072 クラヴィキュールの戦い<後篇>
時系列を少し遡る。ザンクトガレン側の指揮官であるバウアー将軍が、背後からの不意打ちによって退場する直前のこと。本陣から離れた位置に停まった幌馬車の中へ、一人の魔導師が息せき切って駆け込んでいた。
「は、はははっ! おい、みんな! 将軍からの許可が下りたぞ! 急いで起動の準備、を……?」
喜色に満ちた笑い声は、しんと静まり返った刺すような沈黙に迎えられ、掻き消えた。いや、それは正確さに欠ける表現だろう。誰も黙りこくってなどいない。馬車の中には、沈黙を返すような人物など存在していなかった。誰も、いなかったのである。
「エリオット? ゲオルク? ハンス? ど、どこへ行った!? みんな、どうして誰もいないんだ!?」
仲間の名を呼びながらも灯りの無い車内を見回すも、求める人影は見当たらない。惑乱する彼の耳に、遠く戦場の干戈の音が聞こえる。神経を鑢掛けするような、命の奪い合いの声が。同時にストンと得心がいった。
「……何だ、逃げたのか」
口の端から漏れたのは虚脱感が滲む声。ガレリン魔導アカデミーの安穏とした環境とは程遠い、野蛮な合戦の只中である。最初から戦闘を志して魔導を修めた魔導兵学科の者たちならいざ知らず、彼らは新兵器の調整と後方支援の為に駆り出された者たちだ。同じ魔導師でも戦いに対する気構えが違う。緊張と恐怖とに耐えかねて脱走を図ったとしても無理はない。無理はないと理解出来るが……納得出来るかどうかは別である。
「ふ、ふんっ! 臆病者どもめ。我らの、そして偉大なる師の研究、その精髄がこれから発揮されるというのに、見届けもしないで逃げるとは」
男は、自分と自分たちの研究成果を置いて遁走したかつての仲間を罵りながら、幌馬車の奥に坐す巨大な影ににじり寄る。そして怒りと興奮――彼は認めたがらないだろうが――恐怖と緊張の入り混じった手つきで所定の操作を行った。
制御呪文の構文、確認。主従権限、認証。起動術式、入力。
蟠る闇の中に、鈍い光が二つ灯る。ゆるりと擡げた頭らしき部位からすると、これは眼光か。体内に収まりきらず眼窩から漏れ出た魔力が生み出す、熾火めいて輝く揺らめき。口腔がガバリと開き、秋冷の夜に熱く白い蒸気を吐き出す。生きている。生き物なのだ。
「ひ、ひひひっ……やったぞ、起動成功だ!」
最早、己一人の手に収まったザンクトガレンの切り札。その威容に男が痙攣的に笑う。
「さあ、行くぞ! 他の連中が逃げ出した今、私がお前を使って武勲を挙げれば、この私があの方の門下で最高の門人となるのだ!」
言いながら、脳裏に幾つかの顔を浮かべた。自分と師の研究成果とを置いて逃げ出した役立たずの同門ども。深甚なる知識の探求に理解を示すことの無かった野卑な軍人たち。薬品の調合しか取り柄が無い癖に鼻もちのならない態度を崩さぬあの女。そして……たったの一年しか師の下にいなかった癖に、今なお師たちから一目置かれ続けている男――何の因果か、この合戦で敵方の指揮官となっている人物、トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。
「見ていて下さい、グラウマン教授……私が魔導アカデミー錬金術学科の名を、大陸全土に轟かせて見せま――」
気難しい師からの褒めの言葉を想像して陶然と鼓動を速めるその胸。そこをズンと鈍い衝撃が突き抜けた。
「――あ?」
間の抜けた声を上げながら視線を落とすと、胸から何かが生えている。赤いものでぬらぬらと濡れた、鈍い光沢を宿す金属の塊。剣、だ。背中からその向こうの胸郭へと、長剣の刃が貫き通っていた。その様はどういう偶然か、同時刻に背後から矢で射られたバウアーと趣きを同じくしている。当然のように、彼もその例に倣ってゆっくりと振り向いた。
そこには、
「生き血……命……寄越せ……」
からからと肉の無い顎を鳴らす白骨の化け物の姿。男は知る由も無いことであるが、たった今ザンクトガレン本陣を後背から奇襲した、吸血鬼に率いられる魔物の一体である。
「な、なんで……モンスター、がっ……!?」
血の塊と共に吐き出した疑問が、彼の最期の言葉となった。後に残されたのは凶行を為した張本人であるアンデッドと、
