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074 宴の始末

 

 あの悪夢の夜から五日が経っていた。

 ユルゲン・バウアーは占領した都市の庁舎、その執務室で黙考に耽っていける。それ自体はヴォルダン州への侵攻以来珍しくも無い光景であるが、幾つか趣を異にする部分があった。

 まず第一に、傷だらけとなった彼の身体。

 クラヴィキュールの戦いで、ザンクトガレン軍の後背から現れたヴァンパイア。あの化け物が率いる軍勢の攻撃で重傷を負ったバウアーであるが、奇しくも一命は取り留めている。とはいえ、あれだけの大混乱の最中であった。本来なら治癒の魔法で手当てを行う従軍の神官らは、アンデッドの天敵として優先的に殺されていた。なので、彼の治療に当たったのは神官ではなく魔導師。同じ治癒であっても秘蹟とも言われる神官のそれとは違い、強引に身体の形を無傷のそれに整え直す荒っぽいものだ。お陰で胸の傷こそ塞がったが、傷跡は未だに痛みを訴え続けている。これを治すとしたら、アカデミーの高名な教授とやらの手術が必要となるだろう。

 次に、不思議にもそれだけの傷を負っていながら、バウアーの血色は悪くない。これは軍の栄養状態が改善した為だ。補給が届いた訳でも、新たに略奪に成功したのでもない。軍が半分以下にまで打ち減らされて食い扶持が減り、その分一人頭に割り振られる食糧が増えたからである。この遠征軍を長い間悩ませ続けていた問題は、皮肉にも大敗を経ることで軽減された訳だ。

 そして最後に……彼の表情は、仮面のように深い苦悶のまま固定されている。


「どうすれば良いのだ……」


 唇だけが別の生き物のように――ただし死にかけの――動いて、苦衷を吐き出した。

 現在の軍の総兵力はおおよそで一万六千。これはアルクェール王国がヴォルダンに残す兵力を未だに倍以上も上回っている。素人目には楽観的な考えすら浮かぶだろう。

 なに、こちらも打ち減らされたが、向こうも消耗したのは同じだ。既に相手の戦術は経験済みだから、対策を講じた上でもう一度ぶつかれば良い。そうすれば今度は勝てるだろう……などという風に。

 だが、そういう訳にはいかないのだ。

 軍隊にとって兵数とは、決して額面通りに受け取れないものである。兵隊は無数の個人ではなく、一つ一つが軍を構成する歯車のようなもの。四万人から一万六千人にまで減らされたザンクトガレン軍は、二万四千点もの部品を欠いた、壊れかけの機械に等しい。そんな物が満足に動く筈は無いだろう。

 それなら軍を再編して一万六千人で動けるようにすべきだ、とも思われるだろう。だが、再編という作業は口で言うほど簡単ではない。

 戦死者や重傷者を出し定数を割った部隊には、当然ながら新たな兵が補充される。職場に新人なり出向者なりが新たに入って来るようなもの、と言えば分かりやすいかもしれない。この新規に加わった兵たちが隊で満足に動けるようにするには、何が必要だろうか。前任者――死人や半死人たち――からの引き継ぎ、元からいた隊員や同じ新入り同士の面通しや意思疎通、実際に訓練を行っての動きの確認と連携向上、エトセトラエトセトラ。やらねばならないことは幾らでもある上に、どれ一つとして(ゆるが)せには出来ない。

 一度崩壊した軍を立て直すには、これ程に莫大で煩瑣な作業をこなさねばならないのだ。

 ……敗北で意気消沈している将兵たちを、この上更に酷使してまで。

 無論、これらの作業は急ピッチで実行中である。そうしなければ、もう一度アルクェール王国と戦うどころか、山を越えて本国に逃げ帰ることも出来ない。

 だが、それが済むのは一週間近く後だ。それにしてもこの大陸の驚異的な数字だが、実態はというと練度や士気を度外視して軍隊の格好だけ整えるものである。そんな軍隊のようなもので戦争をするなど正気の沙汰ではない。

 これでも数に劣るヴォルダンの敵軍を掃討することくらいは可能だろう。再編が必要なのはアルクェール側も同じなのだ。それならば、元から練度で上を行くザンクトガレンの方が手早く終わらせられる。そうして再度攻め寄せれば、ヴォルダン西部も制圧出来る可能性はゼロではない。

 しかし、その後に来援するアルクェール王国の本隊にはもう勝ち目が無かった。許容を遥かに超える損害を受けた現状では、幾ら食糧が行き渡るようになったと言えど、頭数が少な過ぎる。それに時間も無い。クラヴィキュールの戦いで西部侵攻が頓挫し、敗戦から軍を立て直すのに時を掛ける羽目となった。スケジュールが大幅にずれ込んでいる。これでは下手をすると、再度侵攻の際に敵援軍が来るという事態もあり得た。よしんば来援前に西を落としたとて、今度は兵を休ませる暇が無い。冬までの逃げ切りを狙う籠城戦と言えど、寡兵の上に疲弊していては勝利など覚束ないのだ。

 つまり勝ち目無し。ザンクトガレン連邦王国の戦略方針は、開戦から一カ月を経ずして完全に崩壊していた。


「どうすれば良いのだ……」


 同じ呟きがまた漏れた。

 どうすればも何も、事ここに至ってはやるべきことなど決まっている。早く再編を済ませ、山脈を越えて撤兵するより外無い。もう勝てないのなら、逃げるしかないだろう。これ以上の戦いは無為に兵を損なうだけの無名の帥だ。そんなものは所詮バウアー個人の意地でしかない。それは本人にも十分に分かっていた。

 だが、問題はその意地なのだ。

 ここで大敗北を喫したまま撤退したらどうなる? ヴォルダン一州も陥せず、二万四千から成る兵士を失って、おめおめと逃げ帰る。そんなことをしたら、ユルゲン・バウアーとバハリア王国は連邦の笑い者だ。自分は良い。だが、故郷は大王家や他領邦から指弾され、平民出身で後ろ盾に乏しいバウアーの家族はどんな目に遭わされるか分からない。

 それを避ける為には、意地でも華やかな戦果を挙げる必要があった。一度で良い。自分と全軍の将兵の命を擲っても構わない。戦争全体が敗北に終ろうと、何とか面目の立つ戦果が必要だった。流石はバハリア、ザンクトガレン領邦の精華よ。全土からそんな称賛を寄せられるだけの戦いを見せることだ。

