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070 クラヴィキュールの戦い<前篇>

 

 秋枯れの原野を、兵たちは無言で行軍していた。

 万余の兵隊がしわぶき一つ漏らさずに歩を進める光景に、見る者は死神の行列めいた不気味さを感じ取ることだろう。ましてやその全員が頬をこかし、瞳を飢えにぎらつかせているとなれば、より一層に恐ろしさが増す。

 彼らの正体は、ヴォルダンに攻め入ったザンクトガレンの軍団である。またアルクェールのヴォルダン州守備隊が蹴散らされた後、万を数える人数で歩く軍隊が、その他にある筈は無い。アルクェール王国が派遣するだろう増援は、今頃王都を発ったかどうかという頃合いなのだ。

 兵たちが痩せ衰えている原因はただ一つ。飢餓である。

 掻き集めた物資の焼失。アルクェール王国が徹底して行った焦土作戦。それにより補給が途絶し、日々の賄いすらままならない食糧事情。加えて、ようやく見つけた新たな略奪先は、訳も分からぬ内にまた燃やされてしまった。徴発に向かった部隊一千名の消失というオマケ付きで、だ。

 事ここに至って遠征軍司令部は、全軍を挙げての州西部攻略を決断する。

 黙っていれば、兵たちは飢える。或いはそれに耐えきれず脱走したり、叛旗を翻される恐れもあった。その前に、大量の食糧が蓄えられているだろうヴォルダン西部を、速やかに陥落させるべし。それを以って軍を充足せしめ、来援するアルクェール王国軍本隊に備えねばならない。

 撤退は許されなかった。現状の戦果はたかだか一州の東半分を荒らし、少数の守備隊を蹴散らした程度。四万もの兵を投入し山越えで奇襲を掛けたにしては、到底釣り合わない結果だ。ここで兵を引いては本国や諸領邦は何の為の出兵だったのかと、眦を決して遠征軍を非難するであろう。

 それに食糧どころか碌な燃料すらも持たない軍隊で、再び山を越えて帰国するのは至難であった。下手をすればそれだけで軍が半減、四半減しかねない。

 ならば、戦うしかないではないか。戦って全てを勝ち取る。それしか道は無いだろう。

 そんな悲壮な思いに支えられて、彼らは歩を進めていた。


「結局は、こうなってしまったか……」


 痩せ細った馬の上、零れる溜め息を隠すように以前より幾分かげっそりとした顔を撫でながら、ユルゲン・バウアー将軍は呟いた。

 予想だにしなかった備蓄物資の喪失の報を聞いてより、密かに覚悟していた総攻め。愚策と判断し何とか回避をと願っていたそれを、ついには実行せざるを得ない。そんな状況に追い込まれた煩悶が、思わず吐露されていた。

 轡を並べる幕僚の一人が、耳聡くそれを拾う。


「仕方ありませんな。何しろ、これ以上日を重ねては物資が持ちません」


「うむ……」


 奇襲の為に輜重を度外視した、略奪主体の補給計画。当初は、問題無い筈であった。智将は務めて敵地に食むという言葉の通り、食糧の確保を敵地に依存することは何ら不自然ではない。そうした作戦に対し焦土戦略が有効だとしても、土地の収入に依存する封建領主にそれを行える筈は無いと、誰もがそう思っていた。

 だが、このヴォルダンの領主は違ったらしい。躊躇いも無く自領に火を放ち、略奪の当てを先んじて枯渇させ、以ってザンクトガレン軍を追い詰めている。

 しかし、


「ご安心を、将軍。我らは飢えてはいますが、敵は小勢の弱兵。これを破れば、今度こそ兵たちをたらふく食わせてやることは出来ます」


 幕僚が自信と共に言い切る通り、アルクェール軍は弱い。少なくとも、この地方を守備していた軍勢は弱かった。軍を分けての分散進撃にも対応出来ず、各地でザンクトガレン軍に撃破されていった。今や残る兵力は二千か良いところ三千。四万弱のザンクトガレン軍に抗しえるとは思えない。

 城市に籠られると多少面倒なことになるが、それでもこちらの犠牲は三千から五千までに抑えられる見込みはあった。三万五千も手元に残ればこれを速やかに再編し、増援の敵本隊ともやり合ってみせる。それだけの自信はあった。


「ああ。今度も勝つ。勝ってみせる」


 バウアーは力を込めて断言する。

 勝たねばならない。この先の州都ヴォルダンを攻め落とし、物資と拠点とを奪って、ついでにこのふざけた状況を仕組んだ敵領主を血祭りに上げてくれよう。それでようやく、この戦争はスタートラインだ。本番はあくまで、二週間から三週間後に訪れる敵増援。たかが前座に、これ以上かかずらってはいられない。

 まず問題は、この先の盆地の西側出口、州都への玄関とも言うべき位置を押さえている砦だ。あそこにはどういう訳か、敵国でも最精鋭と謳われる近衛騎士団が回されている。たかだか百かそこらの小兵だが、練度は侮れない。とりあえず三千程を押さえに割く必要が――、

 と、考えたときであった。


「……伝令ーっ!」


 前方から騎馬が一騎、声を張り上げながら走って来る。物見に出した兵の報告であろうか。


「大変です、将軍! アルクェール軍が州都ヴォルダンを出撃! この先の盆地に既に布陣しておりますっ!」


「何?」


 その報告に、バウアーは眉根を寄せる。

 奇妙な話であった。この地の守備軍の大半は、既に緒戦で撃破済みだ。この開戦は奇襲であった為、動員も済んでいないヴォルダンの守兵は数少ない。先に推測した通り、どう掻き集めたとしてもザンクトガレン軍の十分の一に届くかどうかというところだ。そんな少数で出陣などあり得ない。普通ならば少人数でも大群相手に粘れる可能性のある、籠城を選択するのではないか。