「――――ッ!」
起動を行い主従契約を行った対象である魔導師を失った、操り手無き兵器のみ。
『それ』は馬車内に格納されていた自身の得物を手繰って掴むと、操者たる魔導師を殺した怪物へと振り下ろす。総身が骨で出来た不格好な人型は、霜を踏むような音と共に砕け散った。のみならず、勢い余り幌馬車の床を叩き割り、更にはその下の地面に喰い込んでようやく止まる。
「――――」
骨の怪物、スパルトイを仕留めた『それ』は、敵の無力化と同時に黙考した。自分のするべきこと、自分の戦うべき相手のことを。そして、短い思考の末に悟る。
浮かび上がるのは、チリチリとした敵意と幾つかの肖像。起動からの分にも満たぬ時間だけ、己のマスターであった男の残した残留思念。そんなものが『それ』の脳に焼き付いていた。
そうか、と『それ』は熱気の籠った息を吐き出しながら思う。頭の中に浮かび上がる人間たち――敵国たるアルクェールの軍、無知蒙昧なるザンクトガレンの軍人、自分を捨てた同門たち、そして敵の首魁にして今なお師に評価され続けるトゥリウス。即ち、自分の操者が敵愾心を抱いていた全て。ターゲットはそいつらか、と。
得物を引き抜き、肩から担ぎながら幌を払って外へと出た。
「――――ッッッ!!」
言葉無き咆哮が夜をどよもす。
視線の先には人と人、人と魔物が殺し合う地獄絵図。その中にマスターを殺した怪物と同種の存在を見出すと、『それ』は抹殺対象のリストに幾らかの更新を加える。視界に入る中で殺すべき存在は……全てだ。全て殺し尽くす。異端の魔導によって産み落とされた人工の怪物は、機械的な決断を絶対の物と認識し、戦場へと駆けた。
そして、新たな災厄が戦場へと乱入する。
※ ※ ※
「あはははははっ! エモノっ、タクサン、いるっ! ワタシっ! タクサンっ! コロォすっ!」
夜の戦場、死者の軍勢を率いてそこへ乱入した少女が笑う。
彼女――ヴイの上機嫌に呼応したように、配下の魔物たちはその数を増やしながら両国の軍を蹂躙していく。
「同胞……血肉……生命……っ!」
「渇くゥ……血をォ……!」
「おいでェ……おぉぉいぃぃでぇぇ……!」
スパルトイが手に持った武器を振るい、レッサーヴァンパイアが血を啜り、実体無き死霊どもが魂を奪う。アンデッドたちの被害を受ける者は、やはりと言うべきか、後背を突かれたザンクトガレン軍の者が圧倒的に多かった。
遠く隔たったアルクェール側に生み出したゾンビなど、所詮は即席の捨て駒。後ろから追い立てるようにザンクトガレンを攻撃しているのは、アンデッドの中でも中位から上位に位置する真正の怪物たち。人間を超えた身体能力と不死の生命力、強大な魔力とを誇る化け物なのだ。それらの手による被害は、精度の低い射撃しか能が無いアルクェール軍が齎すものなど軽く凌駕している。
何より、魔物たちを操る少女――ヴイの戦力は圧倒的だった。弓矢で射殺し、魔法で纏めて殺し、死んだらアンデッドに変えて配下に加える。味方が死ねば死ぬ程に膨れ上がっていく軍勢が、後背から追い立てて来るのだ。如何に精強なザンクトガレン軍とて、これには一溜まりも無い。
そして追われる彼らの眼前には、アルクェール軍の陣地。
命を脅かされて逃げる中、今まで殺し合っていた憎き敵が前を塞いでいる。そんな状況は、アルクェール軍への敵意を煽りこそすれ、窘める役には立たなかった。彼らは狼に追い立てられる羊の群れさながら、勢いを増して敵軍へと突っ込んでいく。
「よ、寄越せェ! お前らの陣地っ! 土塁っ!」
「貴様らだけ、そんなところに身を隠しおってェ!!」
防塁に守られながら魔物の群れ諸共こちらを撃って来るアルクェール軍に、ザンクトガレンの兵たちは恨み言を叫ぶ。
だが、それを聞き入れるアルクェール兵はいない。魔物の出現に瀕しての停戦と、それに対しての共同戦線。その提案を蹴ったのは他でもないザンクトガレン軍なのだ。あまつさえ呼びかけの為に自ら身を晒した指揮官を攻撃されてもいる。
宣戦布告を受け、奇襲され、略奪もされ、多くの仲間を殺され、また村々や田畑も焼き払われたと信じている彼らが、ここまでされて相手を受け入れる道理は無い。
「撃てっ! 撃ちまくれっ!」