 もっとも、そのような武功など狙って挙げられるものでは無かった。完全に充足した軍隊ですら困難なことなのだ。継ぎ接ぎだらけの敗残兵どもでやるとなると、これは至難を超えて不可能に近い。出来ると無邪気に思い込めるほど、彼も夢見がちではなかった。

 かと言って今更逃げても……いやいや無謀な作戦に兵たちを付き合わせるよりかは……。

 思考は堂々巡りとなり、答えが出せない。だからこそ、どうすれば良いのだ、などと唸る羽目になっている。しかし、いつまでも悩み続ける訳にはいかない。兵の再編が終われば行動するしかないのだ。

 進むか退くか。保留や停滞はあり得ない。そんなことをして時間を空費すれば、敵本隊が援軍に駆け付けてしまう。

 どちらも選べない二者択一を前に、バウアーは苦悩し続けていた。

 が、その時間も今日で終わりを告げる。


「た、大変ですっ! バウアー将軍っ!」


 部下の一人が、血相を変えて部屋に飛び込んで来た。

 バウアーはすっかり皺が寄ってしまった眉間を、更に険しくする。軍の枢要である総司令官、その居室を訪れる態度とは思えない騒々しさである。


「慌ただしいな……それに衛兵の取り次ぎはどうし――」


「それどころではありませんっ! あ、あ、アルクェール軍が……アルクェール軍がっ!」


 すっかり気が動転し切っているらしく、バウアーの叱責を遮ってまでの報告も要領を得ない。ただ、眉を撓め顔色を青褪めさせていることから、その内容が吉報などではないことは確かだ。


「――アルクェール軍が、どうした?」


 聞き返してやると、部下は呼吸を二、三回繰り返してから、ようやく意味の通る言葉を吐く。

 もっとも、手遅れであった感が否めないが。


「アルクェール軍の襲撃です! この町へと、攻撃を加えておりますっ!」


「な、に……?」


 信じられなかった。現在州内に存在するアルクェール王国の兵力は、多く見積もっても六千人に達するかどうかだ。こちらは人数で倍以上差を着けている上、拠点に籠っている。この町は小なりとはいえ城市、かつ兵力差でも上回っているのだ。どうしてここで攻めて来る?

 それより、アルクェール側も兵の再編は必要な筈だ。一万数千からの兵を三分の二近く失っているのである。オマケに敵兵の主力は徴用したばかりの農民。碌な練度も無い新兵どもがあれだけの過酷な会戦を経て間も無く、ヴォルダン東部まで行軍して城攻めなど不可能である。

 なら、攻めて来ている敵軍は、


「来援した本隊、か? いや、しかし……」


 それも違う気がする。王都に兵を集め、編成し、それからヴォルダン州へ向けて進発するのであれば、早くとも来週までは掛かる計算だ。到底、今この時に主要街道を外れた東ヴォルダンへ、到達するなどあり得ない。

 加えて言うと、そんなに援軍が近くにいるのであれば、敵領主がクラヴィキュール盆地に出陣する理由が無くなる。わざわざ打って出ずとも、州都に籠城しつつ味方本隊と連携し、内外からザンクトガレン軍を挟み撃ちにすれば良い。その方が堅実だ。

 この可能性も無い。では、どこからここを攻める兵を出したのだ?


「……考えている暇は無いか。迎撃の指揮は――」


「駄目ですっ! 敵軍は既に城市内部へと侵入! 我が方は奇襲を受け、指揮系統が寸断されております!」


 絶望的な報告は、まだまだ続いた。

 何だ、それは。クラヴィキュールでの敗戦から僅か五日。幾ら疲弊し打ちひしがれていようと、自分たちはザンクトガレン軍だ。警戒網も布かれている筈である。敵の行軍、ましてや市内への侵入など、そう易々と見落とさないだろう。

 その筈なのに、どうして。


「どういうことだ!? 見張りは何を――」


「そのようなことを詮議している場合ではありません! 将軍閣下、ここは脱出を!」


「――う、うむ……」


 部下に叱責され、自失から立ち直る。確かにああだこうだと言っていても始まらない。まずは敵襲撃の渦中から脱け出し、態勢を整えなくては。

 未だ残る戦傷の痛みに苦吟しつつ、部下の手を借りて退室するバウアー。


「なっ!?」


 だが、彼らは部屋から出た途端に立ち止まることを余儀無くされた。廊下に立ち込めるムッとするような血の臭い。散らばった臓腑が放つ悪臭。床を壁を天井を染める、赤、赤、赤。既に敵が切り込んでいたのだ。

 そして凄惨な光景の中には、当然の如くそれを齎した者の姿があった。


「敵の司令官と推定される人物を確認。確保に移ります」


 全身をフルプレートで覆い、大剣を構える戦士らしき存在。平坦な声色は、僅かに露出した顔を見ていても、それがゴーレムか何かではないかと錯覚させられるほどに機械的で、非人間的だ。そして動きの程は機械以上に精密で迅速だった。


「お逃げください、閣――」


 バウアーを突き飛ばした部下が、そのまま真っ二つに両断され、廊下に転がる無数の前衛芸術へ仲間入りを果たす。一人残され、敵との対峙を余儀無くされた将軍は、負傷で力の入らない身体に鞭打ち、腰からサーベルを抜き放った。


「……ザンクトガレンの、いや、バハリアの将を舐めるなっ!」


 彼とて頭脳だけで森と精兵の国ザンクトガレンの将軍に成り上がった訳ではない。剣の腕の方も、並の兵卒などでは及びも付かない程に練達のものなのだ。放たれた一突きは、吸い込まれるように敵の鎧の継ぎ目、脇下の関節部を貫き、その先の心の臓まで至る。

 手応え、あり。部下の仇である敵兵らしき存在は、ごぽりと音を立てて口から血泡を噴くと、そのまま床に倒れ込んで即死した。ユルゲン・バウアーの剣腕に、未だ衰え無し。だが、そう何度も出来ることではない。今の一閃だけで先日負った傷口が開き、じくじくと血が滲み出すのを感じる。


「ぐ、ぬっ……! は、早く脱出し、軍と合流せねば」


 ボロボロの身体と混乱する精神に喝を入れて、這うように進む。途中、敵兵に斬り殺された友軍の血溜まりに出くわすが、濡れるのも構わず突っ切った。早く、早く味方と合流しなければならない。死んだ部下の報告によると敵襲で指揮系統は寸断されているという。この混乱を収拾せねば、再編中の軍など一溜まりも無い。今こそ己の正念場だと、自身と味方の血に濡れながら這いつくばって動く。

 そんな彼の前に現れたのは、


「敵の司令官と推定される人物を確認。確保に移ります」


「注意。S-51と思われる死体を確認。対象の脅威度を上方修正します」


「提言を了解。最優先事項を対象の確保から無力化へと修正します」


 たった今屠った筈の敵が三体。いや違う。屠った敵と同じ格好、同じような言動をする新手が三人現れたのだ。


(なん……何なのだ、こやつらは!?)


