか。戦勝の恩典としてその年の税の減免を発布するのはよくあることだが、トゥリウスの要求は自身への恩賞と引き換えてまでの免税だ。当然、一年や二年で留めようとは思うまい。大方、十年二十年に渡る期間の免税を勝ち取り、その間存分に財を溜める。それが目的と見て間違いないだろう。

 一体、どれだけの年数を要求するだろうか。ランゴーニュ、いや彼だけでなく他の列席者たちも、穴が空きそうなほどにじっとトゥリウスを見つめる。彼が口にする年限が、そのままあの男の面の皮の厚さである。


(うぅむ……ヴォルダンを復興して、黒字が出せるようになるまでは十年は掛かろう。それに見合った稼ぎを得るとならば、妥当な要求は十五年。欲を掻くなら二十年か。まさか、三十年も税を納めたくないなどとは言うまいな?)


 十五年から二十年。そう考えた彼の予想は裏切られた。

 ただし、真逆の方向へとだが。


「では、今後五年の免税を希望します」


「「ごっ……!?」」


 広間のどこかで、誰かが呻きを漏らす。それも複数同時に。

 ――短過ぎる。

 それが彼らに共通した思いだった。五年では免税の特権を利用して私腹を肥やすどころか、復興の中途で期間が終了してしまう。何しろランゴーニュが試算した、十年という必要期間の更に半分なのだから。


「むむむ……だが、オーブニル伯の手腕なら――」


 そう口の中でもごもごと呟くのはシャンベリ伯だ。この男は以前から、トゥリウスの内政家としての面に興味を抱いていた。子爵時代にヴォルダン州の恥部ともいうべき僻地マルラン郡を、あっという間に再生したという実績を知っているからだ。

 シャンベリの独り言を耳にしたランゴーニュは、これだ、と直感する。


(分かったぞ、狂人めっ! 貴様は自分の手腕なら短い年限でも利益を上げられると、そう考えているのだなっ!? それでいて周囲には、慈悲深さと無欲さをあざとく印象付ける……それが貴様の企みか、見抜いたぞっ!)


 思いながら、その心根の浅ましさに軽蔑を覚える。他人の目を気にしながらも利を貪ろうなどと、何という醜悪さだろうと。まったく、人として、こうはなりたくないものだ。彼はそう思い込んで口元を歪め、息荒く鼻を鳴らした。

 が、


「――うぅむ……しかし、どう考えても見合いませんなあ……」


 再び漏れたシャンベリの独り言が、その予想に否を突きつける。

 幾ら内政民政に長けた剛腕の持ち主だとしても、五年はやはり無理がある。第一、ランゴーニュ自身の予想で、ヴォルダン復興に十年、利を出すまでに更に五年の、合わせて十五年と計算していたのだ。それが五年となれば、期間は利を出すのに必要とされるものの三分の一。これではトゥリウスが通常の領主の三倍の手腕、だとかいう馬鹿臭いまでに有能な超人でなければ利益が上がらないだろう。

 では、何故そんな期間を要求するのだ。

 ロシュブール公もそう思ったのだろう。トゥリウスへの問いを更に続ける。


「些か、短いな」


「臣には民生の手腕に些かの自信がございます。五年でヴォルダンを、元通りの税収を上げられるまでに回復させてみせましょう」


「それでは貴殿に利が無いように思えるが?」


「王国より賜りしオーブニル家父祖伝来の地に、静謐と繁栄を齎すことこそ、臣の利であります。陛下、並びに宰相閣下には、その為のご一助を恩賞として下し賜れますよう、伏してお願い申し上げます」


(何なのだ、この気持ち悪い美辞麗句は?)


 ランゴーニュは聞いていて顔が渋くなっていくのを感じた。トゥリウスの要求は、一字一句とて彼の知るトゥリウスらしくない。それでいて理屈と名分はキッチリと組み立てられている。その違和感がどうにも不快だった。

 民を思い領地を再生する為に免税期間が欲しい? 五年で何とかしてみせる? その為に自分の利益を度外視しても構わない?