「残弾は気にするなっ! それより奴らを消し飛ばす勢いで撃てェ!」
「ゾンビだろうがザンクトガレンだろうがっ! 穴だらけのズタズタになりゃ、幾ら死体だろうと起き上がれないだろうよっ!」
前線の塹壕から退いて備蓄に余裕のある後方と合流した為だろうか。事ここに至って、アルクェール軍の火線は密度を増していた。
銃火の放つ閃光が闇を切り裂き、その度に血の花が咲く。三万数千から三万へ、二万五千へ、やがては二万にまで。ザンクトガレンの兵たちは急速にその数を減らしていった。強力な魔物に後ろを取られ、前方には防備の厚いアルクェール軍。加えて本陣が壊乱状態にある影響で、全体の指揮系統が回復する見込みは無し。森と精兵の国の軍隊は見る間に烏合の衆へと変わり、挙句の果てには死体の仲間入りを果たしていく。
事ここに至って未だに同士討ちを続ける人間たちを、ヴイは目を細めて嘲笑した。
「きゃははははっ! ニンゲンっ、ミニクいっ! あは、あはははははっ!」
醜い醜い、本当に醜い。人間は醜悪だ。長命種を羨み嫉妬して首輪を掛け、自らとそれらの合いの子にさえ、差別の矛先を向ける。同族同士で殺し合い奪い合い、強者は弱者を踏み躙って、弱者は更に弱い者へと蟻のようにあさましく集る。挙句の果てに、ヴイたち魔物が現れてもその所業に歯止めが掛けられないのだから救えない。それでいて、ただ他種族より数が多いだけの己らを霊長だと誇る? 本当に笑わせる。冗談を言うな、下等生物どもめ……。
そうして人類という種を、本当に心の底から見下げ果てた瞬間、彼女はピタリと笑いを止めた。
「……おマエら、ミニクい」
夜風より冷たく、立ち込める死臭よりおぞましいものを孕んだ声が、口の端から漏れる。
ヴイは急激に気持ちが冷めていくのを感じていた。
殺戮の興奮と血の香りに酔っていた頭が、憂鬱に沈んでいく。
何だろう、このつまらなさは? 人間を襲って殺すのはこの間と同じ筈なのに、殺せる獲物の数は段違いな筈なのに、全然のめり込んでいけない。
少し考え込む。この感覚に近いものを、狂って使い物にならなくなっている頭の中から、何とか絞り出そうとする。
やがてヴイは、今抱いているものと似たような感情を探り当てた。
――期待外れだ。
何と言うか、これは違う。彼女が襲う相手に望んでいた反応は、目の前の光景とは違う。人間が彼女に見せるべき物は、こんな種としての醜さの極致ではない、筈、だ?
「うぅ~っ……?」
頭を抱える。自分の弾き出した答えに、先より強い困惑を覚えた。
期待? 自分は人間に期待をしているのか? 一体何を? こんなつまらない種族に?
そう考えて、前回の襲撃と今行われている戦いを比較してみた。
「……マエ、のホウが、キレイ?」
何だか、そのような気がして来た。
前に襲った千人くらいの兵士たちの方が、今戦場で殺し合いに明け暮れるだけの兵士より「キレイ」だと思える。
自分が死ぬ間際まで、部下に逃げろと訴えていた隊長。
涙ながらに味方ごとアンデッドを焼いた魔導師と、逃げる味方を生かす為にそれに殉じていった兵士たち。
今眼下で餌食になっている連中などより、あれらの方が余程綺麗に輝いていたではないか。
思い描くのは、炎に照らし出される無数の顔。覚悟にせよ諦めにせよ、意を決して理不尽へと立ち向かい散っていた者たち。あれらが炎の中に浮かび上がる姿は、本当に綺麗で――、
――不意にそれが、今は思い出せない何かと重なる。
「ううううぅぅぅ……っ!?」
ズキリと、頭の芯が疼いた。
ヴイは突然に襲ってきた頭痛に、頭を抱え込みながら座り込む。
「な、に……? お、オモいダせない……なにか……大切なこと、を――」
言語化出来ないイメージが、何度もフラッシュバックする。
炎。焚火。弓矢。自分? 男。少女。少年。剣。街道。原野。森。洞窟。古城。戦い。魔物。街。宿屋。原野。星空。声。笑い声。笑顔。誰の? 誰が? ……天秤。炎。剣。炎の剣。光。輝き。あれは、あれは、あれは私の大好きな、私たちの誇りで、それで――
「――ダ目、ちゃんと、思いダさなきゃ、ワタシ、わたし、の……うううっ!」
グルグルと頭の中で巡る映像。それらの意味は全く以って解らない。解らないことが不快だ。苦しい。悲しい? 何故、悲しい?
