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073 闇にさようなら

 

 アルクェール軍、ザンクトガレン軍、そしてヴイと名乗るヴァンパイア率いる魔物たち。三つ巴の戦場に現れたのは、ザンクトガレンは魔導アカデミー謹製と思しき四つ腕の化け物だった。これがザンクトガレン軍の切り札だとしたら、モンスターの乱入で瀬戸際まで追いつめられた敵軍が、息を吹き返す可能性もある。

 だが、そうはならなかった。


「――――――ッッッ!!」


 言葉にならない吼え声を上げ、四本の腕に握られた大剣を振り回す怪物。その矛先は、正しく手当たり次第と言うに相応しい。間合いの中にいる存在は、アルクェールの近衛騎士もアンデッドもザンクトガレン兵も区別せず、平等に仮借なく粉微塵に砕いて潰す。当然、アンデッドたちのボスであるヴイも剣を向けられるが、


「ナ、ナンだっ! オマエ、ナンナンだっ!?」


 長い犬歯を剥き出して威嚇しつつ、跳躍して回避。空中で強弓に矢を番えて放つ。異形の巨人の身体に立て続けに三本、矢が射られた。大の男でも引くのに難儀するだろう巨大な弓を、踏ん張る足場も無い空中で手足のように使いこなす。その上、優美な放物線が描かれる跳躍の高さは、目測で四メートルには至っている。あちらが巨躯に四つ腕の異形ならば、こちらは高位の不死者。怪物同士らしい、桁外れの身体能力に物を言わせた攻防だった。……が、射られた標的に然したる痛痒は無し。(やじり)が肉まで通らなかったと見え、軽く力を込め筋肉を隆起させるだけで抜け落ちていく。

 このまま化け物同士の戦いに縺れ込むかと思われたが、


「――――――ッッッ!!」


 四つ腕は、距離が離れたヴイを放置して、近場に転がっていた兵士やゾンビどもを叩いて潰し始める。吸血鬼の方も、自分に向かってくる気配の無い相手に拘泥するつもりは無いのか、警戒の視線を送りつつも追撃する様子は無かった。

 アルクェール軍からすると、まるで訳が分からない。刻まれた紋章から判断して、これは相手方が戦場に持ち込んだ奥の手であったのではないのか? それがどうして、敵味方も人と魔物の区別も無く暴れ続けている?

 困惑するエリシャらに、ポツリとトゥリウスが呟くのが聞こえた。


「あーあ、完全に暴走してますねアレは……」


「暴走?」


「ええ。大方、起動直後の命令設定に何らかの不備があって、明確な標的を入力されてないんでしょう。だからあんな風に、目に付く全てを攻撃して回る」


 一瞬、滔々(とうとう)とした説明に聞き入るも、すぐにハッとなる。


「待て。貴公はあの化け物について何か知っているのか?」


「知っていると言うよりは、特徴から推察したんですが……多分、キメラの一種ですね」


 キメラ。複数の生き物同士を、魔法の力で人為的に合成した怪物。上手くすれば、素となった生命の長所を受け継がせることで、極めて強力な戦闘力を持つ個体を作ることが出来ると言う。

 人為的。そう、目の前で殺戮を行っているのは、人間が戦いの為に造り出した化け物なのだ。


「あれがキメラ……見たのは初めてですよ」


 固い唾を飲み込みつつ言うのはアルフレットだ。でしょうね、とトゥリウスが肯く。


「キメラは作るのが難しいものですから。大抵の場合は、無理に移植した部位同士が干渉しあって、碌に動けもしない失敗作になるのがオチです。見たところあのキメラは……うん、随分と手が込んでるなあ」


「どういうことだよ、ご主人?」


「アレ、多分だけど人間をベースにしてるんだよドゥーエ。それも何人もの、ね」


 焦れたように聞いた配下に向けて、主はゾッとするような推測を述べた。

 人間? 何人もの人間? 人命を、キメラという怪物の――兵器の素材にしたというのか。なんという冒涜的な所業だろう。もしそれが事実だとしたら、製作者は頭のおかしい狂人に違いない。いや、そのことを指摘したトゥリウスもそうであると思われているが、だとしたら同レベルの危険人物が少なくとももう一人存在することになる。それも敵国たるザンクトガレンにだ。

 思わず言葉を失くす近衛騎士たちを余所に、錬金術師は続ける。


「発想そのものは肉人形(フレッシュゴーレム)の応用だね。何人もの人間からパーツを切り取って、一個体に集約する。それをわざわざキメラにして運用するなんて手間を掛けるってことは、魔法防御を考えての措置か、何か生体活動に依存する機能を積んでいる可能性が高い。恐らく――」


 だが、その口上は不意に断ち切られた。

 ビュンっ、と不吉な風切り音ともに飛来する一矢。自身に向けられたそれを、エリシャのサーベルが斬り払う。


「う~~~っ! オンナ、チっ、よこせっ!」


 矢が飛来した方向には、少女の姿を取る血に飢えた吸血鬼。やはりあの巨人と戦うよりも、エリシャの血の方に関心が向いているらしかった。

 そうだ、今は講釈に耳を傾ける時間ではない。次から次へと乱入者が現れ混乱が生じているが、戦闘は続いている。ならば剣を執る者はそれを振るうのが仕事だった。


「悪いな、オーブニル伯。講義はまたの機会としよう。どうにも向こうが私にご執心らしくてな」


 言い捨てながら敵手へ向けて愛馬の馬首を返し、どことなく残念そうな青年の声を背中に聞く。


「そうですか。……ヴァンパイアの方はお任せしますよ。あのキメラらしき怪物は、こちらが受け持つということで。良いね、ドゥーエ?」


「おうよ。雑魚散らしにゃ、飽き飽きとしてきたところなんでね。大物食いの機会をくれるってんなら、異存は無ェよ」


 水を向けられたドゥーエが、自慢の両手剣を構え直す。この男も大概な戦狂いらしい。つまりはエリシャと同類ということなのだ。なのだが……。


(どういう訳かな……ドゥーエ・シュバルツァー、相当な猛者の筈だが、いまいちピンと来ん)


 敵にしろ味方にしろ、勇武を奮う益荒男は彼女の好むところ。自分と同じく合戦を嗜む性の持ち主なら尚更だ。だというのに、実力の程を目の当たりにしていながら、何故かこの男に魅力を感じない。どちらかと言えば、本格的に戦う姿を未だに目に入れていない筈のユニの方が、よりそそられるものを覚えてしまう。

 が、今はそのことを呑気に考えている暇はなかった。


「ご主人様。ここは炎でそれぞれの標的を分断することが得策かと」


「了解。それじゃ――≪ファイアボール・スタッカート≫っ!」


 主であるのに奴隷から促されるという奇妙な形で、トゥリウスが魔法攻撃を仕掛ける。低位呪文である≪ファイアボール≫に拡散の性質を付与した程度の術であるが、牽制には十分だった。


「――――――ッ!?」


「ほ、ホノオっ!?」


 分散して飛来する火球の群れに、キメラとヴァンパイアはそれぞれ咄嗟に大きく飛び退き、距離を取る。一先ず、分断は成功。その間隙を縫ってドゥーエが、エリシャと彼女率いる近衛第二騎士団が疾った。

 戦局は既に人間の手を離れ、怪物とその域に踏み込んだ人外たちによるものと化していた。




  ※ ※ ※




 唸りを上げて身体の傍を、顔の横を、高速で通り抜けていく巨大な鉄塊。剣風が髪を逆立たせ、肌に死の気配を感じさせる瞬間。ドゥーエ・シュバルツァーは久しく感じることの無かった、戦闘の高揚の只中にあった。


(堪らねェ……本当に堪らねェなァ、おい)


 四本腕の怪物が振るう四振りの巨刀。その連撃に身を晒しながらも彼は笑う。

 読みを一手違えるだけで即死に至るというスリル。相手の太刀を掻い潜りながらも、逆に敵へ一太刀を見舞う隙を窺うまんじりともしない時間。どれもこれも、トゥリウスによる改造を受けて以来遠ざかっていた経験だった。敵は幾らでもいた。試し斬りの藁束のような盗賊ども、麻薬に溺れ身を持ち崩した冒険者くずれ、主の実験素材用に飼われていた牙無き羊の如き養殖の魔物、そしてこの戦場で幾人も斬ってきた雑兵ら。そんな連中とは次元が違う、自分が殺されるかもという危惧を真剣に抱かされる強敵。それが今、自分と剣を合わせている。

 不満を述べるとしたら、相手が自我無き魔法生物であり、膂力はあれど剣技の程度は素人同然であることだが……折角の歯応えのある獲物なのだ、贅沢は言うまい。今はこの化け物を相手に、存分に憂さを晴らせば良いではないか。

 などと考えている間に、隙を見つけた。


「おらァっ!」


 怪物が右上腕の振り下ろしをすかして地面を抉る。お陰で腕同士が干渉しあって可動域が狭まり、右脇腹が空いた。そこへ入るドゥーエの斬り払い。人間ならばまず(はらわた)を零して致命となる一撃だろう。

 だが伝わって来る手応えは、肉に斬り入るそれとは違い、厚く靱やかな塊に跳ね返されるような感触。効いていない。


「――っと、と」


 押し戻された勢いのまま、軽く蹈鞴を踏んで後退る。何という強靭な筋肉か。脇腹は、常人であれば鍛錬が難しく、刃物を用いずとも急所となりかねない。だというのにこの怪物は、これまで一刀の下に敵を屠って来た両手剣をまるで受け付けなかったのである。

 驚嘆に浸っている暇は無かった。お返しとばかりに左上の腕の袈裟掛け、次いで右下の太刀による払い、それに続いて……と、絶え間無く四本の剣が躍る。


「ぎゃああああああっ!?」


「おおおおおおっ……!?」


 旋回する自動殺戮機械が、時折、不幸にも斬撃の軌道上に存在していた兵士やアンデッドを巻き込んで破壊していく。魔導の所産らしく、その武器も魔力を帯びた礼装であるようだ。霊体型の魔物も刃に触れた途端に朧な形を保てず、塵と変わった。こんなものの直撃を受ければ、たとえドゥーエでも無事に済むかどうか。轟々と空気とそれ以外とを区別無く引き裂く剣先が、幾つかドゥーエの身体を掠め、髪の毛先を斬り飛ばし、甲冑に亀裂を刻んでいった。