 同じ鎧。同じ兜。同じ剣。同じ平坦な口調。何から何まで先の兵らしき存在と似通っている。まるで三つ子、いや最初の一人と合わせれば四つ子か。だが、よくよく見れば背丈や顔立ち、声などはまるで別人。だというのに上っ面を覆う格好と、何よりその言動は、目眩を催すほどにそっくりである。血潮に染まった風景と相まって、悪夢の中に迷い込んだような気分だった。

 悪夢の住人は、現実の質量を備えてバウアーへとにじり寄る。


「何者なんだ、貴様ら……」


 誰何の声に、やはり機械的な音声が答える。


「我々はアルクェール軍です。貴官の身柄を確保します」


「抵抗は無意味ということを理解して下さい」


「どころか、鎮圧の為に不要なダメージを貴官の心身、及び生命に与えるリスクがあります」


 言って、油断無く大剣を構える三体の敵。退路は無い。抵抗する力も最早無い。不屈の意志で山さえ超えてきた将軍は、自身を支える柱が折れる音を聞いた気がした。

 最後に、負け惜しみじみた呟きを漏らす。


「こん、な……こんな馬鹿げた戦争が、あって堪るか……!」


 そうして彼は、糸が切れた人形のように床に突っ伏す。遠のく意識の中で、鎧の擦れる音を聞き、自分を戒める手の感触を覚えていた。




  ※ ※ ※




「第四小隊より報告。市街北東部の制圧、完了したとのことです」


「第五、第六小隊からも同様の連絡が入っています」


「北部エリアの制圧は八十七パーセント完了。残敵の掃討に移行しますか?」


 ヴォルダン東部に進出したアルクェール軍の本陣。前回、クラヴィキュール盆地での戦闘の時を再現するように、陣幕の中では目まぐるしく通信と報告が飛び交っていた。

 ただし前回と違う点は、膨大量の通信を管制するのがユニ一人ではなく、複数の奴隷たちに変わっているということである。

 その奴隷たちの一人に指示を乞われ、ドルドラン辺境伯は少し考えてから口を開く。


「いや、市内北側を押さえた隊には、残敵掃討よりも他方面の味方の支援に回す。後背や側面より攻撃を加えるだけで良い。それだけで疲弊しておる敵は崩れるだろう」


「畏まりました。そのように通達します。……M-27より北部エリアを担当する全体に通達。繰り返します、M-27より――」


 無機的な伝達を横目にしながら、彼は深々と溜息を吐く。

 総司令官であるトゥリウスに相談役として随行したものの、前回の終盤といい今回といい、実質的な指揮権を無造作に預けられている。確かに軍務経験で言えば、ドルドランの方に一日どころではない長があった。だがこの戦争の最大の当事者は、他ならぬヴォルダン領主トゥリウスなのである。それを政治面での盟友――実質は下僕――とはいえ、他家の者に譲りっ放しというのも聞こえが悪い。

 クラヴィキュールの時は緊急事態――を装う必要があった――とはいえ、流石に今回はトゥリウス自身が指揮を取るべきではないか。一切ならずそう言ったのだが、


「いや、まあ、餅は餅屋とも言いますし。ここは専門家である辺境伯閣下にお任せしますよ。貴方も家中のことを思えば、ここで点数を稼いでおくのも悪くないんじゃないですか?」


 などと言い抜けられてしまった。

 マスケットのような新兵器、形振り構わずとはいえ兵站の破壊に着目した戦略、土塁を利用した塹壕戦とかいう戦術……これだけのことを仕出かすような男が専門家でなくて何なのだ、とも思う。

 が、実際に作戦を詰める為に討議すると、初歩的な知識に思い違いや食い違いがあったりもした。この奇妙な偏りに対してトゥリウスは、自分は物を作る者であり物を使って戦う者ではない、と説明している。

 物は言いようだな、と再び溜息。


「おやおや。どういたしました、ドルドラン辺境伯閣下?」


 物憂げな様子を訝ってか、一人の貴族が話し掛けてくる。

 ドルドランは、取り繕うように苦笑を浮かべて言った。


「いや、何。戦争は変わった、と不意に思ってな」


 口にした感慨は、満更その場しのぎの虚言でもない。

 将が兵と並び立つこと無く、通信礼装により遠隔とやりとりして、それこそ駒のように軍隊を操り、敵を殺させ、味方を死なせていく。そんな背筋のうそ寒くなるような戦いを指揮しているのが、よりにもよってこの自分なのだ。薄気味の悪いような、後味の良くないような思いを味わっても、無理は無いだろう。

 が、目の前の男はドルドランの言を違う形で受け止めたらしい。


「いやいや、まったく。このような戦のしぶりは古今に例がございますまい。オーブニル伯爵閣下の手腕には、誠に恐れ入りますな」


 そう言い、にっこりと笑って目を輝かせる。

 この貴族の名はアルレズ男爵。ヴォルダン州から見て南西、港町アルレズを所領とする貴族だ。そしてマルラン子爵時代にトゥリウスが洗脳し、自派に組み込んだ者の一人である。この男も洗脳の内容はドルドランと同じ――命令への拒否権と反抗する意思との削除のみである筈だ。が、どういう訳かトゥリウスに対して馬鹿に好意的だった。


