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071 クラヴィキュールの戦い<中篇>

※ユニークアクセス百万突破、ありがとうございます!

 これからも『ウロボロス・レコード』をよろしくお願いします。

 

 鬨の声、干戈の音、そして例の破裂音――銃声。

 耳を劈くような戦場の騒音の中、ユルゲン・バウアーは密かに舌打ちを堪えていた。

 今日この日まで、雑兵に等しい薄弱な守備隊しか持たぬだろうと思っていた相手。焦土作戦などという心中紛いの戦法しか知らぬだろうと侮っていた狂人。その男、ヴォルダン伯爵トゥリウス・オーブニルとかいうアルクェール側指揮官は、バウアーの目の前で実に巧みな戦術を展開している。

 あの得体の知れない火を噴く筒――マスケットのことだ――という新兵器がまず目を引くが、それを活かす為の事前準備がまた異常であった。戦場であるこのクラヴィキュール盆地に設えられた防塁の配置。盆地の起伏に沿って配置された土塁であるが、これが難物であった。固さや復旧の容易さは勿論のこと、問題なのは位置取り。盆地の東側から攻め寄せるザンクトガレン軍に対し、Uの字型を描くような形となっている。これでは盆地の内側から一つの防塁を攻めようとすれば、忽ち他の土塁に詰める兵によって狙い撃たれ、マスケットの火力を集中させられてしまうのだ。

 マスケットは扱い慣れぬ新兵器、それを使うのは急遽掻き集められた新兵未満の兵隊もどき。普通であれば当たれば儲け物といったお粗末な命中精度だが、この戦法ならば一つの目標に対し十挺二十挺のマスケットが射撃を行う。その練度の低さを火力の集中により補っている格好である。この世界ではまだ生まれていない格言だが、下手な鉄砲も数撃てば当たる、というものだ。

 そして射撃を行うアルクェール兵を守りつつ、ザンクトガレン軍の足を止める土塁群。これも攻め寄せて見て初めてその厄介さが分かった。一斉魔法攻撃を防いで見せる堅さや修復の早さは当然のことだが、加えて攻め手の動きを制限する仕掛けも見受けられる。土塁の手前には深々と掘られた空濠。迂闊に攻め寄せれば、土壁に取り付く前に足を取られ、そこを射撃で薙ぎ倒されてしまう。大方、土塁を作る際に材料となる土を掘った穴を再利用したのだろうか。抜け目の無いことであった。

 更に土塁の裏側にも仕掛けがあるとバウアーは見ていた。攻める側の視点では、一見すると兵の胸の高さまでしか土が積まれていない。だが、先程の攻撃魔法を凌いだ際の動きからすると、実際は裏にもう少し深い壕が掘られていると判断出来た。おそらく、守備側からみるとあの土塁は階段状になっており、反撃を行う際は上の段から上半身だけを乗り出して射撃。魔法や弓矢、投石などの相手の遠距離攻撃に対しては下の段に身を潜り込ませて防御、という風にして兵を守るのだろう。

 何から何まで効率的かつ実用的。ここに来てこうまで戦闘方針を徹底出来る指揮官と当たるとは、と我が身の不運を嘆きたくなる。

 だが、


「惜しかったな、アルクェールの領主も」


 バウアーは自身の勝利を確信していた。確かにマスケットという新兵器に即席とは思えぬ鉄壁の防塁、これらを組み合わせた戦術は厄介であり脅威である。だが、絶望とまでは至らない。

 何故なら、攻め手は飢えに苛まれているとはいえ四万人弱のザンクトガレン軍であり、守り手は強力な武器を手にし防備を固めたとはいえ、一万人を超えた程度の新兵未満の烏合の衆なのだから。

 つまりはこういうことだ。


「はぁ……はぁ……っ!」


 カチカチと、既に弾を撃った後の引き金を何度も引き続けるアルクェール軍兵士。目は血走り顔色は赤黒く、遠目にも頭に血が上っていると分かる。それを見た小隊長が、目を吊り上げて怒鳴り声を上げた。


「馬鹿者っ! 次弾を装填せんか!?」


「な、何で弾が……弾が出ないんだァ!?」


「……だからっ、次の火薬と弾を突き込んで――ぐああっ!?」


 隊長がパニックを起こしている配下を叱咤している隙に、防塁に斬り込んだザンクトガレン兵がこれを仕留める。

 そして血に濡れた剣を振り被りながら哄笑を上げた。


「くっはははァっ! 何だ? 得体の知れない飛び道具は弾切れかァ?」


「ひ、ひいっ!?」


「手品の種が割れれば、所詮は弱兵――ぎゃあっ!?」


「……こちらB-09。α-01壕、持ちこたえられません。β-01壕へと退避を開始することを報告します。オーバー」


 そのザンクトガレン兵も、戦場で執事服など来ている奇妙な奴隷に仕留められる。だが、攻め手の数は元より守備側より多い。忽ち、数名の斬り込み隊が射撃の小康を見計らい、土塁の中へと突入する。


「奴隷如きが、我が軍の行く手を阻むではないわ!」


「死ねっ、奴隷がっ!」


「お、おい奴隷ェ!? 何とかしろよォ!?」


「その為に領主様がつけてくれたんじゃないかっ!」


 笑えたことに、アルクェール軍の兵士は奴隷の手足に腰にと縋り付いて助けを乞う。文字通りの足手纏いだ。


「離れて下さい、戦闘に支障――」


「取ったァ!」


 そして纏わり付いた有象無象に身動きを封じられて、抵抗もままならず死んでいく。先行して突撃した兵を仕留めた手際から、奴隷だてらに腕は立ったのだろう。しかし、周囲の味方のほとんどに足を引っ張られるこの状況では、如何ともし難い。

 他の前線の土塁でも似たような光景が展開されていた。


「M-20です。司令部、応答を。司令部、応答を――」


「おい、こっちには女がいるぜ! メイド服、これも奴隷だ!」


「――応答を得られなかった為、独自の判断で防衛戦闘に移行。敵を撃破し、味方の退避を支援――」


「戦闘中だ、欲を掻くなっ! 意外に手練だ、殺せェ!!」


「は、はっ!」


「――我が方、戦力過少です。司令部に早急な援護を乞います。……≪ゲイルエッジ≫」


「ぐわぁああああっ!?」


「畜生、魔導師か! 数で押し包め、数でっ!」


「女奴隷が生意気にっ!」


「うあっ……! 司令部、早急なえん、ごを……」


 文字通りの人海戦術。寄せては返していた人波が、次第に返ることなく防塁の向こうへと流れ込んでいく。当初は激しい銃火で以ってこれを撥ね返していたアルクェール軍であったが、時が経つ毎に火力は弱まり、ザンクトガレン側の攻勢に抗しえなくなっていった。

 バウアーの幕僚がニタリと笑みを顔に刻む。


「あの火を噴く筒に魔力反応は無し。であれば、変わり種といえど弩のようなものであり、やがては弾が尽きる……魔導師たちの見立ての通りでしたな」


「ああ。魔法にあらざるならば、奇矯に見えれど条理に従う存在という訳だ」


 そう返事をしつつ戦場の様子を眺めやる。

 戦闘開始直後こそ耳を聾さんばかりに鳴り響いていた破裂音も、今や時折思い出したように散発的にしか聞こえなくなっていた。

 バウアーらが推測した通り、マスケットの弾は有限である。その上、一度撃てば銃腔の掃除に次発の装填など、手間の掛かる処理を行わなければ二発目を撃てない。故に欠点を補う為に陣地を固めて敵と距離を取る戦法を取ったのであろうが、


「おのれ、ザンクトガレンどもめェ!!」


「ま、待てっ! まだ距離が――」


「て、敵が見えたっ! 撃て、撃てえええぇぇぇっ!!」


「ぎゃあっ!? お、俺は味方――」


 このように、堪え切れず有効射程外から撃ち始めたり、前方の壕から退避して来た者や、急に立ち上がった味方の人影を敵と誤認したりと射撃の機会を浪費。再び時間の掛かる装填作業を行う羽目になったり、貴重な弾薬を失うなどしていた。それも味方殺しで損害を出した上でだ。アルクェール側が総崩れになるのも近いと確信させられるには、十分過ぎる光景である。