 そして、その度に彼の笑みは益々深まっていく。


(強ェ)


 だが、まだ足りない。その思いが、笑顔を獣じみたものへと変えていった。

 まだだ、まだ物足りない。もっと俺を追い詰められるだろう? もっと俺を楽しませてくれるだろう? お前の能は四本の剣を振り回すだけか? 他にも引き出しはあるんじゃないか? このままでは到底満足出来ない。その証拠に、俺にはまだ余計なことを考えるだけの余裕があるじゃあないか。お前はかつての祖国、懐かしのザンクトガレンが秘蔵していたとっておきだろう? ただ頑丈で馬鹿力で、腕が余分に生えているだけじゃあない筈だ。

 そんな思いが腹から突き上げ、肺腑を通って口から飛び出す。


「もっとだ……もっと俺を楽しませやがれェ!」


 瀑布の如く降り注ぐ剣撃の、刹那にも満たぬ合間。ドゥーエは相手の踏み込みに合わせて剣先を伸ばし、胸元に突きを見舞う。ザクリと肉を抉る手応え。今度は効いた。己の剣が怪物の外皮を貫き、肉まで届くのを感じる。だが、浅い。ほんの掠り傷程度だ。

 それでも相手にとっては初めての痛手である。


「――――――ッッッ!?」


 四腕の巨人は弾かれたように後ろへ跳んだ。まるで痛みという感覚に戸惑うように。剣士はそれを鼻で笑った。


「おう、何をおたついてやがるんだ? ちょこっと胸肉が削れただけだろうが」


 実際、骨にも届かず、どころか筋すら断つには至らなかった一撃だ。この程度で大袈裟に距離を取るなど、剣を握ったばかりの洟垂れ小僧の所業である。

 じり、とドゥーエが一歩を詰める。

 相手もまたじり、と一歩を下がる。

 自慢の一撃がほとんど通じぬ筈の男が距離を詰め、一撃を喰らわせれば殺せる筈の化け物が後退を選ぶ。その奇妙な展開が何度か繰り返され――怪物が先に我慢の限界を迎えた。

 ドォンっと土を蹴立てて大きく跳躍。巨体が満月を背にするように空中を疾駆する。


(図体に物を言わせて、大上段から一刀両断って訳か?)


 剣士はそう判断する。面白い。如何にも素人考えな力任せの選択だが、それを為すのが人外の巨体と怪力では、発揮される威力は馬鹿にならないだろう。逆に考えれば、こちらが繰り出すカウンターの威力も同様に跳ね上がる。向こうが一気に勝負を決める気なら、付き合ってやろうではないか……。

 だが、彼は一つ重要な事実を忘れていた。異形とはいえ幾分人がましい姿をしているが、相手はキメラ。生物同士を掛け合わせて複数の長所を備える生体兵器である。たかだか腕が多く、力が強く頑丈なだけが取り柄では、ザンクトガレン軍の奥の手たり得まい。

 怪物は大跳躍の頂点で、胸が膨らむほど深く大きく息を吸う。勢い余った吸気が、十メートル以上は離れているドゥーエにまで風を感じさせるほどの深呼吸。……それは彼に、一部のモンスターが持つ、ある攻撃方法の準備を想起させた。


(っ! 野郎、まさか……!?)


 背筋を這い上る危機感に目を見開く。だが遅い。彼は既に迎撃の為に腰を落とし剣を構えている姿勢。これから飛んでくる攻撃に対処するには間に合うまい。

 驚愕の表情を浮かべるドゥーエを眼下に、怪物は初めて表情を変える。それは紛れも無く、勝者が敗者を見下す嘲笑だった。


「――――――――ッッッ!!!」


 赤熱した空気が盆地の原野に降り注ぐ。両手剣の持ち主がいた場所を、草生す屍が転がる地表を、何もかもを巻き込んで。口から取り込んだ空気から酸素を得て、体内に備わる袋からひり出した燃料に火を着けた、業火の吐息。

 ブレス。高位の魔獣やドラゴンが保有する、息に魔力を帯びさせ相手へと放つ、殺戮の異能。これこそ製作者たるグラウマン教授が、四つ腕の巨人をキメラとして完成させた理由だった。魔力で動く死体の寄せ集めであるフレッシュ・ゴーレムでは、生体に由来する機能を発揮するには不足である。また使用の際の消耗により魔力の燃費も悪化するだろう。故にこそ、部品を移植された生き物であるキメラなのだ。生きていればこそ、自ずと魔力が生産され、体内に蓄積されていくのだから。

 かつて悪名高い弟子がそうしたように、奴隷にロボトミーを施すことで自意識を破壊して従順にし、骨格を改造して巨体化させ、他の奴隷から選りすぐった筋組織を移植し増強。新たな腕を増やした挙句にモンスターのブレス袋を組み込んだ、人間素体のキメラ兵器。それが怪物の正体だった。




  ※ ※ ※




 今や完全に焼け野原となった盆地の地面に、大きな音を立てて巨体が着地する。視界の中には、燃え広がる炎の他に動く影は無い。転がっているのは、かつて生者だったともアンデッドだったとも知れぬ残骸ばかり。少なくとも、両手剣を振るって自身を傷付けた存在はどこにも見当たらなかった。そのことを確認すると『それ』はニタリと口元を綻ばせる。先の嘲笑といい、感情と思考を奪われた元人間にはあり得ない筈の表情。もしかするとその笑みは、失った筈である安堵と呼ばれる感情が齎したものだったのかもしれない。脅威は排した、最早自分はだれにも傷つけられることは無いという思いだ。

 が、怪物に人間的な感傷に浸っている時間など無かった。起動時に不完全なまま入力された指令は、まだ目標を達成していない。早く与えられた指示を――この戦場に存在する、全ての敵の抹殺――を遂行しなくては。人為的に組み込まれた機械仕掛けの本能が、早く早くと急きたてる。

 怪物はまた別の標的を探そうと太い首を巡らせて、




「がァアアアアアアアァァァッッッ!!」




 四つ腕の内の一つを、背後からの斬撃で切断された。


「――――ッッッ!?」


 胸を浅く抉られた際の痛みとは比較にならない激痛に、叫びが上がる。遅れて、大剣を握ったままの腕がドサリと地に落ちる音が響いた。傷口から飛沫(しぶ)く鮮血が、周囲の火炎に掛かり異臭を上げながら蒸発する。

 全く以って不可解なことだった。ブレスに焼き払われた一帯には、敵影が見当たらなかったというのに。いや、寧ろおかしいのはそこだ。あの厄介な敵、両手剣の男は鎧を身に着けていた。如何な灼熱の吐息といえど、鉄の塊を跡形も無く融かし尽くすとまではいかない。焼け死んだとしても、鎧の残骸とあの長大な両手剣くらいは残る筈なのだ。

 ならば――、


 もう一撃。今度は右の腕が、主副二つ揃って千切れ飛ぶ。


 ――敵はまだ生きている。そして今も己に攻撃を加え続けている!

 怪物は戦慄と共に悟り、弾かれたように顔を上げ、周囲を見渡す。逆巻く火炎が夜空を焦がす中、黒い風が地獄の原野を駆け回っていた。目にも留まらぬ速度で疾走するは、黒鉄の輝きを宿した両手持ちの大剣。ドゥーエ・シュバルツァーである。

 敵の姿は見えなかったのではない。あまりにも速過ぎて、あったのに見えていなかっただけなのだ。


「ぐォアアアアァァァァッッッ!!」


 剣士の口からは、人間離れした怒号が迸る。ビリビリと大気を震わせ、戦火すら圧す大音声(だいおんじょう)。目を血走らせ、歯を剥き出しに吶喊する様は、ともすればこちらの方を怪物と判じてしまうやもしれぬ程の狂態だった。

 轟っ、と破滅的な音色を響かせながら両手剣が振るわれる。今や腕一本と化したキメラは、残った得物を怯んだように翳してそれを受け止めた。衝突。古びた釣り鐘を力任せに打ち鳴らしたような爆音。直後、キメラの両脚が宙に浮き、凄まじい勢いで後方に素っ飛んでいく。人外の巨体が、偉丈夫とはいえ二メートルにも満たない人間に力負けしたのだ。

 地に踵を突け、長い轍を刻みながらも着地する怪物。喉からぐるぐると唸りが漏れ、肩が、膝がと小刻みに震えている。怯えているのだ。先程痛打を見舞われた時から顔を覗かせていたそれは、今や明確な形を伴って現れていた。感情を排した戦闘兵器、肉を持った機械と言うべき存在が、人間の範疇を飛び越えた本物の怪物を前にして、失った筈の恐怖を蘇らせている。

 その視線の先で、漆黒の剣士がゆっくりと一歩を踏み出した。流石にブレスに焼かれては無傷といかなかったと見える。顔に焦げ目を浮かべ、鎧の継ぎ目からブスブスと煙が上がっていた。だが、それが逆に恐ろしい。火に焼かれる熱さと痛みを知って尚、ドゥーエは戦意と武威を固持し続けているのだから。


「同じだ。カナレスの時と」


 先程とは打って変わって、静かな声音で呟く。


「目に入るもの何もかもがゆっくりになって、嫌に頭がはっきりしやがる。剣を振りゃあ火事場の馬鹿力みてェな馬力が出やがるしよ。やっぱ、あの野郎の手管なのか?」


 返答を期待していないのが明白な独り言。それを訥々と漏らしながらも一歩一歩、確実に間合いが詰められていく。

 ……実のところ、彼の発言は的外れも良いところだ。効率を旨とするトゥリウスが、一度危機に陥らなければ全力を発揮出来ないようにする、などという無駄でリスクの高い機能を組み込む筈が無い。ドゥーエの発揮する身体能力は――肉体改造で底の分厚い下駄を履かされているが――彼本来の地力。それが普段発揮されないのは、今までの人生で培った常識が「自分の力はこの程度が相応」とブレーキを掛けているか、或いは死闘を楽しみたいという思いから無意識にセーブしているのか。