 ところが、意表を突く報告はこれからが本番であった。


「その数、一万以上! 少なくとも、一万五千は下らないかと!」


「馬鹿なっ!?」


 幕僚の男が目を剥いて反駁する。

 確かに馬鹿げた話であった。一万以上? 何だそれは。これでは緒戦で戦った時より数を増やしているではないか。それよりも、アルクェール王国の一伯爵家が抱えられる兵力すら超過している。そんな数の兵士を、どこから引っ張って来たのか。


「何かの間違いだろう? 報告は正確にいたせっ!」


「しかし、この目で見たのです! 確かにその数は――」


 伝令と直属の部下の押し問答を横目に、バウアーは黙考する。

 アルクェール軍の一万を優に超す人数。その源は何かを。


「まさか……」




  ※ ※ ※




「まさか、これ程までの数の民を軍に引き入れられるとはな」


 近衛第二騎士団団長エリシャ・ロズモンド・バルバストルは、軍を率いて出撃したトゥリウスへ合流するや、挨拶もそこそこに言った。

 その言葉に含まれているのは呆れと驚き、そして若干の嫌悪である。それを感じているのかいないのか、トゥリウス・シュルーナン・オーブニルは曖昧な笑みを浮かべていた。そして頬を掻きつつ口を開く。


「いや、我が領の民も今回の戦、隣国の非道な行いに怒り心を発しておりましてね。募兵の呼び掛けには快く応じて下さいましたよ」


 抜け抜けとよくも言う、とエリシャは内心で舌打ちを堪えた。

 ここはヴォルダン州中央部、東と西とを繋ぐ山間の盆地。ザンクトガレン軍の進軍経路を塞ぐ形で誂えられた陣地の天幕である。第二騎士団は州兵出撃の報を受けてこれに合流。共にこの地で敵軍を防ぐという運びとなった。

 無論、エリシャとしては余計な真似をという思いが胸を噛んでいる。ヴォルダンに入ったのなら、そのまま同市で持久する構えを見せれば良い。そうすれば間も無く王国軍本隊が来援し、敵殲滅の構えを取れたのだから。だというのに、折角増やした兵力を投じて野戦など、悪戯に兵を損なう悪手でしかないだろう。

 が、トゥリウスとしてはそうはいかない。このまま王国軍本隊にザンクトガレン撃退の戦果を挙げられてしまえば、ヴォルダン領主としての彼の立場が無い。攻め込まれたところを亀のように籠っていただけで領土の防衛を全う出来なかったと、責任を求める声が上がるのは目に見えていた。

 ましてや増援の背後にいるのは不倶戴天の政敵ラヴァレ侯爵だ。下手をすれば敵国を打ち払った王国軍本隊は、そのままヴォルダンから彼を追い出す為の恫喝に使われかねない。

 だから何としても、己の手で戦果を上げる必要がある。その為に、口車に乗せて徴募した民草を磨り潰してもだ。


「隣国の非道、なあ」


「ええ。ザンクトガレンときたら、酷いものです。何でも略奪や凌辱に留まらず、農村に火を掛けたり井戸に毒を投げ込んだりしているとか」


「ふぅん……山越えで腹を空かせている筈の敵が、田畑に火を掛けるのか。自軍も使うであろう井戸水にも毒を? 不思議なこともあるものだな、トゥリウス卿」


「ええ、本当に不思議ですねえ。こうなると余程我が国に含むことがあると見るべきでしょう。そう思われませんか、バルバストル卿?」


 トゥリウスはエリシャの追及をさらりと躱す。だが、それは彼女の疑念をより強めただけであった。

 何故ならトゥリウスの口調には怒りも悲しみも無い。領土を荒らされ、残酷な行いを領民に対し働かれたことへ、負の感情を抱いている様子。あって当然の反応が、しかし何らとして見られなかったのである。白々しいにも程があるというものだ。

 略奪や強姦は兎も角、放火や毒は大方、この男が裏から手を回しての仕業だろう。ラヴァレ侯爵から王都大火の真犯人とすら見られているのだ。いよいよ切羽詰まれば、自分の領地だろうと焼いてもおかしくはない。

 が、それについてこれ以上追及するのは止めた。


「ああ、全くだな。……とはいえ、お陰で兵が立ったのだ。災い転じて何とやら、と思っておこう」


 言って、肩を竦めて見せる。

 何しろ証拠は一つも無い。あるのは焼かれた村々と、非道を行いながら戦火を広げた敵国軍。追及したところで敵の無道さを盾に言い抜けられるに決まっている。ならばここで無闇に騒ぐより、兵たちのザンクトガレンへの敵愾心(てきがいしん)を上手く利用する方が効果的だ。少なくとも内輪揉めを演じて敵を利するよりはマシである。

 限り無く黒に近い灰色の男が微笑む。


「募兵の成功を災い転じてと言うのなら、貴女方近衛第二騎士団が駐屯していらしたのは、不幸中の幸いですね。お陰様をもちまして州都への侵攻も防いで頂けたようで……いや、本当に感謝の言葉も見つかりませんよ」