理解出来ない記憶の断片たちと、唐突に湧き上がった感情とに、頭痛は激しさを増していく。
「頭が、痛、い……いた、い。……イタい、イタいイタいイタいっ!!」
痛い。頭が割れそうだ。こんなに痛いのだ。もしかすると実際に罅でも入っているかもしれない。どうしよう、幾らヴァアンパイアでも、頭が割れたら流石に死んでしまうかもしれないではないか。早く、早く治さなくては。どうやって治せばいいんだっけ? 神官の彼に治癒をお願いして――馬鹿な、神官は敵だ。アンデッドの敵だ。そうだ、自分は吸血鬼なんだから、怪我や病気は血を吸って治さないと。出来れば処女か童貞の清い血が欲しい。そうだ、美味しい生き血を浴びるほど飲めば、痛みもこの不快感も消える筈。
……ヴァンパイアの本能が、蘇りかけた理性を駆逐していく。
「あ、あは、あはははは……あははははっ! チっ! チっ! チぃいぃいぃっ! あはははははっ!」
再び狂った笑い声を上げて、ヴイは身を起こす。
フラフラと歩きながら、鼻をスンスン鳴らして、求める上質の血の持ち主を探した。
けれども、クシャクシャに顔を歪めて鼻を鳴らしながら歩く姿は、笑う怪物と言うよりも、家を探して泣く子どものようであったかもしれない。
やがて彼女は、求める匂いを嗅ぎ当てた。
「……ニオイ、するっ! オンナっ、キヨい、オンナっ! ……オイしい、チっ!」
匂いの源は、今自分の仲間たちが蹂躙している軍の、更に向こう。人間同士で相討ち続ける愚者たちの、西側の軍勢から匂っている。女らしく芳しい花のような甘美さに、血腥さが絶妙に入り混じった香り。これぞ正しく戦乙女の体臭とも言うべき、野趣深く魅力的な芳香だった。
そうと決まればこうしてられない。
こんなところで愚図愚図していては、上等な生き血の持ち主が死んでしまう。何しろ戦場だ。仲間のアンデッドたちに先を越されるかもしれないし、人間同士の殺し合いで斃れるかもしれない。死体からでも血は吸えるが、どうせなら生きている内に味わいたかった。そちらの方が美味いに決まっているではないか。
「あははははっ! チっ! ヨコせぇえぇえぇっっっ!!」
彼女は亀裂めいた笑みを刻みながら駆ける。
障害物は全て叩いて潰した。前を遮るならば全て邪魔ものだ。味方のアンデッドだろうと容赦無く排除し、人間の雑兵は奔走する馬車のように轢き飛ばす。
大地に血のレッドカーペットを敷きながら、怪物へと堕した少女は走った。一刻も早く、この苦しみが癒されることを願いながら。
……彼女が去った直後、残された軍勢は後背から現れた『それ』に薙ぎ払われた。生者も死者も諸共に。
※ ※ ※
自分は一体何人の敵を斬っただろうか。たった今ザンクトガレン軍の魔導師を斬り殺しながら、エリシャ・ロズモンド・バルバストルは逡巡する。
崩壊した前線の穴埋めにと送り込まれてから、大分時間が経っている。今や殺した人数は、百や二百では済まないだろう。この剣で斬り殺した敵指揮官に、馬蹄に掛けて轢き潰した雑兵ども、それにこのアンデッドの大群――はて? 既に死んでいる者を斃したとして、これは殺した内に入るのだろうか?