 どこの誰だ、この男は。

 そのようなことを心底から言えるような人物が、【奴隷殺し】だの【人喰い蛇】だのと仇名される訳が無い。あの血腥い噂の数々に彩られた怪人の言葉とは思えない。

 必ず何か裏がある。だが、その裏というのが分からなかった。それでも主張が破綻しておらず、また王国にとっても利の無い話でもない以上、


「……陛下」


「う、うむ……」


 王と宰相は、受け入れるのにしくは無いようだった。


「ぎょ、玉音を聞かせて取らすっ! 心して、きっ、聞けっ!」


「ははっ」


「そ、その方の忠心、そして仁義、ま、誠に天晴れなりっ。ゆ、故に、望んだとおりの、ほ、褒美を取らすっ! ……ヴォルダン州は今後五年、王国よりの徴税を免ずるっ! そちは同州再生の為に、え、鋭意奮励せよっ!」


「……ありがたき幸せ。陛下のお慈悲と、ヴォルダンの為に鋭意奮励せよとの御意、しかと賜りました」


「う、うむっ」


 ランゴーニュは目を凝らす。一瞬、トゥリウスが笑ったように見えたのだ。主張が受け入れられたのだから、笑みを浮かべても不思議ではないが、何かが違う。別の含みを感じるのだが、それが分からない。

 その答えを齎したのは、先程にもブツブツ呟いていたシャンベリだ。


「大変なことになりそうですなあ、ランゴーニュ伯」


「何がだね? シャンベリ伯」


「ヴォルダンの為に鋭意奮励せよ、との御意が出ましたぞ?」


「だから何だね? 御意に背かぬよう、オーブニル伯も頑張らねばならぬが、それが――」


「他人事ではありませんぞ。そのオーブニル伯から、領地再生に関して相談事に与っていたではありませんか」


 思わず、あっと声を上げかけた。

 そうなのである。式典が始まる前、王宮を案内するすがら、ランゴーニュはトゥリウスに相談を受けていた。戦災によってヴォルダンの人口が減っていると。これをどうにかしたいのだと。ランゴーニュはそれに対し、こう答えている。地方分権派の領地から徴兵の名目で人を募り、ヴォルダンに送れば良いと。

 無論、この非常識な振る舞いに腹を立てている今は、そんなことに力を貸してやるつもりは無い。自分の無能で民力を損なった罪を、自身の手だけで購えと思っている。

 しかし、そこへこの王の御意だ。

 先程のトゥリウスとシャルルVIII世の会話は、ヴォルダン州への免税処置を恩賞とする故、鋭意奮励せよ、という言葉の意味を、


「それは単なる褒美ではなく、必死に州の復興に励むことを望む、という意味ですね?」


 とトゥリウスが拡大解釈。それで間違ってないかと確認し、言われた王が


「うむ、そうである」


 と承認した。そんな形になってしまった。王にそのつもりは無かっただろうが、誰かがそう言い張れば、それが事実であることを否定出来ないような流れが出来てしまった。他愛も無い筈の会話が、論功行賞の式典と言う場で為される。これにより、ヴォルダン復興は王の望みであるということが、既成事実化されてしまったのだ。後ほど改めて確認しようと、ヴォルダンは王国の一部であり、国王がオーブニル家に預けるという形で与えた土地だ。名目上自分の物である土地が、復興してほしいか否かとなれば、是と答えるに決まっている。後から御意を覆えすことは出来ない。

 これでは幾らランゴーニュ個人がトゥリウスの振る舞いに我慢ならなかろうと、さっきの話は無しだという訳にはいかなくなってしまった。王が彼の地を復興せよと言うのなら、中央集権派としては、ヴォルダン再生の為に動かなければならない。それは大袈裟としても、復興に寄与する策を知りながら黙っていることは具合が悪くなってしまった。少なくとも、ランゴーニュにも自分の案を派閥の仲間に開陳する程度の義務は生じてしまったのだ。

 何しろ中央集権派は、王の統治を援ける為にという名目で、地方を統制する諸政策を推進している派閥なのだから。ここで王命に逆らうような真似をしては、派閥そのものの大義名分が消し飛ぶ。

 それでも黙っていれば、相談を受けたという事実を無かったことに出来ようが、


「しかし、これは大仕事ですなあ。五年で復興となると、オーブニル伯も相当に身銭を吐き出さねば間に合いますまい」


 その時はこのシャンベリ伯が喋り出す。

 欲に釣られて小利を貪る蝙蝠は、ヴォルダン復興に関わる諸事業に興味津々の様子だ。当然、これを喰い物にして己の利を図る為に。そして、喰い物は栄養が行き渡っている方が美味であるのが常識。であれば、自分の財布を使わずにヴォルダンを太らせることの出来る例の策には、乗らない道理が無い。ランゴーニュが言わないならシャンベリ自身が、さも自分の案のように提議し、実現まで持っていくだろう。