「それ程でもない。元より彼の国の動きに備えての巡検だからな」


「そう言って下さいますと、こちらとしても気が楽になりますね」


「そうか」


「そうです」


 そして互いに笑みを交わし合った。

 二人の会話の意味するところは、要するに手打ちだ。この場においては遺恨無し、含むところ無く協力し合うとの意思表示である。

 そう、この場においては。


「……さて、それでは軍議に移りましょうか」


 言って、トゥリウスは天幕の中を見渡す。

 近衛第二騎士団団長エリシャ・ロズモンド・バルバストル。

 同じく副団長アルフレット・シモン・プリュデルマシェ。

 オーブニル伯爵家筆頭武官ドゥーエ・シュバルツァー。

 同じく伯爵家家臣団代表ヴィクトル・ドラクロワ・ロルジェ。

 此度は軍師役として参陣した客将ドルドラン辺境伯。

 その他、オーブニル家ヴォルダン守備隊の指揮官を務める騎士たち。

 そして、


「お待たせしました、ご主人様」


 言いながら天幕に姿を現したのは、様々な意味で場違いな人物だった。

 白いホワイトブリムを頭に頂いた、エプロンドレス姿の少女。首元に光らせるの銀の首輪。メイド、そして奴隷。どちらであっても軍営にあっては不自然だというのに、彼女ときたらその両方を兼ねているのだった。

 【銀狼】のユニ。奴隷でありながら【奴隷殺し】の傍に侍り、その忠心を捧げ続ける飼い犬である。


「遅れてしまったようで、大変申し訳ありません」


「別にいいよ。今から始めるところさ」


 平伏して詫びを述べる下僕に、飼い主は鷹揚に許しを与えた。

 そんな彼女の登場に、陣幕の中は俄かにざわめく。


「まさか陣中にあっても女奴隷を手放さないとは……」


「噂には聞いていたが誠のことであったか」


「よもや、二代続けて奴隷がらみで……などということはあるまいな?」


 聞えよがしに囁くのは、守備隊の騎士たちである。オーブニル家の家臣とはいえ、永年領地勤めであった彼らと、王都で生まれ育ち長じてはマルランで活動していたトゥリウスとでは、やはり付き合いが浅い。その非常識な振る舞いに対して眉を顰めざるを得ないのは、仕方ないことだろう。

 もっとも、言われている当人はどこ吹く風という態であった。聞こえているのかいないのか、それらの言には全く反応を返さず、顎をしゃくって何事かを促す。ユニがそれに応じて口を開いた。


「偵察の結果を報告させて頂きます。敵方はこちらの想定通りに軍を進発させ、行軍中です。本日中にこのクラヴィキュール盆地に姿を見せるかと思われます」


 女奴隷の報告に、座中は動揺の波を広げる。エリシャからすれば、敵が来るだろうと思ってここに布陣しているのだから、今更何を慌てるのかと言いたいところだ。が、参陣している騎士たちは、これまで散々ザンクトガレン相手に敗北を喫した生き残り。言葉を選ばずに評すれば、敗残兵か残党だ。自分たちを散々に打ち負かした相手が迫っているのである。その報告に動揺を見せるのも、仕方の無いことかもしれない。

 騎士の一人が、血走った目をユニへと向ける。


「奴隷! 貴様、その言に偽りは無かろうな!?」


「はい、騎士様。正直に見たままを述べております。また、何をか理由があって偽りを述べる必要がございましょうか」


(はしため)が、さかしらげに……」


「よさぬか」


 言い募ろうとした騎士を止めたのは、ドルドラン辺境伯だ。


「その方こそ、如何な理由で疑義を呈されておる。この者奴隷といえど、元は冒険者として名の通っておった娘よ。物見としては、それなりに信は置けると思うのだが?」


「は、はっ……」


 木端騎士など及びもつかない本物の貴族の言とあっては、流石に黙らざるを得ないらしい。今ユニへ噛みついたのも、大方奴隷階級を見下げてのことか。或いは本当にザンクトガレン軍に怯えていて、その到来を信じたくなかったのかもしれない。どちらにせよ、深い理由あってのことではなかろう。

 トゥリウスがフゥーと溜め息を漏らす。


「やれやれ。何で報告一つ聞くだけで、こうも余計なやりとりを挟むんだろうね?」


「ぐっ……」


 新当主の苦言に、配下の騎士たちが揃って下を向いた。

 何でと言われて答えるなら、配下がトゥリウスに信服していないからだろう。主君が絶対的な統率を確立していれば、余計な差し出口など入らないのだから。


「話を続けるよ。州都ヴォルダンを目指して州東部から西部を目指す敵軍。これをここクラヴィキュールにて迎え撃つ。これが作戦の基本だね」


「一つ、よろしいでしょうか?」


 そう言って挙手したのは、エリシャの配下アルフレットである。


「どうぞ。ええっと……第二騎士団の副団長の――」


 発言を許可しようとしたトゥリウスの言葉が詰まった。


「……アルフレット・シモン・プリュデルマシェであります」


「長ったらしくて舌を噛みそうな名前だろう? そいつのことならアルで構わんぞ。私が許す」


「ちょ、団長!?」


 助け船を出してやったつもりのエリシャだが、肝心の部下は心外そうにあんぐりと口を開けた。女団長は口には出さないが、解せぬと小首を傾げる。


「――じゃあ、アルさん。発言、どうぞ」


「はぁ……では、お尋ねします。伯爵閣下が籠城戦ではなく、野戦での敵軍撃滅を意図された理由をお聞かせ願えませんか?」


「と、言いますと?」


「閣下のご尽力で我が方の兵力は万を超えるに至りましたが、ザンクトガレン軍の方は四万人近くを擁していると聞き及んでおります。単純な兵力比は三倍から四倍です。であれば、野戦よりも籠城戦にて持ち堪える方が無難であるかと思われますが」


 アルフレットの疑問はもっともだった。純粋な頭数ですら劣っているのは当然として、何より問題なのは練度である。そこいらの難民を軍に加えて武器に持たせた程度で、あのザンクトガレン連邦王国の兵に及ぶだろうか。……絶対に否だ。

 向こうは十年か二十年に一度は連邦構成国同士で内紛が起き、兵たちに戦争の経験を積ませている。国情の不安という欠陥の副産物ではあるが、実戦の経験は軍隊にとって貴重な財産である。それを得ているのは確かなのだ。また、徴兵されたばかりの農民ですら、故郷で魔物と戦ったことが一度や二度はある。四大国の中でも豊かで平和なアルクェール王国の民とは、同じ生き物とすら思えない連中だった。

 つまり同数でぶつかり合えば負けるのが必然。ましてや倍では済まない数を空けられている現状では、殺されに行くようなものだ。だから兵同士を裸同然でぶつけ合う野戦ではなく、城壁を盾に出来る籠城戦を挑むべきだったのである。


(さて、どう答えるかね?)