「この度の戦功により、我らが派はいよいよ以って躍進の時を迎えましょう。その暁には国軍全体にこの手法を用いれば、我が国の防衛は安泰。いや、ひょっとすると大陸を統一することすら可能やもしれませんな? ……と、これは言い過ぎでしたか。はははっ!」


 その理由がこれだ。

 錬金術師の齎す知恵と黄金の輝きに魅入られた欲深者。或いは悪魔に魂を売った男。それがアルレズ男爵の正体である。

 見苦しいとは感じるが、間違っているとは思わない。一度トゥリウスに洗脳された以上、それを解除する手段は無い。あるかもしれないが、自分の着けた鎖を外そうとする者を、笑って許すような慈悲深い相手でもないだろう。であれば徹底服従し、あの男の傘下で得られる利を出来る限り食む。それを指弾することは、ドルドランには出来ない。程度の差はあれど、自身も他の派閥員もやっていることだからだ。それでも、形振り構わぬ追従ぶりに不快を覚えることは避け難いが。

 ドルドランは倦厭に傾いた気持ちを押し殺しつつ、軽く会釈する。


「……その戦功も、卿らの提供してくれた兵力あってのこと。総司令官オーブニルに代わって礼を言わせてもらおう」


「いえいえ、滅相も無い。元はと言えば、アレらはオーブニル伯から下賜された――」


「しっ!」


 粗忽にも口を滑らせかけたアルレズ男爵を、鋭く叱咤する。


「……あの兵たちは、貴殿が独自に調達した者であろう? どういう訳か、我らが一派には似たようなものを抱える家が多いがな」


「――は、ははは……そ、そうでしたな。いや、伯爵閣下からの恩徳が余りに手厚い故、自分で買ったのか御方より下されたのかも忘れがちでして」


 引き攣ったような愛想笑いを浮かべるアルレズ男爵。

 五日前のクラヴィキュールの戦いにいなかったこの男が、わざわざ東部奪還の為の軍に同道した理由。それはこの軍勢の主力が彼らトゥリウス派――中道派とも言われることもある――に属する周辺貴族たちの出した援軍である為だ。この援軍がヴォルダン入りしたのは、過日の戦いの直後。その為にクラヴィキュールの戦いには間に合わなかったが、それを取り戻す為にこの出兵ということになった。

 そして中核を占めるのは、あの男が配下に配った改造奴隷、Sシリ(Soldier)ーズ( series)。二十体もいれば西方辺境の魔物討伐すら可能な、百人力の強力な戦力である。

 戦線に投入しての効果の程は、先に通信を管制する奴隷たちが報告していた通りだ。敵の警戒線に掛からぬよう少数で多段階に分けて敵の城市に突入させたのだが、それでもザンクトガレン軍を圧倒している。見る間に都市を奪回する勢いだった。

 そんなものをトゥリウスが手を回して配備させていたなどと知れたら、すわ王国への叛意の徴しかと、ブローセンヌの連中がうるさくなること必至である。

 今、この本陣には自派の者しかいない。が、見たところアルレズ男爵は口が軽いようだ。余所でうっかりと漏らしてしまったらコトだろう。

 ましてや、現在州都ヴォルダンでは、あの近衛第二騎士団が休養と再編の為に駐屯中である。中央集権派の紐がついた連中のことだ。この軍には同道していないが、もしかすると、軍中にもこっそりと間者を紛れ込ませているかもしれない。


「まあ、そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ」


 そう言い、陣幕の奥から声を掛けて来るのは、件のトゥリウス・シュルーナン・オーブニルである。凄惨な焦土作戦に、あの酸鼻なクラヴィキュールの迎撃戦、そしてこの追撃戦の総指揮官。このヴォルダンで起こった大小の悲劇、そのほとんどの原因となる男だった。

 彼は何やら部下からの報告書に目を通しながら、顔も上げずに話しかけてくる。


「この陣地の周囲は、オーパスシリーズが交代で監視を行っています。今はユニとドライが担当する時間かな? あの二人は野伏の心得もありますから、滅多な相手は近づけませんって」


「左様か」


「でも、まあ――」


 うっそりと顔を上げ、男爵の方を見る。試薬を垂らしたシャーレを見下ろすような、冷たい目であった。


「――情報の取り扱いには注意して貰いたい、というのは辺境伯と同意見ですね。特にアルレズ男爵は、所領が地理的にカナレスに近い。オムニア、カナレス方面の情報収集もお任せしているんですから、その辺りには気を配ってほしいですね」


「は、はい……オーブニル伯爵閣下。以後、細心の注意を払います」


 答える声は震え、顔からはダラダラと冷たい汗を流している。正に、蛇に睨まれた蛙だ。


(【人喰い蛇】の面目躍如だな)


 内心でそのように評すドルドラン。

 トゥリウスは十分に釘をさせたと判断してか、再び書類に目を落とす。


「うん、以後――僕らの手の届かないところでご注意頂けるなら構いませんよ。この天幕の中は安全ですので、寛いでご歓談ください。僕も部下と好き勝手に喋りますので。……で、フェム。君のレポートのことなんだけどね」


「はい、ご主人様、と、返事をしマス。何なりとご質問下サイ」


 錬金術師の傍らに立つのは、女を象ったゴーレム、フェム。この陣営の中では主に、新兵器の性能評価などを請け負っているらしい。人を模した兵器が別の兵器を測る。その倒錯した状況に、軽い目眩すら覚えてしまう。


「V-01Yの性能を見るに、攻勢兵器としてのVシリーズには一定の評価を与えられるだろう。けれど、どうにも操作性と安定性に問題が見られるね」


「確かに、と、同意致しマス。他の量産型と違い、情動領域に手を付けるのが難しいのでしタカ」


「その性質上、下手に吸血衝動を制限しようとすると、論理矛盾を起こして精神が自壊するんだよねえ……。お陰で『製品』の長所である安定感を維持するのが難しい」


「しかし、『製品』一体で一軍に壊滅的打撃を与えられる性能は魅力的です、と、反駁致しマス」


「いや、攻撃力を出すんだったらヴァンパイアにこだわる必要は無いよ。EEシリーズでも並べて、強力な魔法の絨毯爆撃で済む。それと弱点が多いのもマイナスだよね。今回は相手に吸血鬼用の備えが薄かったから問題にならなかったけど」