「本当に、アルクェールの領主は惜しかった。今少し兵に練度があれば、こちらも危うかったぞ」


 パニックに友軍誤射など、無様な醜態を見せる敵兵の姿に、バウアーは失笑を漏らす。如何に指揮官が頭を捻って斬新な戦法を繰り出そうとも、それを十分に活かせるかどうかは戦闘を行う兵に掛かっている。戦闘で戦術の不利を挽回するのは不可能、それが常識だ。だがしかし、戦闘のイロハも知らぬ弱兵の群れは、如何なる妙手上策も無為に帰す。練度が低過ぎて戦術についてこれないからだ。考え出した策に対応出来る程度の兵を用意するのは戦略。そして戦略の不備を戦術で取り返すこともまた不可能。言うなれば、アルクェール王国側は優れた奇策で戦術面の優位を得たものの、それを活かせるだけの兵を用意できるか否かという戦略、或いは政略の面で、既に敗れていたのである。

 無論、アルクェール側もただしてやられているだけではなかった。


「……うおオオオォォォらアアアァァァ――っっっ!!」


 爆音。

 戦場を押して渡る雄叫びと共に、数名のザンクトガレン兵が諸共に消し飛ぶ。

 前線に土煙が立ち込めた。それに入り混じって粉砕された人体の破片と血飛沫が、グロテスクな雨を地面に振り撒く。


「な、何者だっ!?」


 怯みを帯びた兵の誰何と共に、土煙の中からゆっくりと身を起こす男。どこからともなく現れた、長身にして魁偉な黒尽くめの剣士。その手に帯びているのは、彼の全身にも比する特大の両手剣だった。

 男は、現れた時と同様に声を張り上げる。


「……オーブニル家家臣団武官筆頭、ドゥーエ・シュバルツァー見参っ! 死にてェ野郎から掛かって来やがれっ!」


 そして、手近な敵兵を一太刀で斬り潰した。無論、即死。断末魔の声すら上がらなかった。

 驚いたことに、そんな酸鼻な方法で敵を殺めておきながら、得物の刀身には血糊どころか曇りすら無い。常識外れの剣速、桁違いの剣圧、加えてそれだけの力を込めながら武器に負荷を掛けぬ剣技。いずれを取っても一級のものに相違なかろう。


「ま、待たれよっ! そ、その名といい、容貌といい、貴殿もザンクトガレンの人間と見受けたっ! それが何故、アルクェールなどに与し――」


 将校の一人が上げた疑問は、剣閃によって答えられた。上顎と下顎とが一撃で切り離され、半分になった頭が空中へと舞う。

 ドゥーエと名乗った剣士は、苛立たしげに顔を歪めながら吼えた。


「ンなこたァ……俺が知るかよォ!」


 そしてまた、手当たり次第の殺戮を始める。長大な剣が不穏に空気を唸らせる度に、血と肉片とが戦場のあちらこちらに降り注ぐ。

 突如として出現した規格外の暴力に、周囲はあっという間に大混乱に陥った。

 そして、更に追い討ちを掛けるように、


 ――ヒヒイイイィィィンンっっ!!


 甲高い嘶きと共に、新たな化け物が戦場へ舞い降りる。


「近衛第二騎士団団長、エリシャ・ロズモンド・バルバストルだ! 私の戦見物に花を添えよ、ザンクトガレン人どもっ!」


「団長に続けェーっ! 敵突出部を狙い、これを粉砕せよォ!」


「「おおぉおぉおぉおぉ――っ!!」」


 ユニコーンに跨った【姫騎士】に率いられた精兵百人。例の砦で気炎を吐いていた近衛騎士たちである。彼女らは周囲に群れなすザンクトガレン軍の兵を馬蹄に掛け、馬上から剣で斬り殺しと、過日を再現するように暴れ始めた。

 並の将ならこの光景に肝を潰し、或いは攻勢を頓挫させるところであるが、


「前線に伝令を送れ。化け物どもを無理に相手取るな、と。優先すべきはあくまで土塁の制圧、もしくは敵総大将の首だ」


 バウアーは、突発事に見舞われた中にあっても冷静に指示を下す。


「敵は堪りかねて、早くも貴重な予備兵力を前線に出した。今、平押しに押しまくれば厄介な土塁は攻略出来る。分かるな?」


「は、はっ!」


 如何に強力な戦力であろうと、敵精鋭部隊はたかだか百人であり、ドゥーエとかいう男に至っては単身なのだ。一方、ザンクトガレン軍は死傷者で数を減らしたとはいえ、現有戦力は三万七千人を下るまい。強力な敵戦力は足止めに徹し、他方面から拠点を攻略すればそれで済む。


「魔導師隊にはあの剣士を狙わせろ。ユニコーン乗りには魔法が通じにくいと報告にあった」


「了解しました、直ちに伝えますっ!」


「それと、だ。例の物はまだ出せんか?」


「担当する魔導師からの報告によると、この移動で調整が狂った為に、投入には今しばらく時間が掛かると――」


「使えんな……仕方ない、予備を少し動かすぞ。あまり時間を掛けたい戦ではないからな」


 言って、頭上の太陽を睨むバウアー。

 この予定外の戦闘で、恐らく二日は進軍に遅れが出るだろう。食糧事情に不安を抱えるザンクトガレン軍にとって、時間を浪費すればするほど軍を飢えさせることになる。今日の会敵は、遅効性の毒に等しい。

 ならばこそ、一撃で手早く打開を。出来れば今日一日での決着を。

 バウアーはその為の策を、密かにそっと巡らせた。




  ※ ※ ※




 戦場を密かに抜け出した兵たちは、迅速に行動を開始する。

 草むらや木陰に身を潜めつつ、クラヴィキュール盆地を迂回。鉄砲玉にも敵最精鋭の騎士団にも、両手剣の剣鬼にも遮られず、静かに確実に移動していた。

 バウアー将軍の意図は単純にして明快。予備兵力から身軽な兵を選抜して盆地を回り込ませ、後背から敵本陣を一挙に突く。今のアルクェール王国軍は、近衛も含めた予備兵力を前線の救援に回し、本陣が手薄。まずもってこの攻撃は成功するだろう。

 上手くすれば敵総大将であるオーブニル伯爵とかいう貴族を討ち取り、一刀両断にこの戦いを終わらせることが出来る。それは高望みとしても、本陣強襲となればアルクェール側の指揮系統が混乱するのは目に見えていた。ただでさえ練度の低さから壊乱寸前という累卵の軍隊だ。一度全軍が混乱に陥れば、その崩壊は土塁ごときで堰き止めることは出来まい。

 このヴォルダンを巡る戦いは、それで一度決着を迎える。何しろ州全体の頭脳とも言うべき領主が直々に、残った兵力のほとんどを振り絞る形で出陣しているのだ。これが野戦で破られれば、州都もその他の都市も戦わずして落ちる公算が大である。純粋に軍勢と相対して拠点を守れるだけの兵力は、既に払底しているだろうから。

 後は奪った都市とそこに蓄えられた食糧で、兵を休ませつつ再編。二週間後には来援するだろう敵本隊に備える。アルクェールの本隊は大軍であろうが、冬まで粘るだけなら野戦で消耗したザンクトガレン軍でも問題無い。そうすれば春先の雪解けに合わせてアルマンドを本国の精鋭と挟撃して落とし、アルクェール王国にこちらの要求を呑ませて講和だ。

 ひょっとすれば、自分たちが戦争を大きく左右する役目を担うことになる。その思いに、派遣された別動隊の兵たちは胸を高鳴らせていた。幾ら手薄だろうとは言え敵の本陣、熾烈な迎撃を受ける可能性もある危険な作戦だが、大任を得た高揚が恐れを打ち消している。何より、焦土作戦から始まる小癪な手妻で煩わせてくれた連中を、自分たちの手で木端微塵に出来るかもしれないと思うと、その痛快さに胸が躍るというものだ。

 彼らの行動は瞠目すべき早さを見せた。広い盆地を迂回し、道なき道を行く行程でありながら、所要時間はおよそ二時間弱。森と精兵の国ザンクトガレン、その軍の練度の程をよく示したと言えるだろう。


「…………」


 別動隊が後背からアルクェール軍本陣に到達したとき、折しも時刻は夕暮れ。昼の間中を戦い続けた者は疲労が溜まり、また夕日と夕闇とに目を奪われるなどして、注意力が散漫になる時期である。奇襲には打ってつけの条件だった。