 エリシャは場違いにも楽しみすら抱いてトゥリウスの方を窺った。まさか、籠城したら味方増援に手柄を奪われて失脚させられるからです、などとは言うまい。どのような主張を繰り出して来るものか。


「いいえ、この場合州都に籠るのは愚策です」


 果たして彼は、自信満々にそう言ってのけた。


「ほう? 閣下はそう思われるので?」


「ええ。その理由なのですがね、敵の主目的はおそらく、州西部に未だ残されている麦などの穀物。これを奪うなり焼くなりしたいのでしょう。拠点を得るのは、それからでも遅くない」


 東のは敵が奪う前にお前が焼いたからな、とは言わないでおく。


「ヴォルダン市での籠城を選ぶとですね、ザンクトガレン軍は城を囲むでしょう? 城壁の外で。そして物資に不安を覚えれば包囲を解いて、周辺の村や町に奪いに行く。そうすると僕たちアルクェール軍は、城市の外に打って出て追撃するか、それとも黙って見逃し籠り続けるかを選ばないといけない」


「ああ、成程な」


 トゥリウスが主張したい内容、その大体を呑みこめたエリシャは、一つ肯いて見せる。


「つまりこういうことか、伯爵。敵が物資を奪いに行くのを追えば、なし崩し的に野戦に持ち込まれる。数に勝る敵軍が、圧倒的に有利に戦える野戦にな。それは避けたい。かといって城に籠り続けてこれを見逃せば、敵は略奪で十分に補給を済ませ、万全の態勢で攻城戦を再開する。そうなっては籠城しようが危ういのは変わらない、と?」


「その通りです、バルバストル卿。ですから敵勢が州西部に到達する前に、西への玄関口であるこの盆地で、頭を押さえる必要がある訳でして。……それに、こちらの増援が来るのもいつかは不分明ですからね」


 聞きながらチラリと目を走らせると、ドルドラン辺境伯が小さく肯くのが目に入った。おそらくは事前に彼の入れ知恵があったのだろう。西方鎮定を一身に担い続けて来た男だ。軍事の素人であろうトゥリウスにとっては、格好の知恵袋である。

 それにしても口の上手い男だった。ラヴァレと散々やり合っている彼ならば、あの老人の策を理解して増援到来の時期が近いと知っている筈だろう。そこを敢えて王都からの連絡が無いことを良いことに、来援の時期が不明である故、恃む訳にはいかないと言い張っている。これなら勝った後に独断専行だと追及されても「教えられていなかったんだから仕方ない」で済まされてしまう。

 勝てれば、の話であるが。


「ですが、それでは不利な野戦を挑まされているという現状に、変わりはありませんぞっ!?」


 そう声を荒げるのは、伯爵家古参の――そしてトゥリウスの体制下では新参の――騎士だ。確かに州都で城壁を恃みに籠城しても勝算は薄い。が、単純に野戦を挑むのでは可能性は絶無となる。十パーセント、一パーセントの方が、勝率ゼロであるよりかは有り金を賭ける気にさせられるというものだ。

 しかし、問いを投げられたトゥリウスは、不思議そうに眼を瞬く。


「そういえば、先程から奇妙に思っていたのですが――」


 そして、アルフレットと今発言した騎士を見比べて言った。


「――皆さんはどうして、僕が『野戦をするつもりでいる』とお思いなんです?」


「……はっ?」


「……えっ?」


 座中の者の多くは、呆気に取られたように目を丸くする。例外は最初からこの男の構想を知っていたに違いない者たちと、興味深そうに瞳を輝かせているエリシャのみ。

 天幕の中に、何とも言い表し難い空気が流れた。




  ※ ※ ※




「何だ、敵軍のあの備えは?」


 戦場となるクラヴィキュール盆地に到着したザンクトガレン軍。馬上で伸び上がり敵勢の様子を窺っていたバウアー将軍は、訝しげな声を漏らす。

 彼の目に映るアルクェール軍の陣容は、これまでの軍歴で見たことも無い奇妙なものであった。連邦構成国同士の内紛でも、士官教育を受けた際に知り憶えた過去の戦訓の中にも見当たらない。勿論、五十年前の戦争でアルクェール王国側が、このような戦法を取ったとも聞かなかった。


「まさか、あの土塁で我らを防ぐ気ではあるまいな?」


 眼前に広がるのは、堆く積まれた土の壁。もっとも原始的にして簡易に構成される障壁。

 土塁。それも胸の高さ程度のチャチな代物だ。それが盆地の西側の斜面に何層も拵えられている。見ればそこには、農民らしさの抜けていないのが遠目にも分かる『兵隊のようなもの』たちが、小さく身を寄せ合っている。