「では、制圧力の方はどうでしょう? と提議しマス。吸血による眷族化や死霊術などで頭数を増やし、歩兵の役割を担うモンスターを増産出来まスガ」


「正直に言うと、そこが一番気に入らない。放っておいたら増えるってのが困るんだ。万が一にも制御を失ったら大惨事じゃあないか。増え過ぎたアンデッドを一々間引くのも面倒だし」


 何ともまあ、冒涜的な会話である。

 人類の敵たる魔物、中でも最上位に近い危険度を誇るヴァンパイア。それを使役し、戦争の為に利用し、その戦果を検分してどう利用するかを話し合っているのだから。真っ当な人間がこれを聞けば、即座に教会に駆け込んでトゥリウスの審問を乞うこと請け合いだ。


「しかし、そんなものをわざわざ拵えたのは御身だろう?」


 ドルドランは堪らず口を挟んだ。聞いた話によると、偶然を装ってザンクトガレン軍を襲わせたヴァンパイアは、年端もいかぬ少女だったらしい。それを改造して魔物に変え、挙句の果てに使い捨てたのだ。それをまるで無価値な行為だったように腐すのは、流石に気に咎める。

 トゥリウスが顔を上げた。


「それもそうなんですけどね……まあ、所詮は実験の一環ですよ。不老不死の代名詞のように謳われる吸血鬼。その欠陥を克服することが出来れば、僕の理想成就への近道ですので。けれど、どうにも結果が思わしくないものでしてね」


 まるで悪びれない口ぶりである。呆れて閉口したドルドランを後目に、彼は続けた。


「そういう訳で、Vシリーズの本格量産は見送るよ。興味深い題材だから研究自体は続けるけど、生産自体は縮小すると思っていてくれ」


「残念ですね、と、感想を抱きマス。カタログスペック自体は、全製品中でトップクラスなのでスガ」


「身体能力だけならシャール辺りの一歩手前だしね。その点は惜しくはあるけど、欠点を呑めるほどのプラスではないかな。けどまあ、全くの無駄という訳じゃあないさ。血液を素材にしたキメラ化による吸血鬼作成……このノウハウを利用した新しい実験を構想中なんだ。丁度、今回の戦いで興味深い題材も見れたしね。こっちの方は結構自信があるよ? ひょっとしたら、近いうちにまた新たな『作品』が生まれるかもしれない」


 挙句の果てに、また何か碌でもないことを企んでいるらしい。新たな『作品』とは一体どのような化け物を生み出すつもりなのか。『作品』より劣ると言われる捨て駒一匹で、ザンクトガレン軍を万単位も殺戮したのだ。今度も恐ろしい事態を引き起こすだろう。

 想像するだに、怖気が走る。


「……それもこの戦争に一段落付けてからの話であろう」


「ええ。つまりはすぐ先の話ですよ。……それとも、まだ先に延びそうなんですか?」


 せめてもの抗弁にも、人を食ったような返事が返って来た。本当に、ああ言えばこう言う男だ。


「いや、間も無く決しよう。指揮を預かる私が、こうして暇を持て余しておるくらいだしな」


「ははあ、それは何より。……じゃあ、フェム。君はラボに通信を入れて、一足先に帰したセイスに準備に取り掛かるよう言っておいてくれ。詳細な内容は――」


「成程成程……と、銘記しマス。その通りにご指示を伝達いたしまショウ」


 機械仕掛けのゴーレムは、しかしすぐさま指示通りに動こうとはしなかった。その前に、一つ疑問を零す。


「ところでご主人様、と、話題を転じマス。エリシャ・ロズモンド・バルバストル、及び隷下の近衛第二騎士団についてですが、本当に処分を行わなくてもよろしいのでスカ?」


「そのことについては、既に伝えた通りだよ。変更の必要は特に認めていない」


「左様にございますか、と、確認しマス。……それでは、失礼致しマス」


 そう言ってフェムが天幕から退出する。その足取りがどことなく不服げであったのは、ドルドランの錯覚であっただろうか。

 それはさておき、彼女が通信を終えて戻って来るまでの間に、敵司令官らしき人物を捕捉し、これを捕縛したとの報せが入ってきた。

 ザンクトガレン軍の奇襲から始まった突然の戦争は、開戦から二週間足らずで終息したのである。




  ※ ※ ※




「あー、終わったあァ……疲れた、だるい、眠いィ……」


 数日後、ほとんど消化試合だった追撃と州東部奪還の戦いを終え、州都ヴォルダンまで帰還した僕ら一行。慣れない環境に不慣れな作業で神経を磨り減らした僕は、政庁に設けられた私室に帰り着くなり、ベッドに飛び込んだ。


「お疲れ様でした、ご主人様」


 一方、ユニはと言うと、色々と大変な仕事をこなした後だというのに、いつものようにしゃんとしていた。まあ、この子は常人とは鍛え方が違うし、第一そんな風になるようにしたのは僕なんだが。

 そんな彼女は、ちらりと僕が身を横たえるベッドに目をやって、


「僭越ながら、普段お使いの寝具より堅いように見えますが」


「そりゃそうだよ。都市の政庁に置かれてるベッドが、貴族の家の物より上等な訳無いし」


 お陰で寝そべっていても、いまいち気持ち良くない。それでも軍の野営に比べれば雲泥の差だが。


「それでは取れる疲れも取れないかと。……よろしければ、私が膝をお貸し致しましょうか?」


「んー……じゃあ、頼むよー」


 僕は二つ返事で彼女の申し出を受け入れる。ユニの膝枕は中々心地良い。勿論、寝る為だけに作られた本物の枕ほど柔い筈は無いんだが、彼女の方でこっちが快適になるよう位置や足に入れる力加減などを調整してくれるのだ。寝心地の良さは何度も体験したこの僕が保証しよう。彼女がその気になれば、人に膝を貸すだけでお金が取れると思う。


「では、失礼して……どうぞ」


「うっす……こっちこそ失礼しまーす……」


 ベッドに上がって正座した彼女の足の間に、頭を預ける。

 おー、安らぐぅ……。まるで実家に帰って来たような安心感だ。もっとも、この世界の実家はあんまり気が安らぐような家ではないが。これはまあ、いわゆる慣用句というヤツである。