 そうやってシャンベリに功績を奪われるのが嫌なら、自分で言い出すしかない。

 腸が煮えくり返るような思いだった。この非常識な振る舞いで、式典への儀礼を教えてやった己の顔を潰し、恥を掻かせた狂人。そんな人間を支援してやらざるを得ないのだ。そして地方分権派を粛清しきるまで、利用せざるを得ないのである。

 切歯扼腕するランゴーニュを余所に、宰相ロシュブール公の声が響く。


「しかし、オーブニル伯。このようなご沙汰はあくまで特例だ。次の機会があれば、その時は常識に則った振る舞いを期待する。……私が何を言っているかは、理解出来るね?」


「ははっ! 差し出がましい望みを述べ、宸襟を騒がせ奉り、誠に申し訳ございません」


「よろしい。では、陛下のお慈悲と御恩徳に感謝をしたまえ」


 本当に、どちらも口で言うことだけは立派な男だ。

 しかし、この人騒がせな祝勝と行賞の式典も、これで終わる。後は国王があの恥知らずを下がらせて、宰相が閉式の辞を述べ、退出する王を見送って終了だ。ランゴーニュは早く帰って休みたかった。ウイスキーでも傾けて酒精で憂鬱を消し飛ばし、そのまま眠ってしまいたかった。気疲れが酷くて、今日ばかりは女の相手もする気になれない。

 ……いや、今晩のみならずしばらくの間、女は控えた方が良いだろう。ラヴァレが死ぬ前に見舞った際、オムニアの尼僧と密会していたことを指弾したのだが、ランゴーニュ自身の艶めいた事情をそれとなく当てこすられている。また、後進(●●)が必要とするだろうことは既に遺書に認めている(●●●●●●●●)、とも。本来、あの老人が倒れた原因は大問題になってしかるべきだが、誰もそれを槍玉にあげないのはこの為だ。下手に火を点けると、自分たちの側にも飛び火しかねないのだから。

 つい思い出してしまった不愉快事にまた胸やけを覚えつつも、早く終われと必死に念じるランゴーニュ。

 だが、


「……ここまでが、貴殿の戦功に報いる褒美である」


「はっ?」


 シャルルVIII世にトゥリウスを下がらせる気配は無く、逆にロシュブール公は何事かを言わんとして彼を引き留めていた。

 会場が再びざわめく。褒美を取らせた相手を下がらせず、更に別の何かを申し渡す。古今の典礼に置いて聞いたことのない処置である。

 まさか、功績への褒美はやったのだから次は無礼への罰を与える番だ、とはいくまい。そうなってほしいのは山々だが、トゥリウスには「ヴォルダン復興の為に鋭意奮励」する義務が課されたばかりだ。それを直後に台無しにしては、それこそ国王の権威は損なわれてしまう。

 であれば、次に行われるのは何か。列席者たちは固唾を呑んで見守っていた。


「続いて、貴殿のその謙虚さを賞して褒美を渡そう」


「その……宰相閣下? 話が読めないんですけれど……?」


 あの厚顔無恥な男も、この成り行きには困惑を隠せないらしい。愛想笑いが引き攣っていた。

 戸惑っているのは、ランゴーニュを始めとする貴族たちも同じである。謙虚さへの褒美、とは何だ。そんな物が臣下に与えられるなど前代未聞だ。

 宰相は構わずに続ける。


「今までの問答は、貴殿の資質を見る為の試し。これより下賜される物を受け取る資格が有るや否や、それを確かめる為にな」


「僕、いえ、臣としては免税の御沙汰を頂けただけで十分なのですが……」


「ところで! ……貴殿は気付いておるかな?」


 トゥリウスの韜晦も聞いているのかいないのか。ロシュブール公はらしくもなく愉快そうに彼の前を横切る。


「我が国とザンクトガレン連邦王国は、貴殿の努力もあってこの度和睦と相成った。講和に際しては彼の国の領土も割譲され、その多くは恩賞として下されたのであるが――ある土地は、まだ誰にも恩賞として与えておらんであろう?」


「それは……陛下の天領とされるのでは? 何分、扱いが難しい土地と見えますので」


「そうともそうとも! 実に困った土地であるなあ、あそこは。それ故、貴族に任せず天領とするのも一計。当初はそう考えておったのだ。だがな……」


 小気味良く囀り続ける宰相の声。

 この男がこうも調子に乗るようなことがあっただろうか?