 これではまるで、戦争というよりも土一揆の類ではないか。

 そんな感想を抱いたとしても、無理は無いだろう。


「……どう思う?」


 顔を顰めつつ幕僚に訊ねると、そちらの方も呆れかえったような表情で答えてきた。


「どうもこうも、敵指揮官の正気を疑いますね。あんな即席の防備に、即席の兵隊を詰め込むなんて」


 いやまあ焦土作戦の時点で正気ではありませんか、などとその後に続く。

 バウアーにしても同感であった。あの程度の防備とも言えない防備、歩兵で攻め寄せればそれで終わりだ。土塁を乗り越え、その裏で震えている雑兵どもを斬り殺す。ただそれだけで良い。多少は弓矢や投石で損耗する恐れはあるが、敵兵は見るだに練度が低かった。人間より身体能力に優れる魔物とすら戦うザンクトガレン軍ならば、下手糞の矢や投げ石などに怯まず接近出来よう。幾ら腹が減っていようとだ。いや、飢えに苦しんで死に物狂いな分、普段より勇猛に戦うかもしれなかった。


「将軍。それよりも我ら魔導師の力で崩してしまうのが良いと存じますが」


 魔導師隊の束ね役を買って出ている男が、そう割り入って売り込んで来る。


「ふむ。……続けろ」


「はい。砂の城の如き土塁といえど、防備は防備。あたら力攻めで兵を損耗するのも愚か。ここは遠目から魔法を撃ち掛け、突き崩して平らにしてから料理すべきかと」


「成程な……だが――」


 バウアーは逡巡する。彼とてその程度の作戦を考えられない訳ではない。だが、今後の作戦を思えば無闇に魔導師を消耗させるのも避けたかった。

 この盆地を抜けた先にある州都マルランの攻略。山を越える為に身軽な編成で作られたこの軍に、嵩張る攻城兵器の類は少ない。それも例の砦の騎士団との戦いや、物資集積地の火事、徴発部隊の不自然な消失――恐らく全滅だろう――で更にその数を減らしていた。攻城戦を後に控えていることを考慮すれば、兵器の代わりとして運用出来る魔導師は、魔力体力ともに温存してくれた方が有り難い。たとえその為に歩兵を少々損なってもだ。

 しかし、物見の兵の報告がその背を強く押すこととなる。


「敵陣に、オーブニル伯爵家の旗を確認! ヴォルダン領主の旗ですっ! 敵軍は領主直卒っ!」


「――何っ!?」


 領主自身が兵を直卒して出張って来ている。

 ならば、ここで敵軍を撃破して領主を生け捕りにするか、少なくともその手足となる軍を四分五裂させてしまえば、州都など落としたも同然ではないか。

 バウアーは意を決した。


「魔導師隊、総力を挙げて敵防御陣を粉砕せよ。……此度の戦が決戦である! 後を考えること無く、死力を尽くせっ!」


「ははっ」


 魔導師たちのリーダーが満足げに頭を下げ、命令を承った。いそいそと駆け出し、配下たちと合流しようとする。

 間も無く、魔導師たちの魔法によって敵の土塁は紙の盾のように突き崩されることだろう。後は巣から追い出された蟻の如き雑兵を蹴散らし、あわよくば敵領主の身柄を抑える。それでヴォルダン州は制圧したも同然だ。


「魔導師隊、総員詠唱用意っ!」


「ははあっ! ……≪炎精よ、我が手に宿りて穂先を為せ――≫」


 指揮官の音頭に合わせて一斉に上がる詠唱の声。内容からして、炎属性の攻撃魔法だろうと、バウアーは検討を付ける。アルクェール軍が愚かにも籠る脆弱な壁を、一斉に放たれる炎の魔弾が突き穿つ。これまで集積所の焼き打ちや焦土作戦に苦しめられてきた事を思えば、敵が頼っていた炎で攻めるというのは、実に痛快な意趣返しと言えよう。

 兵たちも、忌々しいアルクェール人どもが焼け出される様を、今か今かと待ち望んでいた。唱和する呪文にうっとりと聞き入り、それでいて手にした槍や腰の剣を扱いて、敵が飛び出してくる瞬間に備えている。ザンクトガレンが開戦を決する程に食糧を渋り、攻め込めばこちらの食糧を焼かれた。そんな真似を仕出かした連中への恨みが、満腔に募っているのだ。

 やがて全軍が見守る中で、魔導師隊の詠唱が完成する。


「≪――フレイムランス≫っ!」


「≪――フレイムランス≫っ……!」


「≪――フレイムランス≫!」


「≪――フレェエェェイムっ! ラァアアァァァンス≫っっっ!!」


 ある者は緻密に制御する為か囁くように、ある者は恨み辛みを吐き出そうとしてか雄叫びの如く、詠唱を結ぶ。

 瞬間、数十本の火線と化したがアルクェール軍の籠る土塁に殺到。

 着弾着弾着弾着弾着弾着弾。

 辺りには濛々と白煙が立ち込め視界を遮り、吹き返しの熱波が前線の兵たちの顔や髪を撫でた。


「ははははっ! 見たかよ、アルクェールの糞ったれどもめ!」


「ざまあみろっ! あの世でも土弄りしてやがれっ!」


「くっはははははっ!」


 一斉魔法攻撃が生み出した惨禍を思って、兵士たちが快哉の声を上げる。指揮官であるバウアーにしても、下手をすればこの攻撃だけで、敵前線が崩壊し壊走しかねないとすら思わされた。


「将軍っ!」


「ああ。兵どもに突撃を準備させよ。この煙が晴れ次第――」


 ――敵陣に切り込ませる。

 そんな指示は、白煙を貫いて聞こえた無数の破裂音に遮られた。


 ――パァン……っ!

 ――パァン……っ!

 ――パァン……っ!

 ――パァン、パァン、パァン……っ!!