 いずれにせよ、彼は自身の滑稽さに気づかないままに剣を振るう。


「まァ良いさ。続けようぜ」


 大蛇が鎌首を擡げるように大剣が上段に構えられた。腕を三本も落とされ、先もまた体躯を吹き飛ばされたばかりだ。今やその威力が戦闘開始時の丁々発止の時とは比較にならないものであろうことは理解出来ている。気圧された怪物はまた、じりっと後退しかけて――止まった。

 逃げることは出来ない。この黒い獣は、背中を見せれば即座に斬りかかって来る。ならば採るべき選択は迎撃あるのみ。殺さない限り逃がれられないのだから、殺すしかないというシンプルな答え。キメラは今や、入力された指令ではなく自身の本能と意思で以って、敵と相対することを選択する。その変化は、製作者や他の錬金術師にとって瞠目に値する発見であったかもしれない。だが、その成果を発見する者は、今後現れることは無いだろう。

 火に暖められた、秋風と呼ぶには熱過ぎる風が両者の間を吹いた。その瞬間、ドゥーエの身体が朧に霞み、気が付いた時には相手の背後に出現する。両手剣を、振り下ろした体勢で。

 そして、キメラの巨体が頭頂からばっくりと左右に開き、


 ――ズズズンっ……。


 地響きを立てて、崩れ落ちた。




  ※ ※ ※




 時間をやや巻き戻す。もう片方の戦場、エリシャ率いる第二騎士団とヴイ率いるアンデッドたちの戦いもまた熾烈を極めていた。一角獣に跨り騎上の人となった【姫騎士】が勇猛に吶喊し、敵の戦列に風穴を空けていく。途上にあった者は、ザンクトガレン兵もモンスターどもも皆、馬蹄に掛けた。周囲のほとんどは敵で、味方は勝手知ったる近衛の面々のみ。であれば、同士討ちの心配は無い。そうして団長の振るった勇武に呼応して、配下たちが残敵を掃討し敵陣の穴を広げる。

 剽悍さで知られたザンクトガレン兵と言えど、今は指揮系統を失って壊乱状態に陥っていた。であれば、王国最精鋭の近衛騎士団の敵手たり得ない。加えて後方の防塁からは、ドルドラン辺境伯の指揮による援護射撃が、また或いはトゥリウスが放ったらしき魔法攻撃が飛んでくるのだから、一溜まりも無かろう。昼からの戦闘に魔物の奇襲、加えて自軍兵器暴走による巻き添えまで喰っていた彼らは、急速にその数を減らしていった。

 アンデッドどももまた、死者を材料に増えはするとはいえ、統率者に秩序だった指揮を行う意思が無い。本能と怨念のままに生者を襲う個体の集まり、烏合の衆だ。こちらもまた組織だった反撃を行えずに撃ち減らされていく。

 三つ巴の戦いの趨勢は、急速にアルクェール軍へと傾いていった。


「意外と何とかなるもんですなァ、副団長!」


 敵兵を斬り殺しながら言う部下に、アルフレットは硬い表情を微かに緩める。


「ええ。向こうの奥の手らしきものを、シュバルツァー卿が押さえてくれているのが大きい。あれがこちらで暴れていたらと思うと、少々ゾッとしますよ」


 キメラだとかいう触れ込みの、あの巨大な怪物。友軍をすら巻き込んで暴れる愚かな兵器ではあるが、巨躯と腕力だけでも相当な脅威である。あんな化け物がうろつく最中で殺し合いなど、命が幾らあっても足りはしない。そしてもう一方の怪物であるヴァンパイアは、我らが団長が相手をしてくれていた。お陰でアルフレットらは、与しやすい中位程度のアンデッドか、ほとんど総崩れとなったザンクトガレン兵だけを相手取っていられる訳だ。


(出来れば団長の援護に向かいたいところなんですがね)


 思いながらも、戦場に拓かれた血と死体で舗装されている長い道を見やる。ユニコーンに乗ったエリシャとヴァンパイアらしき少女の姿をした怪物の通り道だ。


(こうも足の速さが違っては、追いつくことも儘ならない)


 さしもの第二騎士団とはいえ、高位霊獣であるユニコーンと同等の速度を出せる乗騎など、全団員に配備するほどの予算は無い。お陰でこうした乱戦下では最上位者であるエリシャが、ユニコーンの乗り手の資格を有する者として、先駆けを務めることになってしまっている。本末転倒なことあるが、第二騎士団では最も強き者を長とするのがその伝統。不本意にも最強の戦力を有効活用する形となっている訳だ。

 だが、それも尋常の敵が相手である場合の話。エリシャが今戦っているのはアンデッドでも別格の存在、ヴァンパイアである。彼女が不覚を取るとは思えないが、万一を考えるとうそ寒い気持であった。仮にもユニコーンの乗り手である清らかな女が吸血鬼の毒牙に掛かったら……とてもではないが愉快とは言えない想像である。

 乱戦の中でそんな思索に気を取られた所為だろうか。アルフレットは背後にゆらりと不吉な影が立ったことに気付かなかった。


「副団長、危ねェっ!」


「っ!?」


 部下の叫んだ声で振り向くと、そこには半死半生とも死んだ後に蘇ったともつかぬ敵兵の姿。それが殺意を漲らせて剣を手に襲いかかって来る。

 斬。鋼の刃が骨肉を断ち切る音が響いた。


「ふ、副団長――」


 騎士の一人が、気が抜けたように呟く。


「――まったく、驚かさんで下せェ」


 身体を横に三等分された敵が、地面へと崩れ落ちた。

 その前に、振り切った二本の剣を携えて残心するアルフレットの姿。今まで振っていた長剣だけでなく、腰に吊ったままであった予備の短剣をも抜いた、二刀流である。


「いやはや、私としたことが戦場で気を抜き過ぎましたね」


 含羞も露わな苦笑を浮かべる彼に、周囲の騎士たちの揶揄が飛ぶ。


「全くですぜ。姐御が知ったら弛んどるって叱られますな」


「ホントホント」


「しっかし、流石はアルの旦那。不意討ちをこうも見事に捌くとは、【双剣のプリュデルマシェ】の腕前はまだ健在ですな」


 王国中から強者、猛者を集めた近衛第二騎士団。そのナンバー・ツーの地位にある副団長が弱い筈が無い。三百年前に竜殺しで武勇を轟かせた英雄【双刀の勇者ヨシュア・モンド】が発祥と伝わる二刀流は、団内ではエリシャを除いて防げる者のいない鋭さを誇る。普段は破天荒な団長の抑え役に回って目立たないが、この男もまた油断ならぬ曲者であった。


「ハァ……それは兎も角、手近な敵は大方掃討出来ましたね。被害状況は?」


「クリッソンのヤツが喰われました。一応、魂が穢れる前に介錯はしましたが」


「こっちは余計な仏心を出した若いのが、錯乱したザンクトガレン兵に……糞ったれ、野蛮人どもが」


 報告を総計すると、二十人近い騎士が魔物や敵兵の手に掛かっている。後方に下げて治療を受けるべき者はそれ以上の数だ。また死者負傷者だけでなく、昼から戦い通しであることからくる疲労も問題である。治療用のポーションなども、手持ちの物は払底していた。


「流石に被害が大きいですね……これでは団長を追うのは難しい、か」


 言って、戦場の東へと目を向けるアルフレット。エリシャが吸血鬼と丁々発止を繰り広げながら消えて行った先は、既に敵兵とアンデッドどもの押し合い圧し合いで、開けた筈の血路が閉ざされようとしている。今の消耗しきった部下たちを連れて混戦の只中に飛びこむ勇気は、流石に無い。


(無事でいて下さいよ、団長。この荒くれ者どもを纏め上げられる器量を持つ騎士なんて、王国に何人もいないんですから)


 最早自分に出来ることは、損耗した部下たちを退避させることと、彼女の生還を祈ることだけ。副団長の地位を得て以来忘れて久しかった無力感に、アルフレットは唇を噛んだ。




  ※ ※ ※




 夜闇が落ちた戦場に、幾重にも撃剣の火花が咲く。それを生じさせているのは、馬上で振るうには些か小振りなエリシャの鋭剣と、ヴイと名乗った女ヴァンパイアの得物とのぶつかり合いだ。


(相手が弓使いなら距離を詰めれば、という考えは単純に過ぎたか)


 女騎士の顔に、苦笑と呼ぶには獰猛に過ぎる笑みが浮かぶ。

 ヴイが手にする長大な弓は、単なる射撃武器ではなかった。両端の部分は金属製の覆いが施された上に牛か羊の角のように尖り、更には金棒じみたスパイクまで生えているという徹底ぶり。明らかに近接戦への備えである。無論、弓の弦を張った状態では取り回しに難があるだろうが、ヴイは怪物らしい剛力で、それを小枝のように軽々と振り回す。


「オンナっ、しつこいっ!」


「はんっ、そちらから襲ってきておいて、よく言う!」


 苛立たしげに吼えるヴイに対し、凄惨な笑顔と共に言い放つエリシャ。化け物じみた女と、正真から怪物である娘の激闘は、戦場を疾駆しながらも続いていく。それに巻き込まれた者は皆、切り刻まれ、粉砕され、或いは射られた。エリシャの剣戟が、乗馬の蹄が、ヴイの弓での殴打が、流れ矢が、近くにいた者にまで威力を及ぼし打ち倒していくのだ。さながら死の突風である。

 本陣背後からの魔物たちの奇襲だけでも堪らないのに、続け様に起こったのはこの天災じみた戦闘。当然、進路上のザンクトガレン兵たちは恐慌に陥った。


「ひぃいいいいいいっ!?」


「こ、こんなところで戦っていられるかっ! 逃げるぞっ!」


「ま、待てっ!? 俺を、俺を置いていくなァ!?」


 戦意を失い、武器を捨て、我先にと敵に背を向け逃げ出していく兵たち。その何人かは無防備になったところをアンデッドの爪牙に掛かって命を落とす。だが堤防の決壊じみた勢いは止まらず、数千の兵士が一斉に一塊となって、東へ東へと逃げ帰り始めた。三つ巴の混戦は、一対一の死闘へと様相を変じようとしている。