そんな愚にも突かない思考を笑い飛ばしながら、彼女は背後を振り返って叫んだ。
「おい、敵魔導師部隊の排除はどうだ!?」
「おおよそは片付けましたかとっ!」
近衛第二騎士団の配下の一人が、すぐさまに報告を返す。
この乱戦下の状況、敵魔導師の掃討は急務であった。この戦場にはマスケットという新たな兵器が登場したが、未だに魔法はこの大陸で最も火力を発揮する兵器だ。見境を失った敵軍がそんな物を抱えている状況など、到底座視出来るものではない。ましてや今のアルクェール軍は、指揮官が撃たれて交代したばかりだ。ここでまた指揮を引き継いだドルドラン辺境伯が犠牲になっては、またぞろ笑えない事態になるだろう。
なので、敵軍が厄介な火力持ちを喪失しつつあるという報告は喜ばしい。エリシャは剣呑な笑みを浮かべながら更に指示を下した。
「よしよし、進捗は順調だな。とはいえ、討ち漏らしは出すなよ? アカデミー仕込みだけあって、ザンクトガレン軍の魔導師は中々強力だ。一人とて生かすな、撫で切りにしろっ!」
「ははっ!」
「それと、仕留めた相手は首を刎ねておけ。アンデッドどもに死体を利用されては面倒だ。……もっとも、ゴーストの如き霊体になられるのまでは防げんが」
特に魔導師のアンデッドなど想像するだに嫌な相手だった。低級な魔法しか使えないゾンビメイジは兎も角、リッチの前段階なだけあって知性も高いスケルトンメイジ、単純な物理攻撃が通らない上に生前の知能を維持するゴーストやレイスは、戦争をしながら相手取るのは避けたい魔物だ。
無論、万全の態勢を整えておけば恐れるに足らないが、今の第二騎士団では拙い。装備はあくまで対人間の戦争用で、アンデッド対策の洗礼を施した武器などは持って来ていない。それでもエリシャならば問題は無いが、しかし部下たちとなるとやや荷が重いだろう。
そう思いながら、更なる敵影を探していると、
「……ああ、それなら僕に任せて下さい。――≪炎の精よ、打ち据えよ。フレイムビュート≫」
味方陣地から飛んで来た魔法が、周囲の死体ごと生きている敵兵を薙ぎ払った。
「炎系中位魔法!? しかも、詠唱省略だと?」
エリシャが驚いて振り返る。
今回の戦いに、アルクェール側に魔導師部隊はいない。領主軍の残存兵力に募兵した民を加えた程度なのだから、当然だ。トゥリウス麾下の奴隷たちという例外はあるが、アレらは数多くの低級魔法を覚えている分、このような中位以上の強力な物には疎いと見えた。ましてや詠唱省略で発動時間を短縮可能、などという技量の持ち主など、どこから湧いて来たというのか。
疑問の答えは、背後の陣地からひょこひょこと呑気に歩いて来た。
「いやあ、ご心配を掛けて申し訳ない。只今、戦列へと復帰しました」
傍らに銀の首輪を光らせるメイドを傅かせながら、張り付いたような笑顔を浮かべる少年のような青年。そのローブは土埃で汚れ髪も乱れていたが、はためく布地の向こうからは、無数の礼装の気配が微かに漏れる。
王国伯爵にして錬金術師。そしてこの戦いの総指揮官――トゥリウス・シュルーナン・オーブニルの登場であった。
「戦陣故、馬上より失礼。ご無事でいられたか」
もっとも、死んだなどとは毛ほども思っていなかった。あのラヴァレと事を構えて生き続けるような男だ。それが生半な魔導師などに討ち取れるものだろうか。
トゥリウスはにっこりと笑みを深める。
「ええ。この通り――」
答えようとした彼の姿が、また炎に呑まれた。
「……やった! 直撃だ! 今度こそ、仕留めたぞっ!」
遠く、敵魔導師らしい男の声が快哉を叫ぶ。
しかし、その喜びは十秒と持たなかったであろう。
魔法の炎が、何の効果を現すこともなく消えていった。その下から現れたのは、衣服にすら焦げ目一つ無いトゥリウスの姿。
「ば、馬鹿なァっ!?」
「――この通り、生半な攻撃では傷一つ付かないだけの備えをしていますので」
そう言い自慢げにローブの前を開くと、幾つもの魔法の煌めきが浮かび上がった。退魔のアミュレットに、防護の魔導刻印を刺繍した上着。シャツからも銀色の光芒が仄見える。腕や指を飾る指輪腕輪の類は、戦火の照り返しなどではなく、自ずから光を放っている。
そのどれもが全て、彼の身を守る為の礼装だというのか。