 前方からは、戦場の騒擾が遠く聞こえる。激戦はまだ続いていた。それが別動隊の足音を紛わせ、この強襲を不可知のものとしている。

 運は、どこまでもザンクトガレン軍に味方しているかに見えた。


「……よし。準備は良いか?」


 兵をここまで率いて来た隊長が、声を漏らさない為に噛んでいた木切れを外しながら言う。部下たちもそれに倣いつつ、声を上げずに肯いた。

 隊長は身振りで陣幕の外に掲げられている旗を指す。

 部下の一人――紋章官の資格を持ち、敵国貴族の紋章にも通じた者が、再び無言の首肯。

 オーブニル伯爵の旗に間違い無いという判断だ。つまり指呼の距離に捉えた陣地は、紛れも無く敵本陣。

 別動隊全員の顔に、肉食獣めいた笑みが広がった。隊長が剣――鍔鳴りなどの音を漏らさぬよう、鞘の隙間に布を詰めていた剣を、無音の内に抜く。残る全員も同じように静粛の内に抜剣。

 後はここへ押し入って、憎きアルクェール貴族の指揮官を叩き斬ればそれで終わりだ。周囲には何と、警戒の歩哨すら疎らである。

 彼らは全員、作戦の成功を確信し――




「……≪スタラグマイト・ファランクス≫」




 ――その確信を抱いたまま、百人中九十六人が即死した。


「がっ!? ……こ、ご、ぐあァ……っ!?」


 残る僅かな生存者も、全身を槍衾に貫かれて身動きを取れず、小さな苦悶を漏らしながら死んでいくことしか出来ない。

 その中の一人は、思った。


(や、槍……? ど、どこから……!?)


 夕陽に赤く染まった視界の中、槍を携えているのは、前方で尚もこちらに気付いた素振りも無く警備をする歩哨のみ。自分たちの存在を知らぬ者が、これを貫ける筈は無かった。

 疑問の中、彼は霞ゆく目で自分の手足を、そして仲間たちを縫い止めている槍の正体を見る。

 鋭く尖り、硬く、しかし金属とは明らかに質感を異にするその穂先を。


(い、石……?)


 艶の無い乳白色をした、天を衝く尖塔を思わせる石柱の群れ。

 石筍。言うなれば、上へと伸びた鍾乳石だ。

 本来、洞窟の天井から滴る石灰の成分を含む地下水が、長年を掛けて床に溜まり形成されていく物である。

 無論、そんな物が土中から突如として現れ、地上の人間を串刺しにする訳は無い。

 石筍の群れが百人から成る兵たちの命を奪った原因は、ただ一つ。


「ま、魔法……これ程の魔導師が、まだ――」


 力無く呟くと、その兵はガクリと首を垂れ、それきりピクリとも動かなくなった。

 やがて全ての兵士が息絶えると、彼らを貫いていた魔法の槍は急速に風化。死体と共に崩れ落ち、元の土へと返っていく。

 後に残るのは、穴だらけの無残な姿を晒す、百体の死骸のみ。時間の経過によって魔力が霧散していけば、この死体たちを屠った者が何であるかなど、誰にも分からなくなるに違いない。

 そして、兵たちが目指していた天幕の中、人知れず主従は囁き交わす。


「……ん? どうしたんだい、ユニ?」


「失礼しました、ご主人様。何者かがこちらに迫っておりましたので、とりあえず掃除をば。百人から成る人数が、後方から送られてくる予定はありませんでしたので……」


「ふぅーん、そうだったんだ。ご苦労様。通信の管制だけでも大変だっていうのに、余計な仕事をさせちゃったね」


「いえ。ご主人様の御為ならば、何程の事でも……」


 死んだ兵士たちは知らない。自分たちが作業の片手間程度で始末されたなど、想像の埒外であったし、また思いたくもなかっただろう。

 彼らを送り込んだユルゲン・バウアーも知らない。略奪で掻き集めた物資に火を放ち、己の戦略に最初の瑕疵を刻んだ娘が、今また彼の企図した作戦を頓挫させたことなどは。

 ……そして日は沈み、夜が訪れる。

 トゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、待っていた時間が。

 ザンクトガレン連邦王国軍に、絶望と地獄を齎すだろう刻限が。







「――ジカン、ジカンっ、キたっ……!」




 夜と共に、魔は訪れた。




  ※ ※ ※




 宵の口、戦闘はザンクトガレンが押し込みつつある中で未だに続行していた。本来であれば夜に備えて兵を退き、野営に入らねばならない時間帯。だが、今回ばかりは戦いを止める訳にはいかない理由がある。


「そろそろ、別動隊の動きが何らかの影響を見せる筈なのだが……」


 先立って予備兵力から放った奇襲部隊。その作戦の成否が今以て不明であったのだ。

 念話の礼装を用いて確認を取ろうにも、何しろ隠密裏の迂回から敵本陣を強襲するという、秘匿性の高い任務の只中である。迂闊に通信を入れて物音を立てさせ、事が露見したとなれば、悔やんでも悔やみきれない。また土地鑑の無い場所で無理を押しての強行軍だ。多少の遅れは已むを得ないだろう。

 アクシデントが生じて中止ともなれば、向こうから連絡はある筈。それが無いとなれば作戦は進行中だ。信じて待つより無い。

 その計算が、バウアー将軍をして異例の長時間戦闘を続行させていた。


「しかし閣下。そろそろ兵の疲労も限界です。これ以上は……」


 幕僚が苦心の滲む声で具申する。

 戦闘時間はかれこれ三時間ほど。常態のザンクトガレン軍であればまだ倍はいけると豪語出来る程度であるが、今の彼らは食糧不足で飢えている。またこのクラヴィキュール盆地での戦いは、ザンクトガレン側にとっては意表を突かれた遭遇戦に等しい。ここに来るまでの行軍の疲れも勘定に入れると、そろそろ限界を呈してもおかしくなかった。


「やむをえない、か」


 バウアーは臍を噛みつつ、幕僚の意見の妥当さを認める。

 後少し、後少しで忌々しい狂った領主の軍を打ち破れる筈。防塁も既に半分は陥落させ、敵の新兵器も残弾を払底し始めている。或いは本陣強襲が実らなくとも押し込められるかという優勢な状況だ。ここで仕切り直しなど、平民だてらに将軍の座に上った武名が泣こうというもの。

 しかし、夜を徹して戦い続けるなど、用兵家のよくするところではない。季節は秋、場所は山間の盆地、夜の寒さで兵が死に至る過酷な環境だ。今退かなければ、オーブニルとかいう頭のおかしい貴族と引き換えに、遠征軍が壊滅しかねなかった。

 敵があれ一人だけならば、それも選択の内に入るだろう。だが何度も言った通り、彼らにとってこの後に来るアルクェール王国の本隊こそが主敵なのだ。辺境の一領主ごときと、部下の全てを心中させる訳にはいくまい。

 それが常識的な判断。普段であれば彼もそれを支持するのに躊躇はなかった。しかし、


「将軍閣下、後退の下命はお待ちくだされ」


 アカデミーから派遣された魔導師の一人、連邦盟主グランドンブルク本国が直々に寄越してきた男が、神経質そうな声音で待ったを掛ける。その声は過日、バウアーへ切り札だとかいう触れ込みの物品の調整について、芳しくない報告をしていた人物のそれだった。


「先頃に例の物について、ついに仕上がったとの報告を得て参りました。あれを投入すればアルクェールの弱兵など鎧袖一触。一挙に敵指揮官オーブニル伯を討ち取ることも夢では――」


 ありません、などと続けようとしたのだろう。だが、それもバウアーの冷たい一瞥を受けて尻すぼみになり消えていく。

 今更何を、という気持ちだった。過酷な山越えに余計な荷物を背負い込まされた挙句、何かと貴重な物資もせびられて、嫌々ながら渡さざるを得なかったのである。あんな厄介物さえ無ければ兵站の負担をもっと軽くすることも出来たのだ。それを後退を見計らうような局面になってから、ようやく動かせる目途が立ちました? 一挙に敵指揮官を倒すことも出来ます? 三万を超す将兵の命を、海の物とも山の物ともつかぬ得体の知れない何かに託せと言うのか。全く以って、軍隊というものを馬鹿にしているとしか思えない。