「ついでに耳掃除もお願いしちゃおうかなー」


「畏まりました。では、お耳をこちらに」


 急に思い立って言い出したことなのに、ユニはすぐさまポケットから耳掻きを取り出す。何でもメイドとして身に付けておくべき常備品の一つらしい。前に何で持ってるのか聞いた時にそう言っていたので、おそらくこの世界のメイドはそれが常識なのだろう、多分。

 しばらく、こりこりと耳をこそがれるくすぐったさや、僕の頭部を固定する手が凝りを覚えている首元を揉み解す感触に浸る。はあー、気持ちいい……。快適で暖かくて、このまま眠ってしまいたいくらいだ。

 が、幸せな時間というのは長く続かないのがセオリーらしい。

 扉がノックされる固い音。それに反応してか、丁度良い柔らかさを保っていたユニの太腿が微かに強張る。


「失礼します、閣下。ヴィクトルです。少々お時間を頂いてよろしいでしょうか?」


 向こうから聞こえて来たのは、僕の家臣の内政部門双璧の一人のものだ。仕事熱心な彼らしく、疲れて帰ってきた僕にも、また何かやらせようというのだろう。


「……君一人かい? 誰かお客さんでも連れているのかな?」


「いえ、私一人ですが……」


 なら良いや。いや、あまり良くはないがそれ以上に面倒臭い。


「入って良いよ」


「? では失礼して――何をしているんですか、貴方方は?」


 書類の束を携えて入室して来たヴィクトルは、最初ギョッとし、次いで呆れと理解とが入り混じった表情を浮かべる。短い間に器用に顔色を変えるもんだ。色男という生き物は、先天的に役者に向いているものなんだろうか。


「見て分からないかい? ユニに膝枕して貰って、寛いでいた。ついでに耳掃除も」


「それは見れば分かりますがね……。ご自分で、自堕落な姿だと思われませんか?」


「?」


「不思議そうな顔をしないで下さい! どこの世界に、勝ち戦から帰ってまず最初に、女性の膝枕で寛ぐ貴族がいますか!?」


 がおー、という擬音が似合いそうなほどの勢いで捲し立てられる。そんなに珍しいもんだろうか? 貴族って生き物は大抵、女の人を侍らせて好き勝手しているイメージがあるんだが。


「チーフメイド殿もです。あれほど、閣下を甘やかさないで頂きたいと再三申し上げたでしょう!?」


「申し訳ありませんが受け入れかねます、ヴィクトル卿。ご主人様もお疲れでいらっしゃいます。ならばそれを僅かなりとも和らげるのが、従者の務めでしょう」


 彼女はそう言って、庇うように僕の肩に手を置く。話している間も、その指が演奏するピアニストのように踊って、僕の肩をマッサージしてくれた。

 なんて甲斐甲斐しい奴隷なのだろう。これには僕も少々発奮したので、援護射撃を送ることにする。


「そうそう。これは言わば、頑張った僕への、ユニと僕自身からのご褒美だよ」


「何を腑抜けたことを仰いますか。節義に悖ると言っているのです。こんな姿を見られたら、仕えている者も忠誠を失うというものでしょう」


「何を言っているんだい、ヴィクトル。……僕に仕えている人間は、大体が脳味噌を改造して裏切れないようにしているじゃないか」


 僕がそう言うと、その改造されて裏切れない内の一人は言葉を詰まらせた。はい、論破。


「はあ……分かりましたよ、もう結構です。では、そのままの姿勢で構いませんので、報告をお聞きください」


「はいはーい。……やったね、ユニ。僕らの勝ちだ」


「おめでとうございます、ご主人様」


「何の勝負ですか、何の……」


 ヴィクトルがこめかみを押さえつつ、ぺらりと書類の最初の一枚を捲る。


「では、まずは我が方の損害を簡単に述べさせて頂きます。詳細な数字は書類の方に纏めておりますので、後ほどご確認をお願いします」


「ん。分かってる。で、どんなものなんだい?」


「はっきりと申しましょう。泣きたいくらいに酷いですね。州の東部では今期の収穫は全滅と見るべきかと。ザンクトガレン軍によって略奪されて費消され、更には火を掛けられて畑が壊滅ですからな。いやはや、本当に残酷なことを仕出かしてくれたものです」


「うわあ、なんて酷いことをしてくれたんだろうザンクトガレン軍は」


「全くです。ご主人様の領地でこのような無体を働くなど、許し難い所業ですね……」


 僕らが肯き合っていると、彼は白々しいとでも言いたげに目を眇めて見つめてくる。何て表情なんだ、二枚目が台無しだよ。

 けど、まあ、しょうがないじゃないか。焦土作戦で焼き払わなければ、どうせ敵軍に奪われていたんだから。そうでなくても、僕らが勝つのが遅れていたら、もうすぐ駆け付けるだろう増援に手柄を奪われた挙句に、ヴォルダンから追い出されていたんだ。こうして損害を嘆くことが出来るのも、勝ったお陰である。


「……続けますよ? 土地の被害も深刻ですが、人的被害はそれ以上かもしれません。何せ、緒戦で蹴散らされた兵が二千人、クラヴィキュール戦では徴兵した民が一万人以上犠牲になっていますからな。何ですか、この被害は? 桁が違い過ぎるでしょう」


 ヴィクトルが言う通り、会戦一回で万単位の犠牲者が出ることなど、普通はあり得ない。この世界では、被害がそこまで拡大する前に兵を退く場合が大抵だ。というか、そんな激戦になると兵の方から勝手に逃げ出す。元は民だった兵らにとって、お貴族様の都合で起こった戦争など、命を捨ててまで付き合う義理は無いのだから。

 が、今回の場合は色々特別だ。


「逃げ場の無い塹壕に突っ込んだ上に、MシリーズやBシリーズに督戦させたからね。その気になれば脱走出来る今までの戦争とは、ちょっと勝手が違うよ」


 そう、あの土塁で守られているように見える壕。あれは防御の為だけでなく、兵を逃がさないことも目的としている。墓穴のような土の中に詰め込んで、僕の手の者による監視に晒す。銃を持たせただけの碌な訓練もしていない兵隊もどきなんて、こうでもしなければ逃げ散るだけだろう。

 要は牧場の柵と同じだ。怖い狼から家畜を守り、同時に屠殺から逃げることも許さない。そうして逃げ場を奪ったものだから、こんなにも死人が出たのだ。

 ヴィクトルが溜息を吐く。それにしても、僕の周りには人の顔を見ながら溜め息を漏らす連中が多過ぎやしないか?