 ランゴーニュは記憶を辿り……そして思い出す。理解する。


「先日、ある貴族から手紙が届いてな。講和条約で割譲された土地の扱いで悩んでいるのならば、と書面で献策があったのだよ」


 この国の宰相は所詮、黒幕の傀儡。それが調子良く踊っているのであれば、


「そのお方は、こう手紙にしたためていた。……あの若者は智勇に秀で、民を慈しむことを知り、それでいて足ることを知る謙虚な人柄の持ち主だ。あそこはいっそ、彼に任せてみてはどうか? 不安に思うならそれを和らげる為に、儂が一つ予言をして差し上げよう――」


「ちょ、ま、まさか……」


「――彼は恩賞を断り、引き換えに戦災に見舞われた領地への免税を求める筈だ。それが欲心から出たものではない証拠に、その期間は短くなるだろう。おそらくは五年から七年。それだけの期間で自領を立て直せる自負があるのだ。そんな人間ならば、問題は無かろうて……とね?」


 ならば、その背後には操り人形を動かす糸が繋がっているに違いない、と。

 ロシュブール公が満面の笑みを浮かべる。厳かであるべき式典にはまるで相応しくない、楽しげな笑顔。罠に嵌った相手を見下すような、歪んだ笑顔を。


「陛下……どうぞ取り決め通りの褒美を、この者に!」


「わ、分かっておるっ! ……な、汝っ! トゥリウス・シュルーナン・オーブニルよ! か、合戦に際して見せた智勇、領地を差配する為の政への自負、そ、そして今見せた、む、無欲なる忠心と愛民の情を評し――」




「――また今は亡き先代ラヴァレ侯ジョルジュ・アンリの遺言による推挙を至当と認めっ! な、汝が采邑に、え、エルピス=ロアーヌ両州を加増し、その太守となる栄誉をっ、ちょ、ちょちょ、勅により与えるっ!」




 玉座の間は寂として静まり返った。しばしの間、長い口上を終えたシャルルVIII世が空気を求めて喘ぐ音だけが響く。

 エルピス=ロアーヌ。ザンクトガレン連邦王国との係争地。五十年前の戦争で失陥し、そして今次戦役の講和により取り戻した、因縁の土地の名だ。

 それを……トゥリウスに与える? ラヴァレが遺言でそう言った? 二人は対立していた筈なのに? 何故? どうして?

 幾つもの疑問がグルグルと頭を駆け巡る。ランゴーニュだけではない。会場中の貴族は全員同じであろう。

 それを後目に、トゥリウスが硬い声を上げる


「……しかし、三州の太守に伯爵とは、荷が勝ち過ぎましょう」


「む、無論っ! しゃ、爵位も階を、す、進めることとなるっ! 侯爵だっ! きょ、今日より汝がオーブニル家は、侯爵家に列するっ!」


(馬鹿なっ!?)


 王の言葉に、参列した貴族たちは式典の厳粛さも忘れて騒然となった。流石にランゴーニュは堪えたが、周囲の者たちは視線と言葉とを盛んに交わしている。


「オーブニル家が……侯爵に上る?」


「王国史も半分を過ぎてから貴族に列された、新参がか?」


「いや、そもそも――先代は狂して、当代はアレであるぞ……」


 当然ながら、そこに好意的な意見など全く無い。ドルドラン辺境伯を始めとする数少ないトゥリウス派はと言うと、こちらも突然の成り行きに目を白黒させていた。そんな彼らに、どういうことなのかと詰め寄る者たちもいる。

 ランゴーニュとて同じ思いである。


(あの狂人如きが……オーブニル家が……恥晒しの家系が……私を爵位で抜いていくだと?)