 憤懣の種は幾らでもあった。だが、バウアーは別の言葉を口に出す。


「……アカデミーからの報告書では、未だ完成の域に達しておらぬ試作品とのことだが?」


 魔導師風の男は、俯き気味だった背をガバッと起こした。疑問符を付けながらとはいえ話を続けるバウアーに、ご自慢のおもちゃで遊ぶ許可が降りる希望を見出したのだろう。隈を作り血走っている眼が、爛々と輝いていた。


「問題はありません! この一週間の調整により、完成品と呼ぶに値する状態となったかと!」


「あれを造った貴様の師父とやらは、制御に難ありと評していたともある」


「我が師は大変に奥ゆかしい方でありまして! それも謙遜の言葉でしょう!」


 どうだかな、と甲高い声にうんざりしながら思う。その師父とかいう人物のことは知らないが、少なくとも目の前で喚く弟子よりは冷静な人物ではないだろうか。ならば例の物に対する危惧の念にこそ信を置くべきでは、と。

 横に立つ副官も不安げな視線を寄越して来る。バウアーも全くの同感だ。

 とはいえ、


「了解した。ただし、万が一にも友軍を巻き込むなよ?」


 使えるものは何であれ使う。そうする必要がある場面でもあった。

 魔導師らしき男は満面の笑みを浮かべる。


「お任せあれ! トゥリウス・オーブニルめの首、しっかと御前に捧げてみせましょう!」


 そう言うや、身を翻してこの場を去った。

 副官は忌々しそうに零す。


「よろしいのですか、将軍? 一時撤収の頃合いですが」


「分かっている。だからこそだ」


 傍らから息を呑む気配が上がった。


「ガレリンからの寄騎として、今まで散々に乏しい中から物資を割き、無駄飯を食わせてもいたのだ。飢えながら戦っている兵の為にも、多少は損な役回りを演じて貰わねば帳尻が合うまい」


 バウアーの言はつまるところ、秘密兵器とやらとそれを運用する連中を、撤退の際に殿軍――他の兵を安全に退却させる為、敵を食い止める捨て駒――として使うということである。


「敵国に踏み入ってまで、本国から押し付けられた餓鬼の子守に足を取られたくはない、と?」


 幕僚たちが皮肉げに言うのに、ほろ苦い笑みを浮かべながら肯く。


「その理解でも構わんよ」


 アカデミーが持ち込んだ新兵器とやらがどの程度の代物かは眉唾物だった。過剰な期待は禁物。それより兵を休ませる為の後退が優先である。

 なに、今日の戦いで敵戦力はほぼ磨り潰したのだ。明日には必ず敵軍を撃破出来る。取り逃がしてヴォルダンに入られると厄介ではあるが、その場合は城を囲う前に西部の他の拠点を落として補給を済ませれば良いだろう。今日はこれ以上戦い続けても、損の方が大きいではないか。この地で決戦をと望んでいるのはあくまで向こう。我らは盆地の向こうの西部に足を伸ばし、食糧を押さえてからでも一向に構わない。ならば戦いたい者だけ戦わせて、次局に備え残る兵力は温存するのが得策。

 そんな理屈で己を納得させ、バウアーは陣払いの下知を出そうとした。


「間も無く、例の物が出る! 他の兵は、敵の動揺に合わせて退――」


 その時である。


 ――ドスっ。


 背後からの胸を震わせる衝撃に、バウアーの身体が馬上から落ちる。

 山越えの際の寒風にも焦土作戦による飢えにも身を屈することの無かった男が、ドサリと音を立て呆気無く地に伏せた。


「将軍っ!?」


 下馬した幕僚たちが駆け寄り、土埃に汚れた将軍を助け起こす。

 同時、彼らの間に動揺の波が立った。


「ぐ、うっ……な、に、が……?」


 部下の腕の中でバウアーが口を開閉する度に、血泡が唇の端から弾けた。

 その胸部からは、月光を受けて禍々しく光る鏃を備え、一本の矢が伸びている。

 背後から、弓で射られたのだ。


「テキ、エラいの、アてたっ! ワタシ、ユミ、アてたっ!」


 あまりにも場違いかつ無邪気な少女の声に、将軍側近の将校たちは弾かれたように振り向く。


「だ、誰だっ!?」


「貴様、何者――!?」


 そこに広がっていたのは、悪夢のような光景だった。

 盆地の東側、小高い丘の上に立つのは、大きな強弓を携え全身に彫り物を刻まれた異相の少女。バウアー将軍を狙撃したに違いない下手人は、満面の笑みを浮かべながら高みより戦場を睥睨している。