「……この音は――」


 何だ? と耳慣れない炸裂音を(いぶか)る暇は無かった。


「ぐあっ! い、痛ェ……!?」


「な、んっ……何が飛んで来やがった!?」


「ヨハン? おい、ヨハンっ!? 何を倒れているんだヨハンっ!?」


 忽ちの内に前線から兵の悲鳴が幾つも上がり、それを聞いた周囲の者も浮足立ち始める。

 バウアーは喧騒の中で、傍に待機させていた伝令の兵に命じた。


「前線の指揮官に、混乱を収拾させよ。それと被害状況を知らせっ!」


「は、はいっ!」


「……アルクェール軍め。今度は何をした?」


 駆け出す将校を見送るのもそこそこに、敵陣を見やる。

 やがて風が吹いて煙を押し流し、アルクェール軍は再びその姿を白日の下に晒した。

 バウアーは目を見開く。


「…………何だ、これは?」


 そこにあったのは、異様な武器を構えた敵兵の姿だった。

 鉄の筒。そうとしか形容しようの無い金属の長物をこちらに向ける、無数の敵たち。時たま先端の穴から火を噴くように何かが爆ぜ、その度に例の破裂音が盆地に響く。

 恐らくは飛び道具か。アレで我が方の兵を殺傷せしめたというのか。

 いや、それよりも、


「何故、土塁が崩れておらんのだ!?」


 敵兵は土塁から身を乗り出すようにして、その上から謎の武器で攻撃を加えてきている。……先程の攻撃を受けた、土塁の上から。あれほどの数の攻撃魔法を撃ち込まれたというのに、土で出来たチャチな筈の守りは、未だに健在だった。




  ※ ※ ※




 盆地西側に構えられたアルクェール王国オーブニル伯爵家の陣中。

 そこでは天幕の中へ無数に持ち込まれている通信礼装が、引っ切り無しに声を上げていた。


『こちらB-12。α-03壕の防壁に被害発生、直ちに復旧に掛かります。オーバー』


『M-20です。α-05壕の防壁に被害発生、直ちに復旧に掛かります。オーバー』


『B-16、α-07壕は防御に成功、ダメージ・ゼロを報告します。オーバー』


『こちらB-22――』


 蝉時雨のように耳を(ろう)す騒音に、一人のメイドはじっと聴覚を傾け、手元の書き付けに聞き取った情報を記入していく。

 勿論、このメイドはユニである。洪水めいた音声の奔流を聞き取って内容を迅速に整理し、咀嚼し、必要な情報のみを取り出せるメイド。そんな者など、少なくともトゥリウスの傘下にはただ一人しかいない。

 やがて彼女は通り一遍の情報を整理し終えると、主へと簡易な報告を行う。


「ご主人様、防御状況は概ね問題無し。壁に被害を生じた壕も、奴隷たちの手によりすぐさま復旧が行われるかと」


「ふーん……。防御状況は、ってことは他に問題が?」


「兵たちが堪え切れずに射撃を開始している模様です」


「あらら。一応、武官たちを指揮官として同行させたはずなんだけどなあ……。兵士たちを抑えられなかったか」


「正直に申しますと、武官たちの練度にも問題ありかと。匪賊討伐の経験はございますが、戦闘詳報によりますと、武官筆頭であるドゥーエの個人的戦力に依存するところ大と出ています。一度、徹底した再教育を行うことを提案したく思いますが」


「まあ、その辺はこの戦いに勝ってから考えようか」


「はい、ご主人様」


 そんな主従の会話を横目に窺いながら、エリシャは陣内に用意された礼装や兵に持たせる武器の予備などを、興味深げに弄っていた。


「トゥリウス卿。これが兵どもに持たせた武器か?」


「ええ。マスケット銃……ちょっと前に錬金術の練習で作って、使えそうだからと量産していた物ですよ」


 今日初めて実戦に投入された新兵器を、大した気負いも無くサラリと説明される。そのことに多少きな臭い予感を覚えながらも、女騎士はマスケットを軽く構えてみる。


「ふむ。この引き金を引けば、先端の穴から鉛の玉が出るという仕組みか?」


「わわわっ!? 団長、こっちに向けないで下さいよ!」


 筒先に立っていたアルフレットが、慌てて横に飛び退く。

 その様に、トゥリウスが苦笑をひらめかせながら補足した。


「大丈夫ですよ。火縄に火を点けなければ発砲出来ませんから。ほら、引き金を引くとこの火皿に火縄が触れる仕組みになっているでしょう? こうやって火薬に点火して筒の中で爆発させ、圧力で弾が飛び出るという原理でして」


「ふーん? ほぉー?」


 説明を受けたエリシャは、マスケットの各部をカチャカチャと鳴らしたり、あろうことか点火されていないとはいえ銃口から中を覗き込んだりと、暫く新しい玩具を検めた。

 そして気が済むまで弄り倒すと、飽きたように放り出し、


「……何だか、直接剣で斬った方が強いような気がするぞ」


 などと放言する。

 アルフレットは、投げ出された銃を受け止めながらも目を剥いた。


「だ、団長!? 拙いですよっ!」


 内情はどうあれ、仮にも共同歩調を取っている相手の新兵器を真っ向から腐したのだ。下手をしなくとも機嫌を損ねるのではあるまいか。

 だが、そんな危惧を余所にトゥリウスは面白そうに笑う。


「あははっ! 良いんですよ。剣士の皆さんはマスケットを見るたびに、いつも同じようなことを言いますから。そうだろう、ドゥーエ?」


「ん? あァ……そういやそんなこともあったっけか」


 所在無げに陣幕の隅に佇んでいた筆頭武官が、遠い目をしつつ言った。ドゥーエ・シュバルツァーは冒険者上がりで、現役時のランクはBと聞き及んでいる。それだけの凄腕であり前衛であったのならば、火薬仕掛けの玩具など鼻で笑ったとしても不思議ではない。