「成程。マッドゴーレムの倒壊に巻き込まれても無事な訳だ。……一つくらい貰えぬものかな?」
エリシャが呆れ交じりに言うと、トゥリウスは露骨な苦笑を浮かべる。
「えー? それはちょっと……。タダでという訳にはいかないんですけど」
「それは残念。それにしても意外だな? 錬金術師と言うからには、魔力に乏しいと思っていたが」
魔力を持つ者は少ないが、中位の魔法を操れるほど魔力に秀でた者はもっと少ない。錬金術師を志すのは、大抵が魔力を持つが量の乏しい、才覚に劣るものばかりだ。故に錬金術は下術であり錬金術師は他の魔導師より劣るという風聞が成り立つ。少なくとも、これだけの威力を持つ魔法を使える錬金術師など、他に聞いた覚えは無かった。
「ははは。まあ、そうは仰いますが最大魔力量はそれ程でもなくて。一応はそこそこの攻撃魔法も修めてはいますが、そう何度も出来た芸当ではありませんよ」
答えになっているような、いないような返事である。トゥリウスは言い終えると懐から小瓶に収まった薬を取り出し口に含む。
「……流石にあれだけのゴーレムを動かした後に攻撃魔法は、キツイな」
と零しながら嚥下するだに、彼の身体に新たな魔力が充填されていく。どうやら魔力回復用の霊薬の類であるらしい。
……意識を切り替える。会話を交わしている間に、今の攻撃を放った魔導師は部下に斬られていた。恐らくこれで、敵魔導戦力は駆逐されただろう。またザンクトガレン軍全体から組織的抵抗力自体も、失われ始めていた。
「で、指揮権はどうなる? 卿が復帰したとなれば、ドルドラン辺境伯から再び引き継ぎ直すという選択もあるが」
「やめておきますよ。僕より辺境伯の方が爵位で上を行かれてますし、指揮も上手ですから。生兵法は怪我の素ってやつです。……そう言う訳で、あの人に尻を叩かれて前線の支援に来た訳でして」
「はっ、成程なァ。そういう道理で、アンタらしくもなく前に出て来たってことかよ?」
などと口を挟んで来るのは、こちらもあらかたの敵を蹴散らして来たドゥーエ・シュバルツァーである。激戦の只中にいながらにしてほとんど返り血も浴びず、傷も負わず、軽く汗ばむ程度という姿だ。かつてはかなり名の通った冒険者と聞くが、それにしても桁外れの戦闘力である。
「まあ、ね。それに近衛の皆さんに助力されているのに、引っ込みっぱなしってのも聞こえが悪いし……≪炎の精よ、打ち据えよ。フレイムビュート≫」
言いながら、今度はアンデッドの群れ目掛けて鞭状に広がる炎を撃ち放つ。一度に十数体のゾンビやスケルトンが、魔法の火炎で荼毘に伏されていった。
その光景に、後方の陣地から喝采が上がる。
「見ろっ! 領主様だ! 領主様が戦っておられるぞォ!」
「ほ、本当だっ! ご無事でいられたのかっ!?」
「おぉおぉおぉっ! アルクェール王国万歳っ! 領主様、万歳っ!」
兵たちの歓呼の声は、瞬く間に盆地の全域に響き渡った。
停戦の提案が破れると共に敵の攻撃を受け姿を消した主が健在な様を見せている。それも前線で強力な魔法を振るいながら、だ。そんな物を見せられては、兵士の士気が上がるのも当然だろう。
「見よ、あれなるトゥリウス卿の戦ぶりをっ! 卑劣な夷敵に制裁を下し、邪悪な魔物どもを誅する姿をっ! あの益荒男こそ、諸君らの主君であるぞっ!」
などとドルドランが囃し立てる声まで聞こえる。
(成程、辺境伯はこれを狙って……)
魔物の乱入という奇禍を利して、ザンクトガレンとの戦いは勝ちを拾えそうである。であれば、勝ち戦の詰めの場面で兵たちに――この戦いを終えれば民に戻る者たちに、トゥリウスの英雄的な姿を見せておく。そうすることで領主への忠誠心を改めて擦り込むというのだろう。
何しろ、戦争は勝った後が大変だ。活躍した兵には褒賞を、死傷者の遺族家族には見舞金を出す。戦災への復興に力を入れる。特にこのヴォルダンは敵の焼き働き――ということになっている――によって多くの村が焼かれているのだ。多くの民は戦後にも困難な暮らしぶりを強いられるだろう。それが領主への反抗心に転じて一揆になどなってはかなうまい。
故に少しでもそれを抑える足しにしようと、民心を味方に付ける措置を取ろうというのだ。