 ……その周囲を固めるのは、恐るべき不浄の軍団。

 全身を白骨化させた兵士がいる。

 汚汁を滴らせながら歩く腐乱死体がいる。

 肉という肉を干乾びせながらも、眼窩に赤い光を宿したミイラがいる。

 黒い狼。巨大な蝙蝠。人間を上回る大きさの蚣。その他おぞましい動物の群れ。

 ありとあらゆるアンデッドと、有象無象の化け物どもが、夜の訪れとともにザンクトガレン軍の後背から姿を現していた。

 千に届かんとする死者の群れと、それに数倍する怪物たちに傅かれながら、異貌の少女は詠う。


「ホノオっ! ノロシっ、アげるっ! ――≪イグニス・ファタス≫っ!」


 瞬間、魔に歪められた邪悪な炎が、本陣近くの兵士たち十数人を飲み込んだ。


「うわぁあああああぁぁぁぁっっっ!!?」


「苦゛じい゛っ!? 寒゛い゛っ!? ほのおなのにィ……っ!?」


「……て、敵襲ーっ!! 魔物出現っ! 魔物出現っ!」


「戦争どころじゃないっ! 迎撃しろォーっ!」


「それより司祭だ、神官を呼べっ! 将軍に治癒をっ!」


 戦場は忽ちの内に、混乱の坩堝に叩き込まれた。それを防ぐべきバウアー将軍は、突然の狙撃によって射貫かれ人事不肖の状態である。

 夜と共に戦闘の終わりを予感していたザンクトガレン軍。しかし彼らは逆に、夜の帳に連れられ現れた、新たな敵との戦いを強いられることになった。

 だが、敵はモンスター。人類種に共通する不倶戴天の敵対種族である。

 当然のことながら、魔物どもはザンクトガレン軍だけを狙う訳では無かった。


「あはははははははははっ! イッパイっ! タクサンっ! シタイ、スゴく、あるっ! ミンナ、ナカマ、なるっ! ……≪ネクロマンシー・コントラクト≫っ!」


 戦場のそこかしこに転がる、両軍の戦死者たちの骸。それらを前に少女は舌なめずりをしつつ、全身の入れ墨を昏く輝かせて邪法を起動する。

 その身体から放たれた闇の魔力が、暗紫色の光の糸と化して無数に拡散。あちらこちらの死体に取り付いて、屍肉の内に潜り込み、冒涜的な契約を強いた。

 結果、


「「AAAAAHHH……っ」」


「「UGRRRRRR……っ」」


 アルクェール、ザンクトガレンを問わずして、無数の死体どもがゾンビと化して起き上がっていく。

 目を疑うようなおぞましい光景が広がったことで、距離と宵闇に遮られ事態を飲み込めていなかったアルクェール王国側も、遅ればせながら異常を悟った。


「はははっ、何だこれ……ゆ、夢でも見てるのかよ、俺……?」


 一人のアルクェール兵が、突然の事態に目を疑い、乾いた笑いを漏らす。

 彼はすぐさま、それが現実であることを悟らされた。


「AAARRRGGG……っ!!」


「ぎぃやぁああああぁぁぁっっっ!!?」


 肩口にゾンビの歯で噛みつかれて生じた、紛うこと無き激痛によって。


「あーっ! あぁあぁあぁっ! 離せっ、離れろォ!!」


 その兵士は死者の顎の力だけで空中に持ち上げられる。そのまま、暫く足をばたつかせて抵抗していたが、


「あーっ!? あ、あああ……AH……? ARRGG……っ?」


 やがて目から、顔つきから、肌から生気を失っていき、あっという間に腐れた動く死体の仲間入りを果たした。

 アンデッドという種族が、魔物の中でも特に忌み嫌われる所以がこれである。死という特大の穢れを媒介に、疫病の如く拡がり増殖していく。

 ましてやここは戦場だ。万余の生者が犇めき、万にも届く死体がそこら中に転がっている。アンデッドの材料は、それこそ幾らでもあった。




  ※ ※ ※




「ちいっ! ……おい、メイド! 聞こえているか、メイド!?」


 今なお前線で戦い続けていたエリシャは、動きの鈍い死者どもを愛馬で文字通り蹴散らしながら、手元の礼装で本陣に詰めているユニを呼ぶ。

 間も無く、通信礼装に応答があった。


『聞こえております、騎士様。既に複数の回線より、前線の状況を報告されております』


 戦争の最中に魔物が乱入し、戦死者の死体がゾンビの材料として利用されているという異常事態。にもかかわらず、例の鉄仮面めいたメイドは変わらずに平坦な声で応じる。


「そうか、なら話は早い。で、トゥリウス卿の方はどうだ? この状況に対して、指揮官殿は何をお考えかなっ!?」


 言いながらも取り縋って来たアンデッドを剣で一閃。

 通信相手の平静さにきな臭さを感じながらも、まずは総大将の意向を確認する。


『少々お待ち下さいませ。……はい、はい。……畏まりました。……では、主よりの指示をお伝えします』


 本陣の方でも多少のやりとりがあったか、僅かな間を挟んで伝達が続いた。


『近衛騎士団の皆様には、引き続き当家のドゥーエ・シュバルツァーと協同し、兵の退避を支援されるようお願いします。その後は魔物を優先して攻撃なさって下さい』


「だろうな。これだけのモンスターがいては戦争どころではない。……ああ、くそっ! 纏わり付くなゾンビがっ!」


 舌打ちしながら、具足に鎧われた脚でゾンビの頭を蹴り砕く。


『こちらは何とかザンクトガレン軍に停戦を呼びかけ、魔物に対し共同歩調を取るよう図ってみるとのことです。では、前線はお任せします……オーバー』


「そうか。それは何よりだなっ……! ええっと? ……おーばーっ!」


 小癪にも鐙に手を伸ばして来たゾンビの頭を蹴り潰しつつ返答する。

 トゥリウスに、この期に至って戦争を続けるなどという妄念が無くてホッとした。一度にこれだけの死体を操り、ザンクトガレン軍にも混乱を巻き起こしている程のモンスターだ。戦争の片手間に倒せるほど生易しい相手ではないだろう。とりあえず二つの敵を一つに絞られるというだけでも有り難かった。


「アルっ! 我らは味方の撤退を支援しつつ魔物を叩くっ! ザンクトガレンには構うな、その暇は無いっ! 良いな? ……聞こえているかっ!?」


「は、はい。団長っ……!」


 先程から嫌に静かだった部下だが、強く呼び掛けると細々とながら声が返って来た。どうやら、乱戦に巻き込まれて身罷った訳ではないらしい。単に連戦の疲労で反応が遅れたか、或いは魔物という予想外の新手への対処に手一杯だったか。

 見れば、他の部下たちも懸命にゾンビの群れを相手に武器を振るっている。敵はアンデッドの中では最下級といえど、数は多い。この戦場のあちこちに素となる死体があるのだから、それも当然だろう。ザンクトガレン軍との戦闘で嵩んだ疲労を思えば、多少手間取っても仕方ないかもしれない。


「……ドゥーエ・シュバルツァーは――」


 エリシャは首を巡らせて、共闘の相手となる男の姿を探した。

 探し人はすぐに見つかる。


「うおォらあああァァァっ!!」


 戦い尽くだったのはこちらと同じだったというのに、両手剣の剣士は今以て雄叫びと共に剣を振るう余力があるらしい。頼もしさと同時に空恐ろしさを覚えつつ、声を掛けられる距離まで近づく。


「シュバルツァー卿! 通信は聞こえていたかっ!?」


「……兵を逃がしながら、魔物と戦えってンだろォ!? だがよォ――」


 ドゥーエは答えながらも、忌々しそうに自分の一撃が敵を吹き飛ばした後の空隙を見やる。

 そこにはすぐさま敵の新手が現れ、戦意と共にドゥーエへ武器を突き付けて来た。

 エリシャも彼と同じ苛立ちを共有した。新たな敵はアンデッドではない。魔物ですらなかった。ザンクトガレン軍の兵士である。


「どけェ! アルクェール軍ンンっ!!」


 このように、パニックから見境を失くして突っかかって来るのは良い方だ。

 頭が痛いことに、敵の中には、


「この恥知らずがァ! 一時の勝利の為に、魔物と結――ぐえっ!」


 などと、こちらが魔物を呼び込んだなどと早合点する者もいる。この鉄火場でそんなことを喚き散らされては、何が起こるか分からない。味方の兵が動揺したり、下手をすれば猜疑心から命令を拒むこともあり得た。なので、エリシャとドゥーエは言いたいことを察するや、速やかにこれを殺さなければならなくなったのである。


「……成程。先程の通信は、随分と困難な指示であるようだな」


「ああ、まったく――なっ!」


 軽口を交わし合いながらも、周囲の敵を魔物、ザンクトガレン兵の区別無く殲滅していく。こちらとしてはモンスター退治を優先したいところであるが、向こうも見境無しに攻撃してくるのだから仕方ない。

 ユニが言うには、トゥリウスは敵軍と停戦を行うつもりらしいが……出来れば早くして貰いたいところだ。


「酷い戦場だ……ええい、糞っ! 斬っても斬っても、出て来るのは腐乱死体か恐慌に陥った雑兵か! いい加減にしろよ、貴様らっ!」


「ああ。……っとに、同感だぜっ!」


 エリシャの鋭剣が空を裂き、ドゥーエの豪剣が唸りを上げる度、生者と死者とを問わずに敵が散る。後方へ下がっていく味方を背中に庇いながら、どれだけ戦い続けたものだろうか。

 いつしか二人の周囲に、死体と元死体の山が積み重ねられて来た頃、変化は起こった。


 ――ズシンっ。


 背後のアルクェール軍陣地から、そんな巨人の足音じみた重い音が響く。

 同時に幾つもの篝火が焚かれたような眩さ。

 その現象に、命と意思無きゾンビは兎も角として、ザンクトガレン兵は一瞬戦いを中止した。


「? 何だ……?」


 不思議に思い振り返ったエリシャは、思わず目を丸くする。

 後方、二十メートルほど。前線からほど近い位置の土塁上に、巨大な影が立ち上がっていた。

 太い手足に、猫背気味の体躯。肩の上には首が無く、頭部が直接生えるようにして誂えられている。まるで子どもが粘土細工で作ったような人型は、これも確かに土を捏ねるようにして生み出されたに違いない。ただし、そのスケールは桁違いであるが。

 マッドゴーレム。

 魔導に熟達した者が土より生み出す、大型の使い魔だ。ただし、今目にしている者はエリシャの知識にあるものより一回りは大きい代物である。

 その肩の上、地上より五メートルほど離れた高さに、彼はいた。


「トゥリウス卿……」


 【奴隷殺し】。【人喰い蛇】。兄を逐って伯爵の地位を占めた男。幾多の陰謀への関与が疑われる怪人。酸鼻な人体実験で知られる異端の錬金術師。そして、民たちを扇動して兵に変え、この地獄の戦場へと送り込んだ張本人。

 トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。

 今まで本陣に籠り、通信の管制を行うユニを通じての指揮に専念していた男が、ようやく重い腰を上げて登場した。無数の篝火に照らし出された大型ゴーレムの上、まるで舞台に立つ役者のようにその姿を戦場中へと誇示している。

 彼は周囲を見渡すと、懐から喇叭のような形をした礼装を取り出し、おもむろに起動。瞬間、キィィィンっという耳鳴りのしそうな高音が響き渡った。


『……この戦場で戦っている皆さんっ! 僕の声が聞こえますかっ!?』


 次いで、トゥリウスの肉声を数倍か十数倍に拡大したであろう声。

 おそらく、これが彼の起動した礼装の効果なのであろう。ただ単純に、声を大きくし遠くへ届ける為だけのものだ。なんとなくで原理を察したエリシャなどは兎も角、それが理解出来なかった者や、戦闘に気を取られていた者などは、いきなりの大音量に腰を抜かす思いではあるまいか。