「うーっ! これ、でっ! キめるっ!!」


 幾度となく繰り返される交錯に焦れたか、ヴイは脚力に物を言わせて垂直に大跳躍。接近戦では分が悪いと見て、遮る物の無い空中へ逃れて距離を取り、得意の弓なり魔法なりで勝負を掛けるつもりなのだろう。

 無論、相手がそれを黙って許す筈も無い。


「逃ィがァすか――ァっっ!!」


 女の喉から出たとは思えぬ気迫の声。同時に一角獣が甲高く嘶く。ユニコーンもまた地を蹴って大跳躍。月を背にするヴイを追い詰めようと、それこそ放たれた矢の如き勢いで宙を駆けた。

 逆しまに空へと昇る白い彗星。自身に向かって伸びるそれにヴイが一瞬目を丸くし、


「あははははははっ! バーカっ!」


 ついで、腹が捩れるほど可笑しいと笑い飛ばす。

 ブゥン、と低く唸るような起動音と共に、全身に刻まれた呪印が輝いた。同時、跳躍の頂点に合った筈のヴイの身体が、重力に逆らい僅かにふわりと浮き上がる。魔法による飛行だ。術の精度がネックとなり飛翔速度は遅いが、位置をずらしてエリシャからの攻撃に対処するにはそれで十分。渾身の気迫を込めた攻撃、ご苦労様。後は間抜けに地面に墜ちて、トドメを見舞われるのを待っているといい――吸血鬼は優越感たっぷりに獲物を嘲笑った。

 だが、魔法で条理を捻じ曲げるのは、何も怪物だけの特権ではない。


「……≪エア・バースト≫っ!」


 爆音。ユニコーンの蹄の直下で空気が爆ぜ、圧力を加えて更なる高みへと押し上げる。エリシャの放った風の魔法。本来は衝撃で敵を吹き飛ばし、ダメージと共に体勢を崩す術を、自身の推進の為に利用したのだ。

 高さが、合った。視線も合った。高貴な霊獣との肩書を裏切るような一角獣の血走った目と、それすら凌駕する獣性を秘めた騎手の眼光。


「へ? え? ええっ!?」


 必勝の確信を裏切られ動揺するヴイに、死刑を告げるように更なる呪文が紡がれる。


「≪ウォーター・ストリーム≫っ!」


 水属性の中位魔法。より上位である≪ハイドロ・ストリーム≫には劣るが、強力な水流を発することで敵を打ち据える魔法だ。こちらも先程の≪エア・バースト≫と同じく推力に転用。一気に加速を付けてヴイへと迫る。

 彼女に向けられたのは、ギラリと剣呑な輝きを宿す一本角。聖なる獣とされるユニコーンの一角は、煎じれば万病を癒す霊薬となり、これを以って貫けば破邪の力を顕すという。生者必滅の理に抗い不浄の死後を生きるアンデッドに対しては、致命的な特効を齎すのだ。

 交錯。激突。衝撃。

 そして一騎の武者と一匹の化け物は、弾かれたように正反対の方向へと吹き飛ばされていった。




  ※ ※ ※




 衝突の瞬間、股下から生じた突き上げるような衝撃。エリシャはこれを、太股で馬腹を締め上げることで辛うじて耐える。

 当たった。ぶち当ててやった。加速と重量に加えて、魔を帯びた者には覿面に効くユニコーンの角の一突きだ。如何に吸血鬼といえど即死、でなくとも確実に深手は負わせた筈。博打じみた奇手に次ぐ奇手を喰らわせてやったことに、ゾクゾクとした快感が背筋を這い上って来る。

 だが、吹き飛ばしてしまったことは上手くない。相手は不死身のヴァンパイアだ。距離を離してしまうとダメージを回復させる時間を与えてしまう。何とか着地による硬直を最小限にして続け様に追撃を――

 そこまで考えて、はたと気付く。


(待て。何故、吹き飛ぶ?)


 エリシャはユニコーンの頭の角で相手を突き刺してやった筈だった。であれば、衝撃の幾分かは相手の身体に突き刺さる為の力に割かれ、こうも見事に吹き飛ぶことは無いのではないか。いや、それどころではない。この風を切る感覚、エリシャと乗馬もまた逆方向に吹き飛ばされている。これは断じて、ユニコーンの角を喰らわせた結果ではない。


 ――ブルルル……っ!?


 ガクリと愛馬の腰が脱力する感覚が伝わったことで、エリシャは異常を悟った。反射的に鐙から足を抜き、馬の背を蹴って跳躍。空中で身を翻しながら、眼下を見やると、そこにはユニコーンが無様に崩れ落ちる姿。馬鹿な、とエリシャは目を瞠った。彼女の愛馬はただの霊獣ではない。苛烈な調練を耐え抜いて鍛え上げられた名馬だ。副団長の顔を青褪めさせた過去の訓練では、底が見えぬほどの深い谷を、四本の足だけで無事に駆け下りるような芸当も見せている。それが着地にしくじって倒れるなど、信じられたことではなかった。

 勢い余って地を滑る霊獣。その頭部は、深雪に足を突っ込んだ後のように陥没し、無二の象徴たる一角も皮に下がるようにしてぶらぶらと揺れていた。


「ま、まさか……!」


 浮遊の魔法で衝撃を殺し着地したのもつかの間、エリシャは敵の消えた方角に向かって走る。脳裏からは地に伏して痙攣する乗騎のことは忘れ去られていた。非情なことかもしれないが、どうせあのユニコーンは助からない。それよりも敵の状態を確かめる方が先決だった。

 果たして、敵影は百メートルも進まぬ内に見つかった。


「ぐぅぅぅっ……!」


 苦痛の呻きを漏らし、血走った眼を敵意で輝かせる吸血鬼の少女。周囲には墜落に巻き込まれたと思しき敵兵が、ピクピクと痙攣しながら転がっていた。彼女の両脚は、まるで挽き臼にでも巻き込まれたかのように痛々しく潰れている。恐らくは空中での衝突の際に痛めたものだろう。同時に、それが角を躱した手品の種だと知れた。

 あの激突の瞬間、ヴイは突撃を避けるのではなく逆に突っ込んだのだ。猛然と迫る馬面に向けて角に当たらぬよう脚を伸ばし、蹴りを入れたのである。そしてその反作用で思いっきり跳躍、エリシャらを吹き飛ばし、自分も逆方向に飛んで危難を避けたのだ。


「何てヤツだ……」


 思わず、畏怖の声が漏れる。追突してくる馬を躱すのではなく、逆に頭を狙って蹴り潰すなど、まともな発想の所産ではない。何という軽業にして荒業だろうか。だが、少女の正体は人間にあらざる吸血鬼。人外の身体能力で以ってすれば、難事ではあれど不可能ではなかろう。それを為した証拠として、馬上にある筈の自分は地に足を付ける羽目となっているではないか。


「チ、タりない……」


 エリシャが距離を詰める前に、ヴイの腕が尻の下で伸びて痙攣しているザンクトガレン兵を掴み上げる。見た目は小柄な少女とはいえ、四十~五十キログラムは目方があろう。遥か上空から落ちてきたその重みに耐えて生きているとは、流石はザンクトガレンの強兵と言うべきか。いや、ひょっとすると単なる生活反応を見せているだけの死体やもしれぬ。確実に言えることは、それが吸血鬼にとって格好の補給源であることだけだ。

 ゾブリと、兵隊の喉に牙が突き立てられた。はしたなく喉を鳴らしながら血を啜っていくヴイ。滋養を摂ったことでヴァンパイアの回復能力が更に向上。折れていた骨がメキメキと音を立てて繋がり、爆ぜていた肉も見る見るうちに元のほっそりとした姿を取り戻す。

 無論、黙ってそれを見送るエリシャではない。


「きぃえぇええええいっっ!!」


 疾走の勢いそのままに大上段から振り下ろした一閃。だが、それが捉えたのは標的ではなく哀れな犠牲者のみ。


「うぁ、あああ、あぁ……」


 血を吸われ切り、からからに干乾びてレッサー・ヴァンパイアと成り果てていた元兵士が、肩口からざっくりと両断され、風化して果てた。

 背後で草地に着地する音。隙を見せぬように振り返るエリシャの視線の先で、ヴイは呆けた己の手の中を見つめていた。


「ワタシ、の、ユミ……」


 そこにあったのは、半ばから折れた例の長弓。怪物の武器として幾多もの命を奪って来た呪われた弓が、ベッキリと圧し折れ、用を為さぬガラクタと成り果てていた。


「ユルさない……! よくも、よくもっ! ワタシの、ユミをっ!」


 呆然とした独白は、すぐさま怒りの滲む唸りへと変わる。夜風を押して響くは、殺意に猛る吸血鬼の声。否が応にも緊張を煽る状況に、エリシャは敢えて平然と冗談を言うように口を開く。


「吠えるなよ、うるさいな。こっちだって下賜された愛馬を殺されているんだ。失くした物の価値で言えば、こちらの方が大きいと思うんだが?」


「コロすっ! チをスって、コロすっ!」


 餌である筈の人間を相手に武器を失い、挙句の果てにこの態度。当然、ヴイは激高した。

 だが、それこそエリシャの望むところ。怒りに身を任せた者は冷静さを失い、直接的な暴力に走るのが常だろう。それは人間も魔物も同じだ。要は怒り狂って殴りに来るということである。

 突進してきた馬、それも高位の霊獣を蹴り殺すような怪力の持ち主。それに接近戦を挑むなど、阿呆かと思われるかもしれない。だが、ヴァンパイアは魔法や異能にも長けた種族だ。先に見た通り、エリシャも魔法は使えない訳ではないが、剣の方が断然得意である。魔法の撃ち合いよりかは、まだしも分があると言えよう。