「まったく、人使いの荒いお方ですな。しかも死んだのは皆、傭兵ではなく民から徴募した兵です。これだけの男手が一挙に消えたとなると、今後の領地経営にも差し障りますよ? それに戦闘によるものだけでなく、敵軍の略奪行為や暴行などで、非戦闘員にも被害が出ております。見舞金の額などを考えると、頭が痛いですな」


 平民を蔑ろにすることに定評のある貴族だが、税収の源である民を無為に損なうことは避けるのが基本である。民は金の卵を産む家畜として、大事に酷使するのが真っ当な貴族というものだ。


「その辺については……まあ、君とルベールが考えた案が上手くいくことを願おうか。中央集権派の出方次第だけどね」


「消耗した『製品』の補填も必要ですね。今はEEシリーズがいますが、あれらは何分、生産のコストが高いものですから」


 そう言うのはユニである。今回の戦いでは、MシリーズとBシリーズも参戦し、幾分かは敵の手に掛かって損耗していた。この穴を埋めるにしても、彼女の言う通りEEシリーズではコストが掛かり過ぎる上、見た目はエルフ種だから人間社会で運用するのは難しい。まだまだ初期型の『製品』たちにも頑張って貰う必要があるのだ。

 アルレズ男爵などから借りたSシリーズも、完全に無傷とはいかなかった。何だかんだで数体は損耗しているのである。流石は修羅の国ザンクトガレン連邦王国、二線級の奇襲部隊に加え損耗した状態だっていうのに、なかなかやってくれるじゃないか。


「人員も物資も資金も大量に消費して、挙句の果てに領地は荒廃。まったく、戦争などするものではありませんね」


「本当だよね。それもこれもザンクトガレンが攻めてきた所為だよ。それと、あの国をわざと煽ったどこかの誰かさんのね」


 まったく、あの腐れ爺の所為で酷い目に遭ったもんだ。だが、これだけの支出を支払っただけの見返りは出して貰う。何せこっちは、畏くも国王陛下から預かった土地を守る為に奮闘したのだから。これでもまだ難癖を付けるって言うんなら、僕にも考えがあるってことを分からせてやる。


「けど、この戦争ももう終わりだ。いや、まだ和平の交渉は済んでいないだろうけど、僕らはここで足抜けだね。戦争を続行するって言うのなら、王都に掻き集めた兵士を使って自分たちでやって貰うよ。僕らは十分働いたからね」


「ですな。四万人からなる敵軍を、地上から消滅させてやったのです。これで講和に持ち込めなかったら、王都には無能か戦果を欲する餓狼しかいない、ということになりましょう。もしも彼の国への懲罰の為に出兵するにしても、このヴォルダンは一度敵国に攻められた土地。我々はこの領地を守備しなければなりますまい」


 ヴィクトルが人の悪い笑みを浮かべる。

 僕らは緒戦で十分に功を挙げた。継戦するにしても、お声掛かりはまず無いだろう。他の貴族連中も武功を立てて恩賞を得たいのだから、僕が更に戦果を上積みするような事態は避ける。第一、これだけの被害を出して防戦に成功したのである。これ以上扱き使おうって言うんなら、待遇改善の為にストライキ(●●●●●)も辞さないつもりだ。


「じゃあ、その為にもちゃっちゃと処理を片付けようか。まずは行軍中だろう王都からの援軍に使者を出す。大軍とそれをしばらく支えるだけの食糧があるんだ。連中にザンクトガレン軍の捕虜を引き取って貰おう。こっちにそんな余裕なんて無いし」


「確かに。台所事情が悪化した以上、お客様を無理にこちらへお引き留めする訳には参りませんね」


「加えてこちらの戦力はギリギリも良いところですからな。下手をすると保有する兵力より捕虜の方が多いかもしれません。これでは色々と問題も出ましょう」


 三人揃ってうーん、と唸ってしまう。何しろ今のヴォルダンは無い無い尽くしだ。食べ物が無いから捕虜に回す食糧が無いし、兵力が無いから折角捕まえた敵兵を抑留しておくことも難しい。また侵略だの略奪だの放火だの、停戦を蹴っての指揮官への攻撃だので、ヴォルダン領民の反ザンクトガレン感情は最悪の状態だ。まあ、半分以上は僕が煽ったところもあるんだが。とりあえず、そんな土地に敵の捕虜を長い間置いていても、良いことは無い。早い内にしかるべきところに引き取って貰うのが筋だろう。


「では、使者の役目は第二騎士団の方にお願いしましょうか。それと我が派の貴族からも随員を出します。捕虜の引き渡しは、おそらくノヴィヨン辺りで行うことになるかと」


 ヴィクトルが言った地名は、ヴォルダンから北西にある州のことだ。王国南方および東方の交通の要衝でもあり、大軍を駐留させられるだけの都市も擁している。もしヴォルダンが陥落したら、この地から兵を進めて奪還を図るつもりだったのだろう。合流して捕虜を引き渡すには打ってつけの立地だ。


「じゃあ、そういう方向で話を進めておいて」


「畏まりましてございます。ところで第二騎士団で思い出したのですが」


 その言葉に、ユニの太股がまた硬く強張るのを感じた。それもさっきヴィクトルの気配を感じた時の比ではない。で、根っからの事務屋である青年貴族は気付いた様子も無く続ける。


「あの連中は生かして返してもよろしいのですか? 正直、閣下と相容れることは無いように見受けられるのですが」


 近衛第二騎士団。そして団長であるエリシャ・ロズモンド・バルバストル。彼女たち、いや、彼女の危険性は良く理解している。V-01Yとの戦闘を観戦していたユニからも忠告されているし、他のオーパスシリーズも概ね同意見だった。いや、どこぞの誰かさんだけは「ちょっとトウが立っているけど美人で処女だし勿体無い」云々と戯言を抜かしていたけれど。あと、ドゥーエもどこか迷った風に判断を保留していたっけか。