 そんな危惧を余所に、トゥリウスは言葉を続ける。


『アルクェール王国ヴォルダン伯爵トゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、同国を代表してお話ししたいことがあります! 皆さんがご存じの通り、今我々が戦っている場に、強大な魔物の軍勢が現れました。人類共通の敵である、魔物がです!』


 口ぶりは硬く、緊張の色が強く表れている。この男の素性を知らない人物であれば、単純に魔物の脅威を強く訴える、気弱だが正義感に溢れる青年と思い込んでも無理は無いくらいだ。


『我々アルクェール王国と貴方たちザンクトガレン連邦王国は、不幸にも戦端を開き、こうして血で血を洗う戦いを繰り広げるまでに陥っておりますっ! ですが、それは互いに共通する危難……魔物の襲来を座視してまでも、続けねばならないものなのでしょうか!?』


 出来れば続けたかったろうな、とエリシャは思う。魔物が乱入する直前まで、アルクェール側の戦線は崩壊寸前だった。後少しでザンクトガレンに勝ちを拾われてもおかしくはなかったのである。もっとも、その前にザンクトガレンも野営の為の仕切り直しを強いられていただろうが。


『――それは絶対に違うっ! たとえ属する国が違おうとも、僕たちも貴方たちも同じ人間同士であることを否定する理由にはなりません。である以上、人類全てを脅かす魔物に立ち向かう為なら、互いに手を取り合うことはできる筈です。争いを止めましょう!』


 そして、唐突に始まったトゥリウスの独演会は、最高潮を迎える。

 呆れたことに涙まで滲ませながら、声を上げ続けたのだ。


『この世界に産まれて生きる上で、最も大切なことは何か? 何者にも脅かされることの無い平和の中で、穏やかな生を生き続けること。これに勝ることはありません。僕は、そう信じていますっ! この言葉が一片でも貴方がたの胸に響いたのなら、この手を取って下さい。共に脅威と戦い、未来を勝ち取ろうではありませんか! ……僕はザンクトガレン連邦王国軍へ、停戦を提案しますっ!』


「停、戦?」


「戦いを、やめるってことか!?」


 停戦。

 その言葉に真っ先に反応したのは、ズタボロの状態で防塁から叩き出され、後方へと敗走中のアルクェール王国兵たちだった。彼らの九割は今回の戦いの為に急遽駆り出された農民である。戦いなど好きでも得意でもない。敵が攻めて来たから武器を取っただけの、単なる民だ。魔物を撃退する為に戦争を止めるとあれば、喜んで賛同するだろう。

 一方、ザンクトガレン側はどうだろうか。


「こ、ここまで来て停戦……?」


「確かに魔物がいては……しかし」


 彼らは宣戦布告を叩きつけ、それと同時に山脈を越えて奇襲を掛けて来た加害者だ。自分たちから手を出してしまった以上、そう簡単に引っ込みは付かない。それにもし、この停戦からなし崩しに講和へとなれば、彼らへは不利な条件が課されるだろう。戦端を開いた側である上に、制圧している土地はたかだかヴォルダンの東側という僻地だ。有利な講和など望めまい。その欲目が、この提案を蹴る形で現れはしないだろうか。


(七割はいける、といったところか?)


 エリシャはそう計算した。ザンクトガレン軍の指揮官が理性的な人物であれば、まず停戦は受ける。何しろ魔物の大群を相手にしての共同戦線だ。軍を発して攻め込み、その上で人類共通の敵へ目もくれず同じ人間へと攻撃を続けるなど、幾らなんでも聞こえが悪過ぎる。政治的感覚に乏しいと指弾されがちな彼女とて、それが戦後の外交に大きく差し障るような不祥事であることは理解出来ていた。だから真っ当に判断すれば、ここは停戦だ。それが一時的な物か、それともヴォルダンでの戦闘全体を停止するものになるかは、向こうの思惑と言いだしっぺのトゥリウスの手腕次第である。

 だが、問題は向こうの兵の勢いと感情だ。アルクェール側は、近衛とドゥーエこそ活躍しているものの、他は訓練すら受けていない新兵未満のカモの如きもの。後少し押せば総崩れというところで停戦の提案を受けて、素直に納得出来るか。または決着を逸る兵を抑え切れるのか。

 それにもし指揮官が短慮な人物であった場合、逆に魔物襲撃を奇貨として総攻撃に掛かるかもしれない。魔物どもを誘導してエリシャやドゥーエの動きを封じ、その隙にアルクェール軍を叩く。総指揮官のトゥリウスが、停戦の呼び掛けの為に前へ出て来ていることもある今が絶好の好機でもある。戦いの後のことすら考えられない阿呆であれば、そんな風に考えるだろうから。

 是非とも相手の指揮官には冷静な判断を下し、兵を統御してほしいと思う。エリシャとて魔物退治と戦争とを一緒くたに楽しむほど悪趣味ではない。混戦に足を取られながら歯応えの無い雑魚を延々と斬り伏せ続けるよりも、これ程の大群を使役する、強大な魔物との対決に集中したかった。だから素直に停戦が成ることを祈っている。

 だが――、


「……≪フレイムランス≫っ!」


 ――ザンクトガレン軍から放たれた一発の魔法により、その願いは脆くも打ち砕かれた。


『くっ! う、うわぁあああぁぁぁっ!?』


 衝撃に土台としていたゴーレムが傾き、トゥリウスが悲鳴を上げる。

 マッドゴーレムは魔法に弱い。低級魔法であっても連射すればそれだけで倒せるほどだ。それに中級魔法を喰らわせれば、幾らトゥリウスのマッドゴーレムが大型とはいえ、一溜まりも無い。

 土の巨体が大きく傾ぐ。その光景を前にして、攻撃を放った魔導師が声を上げた。


「卑劣なアルクェール軍の口車に乗るな! 奴らは私たちを騙そうとしているんだっ!」


「……そうだ!」


 更に別の場所から兵が同意を示す。


「連中の所為で俺たちは飢えているんだ! 今更仲良くしようったって、出来るか!」


「虫が良いんだよ、お前らはっ!」


「お前らの所為で、俺たちがどれだけ惨めな思いをしたか……!」


 一度口火を切られたからには、もう止まらなかった。ザンクトガレンの兵たちが口にするのは、アルクェールへの恨み辛みの洪水である。

 彼らは眦を決して武器を振り上げ、再び戦闘を開始する。魔物もアルクェール人も、お構い無しに。

 その無謀な行いに、指揮官の統制が及んでいる気配は無かった。


「ちっ……向こうの指揮官は、既に魔物にでもやられたか?」


 公式の返答が無いこととザンクトガレンの後背から押し寄せている大群の姿とに、エリシャはそう当たりを付ける。勘の良いことにそれが正解であった。ザンクトガレン連邦王国軍の遠征軍司令官、ユルゲン・バウアー将軍は、既に魔物の群れを統率する少女によって狙撃され倒れている。神官が治癒の為に向かっているが、この乱戦状態の中で果たして間に合うかどうか。そして治癒が成ったとしても、統制を回復出来るか否か。

 そうこうしている間にも魔導師の魔法が、兵たちの弓矢や投石が、トゥリウスとゴーレムとに降り注いでいく。彼はその光景を目の当たりにしながら、尚も叫んでいた。


『やめてください! 戦いを止めて、共に――』


 そしてそれが聞き入れられないまま、ついにマッドゴーレムの倒壊は始まる。

 魔法が着弾し、胸や腹が、庇うように掲げた腕が、そして脚が形を保てず土に還った。仰向けに大きく傾き、ぼろぼろと土塊を零しながら、地響きを立てて地に沈む土人形。トゥリウスの姿も、それに巻き込まれて見えなくなる。最後に甲高い異音が周囲に響いた。


 ――キィイイイィィィン……ガガガっ……!