 果たして、ヴイはその挑発に乗った。


「シぃ……ねぇえぇえぇえぇっっ!!」


 血の昂りに両目を赤く輝かせながら、こちらへと突進するヴイ。枯れ草を地面ごと蹴散らす足音に紛れ、メキメキというおぞましい異音が聞こえて来る。

 見ればヴイの両手の十指からは、湾曲した長い爪が伸び、さながら鉤爪の様相を呈していた。吸血鬼の異能の一つ、肉体の変容だろう。獲物を引き裂き血を浴びるのに適した形へ、己が肉体を作り変えたのだ。

 邪悪な凶器と化した手指が、唸りを上げて迫る。


「……雑な攻めだっ!」


 しかしそれは、戦術も技巧も欠き、狩猟者の本能さえ憤怒で曇らせた、勢いだけの一手。エリシャは爪に沿って剣を当てるようにして受け流し、ヒラリと回転。擦れ違いざまにヴイの背中へと斬り付けた。

 【姫騎士】の剣は確かにヴァンパイアの皮を裂き、肉を斬り、血を吸う鬼をして流血に至らしめていた。


「がァアァアァアァっ!? イタいっ!? チっ、デたっ!? アァァっ!!」


 ヴイはますます狂乱して手足を滅茶苦茶に振り回す。吸血鬼特有の再生能力に物を言わせ、背中の傷口は刃が抜けた瞬間には掻き消えていた。人間であればそれで勝負ありと言えただろう深手が、全くダメージにならない。なのに彼女は、痛みに度を失くして暴れているのだ。


「この剣も礼装の一種。であれば、アンデッドを苦しめるにも効果覿面、か」


 どうせなら治癒も遅延してくれればよかったものを。エリシャは眉を顰めつつ嘯き、構え直す。本来であれば、隙ありと続け様に攻め込むべきところだろう。彼女がそれを躊躇したのは、


「ARRGAAA……っ!?」


「ひっ!? ぎゃあああああっ!?」


「GUOOHHH……っ!!」


 次々と(なます)になり、或いは叩き潰されていく、ヴイの周囲のアンデッドの群れ。或いは逃げ遅れたザンクトガレン兵たち。この光景の為だ。ただ痛みにのたうち回るだけで、巻き込んだ物を手当たり次第に破壊する。そんな破壊の渦に無策で飛び込むなど、回転する巨大な風車の羽を素手で止めに行くようなもの。忽ちの内に挽き潰されてしまうのは目に見えていた。

 化け物め、と改めて認識する。腕力・脚力・瞬発力・持久力・耐久力、全て人間とは桁が違う。ある程度勝負になるかと思っていた身体能力でさえこれだ。冷静さを失った為に魔法を使ってこないのは好材料だが、それがどれ程の慰めになろうというのか。

 エリシャの見立てでは、ヴイの討伐等級は紛れも無くAランク。それもA+に限り無く近い、ヴァンパイアロード一歩手前の高位吸血鬼だ。最上位の冒険者が、徒党のみならず連合まで組まなければ対抗出来ないだろう領域。そこに手を掛けている。

 彼女には知る由も無いことであるが、実を言うとヴイの身体的スペックは、弱点の多寡を除けばロード級のヴァンパイアであるシャールにすら引けを取らない。及ばないのは魔力とその運用能力のみであり、にも関わらず一切の太刀打ちが出来なかったのは、序列関係が最優先事項として書き込まれているだけに過ぎないのだ。外法の錬金術師の所産は、失敗作といえど世界を揺るがしかねない性能を秘めているのである。

 一国を代表する精鋭たる近衛騎士、その精華である騎士団長とても、絶望的なまでに戦力差を開けられる怪物。

 それを前にして、


「ああ……良いぞっ……!」


 エリシャ・ロズモンド・バルバストルは、陶然と微笑みを漏らす。

 一手の過ちで、いや相手が一手過たないだけで死ねる極限の状況。死神の指先が肌に触れる感触に、我知らず熱気の籠った息を吐いていた。

 これ程までの強敵は、十年に渡り騎士として生きて来た身としても初めて見える。強い敵。つまりは魅力的な獲物だ。

 エリシャは戦いが好きだった。何か切っ掛けがあったという訳でもない。生まれつきそういう性を負っているのだ。バルバストル侯爵家を飛び出した理由も、意に沿わぬ婚姻から逃れる為だけではない。自分のやりたいことを思う存分にやり抜く為に選んだのである。

 名誉ある戦場、至難の敵、生死が交差し火花散らす瞬間! 幼い頃より夢見ていた全てが、手の届く距離にあった。

 恋する乙女そのものの視線を、やんちゃに暴れ続ける吸血鬼の娘に向ける。


「おい、こっちを見ろよ」


 歌うように口にしながら、一歩、二歩と相手に近寄った。


「私が憎いんだろう? 私を殺したいんだろう? それならどうして、下らぬ八つ当たりなどにかまけているのだ」


 言っていて、自分で自分の口振りがおかしくなる。まるで拗ねているようじゃないか、と。

 いや、実際彼女は拗ねていた。折角出会えた愛しい相手が、こちらを見失ってつまらない有象無象に没頭している。こんなに妬けてしまうことは無い。


「あーっ……?」


 ヴイがようやく、狂乱を収めて首だけ動かしエリシャを見た。そして思い出したように、再び彼女への憎悪を滾らせる。エリシャも滾った。心臓がバクバクと高鳴り、手足に心地良い緊張が漲る。胸の先にじりじりとした切なさを覚え、身体の内側がドロリと潤んだ。

 前戯めいた応酬だけでこれだ。決着の際に得られる悦びは、どれ程のものだろう?


「……コロすっ!」


「そうだっ! 私だけを見ろ、殺したいなら殺せっ! 遠慮は無用だ、私も殺すっ!」


 叫びを交わしながら、人間と吸血鬼、二人の女が衝突する。片や憎しみと食欲とに衝き動かされ、片や喜びと情欲とに駆り立てられながら。

 怒涛の如く襲い掛かる吸血鬼の爪牙を、エリシャの剣が弾き、逸らし、受け流す。時には返しの一手で傷を刻みながらも、女騎士は変わらぬ不利を悟っていた。

 一見すれば、技巧に長けるエリシャの方が優勢に思えるかもしれない。相手の攻撃を一撃として受けず、逆に幾つもの傷を敵に与えているのだから。

 だが、違う。

 ヴァンパイアは多少の切り傷など物ともしない。その不死性に物を言わせて、あっという間に再生させてしまう。これだけの治癒力を超えてダメージを与えるには、四肢を斬り飛ばすか、それとも吸血鬼とて変わらぬ弱点である、首や心臓を狙うかしかない。嵐のような攻撃の只中でそれを狙うのは、熟練の技量を以ってしても至難の業だ。

 一方、こちらはどのような形であろうと一撃が致命傷に至る。何しろモンスターの怪力だ。掠めただけで肉が抉れ、腱を断たれ、骨まで折られかねない。どこに当たろうと、そこからごっそり血肉をこそぎ取られるのは必定。故に、どこへだろうと一撃だろうと、攻撃を受けることは許されない。

 吸血鬼の両腕は破滅的なまでにそれを繰り出す速度を上げていく。

 女騎士の受け太刀は先読みと直感を総動員してこれに食い下がる。

 白熱したデッドレースは、徐々に徐々にとヴイの方へと天秤を傾けていった。エリシャがじりじりと押し込まれ、受け流しに用いた剣先を戻すのが少しずつ遅れていく。連戦の疲労、集中力の限界、敵手の一撃の重さ。様々な負の要因が、女騎士の剣を押し込んでいった。

 そしてついに、エリシャの右肩ががくりと下がる。


「スキありぃいいいいいっっっ!」


 喜悦の声と共に爪を繰り出す吸血鬼。剣を握る右腕を力無く下げた姿は、確かにこの上無い好機だ。もう小癪な受け流しは出来まいと、一気に勝負を決めに掛かる。

 その瞬間だった。


「!? キえ――」


 一瞬、獲物の姿を見失い狼狽するヴイ。その見開かれた左目に、


「そちらこそ、隙ありだ!」


 装甲靴の堅い踵がめり込んでいた。

 エリシャの身体は右腕を下げた勢い殺さずに沈み込み、地上で前転するように一回転。そのまま靱やかに脚を伸ばして、飛び込んで来たヴイの顔面へと突き刺すように叩き込む。浴びせ蹴りである。敵の面前でごろりと転がるという隙を晒すことから、興業格闘士の見せ技とまで言われる代物だった。それを実戦で、しかもこの命懸けの土壇場で選択し、尚且つ見事に痛打を与えることに成功するとは、如何なる胆力の為せる業か。今や吸血鬼は、潰された左目を押さえて痛みにのたうっていた。


「――ガァアアアアアアァっ!? メっ、メがっ! メが、イタいィイイイイイィっ!!」


「私の馬のお返しだ。遠慮無く味わってくれ」


 言いながら起き上がると、鍔鳴りをさせつつサーベルを構える。吸血鬼の復元力も、対象が眼球のような繊細な器官となると修復に時間を要するだろう。勝負の天秤も、今度は一転してエリシャの方へと大きく傾いた訳だ。


「待ってろ、今確実なトドメを刺す。――≪天の六花よ、地を渡る烈風よ。今ここに合い結びて、我が刃に宿れ≫」


 詠唱と共に剣の腹に剣指を結んだ指を当て、鍔元から切っ先までなぞり魔力を巡らす。不死身の怪物だろうと一太刀で仕留める為の一撃、その準備が着々と整っていく。一方、顔を押さえて蹲る吸血鬼は、片目を潰された苦痛に未だ呻いていた。

 このままエリシャの勝利で全てが終わるかと思われた時、状況は再び変化する。

 ドォン、と響く遠雷めいた衝撃。同時に微かに肌を炙る熱風。見れば戦場の反対側、ドゥーエがキメラらしき怪物と戦っていた地点が、真っ赤な炎に包まれていた。


(何だ? あの坊やの魔法にしては規模が大きいが)