流石は統治の難しい西方辺境を預かるドルドラン辺境伯である。打つ手がいちいち抜け目無く、理にも適っている。
エリシャがそう思っていると、トゥリウスの傍に侍っていたユニが、跪きながら何やら進言していた。
「ご主人様」
「ん? 何かな?」
「兵の皆様方に、お手を振るなどされては如何でしょう」
「ええっ……? それ、ちょっとあざとくない? ただでさえ悪目立ちしているのにさあ」
「そうでしょうか。下々の者は、上に立たれるお方が何かを示されることを喜ぶものです。たとえ身振り一つ向けるだけでも、大きく歓心を買うことがお出来になるかと」
「そういうものなのかな……まあ、ユニがそうしろって言うなら――」
言って、トゥリウスは後方の兵たちに向けて軽く手を上げて振って見せる。
途端、歓声が爆発した。
「うおぉおぉおぉおぉっ!? 領主様ーっ! 伯爵様ァーっ!!」
「我らが英雄に万歳っ! 万歳ァァいっ!!」
「我らが英雄っ! 不死身の英雄、万歳っ!!」
奴隷のメイドが言った通り、効果は抜群であった。長時間の、そして劣勢の戦闘を耐え抜いた自分たちを、総指揮官が労うように手を振る。その光景に、兵たちは酔い痴れていた。
苦況を乗り越えた後に、その努力を上に立つ者に認められれば嬉しいものである。彼らはトゥリウスの示した仕草に、その意思を感じていた。或いは単なる錯覚であるかもしれないが、疲労困憊の状態で低調に陥った脳は、それを真実であると判断する。多くの人間は物事を都合良く解釈しがちであるから、そう思い込んだとしても無理は無い。
エリシャとしては素直に祝福し難い思いだった。今はこうして轡を並べているが、トゥリウス・オーブニルは本質的に彼女たちの敵である。少なくとも、含み無く味方であると呼べる立ち位置にいる相手ではなかった。王都大火の主犯という疑惑があり、中央集権派と対立しながら新たな派閥を構えている、国家の内に巣食う獅子身中の虫。
ただでさえ厄介な相手がこの上民の支持を得るところにまで手を掛けているのだ。愉快にはなれなかった。
その油断ならない男は、相も変わらずどうとでも取れる曖昧な笑みを自陣の兵たちに向けている。
「流石ユニ。ここまで効果覿面とはね……」
「これもご主人様の威徳が為せる業と存じます」
「ははっ。あんまり持ち上げないでくれよ、本気にしちゃいそうだ。でも――」
気の所為だろうか。それとも戦火の揺らめく明かりが生み出した陰影だろうか。
一瞬、トゥリウスの表情が不吉に歪む。
「――不死身の英雄、ね。英雄は兎も角、不死身ってのは良いじゃないか」
不気味な気配に、身の毛が総毛立つ。
エリシャ程の豪胆な女性を以ってしても、気持ちの悪さを堪えられない。思わず、手にしたサーベルを構え直した。
……どういう天の配剤だろう。
その何気ない挙動が、エリシャを救った。
「ミつけたっ! ミィーつけたァっ!」
歪んだ喜色に満ちた少女の声。
ザンクトガレン側からそんな声が聞こえたかと思うと、同時に不穏な風切り音が迫る。
「くっ!?」
全くの直感で剣を振るうと、空中で何か固い物を薙ぐ感触。同時に腕が痺れるほどの衝撃がエリシャを襲った。
ザクリと後方の地面に何かが付き立つ音が聞こえる。
矢、だろうか。何者かが弓矢でエリシャを狙っていたのだろうか。
だが、それにしては解せない。
今もビリビリと腕に残る感触からして、射手は相当の強弓の使い手。この戦場でこれまで、そんな相手と相対した記憶は無かった。
そして、吐き気を催す嫌悪感は、矢が飛んで来た瞬間から急激に膨れ上がっている。トゥリウスの得体の知れない雰囲気故のことかと思ったが、或いはこの射手の気配に当てられていたか。では、こんなおぞましい殺気を放つような相手とは、一体。
頬を汗が伝うのを感じながら、ザンクトガレン軍の方へ向き直る。
その直後、
「ぎぃやぁああああああっっっ!?」
「あ、ああああっ!? うわぁあぁあぁあぁっっ!!」
敵兵たちの凄惨な悲鳴と共に、乱れに乱れていた陣形が割れた。意図的に割ったのではない。力尽くで抉じ開けられたのである。
唐突に生じた敵陣の空隙は、これまた速やかに埋められた。
――背後からザンクトガレン軍を突破して来た、悪夢の軍勢によって。
「ま、魔物だァーっ!! 魔物が前線に来たぞォーっ!?」