 恐らく、彼の声を戦域全体に伝えていた礼装が、破損した影響だろう。

 一瞬、耳が痛いほどの静寂が一帯を支配する。


「りょ、領主様……?」


「馬鹿な……嘘だろう!?」


 攻撃という形での停戦拒絶、そして再び始まった戦闘。アルクェール軍の練度の低い兵らは、自分たちの薄甘い希望が完膚なきまでに砕かれる光景に恐怖した。

 一方、ザンクトガレン兵は真逆である。


「敵指揮官は倒れたぞォ! 好機到来だっ!」


「このまま一挙に押し潰せっ!」


「連中から食糧を奪えっ! 本陣だっ! 土の中に籠ってる連中の為に、たんまり持ち込んでいる筈だぜっ!」


 アルクェール軍はただでさえ兵個々人の練度で劣る上に、指揮を執っていたトゥリウスが土塊の中に消えているのだ。攻めている側からすれば、撃破するのに絶好の機会だろう。

 だが、今度ばかりはそういかなかった。

 ――一閃。銀色の太刀筋が攻め寄せようとしたザンクトガレン兵の首を飛ばす。


「我らが、黙ってそれを許すと思ったか?」


 馬上で鋭剣を振り抜いたエリシャが、そのままの姿勢で冷たく言った。

 そして、配下の騎士たちに号令を下す。


「……近衛第二騎士団! 私の判断で新たな指示を申し渡す! ザンクトガレン軍を優先して撃退せよっ!」


「あ、姐御っ!?」


「よろしいんですかい? 先程は魔物の討伐を優先しろと――」


「その魔物との戦いの最中、王国伯爵直々に申し入れた和議を蹴るような輩だ。最早、人と思う必要は無い」


 躊躇を口にした部下をそう喝破する。

 先程のユニが伝達した指令は、対魔物の為に停戦を提案する必要があってのこと。それが破談した以上、律儀にザンクトガレン軍をお客様扱いしてやる理由など無い。

 それに脅威度で言えば、最下級のアンデッドであるゾンビなどより、訓練を積んだザンクトガレン軍人の方が上なのだ。


「彼奴らが我々より死体どもと仲良くしたいというのなら、是非も無い。そいつらのお仲間にしてやるまで。仮にも和議を唱えた指揮官を、一方的に撃つような鼠賊の群れだ。遅れは取るなよ!」


「「はっ!」」


 言われて迷いを捨てた騎士たちは、ザンクトガレン軍を押し止める為に戦闘を再開する。

 それを確認したエリシャは、近くで戦闘中のドゥーエに声を掛けた。


「シュバルツァー卿はどうする? 貴殿の主人はゴーレムの残骸に埋まったようだが」


「……はっ! ウチのご主人がその程度でどうにかなるたまかよ!?」


 彼は笑い飛ばしながら敵兵の群れを薙ぐ。襲撃が一時途絶えると血振りを一つしてこちらに向き直った。


「ついでにいうと、あっちにゃユニの奴も付いているだろ」


「確かにな……」


 言われて納得した。主人への忠節第一のあの奴隷メイドがいるのだ。戦場での主人の危機など、どんな手を使ってもどうにかしてみせるだろう。

 ただ、そうなると通信礼装を通じてアルクェール軍の統制を取る者がいなくなるのだが――、


「やらせるなァ! 後方に下がる味方を援護しつつ、敵の突破を防ぐのだ!」


 ――そう声を上げるのは馬上の人となって前線に駆け付ける、一人の貴族。

 その雄々しい雄姿と声とに、アルクェール兵は反射的に従い、防戦を再開する。


「トゥリウス卿の復帰まで、この合戦の指揮はこのドルドランが預かる! 諸卿は暫時、我に采を預けよっ!」


「……ドルドラン辺境伯かっ!」


 王国西方の要である武人の登場に、エリシャは一瞬前の憂いを忘れた。

 現状、既に盆地中に設置した防塁に籠る戦術は破綻している。土塁の半分近くが陥落しているからだ。だが、それは裏を返せば、広範囲に分散した兵を通信によって指揮する意義もまた、無くなったということ。ならば指揮官らしい統率力を持った将が、陣頭で直接指揮した方が効率が良い。

 アルクェール軍は、ギリギリのところでまた息を吹き返した。


「残った塁を固めよ! 後方の土塁にはまだ弾薬の備蓄がある! 鉄火を以って、侵略者を押し返すのだっ!」


「「うおぉおぉおぉおぉおぉおぉっっっ!!」」


 そして戦況の有利不利も引っ繰り返る。

 ドルドラン辺境伯の登場によって指揮権が速やかに引き継がれたアルクェール王国。対するザンクトガレンの方は、未だに命令系統が混乱しているのか攻め寄せ方に秩序だったものが無く、効果的な攻撃を行えずにいた。

 それも当然であろう。魔物が襲ったのはザンクトガレン軍本陣だ。司令官も彼から指揮を引き継ぐべき上級の将校も、襲撃の真っ只中である。そんな状況で統制の回復など、早々出来るものではない。

 加えて言えば、アルクェール側を襲う魔物はたかだかゾンビ程度だが、ザンクトガレンに襲い掛かっているのは魔物の本隊である。当然、あちら側の魔物の方が強力だろう。しかも後方から襲われたことにより、アルクェール軍と魔物とに挟まれた格好だ。こちらが同じ方向から攻め寄せて来る敵を打ち払えば良いのに対し、向こうは後ろから迫る敵と前を塞ぐ敵、双方を相手取らねばならない。襲われている本陣の救援も並行してだ。難易度は段違いと言えよう。


(こうなると魔物の襲撃も、ある意味、不幸中の幸いだな)


 戦いながらそう思って、ゾクリとした悪寒を味わう。

 ……今回もまた、トゥリウスにとって都合の良いように事が運んでいるのではないか?

 この戦場に魔物たちが現れなければ、この軍は高い確率で負けていた。新兵器であるマスケットや錬金術で拵えた防塁という奇策。それらを以ってしてもザンクトガレンには押し込まれていなかったか。それがこの土壇場で最悪の横槍が入り、有利不利が入れ替わっている。


「領主様の仇ィ!」


「よくも伯爵を……! ザンクトガレンの殺人鬼どもがっ!」


 防戦で奮闘する兵士たちの声が、エリシャの耳に届いた。

 魔物出現に際して申し入れた停戦がご破算となったことが、逆に兵らの心情をトゥリウスの側に押しやっている。人類は団結して魔物と戦うべきだという常識――正義を唱えて無碍にあしらわれたことが、彼への同情となって表れていた。多くの兵の目には、土煙に呑まれて姿を消した青年が、悲劇の英雄とすら見えているようである。

 トゥリウス・オーブニルこそ、この悲惨な戦場に彼らを連れ込んだ張本人だというのに。


(いや、まさかな。それは流石に勘繰り過ぎか……)


 手近にいたゾンビだか敵兵だかも分からない敵を斬りながら、頭を振る。幾らなんでも、こんな状況など狙って作れる筈は無い。ザンクトガレン軍の襲撃に際し、難民から大量の兵を募り、彼らの信頼を勝ち得、かつ敵軍相手に勝とうなどと。それに人間があれだけの魔物を操り、利用するなど、あり得ないではないか。そんなことが出来るとしたら、四大国の均衡などとっくの昔に崩れている筈である。人類は、他国とだけでなく魔物とも戦いを続けているのだから。魔物とは人類全ての天敵。それはどうあっても手を組めないが故だ。だから、この混沌とした現状は、あくまでも偶然の産物の筈である。

 しかし、どれだけそう思おうとしても、漠とした不安はエリシャの胸中から去らない。

 そろそろ夜も更け始める刻限。戦況は未だに激しさを増し続けていた。




  ※ ※ ※




 月と星とが見下ろす地上、戦いは果てしなく続いていた。

 西側、クラヴィキュール盆地の出口を守るアルクェール王国軍。

 東側、逆にこの盆地を抜こうと攻め立てるザンクトガレン連邦王国軍。

 その背後、両者諸共に見境なく襲いかかる魔物たちの大群。

 三者が入り乱れる戦場は、時と共に混迷の度合いを深めていく。

 アルクェールの兵は叫ぶ。


「侵略者を追い返せっ!」


「俺たちの村を、田畑を焼いた連中に報復をっ!」


 ザンクトガレンの兵も叫び返す。


「何を抜かすかっ! 元より貴様らが自分で焼いたのだろうがっ!」


「この期に及んで、我らに罪を着せる気かっ!?」


 そして更に返って来るのは、より猛りを増した憎悪に満ちる罵声。


「言い逃れかっ!? お前らが俺たちの村を焼いたんだ! 井戸には毒も投げ込まれていたっ!」


「俺はこの目で見たんだ、お前らが麦畑を焼くのをっ!」


「僕の村の娘は、お前らに連れて行かれて玩具にされたっ! 絶対に許さないっ!」


 互いが互いを加害者と罵り、罪ありと貶め合う両軍。双方の兵士は既に、相手を魔物よりも憎むべき怨敵として刃を向け、銃火を放ち、詠唱で以って呪っている。連鎖する憎悪のままに殺し合う人間たち。彼らを仲間に加えようと、死者の大群が横合いから躍り掛かり、齧り付き、血を啜る。