 女騎士の感慨はその程度。そんなことよりも目の前の敵手を確実に屠ることが先決である。だが、痛みにのたうつ吸血鬼には、また別の感想があった。


「ホノオ? ホノオ、ワタシ、タスける……」


 ぼんやりと顔を上げ、残った右目にここではないどこかを、今ではないいつかを映す。そして、想起された感情に呼応するように刺青の刻印が光り始めた。


 エリシャは知らない。このヴァンパイアが魔法を行使する方法は、通常のそれと異なるということを。生前に落ちていた狂気の為か、或いは既に経験ある身で吸血鬼化した弊害か、この少女の知性は退行し、満足に詠唱すら行えない。それを補うのが全身に術式を刻み込み、これに魔力を喰わせることで魔法を発動する方式だ。

 即ち、燃費こそ大幅に悪化するが、どんな魔法であろうと無詠唱での発動を可能とする。

 それを見せたのはザンクトガレン軍に対してのみ。エリシャに対して使ったのは無詠唱化の容易な飛行魔法だけ。多くの兵が一度に薙ぎ払われた惨劇は、アルクェール王国の面々にとって敵軍という分厚いカーテンの向こうで繰り広げられた光景だ。故に、そんなことなど知る由も無い。

 だからこれは無知故の錯誤。責めることは酷ではあるが、死に繋がりかねない誤謬(ごびゅう)である。

 何も知らずに奥の手を放たんとしているエリシャに向かって、ヴイの殺意を乗せた魔法が、莫大量の魔力を費消しつつ発動した。


「……モえろぉおぉおぉおぉっ!! ≪イグニス・ファタス≫ぅうぅうぅっっ!!!!」


「なっ――」


 クラヴィキュール盆地に、再び不浄の業火が灯された。




  ※ ※ ※




「あははははははっ! あはっ、あはは、あはははははははっ!!」


 熱気を欠いたままに燃え盛る炎を前に、ヴイは高笑いを上げていた。

 ぐじゅぐじゅと湿った音を立てて、ようやく左目の修復が終わる。生意気な獲物であった女は、この獄炎に呑まれて消えている。敵はいなくなった。自分の勝利だ。気分が良い。やはり炎は自分の味方だ。こんなに成り果ててしまっても、私を守ってくれるじゃないか。


「あはははっ! スッキリっ! スッキリしたっ! キモチ、イいっ!」


 魔力欠乏による倦怠感はあるが、それを差し引いても爽快な気持ちだった。何も考えずに全力を叩き付けたお陰か、頭痛も不快感も何処かに吹っ飛んでいる。

 なんだ、簡単なことじゃないか。

 何も考えずに暴れるだけで、嫌な思いも妙に悲しい気分も消えてしまう。この血が齎す衝動と、自分の上に立つ者たちの命令だけを聞いていれば、それで万事解決だ。何も思い煩う必要は無い。

 だから何も思い出さなくても――


「ぐっ!? う、うぅ……?」


 消えたと思った頭痛が、またぶり返して来た。

 まただ、思い出せないことを思い出そうとすると、頭が痛い。胸も痛い。それではないどこかも痛い。痛くて、苦しい。

 考えなければ平気なのに、どうしてまた考えてしまうのか。オーパス04とかいう男の言う通り、自分が馬鹿になっているからだろうか。

 駄目だ、駄目だ、考えるな。何も考えるな、考えるから苦しいんだ、頭はもう馬鹿になっているんだから無理に使うのは良くない、命令だけを聞いてそれをこなすことだけ考えれば良いそうすればごちそうだって貰えるし恐ろしいお仕置きも受けないで済む飼い馴らされた動物のように躾に従って愛想良くしていれば大丈夫考えるから問題が後から後から生まれてキリが無いんじゃないか考えるな考えるな考えるな……!


「わ、ワタシは、ヴイ……ヴァンパイアの、ヴイ……」


 自分が何であるかを改めて言い聞かせると、少しだけ気分が落ち着いた。

 そうだ、自分はヴァンパイアだ。あの恐ろしい化け物に飼われている、使い魔のような化け物の一匹。それで良いじゃないか。それに納得していれば、こんな頭痛に悩まされずに済む。そうではない自分なんて――想像することも許されない。


「あ、あは、あははは……」


 彼女はもう一度笑ってみる。今の自分を誇るように。強くなった自分を見せつけるように。

 だけど何故か、そんな笑い声を出すのが億劫だった。

 疲れた。魔力を使い過ぎた所為だ。無理な回復を重ねた所為かもしれない。もう何もしたくない。でも、仕事はまだ残っている。オーパス04と05に言い渡された「シケン」はまだ途中なのだ。この盆地にいる「グンタイ」とかいう連中を全滅させなくてはいけない。戦う力を持っている人間の群れを「グンタイ」というのだと教えられていた。戦える奴らはまだ幾らでもいるのだから、そいつらも殺さないと。


「ば、ばけ、ものめ……」


「……うー?」


 声がしたので顔を向けて見ると、燃え続ける≪イグニス・ファタス≫の魔炎に当てられて、何匹か「グンタイ」の定義に該当する人間が転がっていた。あの女を狙って撃ったものだが、何分注ぎ込んだ魔力の量が量だ。効果範囲が拡大して、彼らも巻き込んでしまったのだろう。別に何ら不都合は無い。命令されているのは「グンタイ」の全滅なのだから、コイツらを殺すのもその範疇だ。

 生きているのはそう何人もいないが、折角だから生き血を頂こう。魔力が減って力が出ないし、折角のご馳走である女は死んでしまった。死人の血は、命の味がしないから不味い。あれなら培養物の薄味の血液の方がマシだ。転がっている男どもに童貞はいないようだが、贅沢は止そう。生き血が味わえるだけで良しとするべきである。


「おナカ、スいた。ゴハン……ゴハンっ!」


 ゆっくりと歩を進め、生き残りの男に近付いていく。じっくりと恐怖を与えて負の感情で味付けしてやれば、血の味は格段に良くなる。あの04が言っていたことの中でも、数少ない為になることだ。嬲るようにじわじわと距離を詰め、相手が怯えきったところで捕まえてやろう。

 そうして、また一歩距離を縮め――




「……私だけを見ろと言っただろうっ!」




 冷たい魔炎を引き裂いて、更に冷たい極寒の風が吹き寄せて来た。

 何事かと振り向いた拍子に、右手首へと刃が通る。


「ぁああっ!?」


 切断された腕がボロリと落ち、続いて傷口を焼かれるような……いや凍り付かせられるような激痛が走った。


「イタっ!? い、イタい! イタいツメたいツメたいイタいぃいぃいぃいぃっ!!」


 何かが傷から体内に侵入し、腕を這い上って来る。身体を内側から掻き毟られるような痛みに、ヴイはもんどり打って地面を転がった。

 冷たい。

 ヴァンパイアと化した自分に体温は無い。それは身に染みて知っているが、この冷たさはそれとも違った。触れる物を凍てつかせる氷の針が、無数に血管へと打ち込まれたような感覚。

 それは錯覚ではなかった。

 斬り飛ばされた手首の先、腕部の皮膚がささくれ立って、凍った血液が赤い花のように飛び出している。そしてその凍血の浸食は、時間ごとに上へ上へとヴイの右腕を進んでいった。

 紅蓮、という言葉がある。血のような赤を評し、燃え盛る炎を連想させる単語であるが、本来の意味はまるで真逆。余りの冷たさに血肉が凍って体内の水分が膨張、内側から裂けてまるで紅い蓮のように人体が開花する。そんな極寒の地獄を指す言葉なのだ。

 ヴイに与えられた苦痛は正に寒冷地獄のそれ。剣で身体を斬りつけられると同時に氷の魔力に侵され、やがては内側から身体を凍結破壊。凍え震えながら崩壊へと至る、美しくも残酷な拷問処刑である。

 本能的に己の末路を悟ったヴイは、窮余の手段に出た。


「が、あ、あぁあぁあぁあぁっっっ!!!!」


 凍結の浸食が胴体に至る前に、肩口から右腕を自ら切り離す。身体から離れた腕は腕は落下中に凝結し、地面に叩きつけられると同時に破砕した。

 片腕の吸血鬼は、激痛と消耗に荒い息を漏らしながら敵を睨む。未だに身を苛む寒さを追い出すかの如く、憎悪を燃やしながら。

 視線の先に立つのは、


「やはり、一撃では仕留められなかったか。残念に思うべきか、否か……ふふふ」


 エリシャ・ロズモンド・バルバストル。≪イグニス・ファタス≫の業火に飲み込んでやった筈の女騎士。死んでいる筈の女が、無傷のままに立っていた。まだ戦えるのが嬉しいとでも言うように、小癪な笑みを浮かべて、野蛮な姿を放埓に晒している。

 いや、それよりもヴイの目を引くのは、


「……その、ケン、はっ……!?」


 エリシャが携える優美なサーベル。先程まではちょっとした痛みを与えるのが精一杯であったチャチな武器が、様相を一変させてその手に収まっている。

 煌々と夜を照らす魔力の光。刀身を取り巻く冷たい吹雪の渦。

 まるで氷結の魔法が、そのまま剣に宿った、ような――


「――マホウ、ケン」


 記憶の奥底から蘇ってきた単語を呟く。

 魔法剣。魔導師が術式を剣へと付与することによって、神話や伝承に謳われるが如き魔法の武器を一時的に作り出す業。

 成程、これなら≪イグニス・ファタス≫を斬り裂いて突破出来てもおかしくはない。だって、それはかつて彼らが自分の前でも見せた――また、頭痛が。

 左手だけで頭を抱えるヴイの声を、女騎士が聞き止めた。


「ほう? 知っていたか、私の奥の手≪ブリザードファング≫を」


 その言葉に呼応したかのように、剣に纏わりついている吹雪が勢いを増す。

 ヴイは知らないことであるが、魔法剣≪ブリザードファング≫は同系統の魔法の中でも高等な術技とされる。その要諦は水と風、二属性の複合だ。低温や凍結を操る水に風を加えて吹雪と為し、凍結の力を倍加させる。これを剣に宿して振るった際の相乗効果は――ご覧のとおり。吸血鬼の肉体に対してさえ、決して弱点となる属性ではないというのに、致命的な効果を齎すほどなのだ。


「あ、ああ、あああっ……!」


 今や片腕のみとなったヴイは、怯えたように後ずさる。

 理解出来なかった。

 何故、それが自分の敵に回る。その業は、その魔法は、自分たちの、自分の仲間のものではなかったのか。なのにどうして敵が使える? どうして自分を傷つける?