 永年宮廷に貢献し、建国以来の忠勤を捧げ続けて来たランゴーニュ家。どうしてそれが伯爵で留め置かれ、たかだか二百年の歴史しかないオーブニル如きが侯爵の地位を占めるのか。

 先々代は身の丈に合わない奢侈に流れ社交界の嘲笑を買い、先代は発狂して修道院に送られ、現当主に至っては目の前の【奴隷殺し】だ。そんな家系が自分より、そして累代の祖先より上に位置づけられるとは。とても許せることではない。先の儀礼無視は腸が煮える程度で済んだが、今度ばかりは目や耳から血を噴いて憤死しそうであった。

 憎悪と嫉妬にランゴーニュが身悶えする中、あの男は未だに白々しい丁々発止に勤しんでいる。


「陛下……臣はこの秋に伯爵位を賜ったばかり。その上、多忙故にお礼を申し上げに参上する前でもあった身です。それを間を置かずに侯爵位とは、些か――」


「勅であるっ! 勅であるっ! 勅であるっ! ……い、異論は許さぬっ。王の勅なのだっ! 貴様は黙って、よ、喜んで受けとれいっ!」


「はい。まったくもって陛下の仰る通りに。……謙虚は美徳であるが、過ぎれば嫌味に聞こえるもの。今後はいよいよもってお言葉には気を付けられよ。……なあ、オーブニル侯?」


「――ははっ。玉音、しかと賜りましてございます。大任に身が引き締まる思いです。……この御恩、終生忘れることはないでしょう」


 玉座に跪くトゥリウスの背中を、ランゴーニュは穴が空きそうなほど憎々しげに見つめた。


 ――裏切ったな。

 ――騙したな。

 ――この私に黙って、裏ではラヴァレと手を組んでいたな。


 彼はこの一連の流れから、固くそう信じ込む。今更のように謙り、断りを入れる姿も、全て予防線か何かにしか見えない。

 ラヴァレの推挙、そして資質を見る為の試しなど、とんだ嘘の皮だ。何故なら、こんな突飛な状況など予測出来る筈が無い。最初から口裏も辻褄も合わせきって、玉座の前で猿芝居を打っていたのだ。中央集権派の首魁、ラヴァレの後継者としての衣鉢を、トゥリウスに継がせる為に。


(やってくれるな、ラヴァレぇ……オーブニルぅ……!!)


 あれ程に中央集権派と対立していたトゥリウスが、自分の打診に応じて友好的な接触を図って来たのは何故だ? 派閥を内から乗っ取る為だ。そしてラヴァレがそれをこうも後押ししたということは、今までの対立劇も擬態に違いない。恐らくはランゴーニュらを一掃して派閥内派閥を平らかにし、一時的にトゥリウスが集権派の首座に就く。そしてしばらく時が経てば、頃合いを見計らってラヴァレの孫にその座を譲るのだ。

 あの老人の死後、ラヴァレ侯爵の地位に就いた孫は、未だに幼弱。それが成長し切るまでの繋ぎとして、トゥリウスを使うのであろう。協力の対価は加増と侯爵位だ。それならば十分過ぎる。万が一トゥリウスが裏切るようであれば、この件が王を謀って恩賞を得たと暴露するよう、孫らに言い残す。トゥリウスは生きているが、ラヴァレは死んでいる。暴露されれば、生きている方だけが一方的に裁かれ損をする仕組み。

 そうして後継者の地位と安堵を買ったのだ。如何にもラヴァレのやりそうな事である。あの爺は死ぬまで陰謀屋だったということだ。そしてトゥリウスはそれに乗り、こうして莫大な加増と身に余る地位を手に入れる。繋ぎを取ったのは、ロルジェ家か。あそこはラヴァレの子飼いであり、同時にトゥリウスの元へ庶子を出仕させてもいる……。

 先程から続く不可解な成り行きは、このような仕組みであると――ランゴーニュ()確信した。


「さ、下がれいっ」


「はっ……」


 踵を返し、列に戻っていくトゥリウス。その姿を、玉座の間に集った全ての人間の視線が追い掛ける。

 困惑、憎悪、嫉妬、侮蔑。

 そこに込められているのはこのような、正の要素を著しく欠く感情ばかり。

 それらを受け止めるトゥリウス・オーブニル新侯爵の表情は、口元を引き結んだ仮面の如き無表情。多くの貴族は、そこに成り上がりらしい厚顔さを見出し、更に軽侮の念を強めた。

 この祝福されざる誕生を以って、式典は幕を閉じた。

 そう。誰からも祝福されずに。

 

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