「まあ、マスケットは基本的に兵士対兵士用の武器なのですよ。槍より射程が長く、弓よりは簡易に使え、雑兵には撃たれた後の対処が難しい……。最精鋭の近衛騎士や高ランク冒険者のような例外相手は、端から度外視している訳です」


「成程な。道理で徴兵されたばかりの兵たちですら使えている訳だ」


「……もっとも、十分な訓練をされていない兵では、一発撃つごとに指揮官が指揮してやらないと、マトモに次発を撃てませんがね。オマケに、堪えが利かずに敵を十分引きつける前に撃ってしまったようで」


 言って、トゥリウスは肩を竦めた。


「既に装弾時に槊杖(さくじょう)を折ったという報告が六件。火薬を必要量以上に込め過ぎ、暴発させたとの報告が二件確認されています。恐らく、時間経過とともに不具合の報告はより増えるかと」


 ユニも淡々とそう補足する。

 が、エリシャの興味の対象は、既に別の物へと移っていた。


「それはそれとして、あの土塁はどういう仕掛けになっているのだ? 魔導アカデミー仕込みのザンクトガレンの魔法攻撃にも、ビクともしていないではないか。土で出来ているとは思えぬ頑丈さだな」


「ああ、アレですか? 別に大したことはしていませんよ」


 トゥリウスは、そう言うとこの戦場の地図を取り出す。図上には彼らが設営した土塁群の位置まで几帳面に書き込まれている。


「この土塁全てに、魔導刻印を利用して簡単な防護魔法を刻んでいるだけです。何しろ材質が土ですから、それほど高等な魔法は使えませんが」


「そんな馬鹿な……」


 呆然とそう呟くのは、アルフレットである。


「一万人からなる兵たちが身を隠すだけの数と大きさの土塁ですよ? それに一つ一つ防護の刻印を刻んだというんですか? いや、それだけじゃない。簡単なって仰いましたけど、それじゃあザンクトガレンの攻撃を、無傷で耐え抜いたことへの説明が付きません!」


 言われてみればそうである。

 敵軍が放った魔法は中級の炎魔法≪フレイムランス≫。一撃で城塞を崩すような馬鹿げた威力こそ無いが、高い貫通力と火力で以って知られていた。ちょっとした防護魔法など苦も無く貫いて土塁を損壊させる筈である。

 が、トゥリウスは意表を突かれたように目を瞬かせただけだった。


「あれ? アルさんはさっきの通信を聞いていませんでした?」


「えっ?」


 指摘を受け、アルフレットは少し考え込んだ。先程ユニが礼装越しに受けていた膨大量の通信。その全容は、とてもではないが彼には把握出来なかった。いや、アレだけの情報を過不足なく理解しているらしいユニの方が異常なのである。

 とはいえ、切れ切れに聞こえてきた内容を吟味すると、やがてトゥリウスの示唆するものらしき一文に行き当たった。


 ――防壁に被害発生、直ちに復旧に掛かります。


「被害が出ても……復旧している?」


「ええ。ごく単純なことでしょう? 何せ土塁を作っているのは単なる土ですからね。材料は幾らでもある。ちょっと錬金術の心得さえあれば、多少の穴はすぐさま塞げる筈です」


 この戦場を演出する錬金術師は、何でもないことのように言う。

 だが、その言葉は実に恐ろしい別の内容をも含んでいた。


「ちょっとした錬金術の心得さえあれば? もしかして、なんですけど……さっきの大量の通信の先全てに、錬金術を使える人材が?」


「ええ。みんな僕の奴隷です。こう見えて奴隷の躾は得意なんですよ」


 アルフレットは今度こそ心底から驚愕する。

 この盆地一杯に広がる土塁の裏、その全てに錬金術を心得る奴隷たちがいる? 何だ、それは。たかが辺境の一伯爵――いや、少し前まで子爵に過ぎなかった男の下に、どうしてそれだけの人材が揃っているのか。

 同時にもう一つの疑問への答えも得た。

 ああ、成程。それだけの頭数の錬金術師がいれば、見渡す限りの大量の土塁全てへと、防護の術を掛けるのも簡単なことだろう、と。

 呆然とする腹心を余所に、美貌の女団長がしみじみと息を漏らす。


「無力な難民から万余の兵団を生み出し、何も無かった盆地に砦と等しい程の土塁を築くか。……正に錬金術だな」


 今回見せたトゥリウスの手腕は、正にそうとしか評しようが無かった。

 まるで無から有を生み出し、鉛や鉄屑を黄金と取り換えるような手際。これを錬金術と言わずして何と言えばいいのだろうか。

 だが、その言葉を受けたトゥリウスはゆっくりと首を横に振った。


「冗談じゃありませんよ。こんなもの、鍍金(めっき)も良いところです」


 そして、背後で鳴り響く通信礼装の群れを見やる。


『M-14より司令部へ。α-02壕へ敵軍が突撃を開始、兵たちはパニック状態に突入。指示と援護を乞います。オーバー』


『こちらB-09。α-01壕、持ちこたえられません。β-01壕へと退避を開始することを報告します。オーバー』


『M-20です。司令部、応答を。司令部、応答を――』


 聞こえてくる通信内容は、先とは打って変わって苦境を知らせるものばかりだ。

 オペレーターを務めるユニが、矢継ぎ早に指示を伝達しつつ、ドゥーエの方を見る。


「α-01から03の塹壕は粘れません。味方の退避を支援しつつ、敵突出部を叩いて下さい。出来ますね、ドゥーエ?」


「へっ、ようやく仕事かよ……じゃあ、ちょっくら出て来らァ」


 両手剣を背負った剣士は、激戦の予感に顔を綻ばせつつ陣幕を出ていく。トゥリウスはそれを無言で見送ると、エリシャら第二騎士団の幹部へ視線を移した。


「……とまあ、こういう訳です。向こうが損耗を度外視して攻め寄せて来ると、途端にこの様でしてね」


「ふぅん? 確かに卿の評した通りだ。鍍金とは言い得て妙だな」


 一時は目にする者に黄金の輝きを焼き付けるも、僅かな瑕疵から地金を晒す。所詮は農民に銃だけを持たせた兵隊に、胸の高さまでしかない防塁。剽悍(ひょうかん)の聞こえ高いザンクトガレン兵が無理攻めに掛かられると、それを抑えるのは困難ということだ。