 理解出来ない理解出来ない理解出来ない……!

 苦痛と衝撃と記憶の混乱により、彼女の思考は一種の停止状態にあった。

 戦意も欲望もどこかに消し飛んでいる。

 ただひたすらに怖かった。今は思い出せないかつての仲間の術技によって滅ぼされることが、何よりも怖い。

 それはまるで魔に染まってしまったこの身を、彼らが指弾し裁こうとしているようで――


「……うわぁあぁあぁあぁあぁっっっ!!」


 ――そう思った瞬間、堪らなくなって相手に飛び掛かっていた。

 残った左腕をぐるぐると駄々っ子のように振り回し、泣きながら斬り付ける。

 その技が、その剣が、本物の筈は無い。あれは自分たちの、いや彼らのものだ。こんなところにある訳は無い。だからアレは偽物だ。偽物は壊さないと

 ……でも、もしそれが本物だというのなら――。


「はァ――――っ!!」


 応じるように女騎士の鋭剣が伸びる。

 薙ぎの一閃で異形の鉤爪を断ち折り、手首を返して刺突を見舞う。

 狙いは心臓。生者と死者とを問わぬ、意思ある存在の弱点。絶対零度の刃が剣先から胸に埋まり、背中から突き抜けた。


「……あ」


 突撃の勢いが余って、ドンっと二人の女がぶつかり合う。顔と顔が触れ合いそうな距離。そして、吸血鬼にとっては、十分に獲物を牙に掛けられる距離だ。

 だが、ヴイは動かない。


「……あつい」


 ヴイは自分の体内を侵す魔力を、そう感じていた。

 余りにも冷たいが故に、逆に灼かれるような熱さと錯覚してしまったのだろうか。だが、彼女はその熱を本物だと信じた。

 闇の力を以ってしても砕け得ぬ、尊く輝いた魔法の剣。それそのものであるのだと。

 途切れ途切れだった過去の記憶が、今わの際にようやく鮮明な像を再生する。


 ――身を持ち崩していた自分を導いてくれた優しい神官。

 ――正反対な性格から何度も衝突した素直じゃない少女。

 ――最初に手を差し伸べ、その瞳に魅せられたあの少年。

 ――少年と少女の絆が作り上げた、いと輝かしき炎の剣。


 この胸を貫く痛みと熱は、本物の証しだ。

 かつて奪われて失った筈の仲間たち。彼らが戻って来てくれた。そして、魔性に溺れて悪魔の手先に堕した自分を、裁いたのだ。

 ……あの人たちは、本当に正義の味方だったから。

 ……悪いことをしたわたしを、ちゃんと怒ってくれるのだ。

 奇妙な安堵を覚えながら、彼女は迫る終わりを受け入れる。

 ふと気付くと、目の前には知らない女性が立っていた。はて、彼女は誰だったろうか? どこか見覚えがある気がするが、思い出せない。

 自分の最期を看取る人を知らないというのも悪い気がしたので、訊ねてみる。


「……あなたは、だれ?」


 問いを受けて、女性は目を瞬く。そして微かな戸惑いの後に、


「そういえば、名乗っていなかったな。……エリシャだ。エリシャ・ロズモンド・バルバストル。見ての通り一介の騎士だ」


 親切にもそう教えてくれた。

 ……そうか、貴女はそういう名前なのか。

 ……そういえば、わたしの名前は――


「……ああ、そうか」


 ようやく思い出せた。

 忘れ去っていた自分の名前を。昔は好きではなかった、けれど仲間たちに何度も呼ばれて、少しだけ好きになれた名前を。


「……わたしは――」


 ……わたしはシランだ。

 ハーフエルフのシラン。冒険者で、パーティ『守護の天秤』の四人目、シランだ。

 どうして、そんな大切なことを忘れていたのだろう?

 そんなことを忘れていた粗忽さが、笑えるほどに滑稽で。

 それを思い出せたことが、どうしてか泣けるほど嬉しい。

 同時、胸から流し込まれた魔力が全身へと行き渡った。泣き笑いの表情を浮かべたまま、少女は完全に凍り付く。そして次の瞬間には、散華するように破砕した。

 秋の夜空に気の早い粉雪が舞って、地に落ちて溶け消える。

 前触れもなく戦場に現れ両軍を恐怖に陥れた怪物は、もうどこにもいなかった。




  ※ ※ ※




「ユニ、見えていたかい?」


「はい、ご主人様」


「君から見て、彼女はどうだい?」


「身体能力はそれ程ではありません。魔力も同様です。しかし、純粋な剣技の程はドゥーエを凌ぐでしょう。切り札の切れ味も――現状の武器ではフェムに通じはしないでしょうが、新たに強力な礼装を手に入れれば、或いは。何より、あの爆発力は侮るには危険かと」


「……放置すれば厄介になりかねない、ということかな。さて、どうしようか」


「ご主人様には、どうか高所大局からのご英断をば」


「ふむ。それじゃあ――」




  ※ ※ ※




 ヴイと名乗ったヴァンパイアの完全消滅を確認すると、エリシャは血振りをするようにサーベルで空を斬り、≪ブリザードファング≫を解除する。

 同時に急激な疲労感に苛まされて、地に膝を突いた。


「くっ……! 相変わらず、馬鹿みたいに魔力を喰うな……」


 二属性複合と魔法剣の長時間維持による、莫大量の魔力消費。それ故に≪ブリザードファング≫は乱発出来ない奥の手となっていた。ましてやエリシャは、二属性への適性という優れた素養こそあるものの、本質的に魔導師ではなく剣士。魔力を高める鍛錬より剣の修練に重きを置いている為に、魔力量はそこまで高くはない。

 水か風、単一属性の魔法剣であれば多少は燃費が抑えられただろうが、そうなると逆にヴァンパイアへ有効打を与えることが難しくなる。痛し痒しというところだ。

 脱力感に苛まされるエリシャ。そんな彼女に、遠くから歓呼の声が聞こえる。


「団長ォーっ! ご無事ですかァ、団長殿ォーっ!」


「見ろ、あそこだっ! ご無事でいられるぞ!!」


「や、やったっ! 団長がヴァンパイアを倒したぞォ!!」


「流石だぜ、姐御ォ!!」


「イヤッハァアァアァっっ!! 近衛第二騎士団、最っ高ォーっ!!」


 振り返ると目に飛び込んで来るのは、配下たる第二騎士団の男たちだ。ほぼ全員がズタボロの状態で、幾人かの顔がそこには欠けている。本来であれば後方に下がっているべき大損害と見えた。能天気な自軍の様子に、彼女は疲労に歪む顔を一層顰めた。


「アル……お前、何をやっているのだ」


「団長! ザンクトガレン軍は全面潰走! お味方の勝利です!」


 冷静という単語を額に入れて飾ったような男が、あろうことか浮かれ切った間抜け面を下げてこちらに駆けて来ている。一度は下がったものの、敵方の敗走を見て矢も楯も堪らずエリシャを探しに来たというところだろうか。


「馬鹿者っ……古来、勝って兜の緒を締めよと――」


 怒鳴りつけて叱責しようとするも、身体に力が入らず大きな声が出せない。常なら衣服同然に感じていた筈の鎧具足が重く、剣を鞘に納めるのすら億劫に感じる。

 昼からの連戦と吸血鬼との血戦で消耗し切り、今の彼女はそこいらの女性となんら変わらない程に力を落としていた。

 ……そんな時である。


「主ィ……何処ォ……? 血ィ……渇くゥ……!」


 一匹のレッサーヴァンパイアが、崩れかけた身体を引き摺りながら、彼女の傍に出現した。


「何、だと……?」


 エリシャが呆然と呟いた。使役者であったヴイが消滅した所為だろう、身体のあちこちから白煙を噴き上げ、今にも主の後を追いそうな態だ。

 しかしそれでも滋味溢れる処女の血を吸えば、或いはそれを糧として、偽りの生命を繋げられるかもしれない。

 如何なる天の配剤か、怪物の前には消耗し切った女が一人。それも純潔を保った清く甘い香りをぷんぷんと匂わせている。そして、邪魔となる騎士たちや兵士どもからは距離があった。


「女ァ……! 血ィ……寄越せェ……!」


「がっ……!?」


 消滅間際に火事場の馬鹿力を振り絞ったか、あらゆる意味で死に損ないとは思えない勢いで怪物が圧し掛かって来る。

 エリシャに抵抗する力は残っていなかった。細身が枯れ木めいたおぞましいミイラの腕で押し倒され、為す術も無く地に転がる。冷たい癖に白い息が顔に掛かり、そこに含まれた死臭に吐き気を覚えた。


「だ、団長っ!?」


「い、今そちらに――」


 部下たちの声が遠い。ほんの十数メートルの距離しかないというのに、まるで海の向こう側から聞こえてくるようだ。

 せめてもの抵抗を試みるも、彼女の細腕は見た目通りの力しか発揮しない。覆い被さる乾いた死体すら押し退けられなかった。


(こんな時に死ぬのか)


 この手で強敵を討ち取り、味方が勝ち戦の中にあるというのに、力を使い果たしたところをつまらぬ雑魚の手に掛かって死ぬ。

 無念だった。出来ればこんな形で死にたくはなかった。死ぬならばその力を認めざるを得ない大敵の手に掛かる方が良かった。

 だが、それが戦いという物なのだとエリシャは思う。

 敵も味方も、強者も弱者も、そして自分も相手も、命というチップを乗せて挑む遊戯。それが戦いだ。不条理や理不尽に見舞われようと負けた以上、賭け金を失うのは当然のこと。残酷で納得し難い結果を迎えようと、決してそれを覆してはいけない。その行いは今まで積み重ねて来た、全ての勝利や敗北に泥を塗る行為だ。今まで己の手で倒し、殺して来た相手をも蔑ろにする背信である。

 苦く渋い無念の味も、戦いの味の内だ。注がれた杯は乾すのが礼儀である。であれば、この死と無念は受け入れるべきだろう。


(仕方ないか。全力で戦った後だしな……)