 地獄が地上に現れるのだとしたら、その場所はこのクラヴィキュール盆地をおいて他にはあるまい。

 そんな地獄を演出した者たちは、横手の丘陵を特等席として、惨禍の程を見物していた。


「あはははははっ! 良いねェ、良いねェ! 何も知らない人間たちが、憎しみのまま殺し合って、互いの血に塗れながら獣に返っていく姿、余興としては最っ高だよォ!」


「そうでしょうか? と、反論しマス。感情に任せた効率の悪い攻撃、防御、機動。どれをとっても鑑賞に耐えるものとは思えまセン」


「フェムちゃんは真面目ですねぇ……。でも、わたしもちょっとつまらないかも。こんな戦い、一発派手な攻撃魔法撃ちこんだら、すぐ終わっちゃうのになぁ~」


「確かにな。あれほど手間を掛けて仕込んでやったのだ。猿回しにしても、もう少し見応えを期待したかったところだが」


 ヴォルダン中を跳梁し、両陣営に憎悪の種子をばら撒いて来た悪魔の手先ども。オーパスシリーズ。外道の錬金術師が自慢の『作品』だと嘯く、一騎当千の悪鬼たちである。現在、戦闘の只中にある二体を除くその全てが、一堂に会して作戦の仕上げを見守っていた。

 ダークエルフの女、ドライが肩を竦めつつ言う。


「だが、ご主人様の提案された停戦をぶち壊したあの魔法。アレだけは良かったな」


「ああ、アレ? そうですよねェ、あそこでザンクトガレン側から手を出してくれたお陰で、手間が省けましたよ。ぷっくくく……馬っ鹿だよなァ! それで誰が一番得するかも解らないでェ!」


 追従しつつ腹を抱えて笑うのはシャールだ。


「予定では、わたしかドライさんが陣地に紛れてやるって手筈でしたよね? やってくれてよかったなぁ~……いくらフリでもお父様に魔法を向けるなんて、いやだもん」


「確かに、と、06に同意しマス。こちらのストレスを大幅に軽減して下さるとは、ザンクトガレン人は親切なのでスネ」


「おいおい。本当に親切ならば、戦争など仕掛けて我らの手を煩わせたりはしないだろう?」


「あはははっ、それもそぉですね~っ!」


 凄惨な殺し合いの現場を見下ろしながら、異端の『作品』たちは朗らかに談笑に興じさえしている。もしも眼下の戦場の兵士が彼らに気付けば、即座に激昂して矛先を転じんかねない姿であった。だが『作品』たちは、そんなことが起こる可能性を鼻で笑い飛ばす。野蛮な戦いに熱中している雑兵どもなどに、高度な魔法的隠蔽に遮られた自分たちの姿など、見つけられる訳が無い、と。


「それにしても、オーブニルくんも相変わらずえげつないことを考える。焦土作戦で何もかも焼き払っておいて、その癖自分は英雄になろうって言うんだからねェ」


「何を言うか、シャール。ご主人様の尽力あってこそ、たかが州一つの戦力で敵軍を打ち破られるのだぞ? 国を挙げての出兵などより、ずっと得ではないか。猿どもの低脳でも、その程度の算盤は弾けよう」


「戦略的劣位を少数の兵力で挽回……これは十分に英雄の定義に該当する、と、評価しマス」


「そぉそぉ! お父様はすごぉ~いっ!」


 セイスが無邪気にケタケタと笑う声が響くが、それも減衰結界に遮られ、外に漏れることは無い。

 一方で、盆地で戦う兵たちの声は、彼らの様々な能力によって聞き取られていた。ドライやセイスは風の魔法の応用で、シャールは人間を遥かに凌駕する知覚で、フェムは高度な各種感知機構で……それぞれ戦場をどよもす無数の声を聞き分けている。

 その声の中でもアルクェール王国側の兵士のものは、一様にトゥリウスのことを案じていた。彼のことを、停戦の為に無防備な身を晒してまで交渉を呼び掛けた英雄と呼び慕っていた。

 誰が彼らを戦争に駆り立てたのかを忘れ、誰が彼らの村を焼いて井戸に毒を盛ったのかも、知らないままに。その滑稽さがドライの侮蔑を買い、シャールの悪趣味をこの上無くそそるのである。


「しかし、と、疑問を提示しマス。そのような名声を望むのは、ご主人様の趣向とは些か異なる気がするのでスガ。あの方が世間の評価などに価値を見出すとも思えまセン」


「何を言うか、フェム。あの御方とて、必要があればいくらでもそれを望むだろうさ」


 苦笑するドライに、シャールが相槌を打つ。


「そうそう、要するに政治ってヤツ? ここで点数稼いでおいた方がさァ、後々で色々良いことあるんだよ、きっと」


「うぅ~っ……なんか難しいハナシしてるぅ……」


「専門外ですから仕方ありませんね、と、結論付けマス。ワタシは戦闘用で、貴女は研究用デス。政治の分野であれば、オーパスシリーズよりヴィクトル卿やルベール卿の担当でショウ」


 言いながら、フェムは視線を別の方向へと向ける。

 ザンクトガレン軍の後方から半ばにかけて蹂躙している、魔物の軍勢。その中心に立って暴れ回る、一人の少女の方へと。


「それよりも、と、話題を変えマス。ワタシとしては、試験対象の発揮するスペックの方が気になりまスネ」


「試験対象……? ああ、アレェ?」


 如何にも気乗りしなさげに言うのは、シャールである。

 ヴイことV-01Yの性能評価試験は、先日の徴発部隊千人を相手取ったもので済んでいる。それが彼の見解だった。今行っている戦闘は、試験と言うよりも純粋な捨て駒。トゥリウスの陣営と繋がりが薄く、廃棄されようと問題無い為に、ザンクトガレン軍への特攻に用いられているに過ぎない。無論、魔物と手を組んだなどと言われないよう、アルクェール軍にも攻撃させているが。


「アレに何か試験することって残ってたかなァ? この戦いも前回の拡大版でしかないし」


「あっ、わたしには分かりましたよっ! フェムちゃんの見たいものっ!」


 そう言い手を打つのはセイスだ。


「いるじゃないですか、この戦場には一人。ヴァンパイアと互角に戦えそうな人が。フェムちゃん、V-01Yがその人と戦うのを見たいんでしょお?」


「正解です、と、肯定しマス」


 フェムは機械仕掛けの顔に機嫌の好さそうな微笑みを浮かべる。このゴーレムの娘が表情を変えるのは中々に稀だ。それを目にする機会を得た仲間たちは、珍しいものを見たことに顔を見合わせる。

 それを余所に彼女は続ける。


「雑兵を相手としての掃討戦は既に評価し、及第点を下しておりマス。次は強力な敵個体をターゲットとした、純粋な戦闘能力のデータが欲しいのデス」


「フンっ、成程な。ヴァンパイアが雑魚どもを蹴散らすのは当たり前。故に、真に強敵と言える者を相手取った際に、どれだけの戦力を発揮するか? それを見なければ強化の程が分からんだろう」


「廃品利用とはいえ、お父様が直々に強化しましたからねぇ。たしかに、ちゃんとスペックが発揮されてるかどうかは要検証ですよね~」


「そういうことです、と、結論しマ――」


 機械仕掛けの女の無機質な言葉が、不意に途切れる。金色の両目が独特な作動音と共に視線の先を転じた。


「――どうやら、また状況の変化が起こったようですね、と、指摘しマス」


 アルクェール軍、ザンクトガレン軍、そしてV-01Y率いる魔物の軍勢。三つ巴の混沌とした戦場に更なる一石が投じられる。新たな暴威が盆地の東から現れるのを、四人の見物客たちは目撃した。

 

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