「ええ。この鍍金を何とか金星に変えるには――貴女たちのご助力が必要なのです」


 攻められればそこから崩れ襤褸(ぼろ)が出るような、俄か作りの軍と急拵えの防壁。これを守り通すには、機動力に富み打撃力に秀でた少数精鋭が、あちこちを火消しに飛びまわる必要があるのだ。そしてここには、たった百人で三千人の兵から砦を守り抜く程の精鋭がいる。

 暗にその戦力を使わせろと、トゥリウスは言っているのだ。


「トゥリウス卿も、存外口が上手い方だ。実は陰で、何人かご婦人を泣かせているのではないか?」


「バルバストル卿こそ、ご冗談が上手い。して、ご返答の程は?」


「良いだろう」


 即答であった。


「民兵に戦わせて高みの見物など近衛の名折れ。元より我らはここで戦う為に、卿の招きに応じたのだ。最前線だろうと敵本陣だろうと構わん、好きなところに投げ込むが良い。我々も好きに戦い、好きに生き延び、武運拙ければ好きなように死ぬまでだ」


 そう言うエリシャにアルフレットが目で問い掛ける。

 良いんですか、と。

 彼女たちをここに派遣したラヴァレの思惑は、開戦を予見し善後策を講じたという名目を作るのと、あわよくばトゥリウスの保有戦力を見極める偵察だ。潜在的にはこの伯爵は敵と言える。またエリシャもこの男の存在を危険視していた筈だった。

 だが、戦うべき時に戦わないのは、先に宣言した通り近衛の名折れである。頼り無い友軍が健気に前線に立っていながら、権謀に足を取られてこれを見過ごす? それでは騎士の誇りが泣こうというものだ。

 何くれと世話を焼いてくれた老陰謀家には悪いが、まずは敵国の撃退が最優先。後は政治家が戦後にゆっくりと詰めれば良い。自分は知らぬ。エリシャ・ロズモンド・バルバストルとは、戦う者なのだ。

 力強く言い切った彼女に、伯爵は頭を下げる。


「第二騎士団長の心強いお言葉、正に万軍を味方に付けた思いですよ。……では、これを」


 差し出されたのは、通信用の礼装と戦域全体の地図だった。


「戦況の変化が見られる度に、救援を擁する地点を通信します。それに応じて動かれるのがよろしいかと」


「ほう……随分と分かりやすく区分けされているな。土塁と壕の並び縦がαβγ、横の列が数字か。つまりこうか? γ-05と言われたら、前から三列目、左から五番目の地点を目指せと?」


「はい。その通りです。それと管制を行うのはご覧の通りユニですが……奴隷の指示でも大丈夫ですかね?」


「気遣いは無用。いつだか言ったが、我が第二騎士団にも奴隷上がりの人員はいる。今更、身分などを気にしはせんよ……行くぞ、アル」


「はっ、団長」


 言い置いて、彼女の片腕である男を伴って陣幕を出る。

 それを見送るのは主従二人の視線のみ。

 やがて近衛たちが十分に本陣から離れた頃を見計らって、トゥリウスが口を開いた。


「それにしても、マスケットも思った以上に効果が薄いな。訓練不足を差し引いても、もう少し高いキルレシオが出ると思っていたんだけど」


「畏れながらご主人様。前装式のマスケットでは、狭い壕内での取り回しが悪いのではないかと思われます」


 とユニの指摘。

 発砲の度にいちいち銃口を手前まで持って来て、槊杖を突っ込んで掃除し分量を量りながら弾込め。それを狭苦しい防塁裏の塹壕の中でするのは中々に骨が折れる。


「またマッチロックという方式にも問題ありかと。発砲の際に煙や火花が周囲に散る為、兵が火傷を恐れたり煙たさを嫌うなどするので、あまり密集させることが出来ません」


「弾幕の密度が薄いってことか。うーん、気付かなかったなあ……これだけ大規模な同時発砲の実験はしてなかったから」


 自慢の新兵器が次々と欠点を露呈していく。その筈なのに、トゥリウスの表情に切迫感は無く、ユニが漂わせる雰囲気も凪いだまま。まるで最初からマスケットなどに期待はしていなかったとでも言うように。


「まあ、所詮はだぶついた在庫の処分セールだ。そんなに気にすることもないか……それよりユニ、現在時刻は?」


「おおよそ、十四時五十三分ほどかと」


 慌ただしく戦場の管制を行いながらも、ユニは時計すら見ずに答える。熟達の野伏でもある彼女にとって、時間などバイオリズムから体内時計を弾き出すことで把握出来るもの。その気になれば太陽すら無い地下へと、一、二週間閉じ込められても時間感覚を保てる自負があった。

 無論、そのように従者を作った男は、彼女の答えを疑いなどしない。


「もうしばらく粘ることが出来れば、日が傾きだすかな?」


「はい。秋の山ですから、日の入りの刻限は早まるかと」


「そうなれば――」


「ええ――」


 戦場の喧騒を遠くに聞きながら、二人は肯きを交わし合う。

 主は悠然と微笑み、従者は祈りを捧げるように目を伏して、


「――僕の勝ちだ」「――ご主人様の勝利です」


 この戦争の結末を、予言するのだった。

 

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