「に、逃げろっ! もう、もう駄目だァ!」
「ひ、ひぃいぃいぃいぃっ!? か、母ちゃんっ! 助けて、母ちゃんっ!」
消耗と指揮系統の混乱とによって、半死半生の状態であったザンクトガレン軍。
それが遂にトドメを刺され、蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていく。
敵のいないところへ。モンスターも、アルクェール軍もいない場所を目指して、逃げ去っていくのだ。
敗走する敵兵たちを後目に、魔物の軍勢の先頭に立つ弓を手にした少女が微笑む。ぺろりと舌なめずりを交えた悪戯っぽい表情。幼いながら整った顔立ちと相まって、可愛らしいとさえ評せる仕草である。ただ、武器を携え全身に呪印を彫り込まれている異様さと、背後に突き従う不浄なる異形どもを無視出来れば、だが。
「ミつけたっ、ミつけたっ! エモノっ、ゴハンっ! ミつけたァっ!」
壊乱したザンクトガレン軍にも総大将であるトゥリウスにも、その傍らに立つユニやドゥーエ、他の近衛騎士には目もくれず。
怪物に相違無い少女は、熱く潤んだ瞳でエリシャに視線を注いでいる。
「生前の姿を保ったままのアンデッド。加えて、ユニコーンに跨る女性にご執心か。まさかとは思うけれど……」
「ヴァンパイア、だろうな」
きな臭い表情――が、この状況にしてはどこか呑気な――を浮かべるトゥリウスに対し、エリシャも同意を返した。
異貌の少女は、二人の短い問答に、変わらぬ笑みを浮かべながら答える。
「そうっ! ワタシ、ワタシはヴイっ! ヴァンパイアの、ヴイっ!」
予想通りのおぞましい答えに、さしもの近衛第二騎士団にも動揺が走った。
ヴァンパイア。吸血鬼。人間の生き血を啜って長らえ、処女童貞を好んで襲い眷族に変えて増え、太陽に背を向けて永遠を生きる怪物。人体を紙のように引き裂く腕力と、数多の魔物を膝下に置く魔力、多岐に渡る異能とを兼ね備えた化け物。
冒険者ギルドの討伐等級はBからA。国でも有数の冒険者が集まりパーティを組んで、初めて一匹倒せるかどうかという存在。それが無数の配下を従えて目の前に立っている。これ以上の悪夢が、どれ程あるだろうか?
しかし、事態はあっさりと最悪の更に下へと加速していく。
「――――――――ッッッ!!」
曰く表し難い怒号を上げながら、土石流めいて進路上の物体を破壊しつつ躍り込んで来た何か。襲来した不死者の集団も、生き残っていたザンクトガレン兵も、諸共に殺戮して現れた巨体。
『それ』は一見すると人間のように見えた。だが、立ち込めていた土煙が晴れると、星明かりにも明らかにその異形を晒す。
「な、何なんですか、これは……!?」
副団長のアルフレットが、普段の冷静さも忘れ動揺を露わに零した。
優に三メートルはあろう月へ向けて聳える体躯。まるで別の生き物のように蠕動する手足の筋肉。巌のような質感の顔面は、皮も肉も備えていながら化石した髑髏のような印象を齎す。鈍く輝く眼光は、戦火を反射してのものではなくそれ自体が明白に光を放っていた。総体としては、人型をしていながら明らかに人間からかけ離れた怪物。
そして最大の特徴が腕の数だ。二組四本。常人の倍の数を備えている。そのそれぞれに、殺意を具現するような長大なバスターソードを一本ずつ携えながら。
「これもアンデッドなのですか!?」
「いいえ、違います」
疑問と言うより悲鳴のような声に、涼しげに答えるのはユニだ。
「対象からは体温と正方向の生命力を感知できます。生物です」
「だが、こんな生き物は――いえ、魔物も見たことが無い!」
「なら、どこかの誰かが作ったんでしょうよ」
トゥリウスが他人事のように言いつつ四つ腕の異形、その胸を指し示す。そこにはヴァンパイアの少女と同じく刺青が彫られていた。ただ、相違点がある。ヴイと名乗った吸血鬼のそれが魔術的な意味合いを感じさせる紋様であるのに対し、こちらはそれとは違って意図が明白。彫り込まれていたのは、ある組織を示すシンボルだった。
双頭の猛禽を背景に交差する二本のロッドの紋章。それを見て取ったドゥーエは、露骨に嫌そうに顔を顰めた。
「……ザンクトガレン、ガレリン魔導アカデミー。ここに攻め込んで来た連中の差し金かよ」