 率直に言えば、僕だって出来れば早いところ始末したい。あの爺さんと繋がっている武力集団の長で、かつ死を恐れぬ戦闘狂という野蛮人なのだ。この僕との相性は水と油であり、生かしておけば危険な禍根を残すかもしれないのである。

 しかし、だ。


「試すような言い方はやめなよ。ルベールからも生かせるなら生かせって言われているし、君も同意見なんだろう?」


 あの鼻っ柱の強いお姉さんは、政治的な爆弾でもある。そうそう手を触れて良い相手ではないのだ。


「それはどうも。ご理解頂けているようでホッとしましたよ。形式上縁が切れているとはいえ、地方分権派の大物であるバルバストル侯がご息女、それを軽々に処分する危険を、ね」


 そう、忘れがちであるがあの猪さん、困ったことに大貴族のご令嬢なのである。家と縁を切って騎士として別家を建てた扱いだが、それで完全に繋がりが無くなったかというと、そうではない。実家は今も奔放な彼女を嗜めようと折に触れて手紙を出したり、着る物に不自由していないかと新しいドレスを贈ったりしているそうだ。当の本人には袖にされ続けているが、復縁への意思はありありと窺える。あれだけ好き放題やらかしている娘に、随分とお甘いことだ。


「戦争が終わり、これから本格的にあの老人と決着をつけようという時に、新たな政敵に登場されては困りますからな。いずれは地方分権派ともぶつかることになるでしょうが、彼の御仁は連中の中でも良識的な穏健派。交渉の窓口となるでしょうし、胸襟を緩める程度の好意があればそれ以外の手立ても取りやすくなられるかと」


「ドルドラン辺境伯たちみたいに洗脳するにしても、僕の招待に乗ってくれた方が楽だからね」


 もしかしたらこの僕が娘を死なせた原因かもしれない、なんて思われたら誘き出して手駒にするにも骨だし、態度を硬化させて敵になる可能性もある。エリシャさんの戦闘力は確かに不安要素であるが、現段階ではあくまでも不安であるだけ。地方分権派というはっきりとした危険よりも優先度は低い。そういうことだ。


「ご主人様とヴィクトル卿らのご判断であるなら、それが正しいことかと存じ上げます」


 そうは言うが、ユニの身体はまだ若干の硬さを残している。


「ユニはそんなにあのお姉さんが怖いかい?」


「正直に申し上げると、その通りでございます。数値化、明文化することが少し難しいですが、得体の知れない不安を感じさせる方です」


 この子がここまで決定事項に未練を見せるとは珍しい。その辺は感性の違いだろう。僕やヴィクトル達はあくまで考える者、対してユニたちは戦う者だ。戦闘者である彼女にとって、スペックだけはオーパスシリーズの手前に迫るV-01Y。それを打倒したエリシャさんの戦いぶりは、感銘をそそると同時に危険を感じる物なのかもしれない。

 だが、安心してほしい。こう言っちゃなんだが、僕は根っからの臆病者だ。その僕が十中八九敵に回るだろう相手なんて、そう長く生かしておく訳が無いだろう?


「まあ、全てはあの爺さんを仕留めるまでの話さ。それさえ済んだら、国内に不安要素なんてただの一つも残すものかい」


 僕とザンクトガレンを潰し合わせるというラヴァレ侯爵の目論見は、こうしてご破算にしてやった。今度は僕らのターンだ。侯爵は物資と財貨に物を言わせ、戦時のどさくさに紛れて権力を奪還したが、その戦争はもうすぐ終わる。そうなったら今度は戦災による被害、その責任を追求する政治闘争の始まりである。

 爺さんがそれを無事乗り切るには、自分が主導する軍で敵国を駆逐し、武功で以って立場を補強しなけばならなかった。だが、それは僕らが既に手にした成果だ。そうなるとあの御老体に残っているのは、ザンクトガレンを暴発に至らしめた締め上げを実行した責任と、信用ならない敵国との融和政策をかつて推進していたという前科だけ。たとえこの戦争で勝って国益を得る為だったとしても、簡単に許されることではない。また先にも述べたが、許させる為に必要な功績は僕らが奪い取った。追及の嵐の中で、あの痩せさらばえた古狐がどこまで泳ぎ切れるか、見物だ。

 珍しく好戦的な気分で笑う僕に、ヴィクトルも、その通りです、と力強く肯いた。


「忌々しい老醜に与する輩など、一人残らず粛清すべきです。暗闘の手駒となりかねない武力の持ち主などは、特にね」


「でも、その時は今じゃない。王都に行けば、実力主義を掲げて肩で風切る第二騎士団に含むところがある連中なんて、幾らでもいるさ」


 お飾り扱いの第一騎士団とか、地方分権派の過激派連中とかだ。何もヴォルダンで手を汚して最有力容疑者になる必要は無いのである。そう重ねて説明すると、ユニも彼女の中で折り合いを付けたか、


「そのようなご事情であれば……」


 と不承不承ながら受け入れてくれた。やれやれ、こうもこの子と意見が食い違うなんて、実際始めてじゃなかろうか? だが、他ならぬユニがこうも拘っているという点は銘記しておこう。エリシャ・ロズモンド・バルバストルは、あのラヴァレに次ぐ抹殺候補。そう考えておくべきだということだ。


「では、近衛の扱いについてはここまでということで。それと次の報告なのですが――」


 まだ続くのかよ。僕はそう思ってうんざりとした。まったく、やってる時も終わった後も、兎角面倒が多いのが戦争という代物だ。いい加減付き合い切れなくなってくる。

 まあ、しばらくすればこんなことに煩わされることも無くなるだろう。何せ今回の戦争は五十年ぶりのことだ。ならば次の戦争も当分先になる筈である。今回の後処理にも次回の準備にも、相当に時間が掛かるのだから。

 後はじっくりと国内の問題を――あの爺さんと、その紐付きの近衛たちを片付けることに専念すれば良い。それからゆっくりと研究に打ち込もう。

 僕は大分柔らかさを取り戻して来たユニの脚に頭を預けながら、そう皮算用を立てていた。







 直後、そんな目論見は思わぬ事態によって頓挫することになる。

 ルベールに取り仕切らせていた諜報機関が持ち帰って来た情報。

 それによると、中央集権派の首魁に返り咲いたばかりのラヴァレ侯爵が、病を発して倒れ危篤に陥っているとのことだった。

 

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