 これが余力を残している内に、訳も分からないまま殺されていたのなら、無念はこの比ではないだろう。死力を尽くしてこの結果なのだ。泣きたくなるほど悔しいが、泣いて悔やんで死んでいくのが敗者の義務というもの。今日まで勝ち続けて来た自分が今更それに背くことは出来ない。

 なら、精々泣き言を漏らしながら死んでやるか。そう思うと、生死の際だというのに何だかおかしくなってきた。

 まず手始めに、


「私も女だな……出来れば、もう少し見目良い相手の手に掛かりたかったぞ」


 この枯れ切った不細工への不満を口にするのだった。




「……≪ファイアボール≫」




 横合いから飛んで来た火の玉が、レッサーヴァンパイアを直撃する。


「火ィ……!? あ、あぁあぁあぁあぁ……っ!」


 如何にも燃え易そうに乾いたアンデッドは、しかし主を失った状態では、魔法が着弾する衝撃自体に耐えられなかったと見える。その身を煙と灰に変じて、今度こそ崩れ去った。

 唐突に命を拾ったことに呆然とするエリシャと部下たちへ、呑気な声が飛んで来る。


「いやあ、危ない所でしたね? 何とか間に合って、良かった良かった」


 そう言いながら近づいてくるのは、相も変わらず緊張感の無い顔をしながら奴隷のメイドを引き連れる男。騎士たちの立つ合間を、背後から蛇のようにするすると抜けて、こちらに歩み寄って来る。

 トゥリウス・シュルーナン・オーブニルであった。


「トゥリウス卿……」


「どうも、バルバストル卿。ザンクトガレンとの戦闘から過酷なお役目を任せっきりで、申し訳ありません。そしてヴァンパイアの討伐という大功、おめでとうございます。ユニもそう思うだろう?」


「はい、大変祝着至極と存じ上げます」


 言いながらパチパチと拍手を送り、傍らのユニにも頭を下げさせる。何とも白々しく芝居掛かった振る舞いだった。駆け寄ろうとしていた騎士たちも、急な事態の変転と、この男の場違いさとに面喰っている。

 外連味が強過ぎて、不愉快ささえ感じる行い。とはいえ、危ういところで命を救われたのも事実である。


「助かった。礼を言う」


「いえいえ。お礼を言いたいのはこちらの方です。貴女方、近衛第二騎士団のお力が無ければこの戦いもどうなっていたものか」


 その言葉に、ようやく周囲の騎士たちも硬直が解け、ぎくしゃくと動き出す。


「な、なにはともあれ、団長! ……本当に良くぞご無事で……!」


「ああ、お前こそな。アル」


 副団長のアルフレットは、微かに涙ぐみながらも騎士団の先頭に立ち敬礼をする。先程の軽挙を叱り飛ばしてやってもいいが、歓喜に水を差すのも悪い。【姫騎士】とは名ばかりの猛女にも、その程度の情けは存在した。


「いや、本当にたまげましたな。ザンクトガレン軍四万だけでも絶望的だというのに、それに加えてヴァンパイアに率いられた魔物、オマケに訳の分からん化け物ですぜ?」


 そう言われて漸く、あの怪物と戦っていたドゥーエはどうしたかと思い至る。騒々しい吼え声も襲われる者の悲鳴も聞こえない。であれば、あの男が勝ったか刺し違えたか……。そう思っていた時だ。


「よォ。そっちも片付いていたのかい」


 ブスブスと煙を上げながら、疲れた体を引き摺るように現れた黒衣の男。あの戦いの最中に感じた熱風は、やはりドゥーエの戦っていた場所で生じたものらしかった。精悍な顔の頬に、爛れたような火傷が痛々しい。


「ドゥーエもお疲れ様。はい、治癒のポーション」


「……おう」


 トゥリウスが投げ渡す小瓶を、気乗りしないような素振りで受け取る。エリシャは彼の表情に、嫌に鬱屈したものを感じてしまう。気が付けば、彼に向って口を開いていた。


「随分と退屈そうな顔だな」


「あん?」


「どうやらこの戦、貴殿は燃えなかったようだな」


「はっ! 何言ってやがるかさっぱりだね。燃えた燃えないで言えば、見ての通り――」


 頬の火傷をおどけたように指さすドゥーエ。だが殊更にふざけた態度で躱そうとしたことが、逆にエリシャの中の疑問へ明確な答えを与える。


「生きている実感が無い。どことなくそんな風に思える顔をしているよ、ドゥーエ・シュバルツァー」


 或いはそれが自分の気に障る違和感の正体かもしれない。そんな続きは言外に押しやりながらも言った。


「――っ!」


 反応は劇的だった。身を焦がす火傷よりも痛いところを突かれたように押し黙る男を後目に、エリシャは部下たちの方へ向き直る。


「……ともあれ、諸君。ご苦労だった。私が第二騎士団に入って以来、かつて無かった激戦だったが、よくぞ生き延びたものだ」


「へへっ、今度ばかりは駄目かと思いましたよ」


「団長が危うくなった時は、本当に肝が冷えましたなァ……」


 配下の面々も、身体に負った傷や破損した防具を撫でながらしみじみと言う。

 無論、今さっきにエリシャが魔物の残党に襲われたばかりである。そのこともあって、軽口を叩きながらも油断なく周囲を見回していた。

 だが、その心配は無用だったらしい。


「AAAHHH……」


「消え、る……崩れ、る……」


「おのれェエエェェ……!」


 怨嗟の声を漏らしながら、アンデッドの群れは塵に帰り、或いは空気に溶けるように消滅していく。先程のレッサーヴァンパイアが崩れかけていたように、術者であるヴイが倒されたことで、死者たちを現世にとどめるよすがを失った為だろう。

 あれほど騒然としていた戦場は、あっという間に静けさに包まれていく。ザンクトガレン軍も、既に東へと逃げ散っていた。

 ……アルクェール王国の勝利である。


「さあ、皆さんっ! 本陣に戻りましょう!」


 死に絶えたような静寂に包まれた盆地へ、トゥリウスの陽気な声が場違いに響く。

 いや、そんな印象こそ間違いなのだろう。彼にはそう言う権利があった。敵兵を駆逐して州西部への侵攻を防ぎ、突如現れた魔物の大群すら掃討したのである。その為に多くの兵が傷つき、手足を失い、そして死んでいった。なればこそ、生き残った兵たち、そして犠牲となった者らの為にも、誇らかに勝利を謳わなければいけない。

 それが指揮官の権利であり、義務なのだ。

 盆地の西側、土塁の連なるアルクェール王国軍陣地には、煌々と篝火が焚かれていた。塁壁の上には兵士たちが並び、全ての敵が去った戦場を見下ろしている。

 その数は、おおよそ五千から六千か。会敵前に一万五千を数えた兵数は、実にその三分の二が戦場の露と消えた計算になる。その分敵も多く死んだだろうが、それにしても酷い戦であった。

 本陣に近付き、生き残りの兵たちに声が届く距離まで来た。そこでユニが、自分の主人に何事かを促す。


「さ、ご主人様」


「うーん、やっぱりちょっと恥ずかしいけれど――」


 トゥリウスは暫く照れたように頬を掻いていたが、やがて意を決したように右拳を天へと突き上げた。


「――僕たちのっ、勝ちだっ!」


 勝利の宣言である。


「アルクェール王国、万歳っ! 国王シャルル陛下、万歳っ! ば、万歳ぁあぁあぁいっ!」


 如何にも慣れていないと言った風情の、初々しさすら残る勝鬨。

 ……だが、実際のやり口はと言えばまるで逆。民たちを扇動して戦いに誘い、勝利の為に磨り潰した。意表を突いた陣地構築と新兵器で練度に勝る敵と渡り合ってもいる。オマケに如何なる配剤か魔物どもまで乱入し、ザンクトガレン軍に大打撃を与えた。この戦いだけを見れば、大した猛将ぶりである。

 自軍とて痛手を被ってはいるが、損害の比率で言えば圧倒的に向こう側が占めるだろう。味方も大勢死んだが、敵は退けた。勝ったのである。泥臭く血腥く、運に恵まれた勝利。

 ――だが、本当にそうだろうか?


(この男であれば、魔物どもを手引きして敵を襲わせても、不思議ではないのではあるまいか?)


 どうしてもその疑念が拭えなかった。

 まさかとは思う。魔物は聖王教開闢以前より人類の敵。追い詰められたからとはいえそんな、と。だが実際、この戦いでは開戦に当たって不意を打たれた筈のトゥリウスには都合の良い結果が続き過ぎている。


(やれやれ、いつの間にやら疑り深くなったものだ。私もライナス・オーブニル卿を笑えんな)


 冗談めかした苦笑を浮かべてみるも、得体の知れない不安は去らない。

 そうこうしていると、向こうでもドルドラン辺境伯が陣頭に立って、兵たちへと叫ぶ。


「……全軍、総司令官トゥリウス・オーブニル伯爵に唱和せよっ! 万歳っ!」


 反応は劇的だった。


「「……万歳ァアアアアァいっ!」」


 数千人の男たちが、声を揃えて唱和する。それぞれが万感の思いを込めただろう叫びは、暫し続く内に個々人の感情の吐露へと変わっていく。


「勝利万歳っ! ヴォルダン万歳っ! ……領主様、万歳っ!」


「勝った……勝ったんだ……! ……俺たちは、勝ったんだァアアアっ!!」


「ざまァみやがれ、ザンクトガレンっ! 一昨日きやがれ、糞っ垂れの魔物どもがっ!」


「俺は生き残ったぞ、ジョゼフ、マルコ。お、お前たちのお陰で……うぅ……!」


 夜空を打ち破らんばかりに上げられる万雷の喝采。

 この戦場に集い生き残った兵たちは、全員余さずに勝利に酔い痴れていた。苦境を乗り越え掴んだ勝利に、今までの艱難も次の戦いも忘れて歓喜を味わっていた。


「……まあ、ギリギリでシナリオの範疇かな」


 全てが悪魔の掌であったことなど、知る由も無く。

 

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[良い点] シランも他の人に比べたらハッピーエンドと言ってもいいかもしれない シランの最後は感動しました 散り際の描写が素晴らしいです
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